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蕨峠
 
わらびとうげ
 
未舗装林道で新潟・山形の県境を越える峠
 
  
  
 蕨峠 (撮影 2007.10 17)
手前は山形県小国町入折戸、奥が新潟県村上市(旧朝日村)三面(みおもて)
道は三面林道(小国側)
標高は約415m(地形図より読む)
ここは峠道が両県の境を通過する地点で、蕨峠と考えてもよいと思われる
しかし、この先、新潟県側に少し入った所を蕨峠と呼ぶこともあるようだ
 
 
 蕨峠を初めて越えたのは1992年9月13日(日)のことだった。今からざっと17年前である。その後、この峠のことはあまり記憶に登らなかった。ところが、10年くらい過ぎた頃から、また無性に越えたくなってきた。何しろ未舗装林道で山形県と新潟県の県境を越える程の峠道である。それでいて、どういう訳か峠のことが全く思い出せないのだ。山形県側から登って新潟県側に下り、三面川の支流・末沢川の河原で野宿したことは良く覚えているが、肝心な蕨峠がどんな峠だったか、何の記憶もないのだ。
 
 旅の途中では、別に峠ばかりを意識している訳ではない。しかし、峠は一つの区切りになる。ましてや県境ともなれば、写真の一枚くらい撮って置いても良さそうなものだが、アルバムのどこを探しても峠らしい所を写した写真がない。こうなると蕨峠を再びこの目で、しかと確かめずには気が済まなくなってきたのだ。
 
 しかし残念ながら、蕨峠を越える林道が通行止めだったり、新潟県側でダム工事(奥三面ダム)が行われたりで、なかなか越える機会が巡って来なかった。それがやっと今回、2007年10月に越えることができ、昔のままの蕨峠をじっくり確認することができたのだった。
 
山形県小国町
 
 山形県の山形市より南部、例えば米沢市辺りから車で日本海側に抜けようとすると、もうルートを選択する余地がない。国道113号・通称小国街道を使うことになる。小国街道で山形県飯豊町から宇津峠(新宇津トンネル)を越えて小国町に入ると、ここより西は北に朝日山地、南に飯豊山地を配し、その間を日本海に注ぐ荒川の幾つかの支流が合して山肌を削りながら流れ下る。谷間に沿っては鉄路の米沢線と道路の小国街道が寂しく通っている。辛うじて小国町の中心地付近は町らしい雰囲気になるが、その前後は山と川ばかりが続き、こういう道は嫌いではない。
 
 行き先定めぬ気ままな旅では、偶然ながらこの小国街道を走ることはままあることで、小国町の街中に差し掛かると、決まって思い出すのが蕨峠である。「あの峠は越えられるだろうか」と気に掛かる。しかし、ただ国道を走っているだけでは、峠越えの林道が通れるかどうかなど全く分からない。近くにある道の駅「白い森おぐに」の案内所に寄ってみたところで、やっぱり情報は得られない。ここは自分の足で確かめることになる。

国道113号小国町小坂の交差点 (撮影 2002. 8.13)
ここを左折する
 
県道261号
 
 蕨峠へは、国道113号の小国町小坂とうい信号のある交差点から北へ折れれば良い。ほぼそのまま道なりに行くと、最終的に県道261号・五味沢小国線に乗れる筈だ。確か国道から直接県道分岐に入ると、途中で県道が折れ曲がっていて、すんなり進めないコースになっていたと思う。
 
 今回(2007年10月)峠へ向かった時は、この頃いつも助手席に座ってナビをしてくれる妻も居ないので、あまり考えもせずに県道から入った。すると、うっかり左折する所を直進し、あれよあれよと言う間に住宅街の狭い路地に入り込んでしまった。しかし、ここは慌てず騒がず、下手に引き返そうなどとは考えず、慎重に車を前に進める。目指す県道はこの付近で唯一の幹線路である。大抵の道はその県道に繋がっている筈だ。進路をなるべく左の方向へと修正していくと、大きな道に突き当たった。県道看板など出ていないが、目的の県道に間違いなさそうだ。右折してその道に入る。直ぐに橋を渡った。これで道の修正は無事に終わりである。いつものことながら、険しい峠道で道に迷うことは少ないが、何でもない街中で迷って苦労するのであった。
 

  県道261号 (撮影 2007.10.17)
小国市街を抜け、のどかな景色が広がる
 後で調べると、先程渡った橋は飯綱橋と言う橋で、橋上から見下ろす川は以外に深かった。それが荒川の本流だと思っていたのだが、支流の横川と言う名前だった。この付近から国道に沿って東の宇津峠方面まで遡る川は、横川や明沢川とかの支流である。さて、荒川の本流はどこかと思えば、これから走る県道と並んで北へと遡っていた。源流は、蕨峠より更に北東に県境を進めた所に位置する朝日岳の山々のようだ。
 
 小国町の中心地から始まった県道も、あっという間に市街地を抜け、後はのどかな農耕地が周辺に広がるばかりだ。県道はこの先行き止まりということもあってか、交通量は極めて少ない。苦手な市街地は過ぎたし、この先道は暫く一本道だし、景色を楽しみながらのんびりと車を走らせられる。
 
 進むに連れ、行く手にはこれから越える蕨峠がある山並みが見えてくる。それに従い、だんだんと気分が高まっていく。はたして峠道は越えられるだろうか。林道は崖崩れなど起こっていないだろうか。いろいろ不安も頭をよぎる。国道から別れて15キロ程の道程が長く感じられる時もある。
 
