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国道299号・通称メルヘン街道を走って来ると、大きく「麦草峠」と看板が掲げられている。
メルヘン街道最高地点 国道299 麦草峠 標高 2127m 路肩に僅かばかり、車が停められるスペースがあるので、中にはそこに車を停め、周囲の様子を窺ったりする者も居る。しかし、ここからは景色は広がらないし、看板以外に別段見るべき物もない。暫く所在無げにしていたかと思うと、また車に乗ってさっさと走り出す。ここが麦草峠だと思いながら。 しかし、この「麦草峠」の看板があるのは道の最高所であって、そこはまだ佐久穂町(さくほまち)・旧八千穂村(やちほむら)の中だ。茅野市(ちのし)との境を成す本来の麦草峠は、ここより500m程も離れた別の所にある。 道沿いをよくよく見ていれば、本来の峠には、市町村の境を示す看板があり、そこが峠だと分かる。しかし、最高地点にあるような「麦草峠」と書かれた目立つ看板などはないので、そこが峠だと言う認識の無いまま、素通りするドライバーも多いことだろう。 実のところ、わたしも始めてこの麦草峠を越えた時は、最高地点のことしか記憶に残らなかった。そして単純にそこが峠だと思い込んだ。市町境となる本来の峠が別にあることは、後々になって知ったことだった。 まあ、市町境と最高地点の、どちらが本当の峠かなどと、目くじらを立てる程のことでもない。どちらも麦草峠だと思っておけばいい。麦草峠は二つの顔を持つ峠だと考えてみてはどうだろうか。 |
麦草峠と言えば、ツーリングマップルにも書かれている様に、「国道で2番目に標高が高い峠」という代名詞が付くてくる。最高地点の看板には2,127mとある。1番目が渋峠(しぶ)で2,172mだそうだ。45mの僅差であるが。
因みに、「国道」という条件を外し、代わりに「車道」という条件下では、わたしの知る限り、大弛峠(おおだるみ)が2,360mと高い。但し、1番かどうかは分からず、今度じっくり調べてみようと思っている。 しかし、ただ標高が高いと言うだけで、峠が面白くなる訳ではない。どちらかと言うと、「メルヘン街道」などと名付けられていることからも分かる様に、麦草峠は俗化した観光道路の感が否めない。わたしも最初はほとんど立寄ることも無く、通り過ぎるだけの峠道だった。それで市町境の峠のことも暫く知らずに居たのだ。 それでも、峠の近くにある白駒池(白駒の池)などを訪れるようになると、それなりに思い入れが出てくる。特に近年、避暑を兼ねて近くの渋御殿湯へ泊ることが何度かあった。そのついでに、周辺の地域を改めて旅するようになり、麦草峠への関心もまた深まったのだった。 |
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県道480号から国道299号へ接続 (撮影 2010. 9. 4) 右手に上がる道は、レストハウスへ |
麦草峠は北八ヶ岳の茶臼山と丸山の間の鞍部を越えている。南北に連なる八ヶ岳連峰を東西に跨いでいるのだから、標高も高い筈である。麦草峠の少し北には大河原峠(おおがわら、おおかわら)あるが、そちらも2,093mとなかなかのものだ。
八ヶ岳連峰の東には国道141号・佐久甲州街道が南北に走っている。麦草峠へは佐久穂町(旧八千穂村)内でその国道141号から西へ分岐する国道299号を行くのが本線だ。しかし、わたし自身はこの道筋で麦草峠を訪れたことはあまりない。1度や2度は通っただろうが、ここに掲載できる様な写真は撮ったことがないのだ。 ではどう行くかと言うと、小海町(こうみまち)内の松原湖入口と呼ばれる交差点から国道141号と別れ、県道480号に入るのだ。県道480号は麦草峠の数km程手前で国道299号に接続する。単純に国道299号を行くより、こちらの県道の方が道は空いているし、途中に松原湖やちょっとした展望所があったりして、楽しいのだ。 |
それに、山梨県の方から国道141号を北上して来ると、国道299号より先に県道480号の分岐が来るので、どうしても曲がりたくなってしまう。交通量の多い国道141号から早く逃れたいという気持ちが湧き上がるのだ。
結局、なるべく人が来ない辺ぴな道ばかりを選んでいる。最近ではこの県道480号でも物足りなくて、南牧村(みなみまきむら)の海尻(うみじり)から稲子湯温泉(いなごゆおんせん)経由で、県道480号の途中に入るコースも試してみた。微に入り細にわたって、辺ぴな道ばかりを探し回っている。 |
