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概要 |
前回温見峠(再訪)を掲載したので、
そのついでと言っては何だが、直ぐ近くにある峠だ。
温見峠が福井・岐阜の県境を越える長大な峠道なのに対し、この折越峠はこじんまりしている。
それでも根尾川(ねおがわ)の源流部に位置し、福井・岐阜県境を成す越美山地(えつみさんち)の奥懐に抱かれた山地にある峠で、
訪れるのもなかなか大変である。 <峠名> 一般の道路地図や地形などには見掛けないが、地元の看板などにはこの峠名が載っている。 ツーリングマップルなどには林道名「折越林道」の記載はある。 問題なのは「折越」をどう読むか分からない。 何せ、小さな、しかも比較的最近改修された林道の峠なので、ほとんど情報がない。 「折越」は地名というより、「つづら折りで越える」峠とでもいうような意味あいかと想像したりする。 そうなれば普通には「折越」を「おりこし」と読むだろう。 ところが峠の麓に越波(おっぱ)とか越田土(おったど)という地名が存在する。 ここで「越」の文字が使われていて、しかも変わった読み方をする。 近くの福井・岐阜県境に位置する山「越山」も「おやま」と呼ぶそうな。 こうなると「折越」も単純に「おりこし」という訳にはいかなくなる。 ただ、峠リストに載せるにはどうしても読みが必要で、ここでは仮に「おりこし」としておいた。 |
<所在> 岐阜県本巣市(もとすし)、旧根尾村(ねおむら)にある。 大字で西の根尾越波(ねおおっぱ)と東の根尾上大須(ねおかみおおす)の境となる。 |
「能郷白山山系概念図」の看板 (撮影 2007. 8.17) 温見峠にあったもの この地図には「折越峠」の文字がある (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
道の駅「織部の里もとす」にあった地図 (撮影 2014. 7.28) この地図には「折越林道」と記載がある (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
<根尾川源流部> 旧根尾村は揖斐川水系の根尾川(ねおがわ)の上流部に位置する村だ。 根尾川の上流は大きく西の根尾西谷川と東の根尾東谷川に分かれる。 地元では略してそれぞれを「西谷川」、「東谷川」と呼ぶ。 更に略して「西谷」、「東谷」とも記す。 以下では簡略して「西谷川」、「東谷川」の呼称を用いる。 根尾川の源流は福井県との県境の山々で、西谷川は能郷白山(のうごはくさん)付近、東谷川は左門岳付近が源頭となる。 根尾川は源流部にこれら2つの支流を持つことになるが、一応西谷川の方が根尾川本流とされているようだ。 西谷川の上部にはあの温見峠が位置する。 折越峠は、この西谷川と東谷川を隔てる尾根を越える峠となる。 県境の稜線まで7、8kmの距離で、越美山地の奥深い地にある。 |
根尾黒津より峠へ |
<黒津より> 折越林道は、西谷川水域にある根尾越波の集落付近から始まり、折越峠を越え、東谷川沿いの根尾上大須に至る道である。 ただ、折越峠は西谷川と東谷川を結んでいるということから、西谷川沿いの根尾黒津(ねおくろづ)から峠道を辿ってみる。 <市道黒津越波線の分岐点> 西谷川沿いには温見峠に続く国道157号が通じている。 その国道より越波へと続く市道黒津越波線が細々と分かれている。 この地に立つだけでも大変である。 最寄りの市街地は旧根尾村の中心地となる樽見(たるみ)で、そこから国道157号で15km程だが、途中に難所がある。 黒津とその下流側の能郷(のうご)との間は、西谷川が倉見峡(くらみきょう)とも呼ばれる切り立つ峡谷を成し、 そこに通じる国道157号は、まさしく「酷道」そのものだ。 通行止も多く、数年前までほとんど通行途絶の状態が長く続いていた。 |
右に市道黒津越波線が分岐する |
以前はこの先のゲートが長い期間閉じていた |
市道黒津越波線が分岐する付近は黒津集落の人家が立つが、人影がほとんどない。
もう1年を通じて常住する人は居ないのかもしれない。
この集落にとって貴重な生活道であり外界とを繋ぐ生命線でもある国道157号がしばしば途絶し、
冬場には深い雪に孤立するのでは、現代人には住み辛い。
黒津より更に上流に位置する大河原(おおかわら)集落は既に無住の地となって久しいようだ。
古くは美濃と越前を結ぶ蠅帽子峠(はえぼうしとうげ)の街道が通じる地として賑った時代もあったそうだが、今は国道157号が人気のない地に細々と通じている。 |
