旅と宿  No.006

岩手県旧湯田町/湯田薬師温泉・中山荘
(掲載 2023. 8.10)

   

 2008年の年末から2009年の年始に掛け、東北地方を旅した。 その折、5年ほど前に泊まったことがある湯田薬師温泉の近くを通ったので、その時の山中荘は今はどんな様子かと思い、気まぐれにちょっと立ち寄ることとした。 岩手県湯田町(現西和賀町)の錦秋湖に注ぐべく南流する和賀川に沿って県道(1号・盛岡横手線)が通じるが、湯田薬師温泉はそこより外れた山の中にあり、ちょっと見付け難い場所になる。 湯田町の中心地・ほっとゆだ駅のある川尻から湯本方面へと、県道とは反対側の和賀川右岸を小さな峠越えの道が通じる。 湯田薬師温泉はその峠より分岐する道のほとんど行止りに位置する(地理院地図)
 
 今回は湯本方面よりその細い峠道に入った。折しも前回と同じく雪の季節である。1.5車線幅のアスファルト道路の両側は雪だらけで、尚更狭く感じる。しかし、除雪はしっかり行われていた。 今の車社会では快適な県道を通る方が便利だが、かつて移動をもっぱら徒歩や牛馬に頼っていた時代、大きく湾曲する和賀川沿いをショートカットするこの2.5Km程の峠道は、重要な生活路だったことと思う。 その道沿いに湯田薬師温泉はある。
 
 いよいよ峠の切通しに差し掛かったが、肝心な分岐がない。よく見ると、「湯田薬師温泉」という案内看板は立つ。しかし、宿へ通じる道が全く除雪されていないのだ。これでは車は入れない。

   

峠に差し掛かる (撮影 2009. 1. 4)
左手に分岐がある筈なのだが

   
   

湯田薬師温泉への案内看板は立つ (撮影 2009. 1. 4)

   
   

宿への道は雪で通行止 (撮影 2009. 1. 4)

   

 何か場所を勘違いをしているのかと思いながら峠を過ぎると、左手の崖の上に何棟かの建物が雪の中に佇んでいるのが林の間から覗いた。確かあそこが湯田薬師温泉である。 丁度、私たちが泊まった部屋のある棟が見えているようだ。あの宿はもう営業していないのだろうか。

   

崖上に湯田薬師温泉の建物が見える (撮影 2009. 1. 4)

   
   

 あれは5年前。平成15年(2003年)の年末を雪深い東北で雪を見ながらの露天風呂を楽しもうと3泊4日の旅に出た。 初日、東北道を走っている内は雪はほとんど見られなかったが、北上ジャンクションから秋田道に入った途端、辺りは雪景色に変った。久し振りに体験する雪である。 北上西インターチェンジで自動車道を降り、国道107号に乗り換えて湯田町に入る頃には、空からも雪が落ち始めた。 普段、雪道に慣れていない者にとってはちょとした降雪でも視界が利かず、まるで吹雪の中を進むようで恐ろしい程だった。
 
 この日は前もって湯田薬師温泉に宿を予約してあった。旅の初日は移動に長い時間が取られることが多く、また目的地がはっきり決められるので、あらかじめ宿を予約しておくことが多い。 特にこんな雪の荒天では、今夜の宿が確保されているというのは安心感がある。湯田町では湯本温泉などの方がよく知られ、宿も多い。一方、湯田薬師温泉の宿は一軒だけである。 湯本温泉は街中に温泉宿が点在するのに対し、湯田薬師温泉は野中の一軒宿となる。雪見露天風呂を楽しむなら、断然湯田薬師温泉であろう。 ただ、本当は値段の安さで湯田薬師温泉の方を選んだのだが・・・。
 
 当時乗っていた車はトヨタのフルタイム四駆のキャミで、勿論スタッドレスを履いていた。湯本温泉方面から登った狭い雪の峠道も何の不安もなかった。 峠からは更に東へ進む狭い分岐を400m程進むと、右手に広い敷地が広がった。その敷地を取り囲むように何棟かの建物が連なっている。それが湯田薬師温泉であった。 先程まで降っていた雪は止んだが空は相変わらずどんよりと曇っている。雪に囲まれて佇む宿は大きいばかりで人の気配が感じられない。 敷地内に進むと右手の建物の一角に大きなガラス張りの玄関ホールがあった。そこから温かみのある明かりが漏れていた。

   

湯田薬師温泉の全景
宿泊した翌日の撮影
(撮影 2003.12.28)

   
   

