旅と宿 No.018

2食付き5千円の格安宿に泊まる
徳島県旧山川町/阿波山川温泉保養センター・ふいご荘
(掲載 2024. 3.23)

 

<ふいご温泉>
 ふいご(鞴)と言えば、私たちの世代では「しばしも休まず鎚打つ響・・・」、で始まる文部省唱歌「村の鍛冶屋」を思い起こす。この歌の中にその「ふいご」が登場する。 炉などに空気を送る道具のことだ。ふいご温泉の名は、近くにあった名越鉱山(なこしこうざん、川田山鉱山とも)で銅鉱が産出され、その精錬に人力によるふいごが使われたことに由来するとのこと。 単に鉱山に関係するだけなら名越温泉とか川田山温泉などでよかったのかもしれないが、それではあまり人の記憶に残らない。 ふいご温泉なら一度聞けば直ぐ覚えてしまう。どのような経緯で命名されたか知らないが、なかなかいいネーミングのセンスをしていたと思う。
 
<吉野川下流域>
 この温泉があるのは、四国は徳島県の山川町(やまかわちょう)、現在の吉野川市山川町になる。四国三郎の異名を持つ吉野川を、徳島市で紀伊水道に注ぐ河口より40キロ弱遡った地である。 「三郎」とは関東の坂東太郎(利根川)、九州の筑紫次郎(筑後川)に次ぐ川であることを示している。四国を代表する大河だ。 この付近の吉野川は四国山地と讃岐山地という大きな2つの山地に挟まれた広々とした谷間をゆったり流れる。山間部の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)などの渓谷もいいが、この伸びやかな川の景観も楽しい。

 

広々とした吉野川の河川敷
吉野川市・阿波市付近
(撮影 2005. 5. 5)

 

 付近には見所も多い。吉野川に架かる沈下橋を体験したり、阿波町(阿波市)の「阿波の土柱(どちゅう)」を眺めたり、脇町(美馬市)の卯建(うだつ)の街並みを見学したり、観光には事欠かない。 また、四国山地や讃岐山地を越えて幾筋もの峠道が通じ、そうした峠越えの起点にもなる。

 

阿波の土柱
旧阿波町にある景勝地
(撮影 1998.12.27)

 

<宿探し>
 一方、この地域には手軽に泊まれる宿があまり多くない。今は合併して市になっているが、以前は山川町、阿波町、穴吹町、脇町など、町ばかりであった。 徳島市街まで戻れば、さすがに県庁所在地だけあり、安いビジネスホテルなど宿は選び放題である。しかし、折角景色のいい所に居るのなら、このままその地に宿泊したいものだ。 これが一人旅なら最後には野宿という手もある。しかし、今回は結婚前の妻と一緒の旅行を計画していた。女性同伴となるとそれなりの宿を選ばなければならなず、さりとてあまり費用も掛けたくはない。
 
 いろいろ思案している中、ツーリングマップに「ふいご温泉」という文字があるのが目に止まった。宿泊情報(西日本編、1992年春〜夏号、日本交通公社)で調べてみると、宿泊料金が4,600円と格安だった。 実際にはその時(1998年12月)は1泊1人5千円と上がっていたが、素泊まりなどではなく、これで2食付きの値段だ。 当時、消費税が3%とから5%に引き上げられたばかりだったと思うが、その消費税も含まれていてこの値段だ。他に入湯税を払うこともなかった。全て込み込みで5千円なのである。

 
 

宿の領収証
2人で合計1万円
室名は「梅」
(撮影 2024. 3.17)

 

<ふいご荘>
 今だかつて、こんな安い宿に泊まったことはない。古くて狭いビジネスホテルの素泊まりなら4,000円前後で利用したことはあったが、2食付きの温泉旅館としては破格である。 これまでふいご温泉は公営の国民宿舎で、それで安いのかと思っていた。国民宿舎なら公的な補助を受けられる。しかし、今回領収証を調べてみると「阿波山川温泉保養センター・ふいご荘」となっている。 どこにも「国民宿舎」の文字が見当たらない。純粋に町営の施設であったようだ。町の努力で低価格を実現していたらしい。
 
