旅と宿  No.004

石川県金沢市/ホテル・キバヤシ
(掲載 2023. 7.30)

   

 「ホテル・キバヤシ」。ちょっと変わった名前なので、30年近く経った今でもよく覚えている。しかし、どこにあった宿だったか、思い出すのには少し時間がかかった。 そこは石川県の金沢市であった。調べて見ると、平成7年に初めて泊まってから、数年の間で合計6回利用している。全て会社の出張だったが、何しろ大観光地の金沢である。 出張と抱き合わせで金沢市街や能登方面などにも出掛けたので、半分は旅行目的だったと言える。
 
 当時勤めていた会社の旅費規定では、交通費は実費精算で、日当と宿泊費は何に使おうと、どこに泊まろうと、出張日数と宿泊回数に応じて一定額が支給された。 よって、出張中の食事や宿泊代を節約すると、その分、お金が余る仕掛けになっていた。 そこで、出来る限り安い宿を探すこととした。出張先は会社の関連会社で松任(まっとう)市にある。現在は白山市になっいる。最寄り駅は北陸本線の松任駅だ。 しかし、松任駅周辺にはあまり安い宿がない。そこで金沢市街を探した。半日程度の仕事でも、東京からだとどうしても1泊必要になる。 交通費は実費なので、羽田空港から小松空港まで空路を使う。まだ、北陸新幹線は通じていない。小松空港と金沢駅の間はリムジンバスが繋いでいる。 一度松任駅を通り越すことになるが、これは仕方ない。よって、金沢駅周辺で宿泊しても、何ら支障なかった。
 
 さすがに大都市金沢なら宿は選び放題だ。宿泊情報を探してみると、それはあった。「ホテル・キバヤシ」。料金はシングル2,900円〜3,600円。駅から徒歩3分の至近。 これを凌ぐ宿は他にはないだろう。テントに泊まって旅をするくらいなので、部屋の良し悪しなど、全く考慮する必要はない。人との関わりが苦手なので、ビジネスホテルの形態でさえあればいい。 予約の電話を入れると、直ぐに取れた。その後も満室などで断られたためしはない。

   
   

 そのホテルは金沢駅の賑わう南口側にあり、本当に歩いて直ぐだった。駅から南東方向に延びる幹線路から、ちょっと路地裏に入った小さいビルが立ち並ぶ一角にあった。 記憶は確かではないが、道沿いから狭い階段を上った2階に、小さなフロントがあったように思う。

   

ホテルの外観 (撮影 1997. 7.19)
手前が駅から続く幹線道路側

   
   

 部屋は案の定、狭かった。しかし、テントの中に比べれば天国である。明かりが灯り、トイレ・洗面所があり、テレビも見れる。普通のビジネスホテルで十分満足なのだ。 窓からは隣のビルが見えるだけだが。昼間の明るい内は出掛けているので関係ない。それでも私が経験した宿の中では一番狭かったかもしれない。金沢駅至近という立地から、これは仕方ない。 夕食や朝食は駅のコンビニやスーパーで買って来た物を部屋で食べた。当時、レストランや街中の飲食店に入るという習慣はなかった。 全く食事には無頓着で、アルコールも飲まない。そこまでしてお金を溜めようという意識があった訳ではなく、ただただ飲食にお金を使うのが無駄に思えていたからだ。 それにホテルの一室で一人で食べた方が落ち着く。人に飼い慣らされた猫や犬なども、狭い場所を好むようだが、人間にもそうした本能が残っているのではないだろうか。 まわりを壁に囲まれて誰からも干渉されることなく、ベッドの上であぐらをかいてテレビでも見ながら夕食を摂り、シャワーを浴び、本でも読みながら夜を過ごす。旅先でもいつもこんなものだった。

   

ホテルの一室の様子 (撮影 1999. 6.16)
今夜は337号室

   
   

 宿泊代は、さすがに宿泊情報(JTB)通りという訳にはいかなかったが、格安であることは間違いなかった。初回に泊まった時は、素泊まり3,900円であった。 これで3%の消費税を含んでいたのだろう。消費税が5%になってからは4,090円になっった。多分、3,900円に消費税195円だが、5円おまけということかもしれない。

   

領収証 (撮影 2023. 6.24)
2回目に泊まった時のはなかったが、
よく取って置いたと思う

   
   

 出張旅費を節約するという積りはないが、それでも余った資金は有効に使わせてもらった。折角、大観光地の金沢に来ているのだ。出張に抱き合わせで、観光しない手はない。 茨城県の偕楽園、岡山県の後楽園に並ぶ日本三名園の一つ、石川県の兼六園はこの金沢市街にある。金沢城も近い。また、ちょっと足を延ばせば能登半島見物もできない相談ではない。 しかし、これを可能にするには、ある策略が必要であった。出張先での仕事を極力金曜の午後に設定することだ。 午前中は移動で、午後に相手先で打合せ、その日は宿泊して翌土曜の休日は移動日とする、と会社に申告するのだ。移動だけの土曜は出勤扱いにはならず、よって残業手当は出ないが、出張の日当だけは付く。 会社にとっても、私にとっても、悪い話ではない。いわゆる、ウィン・ウィンの関係である。 これで、土日の2日間たっぷり観光し、日曜の夜にまた小松空港から帰って来るのだ。ただ、仕事の相手があることなので、必ずしも思い通りの日程とはならなかったが、まあまあこの手は成功した。 金沢駅にある観光案内所から観光パンフレットを手に入れて来ている。自分の車はないので、ここは一つ定期観光バスを利用するのがいい。 ホテルの一人の夜は、明日からの観光スケジュールを立てるのに忙しいのだった。

