ホームページ★ 峠と旅
タラガ谷越
  たらがだにごえ  (峠と旅 No.270)
  新しく長いトンネルが抜けた峠道
  (掲載 2017. 1.11  最終峠走行 2016.10. 8)
   
   
   
タラガ谷越 (撮影 1997. 4.27)
手前は岐阜県郡上市八幡町那比
奥は同県関市板取加部
道は国道256号
峠の標高は約670m (地形図より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
正確には、この数10m先にある市境が峠部分
ジムニーは峠の郡上市側の路肩に停まる
この時はまだ八幡町で、峠は板取村との町村境であった
峠を訪れた親子連れの3人が、春の日差しの下でのんびり散策していた
 
 
 
   

<路線バスの旅>
 「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(以後「路線バスの旅」)という番組が最終回を迎えるそうだ。 旅(旅行)に関したテレビ番組は数多いが、その中にあってこの「路線バスの旅」は一線を画していた。 旅番組と言えばグルメや温泉、豪華な旅館・ホテルが当たり前の様に出て来るが、「路線バスの旅」ではそんなこととは無関係だ。 とにかく3泊4日という期限内に路線バスのみを乗り継いで目的地に辿り着くことだけが目的である。 食事はバスの待ち時間に近くの食堂で有り触れたかつ丼やらオムライスなどを時間に急かせられながら食べる。温泉や観光名所があっても素通りだ。 宿は飛び込みなので、時には寂れたビジネス旅館に泊まったりする。バス路線がない区間は何キロもの距離を徒歩で移動するという過酷さだ。 私の旅も食事や旅館の良し悪しなど関心がなく、寂しい峠道を走り回るばかりなので、どこか共感する部分があり、ほぼ毎回視聴していた。
 
 ある回で、旅の一行は板取川(いたどりがわ)を遡り始めた。それを見て、今回の旅は失敗だろうなと思った。 板取川沿いには国道256号が通じ、途中からタラガ谷越を越えて本流の長良川沿いへと移る。しかし、峠前後は狭い道で、到底路線バスなど通じている筈がない。 車道としてはそれ程険しい道ではないが、歩いて容易に越えられる訳でもない。 板取川の更に上流方向には県道52号・白鳥板取線が延び、旧大和町(現郡上市)に越え(クナジロ峠/西峠)、 幹線路が通じる長良川沿いに出られるが、この道は更に長く険しい。 とにかくこの道の路肩で野宿したこともある程だ。
 
<タラガトンネル>
 これはダメだろうなと思いながらテレビを見ていると、何やら立派なトンネルが画面に映し出された。考えてみると、タラガ谷越を越えてからもう20年近くになる。 いつまでも寂しい峠道ではなかった。峠の下に全長4.5キロもの長大なタラガトンネルが開通していたのだ。しかし、残念ながらバス路線はこのトンネルを抜けていなかった。 しかも、トンネル内に歩道はなく、歩いて通ることもできない。 どうなることかと見ていると、旅の一行は一先ず板取川沿いの宿に泊まり、翌日、宿の車でタラガトンネルを抜けた直ぐ先の宇留良(うるら、うんら)のバス停まで送ってもらっていた。 ちょっと変則的なパターンとなったが、これでどうにか旅が続けられたのだった。
 
 板取川沿いの地域は、初めてタラガ谷越を越えて以来、とんと訪れていない。新しくできたタラガトンネルを見てみたいし、タラガ谷越ももう一度越えてみたい。 テレビ番組に触発されたこともあり、機会があればその地を旅しようと思っていて、それが去年(2016年)の10月に実現した。結果は、旧道の峠が通行止で通れなかったが、2日間に渡り板取川沿いの旅を堪能したのだった。

   

<所在>
 峠は岐阜県の郡上市(ぐじょうし)と関市(せきし)との境に位置する。 ちょっと前までは郡上郡(ぐじようぐん)八幡町(はちまんちょう)と武儀郡(むぎぐん)板取村(いたどりむら)との境だった。 郡上八幡(ぐじょうはちまん)の呼び名で知られる八幡町は、木曽三川(きそさんせん)の一つ長良川(ながらがわ)沿いに立地し、八幡城などの観光地も多い。一方、長良川支流の板取川上流部に位置する板取村は、福井県との県境にも接した山深い地だ。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<関市板取村(余談)>
 その板取村は、今は関市の一部となり、旧村域全体は単純に「関市板取」(せきしいたどり)と呼ばれる。 調べてみると、関市は面白いV字形をしていて、関市板取はVの字の左上の全てに当たる。旧板取村は大字を編成しなかったようで、それで村全体が関市板取という住所名となったようだ。 関市の中でも非常に広い地域を占めるが、そこが全て関市板取一色というのが面白い。

   
   
