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二十曲峠
 
にじゅうまがり とうげ
 
富士が見える筈?の峠道
 
二十曲峠 (撮影 2002. 6. 8)
左手前が山梨県都留(つる)市鹿留、右奧が同県忍野(おしの)村内野
標高は1、151.5m(峠にある看板より)
道の名は林道鹿留(ししどめ)線
(県営林道細野鹿留線と接続)
 
松の木が何とも絵になっているが、
肝心な富士は全く見えなかった
 
 この「峠と旅」のホームページに、「富士が見える三大峠」などというのを掲載したが、肝心な峠を失念していた。この二十曲峠である。峠からは目の前に、ドーンと富士の絶景だ。時にはシャッターチャンスを待つ何台ものカメラの放列が峠に並ぶ。一方、途中の道からはほとんど富士は眺められない。まさに峠からのみ得られる眺望である。富士を眺める峠として、二十曲峠は欠くことのできない存在だった。
 
 こんな当たり前のことに、なかなか気づかなかったのには訳がある。この峠道を訪れる目的のほとんどが、都留市側の鹿留林道だったのだ。この道は今なお未舗装区間を残している。都心近くの自宅から、一日で行って来られる長い未舗装林道の峠道。これが目的であった。
 
 今から15年程前、峠道を旅するようになった頃には、まだ、富士の眺めをのんびり堪能しようなどという、おつな考えは持ち合わせていなかった。一にも二にも、ダート走行で頭は一杯である。路面状況はどうだろうか、土砂崩れで通行止になどなっていないだろうか。積雪はまだ大丈夫か。これでは富士のことなど、考える余地はなかった。峠で富士を眺めたことも一度や二度はあったろうが、アルバムのどこを探しても富士が写った写真は見つからない。峠に留まる僅かな時間ももどかしく、直ぐに林道に突入して行ったのだった。
 
 それが最近、ちょっと心境が変わってきた。未舗装林道は相変わらず好きだが、峠から暫し石割山まで山歩き、などという余裕が出てきた。いつまでも無闇に林道を走っているばかりでは、味気ないと気づくようになってきたのだ。当然、富士の眺めも期待する。物事の味わいが分かる歳になってきたという訳である。
 
 すると今度は、肝心な富士が顔を出してくれない。峠に暫く立って待ち、この方向に見える筈なのにと目を凝らしても、白い霞みの中に隠れて、富士は全くその姿を現さない。人生とは何と皮肉なものであろうか。
 

「鹿留入口」の信号
(国道139号を富士吉田方面に向く)
左に県道が分岐する
 今回の峠行きは、峠から石割山往復ハイキングも計画し、時間の余裕を考えて、奮発して中央高速を使った。都留インターで降り、近くを通る富士急行の谷村町(やむらまち)駅に寄ってトイレを拝借し、国道139号を富士吉田方面に進む。国道はそれなりに交通量があり、峠への分岐を探すのが気に掛かる。万が一通り過ぎると引き返しが難しいのだ。一人だけで車を運転している場合は、地図を頭に叩き込んでおかないといけない。そして、信号で止まるたびに、あとどれくらいの距離を残しているかと、間合いを計ることになる。
 
 分岐する交差点の名称は「鹿留入口」。でも、目があまり良くない私には、走りながら小さく書かれた交差点名を確認するのはちょっと辛い。それより、「グラススキー場 サンパーク都留」とか、「ホリデイロッヂ鹿留」の看板が示す矢印に従って左折する方が楽である。
 

狭い県道
車のすれ違いは苦しい

時には道幅一杯に大型トラックもやって来る
 
 入った県道は最初の内、人家の間を抜ける狭い道だ。乗用車同士のすれ違いにも心を砕く。運悪く大型トラックなどがやって来てしまっては、ヒヤヒヤものである。しかし、数分もすればのどかな風景が広がる。ここまで来れば交通量もグンと減り、路肩も広いところがあって、安心してのんびり走れる。
 
