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夜叉神峠 (夜叉神トンネル)
 
やしゃじんとうげ
 
南アルプスの上高地(?)と呼ばれた「広河原」への峠道
 
  
 
 夜叉神トンネル (撮影 2002.11.18)
場所は山梨県南アルプス市(旧芦安村)
見えているのは夜叉神トンネルの芦安側坑口
トンネルの反対側は広河原方面
道は南アルプス林道
標高は約1,394mm(トンネルの石版の碑文より)
 
広河原のこと
 
 富士川水系の早川の上流部に、広河原(ひろがわら、ひろかわら)と呼ばれる所がある。南アルプスの奥懐に分け入った地だ。場所を道順で示すと、富士川沿いの国道52号・富士川街道から、山梨県身延町で西に分岐する県道37号・通称南アルプス公園線に入る。県道は早川に沿い、初め西走、雨畑川(上流部にあの山伏峠がある)の合流点付近から北上、途中、未舗装路を交えて旧芦安村(現南アルプス市)の北西部で広河原に達する。
 
 初めてその地を訪れたのは、1992年9月22日のことだった。前日、県道37号線脇の早川の河原で野宿し、翌早朝から上流部の広河原を目指した。ところが、奈良田湖を過ぎて暫く行くと、開運隧道から先が通行止になっていた。奈良田湖付近から分岐する丸山林道も通れず、ならば山伏峠で静岡に出てやれと思ったが、それもあっさり駄目。こうなったら、当初の目的だった広河原に、何が何でも行ってやれとばかり、県道を身延町まで引き返し、富士川沿いを遡り、旧芦安村の東側からアプローチした。その時越えたのがこの夜叉神峠(トンネル)であった。
 
 夜叉神トンネルの道は、南アルプス林道と呼ばれるが、当時既に広河原まで完全舗装であった。早川沿いの道が、途中未舗装路だったのに比べると、こちらの方が広河原へのメインルートということになる。道が狭いわりに交通量は多く、峠の夜叉神トンネル以外にいくつものトンネルがあり、それが普通乗用車でも容易に離合できないくらい狭いときている。広河原からの帰りにも、またここを通るのかと思うと、うんざりした覚えがある。
 
 やっとの思いで初めて見た広河原は、河原の砂利を敷き詰めた駐車場に登山客の車が並び、カラフルな登山服を着た人達が行き来していた。側らを流れる野呂川(早川の上流部をそう呼ぶ)にはアーチ型の橋が架かり、そこからは大きな石がゴロゴロする荒々しい川底が眺められた。また、上に目をやると、日本第二の高峰・北岳が仰ぎ見られる。青く晴れた秋空の下、広河原はまさに南アルプスの一大登山基地といった華やいだ雰囲気に溢れていた。
 
 広河原から先は、北西方面へ北沢峠で南アルプスを越え、長野県の長谷村(はせむら))まで南アルプス林道が続いているが、この区間は既に一般車通行止である(開通当初は有料で通行が可能だったそうです)。よって広河原はマイカーで行ける最奥の地なのであった。
 
 その数年後、早川沿いの未舗装路を完走したくて、またノコノコと出掛けて行った。その時は、懸念された通行止も無く、無事に広河原に辿り着くことができた。帰りは夜叉神トンネルを通り、早川町から芦安村へと抜ける、なかなか雄大な周遊路を堪能したのだった。
 
再び広河原へ
  
 2002年の11月に、冬場の温泉にでも浸かってのんびりしようと、芦安村にある村営の南アルプス温泉ロッジに一泊旅行した。その折は残念ながら、夜叉神トンネルの少し手前にある夜叉神峠登山口(夜叉神の森付近)から先が冬期通行止で、夜叉神ゲートが車の通行を阻んでいた。ならばと、歩いて夜叉神トンネルを抜け、その先の御野立所(おのだちしょ)まで往復した。
 
 夜叉神トンネルは長さ1,148mあり、開通当初(昭和30年)、林道の中では最長のトンネルだったそうである。狭くて暗いトンネルを歩くのは気持ちの良いものではない。ただ、冬期通行止で、車が通らないからいいだろうと思っていたら、途中で工事車両がやって来た。まさか、トンネル内を歩いている者など居ようとは思わないだろうから、轢かれはしまいかとびくびくしたのだった。
 
 しかし、トンネルを歩いたお陰で、雪を頂いた白根三山(白峰三山?)を眺めることができたのだった。
 
 話は変わるが、2008年の7月に、念願の、あの「上高地」に1泊して来た。テレビの旅行番組などでもいろいろ紹介される、あの憧れの上高地である。マイカーでは行けない、お金の掛かる旅行地だ。そう言えば、何かのパンフレットで、広河原のことを「南アルプスの上高地と紹介していた。前回は冬期通行止で広河原にまでは行かれなかった。かれこれ15年近くも、広河原とはご無沙汰である。これは是非にでも再訪したい。
 
 そう思っていた矢先の事である。夜叉神峠登山口(夜叉神トンネルの少し手前)から先でマイカー規制が引かれてしまった(多分2008年の初頭から)。広河原に行くには、路線バスを利用しなければならない事態とあいなったのだ。今や本家の上高地と同様、広河原もお金が掛かる地となってしまった。これには驚いた。
 
