ホームページ★峠と旅
権兵衛峠  Part2
 
ごんべえとうげ
 
 トンネル完成を目前にした峠道
 

 
車道の権兵衛峠 (撮影 2001. 4.28)
ここは本当の「権兵衛峠」ではなく、車道が村境を越える所
手前が長野県南箕輪(みなみみのわ)村(飛び地)、奧が同県楢川(ならかわ)村
標高は約1,540m
道は国道361号
 
 ホームページ「峠と旅」の掲示板に、「姥神トンネルが開通し、権兵衛トンネルも残すところ1Km」との書込みを頂いた。「峠と旅」に権兵衛峠を最初に掲載したのは1997年の6月のことだが、その頃にはまだトンネル工事の様子など窺い知ることは出来なかった。あれからもう6年近くになる。今は権兵衛トンネルの坑口が道路脇にぽっかり口を開けている。姥神トンネルに続き権兵衛トンネルが開通すれば、峠道は一変することになる。歴史ある権兵衛街道が大きく生まれ変わるのを前に、権兵衛峠Part2として再びこの峠道について思い返してみようと思うのであった。
 

県道203号・与地辰野線から国道361号が分岐
(撮影 2001.11.10)
道路の左脇に見えている看板には次のようにある
大型自動車通行止め
国道361号線は 羽広から
木曽の間 大型自動車は
通行できません      
     長野県公安委員会
 伊那側から権兵衛峠へ向かうのはちょっと複雑だ。基本的に峠の伊那側は車道が未開通で、そこを大きく迂回した経ヶ岳林道が走り繋いでいる。名目上は国道361号となってはいるが、林の中を行く狭い道で、その実態は林道そのものである。
 
 その為、県道203号・与地辰野線の途中から、突然この林道の国道361号が湧いて出るという、おかしなことになっている。伊那市の市街地からただただ国道標識に従って走っていれば、自然と峠道に入れるという訳ではないので、極めて厄介なのだ。道路標識に注意したり地図を確認したりと、車を走らせながらではなかなか気を使う。
 
 それでも県道からの分岐を見つけてしまえば、もうこっちのものだ。後はほぼ一本道である。この付近は「羽広」(はびろ)というらしく、「みはらしの湯」なる看板が目に付いた。広い駐車場に温泉スタンドもあるようで、車で乗り付けて来る者もあり、まだまだ人通りがある。
 
 しかし間も無く、後に続く車は無くなる。ぱったり人家が途切れ、林に囲まれた暗く狭い舗装路となるのだ。道に隣接して「経ヶ岳自然植物園」があり、その付近を「羽広自然遊歩道」が設けられているらしく、それを示すガイドマップが路傍に立っている。しかし、ほとんどひとけが感じられない、寂しい道である。ここに来て初めて峠道に入ったことを実感させられる。「大型車両通行止 迂回路なし」の看板がまたしても出てくるが、道の実態がものを言わずに語っている。
 
 道はまだ高みに出ていないので、あまり展望がきかない。周りは樹木ばかりに覆われていて、走っていてもそれ程楽しい道ではない。単に移動するだけのために車を走らせていたのでは、この道の狭さやカーブの多さにはウンザリさせられる。また、こうした山岳道路に慣れていない者にとって、車の運転は気が疲れるばかりである。でも、こんな道が好きな者もいるのだ。

如何にも林道らしい道が続く (撮影 2001.11.10)
  

伊那市街の国道361号 (撮影 2000. 5. 2)
正面に国道標識が立っているのだが
指定方向外進入禁止の標識もある?
こんな道は大嫌いである
 ところで、この経ヶ岳林道ではなく本来の権兵衛街道・国道361号は、伊那市街で国道153号から分かれ、飯田線の踏切を渡り、伊那市の繁華街を抜けて西へと伸びている。この伊那市駅付近を通る国道が、また林道に勝るとも劣らぬ険しさなのだ。一度道に迷って嫌な思いをしたことがある。
 
 町中はいろいろな物が溢れていて、肝心な道路標識を見つけ出すのが大変である。しかも、交通量が多いから、のんびり立ち止まって確認などしていられない。伊那市街でやっと国道361号の標識を発見したかと思ったら、同時に進入禁止の標識も目に入った。国道に入れないとはどういうことか。しかしよく見れば「大型・大特」に限る。全く複雑でかなわない。これだから林道の方がいいのである。
 