国道299号上から県道分岐を見る (撮影 2006. 8.20) ← 八千穂高原 国道141号 小諸 自然園・スキー場 (国道方向を示す) 松原湖高原 ↑ (県道方向を示す) |
県道分岐の道路標識 (撮影 2006. 8.20) 佐久 韮崎 佐久穂 南牧 299 480 麦草峠を越えて来たところ この時も、県道480号に入ってしまった |
麦草峠から降りて来た時も、県道の分岐を示す標識が出て来ると、そのまま国道を行かずに、ついつい県道480号に入ってしまう。それ程、国道を毛嫌いしている訳ではないのだが・・・。
ところで、麦草峠を越えているこの国道299号。東の起点はと見ると埼玉県狭山市の方で、そこから飯能市を経由して正丸峠(正丸トンネル)を越え、志賀坂峠で群馬県に入り、更に十石峠(じっこく)で長野県へ、次にこの麦草峠を越えて茅野市に至っている。県境越えを2回も行い、その志賀坂峠も十石峠も、なかなかマイナーな峠ときている。あなどれない国道なのだった。 |
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国道299号の様子 (撮影 2006. 8.20) 峠から下って来たところ |
県道が接続する付近から峠方向へは、もう国道沿いに何も無い。ただただ峠への登り道が続いているだけである。ほとんどがセンターラインがある道幅十分の道だが、後から写真を見ると、センターラインが無いやや狭い区間も残っていたようだ。しかし、ほぼ全線に渡って、国道と言う名に恥じない快適な道である。勾配も緩やかで、勿論峠道らしいカーブも多いが、カーブとカーブの間の直線部分も少なくなく、車を走らせていてあまりストレスを感じさせない道だ。
反面、峠道としての魅力がない。周辺は林ばかりで遠望が全く無いと言ってもいいくらいだ。撮る写真、撮る写真、どれもアスファルトの路面だらけで、それも真っ直ぐな道ばかりだ。標高2,000mを超えようというすごい峠に登っているのに、その実感が無い。それに比べ国道1位の渋峠は、標高差もさほど無いのに、あの雄大さはどうだ。天空を走っている様にも感じる。国道の峠の標高で1、2を争う渋峠と麦草峠だが、峠道としての貫禄は段違いなのだった。 |
国道299号の様子 (撮影 2010. 9. 4) 峠方向へ向かう この先よりセンターラインが出て来た |
国道299号の様子 (撮影 2010. 9. 4) 峠方向へ向かう 画像でははっきりしないが、 黄色いセンターラインが引かれている 追い越し禁止 |
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佐久穂町の清水町で国道141号から分岐して始まる国道299号だが、峠へ登る途中で一旦小海町に入る。県道480号が接続する部分は、その小海町内だ。県道から国道に乗り継いで暫く走って来ると、「佐久穂町」の看板が出てきて、小海町から再び佐久穂町に入る。
佐久穂町・旧八千穂村と小海町とは高い峰を境にしているのではないので、その境は複雑である。国道299号・麦草峠の峠道は、千曲川の支流・大石川に概ね沿った道だが、旧八千穂村と小海町の境が複雑なので、その間を行き来してしまった様に思う。 |
佐久穂町に入る (撮影 2010. 9. 4) 左手に「佐久穂町」と書かれた標識が立つ |
国道299号の様子 (撮影 2010. 9. 4) 上空に青空は広がるが、周囲の視界は広がらない |
国道299号の様子 (撮影 2010. 9. 4) |
佐久穂町に入ってからも、相変らずカメラに写るのはアスファルト路面と、晴れていればその上空に青空ばかり。道の両側は木々が立ち並び、視界を遮っている。それでもやっぱり晴れていれば、気分は清々しい。
でも標高が高いので、天候には左右され易い、さっきまで青空が見えていたのに、急にガスが立ち込めてきたりする。快適な国道と言えども、油断は禁物である。この沿線は登山者やハイカーが多く、時には国道沿いを歩いている者もいる。車道としては立派だが、歩道はあま整備されていないので、この点も注意が必要だ。何にしろ、道が良いからとあまりスピードを出さないことだ。 沿道に見る物がないので、カーブ番号でも確認しながら走る。確か主要なカーブごとに、「第44カーブ」などと書かれた看板が立つ。峠に登るに連れ、番号は増えていく。 峠道を走ると、時たまこういうカーブ番号が出てきて、いつも気になる。碓氷峠(うすい)などがその代表例だろうか。しかし、カーブを曲がる最中では、写真を撮っても画像が流れてうまく写らないし、その内別のことに気を取られて、カーブ番号のことなど忘れてしまう。結局、カーブがいくつあったかも分らず仕舞のことが多い。 |
