峠と旅
ブナオ峠 (前編)
 
ぶなお とうげ
 
開かずの県道」と呼ばれた峠道
 
ブナオ峠 (撮影 2001. 7.30)
奥が富山県福光町(ふくみつまち)刀利(とうり)
手前が同県上平村(かみたいらむら)西赤尾
峠の標高は976m
道は県道54号・福光上平線
 
 このブナオ峠には何度そっぽを向かれたか分からない。いつ行っても通行止で、1Kmとして峠道を走らさせてもらったことがないのだ。それがこの程、やっと半分だけだが通ることができた。峠の上平村側を頂上の峠までピストン往復である。峠を越えるという面白みには欠けるが、それでも念願のブナオ峠に立ち、峠をこの目で見て来ることができのは何よりの収穫であった。険しいと聞く福光町側の道については未だ経験がないが、何とかこうして「峠と旅」の一ページにブナオ峠を加えることができる次第と、あいなったのである。
 
 ブナオ峠の道の福光町側起点は刀利(とうり)ダムである。ここまでならいつでもほぼ問題なく来られる。県道10号・金沢湯桶(ゆわく)福光線が、石川県の金沢市街から出発して県境を越え、刀利ダムの堰堤を渡って富山県福光町の中心街まで通じている。ただし、金沢からのアクセスは以前から道路改修がなかなか進まず、路面状態が悪い可能性がある。
 

県道10号の石川県側の現状 (撮影 2001. 5. 2)
相変わらず道が良くない
でも、この様子だと、改修は間近か?
 初めてその道を通ったのは1991年6月のことで、何とこの時は金沢から刀利ダムを経由してブナオ峠を越え、上平村から更に白川村に出る目論見だった。金沢から上平村までずっと県道だから、通れるものと思っていた。知らないとは恐ろしい。ブナオ峠がおいそれとは越えられない峠とは全く理解していなかったのだ。
 
 それはまだジムニーに乗り換える前のことで、中古で買ったパルサーに乗り、のこのこ金沢市街より走ってくると、道が異様に狭くなったり、路面の舗装が途切れていたりしだした。とても県道とは思えないのだ。道に迷ったかと少し引き返してはみたものの、他に道は見付からない。不安げにツーリングマップを確認すると、刀利ダムから先のブナオ峠への道は「凸凹のダート」と記されている。まだ車での本格的な林道走行の経験などなかったので、目の前の県道の惨状と「ダート」の文字に、完全にびびってしまった。結局、刀利ダムを見ることもなく、早々と退散することにしたのだった。 
 
 2001年の5月に訪れた時も、相変わらず道は良くなかった。富山県との県境近くに採石場があるが、この付近が特に悪い。長い距離に渡ってアスファルトが剥がされ、土が露出した路面となっていた。しかし、今ではこういう道の方が楽しいのである。いつまでも、改修されなければいいと思うのであった。
 
 岩肌が露出した異様な石切場の様子を左に見て過ぎ、石川・富山の県境をなだらかな峠で越えると、眼下に刀利ダム湖が見渡せる。何とも殺伐とした感じを受ける。大都市金沢からさほどの距離もないのに、この山深さといったらどうだ。暫し呆然と佇んでしまう景色である。1996年の8月、その刀利ダム湖を見下ろす展望所に、先客の男が一人、湖をぼんやり眺めていた。車は地元ナンバーだったので、湖の右岸に続くブナオ峠への道について尋ねてみた。何でもやたらに険しいデコボコ道らしいとのこと。しかし、その時もブナオ峠への道は通行止であった。
 展望所より急なS坂を一気に下ると、直ぐにダムの堰堤に到着する。堰堤を渡る手前に駐車場があり、ダムの碑なども立ってる。
 
刀利ダム湖 (撮影 1996. 8.14)
県道10号の石川県との県境より、少し富山県側に下った所にある展望所からの眺め
 
 金沢市からよりも福光町からアクセスする方が、距離も短く道も良い。どちらかと言うと刀利ダムへはこちらがポピュラーだ。しかし、福光町よりほぼ真っ直ぐ南下するこの県道も、通る車は少なく寂しい道には変わりない。ダムから流れ下る小矢部川の深い谷を恐々見ながら遡ってくると、右手前方に刀利ダムの巨体が見えてくる。間もなく右にカーブしてダムの堰堤を渡るが、その手前を直進方向に小さなトンネルが口を開けている。刀利隧道だ。このトンネルより県道45号であるブナオ峠への道が分岐する。直前にある道路標識には、直進が「上平」、右折が「金沢」、「湯涌」とある。
 

福光町側から刀利ダムを目指す (撮影 2001. 7.30)
右手にはもうダムが見える

刀利ダムの巨体 (撮影 2001. 5. 2)
 