 ただ、平成12年(2000年)頃にこの宿は第三セクターの(株)ふいご温泉に移管され、2度目(2008年1月)に泊まった時は更に民間企業の経営になっていた。 宿泊料金も変わって行ったが、それでもまだまだ低価格を維持していた。ただ、「ふいご荘」という名はもう見られなかった。
 
 ここでは少し古い町営時代の宿の様子などを掲載するもので、最近のふいご温泉とは異なっている。

 
 

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<宿へ>
 今回の四国入りは、その年(1998年)の4月に併用を開始したばかりの明石海峡大橋を利用することにした。前年まではまだ明石フェリーを使っていたのだが、便利になったものだ。 小学生の時に一度だけだが宇高連絡船に乗った記憶がある。その後、瀬戸大橋、しまなみ海道と次々に四国への陸路が誕生し、隔世の感があった。 旅の初日は神戸市の月見荘に宿泊し、二日目に明石海峡大橋を渡った。淡路島での観光に時間を使い、鳴門大橋で徳島県に渡ってからは土柱を見学した程度で、本日の時間切れとなった。早速今夜の宿へと車を走らせる。
 
<高越>
 山川町(現吉野川市)は吉野川右岸沿いに位置する。今回の宿は支流の川田川(かわたがわ)沿いを4、5キロ程遡った所にある。 ところで、山川町とは随分シンプルな町名だ。文献(角川日本地名大辞典)によると、阿波富士といわれる高越山の「山」と、四国三郎といわれる吉野川の「川」を組み合わせて命名されたとある。 尚、高越山は「こうつざん」と読むそうで、なかなか発音し難い。地元では「おこおっつあん」とか「おこうっつあん」、「こうっさん」、「こうっざん」などとも呼ばれるようだ。
 
<宿の立地>
 宿は四国山地の山間部から川田川の扇状地へと開ける直前の峡谷に位置する(地理院地図)。 支流の奥野井谷川が川田川に合流した直後で、この付近を高越(こうつ)の里と称するそうだ。 その宿の立地がまた独特だ。県道などの車道は河岸段丘の上に通じるが、宿は急な段丘涯を40mくらい下った川岸に建っている。対岸に通じる車道沿いから眺めると、その様子がはっきりする。

 

河岸段丘の上から望む宿の全景
奥に架かるのは高越大橋
(撮影 1998.12.28)

 

宿の遠望
屋根に「ふいご温泉」と書かれている
(撮影 1998.12.28)

 

<宿への入口>
 宿の近くに県道248号の高越大橋が架かっている。その左岸側袂より宿への道が下る。ルートは2通りで橋の袂の前後にそれぞれあるが、少し下ると途中で一本に合流する。 私たちは上流側の入口から入ったが、元々は下流側の方が本線であったようだ。ちょっと古い道路地図を見ると、高越大橋はまだ架かっていない。橋の開通は昭和62年(1987年)とのこと。 高越大橋の完成に伴い県道のルートが変わり、上流側の道の方が利用し易い形になったと思われる。

 

県道より宿へと下る
左手が正面玄関
(撮影 1998.12.28)

 

宿側から見る坂道
(撮影 2008. 1. 5)

 
 

<玄関>
 ジグザグの急な坂道を下り切ると、左手に宿の正面玄関が出て来る。吉野川沿いに通じる徳島線の阿波山川駅と宿の間の送迎用なのだろう、脇にマイクロバスが停まっていることがあった。

 

宿の正面玄関
「山川町 温泉保養センター」と看板にある
(撮影 1998.12.28)

 

<玄関の様子>
 最初に泊まった時(1998年12月)と2度目(2008年1月)で玄関の様子は大きく変わっていた。その約10年の間に経営母体は町から第三セクター、民間企業へと移っている。 あまり記憶にないが、風呂などもリニューアルされていたようだ。嬉しいことにトイレも洗浄便座となっていた。

 

