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土坂峠
つちざかとうげ No.196
   
太平洋岸と北上山地を結ぶ峠道
   
(初掲載 2012. 5.20  最終峠走行 2006. 5. 4)
   

  
 
土坂峠 (撮影 2006. 5. 4)
手前は岩手県宮古市(旧川井村)小国(おぐに)
奥は同県大槌町金沢(かねざわ)
道は県道(主要地方道)26号・大槌小国線
峠の標高は約750m(国土地理院の1/25,000地形図より読む)
峠の南側(写真では右)に広場があり、空が大きく開けた峠
市町境を示す看板には「大槌町」とある
 
   
 こ こで取り上げる土坂峠は、東北の岩手県にある土坂峠だ。もっと身近の関東近県に同名の峠があった筈だと思うのだが、それがどこだかどうしても思い出せない。 すると、妻が書棚から自分のツーリングマップルを持ち出し、ここにあると指差す。そこは埼玉と群馬の県境だ。確かに埼玉県秩父市と群馬県神流町との境に土 坂峠があった。考えてみると、志賀坂峠(しがさか)のページでこの峠について少し触れてある。そんなこともすっかり忘れてしまっていた。峠マニアとしては、お恥ずかしい限りである。
 
 妻は学生時代、地理が好きで、教師の話などそっちのけ、地図帳ばかり熱心に見ていたそうだ。だから地名などには詳しい。現在でも中学生の時の地図帳が愛 読書となっている。それに加えて近年、私と同行して峠巡りも始めたので、峠名だけは意外と詳しい。特に自分でも越えたことがある峠は良く覚えている。埼玉・群馬の境にあ る土坂峠も、以前私と一緒に一度越えたことがあった。私は少なくとも2回は越えているのだが・・・。この分では、知っている峠の数で妻に先を越されかねな い。
 
 岩手県の土坂峠は、結婚を目前に控え、独身時代最後の一人旅に出掛けた時に越えた峠であった。よって妻はこちらの土坂峠については全く知らない。この土坂峠だけは絶対忘れないようにしようと思うのであった。
 
 
関東にある土坂峠は「つちか」と発音するようだが、岩手県の方は「つちか」と読むらしい。ただ、参考文献には「土坂峠」の掲載がなく、峠名の由来や峠道の歴史など、詳しいことは分らない。
   
峠の所在
  
 土 坂峠は、太平洋の三陸海岸に面した大槌町(おおつちちょう)と、北上山地の只中にある旧川井村(かわいむら)との境にある。現在、川井村は宮古市と合併して宮古市の一部 となったようだが、宮古市は三陸海岸沿いの街というイメージがあるので、峠を越えた先が宮古市というのはやや変な感じがする。この1年、大槌町も宮古市 も、被災地としてその名が登場することが多かった。
 
  大槌町は、北上山地から太平洋岸へと派生する支脈に挟まれた細長い地にあり、その町域も北の大槌川流域と南の小鎚川流域の、大きく二つに分かれる。大槌川 も小鎚川も共に北上山地に源を発し、南東方向に約20Km流れ下り、大槌市街を抜けて大槌湾へと注いでいる。
 
 土坂峠は大槌川の方を遡った所に位置する。大槌湾 岸の大槌町市街を通る国道45号から分かれた県道(主要地方道)26号が、大槌川の左岸に沿って延々と通じ、北上山地の東の端で土坂峠を越えている。
 
 一方、旧川井村は北上山地の只中にあり、何でも村としては日本屈指の広さを持っていたそうだ。それに何と言っても北上山地の最高峰・早池峰山(はやち ね)が遠野市・花巻市との境にそびえる地である。また早池峰山の南、薬師岳との間にはあの小田越があり、峠好きとしても魅力的な地域となっている。近年は 宮古市の一部となり、名目上は太平洋岸と地続きだが、旧川井の村域はとても山深い地である。大槌町から土坂峠を越えて来た県道26号は、その広大は山地を 有する旧川井村の南の端にひょっこり降り立っている。土坂峠は太平洋岸と北上山地とを結び、その峠の前後の陰陽が際立つ峠である。
   