敷地正面の建物
多分この2階の角部屋に宿泊した
(撮影 2003.12.27)

   
   

湯田薬師温泉を入口方向に見る
左手が玄関
(撮影 2003.12.27)

   
   

玄関の様子
暖色の明かりが灯る
(撮影 2003.12.27)

   
   

玄関ホール
「歓迎」の札には私たちの名もあった
(撮影 2003.12.27)

   
   

 宿は幾つもの棟が渡り廊下でつながった複雑な造りになっていた。多分、徐々に建て増しを繰り返したのだろう。こうした迷路のような宿は、嫌いではない。 係りの人に案内されるがまま、玄関ホールから廊下を歩き、角を曲がり、階段を昇り、なかなか長い。ちょっとした探検気分である。私たちの部屋は111号室だったと思う。 多分、敷地正面に立つ2階建の建物の2階にある角部屋だった。館内の案内看板では部屋番号は101号から111号、301号から321号まであったようだ。
 
 案内された部屋は8畳の和室で、入口横に僅かばかりの床の間があり、反対側の南に面した窓際に小さな広縁、あとは押入れがあるだけの簡素な部屋だった。 建具はふすまと障子で、古典的な日本旅館の趣である。 最近でこそ私の宿の趣向は贅沢になり、必ずトイレと洗面所が付いていて、できればベッドのある広い和洋室を好むのだが、当時は部屋の良否など全く関心がなかった。 かえってこうした純和風の部屋もひなびた温泉宿の雰囲気があり、俗世間から離れて湯治でもしている気分が味わえるというものだ。

   

部屋の様子/入口側
(撮影 2003.12.27)

   
   

部屋の様子/窓側
(撮影 2003.12.27)

   
   

 それでは夕食前に一っ風呂と浴衣に着替えて部屋を出た。風呂場は渡り廊下を伝って更に奥の棟にあるようだった。この宿には露天風呂があることになっている。 絶好なことに宿の外はなかなかの積雪で、ちらちらとまた雪が舞い始めてきている。ところがどういう訳か肝心な露天風呂が見当たらない。 館内をうろうろした挙句、やっと食堂で見掛けた従業員に聞いてみると、本日は使えないとのこと。清掃中とか故障中とかということではなく、そもそも冬期は露天風呂閉鎖であるらしい。 仕方なく内風呂の窓から雪を眺めることとなった。旅の目的の雪見露天風呂は早くも挫折の憂き目にあった。明日以降の宿に期待だ。
 
 夕食は食堂に用意されていた。今夜の泊り客は私たちのような個人客以外にも同窓会などの団体客があるようだった。しかし、食堂には私たちの他に老齢の女性客が一人居るだけである。 団体客は大広間で宴会の真っ最中らしい。宿の従業員はそちらの対応に没頭していて、こちらの給仕はおろそかである。食堂は寒く、早々と食事を切り上げて部屋に戻った。

   
   

部屋の前の廊下の様子
(撮影 2003.12.28)

   

一階の廊下の様子
部屋は暖房されているが館内は寒い
(撮影 2003.12.28)

   
   

 食事が終われば後は自室に籠ってテレビでも見ながら就寝時間を待つばかりだ。雪に閉ざされた野中の一軒宿では他に何もやることはない。 寝具はこれもいたって普通の布団である。予め部屋にシーツと枕カバーが用意されていて、あとは自分で押し入れから布団を出し、自分で敷くシステムとなっていた。 普段から自分の身の回りのことは自分でするという習慣ができているので、こうした宿での布団敷きも苦にはならない。
 
 ところが、敷布団を出して敷いてみると、大きなシミが目に付いた。明らかにおねしょの跡だ。いわゆる「世界地図」である。この上にシーツを被せるとはいえ、ちょっと気持ち悪い。 押し入れにはまだ幾枚もの敷布団が積んであるので、別のを出してみた。しかし、それにもおねしょの跡。結局全ての敷布団を引出してみたが、全滅であった。 少しでも被害がない物をと選んではみるものの、どれもどんぐりの背比べである。長年この地で宿を営んで来た苦闘の跡であろう。湯田薬師温泉の経営はなかなか苦しいようだ。 まあこれも湯治宿の味わいの一つかもしれないと諦めた。就寝前にまた風呂に行った。

   

寝床の様子
(翌朝目覚めた時)
シーツの下にはおねしょの跡
(撮影 2003.12.28)

   
   