<河内谷> この「河内」は「こうち」と読むものと思う。 東谷川の方にも東河内谷という支流があり、その「河内」は「こうち」と読むので、こちらも同様だと推測する。 河内谷は西谷川の支流の中では大きな川で、本流と同様、その源流は岐阜・福井の県境にある。 市道黒津越波線の大部分は、この河内谷の右岸沿いに通じる。 名前の通り、黒津と越波の集落を結んでいる。 1.5車線幅の寂しい舗装路、で河内谷沿いにはほとんど何もない。 折越峠に舗装林道が開通し、東谷川沿いを迂回するルートが開かれる前は、越波集落と外界を結ぶ唯一の車道であったようだ。 しかし、黒津から先も、村の中心地・樽見に至るまでは、更に倉見峡の難所が立ちはだかり、とても交通不便な地であったと言える。 |
<越波橋> 国道からの分岐点より5km程で道は河内谷を左岸に渡る(下の写真)。国道分岐点にあった通行規制の看板からすると、そこに架かる橋が「越波橋」だと思う。橋の手前では、河内谷の右岸沿いに下って来た林道猫峠線が合流している。 |
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<林道猫峠線起点> 猫峠線はこの河内谷沿いからの分岐を起点とし、尾根一つ越え、本流の西谷川沿いの大河原を終点とする林道だ。 猫峠と呼ばれる峠は古くからあったらしく、越波と大河原の2つの集落を結ぶ山道として使われていたようだ。 別名、大河原峠とも呼ばれたらしい。 |
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<国道のバイパス路(余談)> その峠道が最近になって、峠の位置を少し変え、完全舗装の新しい林道として生まれ変わった(猫峠)。 多分、能郷〜黒津間の国道の通行止が長期化したので、そのバイパス路としたものではないだろうか。2007年8月、まだ能郷〜黒津間が通行止だった時に訪れると、右の様な案内看板が立っていた。 福井県側から温見峠を下って来ると、黒津から市道黒津越波線に入るより、 手前の大河原から猫峠林道を使った方が容易に上大須方面に出られる。 昔は越波と大河原という隣り合う小さな集落同士を繋ぐ程度の峠道が、国道の代用ともなる車道に生まれ変わったのだった。 林道起点の看板によると、幅員4.0m、延長4,520m(2001年11月に訪れた時は「3,878m」とあった)。 車ならほんのちょっとした峠道だ。 |
猫峠林道起点に立っていた案内看板 (撮影 2007. 8.17) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
越波集落へ |
<越波谷左岸へ> 道は河内谷を渡った後、その支流の越波谷の左岸沿いに遡る。 折越峠はこの越波谷の上流部に位置する。 <越波集落> 間もなく越波の集落が現われる。 越波谷沿いの僅かな平地に人家や耕作地が立地している。 黒津集落よりも更に奥まった地にある越波集落だが、比較的大きな建物である校舎が目に付く。 ただ、この集落ももう定住している人は居ないのではないだろうか。 学校跡も別の目的に使われている様子だ。 |
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折越林道へ |
<折越林道> 市道黒津越波線はその前身である村道黒津越波線の時代から黒津と越波を繋ぐ車道として存在していた。 それならば、越波集落から先、折越峠方向に延びる道が折越林道となるものと思う(境は見落としたか)。 |
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今の折越林道は舗装された新しい車道だが、
古いツーリングマップ(中部 2輪車1988年5月発行 昭文社)では、既にその道筋が描かれていた。
但し一本線の道である。
林道名の記載もない。
多分、車一台が通れるかどうかの道だったのだろう。
まだ、猫峠林道など影も形もない時代のことである。 越波や黒津など西谷川奥地の集落は、前に倉見峡の難所が待ち構え、 背後には岐阜・福井県境の峰がそびえ立ち、非常に交通不便な地にある。 崖崩れや積雪で道の途絶の危険もあったことだろう。 そんな場合、東谷川沿いへと抜けるこの折越峠越えの道は、 複数の脱出路を持つという意味合いもあったのではないだろうか。 |
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折越林道は終始、越波谷の狭い谷間に沿って登る。
険しさはないが、日の光もあまり届かない暗い谷間である。
路面は全般的に新しそうなアスファルト舗装で、こうした改修工事も猫峠林道開削などと同様、