   

兼六園の園内の一部 (撮影 1995.11. 4)
定期観光バスで金沢市街を見学

   
   

なぎさドライブウェイ (撮影 1995.11. 4)
定期観光バスで走った

   
   

立山ロープウェイから見る黒部湖 (撮影 1995.11. 5)
この日は富山側から立山黒部アルペンルートを越えた

   
   

真浦海岸 (撮影 1999. 3.27)
ホテルニューまうらに宿泊

   

 今考えてみても、30代、40代の働き盛りは、活発に行動していた。初めて訪れる石川県松任市の地で、初対面の取引相手と仕事の交渉をしなければならない。 先方は部長クラス以下4、5人が会議のテーブルに着いた。こちらは一人でこれから依頼する少し大きなプロジェクトのプレゼンをし、相手を納得させなければならない。 その翌日は、金沢駅発の定期観光バスで市内各所の名所やなぎさドライブウェイ方面まで出掛けた。夕方更に富山に移動して一泊、次の日には立山黒部アルペンルートを越えている。 雪原の室堂平や黒部湖を眺めた。またある時は、能登半島も先端に近い真浦行きの観光バスで終点まで行き、真浦に一泊、翌日は一般の路線バスなどを使って輪島の朝市を見学したりしながら帰って来た。 身体は丈夫な方ではなかったが、それでも思うがままに活動できていた。
 
 
 その後、石川県付近は車でも出掛けたが、大都会である金沢市街は苦手で、あまり寄り付かなかった。最近、東北新幹線が開通したので、それを使って久し振りに金沢に行ってみることとした。 市内に3泊し、主に路線バスを使って金沢市街を隅々まで観光した。この金沢についてはある一つのイメージを持っていた。 井上靖の小説で自身の幼少年期を題材にした『しろばんば』、『夏草冬濤』、『北の海』の3部作があるが、それが好きで何度も読み返した時期がある。その中の『北の海』で、金沢市が舞台として登場する。 その小説の影響で、何となく金沢の街中では四高の学生が下駄を履き、マントを羽織り、学生帽を被り、肩で風を切りながら闊歩しているような気がしていた。 現代にまさかそんな光景は見られないにしても、街の中にそんな古き良き時代の面影が残っているあるのではないかと期待したのだが、やはり金沢は大近代都市であった。 金沢城に隣接する四高記念公園をぶらぶら散策し、かつて見た学生の銅像を眺めるだけだった。

   

石川四高記念公園内に建つ銅像 (撮影 1995.11. 4)

   
   

 その金沢観光の途中、出張でよく泊まったあのホテルの事をふと思い出し、その場所に行ってみることとした。何しろ古い話で、全く所在地を覚えていない。 それに新幹線が開通したりして金沢駅は大きく変わってしまった。駅前に鼓門(つつみもん)という大きなモニュメントも立っている。 ちょっと古い観光ガイドマップなどを頼りにその場所らしき所を探してみると、ビルはなくなりポッカリ空間ができていた(地理院地図)。 跡地は駐車場になっているらしかった。 何かしら当時の記憶を思い起こさせる様なものが見られるかと期待したが、無駄であった。

   

この奥にホテルはあった (撮影 2019.12. 9)
今は駐車場になっているらしい

   
   

ホテル近くより金沢駅方向を見る (撮影 2019.19. 9)
正面に鼓門が見える
この道を何度も往復した筈だが、
当時とは全く違ってしまったようだ

   

 いつの間にか長い月日が経っていた。私の身体ももう言うことをきかず、思い通りのことができない。何をするにもまず自分の体調との相談だ。 既にリタイアして自由になる時間はたっぷりあり、資金的な余力もそれなりにできた。若い時のように仕事の合間に忙(せわ)しく旅をする必要はない。 「さあ、これからは旅三昧の日々だ」と思ったら、気付いてみると病院通いの日々を送っている。人生、うまく行かないものだ。
 
 ところで、「キバヤシ」とはどういう意味だろうか。金沢市街にある地名か、あるいは北陸地方にある苗字かとも思う。「木林」とでも書くのだろうか。 ちょっと調べてみたが、よく分からない。ただ、仕事と遊びに忙しく動き回っていた若い時の思い出と共に、深く記憶に刻まれた名ではある。

   

1995年11月 3日(金)
1997年 7月18日(金)
1999年 2月28日(日)
1999年 3月26日(金)
1999年 5月12日(水)
1999年 6月15日(火)
ホテル・キバヤシ泊

   
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