さっきまで青空だったがガスってきた (撮影 2006. 8.20) 峠からの下り途中 前方の道路の右側に歩行者が数人歩いている |
麦草峠では、動体視力だけは抜群の妻が、峠の最後では59だったと主張する。しかし、証拠写真はないので、その真偽の程は確かでない。妻は嘘などつけない純朴な性格だが、思い違いや勘違いは甚だしい。わたしは妻の人格は信じて疑わないが、妻の言うこと成すことはあまり信用しないことにしている。
ちなにみ、峠の茅野市側は、また別のカーブ番号が付けられている。カーブミラーのポールなどに、「27号カーブ」などと看板が設けられている。やはり峠に登るに連れ、番号は増す。茅野市側の最終番号については全く不明だ。ただ、カーブの多さは佐久穂町の方が勝っている様に思う。 |
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沿道は木々ばかりで単調な道に、峠近くになってやっと変化が訪れる。道の両側に大きな駐車場が現れる。この近くに白駒池(しらこまいけ、しらこまのいけ)があり、主にその池を訪れる為に車を停める場所となっている。これと言って見るべき物が無い峠道なので、ここはちょっとその池に行ってみようかと思うのだが、それには少し難点がある。その駐車場は有料なのだ。1998年に停めた時は、普通車で420円だった。その後、値上がりしていることと思う。 |
道の両側に駐車場が出てくる (撮影 2010. 9. 4) 峠方向に見る |
白駒池の駐車場 (撮影 2006. 8.20) 峠を背にして見る |
白駒池は小海町と佐久穂町(旧八千穂村)に跨っている。丸山と白駒峰の間に位置し、標高は2,115m。2,000m以上の高地にある湖としては、日本最大とのこと。訪れてみると確かに大きな池である。白馬と共に湖に消えた悲恋の娘の伝説にちなみ、「白駒池」と名付けられたとも言われている。
この池は白駒峰の噴火で大石川が堰き止められてできたもので、八ヶ岳火山湖郡の一つだそうだ。池から流出する大石川の水は、佐久地方の上水道水源として重要なものとなっている。近くに国道が通るようになってからは、一般の人も多く訪れるようになった。夏はボート、冬はスケートで賑わう。以前は、11月20日頃には全面結氷し、天然湖としては本州で最も早くスキーのできる湖だったそうだ。しかし、最近の温暖化ではどうなのだろうか。 白駒池は、その周囲を林に囲まれ、神秘的だがやや不気味な感じがしないでもない。湖畔は薄暗く湿っていて、あまり池の周囲を散策したいとも思われない。一箇所からじっと眺めれば、それで十分である。 池の近くを自然歩道が通っているが、そこを歩くとなかなか時間がかかりそうで、結局国道からの往復となる。 |
白駒池 (撮影 1998.11.14) |
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白駒池の駐車場を過ぎると、そこから500m程でこの峠道の最高地点に到達することになる。道路脇にぽつぽつと立つ国道標識には、「メルヘン街道」と書かれた看板の下に、標高も記されている。その値が2,100mとなった。 |
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標高はすごいのだが、残念ながらここに来ても視界があまり広がらない。空は開けてくるが、遠く山々を望むという訳にはいかないのだ。
また、ここは本来の峠ではなく、車道が開削し易いように通されたルートのようで、峠の様な鞍部の地形にはなっていない。道路の南側は山なのだが、北側は谷となっている。これではやはり峠の気分がでない。峠はやはり両側を山で挟まれていないと。 |
最高地点を背にして見る (撮影 2006. 8.20) 南側は山、北側は谷になっている |
この先が最高地点 (撮影 2010. 9. 4) 右手に駐車スペースあり |
