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柳蘭峠
  やなぎらんとうげ  (峠と旅 No.318)
  御嶽山北麓を横断する峠道
  (掲載 2022.10. 1  最終峠走行 2001. 4.30)
   
   
   
柳蘭峠 (撮影 2001. 4.30)
峠一帯は岐阜県高山市高根町日和田に属し、何の行政区界にもなっていない
手前は県道463号を高根町留之原方面へ
正面奥は県道435号を高山市朝日町胡桃島方面へ
左にカーブする方向は県道435号の続きで、濁河峠を越えて岐阜県下呂市小坂町に至る
峠の標高は1,697m (峠に立つ看板より)
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ここから濁河峠方面へと道は更に登って行くので、
この柳蘭峠は留之原(手前)方面と胡桃島(正面奥)方面を結ぶ峠道となる
 
 

   

<掲載理由>
 最近、鳥居峠から始めてその近くにある鉢盛峠境峠長峰峠美女峠と続けて掲載してみた。 こうなったらついでである。この近辺の地図で柳蘭峠が目に付いたので、取り上げてみることにしたまでだ。特にこの峠について何らかのこだわりがある訳ではない。 しかも、最後に訪れたのが今(2022年)からもう21年以上も前のことで、現在の峠の様子などはさっぱり分からない。随分と変わってしまっているかもしれない。
 
 ただ、ちょっと面白い点がある。柳蘭峠を初めて越えたのは1993年のことで、当時はまだ砂利敷きの林道の様な峠だった。その何年か後に快適な2車線路が通じ、峠は大きく変った。 その変貌前の峠が下の写真である。現在の峠は見違えるばかりに立派で、全く別の峠かと思う程だ。

   
昔の柳蘭峠 (撮影 1993. 9.12)
手前は旧朝日村胡桃島方面、奥は旧高根村留之原方面
右に濁河峠へと道が分かれる
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「柳蘭峠」と書かれた大きな木製の標柱が目立っていた
何だか松茸を連想させられる
   

<所在>
 峠は岐阜県高山市(たかやまし)高根町(たかねまち)日和田(ひわだ)に通じる。旧高根村(たかねむら)の大字日和田になる。 字名まで分かれば、峠はどこかの字境になっているのかもしれない。しかし、文献(角川日本地名大辞典)などでは字の地名までの細かな記載がなく、調べようがなかった。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<立地>
 ただ、柳蘭峠の大まかな立地としては理解し易い。 日本列島のほぼ中央を日本海沿いの親不知(おやしらず)から立ち上がった飛騨山脈・通称北アルプスの高い峰が南下して乗鞍岳を通り、続いて野麦峠・長峰峠を経て御嶽山(おんたけさん)に至る。 柳蘭峠はその御嶽山の北麓に東西方向に通じる峠道になる。
 
<御嶽山北西麓域>
 野麦峠を源頭として発する飛騨川(ひだがわ)が御嶽山の北麓から西麓へと大きく弧を描いて流れている。 御嶽山の北から西の斜面を流れ下る幾筋もの川は、やがては飛騨川左岸の支流となって本流の飛騨川に注ぐ。旧町村名で言えば、高根村、朝日村、久々野町(くぐのまち)、小坂町(おさかまち)が含まれる。 御嶽山の北西麓を横切る道はそれらの支流の川を隔てる尾根を何度も越えることになり、そこに峠が発生する。柳蘭峠はそうした峠の一つだ。
 
<特徴>
 野麦や長峰などの峠は飛騨山脈に続く大きく長い峰を越える雄大な峠道となる。一方、柳蘭峠は飛騨川左岸の支流同士間を越えるだけの峠道だ。どうしても道の雄大さに欠ける。また、幾筋もの川を跨ぐので峠以外にもアップダウンがあり、その点もあまり峠道らしくない。
 