 しかし、そう簡単に諦める訳にはいかない。路線バスの運行時刻など、事前にいろいろ調べなければならず、何かと面倒だが、どうにかあの「南アルプスの上高地」を再び見てみたい。2008年9月20日、また南アルプス温泉ロッジに一泊の予約を入れ、車上の人となったのであった。
 
御勅使川沿いを行く
  
 甲府市方面から夜叉神峠に向かうには、県道(主要地方道)20号・竜王芦安線、通称南アルプス街道を行く。この県道は竜王町中心街を通る国道20号から分岐して始まり、旧芦安村の中心地まで達している。高速道路で来ると、中央道の甲府昭和ICか、中部横断自動車道の白根ICで降りると、その県道が近い。
 
 町中から外れる頃から、道は御勅使川沿いを進む。御勅使川は「みだいがわ」と読む。何度調べても直ぐに忘れてしまう、厄介な読み方だ。前回、南アルプス温泉ロッジに泊った折、もらったパンフレット「芦安村マップ」に、以下のような由来が書かれていた。
 
 「昔は水出川と呼ばれていた。この川は嵐のたびに大あばれしたため淳和天皇(平安時代)が心配して「勅使」(天皇のお使い)を出して治めてくれたので「御勅使川」と書き、「みだいがわ」と呼ぶようになった。」
(パンフレット「芦安村マップ」より転記)
 
 「勅使」は「ちょくし」と読み、どうしたって「御勅使」を「みだい」には読めない。元の名である「水出川」の読みが分からないが、「水出」の音が「みだい」に近いこともあるのだろうか。
 
 最近、NHK大河ドラマの「武田信玄」(1988年放送)をレンタルDVDで見ていたら、主演の中井貴一さんが「みだいがわ」と話しているシーンが何度か登場した。最初の内はうっかり気付かなかったが、この御勅使川のことだったのだ。武田信玄は「信玄堤」(しんげんづつみ)で知られるように、治水に尽力した武将であった。信玄堤は本流の釜無川に築かれた堤防だが、御勅使川に関しての治水も行っていてドラマでの登場となったのだ。そのことからもこの川が暴れ川であることが察せられる。ドラマで何度か川の名が呼ばれたので、この頃やっと「みだいがわ」という読み方を覚えられるようになったのだった。
 
 県道を進むと、例の件の看板が出てきた。県道上に掲げられた電光掲示板に「夜叉神〜広河原 マイカー規制中」とある。インターネット等からマイカー規制の情報は得ていたが、実際にこうして目にすると、実感が湧いて来る。

旧白根町付近の県道上 (撮影 2008. 9.20)
前方の電光掲示板に「夜叉神〜広河原 マイカー規制中
 

道はこの先で初めて左岸に渡る (撮影 2008. 9.20)
 県道の最初は、まだ甲府盆地の端に位置し、平地の中を行くが、御勅使川に沿って進むにつれ、両側から山が迫ってくる。川と道は常に寄り添って緩やかな蛇行を繰り返す。当初、道の右側に見えていた川を初めて渡る。
 
 その先で観光案内の看板が、道路上にでかでかと出てきた。
 
ようこそ
南アルプス芦安温泉郷・北岳へ

甲斐犬の里 芦安
(看板より転記)

 もうここまで来ると、山の中の十分寂しい所なのだが、旧芦安村の中心地は、まだこの先にあるのだ。
 
 道は右岸に渡り返す。この辺りでは車上から川底が容易に望める。それ程、川底は浅い。大きな石がゴロゴロしている。川が暴れた時に流されてくるのだろうか。車道から近いこともあり、この川が濁流であふれたら、そぞかし恐ろしいことだろうと想像する。


観光案内の看板 (撮影 2008. 9.20)
 

また右岸から左岸に渡る (撮影 2008. 9.20)
前方に大きな集落が見える
 
 道がまた左岸に渡った先で大きな集落が現れる。旧芦安村役場がある村の中心地だ。しかし、川の両側に広い平坦地がある訳ではなく、人家は山の斜面に登って建てられている。対岸には貴重な平坦地を使って学校の校舎が見える。沿道には郵便局、観光タクシー、ガソリンスタンド、芦安のバス停などが並ぶ。
 
 道路標識は見掛けなかったが、道路地図ではこの辺で県道は終りである。地名は芦倉(あしくら)。ここから先は「南アルプス林道」と呼ばれるのだろうか。県道の別名は「南アルプス街道」とも記されていて、なかなか厄介だ。
 
 旧村役場前を過ぎると道の本線は左カーブで川の右岸へと進むが、そのまま左岸を直進する道もある。その方向に「大曽利」とある。そちらを進んでも行ける。山の斜面に築かれた小さな集落を結ぶ道だ。狭くて急で、スリルがある。
 