 国道から分岐して3Km程も来たろうか、左手に流れる川を一本の橋(大野橋)が渡っている。その側らに立つ川の標識には「鹿留川」とある。「しかどめ」ではなく「ししどめ」と読むことが、看板に併記されたローマ字で分かる。また、手持ちの地図によると、「鹿留」とはこの付近一帯の地名でもある。

のどかな風景となる
 

左手に大野橋
「一級河川 鹿留川 SHISHIDOMEGAWA」とある

この左手には橋、右手には県道起点の標識が立つ
直進は木材置き場へ
道は川から少し離れ、右斜め前方に進む
 

林道と県道の標識
 橋の近くの道路脇に車を停め、ちょっと休んでいると、友人が林道標識を見つけたと言う。見ると、橋とは反対側の道路脇に幾つかの看板が立っている。「県営細野鹿留林道」と「県道 大野夏狩線 起点」とある。
 
 まず、県道については、「大野」は現在のこの地点であり、夏狩とは、古いツーリングマップに載っていたが、県道が分岐する国道付近の地点である。この僅か3Km程が「県道大野夏狩線」という訳だ。
 
 一方、林道に関しては、「細野」という地点が解せない。この先、二十曲峠を越える道沿いには、その様な地名が見当たらない。よくよく地図を調べると、一本北を通る県道24号・都留道志線の途中に細野川という川が流れ込み、その川の沿線に細野という地名がある。しかし、この大野とその細野とは、車道が繋がっている様子がない。この謎は後で解決した。
 
 林道起点を過ぎると、道は鹿留川からやや離れ、川との間には水田が広がる。右手を望むと採石場らしき山肌が見える。あの大きなトラックは、ここから来たものか。
 

水田が広がる

右手に採石場
 
 鹿留川の対岸には、都留緑地広場(サンパーク都留)ののどかな様子がうかがえる。続いて車道脇の林の下に、ホリデイロッヂ鹿留が出てくる。オートキャンプ場や宿泊施設もあるようだ。更に上流には、鹿留川に設けられたマス釣場があり、休日ともなるといつも多くの行楽客で賑わっている。

対岸に都留緑地広場 (サンパーク都留)
 

ホリデイロッヂ鹿留のマス釣場
 さて、このマス釣場付近までは普通に多くの車がやって来る。川岸に駐車された釣り客の車の数を見れば一目瞭然だ。しかし、左に川岸へと下りて行く道を分けた後、道は急に狭く暗くなる。これまでは県道の延長の様なものだったが、これからはいよいよ林道の本領発揮である。この先に進む車はめっきり少なくなる。ここで留まる者と、進む者では人種が異なるのである。
 
 この林道を走り始めた頃、ここより先に入り込む時は少なからず緊張した。また、峠からこちら側に下ってきた時は、ここまで出て来るとホッと安堵したものだ。好き好んで林道を走りに来ていながら、おかしな人種である。
 
 マス釣場の後、直ぐにゲート個所が出てくる。いつも雪のない時期に来ていることもあり、このゲートが閉まっているのをこれまで見たことがないのは幸運だった。ゲートの側らに立つ「一般車両通行止」の看板には、次の様にあった。(2002年6月現在)
 
 期間 自平成13年12月22日
     至平成14年 4月25日
 これより先は路面凍結 落石等があるので
 危険ですから一般車両の通行を禁止します
                   山 梨 県
 

ゲート個所
 
通 行 規 制
 この林道は 時間降雨
量10ミリ連続降雨量50ミリ
以上及び冬期間は事故
防止のため通行止とな
ります
           大月林務事務所長

一般車両通行止の看板
 
 約4ヶ月の冬期閉鎖があるようだ。また、雨による通行規制(上の写真参照)等があるので、やはり注意が必要な道である。
 
 他には、「この先 対向車に注意」や山火事注意(右の写真)の看板、変わったところで「発砲注意 (釣場あり) 東桂猟友会」などというのもある。道や対向車だけに注意しておけばいい訳ではなさそうである。
 
