ホームページ★ 峠と旅 ★ |
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序 |
<掲載動機> |
<所在> |
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<水系> |
<峠名> |
<上牧> |
<ひるこ峠> |
<関田山脈の峠(余談)> |
新潟県側より峠へ |
<柳島の分岐> |
以前の県道301号分岐の看板 (撮影 2001. 7.29) 国道405号を上越方向に見る 国道標識の下にはまだ「牧村 柳島」とある |
県道分岐の看板 (撮影 2001. 7.29) |
<県道301号> |
<飯田川左岸へ> |
東松ノ木付近 (撮影 2001. 7.29) 分岐の看板には 直進方向:上牧林道、深山荘 右折方向:清里村 とあった |
<昆子> |
<「牧」の変遷> |
左手に飯田川を望む (撮影 2001. 7.29) 下湯谷以降 |
<ひるこ街道の道筋> |
<下湯谷以降> |
<牧猿俣川を渡る> |
原の分岐以降 |
<原の分岐> |
前方に原の分岐 (撮影 2017. 9.11) |
原の分岐 (撮影 2017. 9.11) 左は棚広へ、右が牧峠へ |
棚広方面の道 (撮影 2017. 9.11) |
<県道359号> |
<分岐の様子> |
T字路の正面に諏訪神社 (撮影 2017. 9.11) 分岐を示す看板の上には「原」(はら)とある |
原の分岐の看板 (撮影 2017. 9.11) |
以前の看板 (撮影 2001. 7.29) 分岐の角に卍が書かれている |
<分岐の看板> |
池永山・明願寺 (撮影 2017. 9.11) 左の道は牧峠へ |
山門に「池永山・明願寺」とある (撮影 2017. 9.11) |
<原の分岐以降> |
<沿道の様子> |
沿道に棚田が見られる (撮影 2017. 9.11) |
府殿の分岐 |
前方に上牧の分岐 (撮影 2017. 9.11) |
<府殿の分岐> |
上牧の分岐 (撮影 2017. 9.11) 牧峠へはここを右に |
分岐手前にある上牧消防部 (撮影 2017. 9.11) |
<分岐の様子> |
<上牧橋の工事(余談)> |
分岐の看板 (撮影 2017. 9.11) ここは府殿(ふどの) |
<分岐に立つ看板> |
県道標識など (撮影 2017. 9.11) |
土石流危険渓流の看板 (撮影 2017. 9.11) 「関川・猿俣川水系」の意味がよく分からない |
上牧橋を府殿方向に見る (撮影 2017. 9.11) 手前が峠方向 |
分岐の看板 (撮影 2017. 9.11) |
<橋の銘板> |
「上牧橋」の銘板 (撮影 2017. 9.11) |
村道棚広上牧線の銘板 (撮影 2017. 9.11) |
「村道棚廣上牧線」とある (撮影 2017. 9.11) |
<以前の上牧橋> |
手書きの看板 (撮影 2001. 7.29) |
<手書き看板> |
上牧以降 |
<上牧> |
<牧口村> |
<集落内の分岐> |
集落内の分岐 (撮影 2017. 9.11) 右手の看板には「地すべり防止工事をしています」とあった ただ、場所が明記されていない |
集落内の分岐 (撮影 2017. 9.11) 峠方向を見る 左手の看板には「上牧」(かみまき)とある 「山菜取り禁止」の看板も立つ |
以前の分岐の様子 (撮影 2001. 7.29) |
以前の分岐の様子 (撮影 2001. 7.29) 手書きの案内看板が立つ |
集落内の分岐 (撮影 2017. 9.11) 下流方向に見る |
<以前の看板(余談)> |
<口留番所跡> |
口留番所の看板 (撮影 2017. 9.11) |
<口留番所> |
<牧峠の案内看板> |
左手に牧峠の案内看板 (撮影 2017. 9.11) |
牧峠の案内看板 (撮影 2017. 9.11) |
越後からは塩・魚・米・楮(こうぞ、紙の原料)などが、信濃からは内山紙・小麦・箕などがもたらされたそうだ。看板では「塩の道 牧峠ルート」が示される。