 そこを悠然と、景色を楽しみながらのんびり県道を行くのが良いのだろうが、ちょっとした気晴らしに、別ルートもお勧めだ。

 行く手に山並みが見えてくる (撮影 2007.10.17)
 
別のアクセスルート
 

 橋の手前を左に分岐有り (撮影 2007.10.17)
これが県道に代わる別ルート
 国道から分かれて10キロ前後の所で、県道が右カーブで荒川の右岸から左岸に渡る。その橋(越中里橋)の手前を左へと分岐がある。入ると直ぐに未舗装だ。多分、最初(1992年)にこの地を訪れた時か、少なくとも2回目には既にこの道を見つけていたのではないかと思う。アスファルト舗装の単調な県道に比べると、この別ルートは林の中を抜ける完全未舗装路だ。安直に県道を走るより、ずっと価値があるように感じたことを覚えている。
 
 それに何しろ、蕨峠は越えられないことが多かった。越えられない時に、行きも帰りも同じ県道ではつまらない。せめて、峠道の未舗装林道の代わりに、こうした未舗装路でも、行きがけの駄賃とばかりに走っておかなければ、往復30キロ近い道草は、さすがにもったいない気がする。
 
 別ルートの道は、最初荒川の右岸に沿い、途中から支流の折戸川(あるいは樋ノ沢川?)に沿う。蕨峠は折戸川の上流方向に位置しているので、県道を進むより、直接適に峠へ向かって行くことになる。距離的ロスがないのはいい。但し、未舗装なので、やはりアスファルト舗装の県道を行く方が、時間的には早い。あくまで、気晴らしの道である。
 
 この未舗装路は、道幅は十分だし、路面は砂利が敷かれて、整備もまあまあ整ってる。道の川側に樹林が多く、あまり川面などは望めないのは残念だ。それでも人家が点在する県道に比べれば、より自然の中を走っているという気分がする。難点は、途中に採石場があるようで、運が悪いとダンプカーに遭遇する。土煙をもうもうと上げる大型車に出くわすのは、あまりいいものではない。

 未舗装路の様子 (撮影 2002. 8.13)
整備された道だ
 

 未舗装路の様子 (撮影 2002. 8.13)
道路脇に「クマ出没注意」の看板
 今回も迷うことなく別ルートを取る。すれ違うダンプは一台もなく、まさしく一人旅だ。しかし何度も走っていると、別にどうと言うこともない道に思えてきた。先を急ぐのであれば、やっぱり舗装路の県道を行った方がずっと早い。峠が越えられなかった時は、県道をさっさと引き返して来ようと思う。
 
 未舗装路は4キロ程度続く。林が途切れ周囲に農耕地が広がると舗装路が始まり、更に真っ直ぐ暫く行くと荒沢と呼ぶ集落に入る。
 
 今回も未舗装路を無事に走り終え、さて荒沢の集落は目の前だと思いきや、前方に重機が立ちはだかり、不意の通行止めとなった。ここに来るまで、何の工事看板もなかったのに・・・。他にも1台、通行止めに遭っている車があった。私の前にバンが一台停まっていた。すると、その車から作業服を着た男性が一人出て行って、工事関係者と何か話して来た。私も車を降り、戻って来たその男性に話しを聞くと、いつまで待っても通してもらえないとのこと。男性は不愉快そうに車に乗ると、未舗装路を引き返して行った。
 
 こちらも仕方なく、Uターンする。この別ルートは途中、どこにも抜けることができない。県道からの入口まで完全に引き返さなければならないのだ。先を行くバンは、さすがに砂利道は走り難そうで、時々大きく車体を揺らしながら、のろのろ走って行く。こちらは一応、車高が高い4WD車である。ゆっくり走っている積もりでも、直ぐに追いつきそうだ。あまり、先方に威圧感を与えては悪いので、更にスピードを緩める。先行車と距離を置く方が、巻き上げられる土埃をあまり被らなくていい。その内バンは、僅かな土煙の痕跡を残して視界から消えていった。

 未舗装路の終点で工事 (撮影 2007.10.17)
 
県道からの分岐道
 

 長沢付近の県道を走る (撮影 2007.10.17)
前方に道路標識
 県道に戻り、仕切り直しとばかりに県道の続きを進む。峠に向かうには、途中で県道から分かれ、荒沢集落の方向に進まなければならない。その分岐の場所が分かるだろうかと心配したが、しっかり道路標識が出ていた。荒川の小さな支流を渡った先で、左に「三面ダム、折戸」と書かれた道路標識がその分岐を示していた。地図で調べると、この付近は長沢と呼ぶ集落である。
 
 県道と別れて分岐を左に入ると、まだセンターラインがある広い道が続き、荒川の本流を長沢橋で渡る。その先で道がやや右にカーブする。そこにまた道路標識があり、斜め左に「荒沢」と出ている。本線方向には「新潟 三面」とある。
 
 この本線の立派な道は、以前はなかった筈だ。こんなにでかでかと「新潟 三面」と県境の峠を匂わせる看板には覚えが無い。2002年8月に訪れた時、この道路標識やその先の道路脇に立つ、奥三面ダム方面を示す看板を見てびっくりした。暫く来ない内に、蕨峠の下に2車線幅の立派なトンネルでも貫通したのかと思った程だ。
 
 実際は、どうやらほんの少し、荒沢の集落周辺で道路改修が行われただけである。蕨峠はまだまだ健在なのだった。

斜め左に荒沢への分岐 (撮影 2007.10.17)
やや右にカーブする本線は、昔は無かった道?
 