国道157号のバイパス路としての工事の一環ではないだろうか。
こうして道路地図にもその名が載るような林道となっていった。 峠の1km程手前からは、越波谷沿いを離れ、標高差200m強の斜面を登って峠のある尾根の上に出る。 |
峠 |
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<峠の様子> 折越峠では道が湾曲しているので、一度には峠全体が見通せない。 また、峠付近では南北に稜線が延びるが、特に峠の南側の稜線が鋭く立ち上がっているので、峠の部分は日陰になり易い。 なかなかうまく写真に収まらない。 <地蔵> 越波側から登って来ると、峠のカーブが始まる辺りの北の斜面に一体の地蔵が佇む。 車道からは祠まで5、6段の石段が設けられている。 午後に峠を訪れると、この付近までは日が差し込んでいて明るい。 地蔵には花が供えられていた。 温見峠を越える国道157号沿いにもこうした地蔵が何体か見られるが、大抵花が供えられていた。 付近の集落からは定住者が居なくなった様子だが、時折元の住民が訪れては、こうして花を手向けているようだ。 地蔵の少し手前の路肩に、「越波」と書かれた石柱が立つ。 地名を表す為のものか。 この峠からは周囲の木々が多くてあまり視界は広がらない。 それでも越波側にはその石柱越しに遠くの山並みを望む。 |
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花が供えられた地蔵 (撮影 2001.11.11) |
<作業道分岐> 折越峠前後は道の屈曲が多く、道路地図を眺めているだけでは峠の位置が分かり難い。 地形図の等高線を追って最高点を探すのも厄介だ。 はっきり分かるのは、峠から北へ道が一本分岐しているので、その分岐点が峠である。 分岐に立つ看板によると、その道は林業経営用の作業道とのことで、関係者以外通行禁止だ。 地図を見る限りでは、峠から北に延びる稜線近くを行き、河内谷上部にある貯水池付近で河内谷林道に接続しているようだ。 見るからに険しそうな林道である。 |
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<看板など> 「クマ出没! 入山注意」などの小さな看板が幾つか立っている。 その中に「桜街道 うすずみ桜二世」とあった。 この根尾谷薄墨桜はちょっと有名なしだれ桜で、樽見にある。 樽見は西谷川と東谷川が合流する地となり、西谷川沿いからこの折越峠を越え、更に東谷川沿いと続く、周回路が描ける。 樽見の薄墨桜は麓側の頂点、折越峠は山側の頂点と、相対する位置にあることになる。 実際に峠から樽見の地が眺められる訳ではないが、峠から遠く薄墨桜を俯瞰しているのであった。 尚、峠の標高は、地形図の等高線で750mと760mの間にある。 ほぼ755mという訳だ。 一方、樽見市街は170m付近である。 折しも峠には2台の乗用車が停められていた。 付近には登山の対象となるような格好の山はなさそうだが。 峠の上大須側にも遠望はない。 ただ、遠くの山並みに、車道らしきものが通じているのが見える。 東谷川左岸の更に東側の関市(旧板取村)にダムが建設されたようだが(川浦ダムや川浦鞍部ダムなど)、そちらへ続く道と思われる。 ただ、通行止で入れなかったと思う。 |
峠から上大須側へ |
<上大須> 峠の東側は、東谷川の上流最奥部の地、上大須(かみおおす)となる。道はその集落へと向かって下りだす。 東谷川沿いに通じる県道255号・根尾谷汲大野線に接続するまで約3km程と短い距離だ。途中、東谷川上流部に設けられた上大須ダムがちらりと望める。 このダム建設により、東谷川沿いの県道は大幅に改修されたようだ。 |
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<県道255号> 東谷川は、上大須とその下流側の下大須の間約3km程は、穏やかな広い河原を発達させている。 しかし、下大須から板屋(国道418号との接続付近)までは、やはり険しい峡谷を成し、難路であった。それが近年のダム建設により今では走り良い県道となっている。 西谷川沿いの黒津以北は相変わらず険しい国道の先にあるが、こちらの上大須の方は、少し事情が違うようだ。 |