南アルプス温泉ロッジへ
  
 おとなしく右岸の本線を行くと、道の左脇に芦安温泉(岩園館)の建物(3階建て)が出てくる。芦安の中心地も過ぎ、この辺りはもうとても寂しい。
 
 2002年11月、南アルプス温泉ロッジを目指した時は、この付近でとっぷり日が暮れた。視界はヘッドライトの明かりに照らされた世界に限られる。路傍の看板もよく見えず、同乗の妻が自慢する動体視力も役に立たない(妻は高校時代、バドミントン部の部長で、シャトルを追う目が良かった)。道はほとんど一本道だから、行けば分かるだろうと、目指すロッジの正確な場所を把握していなかった。それがここに来て急に不安につながった。妻は、ロッジは芦安温泉の手前じゃないかと言い出した。自慢の動体視力の代わりに、ひどい方向音痴が顔を出す。路肩に車を停め、辺りを窺うが、周りは暗い闇。ヘッドライトに浮かぶ道は、この先益々狭くなり、確かにこの先に宿があるようには思われない。しかし、私が途中で見た看板の記憶では、まだこの先だと思う。二人とも、不安で喧嘩腰の会話である。

芦安温泉付近 (撮影 2008. 9.20)
左手に見える建物は岩園館
 

ひび割れたコンクリート舗装の急坂 (撮影 2008. 9.20)
 妻の主張で、少し車を引き返すと、対岸に渡る橋が架かっていた。しかし、どうもそちらではなさそうだ(それは大曽利、沓沢といった集落へ続く)。結局、また車を反転し、芦安温泉の前を先に進む。すると、ひび割れたコンクリート舗装となり、狭い急坂を登る。これはもう駄目か・・・と思ったが、引き返すこともままならず、恐る恐る車を進めると、ほぼT字に近い分岐が現れた。左が本線で、橋を渡る右方向に温泉ロッジの案内看板が立っていた。これで二人ともやっと安心したのだった。
 
 ところで、その温泉ロッジへの道を進んでいると、子供が一人、暗い道をトボトボ歩いているではないか。小学生のようだ。家に帰るのだろうが、周囲にはまだ人家の明かりは見えてこない。道に迷って車の中で大人二人が大騒ぎしている一方、小さい子供がいつもの家路を歩いている。お恥ずかしい光景だ。車に乗せてあげようかとも思ったが、母親から知らない人の車に乗ってはいけないと言われているかもしれない。驚かさないように、ゆっくり側らを過ぎていった。
 
 南アルプス温泉ロッジは旧芦安村・村営の公共の宿で、お値段が手頃だ。南アルプス林道のバイパス路上にあるが、温泉ロッジ周辺は本線より賑やかな場所である。道の反対側には白峰会館(日帰り温泉などの観光施設)があり、その前がバス停になっている。隣接して真新しい大きな駐車場がある。今回のマイカー規制に伴い、新たに増設されたのではないかと思う。谷の方に少し下ると、テニスコートやキャンプ場がある。車道の側らには温泉ロッジ以外にも温泉宿泊施設がいくつか建っている。登山などの最盛期には、車の誘導係や観光タクシーの運転手も出動し、普段は静かな山間が、なかなかの賑わである。

南アルプス温泉ロッジ (撮影 2002.11.18)
 

大きな駐車場 (撮影 2008. 9.20)
奥に見えるのは白峰館や温泉ロッジの建物
 訪れた9月下旬は、そろそろ木々も色づき始め、なかなかいい雰囲気だ。路線バスがやって来ると、沢山の登山客で一時期騒がしいが、それもバスが出発してしまえば、また落ち着いた雰囲気に戻る。
 
 さて、マイカーはこの先、夜叉神ゲートの手前、夜叉神峠登山口まで行ける事になっている。そこにも駐車場がある。そこから路線バスに乗って広河原を目指そうと思う。
 
峠(夜叉神トンネル)へ
  
 温泉ロッジを通り過ぎ、間もなく本線に合流する。直ぐに「山の神ゲート」を通過する。そこには「規制」と看板が出ているが、よく見ると「大型等の車両は乗入れ禁止」である。今回は軽自動車(パジェロ・ミニ)なので、「大型」とは何であるか・・・などと、悩む必要はない。あるパンフレットには、「11人乗り以上の乗り入れ禁止」とあるので、11人乗り以上が大型なのだろう。
 
 しかし、11人未満でも、あまり大きな車では走りたくない道だ。一般車の通行は少ないが、時たま路線バスがやって来るのだ。マイクロバスなどの小型のバスではなく、しっかりしたバスである。運悪く一台のバスが前方のカーブを曲ってやって来た。ちょうど道幅は狭く、簡単には離合できそうもない。両車ともお互いに停まり、しばし見合ったかと思うと、バスはそのまま走って来るではないか。バックで待避所を探す暇もなく、直進で道の端へギリギリに寄せようとして、ガードレールに少し擦ってしまった。こちらは一般車で相手は公共のバスだから、あまり強い立場ではないが、やや強引な感じであった。

峠への道 (撮影 2002.11.18)
峠方向から芦安側に下る途中で撮影
 

峠道からの景色 (撮影 2002.11.18)
芦安側に下る途中で撮影
 山の神ゲートから先は、さすがにもう人家はなく、対向車の心配さえ除けば、峠への楽しい道である。新緑の頃も良し、紅葉の頃も良し。初冬の冬枯れの季節も、木々の葉が落ち、見通しが良くて峠道からの景色が堪能できる。
 
