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大辺峠  前編
 
おおべ とうげ
 
紅葉の中に一筋通る林道の峠道
 
大辺峠 (撮影 2001.10.21)
奥が福島県昭和村野尻(のじり)、手前が三島町間方(まがた)
道は林道入間方(いりまがた)不動沢線
標高約970m
 
 2001年の10月下旬、福島県やその近県を2泊3日で旅をすることにした。この時期に東北方面の峠を越える旅をすれば、きっとすばらしい紅葉が楽しめることだろう。いつもながらはっきりした計画など立てはしないが、出掛ける前にツーリングマップル(昭文社 東北編 1997年3月発行)をペラペラめくって眺めてみる。戸板峠や駒止峠を久しぶりに越えてみるか。そうそう谷地峠もチャレンジだ。
 
 いろいろ峠を物色していると、大辺峠というのが目に付いた。林道が通る面白そうな峠である。しかし、峠の名も入間方不動沢線という林道の名もどうも記憶がない。これ程の峠道ならこれまで越えたことがないなんて筈がないのだが、峠の存在そのものに全く覚えがないのだ。見ているツーリングマップルは比較的最近買ったものなので、走行記録がほとんど付けられていない。いつもなら、自分が走ったことのある道は黄色いマーカーで塗りつぶされ、走行日が付記されている。地図を見れば一目で越えたことがある峠かどうか分かる仕組みだ。しかし、地図を買い換える度に、前の地図の記録を新しい地図に写すなんて面倒なことはしていないのだった。
 
 仕方ないので以前使っていた道路地図を持ち出してきた。エスコートの「WIdeMap関東甲信越」という。この道路地図は関東中心にかなり広い範囲を掲載している。古くから持っていた昭文社ツーリングマップ関東編(1989年1月)は関東の狭い範囲しか載ってなくて、非常に使いづらいものだった。それに対しエスコートは山形県の県境付近まで載っている。A4サイズで分厚くて重く、バイク旅には向かない。しかし丁度その頃ジムニーを買ったので、車で旅するならコンパクトなツーリングマップじゃなくてもいいだろうと買ったのだった。
 
 エスコートの地図はもうページが一部外れていて、慎重に持たないと空中分解してしまう。それで最近は全く使っていない。旅での地図の扱いはかなり乱暴なのである。そっとページを開き調べてみると、やはり1992年の9月に昭和村から三島町へと大辺峠を越えていた。それを眺めてみてもまだ何も思い出せない。まあ、実際に行ってみれば分かることと、詮索はそれまでとした。その時はまだ、エスコートに記されていた「幻の峠道」に翻弄されたことなど、全く思い出しもしなかった。 
 

昭和村野尻付近の国道400号
この付近は何だか非常に見覚えがある
 10月21日、昭和村の野尻川に沿う国道400号を金山町方面へと北上していた。そろそろ右手に大辺峠への分岐がある筈だ。多分、道路標識などないだろうと思っていたら、その通り何にもなくて行き過ぎてしまった。
 
 すると、何だか非常に見覚えのある景色が目の前に広がりだした。野尻という集落の近辺である。閑散とした単なる2車線国道と、その周辺に田畑が広がり、その中に人家がぽつりぽつりと建っているだけののんびりした景色だ。取り立てて特徴がある訳ではないが、確かにここは覚えがある。何なんだろう?
 
 来る途中、狭い道が右手に分岐していたので、多分あれが目的の林道だろう。どこかで国道を引き返さなければと、適当な車の転回場所を探していると、ハタと思い出した。ここはあの「幻の峠道」を散々探し回った所だったんだ。
 

国道400号より林道入間方不動沢線が分岐する
国道沿いには分岐を示す道路標識が無い

林道入り口
 
 あの時使っていたエスコートの地図には、入間方不動沢林道の西側に、くっきりと県道147号というのが描かれていた。昭和村の野尻から峠を越えて三島町に入り、入間方付近からは現在の県道153号・小林会津宮下線に重なる道路である。どちらかというと大辺峠を越える林道の方が、その県道の脇道でしかない様に見えるのだ。林道もいいが初めて来た所なので、まずは県道を走ってみようと考えた。
 
 しかし、これが無いのである。県道を探して国道を行ったり来たり。適当な分岐に入り込んでは、田んぼの中の畦道のような所も走り回った。でも、車が走れるような道はどこにも見つからないのだ。地図の間違いだろうかと思い始めてきた。それまでにも、実際と異なるちょっとした間違い程度なら、どんな地図にも時たま見掛けることがあった。当初は頭に来て地図を投げ付けたりしていたが、いちいちそんなことで怒っていたら地図の身が持たない。その内これは仕方がないことと諦めるようになっていた。しかし、道がまるまる無いのでは話しにならないではないか。そんなことがあっていいものかと、なかなか諦めきれない。
 