 周辺の地図の参考まで、長峰峠に立っていた「飛騨中央高原案内図」と、大平峠(展望台)近くの県道441号沿いに立っていた「山岳地道路案内図」の写真を下に挙げる。どちらも古い物だが、大まかな柳蘭峠の立地が分かる。

   

以前、長峰峠にあった案内図 (撮影 2001. 4.30)
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県道441号線沿いに立っていた案内図 (撮影 2001. 5. 1)
大平峠(展望台)の近く
地図は下が北
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「山岳地道路案内図」の一部 (撮影 2001. 5. 1)
地図は下が北
濁河峠の記載がないが、濁河スキー場の手前、少し柳蘭峠寄り
大平展望台がほぼ大平峠
この地図ではまだ権現トンネルは開通していない
   

<他の峠(余談)>
 柳蘭峠以外に御嶽山北西麓域に位置する峠は、車道が通じた主なものとして、濁河峠(にごりご)、岳見峠(だけみ)、大平峠、鈴蘭峠(すずらん)、鳥屋峠、権現峠(権現トンネル)などがある。 中でも御嶽山山頂に一番近い濁河峠は、標高も約1,770mと高く、この地域を代表する峠となろう。

   

<水系>
 当然ながら峠道は全て飛騨川水域にある。飛騨川は木曽川最大の支流で、よって木曽川水系に属す。
 
 更に詳しくは、峠は布川水域いある。布川は下って高根第一ダムによってできた高嶺乗鞍湖に注ぐ。同じく長峰方面より下って来た日和田川も高嶺乗鞍湖に注いでいるが、どうやら日和田川の方が本流で、日和田川が飛騨川の直接の支流となるようだ。
 
 峠の西側は布川の支流・流葉谷が流れ下るが、東側は地形図からはなかなか読み取れない。流葉谷の名もない支流の様であり、あるいは布川の支流・内ヶ谷川の更に支流・カラ谷の様にも見える。 どちらにしろ、峠はそれら小さな川を隔てる尾根上にあり、御嶽山の斜面のヒダのような僅かな起伏の上に峠は位置する。

   
   
   

留之原より峠へ

   

<東の起点>
 長野・岐阜県境の長峰峠に通じる国道361号を岐阜県側へと丁度1Km下って来ると、日和田川の支流・幕岩川を渡る直前、南へと県道463号・朝日高根線が分岐して行く(地理院地図)。ここが柳蘭峠への東の起点と考える(濁河峠への起点?)。

   

<留之原>
 県道分岐付近の住所は高山市高根町(たかねまち)留之原(とめのはら)となるようだ。ただ、国道を挟んで直ぐの反対側は高根町小日和田(こひわだ)だ。
 
 しかし、地図によっては留之原を含んだもっと広い範囲を高根町日和田(ひわだ)としているものがある。 江戸期からの日和田村や小日和田村など12か村が明治8年(1875年)に合併して高根村(たかねむら)ができ、旧村名を継承した12の大字が形成された。 でも、その中に留之原という大字は見当たらない。そもそも留之原という地名は文献(角川日本地名大辞典)で検索しても全くヒットして来ない。
 
 これは推測だが、留之原は元は日和田の中の一字名で、そこに人家が集中しているなどの理由から、いつしか独立して大字になったのではないだろうか。

   

国道361号側より県道463号方向を見る (撮影 1994. 3.22)
この時も朝日・高根線は冬期通行止
周囲に雪も残っているので、あっさり諦めた
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県道分岐付近の道361号沿い (撮影 1997. 4.27)
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<県道分岐の様子>
 国道沿いには県道463号方向を指し、いろいろな案内看板が立っている。県道を行った先に日和田高原が広がるが、そこにあるスポーツ施設やロッジなどの案内が多い。
 
 国道361号の長峰峠区間は木曽街道とも呼ばれ、木曽福島と飛騨高山を結ぶ延長約80Kmにも及ぶ長い道程だ。そこを走り通すのも一興だが、何度か訪れる内に寄り道したくなる。 そんな時、柳蘭峠やその先の濁河峠へと通じるこの県道463号は魅力的だ。ついつい脇道へとそれたくなる。