荒沢集落
 
 新しくできた広い道からそれ、看板が示す荒沢集落に入る。すると直ぐに、昔から見覚えのある小さな十字路に出る。近隣にはまばらに人家があり、そこを取り巻いて周囲に農耕地が広がっている。のどかな雰囲気が漂う道の交差点だ。あの工事による通行止めがなければ、別ルートの未舗装路から続けて、直接この荒沢の十字路に出られたのだ。手前の立派な2車線路ができる前は、ここが峠道への通過点であった。
 

荒沢十字路(西方向を見る) (撮影 2007.10.17)
やや変則的な形の小さな十字路

荒沢十字路から未舗装路方向(南)を望む (撮影 2007.10.17)
工事による通行止めが無かったら、こちらから来れた
 

 荒沢十字路から峠方向(北)を見る (撮影 2002. 8.13)
のどかな雰囲気の集落

 左の写真とほぼ同じ場所(5年後) (撮影 2007.10.17)
木が切られてやや見通しが良くなっていた
 
荒沢十字路の看板
 
 荒沢十字路にはいくつかの看板がある。目を引くのは、「柳生戸 塩の道 案内図」である。日本海沿いに位置する村上とこの地とを結び、塩などを運んだ道だ。それは荒沢十字路より西に延びているが、車道は直ぐに行止りとなる。
 
 その案内図からは蕨峠の部分は、はみ出して記載がないが、峠道の山形(出羽の国)側の「折戸」と、新潟(越後の国)側の「みをもて」(三面)に番所があったことが記されている。この点は注目すべきだろう。

 塩の道 案内図 (撮影 2007.10.17)
 

 三面を示す看板 (撮影 2002. 8.13)
 しかし、何と言っても「三面」と簡単に書かれた赤い矢印のある小さな看板が、何より蕨峠の存在を示していた。小国の市街地から始まってここに至る間、県境を越える峠道の存在を示すものが、昔はほとんどなかった。多分、初めてここを訪れた時にも、この看板があり、これを見て蕨峠の存在を確認し、安堵したのではなかったろうか。寂しい峠道に、標識は不備なものだ。こうしたちょっとした看板があるだけでも、随分と助かる。看板からは現在地が「小国町大字荒沢」であることも確認できる。
 
 今では、県道上やそこから分岐して荒沢十字路を通らずに進む道に、大きく道路標識が掲げられたり、道路脇に看板が立っていたりする。「三面ダム」とか「新潟 三面」とある。しかし、最初それらを見て、峠の向こうに奥三面ダム(あさひ湖)が新しくできたことと考え合わせ、県境の下にも新しいトンネルが開通したのかと早合点した。それで、あまり大々的な看板もどうかと思う。実際の蕨峠の道は、相変らず昔のままの未舗装林道なのだから。
 
荒沢から折戸、入折戸へ 
 
 荒沢十字路を後に、北へ進む。小さな荒沢の集落内を抜け、直ぐに先程の新しい2車線の道に合する。元々は、荒沢十字路からの道が本線だった筈だが、今では2車線路が大きな顔をしている。次に折戸の集落に入る。折戸の集落の最後で、白線もまばゆい真新しい道は途切れ、古いアスファルト路面がその後に続く。道幅もここから一段と狭くなる。
 

 折戸の集落を抜けた所 (撮影 2007.10.17)

 左の写真と同じ場所(5年前) (撮影 2002. 8.13)
ここから一段と道が狭くなる
 
 折戸の集落を過ぎると、両側の山は益々狭まり、荒川の支流・折戸川沿いに広がっていた耕地は、その面積を急に小さくしてくる。
 
 途中、橋を一本渡る。折戸川の支流だ。折戸川の本流は、道の左側に、着きつ離れず流れている。

 折戸から入折戸へ (撮影 2002. 8.13)
 

 両側から山が迫る (撮影 2007.10.17)

橋を渡る (撮影 2007.10.17)
 
 ここまで来ると、この先もう人家はなくなったかなと思う。そんな頃、入折戸の集落が現れ、ちょっとびっくりする。折戸から約2キロの距離だ。
 

 入折戸の集落内 (撮影 2007.10.17)

 入折戸の集落を抜けて集落方向を振返る (撮影 2007.10.17)
 
 入折戸の集落は、正真正銘、山形県側最後の集落となる。思ったより戸数は多い。ここを過ぎれば、もう人家は勿論、人工的な建造物は道の沿道から姿を消してしまう。
 
三面林道の旧起点 
 
 入折戸の集落を過ぎた直ぐ先で、折戸川を左岸から右岸に渡る。そこに欄干もない橋が一本架かっている。橋の先は未舗装となる。
 
 蕨峠の道は、峠の小国側を三面林道と呼ぶが、以前の三面林道起点は、この橋を渡った所であった。古い写真が物語っている(下の写真)。橋を渡った左の袂に、「三面林道起点」と書かれた標柱が立っていた。今ではそれはなく、林道起点の位置は、少し先に変更されている。
 

 以前は林道起点となっていた橋 (撮影 2007.10.17)
 
 古い三面林道の起点 (撮影 1992. 9 13)
向こうにちょこんと停まる小さな車は、昔の愛車ジムニー
 
 旧林道起点を過ぎると、また折戸川を、今度は右岸から左岸に渡り返す。下の写真は、初めて峠を越えた時に、その橋から写したものだと思う。川の水の色が緑色できれいだった様な気がするが、写真にはそれがうまく写っていない。
 