大槌町側から峠を目指す
   

国道45号を見る (撮影 2006. 5. 4)
県道26号脇より
 南の釜石市の方から国道45号を北上して来ると、城山トンネルを抜けた先で県道26号が交差することを示す道路看板が現れた。直ぐに大槌川を渡り、その先の県道との交差点を左に入る。県道脇に空き地があったので、車を停めて一息つく。以 前の国道45号はもっと東の大槌市街を通っていたが、今は市街を西に迂回するように国道が付け替えられている。その為、この県道との交差点付近は閑散とし ている。県道の起点は元の国道、現在の県道28号で大槌川の河口により近い。大槌湾に面する河口から現在の国道との交差点まで約2Km。去年(2011 年)の洪水被害はこの地まで及んだのであろうか。
  
県道脇から峠方向に見る (撮影 2006. 5. 4)
 
 土坂峠に続く県道26号は2車線路の快適な道に見えた。しかし、この時点ではまだ峠名さえ知らなかった。手持ちのツーリングマップル(1997年3月発行、昭文社)には峠名が記されていなかったのだ。県道名は「大槌川井線」と書かれている。川井村が宮古市になってからだろうか、今は「大槌小国線」と呼ぶらしい。「小国」(おぐに)は宮古市側にある地名で、旧川井村の大字だった筈だ。この道は古くは「大槌停車場線」とも言われたようで、これは全くの想像だが、土坂峠を越えて川井村まで車道が通じていなかった時代があったのではないだろうか。
 
 ふと見ると、「除雪案内」と書かれた看板が立っていた(右の写真)。東北の雪国らしい。でも5月初旬では看板には何も記されていない。天候も良く、これなら無事に峠は越えられそうだ。

県道の除雪案内看板 (撮影 2006. 5. 4)
   

採石場を過ぎる (撮影 2006. 5. 4)
 県道を峠に向けて走り出すと、往来は極めて少ないのだが、時折大型トラックが通る。暫く進むと右手の山肌が露わになり、採石場らしい所が見えた。そこを過ぎるとトラックの姿も消え、のどかな県道になっていった。
 
 県道26号は大槌町の町域のほぼ中央を縦貫する幹線路だが、やはり町の人口は大槌湾岸に集中しているようで、この県道沿いに大きな集落は見られない。代 わりに北上山地より伸びてきている支脈の峰が、常に視界に入ってくる。その山々に囲まれつつも、大槌川の谷を縫って県道は爽快に進む。
    
快適に進む県道 (撮影 2006. 5. 4)
     
 ツーリングマップルによると、国道との交差点から峠を越えて宮古市ま での県道の距離は32.8Km。その内宮古市内が約5Kmなので、峠までは28Km近くとなる。なかなかの距離だが、その大半は快適な道である。行き交う車も極めて少なく、何のストレスもない。た だ、これと言って目を引く物もない。県道を囲む山の峰を見上げ、県道脇に広がる田を見渡し、時折現れる小さな集落を眺め、ゆったり蛇行する道に合わせてハ ンドルを操作するだけである。ここに特筆することも見当たらないので、ただただ写真を列挙するばかりだ(以下の写真)。

県道の様子 (撮影 2006. 5. 4)
        
県道の様子 (撮影 2006. 5. 4)
 
県道の様子 (撮影 2006. 5. 4)
 
県道の様子 (撮影 2006. 5. 4)
 

金沢へ
  
 大槌川の上流部、大槌町の北西一帯の地域は金沢(かねざわ、金澤)という。深渡と呼ばれる地区から上流域である。大槌町の半分近くを占めるのではないだろうかというほど広い。土坂峠はその大槌町金沢と旧川井村小国とを結ぶ峠だ。県道を走っていても、どこから金沢だかはっきりとは分からないが、国道から分かれて少し走れば、もう金沢だと思っていれば大体間違いはない。
    