いよいよ最高地点が近い。前方に最高地点を示す看板が立っているのが見えてくる。側らには数台の車が停められている時もある。鞍部の地形はしていないが、峠道が上り詰める最高地点である意味は大きい。 |
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最高地点の看板 (撮影 2006. 8.20) 裏側も同じ内容である |
麦草峠については、本来の峠より、こちらの最高地点に立寄ることの方が多かった。やはり「メルヘン街道最高地点」の大きな看板のせいである。麦草峠の峠道を走った折は、本来の峠は素通りしても、この最高地点には必ずと言っていい程車を停めた。看板が「麦草峠」と大きく示しているし、路肩に手頃な駐車スペースもある。
ただ、この看板のお陰で、最初の内は市町境(以前は市村境)となる本来の峠が別にあることに気付かなかった。看板が立つ場所は確かに峠道の標高のピークだが、峰の鞍部になっていないので、おかしな地形だなと思っていた。どうせなら、本来の峠にも大きく「麦草峠」と書いてくれていたら良かったのに。 麦草峠を最初に訪れたのは、1991年9月29日のことだった。残念ながらその時は、この麦草峠に関する写真を一枚も撮っていない。それがあれば20年前と比較できたのに、惜しいことをした。上に掲載した1995年から2010年までの写真を比較して見ると、道路周辺の木々が成長した感がある。元々、木々に囲まれ視界が広がらなかったが、尚更閉塞した最高地点になってきている。 |
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最高地点から峠へ (撮影 2010. 9. 4) |
茅野市方向から最高地点を望む (撮影 2006. 8.20) |
最高地点から佐久穂町(旧八千穂村)と茅野市との境までは、まだ0.5km程残っている。その間、ほとんど水平移動で、あまり下っているという感覚はない。最高地点が2,127mであるのに対し、市町境の峠の標高は2,120mとのこと。僅か7mの差である。
暫く進むと、右手の林が切れた先に、一つの山の頂上が現れる(右の写真)。峠の北西に位置する茶臼山(2,384m)だと思う。以前は最高地点からもその山が見えていた(このページの最初に掲載した写真)。やはり周囲の木々が成長してきているようだ。 |
最高地点から峠へ (撮影 2010. 9. 4) 正面に見えてきたのは茶臼山だろうか |
最高地点から峠へ (撮影 2010. 9. 4) 路肩に車が並ぶ。ここならただである |
左に緩いカーブを曲がった先で、狭い路肩に一列に車が停められていた。麦草峠は北八ヶ岳付近の登山の拠点である。ここに車をデポし、山歩きにいそしんでいるのだろう。標高2,000mを超えるこの地点まで、車で容易に来れるのだから、登山客には魅力的なのだろう。 |
峠に近付くに連れ、左手に穏やかな斜面が広がる。それ程広くはないが、ちょっとした草原の趣である。麦草峠の名前は、麦に似た「コメススキ」の草原が峠周辺に広がることから来ていると言う。その「コメススキ」と言う植物がどんな物なのか知らないのだが、これがその草原なのだろう。
ところで、麦草峠の名に似た峠では、野麦峠(のむぎ)を思い出す。野に麦を蒔いたところ、生育して穂も熟したので、村を開いて居住したのが「野麦」と呼ぶ村名の始まりだとする一方、峠一面を覆っていた熊笹を野麦と呼んだのだとも言われている。麦草峠の「麦草」は「コメススキ」で、野麦峠の「野麦」は、場合によっては「熊笹」だったかもしれない。これは全くの余談で、2つの峠に特に関係はないのだが。 |
最高地点から峠へ (撮影 2010. 9. 4) |
この先、道路標識が立っている所が峠 (撮影 2010. 9. 4) |
草原がまた林の陰に隠れると、その先に道路標識が掲げられているのが見えてくる。佐久穂町側から来ると、ほとんど水平移動で、あまり峠と言う感じはしないが、そここそが茅野市との境となる本来の麦草峠である。 |
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峠では、左手(南)に麦草ヒュッテへの砂利道が分岐する。一方右手(北)へは、茶臼山、縞枯山への登山道が始まっている。近くにタクシー乗り場やバス停がある。バス停の名前は勿論「麦草峠」である。