 ただ、運転する妻は、峠道を堪能しようなどという風流な気持ちは持ち合わせていないので、さっさと車を進めてしまう。写真に撮りたい景色は、どんどん後ろに流されていく。逆に私がハンドルを握ると、妻に握られたカメラは休んでばかりいる。時々、シャッターの催促をするが、その時はもう手遅れで、一度逃がした良い景色は、二度と現れてくない。
 
 道は御勅使川の本流の谷間から離れ、西の早川との境を成す尾根へと登って行く。そこに夜叉神峠はある。路面は路線バスも安心して走れる程、しっかりアスファルト舗装されている。筈かに急カーブもあるが、疲弊する程屈曲した峠道という訳ではない。時に林の中を抜け、時に遠望が広がる。峠からの帰りの方が、谷間を眺めて景色が良いようだ。
 
 車道から行く手の峠がある鞍部が見える訳ではないので、走っていても峠道のどの辺りに居るのかが分かり難い。しかし、走行距離はさほどでもない。5km前後か。峠道が楽しいと思えば、あっという間だ。温泉ロッジに泊まった翌日も、またこの道を往復することになったが、何の苦もなかった。

冬枯れの峠道 (撮影 2002.11.18)
芦安側に下る途中
 
夜叉神峠登山口
 
 道路の左脇にずらっと一列に並んだ駐車場が現れれば、その先が夜叉神峠登山口だ。バス停「夜叉神峠登山口」が立ち、左手に夜叉神の森(宿泊、食事、みやげ)があり、右手の山の中へ峠への登山道が始まっている。
 
 この少し先に夜叉神ゲートがある。現在、マイカーはここで行止りだ。よって車は夜叉神峠登山口周辺に設けられた路肩の駐車場に停めることとなる。無料だが、数には限りがある。40台程度だ。満車を心配していたが、駐車場は半分も埋まっていなかった。翌日も問題なかった。

夜叉神峠登山口 (撮影 2008. 9.20)
 

左手に夜叉神の森、前方に夜叉神ゲート (撮影 2008. 9.20)
 さて、ここからはバスに乗り継いで広河原に向かうことになる。バスの時刻を調べ、少し時間があるので昼食とする。側らに手打うどんや蕎麦を商う夜叉神の森があるが、その横でカセットコンロでお湯を沸かし、持参したカップめんの蕎麦とうどんで済ませる。
 
 あまり体裁が良いものではない。しかし、妻はこうしたことには付き合ってくれる。ケチというつもりはないが、一人僅か100円もしないで食事が済ませるのは、魅力的に思う。代わりに今夜は温泉ロッジに泊っての夕食だ。それを思って、バス停横の丸太のベンチに二人並んで腰掛け、人目もはばからず、うどんや蕎麦をすする。
 
 暇があれば、登山口周辺や夜叉神ゲートを越えてトンネルの坑口まで散策するとよい。バスに乗るとあっという間に過ぎてしまうので、景色を堪能する暇がない。ましてやシャッターを押すタイミングは皆無だ。
 
 きょろきょろ歩いて見て回れば、いろいろな物が目に付く。「夜叉神の森」の窓ガラスに、「夜叉神隧道 日本で第一位の手掘り林道トンネル」とある。手掘りで一位なのか、林道で一位なのか、それはよく分からない。残念なことに、行方不明の登山者を探している貼り紙があったりする。熊出没注意の看板もある。明日、夜叉神峠に登ってみようと思っているので、他人事ではない。

林道周辺図 (撮影 2008. 9.20)
夜叉神峠登山口にあった看板より
(画像をクリックすると拡大画像が開きます)
温泉ロッジの位置は誤り
 

夜叉神ゲートを背に登山口方向を見る (撮影 2002.11.18)
 2002年に訪れた時は、マイカー規制はまだ始まっていなかったが、代わりに冬期通行止だった。そこで、夜叉神ゲートを越え、歩いてトンネルを抜けてみようかという話になった。その結果は、二度と歩く気はないのであった。
 

夜叉神ゲート (撮影 2002.11.18)
夜叉神トンネル方向を見る

夜叉神ゲート (撮影 2002.11.18)
芦安方向に見る
 
路線バスに乗って
 
 マイカー規制は、ここ夜叉神ゲート(夜叉神峠登山口)から広河原までと、早川沿いの県道南アルプス公園線の開運トンネルゲートから広河原までの区間である。北沢峠からの道も初めから一般車通行止で、広河原は3方からマイカーが規制されたことになる。
 
 規制期間は6月25日〜11月9日と看板にあったが、考えてみれば、それ以外の期間は冬期通行止なのではないだろうか。その期間「終日マイカーは通行できません」とあるが、結局、通年できませんということだと思う。

マイカー規制の看板 (撮影 2008. 9.20)
(画像をクリックすると拡大画像が開きます)
 

バスの乗車券 (撮影 2008. 9.20)
 さて広河原行きのバスがやって来た。途中からの乗車となるが、座ることができた。利用区簡に応じた運賃以外に、均一の利用者協力金100円を徴収される。
 