   
郡上八幡より峠へ 
   

<法伝橋>
 郡上市八幡町側からは、長良川に架かる法伝橋(ほうでんばし)よりタラガ谷越への峠道が開始される。青い鉄骨がトラス構造に組まれた橋上からは、やや渓谷の様相を示す長良川を望む。生憎天候が悪く、川面には霧が漂っていた。

   
法伝橋より長良川下流方向を望む (撮影 2016.10. 8)
   

国道標識 (撮影 2016.10. 8)

<国道256号>
 橋を渡ると直ぐに国道標識が立つ。長良川沿いの国道156号から分かれ、国道番号は256を示している。地名は「八幡町相生」とあり、郡上市になる前と変わりない(下の写真)。
 
<相生>
 現在は長良川右岸沿いの一地域を八幡町相生(あいおい)と呼ぶが、明治期からあった相生村は、タラガ谷越までを含む広い村であったようだ。昭和29年(1954年)にそれまでの八幡町と合併し、新しい八幡町の一部となっている。 

   

<通行止看板(余談)>
 タラガ谷越は1997年(平成9年)4月に越えたことがある。その時は国道標識の下に「通行止」の看板が立ち、一瞬ドキリとさせられた。 直ぐ先にジムニーを停め、しげしげ眺めると、国道256号のことではなかった。工事区間は「郡上郡美並村大字門福手地内」とあった。 「県単道路」ともあるが、現在の県道315号のことではなかったかと思う。国道256号の途中から分かれ、旧八幡町の南に位置する旧美並村(みなみむら、現郡上市)へと通じる道だ。 「門福手」がどこにあるのかは分からない。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1997. 4.27)
まだ郡上市になる前の八幡町の頃
   

<高畑温泉へ>
 道は相生の小さな街中を抜け、単線の長良川鉄道・越美南線の相生駅近くで踏切を渡って行く。直ぐに街並みは途切れ、長良川の支流・亀尾島川(きびしまがわ)の左岸沿いになる。 すると、「高畑8Km」と出て来た。国道256号のタラガ谷越の区間では、これと言って知られた観光スポットがない。唯一、この高畑温泉ぐらいであろうか。 峠までの半分くらいに位置し、当面の目標地となる。
 
<大型車通行不能>
 また暫く行くと、「大型車通行不能」と看板が掛かる。場所は「郡上市八幡町那比 地内」とある。5km、3km、2.5km手前と看板が立つ。県道315号を分けた先が、その大型車通行不能(長さ8.00mをこえる車)となるようだ。

   

大型車通行不能の看板が立つ (撮影 2016.10. 8)
「5.0km先」とある

大型車通行不能の看板 (撮影 2016.10. 8)
左の地点より更に2Km進んだ所にあった看板
   

<亀尾島川と那比川>
 峠直下からは那比川(なびがわ)が下るが、地形図では亀尾島川(きびしまがわ)と那比川のどちらが本流か判然としない。 文献(角川日本地名大辞典)では那比川が「亀尾島川に合流して長良川に注ぐ」とあるので、亀尾島川の方が本流、那比川はその支流となるようだ。 道は当面、亀尾島川左岸に通じている。

   
沿道の様子 (撮影 2016.10. 8)
   

<東海北陸自動車道(余談)>
 亀尾島川の谷はまだ広々とし、田畑が広がり人家が点在する。国道156号からの分岐より1.5km程で東海北陸自動車道の高い高架の下をくぐる。 この自動車道の開通でこの谷の景観も随分と変わったことだろう。初めてタラガ谷越に向かった時は、東海北陸自動車道はまだ郡上八幡ICまでしか開通していなかった頃だ。 その後、厳冬期の2月初旬に、白川村前後の東海北陸自動車道を走ってみたが、なかなかスリルがあった。 こんな豪雪地帯に通じる自動車道の経験は初めてで、どの程度のスピードで走れるものか分からず、へっぴり腰の走行であった。

   
この先、東海北陸自動車道をくぐる (撮影 2016.10. 8)
   

<亀尾島川沿いの県道分岐(余談)>
 南の旧美並村方面へと続く県道315号とは別に、亀尾島川沿いに北上する県道315号が右手に分岐する。初めてタラガ谷越に向かった時は、途中でこの県道に寄り道した。 この付近では、基本的に旧八幡町と旧板取村との間にタラガ谷越が幹線路として一筋越えるが、それ以外にも旧大和町や旧美並村などを含めた広い範囲に、通じているか通じていないか分からない道がいろいろ走り回っている。 北上する県道315号もその一つで、どこかに抜けているのではないかと入り込んだのだ。しかし、途中から林道と変わり、大栃という集落の先で断念して引き返して来た。