 山火事注意の看板には付近の地図が掲載されている。それによると、道の名は「県営林道鹿留線」とあり、「細野」の文字はなかった。また、国道から現在地まで4.5Km、現在地から二十曲峠まで12Kmとのこと。峠道としては長からず短からず、程よい距離である。

山火事注意の看板
 

未舗装路
 やっと、待ちかねの林道走行である。ゲートの先にまだ僅かに続いているアスファルトも間もなく途切れ、硬く締まった土の路面へと変わる。雨が降れば泥水を跳ね上げそうだが、乾燥していれば土埃もあまり上がらず、路面の凹凸も少ない。道幅は勿論広い訳ではないが、かといって窮屈さを感じる程でもない。ましてや軽自動車に毛が生えたような小さなキャミで走る限りは、全般的に走り易い道である。
 
 道の直ぐ側らを流れる鹿留川は、最初は左手に見えている。路上から時折見渡せる開けた川面が、道を窮屈に感じさせない効果があるのかもしれない。峠道をまだあまり上がらない内は、どうしても景色が広がらない。そんな時に、こうして涼しげな川の流れを眺めながら走れるのは楽しみの1つとなる。
 
 道は途中で橋を渡り、今度は右手に鹿留川を見る。道から水面までの高低差がなく、川面は直ぐそこだ。以前は2、3箇所、車ごと河原に降りられる場所があり、夏などはキャンプをしたりバーベキューを楽しんだりと川遊びに興じる人たちを見掛けた。川がとても身近に感じられる所だ。しかし、そんな河原は狭く、1組の車が陣取ると、もう他の車が入り込む余地はなかった。車道に車が停められる路肩も少なく、川を見ながら指をくわえて通り過ぎることもままあった。
 
 しかも、最近はほとんど車が河原に降りられなくしてしまったようだ。自然保護や不法投棄防止の為であろうか。ちょっと残念である。

右手に鹿留川
最近は河原に下りにくくなった
 

真新しい舗装路が始まる
 走り易い未舗装路はどこまでも続くかと思ったが、不意に真新しいアスファルト路面が顔を出した。ここ数年この峠道にはご無沙汰していたので、その間に改修されたのだろうか。
 
 舗装路を更に進むと、今度はこれもあまり記憶にない立派な橋が現れた。名前を「虹の木橋」というらしい。看板によると、「林道事業における木材の有効利用事例」なのだそうだ。ブロックやガードレールなどにも木材を活用するとのこと。
 
 橋の看板には、橋の構造などと共に、林道周辺案内図が描かれていた。その時はよく見もせず、何の気なしに地図のアップを写真に収めておいた。それを後日よくよく調べてみると、林道名前が詳しく載っているではないか。
 

左に行止り林道と御正体山への登山道が分岐
右は虹の木橋を渡る

虹の木橋
 
 その地図によると、県道起点の大野から始まっている道は、やはり「細野鹿留線」であり、その続きは虹の木橋を渡る手前を左に曲がって行く。しかし、その先は直ぐに点線表記となり、車道は県道都留・道志線には繋がっていないようだ。道の入口にも「通り抜け出来ません」と看板が立っている。
 
 一方、細野鹿留線から分岐するかっこうで峠を越えるのが「鹿留線」となる。峠の忍野村側は「村営林道鹿留線」、峠で北に一本分岐する行止り林道は「鹿留支線」である。
 
 峠道を旅する時、無闇やたらに写真を撮り、しかもせっかちにシャッターを切るので、ピンぼけや端が切れた写真も多いが、今回の様にたまには役に立つのもある。写真に写った小さな文字を虫メガネでのぞいていると、時々面白い発見をする。
 