宿の正面玄関
2度目に泊まった時
新しくなっている
正月なので門松が飾ってあった
(撮影 2008. 1. 5)

 

<案内図>
 宿の建屋とは別に宿へ下る坂道の脇に、何かの設備の小さな小屋が立っている。その壁に周辺案内図が掛けてあった。最初に来た時は山川町、2度目は吉野川市の観光案内図となっていた。 こんな所にも時の移ろいを感じさせる。吉野川市が誕生したのは平成16年(2004年)だそうだ。

 

山川町観光案内図
(撮影 1998.12.28)

 

 山川町時代の案内図にはまだ高越大橋がない。全体的に古そうな看板で、昔からあったものだろう。新しい方も「吉野川市」とは書かれているが、案内されている範囲は旧山川町の地域だけである。 看板の「吉野川市」の部分には修正された跡が見られ、これも吉野川市が成立する前に作られた看板と推測される。

 

吉野川市観光案内図
多分、看板の製作は市になる前
(撮影 2008. 1. 5)

 
 

<駐車場>
 玄関前を過ぎ、宿の裏手の川沿いに出ると、比較的大きな駐車場が設けてあり、基本的にそこで車道は行止りである。この温泉は立寄り湯も営んでいたので、そうした客も県道から下って来てここに車を停めることになる。 また、宿から上流側の谷は名越峡(なこしきょう)と呼ばれる景勝地にもなっているので、その見学者が利用することもあるかも知れない。

 

宿の川沿い側に駐車場
当時はピンクのキャミに乗っていた
(撮影 2008. 1. 5)

 

<宿の創業>
 文献によると、この温泉は昭和48年(1973年)7月に町営として開設され、阿波山川保養センター・ふいご荘の営業が開始されたそうだ。 この地域の大きな産業となる高越鉱山(こうつこうざん)が昭和44年(1969年)3月に休山、同46年に廃山となっている。町としてはそれを補う目的もあっのだろう。 私が最初に訪れた時のふいご荘は、木造2階建て、客室が10数室ある旅館であったが、既に1985年4月に一度増改築された後だった。 開設当初とは少し様子は違っていたのだろう。

 
 

<宿の中>
 2度目に来た時はフロントロビーも明るく近代的になっていたようだが、当時はまだ宿の設備の良し悪しには無頓着だったので、ほとんど記憶にない。 残念ながら写真も僅かしか撮っていなかった。

 

フロントロビーの様子
左手がフロント、右手が玄関
(撮影 2008. 1. 5)

 

フロントロビーの様子
正面奥が玄関
(撮影 2008. 1. 4)

 

<廊下>
 ただ、廊下に面する客室が、一旦格子戸の引き戸を開けてから玄関の土間となり、更に襖を開けて部屋に入る造りになっていて、ちょっと洒落ているなという印象を持った。

 

廊下の様子
各部屋の入口が 格子戸になっている
(撮影 2008. 1. 4)

 

今夜の部屋の玄関
「桃」と言う名の部屋
前回は「梅」だった
(撮影 2008. 1. 4)

 

<部屋>
 部屋はいたって普通の8畳の和室で、昔ながらの旅館という雰囲気だ。これは創業当時とあまり変わっていないのではないかと思う。部屋に入ると既に布団は敷かれてあった。 格安なので人件費などは節約する必要があるのだろう。部屋からの眺めはほとんどない。とにかく宿の立地が谷の底なので、遠望がある訳はない。どちらを見回しても険しい崖が見えるだけだ。

 

部屋の様子
「桃」の間
(撮影 2008. 1. 4)

 

部屋の様子
ピンぼけ
他にもピンボケの写真が多かった
(撮影 2008. 1. 4)

 

部屋の様子
(撮影 2008. 1. 4)

 

<食事>
 何しろ5千円ポッキリの宿である。食事が付いているだけで何の不満もない。ただ、2度目に泊まった時(2008年1月)は税別で1泊1人6,900円に値上がりしていた。 税込では7,245円になる。更に入湯税150円が加算され、合計で7,395円であった。それでも一般旅館としては充分に安い。食事もおいしく頂いた。