牛の放牧と桜 (撮影 2006. 5. 4)
 左手の大槌川の対岸に目立つ桜の木が一本立っていた。よく見るとその周辺に牛が放牧されている。真っ黒の牛や白と黒のぶちが草を食んでいた。春の日差しにのどかな雰囲気だ。
 
 県道沿いにはほとんど看板や標識がないが、やっと道路看板が一つ現れた(下の写真)。盛岡まで94Km、小国まで22Kmとある。地区名は小又口。この 場合の「小国22Km」とは、峠までの距離ではなく、峠を宮古市側に下って接続する国道340号沿いの小国の集落で、現在は市役所の出張所がある所までを示して いるものと思う。
     
珍しく道路看板 (撮影 2006. 5. 4)
盛岡94Km、小国22Kmとある
地名は小又口
  
 尚、小又口地区は既に金沢であるが、ここでは大槌川の大きな支流の一つ、折合沢が流れ込む。何でも、その沢には落差30mの高滝と呼ばれる滝があるそうな。
 
 県道26号は土坂峠に向けてまっしぐらで、国道から分かれてこの方、分岐らしい分岐がない。南の小鎚川流域に越える道も、北隣の山田町に越える道も、ツーリングマップルを見る限り、見当たらないのだ。後日、図書館で借りた詳しい県別マップル(
岩手県 2010年3版 1刷発行 昭文社)をよくよく見ると、それぞれの方向に1本づつ、車道が確認されただけだった。
    
水田の風景 (撮影 2006. 5. 4)
   
道が細くなる
  
 大 槌川の谷も随分と狭まり、道は屈曲だけでなく上下の起伏も多くなる。沿道に時折見えていた水田なども、そろそろ姿を消していく。すると、それまでずっとセ ンターランもある幅の広いアスファルト路面の県道が、細かな砂利の道となった。改修工事を行っている最中である。砂利の区間は短いが、そこを過ぎるとセン ターラインは二度と姿を見せなくなった。
      
道路の改修箇所 (撮影 2006. 5. 4)
  
狭い道となる (撮影 2006. 5. 4)
  
 主要地方道として恥ずかしくない立派な道路も、ここに至って遂に力尽き、昔ながらの狭い道となった。ただ、路面のアスファルトなどは、それほど古さを感じない。また、今後時間が経てば、改修工事が更に先へと進んで行くことだろう。
 
 道が狭くなったと思うと、その先で広いチェーン着脱場が現れた。これから峠への本格的な登りが待っている。その前に、少し休んでいこうと思う。
   
大貫台のチェーン着脱場
    
大貫台のチェーン着脱場 (撮影 2006. 5. 4)
前方にそびえる峰は宮古市との境
そこを登る峠道の筋が見える

  
 5月初旬ではチェーン着脱場は閑散としていた。片隅に小さな小屋があるばかりだ。近付いてみるとバス停であった。「大貫台」(おおかんだい)と書かれている。小屋の中には、古い応接セットのような椅子が2脚と灰皿が置いてあった。雨の日や寒い冬にはバスを待つのに便利な小屋なのだろう。
 
 大貫台は金沢の最も奥にある地区である。すなわち土坂峠の大槌町側最奥の集落となる。チェーン着脱場の奥、小屋の前を過ぎて県道とは別 に砂利道が続く。その道の先に人家があるのが見える。更に前方に目をやれば、宮古市との境となる峰がそびえていた。頂上近くを道が横切っているのが確認で きる。あれが土坂峠へと続く峠道なのだろう。このバス停が立つ場所は大槌川の川面より少し高い所にあり、なかなか見晴らしが良い。空が開け気分も晴れる。
 

道路脇にあるチェーン着脱場 (撮影 2006. 5. 4)
大槌町市街方向に見る

チェーン着脱場の側にある小屋 (撮影 2006. 5. 4)
バス停の待合場だった
  
 バスは大槌観光バスの運行によるもので、もちろんこの大貫台が終点である。バスの便を見てみると、全て桜木町行きで、平日は朝と昼過ぎと夕方の3便、土日・祝日は朝と夕方の2便のみであった。今日は祝日で、9:05の便がもうそろそろ来る時刻である。
 