高田城下を起点とするひるこ街道とは異なり、日本海沿いの直海浜(のうみはま、上越市柿崎区)と牧峠を直接結んでいる。 |
「塩の道」の看板 (撮影 2017. 9.11) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
観光案内の看板 (撮影 2017. 9.11) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<交流館(余談)> |
背後に交流館 (撮影 2017. 9.11) |
集落の様子 (撮影 2017. 9.11) |
<集落の様子> |
集落の様子 (撮影 2017. 9.11) |
集落の様子 (撮影 2017. 9.11) 沿道にポツリポツリと家屋が見られる |
林道起点 |
最後の人家を過ぎた所 (撮影 2017. 9.11) |
<県道終点へ> |
<上牧赤池線> |
県道終点 (撮影 2017. 9.11) 右に林道開通記念碑が立つ |
旧清里村への道 (撮影 2017. 9.11) |
上牧赤池線は、清里区と牧区を最も南で結ぶ車道となる。関田峠の道と牧峠の道を新潟県側で最短で繋ぐ経路の一部ともなる。 |
<林道開通記念碑> |
開通記念碑 (撮影 2017. 9.11) 「昭和五十二年十月」とある |
開通記念碑 (撮影 2017. 9.11) 「佐藤伍郎 書」とある |
<林道開通年> |
<県道標柱> |
<碑文(読めず)> |
以前の開通記念碑 (撮影 2004. 8.12) やはり汚れが目立つ |
開通記念碑の裏 (撮影 2004. 8.12) ピンボケで文字は読めなかった |
<看板> |
以前の分岐の様子 (撮影 2001. 7.29) |
以前の分岐の様子 (撮影 2001. 7.29) 左手は村道の注意看板 奥にクマ出没、右手に手書きの看板 |
分岐の様子 (撮影 2017. 9.11) 上牧集落方向に見る |
<市道・牧飯山線> |
上牧林道へ |
<林道区間へ> |
<棚田> |
沿道の様子 (撮影 2017. 9.11) 稲穂がなびく |
沿道の様子 (撮影 2017. 9.11) 棚田が広がる |
<牧猿俣川上流部> |
この先、牧猿俣川を渡る (撮影 2017. 9.11) 左岸沿いに遡る道が分かれる |
通行止の看板 (撮影 2017. 9.11) |
<通行止> |
<右岸側> |
道の様子 (撮影 2017. 9.11) 尾根上を行く |
稲木だと思う (撮影 2017. 9.11) |
<稲木> |
<前山の手前> |
道の様子 (撮影 2017. 9.11) |
200M先が工事現場 (撮影 2017. 9.11) ここで通行止 |
<通行止> |
通行止箇所 (撮影 2017. 9.11) |
車両通行止の看板 (撮影 2017. 9.11) |
<引き返し> |
この先で重機が一台動いている (撮影 2017. 9.11) |
峠への登り |
<峠への登り> |
<地すべり防止工事(余談)> |
地すべり防止工事の看板が立つ (撮影 2001. 7.29) 右奥にトラック出入口 |
工事看板の所を麓方向に見る (撮影 2001. 7.29) |
<湯ノ川水域へ> |
<道の様子> |
<道の状態> |
地形的には長野県側よりずっと険しい様相がうかがえるが、道としては全般に走り易い。眺めを堪能しながらいつの間にやら峠に辿り着いていたという感じだった。 |
長野県側から峠へ |
ここからは一旦話が飛び、長野県側から改めて峠を目指す。 |
前方に国道403号の分岐 (撮影 2017. 9.10) 国道117号上を十日町方向に見る |
国道403号分岐の看板 (撮影 2017. 9.10) 左に折れて市川橋を渡る |
<市川橋> |
市川橋を渡る (撮影 2017. 9.10) |
市川橋の様子 (撮影 2017. 9.10) |
千曲川の川岸を上流方向に見る (撮影 2017. 9.10) 水田が広がる |
<照岡> |