 夜は深々と雪が降り続いたようで、翌朝目覚めて窓のカーテンを引くと、外は一段と積雪が増していた。軒先からは大きなツララが吊り下がっている。 部屋の中は暖房が利き、夜中も全く寒さを感じなかったので、尚更屋外の冬の厳しさに驚いた。窓から乗り出して東の方を見ると、幾棟かの建物が渡り廊下で繋がっているのが分かる。 その一番奥の木造らしき建屋が露天風呂だったのではないか。それにしても残念であった。

   

軒先に垂れ下がるツララ
(撮影 2003.12.28)

   

部屋の窓より東方を望む
一番奥の建屋が露天風呂か?
(撮影 2003.12.28)

   
   

 朝湯を楽しんだ後、朝食を畳敷きの大広間で摂った。8時を過ぎていたがまだ誰も来ていなかった。食事はテーブルに16人分用意されている。それが昨晩の宿泊客の人数であろう。 食事の内容はと見ると、純和風のごはんである。普段、食事に関してほとんど不満を言わない妻だが、それでも若干物足りなさそうであった。確かに質素ではある。 一方、私は粗食小食を旨としているので、何ら不満はない。

   

朝食時の様子
(撮影 2003.12.28)

   

朝食の膳
これに温かい味噌汁が添えられた
(撮影 2003.12.28)

   

 余談だが、数年前に大腸炎で緊急入院し、最初の3日間を絶食することとなった。その間の栄養と薬剤は点滴で賄われた。 おなかが空くでしょうと看護師に言われたが、空腹に悩まされることなどなかった。かえって食事をする手間が省けていいくらいに思っていた。 絶食開けは味のない重湯から始まったが、それでも十分美味しいと感じ、食べることの満足感さえ覚えた。 病院食は味が薄くて食べられた物じゃないとよく言われるが、普段から薄味に慣れているので、その後に出された食事も皆美味しく完食できた。
 
 日頃、妻が食事に出してくれる豆腐は、近くのスーパーで売っている一番安い水っぽい豆腐だ。ちょっと前までたっぷりの醤油とおろし生姜の味付けで食べていた。 元々濃い味好みの父の血を引いている。父は入院すると病室の戸棚に海苔の佃煮を隠し持っていて、看護師に見付かっては怒られていた。私も今だに味の濃い食事は嫌いではない。 それが遂には水っぽい豆腐でも何も付けずに食べれるようになった。舌の上で豆腐をゆっくり潰しながら喉へと運んで行くと、ほんのりと豆腐本来の味が感じられ、これがなかなかいい。 私には増々薄味耐性が備わって来たらしい。これでまたいつ入院しても大丈夫だ。
 
 朝食を摂っていると、他の泊り客も三々五々やって来て食事を始めた。朝からお酒の入った赤ら顔の男が一人居て、湯治に来ていたらしい女性に執拗に話し掛けている。 女性はやや迷惑そうにしながらも応対をしている。こんな光景もこうした宿以外ではなかなか見られない。

   

 朝食後は直ぐにチェックアウトした。宿泊代は一泊二食付きで一人7,500円ぽっきり。それに暖房費というのが追加されるが、一部屋について525円とリーゾナブルな設定だ。 これで部屋では何の寒さも感じることなく一晩過ごせるのだ。暖房費は500円に消費税5%という計算だろうが、一方、宿泊代7,500円はそれで消費税が含まれていたらしい。 これだけは期待通りだった。

   

宿代の請求書と箸袋
(撮影 2023. 7.30)

   
   

 朝食もそこそこに早々とチェックアウトしたのには訳があった。昨夜の降雪でキャミが雪に埋もれているのだ。まずはその雪を何とかしなければ、本日の旅が始められない。 雪下ろしなど普段やり慣れない作業である。10分ほど掛けて慎重に雪を除き、やっと旅の再開だ。東北の空は今日もどんより曇り、先程からまた雪がちらつき始めている。 キャミに乗り込み地図を見ると、宿より更に奥に神社があることになっている。その神社へ続く狭い雪道には既に車の轍の跡があった。それを頼りに神社参りする。 雪に埋もれた寂しい薬師堂が本日最初の観光地となった。

   

雪に埋もれたキャミ
(撮影 2003.12.28)

   
   

 2009年1月に立ち寄った時、雪に閉ざされている湯田薬師温泉を目撃したが、既に2007年11月には閉館していたそうだ。 今後も冬の積雪時に宿への道が除雪されることはないだろう。それにもう雪見の露天風呂は湯田薬師温泉では叶わない。あの薬師堂にも近付きにくくなった。

   

温泉の奥にある薬師堂
(撮影 2003.12.28)

   
   
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