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大辺峠  後編
 
おおべ とうげ
 
10年前の大辺峠 (撮影 1992. 9.13)
奧の昭和村側はこの時まだ舗装されていなかった
 
 最初にこの峠を訪れた時の記憶は全く無いが、以前から旅先で訪れた峠の写真などはこまめに撮るようにしていた。今回このページを作るにあたり、もしかして大辺峠を写したものもあるのではないかと、念のため古いアルバムを出して調べてみた。そして、上の写真が見つかった。ポケットアルバムに納められた大辺峠には何のコメントもなく、一見してあまり峠らしい写真でもない。多分、アルバムに入れられて以来、それが大辺峠であるとして顧みられたことは一度も無かったようだ。
 
 写真をよく見ると、峠の境より昭和村は、路面がまだ舗装されていない。現在は全線舗装済みだが、ちょっと前までは未舗装を残す林道だったようだ。ツーリングマップル(昭文社 東北編 1997年3月発行)には峠より昭和村側を指して「ダート4Km」とある。多分、それだろう。もし、もっとダートが長くもっと険しい峠道だったなら、さすがに記憶にある筈だ。その頃は、険しい道ばかり求めて走っていたので、ちょっとダートがある程度の峠道など物足りなく感じ、記憶に残らなかったようである。
 
 現在の峠には、昭和村に向かって左側に、「林道入間方・不動沢線 これより 昭和村」と書かれたちょっと立派な看板が立つ。昔の写真には写っていない。きっと、舗装ができてから建てたのだろう。それにしても、写真を撮っておいてよかったと思う。こうして10年前の峠の様子が分かるのは面白いことだ。
 

三島町側より見た峠

峠から三島町へ下る道
右下に谷が広がる
 
 大辺峠は稜線の一部が大きくえぐれた様な鞍部を越えているので、狭い切通を抜けるといった閉鎖感はない。ただ、峠の昭和村側は道の両側に樹木が迫り見晴らしもない。代わって峠を三島町側に抜けると、直ぐにアスファルト敷きの広い路肩があり、開放的な感じを受ける。峠の右下には大谷川上流の谷間が大きく懐を広げ、眺めがよく遠望もきく。紅葉も昭和村に負けず劣らず、稜線から谷に下る斜面に、一段と色鮮やかな紅葉のじゅうたんが敷かれていた。
 

峠からの三島町側の眺め その1

峠からの三島町側の眺め その2
 
峠から三島町側の遠望
 
 大辺峠は、東の志津倉(しづくら)山(1,203m)と西の爼倉(まないたぐら)山(1,056m)を結ぶ稜線上の鞍部に位置する。志津倉山は登山対象の山としても親しまれているようだ。しかし、大辺峠からはどちらの稜線方向にも登山道は無かったように記憶する。鞍部の地形が稜線方向に登山道を通すには険しいからではないだろうか。
 
 峠で暫し眺めを楽しんでいると、どこからか人の声がする。志津倉山方面からだ。登山者だろうか。山肌を目を凝らして見るが、人影は確認できない。三島町側の稜線直下は崖の様な急斜面であり、そんな所に登山道があるのだろうかと不思議に思った。
 
 峠を三島町側に下る道は、右手に谷間が広がり、常時開放的なのがいい。道は昭和村と同じく1.5車線あるかないかの狭い道幅が続く。
 
 途中、志津倉山の登山道入り口が道路脇にあった。登山案内図を載せた看板が立っている。山の標高が1,234.3Mと書かれた標識も立っていたが、地形図などでは1,203mとあるのと異なっていた。
 
 峠からの急な下りは長く続くことなく、直ぐにも谷底を縫うように走る安定した道となる。振り返ると峠のある鞍部が望める。独特な形をした鞍部である。

三島町に下る途中の谷の眺め
 

志津倉山登山道入り口

谷の底を縫うように走る
 

峠方向を振り返る

峠は独特な形をした鞍部にある
 

三島町側の間方の集落が現れた
 道は大谷川の小さな流れに沿うようになり、間もなく人家が現れる。この付近一帯は間方と呼ばれる区域だが、その中でも大谷川の最上流に位置する入間方という小集落だと思う。林道の名前にもなっている。
 