   
大栃付近 (撮影 1997. 4.27)
この先で引き返し
   

<那比>
 右に県道315号を分けると、道は亀尾島川を渡り、その支流の那比川岸沿いとなる。住所も八幡町那比(なび)と変わり、国道標識にも「八幡町那比」と出て来る。 那比川流域のほとんどがこの那比の地となるようだ。江戸期から明治期に掛けて那比村が存在し、明治30年(1897年)に相生村と合併、新しい相生村の大字となる。その後、昭和29年からは八幡町の大字那比となっている。

   

南下する県道315号分岐 (撮影 2016.10. 8)

<新宮川沿いの県道315号分岐>
 支流の新宮川沿いに南下し、旧美並村へと抜ける県道315号は、地形図では県道表記になっているが、国道沿いに県道分岐の看板はない。 分岐に立つ看板の行先には「新宮 粥川」とある。新宮は八幡町側の地名で、那比新宮神社があり、その案内看板も立つ。 粥川は旧美並村側の地名で、長良川支流・粥川谷沿いに下って道は美並市街へと至る。粥川谷と新宮川の分水界となる峠前後は、県道表記が消えていて、怪しげなる峠道だ。 道の途中に林道らしき道が幾つも分岐し、この近辺を探索するときっと面白いことだろうが、まだ一度も入り込んだことはない。

   

<県道315号分岐以降>
 県道分岐の角の国道側には、「この先、大型車通行不能」や「通行注意」の看板が立ち、行先は「宇留良 板取」と出ていた。 本線の国道の方もこの分岐以降、道が険しくなることを示している。確かに数100mも進むと、ここに至るまで完全2車線路だった路面からセンターラインが消え、細い道と変わった。 それまで沿線の人家は途切れることがなかったが、人家の全くない狭い溪谷区間も通るようになる。

   


<高畑集落へ>
 寂しい谷間を抜けると、右手に「那比村藤吉の墓、義民碑」が立つ。郡上一揆の義民を鎮魂する物のようだ。
 
 その先、再び人家が並びだす。那比川沿いの大きな集落としては最も奥に位置する小谷通(おがいつ)と高畑の集落に差し掛かる。国道沿い400〜500mに渡り人家が見える。


右手に道 (撮影 2016.10. 8)
   

<高畑温泉>
 集落を過ぎて少し行くと、「高畑温泉」の看板が左手を指す。左手に国道から降りる道がある。


高畑温泉の看板 (撮影 2016.10. 8)
   

高畑温泉 (撮影 2016.10. 8)

 国道から下を覗くと、那比川の川岸に高畑温泉がひっそり佇んでいた。

   
   
   
高畑以降 
   

<高畑以降>
 高畑温泉を過ぎると、道は本格的に狭くなる。それでいて、ポツポツと対向車が来る。この先、八幡町側最奥の集落・宇留良がある。 山間部の集落としてはなかなか大きいようだが、その住民の車だけとは思えない。タラガトンネル開通で、関市板取からも八幡町へとやって来る車が多くなったのではないだろうか。 トンネルを使えば板取川沿いから長良川沿いまで約15Kmだ。タラガ谷越を越えるより4km強短縮された。また、峠道には付き物のつづら折れの急カーブからも完全に開放されている。 ちょっとした買い物にも、商店などが多い八幡町市街くらいまで出掛けることがあるのかもしれない。


道が狭くなる (撮影 2016.10. 8)
対向車とのすれ違いも容易でない
   

<狭路>
 ただ、高畑温泉からトンネル手前までの2km余りが、異常に狭い。小刻みな蛇行も多い。タラガ谷越区間の国道256号としては、今はそこが最大のボトルネックとして残る。その狭い道で5台程の対向車とすれ違った。スピードは上がらない。
 
<工事区間>
 途中で道は那比川の右岸へ移る。その先、交互交通の工事区間を通った。多分、道の拡幅工事でも行われているのだろう。工事は小規模で、ボトルネック解消には程遠い様子に見えた。

   

右に旧道分岐 (撮影 2016.10. 8)

<旧道分岐>
 工事区間を過ぎると再びセンターラインが現れ、その先数100mにトンネル坑口が待っている。そこを右に分岐がある。 国道上には分岐を示す道路標識はあるものの、その道が何なのか、行先はどこかなどの案内は一切ない。しかし、それがトンネル開通前の元の国道である。宇留良集落にも通じる。
 
<宇留良バス停へ>
 その旧道は、尚も那比川右岸沿いに続き、タラガ谷越より下るタラガ谷を渡ると、宇留良のバス停前に出る。

   
左手に宇留良バス停 (撮影 2016.10. 8)
   

<宇留良バス停>
 周辺は那比川とその支流のタラガ谷が合流する三角地帯で、比較的広い平坦地になっている。畑などの耕作地が広がり、宇留良バス停はその一角にポツンと立つ。 「路線バスの旅」の一行は宿の車でこのバス停まで送られ、ここより路線バスの乗り継ぎを再開したのだった。 こんな何でもない、どちらかと言うとちょっと寂しい場所がテレビに登場するというのも、「路線バスの旅」が風変わりであることを示している。
 