 県別マップルを調べると、虹の木橋があるこの付近を「池ノ平」という。橋は鹿留川の支流・クラミ沢を渡っている。この沢に沿って御正体山(1,681.6m)への登山道が続いている。折しも登山道の入口には一台の車が停めてあった。林道を走る人種の中では、登山者はまともな部類である。

虹の木橋の看板
 
林道周辺案内図 (「虹の木橋」の看板より)
道の名前についてよく分かる
 

前ヨリ(寄)沢林道起点
 虹の木橋の先の鹿留線は、まだ暫く舗装路が続いた。林道の途中からは幾つかの行止りの支線が分岐する。前ヨリ沢線、外ヨリ沢線、前述の鹿留支線。しかしどれも入口でゲートによる通行止である。
 
 池ノ平付近を過ぎてからは、本流の鹿留川はほとんど望めなくなる。だんだん右手の谷が深まっていく。これから峠までの道程が長く感じられる。道の勾配はさほどでもなく、代わりに緩いアップダウンを繰り返す。道は大きく東から西へと迂回し、峠への方向感覚も定まらない。いつになったら峠に着くのか、さっぱり検討がつかない道である。
 
 しかし、この付近の道がまた楽しい。谷が深まった分、視界が広がる。また、すれ違う車もほとんどなく、寂寞とした道である。まさしく林道を走っていると実感できる。特に、忍野村から登り賑やかな二十曲峠を越えてこの地に踏み込むと、尚更その感が強い。後からは誰も来る者がなく、何だかいけないことをしているような気にもさせられる。一挙に襲ってくる寂しさや不安が、またたまらない道だ。
 
 しかし、ここにも道路改修の影響は出てきていた。ほとんどがアスファルト舗装となり、白線やガードレールも白く新しい。走るには安全でいいのだが、どこか物足りない。

右手に谷が広がる
 

谷の反対側に鹿留支線を望む
峠は近い
 10年程も前は、もっともっと荒々しい道だった様な気がする。それはただ未舗装路というだけでなく、斜面を削り落とした跡や、土を盛った路肩や、砂利やコンクリート破片が散らかる路側など、道やその周辺から受ける全体的な印象である。
 
 そんな林道を走っている途中、谷側に張り出したちょっとした広場を見つけると、好んでそこに車を停め、目の前に広がる山の景色に見入ったものである。広場は整えられた待避所などという行儀のいいものではなく、ただブルドーザーでならしただけで、まだ赤土が露出している。大雨が降れば丸ごと流れ落ちるのではないかと心配されるような場所だ。車止めもなく、一歩間違えれば、車ごと谷底に落ちてしまう。そんな崖っぷちに仁王立ちし、深い山の景色を見渡していると、何だか自分がたくましくなったような錯覚さえ与えてくれた。暫しの休息で、険しい道を走るささやかな興奮を覚ますと、また林道の続きを走りだした。
 
 そんな楽しみが今ではほとんど得られない。ガードレールにしっかりと守られては、車道からはみ出そうにもはみ出す訳にはいかないのだ。車を停めたいと思う所が見つからないまま、車はどんどん進んでしまう。
 
 右手の対岸に山肌を削る林道の道筋が見えたら、それは鹿留支線である。その奥に鹿留山を望む。更に左手に登る尾根上に鉄塔が見えたらもう峠は近い。
 
 峠は手前からは直接望むことはできず、間近になって急に現れる。右手斜めに鹿留支線を分岐し、その間から稜線を伝って鹿留山や杓子山へ続く登山道が登っている。峠から都留市側にはあまりいい景色はない。
 
 都留市に下る道路の入口には、林道標識が幾つか立つ。中でも「県営林道 鹿留線」と書かれた木柱は味わいがある。林道看板に「林道 ×× 鹿留線」とあり、「××」の部分が消されていたのが気に掛かる。