 しかし、市街地をどうにか抜けてしまえば、うそのように広々とした中を行く、真っ直ぐな国道になる。伊那と木曽を隔てる山並に向かって真一文字だ。そして、いよいよ山の中に分け入るという地点まで来ると、現在はそれより先が通行止となっている。権兵衛トンネルへと続く新道の建設工事が行われているのだ。
 

伊那の市街地を抜けると
広々とした国道361号になる (撮影 2000. 5. 2)
この先で右に県道203号が分岐している

この先は工事中 (撮影 2001. 4.28)
右に御射山林道が登る
  
 2000年5月に訪れたとき、その通行止の少し手前の道路脇に、権兵衛トンネルに関する展示室が設けられているのを見つけた。プレハブ式の仮設の2階屋で、その日は雨で休日ということもあり、建物の中は森閑として誰もいる気配はなかった。案内看板に従い狭い階段を2階に上ると、そこは作業員の食堂か休憩所になっているらしく、粗末なテーブルと椅子が並んでいた。恐る恐る部屋の中に入ってみると、片隅にトンネル工事に関係した展示品やら看板が並べられ、それが辛うじて展示室の体裁をたもっていた。あまりトンネル工事そのものには関心が無いので、何の印象を持つこともなく部屋を出たのだった。1年後の2001年にはもうその展示室は建物ごとなくなっていた。

道路脇に見学室 (撮影 2000. 5. 2)
  

林道御射山線途中より建設中の新道を眺める
(撮影 2001. 4.28)
 通行止の少し手前で、右へと県道203号・与地辰野線が始まっている。その分岐を示す大きな道路標識が立っている。以前はその狭そうな県道を使って経ヶ岳林道の方へ行くようにと案内看板も出ていた。
 
 しかし今は、通行止のゲートの右脇より、「林道御射山線」という道が山を登っている。それを行くと経ヶ岳林道に途中で合流できるようになっているのだ。御射山林道は全線舗装済みで、本線の経ヶ岳林道より走りやすいくらいである。しかも、まだ林の中で薄暗い区間の経ヶ岳林道を5、6Kmもパスすることができる。
 
 以前はこんな林道など全く気づかなかったが、今では経ヶ岳林道上にはっきりした分岐があり、案内看板も立っている。多分、新道建設に伴って最近改修された道なのだと思う。道の途中からは建設中の新道が所々に眺められる。
 
 そんないい抜け道があることは百も承知で、あえて経ヶ岳林道の最初から走るのが峠のツウである。2001年11月に訪れたときも、勿論伊那市内の険しい国道は避けて、中央自動車道の伊那IC方向から経ヶ岳林道に向かったのだった。
 
 御射山林道の分岐まで来ると、その周囲に看板がいくつか立っている。終始ほとんど何も無く寂しい道の中にあって、目を引く看板の数である。まず、「伊那市32号カーブ」とある。この峠道にカーブ番号などあっただろうかと、首を傾げたくなる。この箇所以外にも少しはカーブ番号が出ていたような気もするが、ほとんど目にとまるものではない。それにカーブ番号など気にしたって、カーブが多過ぎて手におえない。

左に林道御射山線の分岐 (撮影 2001.11.10)
(分岐は車の影になっている)
いろいろ看板が立っている
 
 道の行き先には、「木曽福島44Km」とある。現状の道では、楢川村の奈良井で国道19号に出るまでは一本道だが、そこから木曽福島まではまだまだ遠い。それに国道19号から出てから先、必ずしも木曽福島に行くと決まったものではなかろうに、何となくピンとこない。もう少し手近な目的地を示してくれた方がいいが、木曽には大きな都市がないからしょうがなのであろう。
 
 「大型車通行止」はいつものことだが、2001年11月に訪れたときは、それに加えて「片側通行止」の工事看板が立っていた。「道路防災工事の為」とあった。もともと1車線しかないような道で、どうやって片側通行止にするのだろうか、悩んでしまう。
 

谷の下に新道を望む (撮影 2001. 4.28)
 御射山林道の分岐を過ぎた頃から、道はだんだん楽しくなってくる。暗い林を抜け視界が開けてくるのだ。谷を広く見渡すことができ、山腹を細々と道が続いているのが確認できる。如何にも山岳道路といった雰囲気である。この険しさをひしひしと感じるのが、峠道を行くときの快感でもある。
 