<桑名川村> |
<桑名川の渡し> |
<県道408号に接続> |
市川橋を渡った先 (撮影 2017. 9.10) |
左右どちらも県道408号 (撮影 2017. 9.10) |
<T字路付近> |
<桑名川> |
<桑名川沿いの旧道> |
<千曲川左岸> |
国道403号沿い (撮影 2017. 9.10) 桑名川郵便局の前を過ぎる 道路看板は国道403号の物で、 行先は「小千谷 63Km、十日町 38Km、栄村 13Km」とある |
国道403号沿い (撮影 2017. 9.10) 岡山駐在所の前 |
<飯山線を渡る> |
JR飯山線 (撮影 2017. 9.10) |
JR飯山線を飯山方向に見る (撮影 2017. 9.10) 単線が延びる |
鍋倉高原へ |
<鍋倉高原への登り> |
急坂を登る (撮影 2017. 9.10) |
道の様子 (撮影 2017. 9.10) |
<眺め> |
<鍋倉高原> |
平坦地となる (撮影 2017. 9.10) |
牧峠の案内 (撮影 2017. 9.10) |
<高原の道> |
<道の様子> |
前方に関田山脈を望む (撮影 2017. 9.10) |
熊野神社の大ケヤキ (撮影 2017. 9.10) |
<大ケヤキ(余談)> |
<柄山十字路> |
柄山十字路 (撮影 2017. 9.10) みゆき野ラインと交差する |
柄山十字路の様子 (撮影 2017. 9.10) みゆき野ラインを東の国道403号方向に見る |
柄山十字路に立つ看板など (撮影 2017. 9.10) |
柄山十字路の様子 (撮影 2017. 9.10) 西の県道95号方向に見る |
「森の家」の看板がある (撮影 2017. 9.10) |
<道を間違える(余談)> |
みゆき野ライン(余談) |
<みゆき野ライン> |
前方が県道95号 (撮影 2017. 9.10) 手前がみゆき野ライン |
分岐に立つ看板 (撮影 2017. 9.10) |
<以前の分岐> |
以前の分岐の様子 (撮影 2001. 7.29) |
みゆき野ラインの看板が立っていた (撮影 2001. 7.29) |
<なべくら五橋(余談の余談)> |
<国道403号側起点> |
前方は国道403号 (撮影 2017. 9.11) 手前がみゆき野ライン |
起点よりみゆき野ラインを見る (撮影 2017. 9.11) |
当初のみゆき野ラインは、県道95号から分かれて土倉橋を渡る前の土倉集落までであった。しかし、2000年6月に訪れた時は、既に東の終点の国道403号まで開通していた。
地図にない余りに立派な道で、初めは一体どこに辿り着いたのかと不思議に思った(右の写真)。その後、国道403号で伏野峠を目指したが、6月と言うのに雪の為に通行不能であった。 |
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2000. 6. 4) |
みゆき野ラインから先 |
十字路 (撮影 2017. 9.10) 右が牧峠へ |
<十字路> |
十字路からみゆき野ラインを西に見る (撮影 2017. 9.10) 直ぐ先に桑名川を渡る柄山橋が見える 分岐の角に「牧峠」の案内看板が立つ |
「牧峠」の案内看板 (撮影 2017. 9.10) |
<以前の道筋> |
十字路よりみゆき野ラインを東に見る (撮影 2017. 9.10) この先に柄山集落がある |
十字路より南に延びる道 (撮影 2017. 9.10) これが以前の牧峠の道筋 |
<土倉・柄山> |
<桑名川左岸沿い> |
みゆき野ラインから分かれた道 (撮影 2017. 9.10) |
「森の家」の案内看板 (撮影 2017. 9.10) |
「森の家」は喫茶などを営んでいるのだろうか。洒落た造りの建物だ。敷地は広く、バンガローなどの宿泊施設もあるように見える。鍋倉高原の観光拠点といったところだろうか。 |
森の家以降 |
<「森の家」以降> |