 

宿の領収証
2度目に泊まった時
(撮影 2024. 3.17)

 

夕食の様子
私達には十分豪華
(撮影 2008. 1. 4)

 

朝食の様子
オーソドックスな和食
(撮影 2008. 1. 5)

 
 

 温泉は強酸性だった。どちらかというとヌルヌルしたアルカリ性の方が好みなのだが、余り頓着しない。 食事の内容や温泉施設、その他設備の良し悪しなど、宿については諸々コメントすべきことがあるのだろうが、そうしたことにはほとんど関心がない。
 
 そもそも野宿に比べれば、どんな宿でも泊まれるだけで天国なのだ。 歳を重ねて体力的に弱ってくると、禁煙の部屋でなければ臭いで気分が悪くなるとか、夜中にトイレが済ませ易いようにトイレ付きの部屋がいいとか、安眠できるように静かな環境が欲しいとか、いろいろ注文が多くなる。 そうしたことを除けば、宿に関して贅沢などしたいとは思わない。
 
 かと言って、旅において宿はどうでもいい訳でもない。宿泊前後の旅の過程や宿のロケーション・立地、周辺の環境、宿全体の雰囲気、宿での出来事、そうした宿にまつわる経験は旅における重要な要素だ。
 
 今回の宿についてあれこれ説明する代わり、古いものだが宿でもらったパンフレットを以下に掲載してみる。

 

宿のパンフレット(1/2)
2008年現在の物
(撮影 2024. 3.17)

 

宿のパンフレット(2/2)
(撮影 2024. 3.17)

 
 

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<散策>
 この温泉に泊まる楽しみの一つは、川田川沿いの散策である。車は宿の駐車場に停めたまま、散歩がてらに気楽に楽しめる。 宿の裏手(下流側)、高越大橋の右岸側袂付近で滝が落ちているのが眺められるが、散策のメインは宿より上流側になる名越峡である。駐車場奥から左岸側に続く散策路を進む。

 

宿の北側の眺め
川田川に滝が落ちている
(撮影 2008. 1. 5)

 

<鞴橋>
 歩き始めて直ぐに赤い吊り橋となる鞴橋(ふいご橋)が架かっている。

 

鞴橋全景
足元に紅簾片岩の露頭
(撮影 2008. 1. 5)

 

鞴橋の左岸側入り口
(撮影 2008. 1. 5)

 

鞴橋の左岸側の袂
(撮影 2008. 1. 5)

 

 橋の近くに案内看板があり、橋の名のいわれなどが説明されている。この橋の名がゆくゆくはふいご温泉の命名にも繋がっている。 名越峡の特徴の一つが紅簾片岩(こうれんへんがん)で、橋の下にその露頭が見られる。

 

鞴橋・紅簾片岩の看板
(撮影 2008. 1. 5)

 

 鞴橋は今でも現役で歩いて渡れる。橋の上から名越峡が一望できる。

 

鞴橋より下流方向を望む
(撮影 2008. 1. 5)

 

鞴橋から上流方向を望む
奥に名越峡広場が見える
(撮影 2008. 1. 5)

 

 かつては銅鉱に務める鉱夫たちが渡った鞴橋だろうが、今は名越峡を見学する遊歩道となっている。しかし、県道に大きな高越大橋が架かる前はこの付近に他に橋はなく、案外実用的な橋だったのかもしれない。 現在、川田川沿いに通じる国道193号は遠く山川トンネルを抜けているが、古くは川田川右岸にピッタリ沿って通じていたものと思う。鞴橋を渡って段丘崖を少し登ると、国道の旧ルートに出られる。

 

鞴橋を右岸に渡ったところ
正面に診療所の看板
(撮影 2008. 1. 5)

 

<診療所の看板>
 面白いのは、鞴橋を右岸に渡った所にポツンと一つ街灯が立っていて、その支柱に診療所の看板が掛かっていることだ。誰も来そうにないこんな寂しい所にあるのが、何とも不思議な感じがする。 高越大橋が無かった頃は、鞴橋を渡って歩いてその診療所に通った住民も居たのかもしれない。ただ、今の鞴橋の竣工は比較的新しく平成8年(1996年)4月となっていた。高越大橋開通(1987年)の後ということになる。 診療所の看板は現在の鞴橋より古いものではないだろうか。