 すると、集落の方から一人のお爺さんが歩いてやって来た。身体つきがガッチリしたかくしゃくたるお爺さんである。こちらがどこの誰とも分からないよそ者 なのに、気軽に話し掛けてこられた。もうどんな会話を交わしたか、ほとんど覚えていないが、そのお爺さんは戦争経験があり、戦闘機のことをいろいろ話され ていたと思う。また、戦後は自衛隊で働いていたとのこと。確かそのお爺さんに土坂峠の名前を教えてもらったのではないだろうか。お爺さんと別れた後、ツー リングマップルにでかでかと「土坂峠」と書き込んだ覚えがある。

バス停の待合場 (撮影 2006. 5. 4)
「大貫台」とある
      
路線バスがやって来た (撮影 2006. 5. 4)
発車を待っている

  
 バスの回転の邪魔にならないようにキャミを脇によけると、間もなく大槻観光バスの定期便がやって来た。その頃にはお爺さん以外にもお婆さんの乗客が増えていた。この大貫台の集落に住む人の、生活の一部を垣間見た感じがした。
    
ゲートの先へ
  
ゲート箇所 (撮影 2006. 5. 4)
  
 バスが出発する前に、こちらは峠へと車を進める。バス回転場兼、チェーン着脱場の直ぐ先にゲート箇所が設けられていた。冬季はここで通行止になるのだろう。それまでの立派な県道とはいかないが、細いながらも整備されたアスファルト路面がゲートの先に続いている。
    

大貫台の集落を望む (撮影 2006. 5. 4)
 道はもう暫く大槌川沿いを行く。左手の谷の方を見下ろせば、大貫台の集落の人家が、林の中にポツリポツリと立っているのが望めた。山里の閑静な佇まいだ。あのお爺さんが住む家も、その中にあるのだろう。今もお元気だろうか。
   
 道が川沿いを離れれば、いよいよ峠に向けて本格的な登りが開始される。県道は大きく北の方を迂回している。
 
 正確なことは分からないが、現在の車道が通じる以前から、土坂峠はあったものと思われる。県別マップルや国土地理院の1/25,000地形図を見ると、 県道とは別に点線で示された道が、大槌町と旧川井村の境を越えて描かれている。そのルートは、川沿いの大貫台の集落を通り、そのまま左岸を川の源頭まで進 み、そこより西の町村境の峰へとほぼ真っ直ぐ直登する。旧川井村でも西へと進んで、下に流れる湯沢川へとほぼ真っ直ぐ降下している。今の県道が大槌町側 で大きく北に迂回し、旧川井村側で大きく南へ道がそれているのに対し、旧道はほぼ最短経路で峠を越えている。

峠への本格的な登り (撮影 2006. 5. 4)
  
 また、新旧で峠の位置も異なる。昔の土坂峠は、現在の県道の峠より北に500mほど離れた位置にあったようだ。面白いのは、県別マップルでは県道の峠に土坂峠と書かれているが、国土地理院の1/25,000地形図では、点線で描かれた道の頂上に土坂峠と記されていることだ。県道の峠はあくまで「土坂峠」とも言うべき存在である。
 
 不思議なのは、車道の峠がこの付近の峰の最も低い鞍部、標高で750m弱の地点を越えているのに対し、旧道の峠はそこより高い780m強の所を越えている。標高でやや損をしても、そちらのルートの方が道が通し易かったのだろうか。
    
中腹へ
  

大槌川の谷間を望む (撮影 2006. 5. 4)
(画像をクリックすると望遠写真が表示されます)
 「法面崩壊注意」 と書かれた看板などを横目に、車道の峠道を登る。沿道は終始開け、暗い林の中に入ることなどは全くない。車窓からは絶えず谷間や峰を望め、晴れ晴れとした 気分だ。それだけ切り立った険しい地形にあるとも言える。道幅は1.5車線か、それよりもやや広い区間も多く、狭い感じはしない。何よりすれ違う車が皆無 である。ふと遠くの山肌を見ると、沢筋に白いものが見えた。残雪のようだ。土坂峠の大槌町側は南東方向に開け、比較的日当たりが良い筈だが、その残雪の塊 はまだまだ大きな物だった。
 