 未舗装林道が始まり、この先いよいよ本格的な峠越えである。少なからず緊張していたことを思い出す。その緊張を和らげる為にも、一旦車から降り、川面を眺め、周囲を見渡した。山また山の景色に、深呼吸を一つ。まだ見ぬ峠に、期待も膨らむ。
 
 しかし、これを最後に、肝心な峠を1枚も写真に撮ることなく、蕨峠を越えてしまっていた。それはどうしてか・・・。
 

折戸川を渡る (撮影 1992. 9.13)

 橋からの眺め (撮影 1992. 9.13)
 
三面林道の新しい起点 
 
 道の右側には、折戸川に代わってその支流の白目沢が流れる。蕨峠はこの川の上流に位置する。
 
 沿道からはもう僅かな平地を耕して拓かれた田畑さえ姿を消す。そこに、現在の林道起点が現れる。峠が越えられるかどうかは、ここまで来てやっと分かるという寸法だ。小国の市街から遥々と、なかなか骨が折れる。その挙句、越えられない時は、すごすごと引き返しとなる。
 
 林道起点の顔は訪れる都度に変わる。にこやかに口を開いていてくれると良いが、硬く閉ざされている時もある。2002年に訪れた時は、通行止だった。「危険につき」とだけ、注意書きがあった。2007年には何事も無かったかのように、林道は開かれていた。全て、運任せである。
 
 道路の右に林道起点を示す標柱が立つ。昔立っていた物とは異なる。道路の左側には、「鳥海朝日・飯豊吾妻緑の回廊」の看板と、それに並んで「熊出没注意」のここらでな見慣れた木柱が立つ。

 林道起点の後方を望む (撮影 2007.10.17)
 

 現在の林道基点 (撮影 2007.10.17)
左の看板は「鳥海朝日・飯豊吾妻緑の回廊」

左の写真より5年前 (撮影 2002. 8.13)
この時は、林道通行止だった
 
三面林道
 

 三面林道を登る (撮影 2007.10.17)
 林道起点の先は、直ぐ右に白目沢の流れを見ながら、狭い登り坂が始まる。谷間の底部に位置し、暗い感じを受ける。九十九折などはあまり多くなく、前に向かって淡々と登って行く。方向もほぼ峠に真っ直ぐ向いているようだ。路面は砂利が少なく、土が硬く締まっていて、走りにくさはない。車で通る者にとっては、ただただ狭いだけの道だ。
 
 蕨峠は県境を越える峠道だが、あまりダイナミックな感じはしない。ほとんど1車線幅しかない未舗装路が、細々と山の中に分け入っている。視界もほとんど開けない。写真を撮りたいと思う所が全く無く、ほとんどシャッターを切らないまま、車を進めてしまう。
 
 それでも標高が上がると、少しは明るい感じがしてきた。しかし、依然として遠望は無い。さて、峠までは後どのくらいだろうと思っていると、1つのヘアピンカーブを曲がった右脇に、「三面林道終点」と書かれた標柱が立っているのが目に入った。そこが県境であった。驚くほどあっけなかった。
 
県境の峠
 

 小国側より県境の峠を見る (撮影 2007.10.17)
 県境には、林道終点の標柱以外に、そこが県境であることを示す物がない。県境の峰は比較的なだらかで、峠の部分は、見た目にはっきりした鞍部の地形を成していない。単なる一つの支尾根を回り込んだくらいの積りでいた。それに加え、県境を三面側に過ぎても、道はまだ登っているのだ。これではここが県境の峠であることが気付きにくい。
 
 また、山形・新潟の県境と言っても、調べてみると標高は低い。2万5千分1地形図から読むと、約415mである。とても小さな峠だったのだ。入折戸側の林道起点からの距離も約3キロと短い。
 
 尚、峠の標高に関し、文献(角川 地名大辞典 新潟県)の蕨峠の項には586mとあった。県境の峠は、西の鷹ノ巣山(911m)と東の餓鬼山(741m)のほぼ中間に位置し、両山の間の一番低いところである。地形的に見て、この場所以外を越えることは、過去にも無かったのではないかと思う。蕨峠の名は他にもあるので、別の蕨峠と取り違えたのだろうか。
 
 峠の部分の道は、細い急カーブで、暗い林の中。路側に車一台停めるスペースもなく、単なる道の続きの一部分でしかない。峠の小国町側に数10mほど戻った所で、やや路肩が広くなっている。そこに車がやっと1台停められる。
 
 峠を新潟県村上市の三面側に入った直ぐ右脇に、何やらコンクリート製の朽ちかけた物体がある。水桶か何かの遺構であろうか。それがここが峠であることを訴えているかのようだ。
 
 ツーリングマップルなどの道路地図では、この県境を指して蕨峠としていることが多い。当然のことと思う。しかし、この先、別の場所を蕨峠と呼ぶこともあるようなのだ。
 
 峠道は県境をほぼ南北に通っている。その南側が山形県で、北側が新潟県というのは、ちょっと変な気がする。これは、新潟県の旧朝日村に相当する部分が、東の山形県との境を成す朝日連峰の方へと、こぶの様に張り出しているからだ。蕨峠の更に北で朝日スーパー林道が、今度は新潟県側から山形県側へと越えて、元に戻る仕掛けになっている。