 それでも、バス停周辺は僅かだが数本の樹木が茂り、ちょっとした鎮守の森といった様相だ。バス停横にはお堂が立ち、石碑なども並ぶ。今は国道の本線から外れ、バス停前を通る車はこの先の宇留良集落の人たちくらいだろう。静かで落ち着いた佇まいを見せている。

   
宇留良バス停の様子 (撮影 2016.10. 8)
   

「タラガ峠開通記念」の碑 (撮影 2016.10. 8)

<開通記念碑>
 タラガトンネルを突っ走っていると、このバス停前には訪れることがないが、峠マニアとしては是非立寄りたい場所である。峠の開通記念碑があるのだ。
 
 祝
タラガ峠開通記念
国道256号昇格
平成5年

   

<峠名>
 ところで、今回再訪するまで、峠名を全く忘れていた。峠道自体、記憶に残る様な険しさはなく、国道としてはちょっと寂しいなという程度だった。それで、峠名も覚えていなかった。 更に、一般の道路地図でこの峠名が載っていることが極めて稀だ。 手持ちの物では、1997年3月発行のツーリングマップル(4 中部 昭文社)のみに「タラガ谷越」とあり、その他の県別マップルでさえ、峠名が記されていないのだ。地形図にも見られない。
 
 記念碑では極めて単純に「タラガ峠」とある。また、文献(角川日本地名大辞典)の「板取村」の項に掲載されている地図に「タラガ谷峠」とあった。どれも大差ない。ここでは、初めてツーリングマップルで見た「タラガ谷越」を主に採用させてもらった。

   

<タラガ谷>
 峠名はこの「タラガ谷」に由来することは明白だ。八幡町側に流れる那比川の支流であるが、地形図を見ると、関市板取側にもタラガ谷が流れ下り、板取川に注いでいる。峠を挟んで東西両側にタラガ谷という川が存在した。
 
<高賀山(余談)>
 更に、この片仮名の「タラガ」とは何であろうかと思う。峠は長良川と板取川の分水界となる尾根上にあるが、峠よりその尾根上を南に2.5km程離れた所に高賀山(1,224m)がそびえる。 旧の板取村と八幡町と洞戸村(ほらどむら)との境となる。この「高賀」を「たらが」と読むのではないかと思ったら、高賀山は「こうがさん」と読み、高賀川(こうががわ)という川も別にあった。
 
<高倉谷(余談)>
 ある資料で、タラガ谷を「高倉谷」と記するものがあった。高倉(たかくら)が「タラガ」になまったのだろうかとも思ったが、やや無理がありそうだ。

   

<峠道の開通>
 タラガ峠開通記念碑には平成5年(1993年)の日付が刻まれる。確かに1988年5月発行のツーリングマップ(中部 2輪車 昭文社)では、峠前後にまだ車道が通じていない。 また、昭和55年(1980年)9月20日発行の角川日本地名大辞典(角川書店)の板取村加部の項では、「県道板取八幡線が村境まで開通している」とある。また同じ文献に八幡町那比側には「県道相生板取線」が通じていたとの記述も見掛ける。
 
 これらからすると、峠に車道が開通する以前は、板取村と八幡町の双方から県道板取八幡線(または相生板取線)が峠道の途中まで延びていたようだ。 そして、1993年に初めてタラガ谷越に車道が通じると共に、道は国道256号に昇格したらしい。 その道を使って初めて峠を越えたのは1997年のことで、開通後間もない頃となる。路面のアスファルトや擁壁のコンクリートはまだ新しく、沿線の木々は伐採されていて見通しが良かった。

   

砂防指定地の看板 (撮影 2016.10. 8)
「薬師谷」とある

<薬師谷(余談)>
 バス停の左に並んで「砂防指定地」の看板があるが、そこに「薬師谷」と書かれている。看板の地図はタラガ谷の部分を示していて、タラガ谷は薬師谷とも呼ばれるのだろうかと思わせる。
 
 尚、バス停奥にあるのは、最初は神社の社かと思っていたが、写真を見た妻は、鳥居もなければ鈴も下がっていないので、これは仏を祀るお堂だと言った。 御朱印集めを趣味とするので、やはり妻の目の付け所は違う。「薬師谷」の名があるところからすると、薬師如来が祀られるのではないかとのこと。

   

<宇留良集落>
 宇留良バス停があってもその近くに宇留良の人家はない。宇留良集落の中心地は、バス停より更に那比川本流沿いを300m程遡った位置で、峠がある支流のタラガ谷沿いではない。 文献では宇留良を「うんら」としているが、道路看板などでは「Urura」と書かれていて、「うるら」と読むことになっている。
 