 バスの車内は極めて庶民的な作りだ。××整形外科だとか、交通安全の広告が貼ってあり、乗客が皆、登山姿なのを除けば、そこらの町中を走っている路線バスと変りはない。それと、運転手以外に女性が一人乗っていた。乗車券の販売をしていた。そのお姉さんによる観光案内でもアナウンスしてくれるのかと期待したが、それはなかった。
 
 走り出したバスの運転手は、何のためらいもなく、どんどんバスを進めて行く。私の妻と同様、峠道を愛でる趣味はなさそうだ。必至にシャッターを切るが、後で見た画像は、みんな流れていた。よって、夜叉神ゲートから広河原までの写真は、以前撮ったものに頼るしかない。2002年に苦労してトンネルを歩いた時の写真は、ここで生かされることとなった。

バスの中 (撮影 2008. 9.20)
 
夜叉神トンネル
 
 夜叉神トンネルの芦安側坑口 (撮影 1991. 9.22)
初めて広河原へ行った時の帰り
 

夜叉神トンネルの看板 (撮影 2002.11.18)
「夜叉神隧道」とある(山梨県知事の筆)
 夜叉神ゲートを過ぎると直ぐに夜叉神トンネルが現れる。夜叉神トンネルは夜叉神峠のやや南、標高約1,400mに位置する。長さ1,148m。今は南アルプス林道と呼ばれているこの道は、元は野呂川(のろがわ、のろかわ)林道と呼ばれた。桃の木温泉(温泉ロッジ前の道がバイパス路になっている区間の本線側にある)の近くに架かる橋を起点に、広河原までが野呂川林道として開削された。
 
 野呂川は早川の上流部を指すので、夜叉神峠の御勅使川流域側からすると、ちょっと変な林道名称に感じる。広河原から下流の野呂川に沿った道を野呂川林道と呼ぶのだと思っていたが、そちらは旧県道野呂川波高島停車場線・通称電源開発道路、現県道37号・南アルプス公園線(南アルプス街道とも)と呼ぶらしい。とても複雑だ。
 
 とにかく、夜叉神トンネルは林道開削時の難所であった。林道開削は昭和27年に始まり、翌昭和28年にはトンネル工事に着手された。糸魚川静岡線と呼ばれる地質構造線の通過地点に位置し、湧水・落石による難工事であったそうだ。このトンネル開通(昭和30年9月)により、林道開削は促進され、昭和37年には広河原で野呂川右岸の電源開発道路と直結した。
 
 トンネルの芦安側坑口に向かって左脇に石版の記念碑がある。トンネル開通にまつわる記述がある。トンネルの長さや標高の数値が参考になる。記念碑の日付は昭和30年10月であった。
 

夜叉神トンネル手前からの眺め (撮影 1991. 9.22)
この峠道で一番眺めが良い
 
左とほぼ同じ場所からの写真 (撮影 2002.11.18)
 
 芦安村に耕地は極めて少なく、山仕事に生計を依存するしかなかったそうだ。それで昔は峠を越えて早川(野呂川)の谷に入り、材木を切って早川を筏で下ったり、山小屋に泊り込みで炭焼きをしたそうな。それがトンネル開通で早川流域の豊富な木材が陸路で搬出可能となった。
 
 一方、広河原が南アルプス、北岳の登山基地として開発され、芦安や桃の木などの温泉とあいまって、夜叉神トンネルは芦安村の観光地化としての役割も担った。マイカー規制が始まる前だが、通行するあの車の多さを考えると、森林資源の利用より観光化の役割の方が大きかったように思う。
 
 それにしても、「夜叉神」とは恐ろしげな名前だ。昔、この峠の付近には強大な夜叉神が住んでおり、雲を集めて大雨を降らせ、山を蹴って土砂を流し、時には雲を散らして旱魃(かんばつ)の害を与えた。人々は祟りを恐れ、御勅使渓谷を展望できる峠に祠をたてて、夜叉神を祀ったと伝えられる。御勅使川の恐ろしい現実の氾濫が、こうした夜叉神の神話を作ったのだろう。
 
 トンネルに入る手前を振返ると、眼下に御勅使川の渓谷が広がる。夜叉神を祀ったのは本来の夜叉神峠なのだろうが、こちらのトンネルからの眺めもなかなか良い。

夜叉神トンネル内から芦安側を見る (撮影 2002.11.18)
歩いてトンネルを往復し、やっと帰って来たところ
 
夜叉神トンネルの先
 
 トンネルを抜けると、そこは一変して早川水系の世界である。ただ、折角歩いて長いトンネルを抜けても、まだ眺めはあまり良くない。南アルプスの雄大さを目の当たりにするには、もう少し歩かなければならない。
 
 暫く行くと小さなトンネルを抜ける。その先に西側からの夜叉神峠への上り口がある。何でも道が悪いようで、あまり使われないか、現在は通行を規制しているようだ。
 
 さらにその先、またちょっと長めのトンネルが現れる。峠道の広河原側は、こうしたトンネルが多い。カーブを曲がった先で不意に現れ、しかも狭いので普通乗用車同士でも交互通行が強いられる場合があった。対向車との阿吽(あうん)の呼吸が求められ、なかなか気疲れするのだった。