 峰までの中腹まで来ると、南東へ伸びた大槌川の谷間が広く見下ろせる(左の写真)。先のチェーン着脱場も確認できた。望遠で撮った写真を見ると、大貫台の集落の先へと伸びた、未舗装の林道があることが分かる。それが古い峠道だろうか。
   
 大槌川の上流部は、西方にそびえる高い峰を前に、北と南の2つの川に別れている。北に大きく迂回した県道は、最後にその北の支流の源頭部を回り込む。回り込んだ先を望むと、法面が崩落した痕跡が処々に見られた(下の写真)。この土坂峠の道の中では、一番険しい箇所となる。崩落箇所は既に補修工事が済んでいて、車の走行には何ら支障ないが、法面工事脇を過ぎる時は、恐ろしいほどである。
     

この先、北へ伸びた大槌川の支流を回り込む (撮影 2006. 5. 4)
パノラマ写真(4枚の写真をつなげた)
   
峠間近
  
 北 の支流を回り込んだ後は、峰の稜線とほぼ平行に、徐々に峰への頂上へと登って行く。すると道の左手(東方)の真下に、大貫台集落がある大槌川の上部を見下 ろすようになる(下の写真)。その北側には、ここまで登って来た県道がくねって見える。旧峠道は、大貫台からほぼ真っ直ぐこの地点辺りへと登って来ていた のだろう。どこだか正確には分からないが、旧道と新道である県道は、この付近で交差していることになる。
    
麓を望む (撮影 2006. 5. 4)
   
 右手の稜線が近づいてくると、道は心持ち穏やかになってくる。勾配も緩やかで、両側に立ち並ぶ低い木々の中を進む(下の写真)。空が近い。峠間近であることを予感させる。
     
峠間近 (撮影 2006. 5. 4)
穏やかな雰囲気
     
 「小国10Km」と書かれた看板が出てきた(右の写真)。その先、道は右にカーブし峰の頂上である峠へと到達して行く。看板の裏には「大槌30Km」とあった。看板を掲げているポストの途中には、「土坂峠」の文字が記されている。国道から分かれてこの県道を走り始めて以来、峠の名前を見るのは、ここが最初であろうか。いよいよ初めて見る土坂峠である。

前方が峠 (撮影 2006. 5. 4)
右上の看板には「小国10Km」とある
     
峠に到着
  
土坂峠 (撮影 2006. 5. 4)
看板にはまだ「川井村」とあり、並んでユーモラスな牛の絵が描かれている
停めた車の後ろに見える白い物は残雪
   
 土坂峠は開けた峠であった。峠があるこの稜線の鞍部はなだらかで、狭い切り通しのような暗さは微塵もない。峠の南に接して広い空き地があるのも、この峠を明るくしている一因だ。
 
 土坂峠を越えた2006年5月は、まだ川井村は宮古市になっていなかったようで、峠に掲げられた看板には、「川井村」と書かれていた。
     
峠から旧川井村側を見る (撮影 2006. 5. 4)
    