   
県道463号分岐近くに立つ看板類 (撮影 1997. 4.27)
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<冬期通行止>
 ところが、この県道は冬期通行止の期間が長い。ある時の看板では、「毎年12月10日から翌年4月30日まで」となっていた。看板を見て直ぐに諦めたことも、あるいは実際に通行止箇所まで行って確認して来た時もある。ところが、2001年4月30日に冬期通行止の看板が出ているのを知りながらも県道を進んでみると、何の問題もなく柳蘭峠を越えることができた。

   

県道脇に道冬期通行止の看板が立つ (撮影 2001. 4.30)
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県道看板 (撮影 2001. 4.30)
行先は小坂 51Km、濁河 15Km
   
冬期通行止の看板 (撮影 2001. 4.30)
「留野原〜胡桃島」
ところが、この時は通行可能だった
   

<通行止区間>
 冬期通行止の区間は看板によって「留野原〜胡桃島」とか「日和田〜胡桃島」となったりしている。胡桃島(くるみじま)は柳蘭峠を越え、更に旧朝日村(現高山市朝日町)に入った最初の集落である。
 
<留野原>
 ところで今気が付いたが、道路情報の看板では「留之原」ではなく「留野原」になっていた。一般の道路地図では「留ノ原」と記すものも見掛ける。地理院地図では「留之原」で出ている(地理院地図)。どれも同じ地名を指すものと思う。

   

道路脇に冬期間通行止の看板が立つ (撮影 1997. 4.27)
この場所が何処だったか定かでない
看板には次のようにある
 
冬期間通行止
路線名:朝日〜高根線
場所:日和田〜胡桃島
理由:積雪・凍結落石のおそれ
期間:毎年12月10日から
翌年4月30日まで

冬期間通行止の看板 (撮影 1997. 4.27)
   

<県道463号を行く>
 日和田高原一帯はいろいろな施設が点在することもあってか、そこへのアクセス路である県道463号は幅の広い2車線路だ。 起点付近は日和田川支流・幕岩川水域だが、この後同支流・布川水域へと移って行く。その間、それらの本流や支流を渡り越して行くことになる。 その為、本の僅かな下り坂があるが、高原地帯は概ね平坦で、峠直前になってやっと登りだす。当面、県道は高原の中を突っ走って行く。 ただ、林の中を切り開いた道で、両側に高い木々が林立し、視界はほとんど広がらない。

   

日和田高原の案内看板 (撮影 1997. 4.27)
看板の地図は概ね右が北
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<日和田高原>
 国道の分岐から約1.6Kmで右に留之原集落への分岐がある(地理院地図)。その付近がまあ大体、日和田高原の中心地である。名前は日和田高原だが、この付近の住所もまだ留之原のようだ。
 
 以前はその三叉路の県道沿いに「ようこそ名鉄日和田高原へ」という案内看板が立っていた(左の写真)。「センターロッジ、キャンプ場、コテージ、テニスコート」などと案内されていた。県道沿いは林に囲まれているが、それらの施設がある広場に出れば、遠く乗鞍岳が望めた(下の写真)。

   
日和田高原の広場より乗鞍岳を望む (撮影 1997. 4.27)
   

<通行止箇所>
 冬期通行止の期間でも日和田高原のロッジがある付近までは車の通行は可能なようだ。しかし、そこから少し先に進むと、道路情報看板が出ていて、通行止を知らしている。
 
<県道435号の冬期通行止>
 県道463号・朝日高根線の通行止は柳蘭峠峠までだが、結局その先の道も冬期通行止である。1997年に訪れた時は、それについての通行止看板も立っていた。
 
 全面通行止
 冬期閉鎖
 路線名:(―)御岳山・朝日線
 区間:大野郡朝日村胡桃島 地内から
     益田郡小坂町落合 地内まで
              21.9Km 区間


