峠と旅
ブナオ峠 (後編)
 
 
 今度こそ越えられると思ったブナオ峠が、またしても越えられず落胆は大きいが、それでも旅は続ける以外仕方がない。気を取り直し、同じ県道を走ってても詰まらないと、福光町へ戻る途中より脇道に入る。少しでも訪れたことのない所を旅し、少しでも楽しもうというのである。
 いろいろ迷いつつも桜ヶ池という大きな貯水池の堰堤を渡り、城端(じょうはな)町で国道304号に乗った。そのまま国道を南下する。五箇山トンネルは通らず旧道の細尾峠を越えて平村に入り、更に国道156号に乗り継いで上平村へと抜けていった。
 

上平村新屋の分岐点
県道54号上より国道156号側を見る
道路標識には
← 砺波 平   岐阜 →
 五箇山合掌集落で有名なこの上平村は、ブナオ峠の反対側の入り口がある所でもある。よく考えてみると、ブナオ峠が通行止といってもそれは峠の福光町側だけのことである。ならば、こちらの上平村からなら峠まで行けるという訳だ。どうせこの国道156号の通り掛りだからと、まだ峠まで行くとも決めないまま、上平村新屋でブナオ峠方面へと分岐する県道54号に入ってみた。
 
 ブナオ峠が冬期閉鎖の期間などは、この県道に入ると直ぐに、道一杯にがっしりしたゲートが設けられている。人も通さぬ構えだ。これではスゴスゴと退散するしかない。これまで何度このゲートで涙を飲んだことか。
 
 しかし、今回はそのゲートが開かれてる。道路脇には刀利隧道にあった物と同じ「通行止」の看板が立っていた。確認すると間違いなく通行止の区間は、峠からその先の福光町側の中河内までとある。やっぱりこちら側からなら峠まで行けるようだ。
 
 峠を越えることなく峠で引き返してくるのでは面白みも半減だし、何しろ時間のやりくりも気に掛かる。もう今日は随分時間を費やしてしまっていた。明日からまた会社勤めだから、今日中には帰宅しなければならないのだ。
 一方、この機会を逃してはいつまで経ってもブナオ峠を拝むことはできないかもしれないという危惧もある。やや迷うところだ。目の前を見るとセンターラインのある快適そうな道が、「さあいらっしゃい」とばかりに誘っている。やはり峠まで行ってみることにした。
 
 ところで、以前から気になっていたことがある。ゲートの直前、道路の左脇に「ブナオ峠野営場」と書かれた看板が立っているのだ。道が通れないことが多いくせに、看板だけはデカくてよく目立つ。それに、この近辺で「ブナオ峠」の文字があるのは、この看板くらいのものなので、印象に残っていた。
 野営場まで「10Km」とある。野営場が峠にあるなら、峠まで10Kmの道程ということだ。野宿旅をする者として、どんな野営場だかもちょっと気に掛かる。それも見てこようと思う。

上平村側の入り口を入って直ぐの所
今はゲートが開いている
道路の右側に通行止の看板
災害のため この先 通行止
区間 中河内〜ブナオ峠
期間 平成13年6月15日〜
   平成14年5月31日
 

未舗装
と言ってもちょっと残っているだけ
 道は左に草谷の川を見て、ほぼ西へと進んで行く。く。最初こそセンターラインのある2車線の幅広の舗装路で、これぞ立派な県道という感じだったが、直ぐにも本性を現した。間もなく1.5車線となり、更に、何と舗装さえも途絶えたのだ。これは、期待以上の峠道かとも思った。しかし、さすがに数100mも行かずに、また古ぼけたアスファルト路面が顔を出した。
 
 今日の天候は雲は多いがまずまずの晴天である。梅雨も過ぎ初夏を迎えた山の草木に囲まれ、あたりはむせ返る様だ。
 平日の月曜日ともなると、誰も居ない寂しい道かと思いきや、何やら前方が騒がしいではないか。道路沿いの草刈作業を大々的に行っていたのだった。通行止でほとんど通れない道だが、一応こうして整備は行っているらしい。
 草刈の現場監督らしい年配のオヤジがひとり、道の真中に立って、いろいろ指図している。車の通過に邪魔だが、こちらに背を向けてなかなか気付いてくれない。こんな場合、クラクションを鳴らすのは好まないので、じっと待っていると、やっと気付いて避けてくれた。通りすがり、怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。
 
 また少し行くと、給水車が沢から水を汲み上げていた。小さな橋に停まって作業を行っているので、全く通れない。ここでも暫くじっと待つことになった。こちらは遊び、あちらは仕事。こちらが謙虚でいるしかない。
 