都留市側から峠に着く
 

峠から都留市側の道を見る
道路脇に幾つかの看板が立つ

道路脇の看板
 

峠の車道より都留市側を見る

峠の車道より忍野村側を見る
 

峠の忍野村側
 二十曲峠は、林道は都留市側だが、眺めは断然忍野村側である。峠で都留市側を向いている者など誰もいない。皆、忍野村側にへばりついている。
 
 目的は言わずと知れた富士である。写真の世界のことはよく分からないが、本当に熱心な愛好家がいる。忍野側に面して僅かな道が築かれているが、そこには多くの写真機材を積んだ車をよく見かけ、中には発電機持参で長期戦の構えの者もいる。
 
 写真の専門家でなくとも、富士の眺めは楽しみたいものだ。単に林道を走りに来たとしても、この峠に寄って富士を眺めようとしない者はない。
 

富士が見える時は、ここにカメラが並ぶ

峠の標識 (撮影 2002. 7.28)
標高1151.5m」とある
 
 しかし、そう簡単には問屋が卸さないのだ。特に今回は、林道よりも富士の写真を一枚くらい記念に撮っておこうと思ったのだが、全くダメである。これからハイキングをしようというくらいなので、天気はまずまずなのだが、富士があると思しき方向は、白くぼんやり霞んで、あの巨体の所在さえ全く掴めぬ有様である。
 
 よほど運が良くなければ、無計画にやって来たにわかカメラマンでは歯が立たない。1ヵ月半後に忍野村側から峠まで往復する機会をつくったが、その時かすかに山頂が顔を出しただけだった。都留市側の林道は諦めて、もっと空気が澄む寒い時期にやって来るべきなのだろう。
 
 ただ、二十曲峠には富士の眺め以外にも、探せばいろいろ見る物はある。以下に峠について書かれた看板の内容を転記する。

峠から忍野村側を望む
残念ながら富士は見えない
 

かすかに富士を望む (撮影 2002. 7.28)
後日やって来て、やっと少し見えた
二十曲峠
 
 今から約270年前正徳3年西暦1713年、時の奉行江川太郎左衛門の入山許可状により鹿留山に入会が認められて以来、薪炭材はもとより欅(けやき)其の他の大木を切り出し建築材料、家具材料、芝草等内野区民にとっては貴重な入会の土地である。
 
 この峠には入会と同時に小さな山の神様(大山祇の命)が祭られ峠を越えるたびに1日の安全を祈願し、夕方は明日への無事を祈って1日の労苦を憩う峠であった。
 
(下に続く)
 

ここの右横に山の神などが並ぶ
 二十曲峠は雄大な忍野富士と鹿留のやまなみ、忍野高原を一望して遠くアルプスの連峰を望む景勝の場所であり、二十曲峠は山菜の宝庫で石割山ハイキングコース、杓子山ハイキングコースの起点でもある。数年前鹿留山よりの引水によって峠に冷水が湧き林道の開通とともに、ふる里の自然を求める人達で年を数える毎に賑わっている。此の度ふる里の自然景勝地百選に選定され昭和の還暦を記して内野区の記念事業として山の安全と世の繁栄を見守ってくれる大山祇の命を奉鎮して、水神様と共にその神徳をたたえて、毎年二十曲峠お山祭りとしての行事が盛大に行なわれております。
 
 茲(ここ)に大山祇の神碑建設に当り先祖の労にむくい、この権益を擁護し峠の繁栄を祈る。
 昭和60年8月吉日 内野区会 
 
 峠にあって一番目を引くのは、豊富に流れ出ている湧き水である。熱心に大きな容器に注いでいる者もいる。熱い夏には顔や手を洗っても気持ちがいい。
 
 この湧き水については、前記の文書では「鹿留山よりの引水」となっているが、湧き水の横に並ぶ水神の石碑の碑文では、石割山に源を発する石割川の源流からの引水工事が行われたとある。冷水が湧き出す場所が石割山側の稜線上にあることからしても、石割山の水らしい。
 