<番所>
 この宇留良について、文献などの記述は少ないが、「番所」が置かれていたとあるのが唯一注目された。 タラガ谷越に車道が通じる以前の遠い昔より、那比村と板取村(加部村)とを結んで何らかの峠道が通じていたことだろう。 峠が越える峰は、郡上郡と武儀郡の郡堺であるが、江戸期からは郡上藩と尾張藩の藩境でもあった。そこで、峠直下に位置するこの宇留良に郡上藩による番所が設けられたものと思う。
 
<自主運行バス(余談)>
 この宇留良バス停を終点とするバス路線は「郡上八幡自主運行バス・相生線」と呼ばれるようだ。「自主運行」とはどういうことだろうか。コミュニティーバスの様なものだろうか。郡上市役所八幡庁舎との間に、日に2往復の便があるだけである。


宇留良バス停 (撮影 2016.10. 8)
   

<那比雨量観測所(余談)>
 かつては近くに番所もあったであろう宇留良バス停だが、道路地図などでこの地点が示されていることは少ない。ただ、「那比雨量観測所」と掲載されていることがある。 その「観測所」とは一体どこだろうと後で考えてみると、バス停の小さな広場の片隅に、電話ボックス程度の箱が立っていた。最初は簡易トイレかと思ったがそうではなかった。そのボックスの扉に「那比雨量観測所」とあったようだ。

   
宇留良のバス停付近 (撮影 2016.10. 8)
八幡町市街方向に見る
ハスラーの左手後ろに立つ電話ボックス大の箱が那比雨量観測所
   

<宇留良集落分岐>
 バス停を通り過ぎた直ぐ先で、道は二手に分かれる。分岐に立つ看板には、直進方向に「宇留良(Urura) この先 行止まり」、左に曲がる方向には「板取」とある。
 
 「宇留良」方向の道は、那比川本流沿いに遡る。分岐から先を眺めると、宇留良集落の人家が見え始めている。「行止まり」とあるが、地形図では宇留良集落を過ぎて尚、その先へと延びている。 県道315号の大栃方面やら、関市板取へも繋がっている。多分、通り抜けはできないだろうが、この道も探索すると面白いことだろう。
 
 番所が置かれていた当時、峠はどこに通じていたのだろうかと思う。現在の宇留良集落を過ぎた先の那比川上流部にあったとも考えられる。ただ、この宇留良と板取川沿いの地を最短で結ぶには、やはり現在の車道の峠であるタラガ谷越やその付近を越えるのがベストのようだ。


分岐に立つ道路案内 (撮影 2016.10. 8)
   

新道へ戻る道 (撮影 2016.10. 8)

右は宇留良集落へ (撮影 2016.10. 8)
奥に人家が見える
   
   
   
タラガトンネルへ 
   

この先で新道と交差 (撮影 2016.10. 8)
その手前でタラガ谷を渡る

<新旧の道が交差>
 宇留良集落への道を分け、「板取」方向に進むと、再びタラガ谷を渡ってその右岸に戻り、その先で新道と交差する。宇留良バス停前を経由する旧道区間は僅かに300mだが、面白い形に残されたものだと思う。

   
新旧の道が交差する (撮影 2016.10. 8)
新道上にてトンネル方面を背にして見る
左が旧道を宇留良バス停へ、右が旧道を峠へ
国道上には大きく「300m先以遠 大型車通行不能」と看板が立つ
   

<新道の様子>
 新旧の交差点からはタラガトンネルが直ぐそこに見える。坑口の少し手前に広い路肩があり、車を停めるのには都合が良い。 しかし、後で周囲の看板を調べてみると、そこは大型車の「最終転回所」として使われるようだった。 そこより八幡町側300m先以遠が大型車通行不能なので、大型車はここで回転してタラガトンネル方向に戻りなさいということらしい。
 
<トンネル長さ>
 新道はタラガトンネル手前でタラガ谷を左岸へ渡る。その橋の手前に看板が立ち、「タラガトンネル 長さ4571m」とある(下の写真)。これは長い。通行無料の一般道路のトンネルとしては、寒風山トンネルに次ぎ、日本で二番目に長いとのこと。「路線バスの旅」でもこのことが紹介されていた。


トンネル方向を望む (撮影 2016.10. 8)
   
「タラガトンネル」の看板が立つ (撮影 2016.10. 8)
   

タラガ谷 (撮影 2016.10. 8)

<タラガ谷>
 トンネル坑口の直ぐ脇に、山中より川が流れ来ている。タラガ谷越方面より流れ下るタラガ谷の流れだ。
 
 川と峠道は密接な関係がある。峠道は川筋に沿って開削される場合が多い。ここまでの道は那比川に沿って通じていた。タラガトンネルを抜けない旧道は、この先、概ねタラガ谷に沿って峠に至る。しかも、峠名にこの谷の名が使われていて、関係はより深い。

   
タラガトンネルの八幡町側坑口 (撮影 2016.10. 8)
   