 峠から小国側を見る (撮影 2007.10.17)
少し戻った所の路肩に車を停める
 

峠の三面側 (撮影 2007.10.17)
右脇に林道終点の標柱が立つ

 三面側より峠を見る (撮影 2007.10.17)
左の傍らに朽ちた何かコンクリート製の遺構
 

峠から三面側を見る (撮影 2007.10.17)
この先、道はまだ登っている
 峠から三面側を眺めると、僅かながらも道はまだ登っている。この点が一番峠らしくない。でも、峠が峠道の最高地点ではない例は他にいくらもある。蕨峠もその一つだと考えれば、それでいいのだが。
 
 実を言えば、今回(2007年)訪れた時、この県境をそのまま通り過ぎてしまった。後で考えると、あそこが県境の峠だったと思い返し、わざわざ車を引き返して来たのだった。
 
 1992年に初めてここを越えた時、峠の写真を撮らなかったことが、やっと分かってきたような気がする。多分その時も、この峠で車を停めることなく、そのまま通り過ぎてしまったのだろう。どこが峠だかも分からず仕舞いだったに違いない。まだ当時は、それ程峠というものにこだわりがなかったので、わざわざ引き返して、確認することも無かったのだ。
 
もう一つの蕨峠
 
 県境を後に、新潟県の三面側に進む。道がまだ登っているので、まずは下りだすまで、行ってみようと思う。右手に谷が下り、その向こうは広く開けている。遥か東に大きな峰が連なっているのが遠望された。これは明らかに、おかしい。もう県境の峰を越えてしまったと考えるしかない。ここに来て、やっぱりさっきの林道終点の標柱があった所が、県境だったと気が付く。
 
 道は左手の峰に沿うようにして、大きく右に湾曲しながら、まだなだらかに登っている。すると、東に張り出した一つの支尾根を左急カーブで曲がった先、道は明らかに下り始めた。

 県境を少し三面側に入った所 (撮影 2007.10.17)
 

最高地点のカーブ (撮影 2007.10.17)
 このカーブがどうやらこの峠道の最高地点のようだ。後で地形図で調べると、標高440mくらいである。県境より25mほど高い。道程で県境から1キロ前後の地点だ。
 
 カーブを曲がった先は、右手の林が切れ、東方に大きく視界が広がる。直ぐに、崖側に車が数台停められる路肩があり、そこに看板が立っていた。
 

 最高地点から先を見る (撮影 2007.10.17)
道は明らかに下りだす

 最高地点を振返る (撮影 2007.10.17)
東に張り出した支尾根を巻いている
 
 もう一つの蕨峠 (撮影 2007.10 17)
写真は北方向を見る
手前が山形県小国町方面、前方が新潟県村上市方面
ここは県境ではなく、新潟県側に少し入った所
 
 車を降り、何気なくその看板を眺めていると、大変気になることが書かれてあった。この看板が立つ現在地を指して、蕨峠としているのだ。しかも県境は別に示してある。明らかに蕨峠と県境を別々の存在として区別しているのだ。これはどういうことか。
 
 峰の稜線上に県境が位置するのは、地形的に明らかだろうが、そこが峠でないとする理由として、まず、峠道の最高地点ではないことが挙げられるだろうか。看板がある地点、厳密にはその少し前にあるカーブが、この峠道における最高地点である。
 
 感覚的に、峠はやはり道を登り詰めた所にあって欲しい。峠を過ぎれば後は下りが待っている。「峠を越えた」という言い方は、いろいろなたとえでも使われる。それにはやはり、峠が登りと下りの切り替え地点、いろいろな事象が反転する所、という意味があるからだろう。その点からは、看板のある地点を蕨峠とすることは納得できることかもしれない。
 
 また、この蕨峠は眺めが良い。新潟・山形の境を成す峰々が一望である。一方、県境の峠道からは、ほとんど何も見えない。薄暗い林の中だ。旅人が一休みする峠で、疲れを癒してくれる眺めがあるのは嬉しいことだ。そんなことで、看板があるこちらを蕨峠とするのもいいかもしれない。

 蕨峠を示す看板 (撮影 2007.10.17)
県境は別に示してある
 
 もう一つの蕨峠からの眺め (撮影 2007.10 17)
 
 一方、県境や市町村などの境が峠であってよいとも思う。そこを越える人は、あるいは自分の村から隣の村へと、商用で出掛ける者かもしれない。また古くは、娘を嫁がせていく家族か越えたかもしれない。自分の生まれ故郷には、それなりの思い入れがあっていい筈である。峠を越える時に、自国を去って他国へ入る、あるいは他国から自国へ戻って来たという感慨もあることだろう。そんなことで、峠はやはり国と国、村と村、そうした境であって欲しいという気もする。
 
 また、個人的には、峠の形は断然、切り通しがいい。道の片側が開けていては、どうにも峠の気がしない。いい眺めがなくてもいいから、両側から木々が迫る狭い切り通しを見ると、峠だなと思う。別に暗くても寂しくてもかまわない。どちらかと言うと、暗いイメージの峠の方が好きなくらいである。その意味では、県境の方を蕨峠と思いたい。
 
蕨峠のこと
 
 看板は「三面・小国道路整備早期実現」と表題が銘打たれ、この峠道の改修を望んで立てられたことが知れる。しかし、ここ何年も細い未舗装林道のままだ。世の中で吹き荒れる舗装化の嵐も、ここではどこ吹く風である。
 
 ところが、この道をバスが通っていたと、参考資料(角川 地名大辞典 新潟県 蕨峠の項)に記述があった。道の狭さからして、本当だろうかと疑ってしまう。バスは、「三面橋手前から蕨峠南東の見晴台経由で末沢川を渡り、小国町入折戸に出る」とある。現在の道路地図からでは、この「三面橋」(岩崩地区近くの三面ダム下流に三面橋があるが、それではないと思う)や「見晴台」の所在が分からない。しかし、新潟県側の峠の下にかつてあった三面集落と、山形県側の入折戸の集落を結んで、バスが蕨峠を越えていたようなのだ。
 