 この二十曲峠で祭りが行われると、以前にもどこかで聞いたことがあるが、どんな祭りなのか一度見てみたいものだ。峠の祭りといえば、八草峠(岐阜県・滋賀県)にもあるらしいが、あちらは人里から随分と離れている。こちらは内野地区(忍野村)からさほどの距離もないので、祭りをするにも便利だろう。

水神の石碑
 

山の神の鳥居
ここから僅かな階段を上ると石碑がある

山の神の石碑
 
 今回、二十曲峠を訪れるに当たっては、峠から石割山までの往復ハイキングを考えていた。年々なまっていく体に活を入れようというのである。峠の旅としてはちょっと横道にそれるが、たまにはいいだろう。
 
 引水の横から始まる稜線上の登山道に登ると、そこに石割山周辺案内図がある。この峠から石割山まで55分とある。往復で2時間もあれば行って来れるだろう。これなら今の私の体でも大丈夫そうである。一方、鹿留山までは2時間30分である。これはちょっと無理だ。
 
 登山道を歩き始めて直ぐに、夫婦松がある。根方で大きく幹が2つに分かれている。二十曲峠は自然景勝地百選に選ばれ、その記念事業として夫婦松の記念碑も立つ。
 

夫婦松

夫婦松の碑文
 
眺むれば富士の高峯に白雪の
忍野の里と
遠くにかすむ アルプスの山々
 
 稜線に沿う登山道に並んで、鉄塔が何基か立っている。ちょっと無粋な気もするが、歩く目標になり歩行を進める励みにもなる。稜線の上は開けて眺めがいいが、きつい勾配が一方的に続き、普段歩き慣れていない身にはかなり堪える。
 
 連れの友人を先頭に歩き進めたが、なかなかのペースである。付いて行くのがやっとだ。友人にこんな体力があったのかと驚いたが、3本目くらいの鉄塔に到着すると、もう一歩も動こうとしない。かなり無理をしてしまった様子だ。小休止の末、やっとまた歩き始めた。

石割山の頂上に向かって鉄塔が並ぶ
(写真の画質が低いので、ちょっと見難いが)
 

登山道から二十曲峠の方を見下ろす
 それでも頂上まで35分で着いた。標準ペースよりもずっと早かったのが嬉しい。
 
 山頂はなかなかの賑わいをみせた。折りしも集団のハイキンググループが、平野(石割神社)の方から続々と登って来ていた。山頂広場は人であふれ返りそうである。辛うじて片隅の丸太に腰掛け、昼食を取る場所を確保した。
 
 石割山頂上は茶色い細かな砂粒の様なもので覆われている。斜面はすべって危険である。友人が作ってきたおにぎりをほおばりながら見ていると、集団の中の中年女性が思いっきり滑っていた。
 
 それに、近くにトイレがないのもちょっと欠点だ。山の裏手に当たる二十曲峠からの登山道の脇には、所々にティッシュが散らかっていた。峠から石割山に登るなら、トイレは峠で済ませておくとよさそうだ。
 

石割山の山頂

石割山からの眺め
この3年前(1999年)にも石割山には登っているが、
霧で何も見えなかった
 
 峠に戻り、車道を忍野村側に下る。峠からの眺めはいいが、道として忍野村側は面白いことはない。距離も短く、林の中に入れば眺めも全くない。
 
 それでいて通る車も時折あり、あまりこうした狭く曲がった山道に慣れていない車もやって来る。離合するのにやたらと手間取り、閉口させられる時もある。

忍野村に下る道
こうして開けた所は少なく、直ぐに林の中に入る
 

忍野村側から峠に登る時は、
ここを左折する
 忍野村側から峠に登る時、道は短いがちょっと分かりにくい箇所がある。うっかり直進しそうな所に、左へ道が分岐する。よく見ると「←二十曲峠」と書かれた小さな看板があり、ここを左折しなければいけないことが分かる。
 