 間も無く、「南箕輪村」と書かれた看板が立っており、道は伊那市から南箕輪村に入ることを示している。この先峠までは南箕輪村の飛び地内を行く。
 
 谷の底をよく見ていると。新道がちらりとのぞいた。谷の先には伊那市の市街が広がり始めている。
 
 道は山腹の細かなひだをなぞりながらも、1つの大きな谷(北沢)をぐるりと巻いて進んでいることに気づく。ここがこの峠道のクライマックスである。これまではあまり車を止めることもせず、さっさと走り通してしまっていた経ヶ岳林道であったが、久しぶりにのんびり堪能してみると、こんなにも山岳道路の険しさがあったのかと、改めて見直してしまう程である。
 
 でも、あまり車を止めたくないのも人情である。道幅が狭いから、対向車でもくると厄介なのだ。この谷の風景を写真に収めたいと思っても、ついつい慌ててしまって、ピンぼけにしてしまうこともある。

経ヶ岳林道を望む (撮影 2001. 4.28)
  

伊那市遠望 (撮影 2001.11.10)
 たまには覚悟を決めてと、カメラをじっくり構えていたら、下の方から数台のオンロードバイクがやって来るのが見えた。相手がバイクでは、ただでさえこちらはのんびり走っているので、直ぐに追いつかれてしまう。写真を撮り終えた後も、その場で車を停めたまま、追い越させることにした。すると、来るは来るは。次から次へとバイクが現れて、その数は10台以上であった。こんな賑やかな権兵衛峠街道は初めてである。
 
 高度が上がると伊那谷の景色が広く、雄大な眺めとなってくる。そうすると展望所まではもう直ぐだ。
 

展望所 (撮影 2001. 4.28)
伊那市方向を見る
ちなみに、ここのカーブ番号は101号

展望所 (撮影 2001. 4.28)
峠のある稜線方向を見る
 
<展望所>
 
 経ヶ岳林道は権兵衛峠の北方を大きく回りこみながら、徐々に伊那谷と木曽谷を隔てる稜線に接近し、稜線を越える1Km程手前でその道の最高所に到達する。この付近は10年程前には何も無かった所だが、1997年頃に工事が行われ、今では立派な展望所が整えられている。ここからは、眼下に伊那谷の広がりを見渡し、南の稜線方向には中央アルプスの連なりを望み、絶好の展望地である。春遅い4月下旬頃になっても、まだ雪を頂いた木曽駒ヶ岳などの山々が眺められる。
 
 ここは峠のある峰に近いがまだ山腹途中であり、別に峠でも何でもない一通過点である。しかし、展望所が造られると同時に設けられた看板などには、ちゃっかり「権兵衛峠」と書かれているのだ。一番高い場所でついでに眺望もいいからと、地形的には峠といえない所に峠と書かれるのは、ちょっと気に掛かる。あまり頓着しない者は、本当にこの場所が権兵衛峠だと思ってしまうかもしれないではないか。
 
 この展望所が出来たせいではなかろうが、最近この峠道を通る車が多くなったように思う。今しも数台の車が駐車場に停まり、景色を楽しんでいる者が付近をたむろしている。1台車が行くと、また暫くして別の車が1台登って来るといった具合で、人影が途切れることがない。
 
 ちょうど展望所がまだ建設途中に訪れたことがある。その時は、今は階段でしか上れない山側の高台に、ジムニーごと乗り上げ、暫し景色を楽しんでいた。その間、誰一人通る車はなかった。単なる偶然だろうが、とても静かな峠道だった。
 
 伊那側からまた1台、小さな軽自動車が登ってきたかと思うと、その中から二十歳過ぎくらいの若者が一人下りてきた。景色を眺めるのかと見ていると、ぼんやり立っていた私に歩いて近付いて来る。そして彼は、この先まだ道は長いのかとか、オートマ車でも大丈夫かとか、いろいろ聞いてきた。話し振りからして、どうもやや興奮気味である。
 
 この峠道は道路地図上では確かに国道表記になってはいても、元々は険しい林道である。多分、彼は車に乗り始めて日が浅く、しかもこんな道とはつゆ知らず、休日の気軽なドライブがてらにと、一人で車を走らせて来たのだろう。ところがやって来てみると、道は狭いし屈曲は多いし道程は長いし、一人で大変心細い思いをしたに違いない。やっと展望所に無事に着き、誰か人に話し掛けずにはいられなかった様子である。