通行止箇所 (撮影 1997. 4.27)
この時は諦めて引き返し
   

道路情報 (撮影 1997. 4.27)
県道朝日高根線の通行止

県道御岳山・朝日線の通行止看板 (撮影 1997. 4.27)
   

<県道の様子>
 冬期の通行止さえなければ、県道463号は快適その物だ。相変わらず視界は広がらないが、白樺林などを抜けて気分は悪くない。

   
快適な県道463号 (撮影 2001. 4.30)
柳蘭峠方向に見る
   

<高度を上げる>
 車で走っている限りではほとんど水平移動に近い感じだが、それでも進むにつれて高度は上がっている。県道起点で既に標高1,300mあり、いつの間にやら1,500mを超えてたる。 布川の支流・カラ谷右岸沿いになる頃には、峠に向けてはっきりと登りだす。沿道からも北方に乗鞍岳だけが覗くようにある。

   
カラ谷右岸沿いより乗鞍岳を望む (撮影 2001. 4.30)
   

<日和田>
 この頃には住所も留之原から日和田へと移っている。ところで、この県道沿いに日和田高原の施設はあるが、一般の家屋は全く見られない。一体、日和田の集落はどこにあるのかと思ったら、小日和田より更に北側にあった(地理院地図)。日和田川の上流部に位置し、国道361号沿いからも外れている。

   
   
   

   

<峠に着く>
 国道361号の分岐から約7Km、高低差約400mで峠に到達する。車なら10分程度の道程だ。途中、北の乗鞍岳方向が見えたが、峠直前では今度は南の御嶽山がちらりと覗いていた。

   

峠手前より県道を留之原方向に見る (撮影 2001. 4.30)
御嶽山が覗いている
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胡桃島方向に峠を見る (撮影 2001. 4.30)
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<峠の様子>
 峠はそこまでの県道463号がゆったり左にカーブして行くが、峠から先は県道435号御岳山朝日線へと変わる。行先は「小坂 濁河」と道路看板にある。また、「チャオ御岳スノーリゾート」、「濁河温泉」などとも案内看板が立つ。
 
 一方、峠を直進する方向も県道435号で、「行先は朝日 秋神」と出ている。「朝日」は旧朝日村(現高山市朝日町」のことで、その中心地は県道463号を抜けた国道361号沿いである(地理院地図)。「秋神」(あきがみ)は高山市朝日町内にその地名は見られない。飛騨川支流・秋神川に架かる秋神ダム付近を指すのだろうか。また胡桃島内に秋神温泉があるので、そこを言っているのかもしれない。
 
 
<林道分岐>
 峠は一見丁字路(三叉路)だが、よくよく見ると標高が書かれた峠の看板の脇より、北へと林道が分岐する。すなわち十字路だった。ただ、林道へは一般車は入れないので、実質的には丁字路となる。


県道463号の道路看板 (撮影 2001. 4.30)
   
峠の様子 (撮影 2001. 4.30)
峠の看板の後ろから北方に林道が分岐している
   

<秋神方向>
 更に、朝日町の秋神方向の県道入口は、半分ほどガードレールで塞がれている。あまり入り込んで欲しくないといった雰囲気を醸し出している。ちょっと異様でもある。
 
 青い道路看板には「朝日 29Km、秋神 13Km」と出ていた。29Kmとはやはり旧村役場、現在の高山市朝日支庁がある地点までの距離に相当する。秋神の13Kmは胡桃島の集落が出て来る付近までの距離だった。胡桃島側の冬期通行止の箇所でもある(地理院地図)。
 
 「国道三六一号まで23Km」という標柱も立っていたが、国道に出るだけなら留之原方向に行った方が早い。 ただ、秋神方向に行った方が、地方都市である高山市街に近い。ところが、この標柱は今はもうないようだ。秋神方向に立っていた「県道 463 岐阜県」という道路標識も、今では「通行止」に変っているらしい。