 私は最初に来た時から、運良くここを間違えたことはない。しかし、直進の道がどうなっているのか気に掛かり、結局わざと入り込んだことがある。今はもうよく覚えていないが、直ぐに行き止まりになっていたのだと思う。
 
 忍野村側でもこの峠道の沿線に大きな変化が見られた。リゾート開発の宅地造成が行われ、ログハウスなどがいくつも建てられていたのだ。
 
 私の将来の夢は田舎暮らしである。木や土に親しんだ生活がしてみたいのだ。都心にも近い山梨県辺りがいいと思っている。忍野村に新しくできたこのリゾート地を見ても、ちょっとうらやましく思う。でも、ここの標高は平地でも1,000m近くある。冬は雪が多い。雪にはあまり親しみたくないので、遠慮しておくことにする。軟弱な田舎暮らしが希望である。

リゾートハウス
 

この先小さな橋を渡ると、真っ直ぐな道になる
 平地に降りると、広い田畑の中を進むようになる。小さな橋を渡った先に真っ直ぐな道が待っている。電信柱が一列に並んだ様は壮観でもある。私はこの道を忍野村側の峠道の目印としている。
 
 忍野村側から来た時は、ここが見つかれば一安心だ。後はこの先に控える峠道に備えて、ゆっくり心の準備を整える。道は直線路を終わるとやや右手に屈曲するが、ほぼ道なりに進んで行けば峠である。
 
 平地になって暫くしてから振り返ると、峠の在りかが手に取るように分かる。連なる峰の一番窪んだ所で、近くに鉄塔が立つ。とても近い感じを受ける。峠だけ訪れるなら、やはり忍野村側から往復するのが簡単である。天候がよさそうなら、ちょっと寄ってみると、もしかして富士が見えるかもしれない。

忍野村(内野地区)より峠を望む
(前方にそびえる峰の一番たわんだ部分)
 

峠道に入る分岐
 忍野村側から峠道に入るには、忍野八海の方から県道717号を真っ直ぐ東に向かい、途中で県道が右に曲がる所もそのまま直進すると、左の写真で示した分岐が出てくる。洒落た看板が立ち、左折方向に二十曲峠、直進は笹尾根農村公園とある。ここを曲がれば件(くだん)の直線路だ。
 
 10年以上前に初めて来た時は、こんな親切な看板はなかったと思う。今は縮尺1/30,000の山梨の県別マップルを持っていて、詳しく道の様子が分かるが、昔の縮尺1/140,000のツーリングマップだけを頼りに来た時は、随分まごついた。この分岐を見落とし、そのまま進んで山中湖の裏手の方に入り込んでしまった。行止りでどこにも出られない所であった。
 
 二十曲峠への道を示す同じような看板が、内野で県道717号が直角に曲がる角にも立っている。この辺りはそれ程交通量もないので、ゆっくり走りながら看板に注意していれば、道に迷わずに済む。
 
 同じ二十曲峠の道でも、時が経つに従い徐々に変わっていき、またそこを訪れる自分の気持ちも移り行く。都留市側の険しい鹿留林道ばかりが目的だった頃に比べ、今の道はおとなしくなってしまった。代わって道路脇に立つちょっとした林道標識に目が止まり、林道の名前やいろいろな石碑などにも関心を示すようになった。おまけに峠から往復ハイキングをしたり富士の眺めに固執したりと、以前より峠を越える為に掛かる時間は、ずっと長くなっている。
 
 最近は道案内の看板も見逃さず、道に迷うことがなくなったのはいいが、かえって時間が掛かっているのが皮肉な二十曲峠である。
 
 <参考資料>
 角川  日本地名大辞典 山梨県 平成3年9月1日発行
 昭文社 ツーリングマップ  関東 1989年1月発行
 昭文社 ツーリングマップル 関東 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル 山梨県 2002年5月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図
 
<制作 2003. 12. 8> <Copyright 蓑上誠一>
 

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