峠の南側にある広場から峠を見る (撮影 2006. 5. 4)
左が旧川井村、右が大槌町
   
広場の看板など
  

トンネル開通を願う看板 (撮影 2006. 5. 4)
 峠の広場は車を停めて一休みするには打って付けだ。側の木陰には残雪が見られた。
 
 広場の大槌町側には看板がいろいろと並んで立つ。中でも目立つのは土坂峠にトンネルを通すことを願う看板だ。いわく、
 
 内陸と沿岸を結ぶ
 土坂トンネルの早期完成を!
 21世紀の夢を運ぶ

 土坂トンネルの早期完成を!
 大槌川井線トンネル建設町民運動協議会
 大 槌 町
 
などなど。
      
広場に並ぶ看板 (撮影 2006. 5. 4)
中央付近にある看板には下記のようにある
我が町の未来を拓く
土坂峠
大槌川井線土坂トンネル建設促進町民運動協議会
  
 片隅に水源かん養保安林の看板が立っていたので、いつものように中身を確認せずに写真だけ撮っておいた(右の写真)。後で見るとなかなか興味深い地図が描かれている。大槌川の上流部は「金沢川」とも呼ばれるようだ。「金沢」(かねざわ)は前述の通りこの付近一帯の地名(字名)である。またその源頭部で北と南に分かれる川は、それぞれ「矢の沢」と「イサゴシ沢」と言うらしい。県道から分かれて大貫台の集落を通る道には「戸沢林道」とあった。その林道は矢の沢とイサゴシ沢が合流する付近までで止まっている。他にも金沢川に流れ込む支流の名前などが事細かに記されていた。国土地理院の地形図などより遥かに詳細だ。地元で使われるであろう山や川の名が分かり、なかなか貴重である。

水源かん養保安林の看板 (撮影 2006. 5. 4)
     
峠の旧川井村側
  
土坂峠 (撮影 2006. 5. 4)
旧川井村側から見る
  
 土坂峠は、北の妙沢山(1,116m)と南の長者森(1,010.5m)とを結ぶ、ほぼ南北に走る稜線を、鋭角に越えている。峠を旧川井村側に越えた道は、左にカーブしてほぼ稜線に並びながら下って行く。
 
 カーブの手前で旧川井村側を正面に眺めると、梢の間から山並みが覗く(下の写真)。幾重にか重なる山並みの向こうに、雪を頂いた一際高い峰を望む。北上 山地の主峰・早池峰山を筆頭とする山々である。太平洋岸に臨む大槌町から遥々と北上山地の奥深くにやって来たという思いが沸く。
     
峠から望む旧川井村側の景色 (撮影 2006. 5. 4)
   

旧川井村側に下る道 (撮影 2006. 5. 4)
  峠で5、6分か散策している間に、大槌町側から1台の4WD車がやって来て、同じ空き地に停まった。夫婦連れが降りて来て、辺りを見て回っている。2人の 会話の内容からすると、草花や山のことに関心があるようだった。登山などを趣味としているらしく、この付近には詳しい様子だった。
 
 女性の方と何か言葉を交わしたと思う。何をしに来たのかとの問いに、峠を見て回るのを趣味にしているというようなことを言った気がする。相手の顔付きからして、うまく意味が伝わったとは思えなかった。
    
旧川井村側に下る
   
 土 坂峠を後に、旧川井村側の県道を少し下ると、沿道の木々が途切れる箇所があり、そこより北上山地を広く望むことができた(下の写真)。雪を頂いた早池峰山 もさることながら、手前の山肌を縫ってジグザグに走る林道が所々に見られ、如何にも楽しそうである。それより何より、早池峰山とその南にそびえる薬師岳と の鞍部を越える小田越を、もう一度越えてみたい。初めて越えた時、峠は濃霧で何も見えなかったのだ。この土坂峠を越えた後、一応小田越を目指してみたが、 やはりこの時期、冬期閉鎖で越えられる筈はなかった。
      
早池峰山を望む (撮影 2006. 5. 4)
多分、左が薬師岳、右が早池峰山(不確かです)
     
 旧川井村側の県道は、遠くに雪を頂いた山々を眺め、足元の路肩には融け残った雪の塊を見て、まだ冬の名残を強く感じる道だった。大槌町側と同じく、こちらの峠道もほとんど林に囲まれることなく、開放感に溢れている。ただ、大槌町側が大槌川源流の険しい谷間を眺める道であったのに対し、こちらの旧川井村側では、雄大な北上山地を広く見渡す道である。どちらも甲乙付け難い魅力があった。
    

路肩に残雪がある (撮影 2006. 5. 4)