 峠道は最初の内、道が通る谷筋の前方に峰が見えている。その峰のどこかが峠なのだろうと思うが、はっきりした鞍部が確認できる訳ではない。
 ある程度進んでいよいよその峰に近付いたと思うと、道は一向に峰に取り付こうとしないので怪訝に感じる。壁の様に立ちはだかる峰を前に、道は南の方へとそれていくのだ。これでは峠がどこにあるのかさっぱり見当がつかない。

前方に峠の峰を望む
しかしこれからの道筋は複雑だ
 

桂湖を望む

 随分行き過ぎたと思う頃、やっと右手方向に曲がっていく。道は沢沿いを離れ、同時に勾配が急になる。屈曲も多くなり、峰への本格的な登りが始まった。
 
 登りの途中、道路左の林の中からチラリと景色がのぞく。よく見ると湖がひっそり佇んでいる。境川ダムによってできた桂湖だ。開津橋より西の部分が見えているらしい。
 それ以外はあまり展望もなく、ただただ林に囲まれた道をひたすら登って行く。
 
 ほぼ登り切った所で、右手に景色が広がる。見下ろすとさっき走っていた道が谷底を真横に通っているのが見える。

 そこから道は左に直角にカーブし、一転谷を背になだらかな林の中を行く。見上げると木々の間からのぞく空がだんだん広がりだす。峠は近いと感じさせられる。
 
 道の左脇に赤い屋根の小屋が建つ。トイレかと思ったが、どうもそうではないらしい。しかし、こうした小屋があるのなら、間違いなく峠は直ぐそこだ。前方が何となく明るい。行ってみるとそこがやはり峠だった。念願のブナオ峠である。
 
 長年拒み続けられてきた険しい峠道だが、ブナオ峠自体は両側に平坦な空き地が広がり空が開け、険しさなど微塵も感じさせない峠であった。たどり着いた者をホッとさせる落ち着きがある。しかし、その峠の広場はぐるりと木々に囲まれ、全く眺望がないのは残念だ。


峰を登り切り、峠はこの先直ぐ
 

峠の上平側
赤い屋根の小屋が見える
道の左脇にはブナオ峠と書かれた背の低い石柱が
土に埋まるように立つ

広々とした峠
福光町側から見る
 

福光町側はやっぱり通行止
 峠の福光町側への下り口には、一台のワゴン車が止まり、その周囲に作業服を着た2人の男が立ち働いていた。他に車や人影はない。
 ワゴン車の横には通行止の看板を立て掛けた柵が置かれ、車の通行を阻んでいた。やはり、福光町側は通さない構えのようだ。
 
 ブナオ峠からは大門山(1571.6m)や、大獅子山(1127.1m)を経て猿ヶ山(1448m)への登山道が始まり、それらの登山口を示す標柱が立つ。また、「白山国立公園 大笠山方面案内図」と題した看板があり、周辺の案内図と登山のコース距離が示されていた。
 
 ブナオ峠を示す石碑でもないかと探してみると、登山看板などに比べ全く目立たないが、上平村側から登ってきた道の直ぐ右側に小さな石柱が立っていた。上面に方位を示す十字が描かれ、ひとつの側面には「ブナオ峠」とあり、また別の側面には「標高九七六」(最後の一桁は間違っているかも)とあった。その背の低い石の標柱は土に埋まるように佇み、やや寂しいものであった。
 

峠より南西へ大門山への登山道が始まる
大門山2.7Km
 
大門以外には赤摩木古(あかまっこ)、見越、奈良、
大笠などの山名を書いた標柱が見受けられる

北東へは猿ヶ山への登山道が始まる
 
 さて、県道入り口の看板にあった「ブナオ野営場」とは一体どこだろうか。峠にあるものと思っていたが、ここにはキャンプ施設らしいものが一切ない。道の入り口に看板を示しておきながら、肝心な峠に看板がないのは困ったものだ。「登山案内図」をよく見ると、ブナオ峠の近くに一応キャンプ場と書かれてはいるが、正確な位置はやっぱり不明である。
 道の両側にある草地はただの車置き場だが、見方によってはそこが野営場に見えなくもない。そうと納得するしかないようだ。野宿旅の野宿地としてはこれでも十分なのだが、一般的なキャンプ場を期待してきた者は、唖然としてしまうことだろう。話しに聞くところによると、登山者の車が多い時には10台近くもここに止まっていることがあるそうな。
 
 峠であちこちうろつきながら写真を撮ったりしていると、先ほどの作業着姿の男の1人が、登山に来たのかと声をかけてきた。「日本各地の峠を訪ねて回っている」とやや苦しいが本当のことを説明する。分かってもらえるかと心配したが、一応納得した様子だった。
 続けて少し立ち話をする。福光町側でトンネル工事をやっていて、そこが通れないと言う。それでなくともこの道は通行止が多く、地元では「開かずの県道」と言われているとのこと。それはこちらも痛い程分っている。