 大して険しい峠道ではないが、やっぱり人家が出てくると何となく安心する。ここまで来て本当に無事に峠を越えられたという感じである。家屋が建ちその周囲に小さいながらも田畑が作られている。こうした山里の風景は何度見ても落ち着いていいものだ。
 
 その先、道は大谷川を渡って左岸を走るようになる。県道標識が出てきた。「小林 会津宮下(停)線 間方」とある。会津宮下とはこの先の国道252号との合流点を指すが、小林とはどこかと地図をあちこち探してしまった。やっと昭和村の西隣の只見町で、国道289号沿いに小林という地名があるのを見つけた。昭和村と只見町はその境で道が繋がっていない。ちなみにエスコートの地図を開いてみると、こちらはちゃんと道が途切れて書かれていた。
 
 気になる幻の峠道を国土地理院の地形図で調べてみた。するとそれは美女峠という峠道だった。昭和村の野尻から始まり、大辺峠とは爼倉山挟んだ反対側で峠を越え、入間方林道が県道へと変わる付近で県道に合流している。標高約820m付近と大辺峠より150mほど低い爼倉山の肩口を越えている。

道は県道153号・小林会津宮下停車場線となる
間方
 

県道56号との合流点? (撮影 1992. 9.13)
 この美女峠の道は、現在は見晴らしがいいハイキングコースとなているそうで、やはり間違っても車で通ろうなどと思ってはいけない道であった。峠道沿いには清水が湧き出し、名所も多く、数々の伝説を持つ旧街道とのこと。
 
 県道を先に進むと大谷で大谷峠から下ってきた県道59号(旧県道64号・会津若松三島線)に合流する。左の写真は10年前に撮ったものだが、多分その県道に合流した所ではないかと思うが、よく分からない。車の横に「入山禁止」の立札が立っているが、それだけでは何の手がかりにもならない。
 
 県道を乗り換えて、そのまま進めば直ぐにも国道252号に突き当たる。国道を左に入れば只見線をくぐり、只見川を渡り、国道400号との併用区間に出る。
 
 そこを右に伸びる国道400号は杉峠を越える狭い道で、国道の割にはなかなか険しい。

国道252号に出る
 
 旅先で何でもない峠や道の分岐点などを写真に撮る習慣があったのはいいことであった。そのお陰で今回10年前の大辺峠や入間方大沢林道の入り口などの様子を見ることができた。
 
 後に始めたホームページ作りであるが、こんな風に役立つことができて、長年アルバムの中で眠っていた写真も本望であろう。それに、全然記憶に無いくせに、写真を見てそこに写っている、もう今は手元になくなってしまった愛車ジムニーなどを眺めていると、何となく懐かしく思えてくるのであった。
 

謎の道 (撮影 1992. 9.13)
ふるさと探訪コース 巡見使の道」とある
一体ここはどこ?
 ただ、写真は撮りっぱなしで、アルバムに注記など全然しないものだから、後から見てもそれが何だかさっぱり分からないものが数多くある。左の写真もその一つだ。大辺峠から三島町に下る途中のどこかで写した未舗装路の写真である。路肩に立つ標識に「ふるさと探訪コース 巡見使の道」と書かれているのが唯一の手がかりだ。
 
 多分、間方から分岐していたであろう、あの幻の峠道の入り口を写したのではないかと思う。通れずに悔しい思いをしたので、何とか間方で道を探し出し、せめて写真に納めておこうとしたのではないかと想像する。自分ながらおかしなことをするものだ。
 
 ヨボヨボとなったエスコートの地図は、もう旅先には連れて行ってもらえない。老後を本棚の片隅で静かに送っている。そして時たま、記憶が飛んでしまったご主人が、以前の旅の記憶を呼び起こそうとする時に引っ張り出される。
 
 それにしても、エスコートの地図にはかわいそうなことをしてしまったと反省する大辺峠であった。
 
<制作 2002. 7. 8>
 
大辺峠(前編)
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