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青崩峠  あおくずれ とうげ (前編 静岡県側
 
どこか、そら恐ろしげな名前の峠

<初掲載 2000. 9.11>
 
青崩峠
青崩峠 (撮影 2000. 5. 4)
写真の左側が静岡県水窪町、右側が長野県南信濃町
右上に続く階段は熊伏山への登山道(頂上へ約2時間)
怖そうな名前の峠だが、きれいに整備されていた
 
 さあ、お待ちかねの青崩峠の登場である(誰も待ってないって)。日本の峠を語る時、この峠を抜きにしては考えられないとまで言われた名高い峠である(誰もそんなこと言ってないって)。
 青崩峠は信州(現代人に分かり易く言うと長野県)と遠州(同じく静岡県)の国境(県境)にあり、秋葉街道または塩の道とも呼ばれた信州街道にあって、最大の難所となったところであった。歴史が深く刻まれた峠道である。
 
静岡県側峠道起点
静岡県側の峠道起点
左は草木トンネルを経てヒョ−越へ
右は足神神社を経て青崩峠へ
 といっても、歴史に疎い私には、そんなことは全く関心ないのだ。ただ地図を見ると、県境のところだけ国道が通じていない。そしてそこに書かれた「青崩峠」の文字。崩落が激しく、車道を築くこともできないほど険しい峠なのだろうか。「青く崩れる」とはどういうことか。何だかおどろおどろしいイメージが頭の中に広がっていった。
 歩いて越える山道は通じているだろうが、それとて険しいガレ場で、ロッククライミングよろしく、岩を両手で掴みながらよじ登るのかもしれない。一歩間違えれば谷底にまっ逆さまで、ついでにクマも出没するんじゃないか。これは迂闊には近付けない峠だと、かってに思い込んでいた。知らないとは恐ろしい。

 車道が通じていないので、車で行けるところまで行って、後は峠まで歩いて往復するしかない。体力がないことだけには自信がある私ではあるが、怖いもの見たさで青崩峠を訪れることにしたのであった。

 これまで「峠と旅」では車やオートバイで越えられる車道の峠だけ掲載してきたが、青崩峠だけは特別扱いである。今回はその前編として、静岡県側から車道の終点までの旅である。後編は長野県側から歩いて峠まで行く。

 
 青崩峠の近辺は10年近く前からオートバイや車でよく訪れていた地域だ。青崩峠が通行を阻んでいる国道152号は、他にも長野県の上(かみ)村と大鹿(おおしか)村の境の地蔵峠で、やはり未開通となっている。峠の数も多い、なかなか楽しい国道なのだ。

 気が向いた時には、未開通区間の行止りの終点まで行ってみたりもする。右の写真は青崩峠の南側、静岡県水窪町の国道終点である。おりしも新道建設中で、それより先には進めなかった。後に分かったことだが、新道はこの先で草木トンネルを抜け、水窪湖からの道に合流し、青崩峠ではなくヒョ−越を越えて長野県へ続いていった。

 建設中の新道の右下に見えるのが旧道である。青崩峠まで行くにはこちらの道を行く。上の写真にあるように、現在は新道との分岐に標識が立っている。「青崩峠」や「足神神社」の矢印に従って進む。

林道案内
国道152号の未開通区間 静岡県水窪町池島
(撮影 1993.11.27)
草木トンネルを通る新道を建設中、右下が旧道
工事車両が頻繁に通るせいか、旧道は埃だらけ
 
草木トンネル入口
草木トンネル入口
新道の下を旧道が交差する
 新道は高架でスムーズに流れるように走る。旧道は新道を恨めしげに見上げながらクネクネのろのろ歩む。側を水窪川の上流、翁川が流れている。暫くして新道は草木トンネルに消えて行った。旧道はその直前で新道の下をくぐり、後は単独行となる。

 翁川は一気に川幅を狭め、山が迫って道はか細い上り坂となる。路面はアスファルトからコンクリートへと変わっていった。この先どんな道になるのだろう。この道の先にいったい何が待っているのだろう。そう思わずにはいられない。初めて通る峠道は、いつも何となく不安なものだ。
 

 
 道は小さな橋を渡る。ふと見ると橋の袂に立て札が立っていた。「魚を抱いた地蔵」とある。ところが立て札の近くには地蔵が見当たらない。地蔵はどこかとキョロキョロすると、川の対岸に小さな社がある。橋を渡って行こうとしたが、草が邪魔をして近付けない。結局、立て札の横を通って川の小さな流れを跨いで渡り、その社を覗いてみた。こんなことまでして見るほどの地蔵かとも思ったが、社の中には小さな3体の地蔵が居て、確かに魚を抱えている。造りは単純で素朴そのものだが、それがまた親近感がある。立て札に書かれたいわれを読んでみてもなかなか面白い。それに木製の立て札以外に、最近建てられたと思われる石碑の文面や、さらに社の前に付けられた小さな札に書かれた内容が、それぞれ違っているのも興味深い。
 社の前の札に書かれていたいわれを下記に示す。
 石碑と立て札の内容については下の写真を参照されたし。

 昔ここは青く深い淵があり、夫婦の魚が仲良く暮していた。或る日釣り上げられ、「妻よさらば」と泣いたそうな。それ以後淵はなくなり、後の大岩が二つにさけ、不思議が続いたので、この石像を祀ったと伝えられる。