坑口の様子 (撮影 2016.10. 8)
車道脇に監視員通路が通る

<トンネル坑口の様子>
 タラガトンネルには坑口左脇に電光掲示板が設けられ、「トンネル内」と「速度注意」の文字が交互に点灯している。快適なトンネルなので、速度が出易いのだろう。 それ以外、とても殺風景なトンネル坑口の様相だ。そもそも、肝心な物がない。トンネル名を表示した扁額が掛かっていないのだ。他にも、この坑口には「タラガトンネル」と書かれたものが一切見当たらない。
 
<銘板>
 電光掲示板の下に、銘板が取り付けられていたような跡はある。なぜ、外してしまったのだろうか。あるいは、盗まれたのかとも思った。 この近辺の山中にある橋などで、こうした銘板が盗られてしまっているのを見掛けている。金属として売り払うらしい。 タラガトンネルの板取側坑口は、板取川沿いに通じる幹線路が近く、人目に付き易い。板取側の銘板は残っている。一方、この八幡町側はトンネルを抜ける車が時折通るだけだ。銘板も盗み易いのだろう。
 
<監視員通路>
 トンネル内の左側に人ひとりがやっと通れるだけの細い通路が設けられている。何の看板もないが、一般者用の歩道ではないようだ。監視員通路といって、関係者のみが利用する物らしい。板取側には「トンネル内歩道なし」と看板がある。

   
トンネル手前の様子 (撮影 2016.10. 8)
トンネル坑口を背にして見る
   
   
   
少し旧道へ 
   

<旧道入口>
 タラガ谷越の峠へと続く旧道の入口には沢山の看板が立っていた。直ぐに通行止であることが判明し、19年振りの再訪は諦めざるを得ないようだった。

   
峠への旧道入口 (撮影 2016.10. 8)
道の傍らで工事を行っていた
   

<通行止看板>
 通行止の看板には次のようにあった。
 
 この先3.6kmより関市板取加部までの間は、落石や倒木が多発して大変危険なため全面通行止です。
 関市板取方面へは、タラガトンネルをご利用下さい。
 関市役所

 
 3.6Kmという距離は、ほぼ峠までの道程に相当する。峠より板取側が通行止となっているようだ。


いろいろ看板が立つ (撮影 2016.10. 8)
   

通行止の看板 (撮影 2016.10. 8)

道路情報の看板 (撮影 2016.10. 8)
   

<字薬師>
 道路情報の看板には「八幡町那比字薬師〜板取村加部」となっていた。旧八幡町、旧板取村の時代の物か。「字薬師」とあるのは、この付近の字名だろう。薬師谷という河川名もあった。宇留良集落とは別に、それに隣接する薬師という集落があったのかもしれない。

   

落石注意の看板 (撮影 2016.10. 8)

工事看板 (撮影 2016.10. 8)
   

旧道入口より宇留良バス停方向を見る (撮影 2016.10. 8)

<旧道へ>
 天候が悪い上、どうせ抜けられないのだが、峠まで行けるかどうか、行ってみようということになった。旧道入口近くで工事を行っていて、大きなクレーンも動いている。慎重に通過する。

   

<ゲート箇所>
 工事現場の横を過ぎ、入口から100m余りも行くとゲート箇所に至る。ゲートは開いていた。タラガ谷の谷が狭まった所に位置し、ゲートを設けるには適切な立地だ。しかし、新道が開通した今では、ちょっと中途半端な位置になってしまった。


旧道のゲート箇所 (撮影 2016.10. 8)
   

倒木 (撮影 2016.10. 8)
電線に引っ掛かっている

<倒木で引き返し>
 道はタラガ谷の右岸沿いに通じる。谷は狭い。雨が降る天候で、尚更薄暗い感じだ。
 
 すると、看板にも注意書きされていた倒木が早速現れた。しかも、倒れる途中で電線に引っ掛かっていて、今にも路面上に落ちてきそうだ。 この木に道をふさがれては、容易には戻ることができなくなってしまう。元々ためらいがちに入り込んだ旧道なので、直ぐさま引き返すこととした。これでもう二度とタラガ谷越を見ることはないだろう。

   
   
   
板取へ 
   

<トンネル内>
 4.6Km近いトンネルはさすがに長い。ほんの僅かだがS字にうねっている。いつまでも出口が見えて来ない。乗用車1台と、大型バス1台とすれ違う。観光バスだろうか。 板取川沿いを観光した後、郡上八幡へと向かうのかもしれない。なかなかいい観光ルートができたが、2km程に残る狭路が、バスの運転手とは厄介だろう。
 
<標高>
 八幡町側坑口の標高は約350mで、板取側は約270mだ。僅かに下っているが、走っていて坂道という感じは受けない。
 
 一方、トンネルの上にあるタラガ谷越の標高は約670mである。タラガトンネルにより320m以上高度を下げたことになる。それに何より、道の屈曲が皆無となった。時間短縮は計り知れない。