通り抜け不可の看板 (撮影 2017. 9.10) 次のようにある 上越市上牧地区で発生した道路崩壊により 牧峠の上越方面への通り抜けは当面の間でき ません。 上峠(信越トレイル入口)までは通行可 |
通り抜け不可の看板 (撮影 2017. 9.10) |
<関田山脈を眺める> |
関田山脈を望む (撮影 2017. 9.10) |
鞍部が望めるが牧峠ではなかった (撮影 2017. 9.10) |
<道の様子> |
道の様子 (撮影 2017. 9.10) |
「牧峠」の看板 (撮影 2017. 9.10) |
<寒川水域に> |
尾根上に出る (撮影 2017. 9.10) |
耕地が広がる (撮影 2017. 9.10) |
宇津ノ俣峠分岐 |
<宇津ノ俣峠分岐> |
この先右に分岐あり (撮影 2017. 9.10) |
右が宇津ノ俣峠へ (撮影 2017. 9.10) |
分岐の様子 (撮影 2017. 9.10) |
分岐の看板 (撮影 2017. 9.10) |
<宇津ノ俣峠(余談)> |
<宇津ノ俣峠の新潟県側(余談)> |
鷹羽鉱泉入口 (撮影 2017. 9.11) 右上に登るのが鉱泉への道だが、この時は休館で進入禁止 左は未舗装の寂しい林道 |
鷹羽鉱泉の建物を望む (撮影 2017. 9.11) |
<宇津ノ俣峠分岐以降> |
道の様子 (撮影 2017. 9.10) |
<桑名川上流部を過ぎる> |
道の様子 (撮影 2017. 9.10) 沿道の木が倒れかけている |
道の様子 (撮影 2017. 9.10) 路面の流水や枯れ枝 |
<旧道と交差> |
旧道と交差? (撮影 2017. 9.10) |
分岐 |
左手に分岐 (撮影 2017. 9.10) |
<分岐> |
分岐する道を麓方向に見る (撮影 2017. 9.10) 舗装路だ |
峠からの帰りに分岐を見る (撮影 2017. 9.10) 右手に道が分かれる |
開けた場所に出る (撮影 2017. 9.10) |
<ハート型の池(余談)> |
池の形は別としても、周囲は開けてとても気分のいい場所である。一言で言えば「オシャレ」ということになろう。眼下に鍋倉高原を見渡す高台に位置する。
眺めを堪能しながらのんびりとした時間を過ごしてみたい気にさせる。テレビにも登場し、あまり人が押し掛けて溜池を荒らすようなことがなければいいが。 |
付近の様子 (撮影 2017. 9.10) |
付近の様子 (撮影 2017. 9.10) |
下る道の様子 (撮影 2017. 9.10) |
<溜池以降> |
<みゆき野ラインに接続 > |
前方でみゆき野ラインに接続 (撮影 2017. 9.10) 土倉集落の少し西側 |
みゆき野ラインより溜池方向を望む (撮影 2017. 9.10) 牧峠は奥の峰の左手の鞍部辺り |
分岐より先 |
<峠直下> |
この先、左にヘアピンカープ (撮影 2017. 9.10) この付近で旧道が交差している筈なのだが |
ヘアピンカーブの直後 (撮影 2017. 9.10) やはり旧道の痕跡は見当たらない |
<旧峠直下> |
左の急カーブ (撮影 2017. 9.10) ちょっと開けている |
急カーブを麓方向に見る (撮影 2017. 9.10) |
急カーブの先 (撮影 2017. 9.10) |
急カーブを麓方向に見る (撮影 2017. 9.10) この左手の奥に旧道が通じる筈だが |
峠へ |
峠の直前 (撮影 2017. 9.10) 何となくこの先が峠の様に見える |
<峠直前> |
峠の直前を麓方向に見る (撮影 2017. 9.10) やや道幅が広がっている |
左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2001. 7.29) 車を停めるにはいい場所 |
<登山道分岐> |
登山道入口 (撮影 2017. 9.10) 峠を背に麓方向に見る 左手が登山道入口、右手に「信越トレイル」の看板 |
<信越トレイル(余談)> |
信越トレイルのパンフレットの地図には、当然ながら関田山脈に通じる峠は全て漏れなく記載されている。これ程多くの峠名が載っているパンフレットも珍しい。眺めているだけで楽しくなる。 |