道の様子 (撮影 2006. 5. 4)
前方に早池峰山
 
小国の集落を望む
   
 土 坂峠の旧川井村側の真下(西)には、小国川(閉伊川水系)の支流である湯沢川が南から北へ流れ、ほぼそれに沿って国道340号が通じる。県道はその湯沢川 の上流部で国道340号に接続すべく、南南西へと下って行く。湯沢川の源流は長者森の西麓付近で、県道は長者森のほぼ西側辺りまで南下することになる。
 
 県道を下っていると右手後方に、峠辺りから湯沢川に直接流れ下る沢の谷が見える。古い峠道はその沢筋を湯沢川本流へとほぼ真っ直ぐ下っていたものと思う。
 
 旧川井村側の峠道を半分ほども下っただろうか、麓の景色も視界に入ってきた(下の写真)。湯沢川の谷間が見渡せ、集落らしき人家が集中する箇所が確認で きる。多分、国道340号沿いの小国の集落と思われる。峠の看板に「小国10Km」とあったのは、あそこに見える集落までの距離だろう。峠から国道まで約 5Km、国道を走って小国集落まで約5Kmである。大槌町側に比べ、旧川井村側の峠道は極端に短いことになる。
    
国道340号沿いの小国の集落を望む (撮影 2006. 5. 4)
      
国道340号に接続
    

前方に国道340号 (撮影 2006. 5. 4)
 土坂峠の旧川井村側は、あっという間である。北上山地の景色もそれほど堪能する暇もなく、前方に青色の道路看板が出てきた。国道340号に接続するのだ。出た国道を左(南)方向には「北上 遠野」とある。この先、立丸峠を越えて国道は遠野市に入って行く。一方、右(北)方向は「宮古 川井」とある。小国の集落を通って国道106号につながり、川井村の中心地、その先宮古市へと通じる。
 
 国道340号は、旧川井村と遠野市の境にある立丸峠を越える峠道と見るべきだろう。そこで、やはり土坂峠の峠道は、県道26号と運命を同じくし、国道 340号に出た所で、終りと考える。土坂峠の旧川井村側は、太平洋に注ぐ閉伊川の支流の小国川の支流の湯沢川の支流の名も知らぬ沢の水域に関する峠道で あった。一方、大槌町側は大槌川水系そのものである。
   
  県道の出口には赤い塗装の鉄製ゲートが閉じられるようになっている。大槌町側の大貫台にあった物とそっくりだ。峠から国道までの旧川井村側には、人家は皆 無である。人家どころか、これといった設備もほとんどない。ただ、気温を示す電光掲示板(この時は12℃)が途中にぽつんと一つ立っていた程度だ。
 
 県道を降りた国道沿いにも人家は暫くない。峠道の途中から眺めた北上山地の景色は雄大であったが、降り立った湯沢川の谷間は寂しい雰囲気が漂う。やはり土坂峠の大槌町側が「陽」で、旧川井村側が「陰」という気がする。

国道から県道を見る (撮影 2006. 5. 4)
国道を右方向は立丸峠へ
直ぐに湯沢川を渡る
   

国道を小国方向に見る (撮影 2006. 5. 4)
この先5Km程で小国の集落がある
 閉伊川に並ぶ国道106号沿いに「やまびこ直産館」という施設があり、そこに川井村全域の観光案内図があったので、参考までに下に掲載する。土坂峠の道は川井村の南の端に降り立っている。険しい北上山地に囲まれた川井村の中でも、特に寂しい地であった。
  

川井村観光案内図 (撮影 2006. 5. 4)
(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)
   
  
   
 5月のゴールデンウィー ク頃では、土坂峠は越えられても、北上山地内の林道や峠道は、まだまだ通行止の区間が残り、十分には堪能できない。今度は是非とも夏や秋に訪れ、小田越を 含めた峠三昧をしてみたいものだ。その折には北上山地と太平洋沿岸をつなぐ峠道として、また訪れてみようかと思う土坂峠であった。
 
  
 
<走行日>
・2006. 5. 4 大槌町→旧川井村 (キャミにて)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  3 岩手県 昭和60年 3月 8日発行 角川書店
・その他、一般の道路地図など
(本ウェブサイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
 
<Copyright 蓑上誠一>
  
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