<旅の思い出(全くの余談)> この折越峠は2度越えている。2001年の時はまだフィルムカメラだったが、2007年の時はデジカメを使っている。デジカメならフィルム残量や現像代などを気にせず、いくらでも写せる。 ところが、2007年の写真はほとんどなく、肝心な峠も一枚も写していない。そう言えば、この時は大変な体調不良であった。 温見峠を越えるまではどうにか持ち堪えていたが、黒津から先の国道が通行止と分かると、もうカメラを握る気力も失った。運転は妻に任せ、シートにぐったりして苦痛に耐えるばかりだった。 やっと下呂温泉の宿に着いて人心地したが、夜中になってまた調子が悪い。一時は救急車を呼ぼうとも考える程だった。 去年の初め、思い切って心臓手術を受けた。しかし、合併症なども患って術後の経過は悪く、体調としては最悪の年になった。それでも年末くらいから僅かながら回復の兆しがある。 最近新しいデジカメを買い足したが、今年はそのカメラが活躍するような年になってくれればいいのだが。 |
<越田土分岐> 坂道を下り切ると、東谷川の右岸沿いに遡る道が分岐する。 小さな看板が立ち、そちら方向を向く矢印には「越田土部落」とあった。 また、峠方向には「越波方面 福井方面」とある。「福井方面」とは温見峠越えを指すらしい。 |
峠方向に見る 右手に小さな看板が立つ |
左脇に通行規制の看板が立つ |
<通行規制の看板> 東谷川を渡る橋の手前に、峠方向に見る「通行規制」の看板が立つ。 「この先の越波橋(11.5km先)と須合橋(14.5km先)は総重量4tを超える車両は通行出来ません 根尾村」とある。 国道157号からの市道黒津越波線の分岐点に立つ看板と対を成す。 須合橋から黒津までは2kmであるから、この上大須から黒津までの全線で16.5kmということになる。 尚、通行規制の看板の下の方に「越波橋は通行止です」ともある。これには惑わされる。 |
<林道看板> 東谷川を左岸に渡った橋の袂に林道看板が立つ(下の写真)。「折越林道 W=4.0m L=9219m」とある。越波橋までが11.5kmであり、越波橋と越波集落の中心地は1kmと離れていない。越波側の折越林道基点は、集落よりかなり外れているようだ。 |
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<県道に合流> 東谷川の左岸に出ると、直ぐに県道255号の終点に出る。そこより上流方向には上大須林道が始まり、ダム湖の左岸を通ってダム湖上流部に至る。 その先は支流の東河内谷左岸沿いに東河内谷林道(679m)が続くが入口に「この先 行き止まり」と看板がある。 右岸にはコウチ林道(2295m)が通じる。また、その上流の本流右岸沿いにも道が続いているが、入口にはやはり「この先 行き止まり」と出ていてる。 川浦鞍部ダム方面(「川浦」は「かおれ」と読む)へと登る道も入口にゲートがあり入れない。この県道終点は、折越峠を除けば、どこへにも抜けられない行き止まりの地である。 |
左は「ほたる ご見学のみなさまへ」の看板 右は周辺案内図 |
上大須ダム周辺の案内図 (撮影 2001.11.11) |
県道終点付近には、東谷川沿いに民家や工事関係者の集合住宅の様な物が見られた。ホタルに関する看板が立ち、近年この付近でホタルが多く見られるようになったと案内していた。ダム湖周辺は小さな園地もあり、ちょっと立ち寄って休憩するのに適した場所だった。 |
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近くにある峠と言っても、県境越えの温見峠に比べて猫峠やこの折越峠は、本の小さな峠である。国道157号の能郷〜黒津間が通行止にならなかったら、そう誰でも訪れるような峠道ではない。
昔は根尾村の小さな集落同士を繋いでいたか細い道だったのだろう。それが近年、国道のバイパス路の役目もあって全線舗装済みの林道として生まれ変わった。
途中にある越波(おっぱ)と呼ばれるちょっと変わった名の集落などは、こうした事情がなければ、あまり人目に付くことはなかっただろうし、私も知ることがなかったと思う、折越峠であった。 |
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<走行日> ・2001.11.11 越波 → 上大須 ジムニーにて ・2007. 8.17 越波 → 上大須 パジェロ・ミニにて (2014. 7.28 黒津 パジェロ・ミニにて) <参考資料> ・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店 ・県別マップル道路地図 21 岐阜県 2001年 1月 発行 昭文社 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
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