ブナオ峠を示す小さな石柱
やや寂しい
 
 ブナオ峠の名前は、付近一帯にブナの原生林が広がり、峠にブナの大木があったのに由来すると、まことしやかにものの本に書かれていた。あまりストレート過ぎるので、にわかには信じ難いが、ただ、カタカナで書かれる峠名は比較的珍しいと思う。ブナは漢字で「山毛欅」などと書くが、難しいのでカタカナなんだろうか。それに、「ブナオ」の最後の「オ」とは何だろう。「尾」という字に相当し、「尾根」を表しているのかと想像する。よって「ブナオ」とは差し詰め「ブナの木が茂る尾根」くらいの意味だろうかと考察するのであった。
 
 この峠道は、古く文明年間には既に開かれ、蓮如上人が越前を出るのにこの峠より桂村へ抜けたと伝えられるそうな。戦国期には敗戦の将兵や無頼の徒が、飛騨から加賀・越中へと抜ける間道であったとのこと。その為、刀利で出入国の取締りも行われた。江戸期には飛騨や江戸に急派される使者や隠密が利用した。
 
 中でもこの峠道は「塩硝の道」として知られる。塩硝とは黒色火薬の原料で、五箇山はその有数な製造地であったのだ。五箇山で造られた塩硝はこのブナオ峠を越え、最近NHKテレビの大河ドラマ「利家とまつ」でおなじみの加賀藩に運ばれたのだ。軍事に関わることとて内密にする為、「煙硝」と書くべきところを「煙」の代わりに「塩」を使ったとも言われる。五箇山は富山の秘境であり、秘密裏に塩硝を造るにも適した地で、生産は全国一だったそうな。
 
 かつての峠道と現在の県道とでは、上平村側で大きく道筋が異なっていた。県道以前は今の桂湖がある上平村桂より赤摩木古谷に沿って峠に登り、反対側は小矢部川の谷を下木屋へと下っていたそうな。それが昭和43年になり、刀利ダムの完成に前後して現在の県道が開通した。最初は「県道刀利西赤尾線」と名付けられていたようだ。それが後に現在の「福光上平線」と改名されたものと思う。
(参考図書:角川日本地名大辞典 富山県編)
 

峠の福光町側
僅かに道が見える
 見ると、あの作業着の2人は、12時までまだ30分程間があるというのに、暑い日差しを避け車の側の木陰に腰を下ろして弁当を広げ始めた。こちらは、山に登る訳でもなく、峠を訪ねて回っているといっても、峠の写真を撮るくらいで他に何か調査することがある訳でもない。眺める景色がなければ、ボンヤリ佇むこともできない。暫く時を過ごせば、それでもうすることは何もなくなった。後はただ引き返すだけである。
 
 念願の峠に着いたが、帰り際はやや味気ない。峠を福光町側に少し歩いて下ると、眼下に道筋が僅かだが望める。あの道が走れないとは残念である。やっぱり峠は越えるものでなければならない。
 
 上平村側の帰り道ではもう給水車や草刈の作業者は見かけなかった。ちょうどこちらも昼飯に行ってるのだろう。何の気兼ねもなく走れた。また、一度通った道なので、道路状況が分かっている。余計な心配をしなくて気が楽でいい。
 
 10年近くにも渡り、全く通る機会に恵まれなかったブナオ峠の道が、やっと半分だけだが走ることができ、何よりブナオ峠に立つことができたのは収穫であった。通行止の看板に阻まれ続けてきたその間、大規模な道路改修がどんどん進んでいるのではないかと気がきでなかったのだ。開通した時には2車線路の快適な道になっていたなんてことになったら、目も当てられない。
 しかし、その心配はなかった。今回の上平村側を見る限りでは、拡幅工事などの気配はほとんど見られなかった。また聞いた話しでは、福光町側も全線舗装ではあるが、「県道」と言うより「林道」と言った方がぴったりの道だとのこと。これまでの通行止は改良工事によるものというより、冬期通行止や崖崩などの復旧工事によるものが多かったらしい。
 
 福光町側の通行止期間は今年(2002年)の5月31日までとあった。それは冬期閉鎖の終了時期でもある。今頃はもしかして全線通行可能なのであろうか。そう思うと居ても立ってもいられない。ほっておけばその内、改修の魔の手は確実に伸びてくるであろう。それが日本の峠道の運命である。「開かずの県道」として現役(?)のうちに、何とか全線走り通したいブナオ峠であった。
<制作 2002. 6.23>
 
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