トンネル内の様子 (撮影 2016.10. 8)
   

<板取側>
 タラガトンネルの板取側は、トンネルを抜けると直ぐにも板取川の岸辺で、川を渡った先に板取側右岸沿いの道が通じる。板取川が流れる谷は比較的広く、周囲は開けた感じだ。

   
トンネルを板取側へ抜けたところ (撮影 2016.10. 8)
只今の気温 20℃ と出ていた
   

<トンネル坑口の様子>
 八幡町側は角張った坑口形状だったが、この板取側は緩やかな曲線調と、少し意匠を変えている。しかし、名前を示した扁額がないのは同じだ。どうして設けなかったのか、やや残念に思う。

   
板取側坑口 (撮影 2016.10. 8)
   

<看板類>
 扁額の代わりに、「タラガトンネル 長さ4571m」と看板が立つ。「トンネル出口以遠 大型車通行不能」の看板もある。坑口左の直ぐ手前に一本の標柱が立ち、「タラガトンネル開通記念植樹 平成一九年八月三日」とある。ただ、どれがその木なのかよく分からない。

   

橋の袂付近の看板類 (撮影 2016.10. 8)
板取川に架かる橋の名は「ふれあいああはし」とある
国道標識の住所は「関市板取加部」

坑口直前の看板類 (撮影 2016.10. 8)
左手の標柱には「タラガトンネル開通記念植樹」とある
   

トンネル銘板 (撮影 2016.10. 8)

<銘板>
 板取側にはトンネル銘板があり、
 タラガトンネル(美濃工区)
 完 成:2004年9月
 総延長:4,571m(工区延長 2,479m)

 
 などと書かれている。トンネルの板取側約2.5kmは美濃工区と呼ばれたようで、この銘板はその工区に関するものだ。一方、八幡町側は八幡工区と呼ばれたそうだが、本来はその工区に関する銘板があったものと思う。やはり盗まれたか。
 
<開通年>
 銘板より、タラガトンネル(美濃工区)の完成は2004年9月と分かる。ただ、トンネル併用開始は記念植樹の日付2007年8月3日で、3年遅れのようだ。 タラガ谷越に車道が通じたのは1993年頃だが、その僅か14年後にトンネルに取って代わられたことになる。寿命は短かった。

   

<歩道なし>
 板取側にはしっかり、「この先トンネル内歩道なし」と看板が立つ。監視員通路はあるものの、やはりタラガトンネルは歩行禁止のようである。
 
<時間通行止>
 八幡町側から来た時にはなかった時間通行止の看板が立つ。工事期間は10月末までの一か月で、短いものだ。防災などが主のようで、本格的な拡幅工事などではなかった。国道256号のボトルネックは、この先まだまだ続きそうだ。


時間通行止などの看板 (撮影 2016.10. 8)
   

時間通行止の看板 (撮影 2016.10. 8)

歩道なしの看板 (撮影 2016.10. 8)
「歩行禁止」と明示していないのが微妙なところ
   

<その他の銘板>
 タラガトンネル(美濃工区)の銘板以外に、監視員通路工事と設備工事の銘板が、監視員通路の脇に取り付けられている。 それぞれ平成18年(2006年)3月と平成19年(2007年)7月の完成だ。これらの工事も美濃工区と八幡工区に分かれて行われたようだ。
 
 単にトンネルが開通(2004年)しただけでなく、こうした付帯工事が完了して、やっと一般に使われることになるらしい。


監視員通路工事などの銘板 (撮影 2016.10. 8)
   

<ふれあい大橋付近>
 板取川に架かるふれあい大橋の竣工日は平成13年(2001年)6月とある。まずこの橋を造り、次いでタラガトンネルの工事を進めたのだろう。 ふれあい大橋が架かる付近に人家はない。大きなトンネルを掘り、広い道路を通すので、人家のない所を選んだように思う。住所としては加部となるようだ。

 
竣工平成13年6月 (撮影 2016.10. 8)
   

<生老>
 ふれあい大橋より上流側を望むと、板取川右岸に建物の一群が見える。生老(しょうろ、しょうろう)という集落だ。旧板取村は大字を編成しなかったので、20ほどの字または区と呼ばれる地域で構成されていたようだ。生老はその一つとなる。

   
ふれあい大橋より板取川上流方向を望む (撮影 2016.10. 8)
右岸に生老集落が見える
   
   
   
加部へ 
   

<左岸沿いの道>
 この付近では板取川右岸沿いに板取街道のりっぱな2車線路が通じ、ふれあい大橋から下流方向が国道256号、上流方向が県道52号となっている。 しかし、ふれあい大橋を渡る手前を左岸沿い下流方向へ進む狭い道もある。その道を少し進むと直ぐにも人家が出て来る。加部(かべ)の集落だ。松葉洞という小さな支流を渡ると、沿道の人家が増えて来た。