 やっとブナオ峠の入り口である刀利隧道に着いたかと思うと、必ずそのトンネルの前に「通行止」の看板が立っていて、いつもがっかりさせられるのが常であった。そこに至る前に通行止の看板を設けておいてくれるといいのだが、ほとんど見かけたことがない。
 
 災害による通行止以外にも、ブナオ峠の道は冬期閉鎖が長いのが厄介だ。毎年11月15日付近から翌年の5月15日〜30日くらいまでである。2001年の5月2日に訪れた時も、まだ冬期通行止の最中であった。トンネルの坑口に設けられた三角頭の電光掲示板には、「冬期閉鎖中 金沢湯涌福光線 福光上平線」とあった。ブナオ峠の福光上平線は仕方が無いとしても、金沢へ続く金沢湯涌福光線も冬期閉鎖とはびっくりした。しかし、途中例の未舗装区間があることを除けば、何の問題もなく金沢まで行くことができた。

刀利隧道 (撮影 2001. 5. 2)
この時期は「冬期閉鎖中
 
 この先通行止と知りつつも刀利隧道を抜けると、暫し湖の右岸を進むこととなる。この湖を堰き止めた刀利ダムは、昭和41年3月の竣工だ。湖底には刀利という集落が没した。昭和38年に廃村となり、それを偲んだ石碑が湖畔に立っている。また、左手の山の中腹には「青年の山」研修館がある。こちらは置県90周年を記念して富山県が建設したものだ。冬期閉鎖中でもこの「青年の山」までは行けるらしく、福光町からの道の途中に「青年の山研修館へは通行できます」の看板を時折見掛ける。
 「青年の山」を過ぎると直ぐに、道路上に柵が設けられ通行止となった。今までこの先には一歩も進んだことがない。
 
 しかし、2001年7月のトライは、今度こそは通れるものと期待してのことだった。それは、前年の2000年7月30日に、ブナオ峠に「ついに行ってきました」という電子メールを頂いていたのだ。その年、冬期閉鎖が明けた5月15日から引き続き、今度は災害復旧工事の為7月29日まで福光上平線は全面通行禁止となっていた。その復旧工事期間直後に、まだ工事途中の個所が残っていたものの、無事に峠を越えられたという便りであった。長年通行を阻んでいたブナオ峠の道がこれで遂に復活したと思ったのだ。
 
 2001年の5月に刀利ダムに立ち寄った時は、さすがにフライング気味で、まだ冬期閉鎖中だった。その2ヵ月後の7月30日に、またもや刀利ダムを目指した。前日湯峠(長野県小谷村)直下で野宿し、早朝からは林道を下って国道148号に入り、その後北陸自動車道・東海北陸自動車道と突っ走った。旅の最中にこんな長い移動をすることは滅多にない。それもこれもブナオ峠のためである。
 福光インターで高速を降り、県道10号を刀利ダムへ向けて走る。途中、立野脇で一服。峠道を前に、期待に膨らむ気持ちを落ち着けるのであった。立野脇はダムの手前3.6Kmにある小さな集落で、道路脇にちょっとした広場がある。そしてそこにはしばしば道路情報の看板が立っているのだ。しげしげと確認するが、刀利ダムの上は14t以上は通行止だとか、金沢湯涌福光線が工事中だとかあるが、ブナオ峠の道については何の記載もない。目論見通りとほくそ笑んだ。
 

立野脇の集落 (撮影 2001. 7.30)
道路脇にちょっと休憩するのに都合よい広場がある
(ダム方向に進むと道路の左側にある)

立野脇に立つ看板 (撮影 2001. 7.30)
一番上の通行止看板には次の様にある
刀利ダムの上は14t以上通行出来ません
 
 ところがである。刀利隧道の前まで来ると、信じられないことにまたしても「通行止」の看板が立っているではないか。これは一体どうしたことか。朝っぱらから長距離移動してきて、これではさすがに頭に来る。通行止の理由はただ「災害のため」とだけしかない。区間は中河内(なかのこうち)〜ブナオ峠、期間は平成13年6月15日から平成14年5月31日。またしても冬期閉鎖に引き続き災害通行止となったらしい。それにしても翌年の5月末までとは、まるまる1年間である。何とまあ長い通行止だ。
 
 中河内とは刀利ダム湖の直ぐ上流である。そこまで行ってみようかとも思ったが、もう気が抜けてしまった。今回はブナオ峠が越えられなかった場合のことを全く想定していなかったので、この先どうしていいか分からず暫し呆然とする。しかし、考えたって他にうまい迂回路がある訳ではない。結局もと来た県道を引き返すしかないと諦めた。
<制作 2002. 6.23>
 

ブナオ峠はまたもや通行止 (撮影 2001. 7.30)
三角頭の電光掲示板が恨めしい

刀利隧道にかかる道路情報 (撮影 2001. 7.30)
通行止 中河内(なかのこうち)付近」とある
 
後編へ続く
 
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