魚を抱いた地蔵の案内
魚を抱いた地蔵の案内
 
さば地蔵の案内 石碑の文面

 
やまめ地蔵の案内 木製の立て札の内容
 

勇犬早太郎
瑟平(しっぺい)太郎(勇犬早太郎)の墓
 細い峠道に不安だったところに、魚を抱いた地蔵でちょっと和ませてくれるいい寄道ができた。また暫く行くと、今度は「瑟平(しっぺい)太郎の墓」というのがあった。木製の立て札には「勇犬早太郎」とある。

 話しを掻い摘むと、昔、怪神に娘をイケニエにする慣わしがあった。そこで怪神が苦手とする信州信濃の早太郎という犬を連れてきて、怪神を退治させた。その時早太郎も深手を負い、光善寺へお礼参りに連れて行く途中、この地で亡くなったというものだ。

 小さな社を開けてみると、小さな犬の石像があった。勇猛果敢な早太郎だったのだろうが、石に刻まれた犬は、何となく優しい目をしていた。微笑ましいくらい可愛らしい犬であった。

 
 その後も道沿いには、木地屋(きじや)の墓だの歴史を偲ばせるものが多くあり、じっくり立て札の説明を読んでみると面白い。さすがに歴史が刻まれた峠道だけある。学校の教科書などで学ぶ歴史はあくびが出るが、こうした生きた歴史教材なら歓迎である。

 ただし、立て札が出てくるたびに、いちいち車を停めて読んでいては、なかなか先には進めない。昔の様に歩いてゆっくり越える峠道ならちょうどいいが、時間(休み)がないサラリーマンではそうもいかないのが残念だ。

勇犬早太郎
勇犬早太郎
この写真では分かりにくいが、可愛い目をしている
  
足神神社
足神神社
 途中、道はひとつの大きな広場に出る。車が何台も停められる。それまでの車道が狭かったので、いぶかしげに思われる。そこは足神神社の駐車場となっているらしかった。広場の先の左手にその神社はあった。
 昔、歩いて旅をする上では、自分の足はとても重要であった。その足に関わる神社のようで、足の健康を願ってお参りするようだ。峠道には如何にもふさわしい神社である。
 また広場の一角には「足神様の銘水」というのがある。岩で囲まれた窪みの中を覗き込むと、清水がちょろちょろ流れて出ている。ちょうど車に積んだポリタンクの野宿の水も減ってきているので、帰りに汲んで、ついでに広場でココアでもいれて飲もうと思う。
 
 神社を過ぎた先で、真新しいアスファルト舗装が始まっていた。林道標識があり、「青崩線」とある。峠の名前が林道の名前についているのだ。名前だけは立派だが、1〜1.5車線の狭い道である。しかし、車道が峠近くまで通じていそうな期待をさせてくれて、ちょっとうれしくなる道でもある。

 林道標識もアスファルト舗装も新しいことからして、青崩林道はつい最近改修されたか、開削された林道だ。草木トンネルを通したことからも分かるように、青崩峠に国道を通す積もりはないようだ。しかし、こうして峠直下の車道工事は続けられているらしい。

林道青崩線
林道青崩線
  
登山道入口
青崩峠への登山道入り口
 期待の青崩線だが、それも車ではほんの少しの時間で青崩峠への登山口に到着する。周囲には車が10台ほど置ける駐車帯があり、「塩の道」と大書された石碑や、青崩峠の案内板などがある。「青崩峠へ徒歩二十分」と書かれた木の柱が立ち、その脇より整備された石段が始まっていた。車が2〜3台停まっており、ちょうど子供もいる家族連れがやって来ていた。

 20分の山道なら私にも大丈夫そうな距離である。しかし登山道入口を過ぎた先で林道の舗装は途切れているが、道じたいはまだその先に続いているのであった。通行禁止などの看板はないが、あまり入り込んではいけないような道である。路面の荒れもひどい。しかしどこまで通じているのか、非常に気になるのである。もっと峠近くまで車で行けるのかも知れない。

 
 意を決して未舗装の林道を進むことにする。急坂の砂利道である。しかしそれもほんの数100mで遂に完全に行止った。先の登山口から一段高く上がった附近である。

 林道終点は車道がそのまま広くなり、正面には青崩峠への山道の看板があった。それには確か峠まで12分と書かれてあったと思う。これなら楽である。車を使ってあっと言う間に徒歩8分ぶんの短縮ができたことになる。確認してないが、下の登山口からの山道が、この林道終点を通過しているものと思う。脇には「兵越峠徒歩(ニ時間)」ともあったが、こちらは私の体力では全くの論外である。

峠への登山口
峠への正規の登山口
ここからなら峠まで20分
  
林道終点
林道終点

 林道終点には1台のワゴン車が停められていたが、十分な駐車スペースがある訳ではない。何台も停めてはUターンする場所もなくなり、非常に迷惑なことになりそうだ。やはり下の正規の登山口から登るのがいいのである。8分の労を惜しんではならない。
 と言うのも私はここに来る前に長野県側からもう既に峠に登ってしまっているのだ。歩いて約20分かかっている。私より楽をして峠に登られては悔しいのである。

 林道からの帰り道、足神神社の銘水を汲もうとすると、駐車場には半分近く車がうまっていた。こんな山の中で大変な賑わいである。それほど有名な神社なのだろうか。しかも、来る時には誰も居なかった銘水には、まちまちの容器を手にした人が群がっているではないか。人垣を覗き込むと、ちょうど大きなポリタンクに柄杓で汲んでいるおばさんが居座っていて、周囲の人はそれが済むのを待っている。これではなかなか順番が回ってきそうにない。銘水のココアは諦めることにした。来る時に汲んでおけばよかったと悔やむことしきりであった。

 
青崩峠後編
 
峠と旅