 三面の集落は、新潟県側にあっても山深い立地のため、かえって山形県側から蕨峠を越えた方が近かった。古くは、蕨峠しか三面の集落に入ることができなかったそうだ。峠を越えて、背負いの運搬が見られた。近年になって林道が開削される(三面林道)。三面は平家の落人伝説や秘境マタギの里として知られる。多い時には42戸ものかなり大きな集落だったようだ。現在の入折戸や折戸よりも大きい。それならば三面に通じるバスの運行もうなずける。
 
 現在、奥三面ダムの完成により新しくあさひ湖が生まれ、三面の集落はその湖底に沈んでいる。今も所有している古いツーリングマップ(1989年5月発行)は、まだ奥三面ダムの建設が始まる前の地図を示していて、よく見ると三面集落のものと思われる集落記号が載っている。三面川の支流・末沢側が本流に合流した直後の地点だ。推測だが、この集落近くで三面川の右岸から左岸(末沢川の右岸)に渡る橋があったようだが、それがバス発着所の「三面橋」ではなかったかと想像する。
 
 三面の集落は、奥三面ダム建設に伴い、昭和60年(1985年)に廃村になったそうだ。その後、蕨峠の林道は山菜採りの車や林業用トラックが利用するのみとなっていった。蕨峠は三面の集落と切っても切れない縁である。三面集落の盛衰が蕨峠に大きな影響をもたらしてきたのだ。
 
 尚、三面集落の集団移転先は村上市(朝日村が合併される前の旧村上市)で、そこに新たな三面集落が誕生したそうな。調べてみると、羽越本線村上駅の南1キロ程の所に、三面という地名が見つかる。そこがそうだろうか。駅が至近でもう村上市の中心地と言ってもよさような地だ。一方の蕨峠は、奥三面ダムの完成に伴い、今後新たな道が開けるかもしれない。最近立てられたと思われる「三面・小国道路整備早期実現」の看板が訴えるように、蕨峠の道が改修されれば、山形県の小国町側から新潟県のあさひ湖へと続く観光道路として生まれ変わるかもしれない。
 
峠から末沢橋まで
 
 峠から新潟県側に下る。今は村上市に編入されたが、元は新潟県朝日村であった。道の周囲は小国町側に比べるとやや明るい感じを受ける。ただ、峠付近にあった眺望は、下ると直ぐになくなった。相変わらず狭い未舗装路が続く。砂利が適度に敷かれ、比較的整備されている。路面の凹凸も少ないので、対向車さえなければ、走り易い方の道だ。道の屈曲はある程度あるものの、峠からほぼ真北に向かって下って行く。
 
 時々車を停めて道の様子を写真に撮るが、来る筈もない後続車が気になって、やや慌ててシャッターを切る。今回は訳あって、冷蔵庫に仕舞い残していた写真フィルム数10本をわしづかみ、古いポケットカメラ1個を持って旅に飛び出して来た。このところずっとデジカメを使っていたが、久しぶりの銀塩カメラである。これがまた、よくピンボケになる。慌てて写すのが悪いのだが、ひどい時には3、4枚に1枚の割合でピンボケ写真ができ上がってくる。旅の後で残念に思うことが絶えなかった。
 
 デジカメを使いは始めてからも、このピンボケの数はあまり減らなかった。そこでつい最近、手ブレ防止付のデジカメを購入した。これからはこれに期待しようと思っているが、今度は旅に出掛けられる機会がほとんどなくなってしまった。シャッターと同じに、なかなかタイミングが合わないのだった。

 新潟県側の道 (撮影 2007.10.17)
(かなりピンボケです)
 

 林を抜けた (撮影 2007.10.17)
この付近の左に分岐有り
 ひたすら林の中を下る。ちょっと林が切れた所で左に分岐があったと思う。あさひ湖の左岸に下る道だと思われるが、一般通行禁止で、道も荒れていて通れる状態ではなかった。
 
 それから間もなくして峠道は地上に降り立つ。周囲がパッと広がり、その向こうに橋が見える。末沢川(すえざわがわ)を渡る末沢橋(すえざわばし)だ。峠からここまで4、5キロ程で、時間的にも15分から20分と、あっと言う間であった。
 
 橋を渡る手前の左側には、末沢エントランスパークなるあさひ湖を望む休憩スポットがある。車が何台か停められるスペースに、側にはダム湖周辺案内の看板が立つ。その看板に在りし日の三面集落の様子や、縄文遺跡のことなどが記載されている。

 前方に末沢橋 (撮影 2007.10.17)
 

 末沢エントランスパークに立つ看板 (撮影 2007.10.17)

 末沢橋より峠方向を見る (撮影 2007.10.17)
面白いのは、橋の欄干に旧三面集落の3氏
(小池氏、伊藤氏、高橋氏)の家紋が描かれていた
 
 初めて蕨峠を越えてこの地に辿り着いた時は、この末沢橋周辺の様子は全く今と違っていた。当時はまだダム建設途中で、現在の高い末沢橋はなく、末沢川の川面はもっと低くかったように思う。コンクリート護岸が真新しく、そこに小さな仮橋の様な橋が架かっていた気がする。うる覚えだが、その橋を渡った袂に、先客が居たような記憶がある。バイクの一人旅のようだった。この辺でキャンプでもするのだろうと思った。
 
