「旅と宿」について
旅先で泊まる旅館やホテルは、旅の楽しみの一つとなる大きな要素だ。一日色々な観光地を巡り、夕暮れになって予約した宿に辿り着く。
部屋に入って浴衣に着替え、暫しのんびりくつろぐ。頃合いを見計らって温泉にゆったり浸かり、その後は豪華な夕食が待っている。
選んだ宿の良し悪しが、旅全体の良否にも直結する。
ところが、私にとって旅先で泊まる宿は、その多くの場合、悩みの種でしかなかった。どんな宿だろうが、そんなことは全く構わない。
とにかくその日、どこでもいいから泊まれる場所が確保できるかどうか、それが大問題であった。
日中はバイクや車を走らせ、勝手気ままな旅をする。気の向くまま、あっちに行ったりこっち来たり。よってその日の終りに自分が何処に辿り着くかは、その時になってみないと分からない。
特に険しい峠を旅する場合など、道が通行止で越えられない事態に遭遇することも多い。大きな山脈を越えた先に出る積りが、想定とは全く違う場所に向かうことになる。
それでも午後3時頃にはある程度の地域は絞られる。その付近で泊まる場所を確保しなければならない。
今ならネットが発達し、宿の検索や空き室の有無の確認などは用意になった。しかし、以前は宿泊ガイドや観光案内などの冊子を頼りに、とにかく電話をするしかない。
しかも、まだ携帯電話がない時は、必死になって公衆電話を探すことから始めなければならなかった。
その証拠に、今でも時々夢に見る。どこか知らない旅先で、もう日が落ちてしまっている。泊まる宿の当ては全くない。寂しい街中をさまよい、ビジネスホテルでもないかと探し回る。
人通りも絶え、道を聞く相手さえ見付からない。鉄道の駅にでも行けば、何か情報が得られるかと思うのだが、どの方角に駅があるかも分からない。
万事休すかと思って目が覚める。旅が楽しかったなどという夢より、旅先で困っている夢ばかり見る。
こうした宿の問題の解決策として、「野宿」という選択肢も用意した。「サラリーマン野宿旅」にそのことを紹介している。
50歳を過ぎてからはさすがに体力的に無理があり、とっくに野宿は卒業したが、生涯で100数10回の野宿を経験している。
野宿は野宿なりに苦労はあるが、宿の人間との関わりがない分、気楽ではある。
困るのは、中途半端に街中で夕暮れを迎える時だ。まさか住宅街の中で野宿することはできない。緊急の場合、人家の目の前で車中泊したことはあるが、不審者に間違えられかねない。
野宿地を探すということはそれなりに難しい。
これが大きな地方都市なら、当日でも比較的容易に予約できるビジネスホテルなどが期待できる。しかし、中途半端に栄えた街だと、ホテルや旅館そのものがとても少ない。
特に、私が旅三昧の暮らしをしていた30数年前頃から、地方の小さな旅館やホテルがどんどん閉鎖されて行くようになった。最近は豪華な宿ばかりが流行っている。
やや残念な気がする
また、やっと宿の予約が取れても、そこに辿り着くのが一苦労だった。初めて旅する場所が多く、土地勘が全くない。電話で宿の者から道順を聞いても、なかなか要領を得ない。
今ならカーナビがある。何て便利な世の中になったことかと思う。
ツーリングマップルなどの縮尺の粗い地図を頼りに、宿探しいに奔走する。宿にやっと辿り着いた時は、もうヘトヘトである。
このホームページ「旅と宿」では、私が宿に泊まった時の経験談を徒然に記している。ほとんどが苦労話しだが、今となってはいい思い出である。
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