旅と宿
No.011
初めての「かんぽの宿」 |
<かんぽの宿> |
かんぽの宿・焼津 |
更に宿の設備がどこをとっても申し分ない。部屋も充分広いが、玄関や洗面台、トイレといった付属のスペースが広くゆったりした造りになっている。自宅の洗面台もこんなに広ければ良かったのにとつくづく思わせる。
電気ポットや冷蔵庫、浴衣、などの備品もしっかり揃っている。フロントやそれに続くエントランスなどの共用スペースも豪華だ。しかも、そうした宿の質がどこのかんぽ宿に泊まっても一定レベル以上を維持している。
例えば同じ公営の宿でも国民宿舎は宿によって全く質が異なる。まず公営の国民宿舎か民営かで違う。一般に公営の方が質が高いように思う。妻はいつも公営に拘っている。
よって国民宿舎に予約を取る時は念入りに宿の内容を調べることになる。一方、かんぽの宿は所在地さえ分かれば他に何も確認する必要がない。予約さえ取れればいつもの快適な宿泊が約束されていた。
かんぽの宿の会員になると宿泊の予約時などで便利なので、私たち夫婦も遅ればせながら平成27年(2015年)より会員になっている。その後のスタンプ帳には23個のスタンプが押されている。
同じ宿に複数回泊まったことがあり、会員になる前も何度か利用しているので、かんぽの宿に泊まったのは合計で30回前後になるだろう。 |
かんぽの宿・焼津 |
かんぽの宿はその質の高さの割に値段が安いとは言え、普通に一般にある旅館やホテル並みの料金は取られる。夫婦でかんぽの宿を好んで泊まるようになったのは、せいぜいこの10年くらいなものだ。
それまでは宿の質など二の次で、とにかく安ければ民営の国民宿舎でも何でも泊まっていた。20年程前、佐渡島を旅行して3泊したが、全て島内にある国民宿舎に泊まった経験がある。
毎日同じような食事でさすがにやや閉口した。更に古く一人で野宿旅などをしていた頃は、そもそも滅多に宿には泊まらなかった。
たまに旅館やホテルを利用する時も、泊り客のほとんどが作業着姿の男性で駐車場には屋根に梯子を乗せたワンボックスカーやトラックばかりが停まるいわゆる商人宿だ。
また、こんなところにホテルがあったのかと驚かされる場末の雑居ビルのビジネスホテルなどであった。ところが、もう30年以上も前になるが、一度だけかんぽの宿に泊まった経験があるのだ。
しかも、そこがかんぽの宿であるということを知らず、そもそも世の中にかんぽの宿というとても豪華なホテルがあるという認識も持ち合わせていなかった。 |
かんぽの宿・焼津 |
それは、3度目に勤めた会社もあっさり辞め、次の就職先を決めないまま旅三昧の日々を送っていた時期のことだった。1992年の秋に西日本を17日間旅をし(西への長い旅)、その13日目は兵庫県内の山中をさまよっていた。
秋の日は釣瓶落とし言うが、日の暮れるのは思いの外早い。午後も3時頃になればもう今夜の宿の心配をしなくてはならない。
前回ホテルに泊まってから野宿泊が既に4回続いていた。その間、風呂にゆっくり入ることはなく、服も着の身着のままだ。テントの中でも急な事態に直ぐに行動できるようにと夜も服を着て寝る。
下着も前回いつ取り換えたかハタと記憶にない。身体的にも精神的にも今夜あたりはしっかりした宿に泊まってぐっすり眠りたいものだ。 |
ずっと後になって分かったことだが、そこはいわゆる「かんぽ宿」であった。正式には簡易保険加入者福祉施設という長い名称になる。
その種類はいくつかあり、宿泊を主にした施設が簡易保険保養センターで、かんぽの宿と言うとほぼこれを指す。
一方、峰山高原にあったのは簡易保険総合レクセンターと呼ばれ、スポーツやアウトドアを楽しむ施設を備えていて、勿論宿泊もできる。
調べてみると、沖縄に那覇レクセンターというのがあるそうだ。2014年9月発行の「かんぽの宿ガイドブック」では既にレクセンターはそこのみになっていた。
かんぽの宿は基本的には簡易保険の加入者を対象とした施設だが、一般の者もほぼ何の制約なく利用することができた。 |
満腹した後は風呂に出掛けた。この宿では「トロン温泉」と言うらしい。浴室に入ると誰も居ない私だけの貸切であった。他の泊り客は食事前に済ませてあったのだろう。スポーツで汗をかいた後は何を置いても風呂である。
浴室はジャグジーやらサウナやら、湯船も複数ある豪華な造りだ。洗い場も多く設けてある。かんぽの宿は男性用、女性用の区別なく風呂の施設は充実している。
夫婦で好んでかんぽの宿を利用した理由の一つがこの風呂の良さである。古い温泉旅館などでは、広い男性用の風呂に比べ、女性用は家族風呂並みに狭い時があった。 |
宿泊した翌朝に撮った宿の遠景写真 |
思えばこれが初めての「かんぽの宿」の経験になる。次に利用したのはそれから10数年後、かんぽの宿・焼津に泊まった時だったかと思う。
宿があった峰山高原は兵庫県下屈指の高原で、第2次大戦前は旧陸軍の軍馬放牧場として利用されたそうだ。戦後は一時期、開拓地としても開かれた。
そこに簡易保険総合レクセンターが開設されたのは昭和51年(1976年)秋とのこと。各種スポーツ施設やキャンプ場などのアウトドア施設が併設され、峰山高原は観光地として生まれ変わっていった。
そのかんぽの宿はもうとっくになくなってしまったが、元の建物を利用して今はリゾートホテルが営業しているらしい。
去年には全てのかんぽの宿が姿を消した。もうあの質の高い宿をリーズナブルな価格で泊まれなくなったのは、やはり残念なことだ。 |
1992年10月19日(月) |
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