 実はこちらもここらで野宿地を探す積りである。末沢川の右岸に沿う未舗装路があったので、迷わず入り込んだ。ところが崖にはべりつく様な細い道で、沿道にはテントを張れそうな平坦地がない。進むにつれ、道は荒れた。路面を雑草が覆い、ほとんど使われていそうもない道だった。
 
 結局、行ける所まで行って、道の終点と思しき所から引き返して来た。しかし、野宿地はしっかり見付けることができていた。末沢川沿いの道に入って間もなく、川面に降りられる道を見つけておいた。その急坂を下ると、車一台停めて、テントが1張り張れるだけの僅かな河原があった。多分、小さなダム(末沢ダム?)の直ぐ上流側で、川幅が広くなり、平らな河原が形成されていたのだろう。誰にも邪魔されることがない、絶好の野宿地だった。流木を集めて焚き火も思うままだ。その夜は、山深い中でたった一人、充実した夜を過ごしたのだった。
 

末沢川の河原の野宿 (撮影 1992. 9.13)

野宿の朝 (撮影 1992. 9.14)
 
 現在の末沢川の右岸にも道があるが、どうも以前の道とは違う。川からの高さが高い。ちょっと入り込んで下を覗き込むと、川面までの間に別の道の痕跡らしきものが所々に見える。それが古い以前の道なのだろうか。勿論、昔野宿した場所も今は定かでない。
 
 あさひ湖の上流部となって、今の末沢川は川幅が広く、水かさも増している。しかし、現在の末沢橋から眺める景色は、河岸に土が露出し、かえって荒涼とした景色に見える。
 

 末側橋より下流のあさひ湖を望む (撮影 2007.10.17)

末沢橋より末沢川上流を望む (撮影 2007.10.17)
 
末沢橋から奥三面ダムへの湖岸の道
 

末沢橋から下流の道 (撮影 2007.10.17)
左手にあさひ湖を望む
 末沢橋から下流はあさひ湖の右岸を行く道となる。快適なアスファルト舗装路だ。県境の峠より小国町側は林道三面線と呼ぶが、県境からこちら側の道は何だろうと思っていた。末沢エントランスパークにあった看板には、少なくともこの付近の道を村道・三面小国線と示してある。ただ、現在は朝日村ではないので、村上市の市道なのだろうか。
 
 そのまま湖岸を行くと、道路看板が立っていた。400m先で右手に「朝日連邦登山道」とある。看板を過ぎると三面川の本流を釜ノ渕橋で渡る。橋から見下ろす景色には、もう、昔の三面川の面影は全くないのだろう。橋の袂から三面川の右岸を上流方向に道があり、それが道路看板にあった朝日連邦の登山道か。
 
 この付近の湖底に旧三面の集落があったことになる。近くの沿道にメモリアルパークなる小さなスポットがあるが、「メモリアル」とはやはり三面集落を偲んでのネーミングなのだろう。湖面に目をやっても、あさひ湖がただ水を満々に湛えているだけだ。

この先、右手に朝日連邦登山道 (撮影 2007.10.17)
 

左手前方にダムが見えてくる (撮影 2007.10.17)
 湖の形は入り組んで、それに合わせて道は屈曲する。橋を渡りトンネルをくぐる。その内、左手前方に奥三面ダムが望めるようになる。道はそのままダムの堰堤を渡る。湾曲したアーチ式のダムだ。
 
 堰堤周辺はちょっと賑やかだ。看板が立っていたり、記念碑があったり。ダムはまだできたてで、そうした建造物も真新しい。
 
 堰堤を渡った先に、比較的大きな広場がある。蕨峠を越えてここまで、1台の車も見かけなかったが、そこには何台かの車が駐車してあった。今日は平日と言うこともあって、観光客の車ではなく、何かの工事関係の車のようだった。丁度、昼時なので、食事をしたり、食後の休憩をしている最中だった。
 
 こちらも車を停めて、近くを散策する。小用を足したくなったので、トイレの看板に従って、側らの倉庫のような建物に近付くが、大きな扉が閉まっているだけで、トイレなどどこにもなさそうだ。迷ってうろうろしていると、近くに停まった車の窓から、作業着姿の男性が顔を出して、トイレの場所を教えてくれた。見ると、小国町側の未舗装路で通行止めに遭った時に見掛けたバンの男性だった。蕨峠を越えて、ここまで仕事にやって来たらしい。どうもとお辞儀をして、言われた通りにトイレを探す。倉庫の重い扉を横に引くと、中にトイレがあった。自動で電気が点き、近代的であった。普段は扉を閉めておく決まりになっているようで、用を済ました後、しっかりまた重い扉を閉めた。厳重な造りに、雪国の厳しさを思った。

あさひ湖 (撮影 2007.10.17)
 

ダムの下流を眺める (撮影 2007.10.17)

三面川の下流 (撮影 2007.10.17)
 
奥三面ダム堰堤手前に立つ看板 (撮影 2007.10 17)
 
堰堤を渡った先にある広場に立つ看板より (撮影 2007.10 17)
 
舟曳トンネル
 
 堰堤の広場を過ぎると、道は右に急カーブしてトンネルに入る。舟曳トンネルと呼ぶ。このトンネルには見覚えがあった。
 

 舟曳トンネル (撮影 2007.10.17)