 

診療所の看板
何とも不思議な所にある
(撮影 1998.12.28)

 

<名越峡広>
 宿から川田川左岸沿いに約200mで支流の奥野井谷川を渡り、その先で広い平坦地に出る。そこは名越峡広場と呼ばれている。 鞴橋の案内看板によると、かつてこの辺りに名越鉱山があり、対岸の右岸に精錬所があったことになる。 名越峡広場は狭い峡谷が続く中にあって意外と広く、一角に水場やトイレが設けてあった。何かのイベントなどに使われるのだろう。

 

名越峡広場
上流方向に見る
多分ここに名越鉱山があった
(撮影 2008. 1. 5)

 

<精錬所跡?>
 名越峡広場の対岸を望むと、険しい段丘崖の下に比較的大きな建物が立っている。鞴橋右岸の袂よりそこまで道が通じているようだ。精錬所跡かもしれない。 かつてはそこで人力によるふいごが稼働していたのだろうか。

 

名越峡広場の対岸の様子
何かの建物が見える
精錬所の跡か?
(撮影 2008. 1. 5)

 
 

 名越峡の散策は名越峡広場で終りとなる。その先に道はない。ただ、対岸には更に上流側へと歩道が通じている様子だ。ふいご温泉を利用した2回とも名越峡広場まで散歩した。 更に時間を掛け、対岸の精錬所跡付近を散策するのも面白いかもしれない。

 

名越峡広場から下流方向を望む
鞴橋が見える
(撮影 2008. 1. 5)

 

名越峡広場から上流方向を望む
ここより先に道はない
(撮影 1998.12.28)

 

<名越>
 山川町の鉱山の歴史は、天保年間には試掘され、明治期に本格的な操業が始まったようだ。奥野井谷川沿い(楠根地)に位置していた高越鉱山が代表的な鉱山だが、いろいろな鉱脈があり、いろいろな鉱山名が存在する。 名越鉱山とか名越峡と呼ばれる「名越」は、地名としては見当たらない。ただ、文献に「大阪の名越愛助が銚子淵鉱山を開坑」とあり、どうやら人の名前のようだ。 「名越」は「なこし」と読んだと思うが、どこでそれを知ったか、もう思い出せない。
 
 この地の鉱山事業は活況を呈し、町の様相を一変させたが、一方で鉱毒の問題も起こしたようだ。大正期以降に殷盛を極めた鉱山も昭和40年代には全て閉山となり、ふいご温泉付近は今は静かな山里となっている。 名越峡の岩の間を縫って流れる川田川の水の流れは、何事もなかったかのように穏やかだった。

 
 

<宿のその後>
 2004年5月に四国を旅した時も今回の宿を利用しようと思った。5千円で泊まったという記憶があり、何しろ安いのが決め手だ。しかし、時期が悪かった。春のゴールデンウィーク真っ只中の5月5日である。 当日電話したところで無駄だと思いつつも電話すると、案の定、満室で断られた。いろいろ探してやっと美山町の美馬温泉保養センターが予約できた。こちらも2食付き1人6千円と負けず劣らず格安だった。
 
 2008年に2度目に泊まってからも、四国の旅ではこの宿を使おうと思っていたのだが、暫くの間休館の時期に入ってしまっていた。平成25年(2013年)にはまた別の民間企業の経営でリニューアルオープンしたようだ。 宿の外観も少し変わり、昨今の高級志向もあってか、部屋もトイレ・洗面台付きのちょっと豪華なものになっているらしい。今の私たちには丁度いいかもしれない。でも、あの格安のふいご荘時代の宿も捨て難いと思う。

 
 

1998年12月27日(日)
阿波山川温泉保養センター・ふいご荘泊
2008年 1月 4日(金)
民営旅館・ふいご温泉泊

 
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