 遂に、田んぼの片隅から山の中へと登って行く、一本の登山道のような様な道を見つけた。どうひいき目に見たって車が進めそうな道ではないのだ。でも、もうこれ以外に考えられない。この道を間違って県道として載せてしまったとしか思えないのだ。さすがに頭に来た。それ時以来、そのエスコートの地図の寿命は短くなる運命を辿るのであった。かなり、痛めつけてしまった。
 

分岐を示す看板 (撮影 1992. 9.13)
直進は「田島 27Km」と読める
左折はほとんど読み取れないが、
多分「三島 26Km」と書かれていたのだろう
この看板はもうない

林道標柱 (撮影 1992. 9.13)
以前は文字がはっきり読み取れた
通行止」の看板が出ていた
 
 今は国道沿いに入間方不動沢林道の分岐を示す道路標識や看板はないのだが、以前は金山町方面から南下して来ると、分岐の直ぐ手前、国道の左側に錆びて古ぼけた看板がポツリと立っていた。左折する林道方向に書かれた文字は、その時もう既に読めなくなっていたが、多分「三島 26Km」と書かれてたようだ。
 
 林道に入ると直ぐ右に、林道起点を示す標柱が立っている。今もあるが、文字はかすれて読み取りにくい。以前ははっきり「入間方不動沢 林道 幅員四.〇〇米 延長一三、五六四.一〇米  管理者 昭和村長」と書かれた、まだ白いペンキも新しそうな標柱だった。
 
 県道が幻と分かり、次にやって来たこの大辺峠の道だったが、もう地図が信用できない。本当に峠を越えているのだろうかと、疑うばかりである。しかも、通行止の看板が出ているではないか。泣きっ面に蜂である。でも、看板が出ているくらいなら道はあるのだろうと、変に納得して進むことにしたのだった。
 
 どうも、最初に大辺峠に来た時は、頭にきていたり通行止が気になったりで、肝心な峠道のことはよく記憶しなかったようだ。今回はじっくり峠越えを楽しもうと思い、林道を走り始めた。
 
 入間方不動沢林道の分岐は、その前後に人家の無い寂しい分岐なのだが、入ると直ぐに国道と平行して南へ少し戻るような進路をとる。すると間もなく上平の集落の中を抜けるようになる。道は集落内を大きくUターンし、また北を向いたかと思うと集落が途切れる。
 
 集落を後にしてその先道は狭くなる。1.5車線あるかないかの狭さだが、アスファルト路面は比較的新しい。道の両脇に引かれた白線も白さが映えている。

上平の集落が切れ、この先道が狭くなる
 

峠の鞍部を望む
 大辺峠の昭和村側は、道は蛇行してそれなりの道程があるものの、峠までの直線距離はせいぜい4Km程と比較的近い。国道の分岐から1Km程度も走れば、もう時折前方に峠があるだろう峰の鞍部が望めるようになる。道は左側の尾根から回り込むように峠に到達しているようだ。
 
 道の右手には林道の名前ともなっている不動沢が流れている筈だが、樹木が密集した谷で川面などは望めない。
 
 峠までの半分も来ただろうか、右手前方に一際紅葉がきれいな山肌が迫ってきた。やはり秋の旅、特にこうした峠越えはこれがあるからやめられない。頻繁に車を停めては紅葉を眺めたり写真を撮ったりで、短い峠道もなかなか時間が掛かる。 
 

峠を前に一際紅葉の眺めがいい

落ち葉と紅葉の中の道を行く
 

後方に山並みが望める
 峠が近付き標高も上がると、後方にも眺めが広がった。山並みが幾重にも連なっている。遠く遥かにかすれている。
 
 峠がもう少しというところで、相変わらず車を停めて写真を撮ったりしていると、後方より2台の車が登ってきた。2台ぴったり連なって、さっさと目の前を走り去っていく。紅葉などまるで目に入らぬかのようである。今日は日曜だが、行楽に訪れて来たようには見えない。生活道路としてもこの道が使われる機会がまあまああるのだろうかと思う。
 
 休み休み、のんびり走ってきたが、それでも国道分岐から25分もしない内に大辺峠が目の前に現れた。とっとと走ったら、20分かからない。
 
 大辺峠(後編) へ続く
<制作 2002. 7. 8>
 

空が近い
峠はもう直ぐそこ

昭和村側から峠に着いた
 
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