ところで、麦草ヒュッテの看板に、惑わせることが書かれている。「麦草峠 2,127m」とあるのだ。2,127mとは最高地点の標高で、こちらの峠はそれより低くなければいけない。一般の道路地図や国土地理院発行の2万5千分1地形図などでは、この峠の標高は2,120mとある。こうしたところも、市町境の峠と最高地点とを混同してしまう要因になる。 この峠に、「麦草峠」の名は、ヒュッテの看板やバス停に見られるが、それ以外に、最高地点にあった様な大きな看板などは見当たらない。丁度市町境の道路の上に、大きな看板が掲げられているが、茅野市側から見ると単なる道路標識で、以下の様にある。 ↑ 韮崎 66Km 299 ↑ 佐久 41Km 本当はここに大きく「麦草峠」と書いて欲しいのだが、それでは最高地点にある看板の立場が難しいことになる。2箇所に麦草峠があっては困ることになるのだろう。ここでは、本来の峠が最高地点に峠の名を譲った形になっている。 |
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峠から茅野市方向を見る (撮影 2006. 8.20) 峠から茅野市に少し入った所にも道路標識があり、下記の様に記されている。 ↑ 中央道 33km 299 ↑ 茅野市街 29km |
茅野市側にある道路標識 (撮影 2010. 9. 4) |
茅野市側から峠を眺めると、しっかりした上り坂になっているので幾分峠らしく見える(右の写真)。一方、佐久穂町側からだと、緩やかに下っているか、せいぜい水平移動なので、やはり峠らしく見えない。それでも最高地点が山の斜面に位置し、片側が山、片側が谷と言う地形なのに対し、こちらの峠は南の丸山から北の茶臼山へと続く峰上の鞍部に位置している。この付近でほぼ最も低い位置を通過しているのだ。やはりこれこそが峠の証であろう。
この麦草峠を越える国道299号の前身は、昭和41年に開通した主要地方道・茅野佐久町線だったそうだ。今は佐久町と八千穂村が一緒になって佐久穂町となっているが、茅野市から旧八千穂村の北隣の旧佐久町までを主要地方道・茅野佐久町線が通っていたことになる。一部に国道141号との併用区間もあったのだろうか。 手元の一番古い道路地図は、昭和63年発行のツーリングマップ(昭文社 中部 1988年5月発行)だが、それには既に国道299号が描かれている。麦草峠前後の道筋も、現在と比べてほとんど変わりがない。強いて言えば、松原湖への道がまだ県道になっていないくらいなものか。 |
茅野市側から峠を望む (撮影 2006. 8.20) |
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麦草ヒュッテへの道 (撮影 2006. 8.20) 停めてある車の近くに「右草峠周辺案内図の看板が立つ |
林の中にヒュッテが見える (撮影 2006. 8.20) 旧麦草峠はこの先にあったのか? |
また、文献では、麦草峠を2,150mとも記してあった。大石峠がほぼその標高である。これは偶然の一致だろうか。麦草峠最高地点だとか旧麦草峠だとか大石峠だとか、どうにもこの麦草峠はピンポイントに定まらない。まあ、この付近の稜線が比較的なだらかで、どこを通っても同じようなものだったのかもしれない。麦草ヒュッテの付近には、あの「コメススキ」の草原が広がる。その草原のように大らかな気持ちでいようと思うのであった。
麦草峠の周辺には、その独特な地形からか、駒鳥池、茶水の池、雨池などの池が点在する。最大の白駒池も含め、これらが八ヶ岳火山湖郡なのだろう。 |
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峠から車道を少し茅野市側に下ると、道路の南側に隣接して駐車場が設けられている。茅野市の「麦草峠 公共駐車場」だ。こちらは確か無料だったと思う。しかし、登山の繁忙期ともなると、車がびっしりで空きスペースを探すのが大変である。駐車場の一角にある三角屋根のこじんまりしたトイレが、アクセントとなっている。無料だしトイレもあるので、峠の散策の為にも、是非ここに車を停めたいものだ。 |
右手に峠の駐車場 (撮影 2006. 8.20) 峠方向に見る 車の側らで登山支度を整えている者も多い |
峠の駐車場 (撮影 2006. 8.20) 三角屋根の建物はトイレ 赤いポロシャツはわたしの妻で、 相変らずあちこちかっ歩して回っている |