加部集落内 (撮影 2016.10. 8)
   

集落内のT字路 (撮影 2016.10. 8)
右が幸橋を渡って板取川右岸へ
左がタラガ谷越へ

<加部>
 加部集落は主に板取川左岸に広がり、支流の松葉洞付近から約400m下流のタラガ谷付近までの間で、細い道の両側に人家が立ち並ぶ。 古くは「かへむら」と呼ばれ、江戸期から加部村が存在した(一時期板取村に合併)。明治4年より板取村の字名となっている。現在の感覚からすると、「村」と呼ぶには小さな集落だ。
 
<分岐>
 途中、集落内でT字路に出る。その道が元の国道256号に相当する。右手は板取側右岸へ、左がタラガ谷越へ。

   
タラガ谷越へ (撮影 2016.10. 8)
   

<タラガ谷越入口>
 旧国道を尚も左岸沿いに進むとY字に出る。左がタラガ谷越へと通じる旧国道の続きで、ここが峠道の入口となる。


左がタラガ谷越 (撮影 2016.10. 8)
   

通行止 (撮影 2016.10. 8)

<通行止>
 入口部分は直ぐにもゲート箇所になっている。ゲートは開いていたが、「工事関係者以外 立入禁止」と看板が立ち、バリケードが置かれていた。 通行止は覚悟していたが、加部集落から全く先に進めないのに驚いた。通行止の看板には次のようにあった。
 
 ここから5.3km先の郡上市境までの間は、落石や倒木が多発して大変危険なため、全面通行止です。
 郡上市方面へは、タラガトンネルをご利用下さい。
 関市役所

   

 タラガ谷越前後の旧道区間は、八幡町側が3.6km、こちらの板取側が5.3kmで、合計約9kmということになる。タラガトンネル開通でこの峠道が通行できなくても不便を感じる者はあまり居ないだろう。再び開通することがあるのだろうかと危ぶまれる。

 
通行止などの看板 (撮影 2016.10. 8)
「通行規制」の看板では市境まで5.5kmとあった
   

<幸橋>
 タラガ谷越の峠を加部側に下って来ると、最後に板取川を渡る。幸橋と呼ぶようだ。ちょっと寂れた感じがいい。 これが元の国道256号であるが、今でも加部集落にとっては重要な生活路となっている。 400m上流側に新しくふれあい大橋ができる前は、板取川左岸に位置する加部集落と右岸沿いに通じる幹線路とを繋ぐ唯一の橋であったようだ。

   
幸橋 (撮影 2016.10. 8)
手前が加部集落方面、渡った先に国道256号が通じる
   

幸橋より板取川下流方向を望む (撮影 2016.10. 8)
川霧で霞んでいる

<道程>
 タラガ谷越の峠道は、長良川の法伝橋に始まり、板取川の幸橋で終わる、全長20km弱の道程であった。それがタラガトンネル開通で板取側の基点はふれあい大橋と変わり、距離はほぼ15kmとなった。

   

<路線バス(余談)>
 タラガ谷越の再訪は成らず、雨の国道256号を今日の宿となる岐阜市内へと急ぐ。板取川には濃い川霧が漂っていた。途中、小型の路線バスと行き違う。 このタラガ谷越のページを作成している間に、「路線バスの旅」の最終回の放送があった。結果は残念ながら不成功に終わっている。この番組らしいといったようなコメントがされていた。メンバーが変わって、再開するようでもある。私の旅もこの先どのくらい続けることができるだろうかと思う。


路線バスと行き違う (撮影 2016.10. 8)
   

<峠道からの展望>
 20年前にタラガ谷越を越えた時は、八幡町側から登ると、峠の少し手前で展望が広がる箇所があった。山腹をクネクネよじ登るつづら折りと、その向こうに那比川の谷の景色が広がった。 今のタラガトンネルを抜けるだけでは、こうした展望は全く得られない。道は険しいが、やはり峰を越す峠道の方が面白い。

   
峠の少し手前より八幡町側を望む (撮影 1997. 4.27)
タラガ谷越に関して残る少ない写真の一枚
   
   
   

 「路線バスの旅」に触発されて訪れたタラガ谷越であったが、旧道は当面通れそうにない状況だった。それでも新しいタラガトンネルを見て来たし、20年前の旅を再認識することもできた。 名前さえ忘れていた峠だが、確かに一度は越えたことがあると確信した、タラガ谷越であった。

   
   
   

<走行日>
・1997. 4.27 旧八幡町 → 旧板取村 ジムニーにて
・2016.10. 8 郡上市 → 関市 (タラガトンネル経由) ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・中部 2輪車 ツーリングマップ 1988年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部北陸 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 21 岐阜県 2001年 1月 発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2017 Copyright 蓑上誠一>
   
峠と旅         峠リスト