舟曳トンネル (撮影 1992. 9.14)
1989年10月完成
 
 初めて三面を訪れ、末沢川の河原で野宿をした翌早朝、川の下流方向に走って来ると、異様な事態であった。ダム工事が行われていたのだ。手持ちのツーリングマップには何も記載されていなかったので、ただただ驚くばかり。作業用の仮設道路が入り組み、何が何だかさっぱり分からない。果して、この巨大な工事現場から抜け出ることができるのだろうか。
 
 まだ朝早いということもあってか、工事は行われていず、作業者の姿も見えない。どこをどう走ったか分からないが、やっと一つのトンネルの前に出た。名前は舟曳トンネル。比較的新しい。ツーリングマップには「金壺」と言うトンネルの記載はあるが、どうもそれとは異なるようだ。相変らず自分の居場所がどこだか皆目分からない。振り向けば、今走り抜けて来たダム工事現場が、目の前に広がっていた。
 
ダム工事現場 (撮影 1992. 9 14)
舟曳トンネル付近から眺める
 
 とにかく、この舟曳トンネルを抜ける以外に道はなさそうだと判断。恐る恐る、トンネルを抜けて行った。

 舟曳トンネル内からダム湖方向を見る (撮影 2007.10.17)
道路標識には「←小国方面」とある
 
舟曳トンネルから県道へ
 

円吾橋を渡る (撮影 2007.10.17)
道路看板には次の様にある
左:村上(国道7号) 二子島森林公園
右:鶴岡  猿田川野営場
 舟曳トンネルはセンターラインがなく、比較的狭い感じがする(実際は幅4.6m)。その先もそれ程広い道路ではない。奥三面ダムが完成したが、多くの観光客を呼び込むような道路ではない。右手に三面川の谷が深い。道は一気に下って行く。ちらりと下の県道が見える。
 
 坂を下り切ると、円吾橋で三面川の本流を渡る。その先がT字路で、県道349号・鶴岡村上線に突き当たり、これで蕨峠からの道も終着である。
 
 県道を左に行けば、村上市の中心地方面に出られる。右に行くと、また新潟・山形の県境を越えて(仮称:朝日峠)山形県の朝日村に入り、鶴岡市へと通じる。
 
 県道から円吾橋を渡った先 (撮影 1995. 8 17)
この時は車両通行止め
 
 1992年に運良く蕨峠を完走できたが、その後はダム工事による通行止めが続いたようだ。1995年に県道を通り過ぎたが、円吾橋から県境までが車両通行止めとなっていた。
 
 尚、古いツーリングマップに載っていた金壺トンネルだが、円吾橋の更に上流で支流の猿田川を渡り、三面川の右岸を行く道沿いにあることになっている。ダムの下流に位置する。ダムが完成した今でも、そのトンネルはあるのだろうか。

県道から峠方向を見る (撮影 2007.10.17)
 

右が小国、奥三面ダム方面 (撮影 2007.10.17)
直進は鶴岡、猿田川野営場方面
手前が村上方面

 左と同じ場所 (撮影 1992. 9.14)
 
 新潟県小国町から遥々蕨峠を越えて県道349号に至っても、ここはまだまだ山の中だ。県道と言っても、元は朝日スーパー林道である。村上市街に出るにも、三面川に沿う細い県道を長々と下らなければならない。
 
 昼時も過ぎたので、早く村上の市街に出て、コンビニでも探して昼食を採ろうと思う。ところが何と、県道の村上方面が通行止めである。山形県朝日村方面の林道が通行止めなら話は分かるが、ここから村上市街に出られないとはどういうことだ。
 
 村上市街までの県道は、途中に三面ダムによる三面貯水池があり、岩崩などと言う怖そうな地名もあって、現在もなかなか険しい。その付近が通行止めになったのだろうか。昔、三面の集落には蕨峠の道しかなかったと言うが、それが再現されてしまったかのようだ。かと言って、また蕨峠を引き返しても面白くない。

左が円吾橋 (撮影 2007.10.17)
何と、村上方向が通行止め
 
 仕方がないから山形県朝日村方面に走り出す。朝日スーパー林道はウンザリする程長い。しかも、出た先が山形県鶴岡では、いくら行き先定めぬ気ままな旅とは言え、全く思惑が外れてしまう。まあ、蕨峠が越えられていなかったら、それはそれでまた違った所へ行っていた筈なのだろうが。
 
 更にこの後、山形県朝日村へも越えられないことが判明し、この日は大変な目に遭ったのだった(この話はまたいつか朝日峠の編で)。
 
  
 
 記憶から失せていた謎の蕨峠が、今やっと明瞭になった。峠や道その物はあまり興味を引かないが、それでも県境を越える峠道として、山形県側の小国町と新潟県側の旧朝日村三面との対比が味わえて面白い。のどかな田園の中の折戸集落から、それ程険しくもない峠を一つ越えただけで、山形県側の三面川水系一帯は山深い別世界の観がある。
 
 また、奥三面ダムが完成する前後に峠を越えられて、その変貌振りを目の当たりにできたのも感慨深い。大きく景観が変わったと実感する。水没した旧三面集落のことに、思いをはせずにはいられない。古くからの蕨峠はこの三面集落の人たちの峠だったと言って良い。私が最初に訪れた時は、既にダム工事が進んでいて、集落の痕跡などは全く見られなかったが、山の中にひっそり佇む素朴な集落を想像してしまう。
 
<参考資料>
 
 昭文社 東北 ツーリングマップ 1989年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行
 人文社 大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行
 角川 地名大辞典 新潟県 (蕨峠の項)
 
<制作 2009. 8. 8><Copyright 蓑上誠一>
  
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