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峠の茅野市側は、佐久穂町側よりも更に良い道が続く。快適な2車線路で空も開けているが、やはり木々が遠望をさえぎっている。時折、茶臼山らしい頂上が見えるが、それ以外は周囲の森林を眺めるだけだ。カーブ番号か、メルヘン街道の看板に書かれている標高でも眺めるしかない。 |
峠への上り (撮影 2006. 8.20) 見えているのは茶臼山か 峠への上り (撮影 2006. 8.20) カーブと直線路の繰り返し |
メルヘン街道の標識 (撮影 2006. 8.20) 標高2100mとある |
峠からの下り (撮影 2010. 9. 4) |
峠からの下り (撮影 2010. 9. 4) なかなか視界が広がらない |
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茅野市側ではほとんど唯一と言っていい、一箇所立寄るべき場所がある。日向木場展望台だ。峠から降りて来ると、右カーブの山側に立っている。それ程大した物ではないが、カーブの前後に小さいながらも駐車場が設けられていて、展望台となる櫓が立っている。 |
この先、右手に展望台が現れる (撮影 2010. 9. 4) 車が通過している付近 |
右手に向木場展望台 (撮影 2010. 9. 4) 手前に駐車場がある カーブを曲がった先にも別の駐車場がある |
展望台 (撮影 2006. 8.20) |
展望台からの眺め (撮影 2006. 8.20) |
展望台からの眺め (撮影 2006. 8.20) |
展望台からの眺め (撮影 2006. 8.20) |
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快適な道路で、それが面白いと思えば面白いし、何もないと言えば何もない。
この国道を始めて通ったのは1991年9月のことだった。茅野市街の方から峠を目指した。暫くして、峠道らしいカーブの連続が始まると同時に、車の渋滞が起こった。高い峰を越える辺ぴな峠道かと思ったら、観光客がドッと押し寄せる観光道路だった。道は快適だが、のろのろの車の列が続く。そこに、野宿旅で薄汚れたおんぼろジムニーで紛れ込んでしまったのだ。道はほぼ一本道で渋滞から容易に抜け出すこともできず、うんざりした覚えがある。 そう言えば、前日の野宿はなかなか良い場所が見付からず、箕輪町の萱野高原近くの狭い林道脇で、最悪の夜を過ごしたのだった。翌日は下痢をしてひどい体調不良。その状態で賑やかな観光客の列にはまったのだ。気分は惨めなものである。しかも、その直前に、長い未舗装路の黒河内林道を走って来たので、快適な舗装路が尚更鼻に付いた。それで、どこにも立寄らず、どこも写真に撮らず、そそくさと麦草峠を越えたのだった。 |
峠からの下り道 (撮影 2010. 9. 4) |
ゲート箇所 (撮影 2010. 9. 4) 峠の前後の国道299号は、冬期は閉鎖となる |
数年後の5月、またしても茅野市側からジムニーで麦草峠に登った。この時は、まだ道路の周辺に残雪が多く残り、一般の観光客などほとんど居なかった。麦草峠の最高地点にジムニーを停め、記念写真を撮る。この時ばかりは残雪と無骨なジムニーが良く似合った。何となく、これで汚名挽回ができたような気がしたのだった。
夏には何でもない国道の麦草峠であるが、標高が高いので冬には当然ながら冬期閉鎖である。暫く下って来ると、ゲート箇所がある(左の写真)。 峠道の連続するカーブも概ねクリアして来た頃になって、森林が少し途切れ、遠望が広がる(下の写真)。ちょっと爽快な気分にはなるが、やはり物足りない感じは残る。 |
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麦草峠の佐久穂町側には八千穂高原があるが、こちらの茅野市側には蓼科(たてしな)高原がある。国道299号の沿線には、蓼科・八ヶ岳国際自然学校など、その高原に関するいろいろな施設が点在する。大規模な別荘地もある。 |
蓼科・八ヶ岳国際自然学校 (撮影 2006. 8.20) 道の峠方向に見る |
蓼科・八ヶ岳国際自然学校 (撮影 2006. 8.20) |