夜叉神トンネルの広河原側坑口 (撮影 2002.11.18)
工事関係者が居た
 

トンネルを抜けた直後 (撮影 2002.11.18)
まだあまり眺めは良くない

夜叉神峠西登山口 (撮影 2002.11.18)
 
御野立所と展望台
 

御野立所の様子 (撮影 2002.11.18)
 夜叉神トンネル以外に2、3のトンネルを抜けて、やっと御野立所(おのだちしょ)と呼ばれる展望台に着く。名称からすると皇室が訪れた記念の場所らしい。
 
 ここには僅かながらも車を停められる路肩があり、いろいろな看板や案内図も立つ。何より、野呂川を挟んで対岸にそびえる南アルプスの峰々が見渡せるのが良い。しかし、マイカー規制で路線バスに頼る今では、わざわざこの停留所(観音経渓谷)で途中下車するのも、無駄な話である。さりとて、夜叉神ゲートから歩いて来るのも容易でない。片道30分程度もかかる。しかも、トンネル内で路線バスとすれ違うのは、気持ちが良いものではない。夜叉神峠の旅も、なかなかしにくくなったものである。
 

御野立所の様子 (撮影 1991. 9.22)

御野立所の様子 (撮影 1991. 9.22)
 
 御野立所に立つ案内図 (撮影 1991. 9.22)
(画像をクリックすると拡大画像が開きます)
 

御野立所に立つ看板 (撮影 1991. 9.22)

御野立所からの眺め (撮影 1991. 9.22)
 
広河原へ下る
 

野呂川の谷間を見下ろす (撮影 1991. 9.22)
 広河原へ下って行くと、徐々に谷の様子が分かってくる。鷲ノ住山(わしのすやま)の西方(荒川との合流点?)より上流を野呂川、それより下流を早川と呼ぶらしい。南アルプス林道は途中でその鷲ノ住山の直ぐ東を巻いて下る。鷲住山展望台というバス停がある。そこを過ぎ、谷が良く見え始めたら、そこはもう野呂川と思ってよさそうだ。
 
 野呂川の渓谷を白鳳渓谷とも呼ぶようだ。古くは「能呂川」とも書き、木賊(とくさ)川とも呼ばれたそうだ。この谷にはカモシカが多く生息していて、カモシカは「ノロ」と言い、ノロが住む川で「ノロ川」と呼ばれたとも。
 
 野呂川の起点は両俣と呼ぶ場所だ。北岳の西側で左俣沢と右俣沢という沢が合流する地点で、それから下流が野呂川だそうだ。北岳は山梨県と長野県との県境にあるのかと思っていたら、今回よくよく地図を見ると、旧芦安村内にあった。芦安村は日本第二の高峰を擁している村だったのだ。野呂川はその北岳の西麓から始まり、北方をぐるっと半円を描いて南下していた。
 
 今回、路線バスで広河原へと向かうが、生憎とバスの進行方向右側に席を取ってしまった。野呂川渓谷の眺めは概ねバスの左手に広がる。思うようには景色を堪能できない。それに、バスの後輪よりも後ろに位置する席だったので、カーブのたびに大きく左右に振られる。側らの窓を見やると、崖の岩や草木が直ぐそばをギリギリに後方へと流れていくではないか。バスはなかなかのスピードで峠道を下る。景色を楽しむどころか、伸びた枝でも窓にぶつかるのではないかと、気がきではない。

南アルプス公園線を望む (撮影 2008. 9.20)
広河原からの帰りのバスから撮影
 

野呂川に架かる堰堤 (撮影 2008. 9.20)
広河原からの帰りのバスから撮影
 広河原からの帰りも、また路線バスを使うことになったが、今度は眺めが良いようにと、バスの進行方向右側(谷側)の席に座った。しかし、またも一番後ろの席なので、カーブのたびに振られる振られる。窓の外には壁がない代わりに、今度は目の真下深くに野呂川の谷が覗く。ここから落ちたら命はない。そんなことにはお構いなしに、バスは相変らず快調なスピードで夜叉神トンネルを目指して登る。そして、急カーブのたびに谷底がパックリ口を開ける。これでは峠道を愛でるどころではない。ちょっとしたジェットコースター並みのスリルを味わう気分だ。それにもめげず、カメラのシャッターを何十回も押したが、画像は流れ、まともな写真はほとんど撮れなかった。夜叉神峠の旅は、ままならないのである。
 
 道は野呂川の谷間に沿って北へ北へと下って行く。野呂川の対岸に道が見えてくる。あの道は以前に1度だけジムニーで走った。川に沿って延々と伸びた道だ。当時まだ未舗装区間を残していた。今は南アルプス公園線などと洒落た呼ばれ方をする様だが、こちらの南アルプス林道よりもよっぽど林道らしかった。道としての険しさが感じられた。残念ながら、その時カメラを持たずに来たようで、何の写真も残っていず、いつ訪れたかもはっきりしない。
 
 現在はどのような道になっているか遠くから眺めただけではよく分からない。全線舗装となったろうか。マイカー規制が始まってしまった今では、容易に訪れて確かめることもできない。
 