   
秋神(朝日町)方向の県道入口 (撮影 2001. 4.30)
あまり通させたくない様子
   

<標高>
 柳蘭峠の標高はしっかり看板に書かれている。1,697mだ。現在の地形図と比べても違和感がない数値だ。比較的最近に立てられた看板と思われる。
 
<標高の比較(余談)>
 標高1,697mは野麦峠(1,672m)より高く、月夜沢峠(約1,690m)とも同等だ。なかなか高い。濁河峠は1,770mで、安房峠(1,790m)に次ぐ。車道が通じる高い峠をリストアップしたページがあるのだが、少し修正する必要が出て来たようだ。

   
峠の看板 (撮影 2001. 4.30)
奥に立つ「国道三六一号まで23Km」の標柱はなくなったらしい
   

<濁河方面>
 峠から南に延びる県道435号は、峠から更に濁河峠へと登って行く。留之原から柳蘭峠までの区間もその濁河峠の道の一部と言えるかもしれないが、ここでは「共通区間」という解釈で行こうと思う。
 
 尚、濁河峠方向の道も途中で朝日町胡桃島の地内を通過するので、単に胡桃島方向というと、どちらなのか判別できない。そこで、「秋神方向」、「濁河方向」などと区別してみた。

   
峠 (撮影 2001. 4.30)
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 濁河方向の道路標識には、「小坂 44Km、濁河 8Km」と出ている。現在、小坂町は岐阜県下呂市(げろし)の一部となり、下呂市小坂町(おさかちょう)になっている。 「濁河 8Km」とは濁河峠を少し越え、下呂市小坂町落合に踏み込んだ辺りだ。

   
濁河方向の県道435号 (撮影 2001. 4.30)
   
   
   

以前の峠

   

<以前の峠の様子>
 現在のように快適な2車線路が通じる以前、一度だけ柳蘭峠を訪れたことがある。ただ、残念ながら写真は一枚しか撮っていない(下の写真)。 ジムニーに乗って濁河峠方面から下って来ると、丁字路に突き当たった。道標や標柱などがいろいろ立っていたので、その脇に車を停め、記念写真を撮った。そこが柳蘭峠であった。

   
昔の柳蘭峠(再掲) (撮影 1993. 9.12)
手前が秋神方向、奥が留之原方向、右手が濁河方向
   

柳蘭峠の標柱 (撮影 1993. 9.12)
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<柳蘭峠の標柱>
 以前の峠で特徴的だったのは、「柳蘭峠」と刻まれた大きな木製の標柱が立っていたことだ。 当時使っていたツーリングマップ(1988年5月発行)には峠の記載がなく、この標柱でここが柳蘭という名の峠であることを初めて知った。 標柱の上部に屋根が設けてある独特な形で、何となく巨大な松茸を連想させられた。現在はもう無くなったようで、とても残念な気がする。
 
<峠名>
 現在の地形図には依然、柳蘭峠の記載がない。御嶽山北西麓に通じる道は、幾つもの川を跨ぎ越す起伏の多い道なので、どこを峠とするかは判断に迷うところだ。 そういうこともあり、地形図ではここを峠としていないのかもしれない。逆に考えれば、何でもいいから峠名を付けたら、それで峠である。
 
 この柳蘭峠も、花のヤナギランに何らかの関係があるなどして、それを峠名としたものか。 あるいは、この少し西方に鈴蘭峠(地理院地図)があるが、それに対抗して「柳蘭」としたのかもしれない。何にしろ、こうして「柳蘭峠」と大きな標柱を立ててしまえば、もうここは歴とした峠である。既成事実というものだ。その後のツーリングマップルでは、柳蘭峠はしっかり記載されている。

   