この峠道を通る車はほとんどが観光目的の自家用車だが、たまに路線バスが通る。バスにはHighland Shuttleとある。茅野駅と麦草峠を結ぶものだろうか。主要目的は登山者の便宜を図ったものだと思う。道が良いので、こうした大型バスが来てもすれ違いに問題ないのはありがたい。 |
バスとすれ違う (撮影 2006. 8.20) 茅野駅行き |
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横谷渓谷に限らず、最近はこの近辺を旅することがたびたびある。麦草峠の峠道だけでは、やっぱり物足りないので、それ以外の目的でやって来て、ついでに峠も越えるといった趣向だ。
蓼科高原の方にある横岳ロープウェイ(ピラタス蓼科ロープウェイ)にも最近になって初めて乗ってみた。更に北にある白樺高原の白樺湖畔の宿にも泊ってみた。ただ、これではほとんど一般の観光客と同じなのだが・・・。 ここ数年、特に気に入っているのが、横谷渓谷の更に上流部にある、奥蓼科温泉郷である。国道299号の南をほぼ平行して走る県道191号が尽きる終点に、2軒ほど温泉宿がある。その一つが国民宿舎の「渋御殿湯」で、値段も手頃である。宿が立つ地は標高1,880mと、非常に高い。車道の終点の川のほとりで、周囲は林に囲まれ、近所に見所はほとんど無いが、とにかく夏は涼しいのだ。朝方など、洗面所で顔を洗っていると、手がしびれる程に水が冷たい。勿論、クーラーなど不要で、夜間は窓を少し開けておくだけで、自然の冷気でぐっすり眠れる。今年も猛暑で、夜も30℃を超える日が続いた。そんな時、渋御殿湯のあの涼しさを恋しく思い出すのだった。 |
右に蓼科湖への分岐 (撮影 2010. 9. 4) |
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麦草峠の道は、わたしが訪れ始めた頃から既に立派な国道で、しかも8月前後の夏の季節には自家用車が多く、観光道路の雰囲気にあふれていた。峠道そのものもあまり面白くないので、一向に関心が向かず、あまり訪れたいと思う峠ではなかった。それで写真を撮った量も少なく、最高地点以外に本来の峠があることに暫く気付かなかったりした。
最近になってその近辺に宿泊する旅をするようになり、改めて麦草峠を越える機会を持つようになった。すると、いろいろ分ってくる。旧麦草峠や大石峠の存在などなど。また、最高地点の様子も、以前と違ってきていたことに気付く。 ただただ、峠道を走り通すのではなく、その周辺を寄り道し、できたら宿泊もして丹念に旅をすれば、また見えてくる物も違う。峠道も新しい味わいが出てくるものだと思う、麦草峠であった。 |
<走行日>
・1991. 9.29 茅野市→八千穂村(写真なし、ジムニー) ・1995. 5. 5 茅野市→八千穂村(ジムニー) ・1998.11.14 八千穂村→茅野市(ミラージュ) ・2006. 8.20 茅野市→八千穂村(キャミ) ・2010. 9. 4 佐久穂町→茅野市(パジェロ・ミニ) <参考資料> ・昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年1月発行 ・昭文社 中部 ツーリングマップ 1988年5月発行 ・昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 ・昭文社 ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 ・昭文社 ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月発行 ・昭文社 ツーリングマップル 4 中部北陸 2003年4月発行 ・昭文社 県別マップル道路地図 長野県 2004年4月発行 ・昭文社 県別マップル道路地図 長野県 2007年2版15刷発行 ・エスコート WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) ・角川書店 角川日本地名大辞典 20 長野県 平成3年9月1日発行(麦草峠の項、その他) ・国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図 ・その他(インターネットでの検索など) <Copyright
蓑上誠一>
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