 野呂川に架かった橋が一つ見えてきたら、もう広河原は近い。その橋の名は野呂川橋。広河原の南の端に位置する。言ってみれば、「上高地の河童橋」的な存在ではないかと、勝手に思っている。さて、あの広河原は、今はどのような姿になっているだろうか。

野呂川橋を見る (撮影 2008. 9.20)
広河原はもう近い
 
広河原に到着
 

広河原 (撮影 2008. 9.20)
野呂川橋方向に見る
 道は最後に左ヘアピンカーブで曲がって広河原に到着する。そのヘアピンを直進する道には通常ゲート(広河原ゲート)が下りている。北沢峠を越えて長野県長谷村(はせむら)へと通じる南アルプス林道の続きである。昔から一般車両進入禁止だ。
 
 バスを降りた広河原の広場は、野呂川の左岸に沿って細長く広がる。以前ここが登山客の駐車場だった。もっと明るく開けた場所の様な気がしていたが、今は木々が多く茂り、あまり対岸や川面も望められない。生憎小雨がぱらつく天候であることもあり、寂しい雰囲気である。
 
 広場の中央に狭い舗装路が一本通り、広場を抜けた先で野呂川橋へと通じる。道の両側には南アルプス観光指導センターや南アルプス市営バス広河原営業所、バス待合所、切符売り場、トイレなどがポツンポツンと建つ。大体が雑草が生えた砂利の敷地になっていて、その片隅に7、8台のバスが停まっていた。
 
 バスの到着や出発の時刻には、一頃登山客で賑わうが、それが過ぎるともうここに用がある人は、バスの係員ぐらいなものである。長く留まる者は少ない。以前は一大登山基地で、それなりに人々で賑わっていたと思うが、今は単なるバスの乗り継ぎの一地点になってしまったかのようだ。広場の対岸には、かつて国民宿舎広河原ロッジという宿泊施設もあった筈だが、今は案内図の看板からも姿を消している。

広河原の広場 (撮影 2008. 9.20)
北沢峠方向に見る
手前が野呂川橋方向
 

広河原の案内図 (撮影 2008. 9.20)
広河原ロッジは消されていた
(画像をクリックすると拡大画像が開きます)
 広場から引き返して北沢峠への道に入って直ぐ左に、吊り橋で野呂川を渡っている。その先の樹林の中に広河原山荘が建ち、そこが北岳への登山口になっている。
 
 地図を見ると、北岳は広河原の南西にそびえていることになる。直線で4km程の距離だ。1991年に初めて広河原を訪れた時、天候が良かったのもあって、広河原から北岳を写真に撮ったような気になっていた。しかし、後からフィルムを見ると、空はぼやけて山の稜線もはっきりしない。南アルプスなどの本格的な登山には全く縁がないので、どれがその北岳なのかよく分からない。そもそも、広河原から北岳が望めるかどうかも知らないのであった。

広河原より北岳方向を望む (撮影 1991. 9.22)
北岳を写した筈だったが・・・
 
野呂川橋
 

野呂川橋からの眺め (撮影 2008. 9.20)
上流方向を見る
 広河原の広場を抜けた先に、野呂川橋が架かっている。この橋のことは広河原の象徴の様に思っている。ご本家上高地では河童橋から雄大に穂高を望む。さて、こちらの野呂川橋からの眺めはどんなだったかと思ったら、いまひとつピンとこなかった。川底が勇ましいくらいに荒々しい言うより、ただただ荒れた感じばかり目立った。
 
 初めて訪れた時は、空が青く晴れ渡り、如何にもアルプスの麓といった清々しさが感じられた筈だが、これも今回の天候が悪いせいだろうか。これでは「南アルプスの上高地」とは、ちょっと言い難い雰囲気である。長年訪れずにいる間に、広河原を過大に美化してしまっていたようだ。
 

野呂川橋から下流方向を見る (撮影 1991. 9.22)

左とほぼ同じ場所から (撮影 2008. 9.20)
 

野呂川橋を渡り、上流方向を見る (撮影 1991. 9.22)
対岸の広河原の広場には乗用車が並ぶ

左とほぼ同じ場所より (撮影 2008. 9.20)
 

野呂川右岸より野呂川橋を下流方向に見る (撮影 1991. 9.22)
 野呂川橋を渡ると、道の本線は左にカーブし右岸に沿って下って行く。そこを右の上流方向に行く道は、今は通年通行止となってゲートが閉まっている。昔はこの先に国民宿舎があったようである。
 
 かつて一度だけ野呂川沿いの電源開発道路を走って来た時は、なかなか険しい道で、この野呂川橋の袂に辿り着いた時は、ホッと安堵の胸をなでおろした。広河原はちょっとしたオアシス的な存在に思えたのだった。
 
 今回、この広河原には峠の旅をしに来たのであって、別に登山する訳でもないので、広場の周辺を散策すれば他に全くすることがない。そこでバスを乗り継ぎ、北沢峠まで行ってみた。しかし、そこでも少し散策して、結局来た時と同じバスにまた乗って広河原に戻り、更に芦安方面行きバスに乗って帰って行ったのだった。帰りのバスからは、暫し野呂川を眺められたが、あっという間に霧が湧き上がってきて、もう二度と渓谷は姿を現さなかった。
 