展望所の看板 (撮影 2001. 4.28)
「権兵衛峠」と書かれているのが気に掛かる
  
 こんな峠道が好きでわざわざ遠くからやって来る者もいるのだが、国道なのに何てひどい道なのかと困惑する者もいる。でも、ちょっと彼がうらやましい気がした。険しい峠道をいろいろ経験してしまったので、権兵衛峠くらいでは、もう彼の様に興奮するなどということはないのだ。峠道に対してまだまだ初々しい頃は、今よりもずっと刺激的に感じられていたのに。いつまでも楽しめる気持ちを持ち続けたいものだ。
 
 展望所を去る時に、ちらりと彼の方を見ると、一人立ち尽くし、感慨深げに伊那谷の景色に見入っていた。
 

車道の権兵衛峠 (撮影 2001.11.10)
<車道の権兵衛峠>
 
 展望所より僅かなアップダウンを走り、小さな尾根を1つ回り込むと、急に開けた場所に出る。「楢川村」と看板が立ち、ここが南箕輪村との境、しいては木曽と伊那の境であることが分かる。ただ、伊那側から来ると、道を下って来るので、峠に着いたという感じがないのが残念だ。ここだけ道幅が広く、道に隣接して広い敷地もあり、時には何台かの車が駐車されている。側らにトイレもあって休憩にはいいが、ここからの展望はあまりよくない。
 
 以前一度、この場所に出店が開いていたのを見かけたことがあった。何を売っていたのか、お金を使う気など毛頭無いので、気にもとめなかったが、冷たい飲み物かアイスクリームでも商っていたようだった。その時は生憎薄霧がかかり、こんな寂しい所で店を出して、商売になるのだろうかと、不思議な感じがしたのを記憶する。それ一度きりで、出店はその後見たことがない。 

峠より伊那側の新道を望む (撮影 2001. 4.28)
 
 この車道が稜線を越える場所は、伊那側に最高所をもつ林道が通っているという変則的な点はあるが、間違いなく車道の峠である。名前はといえば、やっぱり権兵衛峠というしかない。峠近くに立つ国道標識にも、「楢川村 権兵衛峠」との記述がある。しかし、展望所のように峠名を記した看板はここにはない。
 
 
<本当の権兵衛峠>
 
 実のところ、本当の権兵衛峠がどこにあるのか、最初の頃は全く知らなかった。別に気にもしなかった。ところが峠に関心を持つようになると、ここが正真正銘の権兵衛峠だといえる所がどこなのか、知らずにはおけなくなった。そこで、2001年の4月に訪れた折り、念入りに調べることにした。 

楢川村側より峠を望む (撮影 2001. 4.28)
国道標識には「楢川村 権兵衛峠」とある
 

ここが本当の権兵衛峠 (撮影 2001. 4.28)
木曽側より見る
 本来の権兵衛峠は、広場の隅にあるトイレの脇を抜け、稜線上に設けられた遊歩道を行く。トイレの真横にそれを示す小さな看板が立っている。もっと目立った看板にしておいてくれれば、早くに気づいていたのにと思う。
 
 150m程の遊歩道からは、稜線の真上ともあって、伊那側の眺めがいい。途中の小さなピークからは、鉄塔の電線が雄大に伊那側に下って延びていた。
 
 着いた権兵衛峠は石碑や看板が並ぶ賑やかな峠だ。東屋や水場もあり、峠名の由来ともなる古畑権兵衛碑が一際大きく目立って立っている。分水嶺を示す石碑には、「右、天竜川水系北沢川」、「左、信濃川水系奈良井川」とある。
 
<権兵衛街道>
 
 古畑権兵衛さんは現在の日義村神谷(かみや)の出身だったそうだ。神谷は楢川村とを隔てる姥神(うばがみ)峠の西側に位置する。よって権兵衛街道は、姥神峠と権兵衛峠の2つの峠を越えて、木曽と伊那を結んでいた道だったようだ。姥神峠にも権兵衛の碑が立っているとのこと。
 
 古くは鍋掛(なべかけ)峠と呼ばれた牛も通わぬ難路を、木曽の牛方だった権兵衛さんらの努力により、道の改修が行われたのが元禄9年(1696年)のことである。峠の標高は1,522m。後に権兵衛峠と呼ばれるようになる。この峠道を馬の背に乗せられた米が、伊那谷から木曽谷へと運ばれるようになった。

