旅と宿

東京都大島町/伊豆大島・三原館
(掲載 2023. 7.30)

   

 東京都やその近県に住む者にとって、伊豆大島は比較的容易に島旅が楽しめる旅行先だ。 海路・空路の便が良く、適度に大きな島である。三原山や波浮の港などの観光地が豊富で、宿泊施設も数多い。詳細なガイドブックの類にも事欠かない。
 
 その伊豆大島については、ある古い思い出の断片が残る。私がまだ小学生になるかならない頃、当時東京都の職員だった父の職場旅行に、家族と共に連れて行ってもらった。 元町当たりの海岸に面したプールで泳いだり、ジープをチャーターして裏砂漠を見学したりした。 屋外で食べた昼食の時、何か歌えと言われたので、どこかで聞き覚えたお座敷小唄(富士の高嶺に降る雪も〜)を披露したら、大人たちが大笑いしたことなどが記憶に残る。 島のどこでも観光客で大賑わいであった。夜は旅館の大広間で大宴会が営まれたはずだ。 大人になってから、あの記憶に残る伊豆大島とは一体どんな所だったか、もう一度見ておきたいと思った。
 
 そこで、当時会社の同僚だった今の妻と計画し、金曜の会社の引け後、夜の竹芝桟橋から東海汽船のさるびあ丸(二代目)に乗船、奮発して一等船室で一泊した。 翌早朝、本町港に着くはずが、荒波の都合で岡田港に着岸、バスで元町に移動、やっと予約しておいたレンタカーを借りた。 その土曜日に民営の伊豆大島・国民宿舎に宿泊すると、食堂は満員の観光客でごった返していた。やはり値段の安さであろうか。 翌日の日曜も日がな一日レンタカーで観光し、拠点となる元町に戻り、市街地にある今回の宿に投宿した。翌日は月曜だが、ちゃんと有給休暇を取得してあった。
 
 その旅館は大島役場にも隣接していて、大島最大の市街地の只中にあった(地理院地図)。 ただ、宿の正面玄関に向かうと、玄関脇に立て掛けられた歓迎の札には、我々ともう一組の客の名しかなかった。 まあ、日曜の夜では観光客が少ないのも無理はない。翌朝分かったことだが、我々の他には仕事関係で泊まったような男性客が一人居るだけだった。
 
 宿は大島の中では比較的大きく、4階建のコンクリート造だった。紬を着て島独特の髷を結った女将さんが出迎えてくれた。こうした飾らない島の情緒を味わえるのは何よりだ。 部屋で食事を摂った後、暫くして風呂を案内された。4階にある温泉の露天風呂がゆっくり楽しめた。昨日の混雑した国民宿舎とは大違いである。 ただ、大きな館内が静まり返っているのは、やや寂しい気がした。

   

宿でもらったタオル (撮影 2023. 6.23)
その場では使わず、
20年以上経ったつい最近使い始めた

   
   

宿から元町港桟橋方面を望む (撮影 2000. 3. 6)
高台にあるので、眺望がいい
(宿泊した翌朝に撮影)

   
   

 翌朝は部屋で暫しゆっくりした後、宿を出立した。出がけに女将さんから椿の実の根付けをお土産に頂いた。最近まで持っていたはずだが、どこに行ったしまったろうか。 宿ではその女将さん以外に従業員には会わなかったような気がする。 レンタサイクルで大島空港まで行き、調布飛行場へと小型機で帰って行った。調布は羽田より自宅が近くて便利なのだ。 結局大島では、子供の時の記憶を思い起こされる様な光景には出会えなかった。当時は団体旅行がまだまだ盛んな時代で、社員旅行や親戚一同うち揃った団体客がどっと押し寄せていたことと思う。 私が一人で旅をするようになった頃には、それも下火になっていた。 ある程度成長してからは、親戚などと一緒に旅行するなど嫌で嫌でたまらなかったが、今になってみると、そうした時代が懐かしい気がする。

   

領収証 (撮影 2023. 6.23)
一泊一人12,000円に消費税と入湯量

   
   

 2018年2月に、夫婦で再び伊豆大島を4泊5日でゆっくり旅してみた。高速船が就航していて、とても気軽に行けるようになっていた。 ホテル白岩に2泊、大島温泉ホテルに2泊した。どちらも大島では古くからある知られた宿だが、やはりやや建物の老朽化は否めなかった。 前回行けなかった裏砂漠が見られたのは収穫だったが、子供の頃の記憶とはどこか違っていた。
 
 その旅の途中、以前泊まった宿の場所に行ってみた。すると、大きな駐車場にと生まれ変わっていた。 改めて考えてみると、子供の頃の淡い記憶から、伊豆大島に昔し懐かしいノスタルジックな雰囲気を期待していたのかもしれない。 しかし、こうして現実を前にすると、ただただ時の流れを感じるばかりだ。日本中が団体の旅行客で賑わっていた時代があったことなど、まるで幻のようだ。

   

かつて宿があった場所 (撮影 2018. 2.19)
駐車場になっていた

   

2000年3月5日(木)
伊豆大島・三原館泊

   
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