夜叉神峠登山
 
 この旅では、広河原を訪れること以外に、もう一つ目的があった。夜叉神トンネルだけではなく、本当の夜叉神峠に登ろうというのである。広河原を訪れた翌日、早々に宿を出発し、また夜叉神峠登山口まで車を走らせた。懸念されたバスに今度は出くわさずに済んだ。
 
 前日調べておいたが、登山口から峠まで、約1時間の山歩きである。年に一回は、東京近郊の高尾山(標高約600m)に登るのを義務と科しているが、それさえも最近、やっとのこの身体である。はたして夜叉神峠まで行き着くことができるだろうか。それに行方不明者は出るし熊も出没するとのことで、非常に不安である。

登山口の様子 (撮影 2008. 9.21)
峠へはこの手前を登って行く
 

尾根に着いた (撮影 2008. 9.21)
尾根上を高谷山方向から夜叉神峠山頂方向に見る
ここは峠?
 峠への登山道は、ずっと暗い林の中を、ひたすら登っている。昨日に続き生憎の天候で、ガスが出ていることもあってか、眺めは全くない。ただただ自分の足元をじっと見つめながら、忍の一字で歩く。
 
 峠は北の大崖頭山(2,186.1m)と南の高谷山(1,842.1m)を結ぶ尾根上の鞍部に位置する。道の前方が少し明るくなったと思うと、その尾根上を通る道に合流した。そこに立つ登山標識には、ここまでの道を指して「東口下山道」、その反対方向に下る道を「西口下山道」、尾根伝いを大崖頭山方向に「茜平・鳳凰山」(夜叉神峠山頂)、高谷山方向に「高谷山」と書いてあった。
 
 ここにを夜叉神峠とは呼んでいないようだが、明らかに東西を結ぶ道が尾根を越えている。地形的には正しく峠である。ただ、「西口登山道は危険の為通行できません。」と看板にあり、尾根の西側の道は使われていないようだ。また多くの登山者はこの先尾根を少し登った夜叉神峠を通って鳳凰山方面へと進むので、この地点は単なる登りの通過点になってしまっている。
 
 夜叉神トンネルがなかった頃、芦安村の住民が野呂川へ材木を切ったり炭焼きに出掛けて越えた峠は、はたしてこの場所だったのだろうか。夜叉神の祟りを鎮める為、村人たちは御勅使川の渓谷を眺める峠に石祠を建てて夜叉神を祀ったというが、その場所はどこなのだろうか。ガスのせいばかりでなく、生い茂った木々がさえぎり、ここからは何の眺めもない。寂しい峠である。
 
 尾根に取り付いてから尾根道を北へ少し登れば、念願の夜叉神峠に到着する。遭難することもなく、熊に出合うこともなく、身体も問題なかった。峠は周囲を白樺林に囲まれ明るく開けた場所である。山小屋があり、テント場があり、いすやテーブル、片隅には老朽化して使われなくなった展望台が建つ。
 
 しかし、残念ながら峠は霧に包まれ何の展望もない。「標高1770m」と書かれた峠の看板の背後には、本来南アルプスの主峰、白根三山(北岳、間の岳、農鳥岳)の眺めが広がる絶景ポイントだった筈が、今は何も見えない。
 
 ここは地形的には峠に似つかわしくないが、登山者にとって良い休憩地点になっている。生憎の天候にも関わらずやって来た登山客が、おにぎりを頬張ったりして一息ついている。本当の峠らしい峠の夜叉神峠はどこかなどと、細かなことは言っても仕様がないように思えた。

夜叉神峠 (撮影 2008. 9.21)
 

峠に建つ夜叉神峠小屋 (撮影 2008. 9.21)
生憎の天候に関わらず登山客で賑わう
 北岳に登ろうなどというのは夢のまた夢で、この夜叉神峠に辿り着くのが精一杯といったところだが、せめて日本第二の高峰とやらをこの目で眺めてみたかった。それが叶わなかったのは残念だ。2002年に歩いて御野立所まで歩き、その時撮った景色がある(下の写真)。そこには雪を頂いた高い峰が連なっていた。そのどれかが北岳ではないかと思うのだが、今もって確信が持てないでいる。
 
 御野立所展望台からの眺め (撮影 2002.11.18)
雪を頂いた一番右端の山が北岳だと思うのだが・・・?
 
 昔、二度ほど訪れた広河原を久しぶりにまた訪れることができ、それなりに有意義な峠の旅だった。特に1991年9月初めて訪れた時に撮った写真と見比べると、とても懐かしい思いがする。あの頃はジムニーを使っての野宿旅を始めたばかりで、旅三昧の暮しだった。あんな時はもう二度と来ないだろう。そんな感傷に耽る、夜叉神峠であった。
 
  
 
<参考資料>
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 山梨県 2002年5月発行
 エスコート WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行)
 角川 地名大辞典 山梨県 (夜叉神峠、夜叉神トンネル、野呂川、南アルプス林道の項)
 芦安村のパンフレット(2002年に入手)
 
<制作 2011. 2.15><Copyright 蓑上誠一>
  
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