峠より伊那へ下る権兵衛街道 (撮影 2001.11.10)
今は通行止の看板が立つ
  

車道からの権兵衛峠への登り口 (撮影 2001.11.10)
 その後、昭和27年より国道361号として車道の改修が進んだが、元の権兵衛街道とは全く異なったコースをとることとなった。特に伊那側は林道により迂回したため、権兵衛峠より伊那に下る細々とした山道が、昔の権兵衛街道の名残を留めている。しかし、現在はふもとで行われている新道工事の為、その山道は通行止である。
 
 車道の峠より少し国道を木曽側に下った途中に、権兵衛峠への上り口がある。峠に行くだけならここからの方が早い。ただ、急な坂道を登らなければならず、雨の日などには滑り落ちそうになる。この僅かな坂が木曽側の権兵衛街道の名残なのだろう。それから先は車道のアスファルトにかき消されてしまっている。
 
 車道を走っているだけでは、伊那側の景色はところどころで眺められても、木曽側の眺望はほとんど得られない。峠の木曽側は谷が屈曲していて、見通しが利かないせいもあるのだろう。
 
 ただ一箇所、権兵衛峠への遊歩道途中にある、鉄塔の立つ稜線上のピークからは、木曽側にも比較的広い眺めが得られたのはよかった。権兵衛街道ができてから300年以上が経つが、この木曽の山の景色はそれ程変わりはないのではなかろうか。

峠近くの稜線から木曽側を眺める (撮影 2001. 4.28)
  

木曽側へ下る国道 (撮影 2001. 4.28)
木曽福島32Km、奈良井16Km」とある
<木曽側に下る>
 
 峠の木曽側をのぞくと、また狭い国道が急坂のつづら折で一気に下っている。でも、峠直下こそ暫し険しいが、それもひとしきり下り終わると、間もなくゲートを通過する。以後は非常になだらかな勾配の道となる。屈曲も少なく道幅も十分だ。あの伊那側に延々と続く経ヶ岳林道に比べれば、全く穏やかな道である。両側を山で囲まれた開けた谷間に位置し、山懐に抱かれたという落ち着きを感じる。
 
 道は途中、左に栃洞(とちぼら)キャンプ場への未舗装路を分ける。しかし、キャンプ場から先の林道は一般車両通行禁止である。
 

峠直下より峠方向を望む (撮影 2001. 4.28)

ゲート 車は峠方向を向く (撮影 2001. 4.28)
 
<権兵衛トンネル工事>
 
 道は奈良井川につきつ離れず、谷に沿ってほぼ真っ直ぐ北へと進むようになる。ここから奈良井宿で国道19号に出るまでが、またなかなか長い。
 
 あまり見るべきものもないまま、ぼんやり車を流していると、その内、道路周辺が工事現場となっている箇所に出くわす。右を振り返ればそこにぽっかり穴が開いている。権兵衛トンネルの木曽側の坑口である。2001年11月に見たときは、まだまだ工事中といった感じを受けた。

権兵衛トンネル (撮影 2001.11.10)
  

姥神トンネル (撮影 2001.11.10)
<姥神トンネル>
 
 権兵衛トンネルを過ぎると今度は左手奥にまたトンネルである。現在では既に完成したと聞く姥神トンネルだ。2001年11月の時点でも、こちらはもうほとんど出来上がっているような雰囲気だった。ただ、まだ一般の通行は禁止されていた。
 
 本来の権兵衛街道は2つの峠越えの道だったようだが、現在工事が進んでいる新道も権兵衛と姥神の2つのトンネルを抜ける道であ。その意味で今の国道よりも権兵衛街道に近いコースをとることになる。とはいっても、長いトンネルと快適な道路で突っ走る新道は、馬が通った古い街道とは似ても似つかぬ代物ではあるが。
 
<旧道の行方>
 
 一方、新道が完成すれば、現在の峠道とは全くコースが異なってしまう。権兵衛トンネルと姥神トンネルを繋ぐ僅かな区間だけが、旧道に重なるだけである。その部分は改修されてしまうだろうが、それ以外はどうなるのであろうかと心配である。峠道が捨て去られることなく、今のまま保存されるといいのだが。
 
<姥神峠の道>
 
 余談だが、姥神峠は車道の通らぬ峠道である。それでも、日義村側の途中までは車道が来ている。そこは権兵衛さんの出身地である神谷川に沿う神谷集落がある。一度そこを訪れたことがある。
 