「信越トレイル」の看板など (撮影 2017. 9.10) |
「信越トレイル」の看板 (撮影 2017. 9.10) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
「信越トレイル」の案内 (撮影 2017. 9.10) |
<旧峠> |
稜線を東へと延びる登山道の入口 (撮影 2017. 9.10) 登ると直ぐに稜線上に出る 側らの標柱には以下の様にある 現在地:牧峠 手前方向:梨平峠 2.7km 登山道を行く方向:宇津ノ俣峠 3.4km |
道案内の標柱 (撮影 2017. 9.10) |
切通し部分 |
<切通し> |
<関田峠への登山道> |
切通し部分から長野県側を見る (撮影 2017. 9.10) 西の関田峠へと登山道が登る |
入口に立つ信越トレイルの注意看板 (撮影 2017. 9.10) 傾いた標柱には「一六八 林班」とある |
登山道を切通し上部へと少し登ると、信越トレイルの案内標柱が立つ。現在地は「牧峠」、西へ「← 関田峠 4.5km」とある。 |
切通しの上から真下の切通しを見る (撮影 2017. 9.10) |
<峠の表情> |
峠の新潟県側 |
<峠の新潟県側> |
峠の新潟県側 (撮影 2017. 9.10) |
新潟県側から峠方向を見る (撮影 2017. 9.10) 望遠のカメラが並ぶ |
<以前の峠> |
峠で朝食 (撮影 2001. 7.29) 誰一人来ないので気兼ねが要らない |
谷へと路肩が切れ落ちている (撮影 2017. 9.10) |
<新潟県側の眺め> |
更に遠くを遠望すれば、高田平野が広がる。景色を眺めていると、イヌワシ観察に来ていた男性の一人が、いろいろ説明してくれた。日本海が見えるとか、他にもいろいろ教えてくれたのだが、あまり良く覚えていない。佐渡島まで見えるとか何とか・・・。 |
<湯ノ川源流部> |
<峠の標高> |
新潟県側に下る道 |
<新潟県側の道> |
通れない道を眺めていると、軽トラが一台居て、やがて下って行った。通行止の筈なのだが、どういうことだろうか。
景色をいろいろ説明してくれた男性も、やたらと不審がっていた。どうやら新潟県側から来た方の様で、今回の通行止の為にわざわざ関田峠かどこかを大きく迂回させられたらしい。 |
前方に通行止箇所 (撮影 2017. 9.10) |
<通行止箇所> |
通行止箇所 (撮影 2017. 9.10) |
通行止の看板 (撮影 2017. 9.10) |
<地滑り(余談)> |
通行止箇所の先 (撮影 2017. 9.10) 暫くこうした開放的な道が続く |
通行止箇所を峠方向に見る (撮影 2017. 9.10) |
今回は峠道のクライマックスとも言える新潟県峠直下を通ることはできなかった。もし、登って来られたら、こんな風に峠に到着するという雰囲気だけでも、写真に収めて置こうと思った(以下の写真)。 |
<峠道の変遷> |
<現在の峠> |
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17年前に初めて牧峠を訪れた時は、拍子抜けする程容易に越えられた気がしていた。峠で朝食を摂ったが、半分朝飯前という訳だ。
当時はジムニーで野宿旅をしながら、険しい道ばかり求めて走り回っていた。牧峠に来る直前も、天然記念物「須川の大こぶし」(旧安塚町須川)までジムニーを走らせた。
それはそれは酷い道だった。それに比べると、林道と言えども全線舗装の上牧林道は、快適その物に思えたようだ。また、辿り着いた県境の峠には誰一人やって来ない。牧峠を独占した様ないい気分である。 |
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<走行日> <1997〜2018 Copyright 蓑上誠一>
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