 神谷へは、国道19号の山吹トンネルの近くから、トンネル工事看板以外は何もない寂しい分岐を入って行く。この道は、以前から道路地図上で、国道361号の表記となっていたが、行止りの道が国道であることが不可解であった。やっと今回姥神トンネルが開通することで、正真正銘の国道として生まれ変わる。道は既に改修が進んで、神谷川沿いに立派な2車線路が伸びていた。

神谷側の姥神トンネル (撮影 2001. 4.28)
  

車道の行止り (撮影 2001. 4.28)
この先は山道が姥神峠へと続く
 途中、コンクリートの柱がにょきにょき何本も立ち、橋梁工事が行われている箇所に出くわす。姥神トンネルの出口から先で、旧道と立体交差するように計画されているようだ。こんな寂しい山の中に、やや大げさな感じを受ける。新道が完成すると、木曽と伊那を結んで、それだけの交通量が見込めるのだろうか。
 
 橋梁工事の先で、姥神トンネルはもうほとんど完成しているようだった。トンネルを過ぎると間もなく、神谷の小さな集落である。数軒の人家が肩を寄せ合って暮らしを営んでいる様は、素朴そのものである。
 
 集落の終点が車道の行止りであった。道の終わりは何となく寂しい。これ以上車は進めないのだ。それを確かめに来たようなものである。舗装が途切れたその続きを、細々とした山道が繋いでいた。この道を行けば姥神峠があるのだろう。いつか歩いて権兵衛さんの石碑を訪れたいものだ。
 
<県道432号・姥神奈良井線>
 
 現在の権兵衛峠の道は、姥神トンネルを分けた後も、そのまま奈良井川沿いを進むのであるが、国道名称を姥神峠に取られているので、それ以後は県道名称に変わる。「県道432号・姥神奈良井線」という。
 
 県道は間もなく奈良井ダム湖に出る。以前はダム湖の上流部は鬱蒼とアシの生えた何となく気味の悪い場所だったが、最近は明るく開けた感じがする。ダム湖畔の快適な道が、青い湖面を眺めながら続く。
 
 ダムを過ぎた先で、そのまま川の右岸を行けば、国道19号の鳥居トンネル近くに出る。奈良井宿方面に向かうには、川を渡り左岸にコースをとるとよい。左岸の道は、遡ればダム下流の発電所に出る。下れば途中左に旧鳥居トンネルへの道を分け、更に現在の鳥居トンネル坑口の上を越え、奈良井宿近くで国道19号に合流する。

奈良井ダム湖 (撮影 2001. 4.28)
右岸に快適な道が走る
 
<奈良井川沿いの集落>
 
 資料などによると、国道に出るまでの奈良井川の沿線には、集落が点在していることになっている。確かに地形図などには、「萱ヶ平」、「むるで」、「番所」、「羽渕」、「糠沢」、「栃窪」といった集落名が見られる。しかし、今思い出してみても、現在でも尚人が住んでいそうな家があったような気が全くしないのだ。10年以上前にこの権兵衛峠の道を走った時から、誰も住んでいない道だとずっと思い込んでいた。それが正しければ、随分寂しいことである。これから快適な新道が開通すれば、尚更、沿線を訪れる者は少なくなるだろう。
 
 新権兵衛街道の完成がいつになるのか正確には知らないが、権兵衛トンネル木曽工事の看板によると、工期が「平成16年3月30日」までとあった。後1年くらいで伊那と木曽が大動脈で繋がるようだ。
 
 手元には見学室からもらってきたパンフレットが1冊ある。「地域高規格道路 伊那木曽連絡道路 権兵衛峠道路」と題して、新道のメリットをいろいろ謳い上げている。これまで冬期閉鎖を余儀なくされていた峠道が、これからは通年通行可能になる。それだけでも地元民ならず、旅をする者にとって非常に便利なことだ。せいぜい利用させてもらうことにする。それと、たまには旧道を使って権兵衛峠にも訪れよう。これから権兵衛街道がどのように変わっていくのか、見届けていきたいものだ。
 
 余談だが、立派な伊那木曽連絡道路が開通すると、権兵衛峠の道は難所ではなくなる。ただ一箇所を除いて。これからは伊那市街が国道361号の最大の難所になると思うのだが・・・。
 
<参考資料>
 角川  日本地名大辞典 20 長野県 平成3年9月1日発行
 昭文社 ツーリングマップ  中部 1988年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 中部 1997年3月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図
 
<制作 2003. 3. 7> <Copyright 蓑上>
 
権兵衛峠(Part1)
 

峠と旅        峠リスト