<案内看板>
 道標の脇からは目立たないように林道が北へと分岐していた。道標も素朴な木製で、この周辺の案内看板の役目をしていた。
 
 秋神温泉 14Km (朝日村)
 日和田高原 5Km (高根村 木曽福島)
 胡桃島キャンプ場 5Km
 濁河温泉 10Km (小坂町)   
 御嶽自然休養林

   
周辺の案内看板となる道標 (撮影 1993. 9.12)
後方に久々野営林署の看板などが立ち、その脇から林道が分岐していた
   
   
   

秋神方面へ

   

<流葉谷>
 柳蘭峠を後に県道435号を秋神方向(西)に進む。峠を越えてもまだ同じ布川水域である。直ぐにその支流の流葉谷を渡る。そこに架かる橋は柳蘭橋というようだ。新しそうな橋である。「柳蘭」という名は色々に浸透してきている。
 
<道の様子>
 峠から流葉谷へと一応下るが、その先で少し登り、また下るといったことを繰り返し始める。留之原側から峠まではほぼ一本調子に登っていたが、秋神方向へはなかなかしっかり下らない。この点がちょっと峠道らしくない。
 
 御嶽山の山腹を横切るような形で道が続き、右手(北)には飛騨川の大きな谷が控える。ただ、木々が多いので、ほとんど視界が広がらない。道は舗装路だが、昔と変わらない狭い道だ。県道に昇格はしたものの、この区間は前の時代とあまり変わらないのではないだろうか。
 
<きこりライン>
 道路脇に「きこりライン」と小さな看板が立っていた。この道の愛称のようだ。大平峠の道は「御嶽パノラマライン」と呼ぶようだが、「きこりライン」というのは聞いたことがない。県道になった今ではもう使われないのだろうか。
 
<日和田展望台>
 山腹をうねる道が一段と北に張り出した所で、視界が広がる箇所がある。地形図では1665mの記載がある地点だ(地理院地図)。最近の地図では「日和田展望台」と呼ばれるらしい。そこからは飛騨川の谷を越え、その先の乗鞍岳が望める。駐車スペースもあり、きこりラインのちょっとした休憩スポットになっている。

   
日和田展望台付近 (撮影 2001. 4.30)
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乗鞍岳を望む (撮影 2001. 4.30)
小さな看板には「きこりライン」とある
   

日和田展望台に立つ看板 (撮影 2001. 4.30)
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<看板類>
 展望台の谷沿いに「国有林治山施工地(高根)」と題した看板が立っている。乗鞍岳(3026m)を絵の中心に、飛騨川右岸の砂防ダムなどが詳細に描かれていた。 野麦峠(1672m)も見える。野麦川とあるのは飛騨川でもあり、野麦峠は飛騨川本流の源頭部に位置する。
 
 国道361号は飛騨川右岸を高根第一、第二、朝日と3つのダム脇に通っているが、最近は随分コースを変えている。この看板では残念ながら、こちら側の河川については全く触れていない。

   

<看板類>
 確か展望台の山側に「紅葉狩ツアー御嶽・千間樽コース案内図」という看板も立っていたと思う。これも内容は古そうだ。柳蘭峠の峠道の全線はそのコ-ス内に含まれている。


日和田展望台に立つ看板 (撮影 2001. 4.30)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<旧村境>
 日和田展望台を過ぎると、道は布川本流沿いへと下り、布川を渡って(地理院地図)左岸の尾根へと再び登りだす。その尾根の頂上は元は旧高根村と旧朝日村の境であった(地理院地図)。現在はどちらも高山市である。

   

旧村境 (撮影 2001. 4.30)
手前が高根村、奥が朝日村
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朝日村の看板 (撮影 2001. 4.30)
   

<秋神川水域へ>
 旧村境を過ぎると飛騨川の支流・秋神川の水域となる。よって大きく見ると、旧村境は飛騨川の一次支流である日和田川(布川)と秋神川の分水界に位置する。 その意味で柳蘭峠よりもより峠らしい資格がある。しかし、ここには峠名は付いていない。標高では旧村境は約1,670mと柳蘭峠の1,697mより僅かに低く、柳蘭峠の方に軍配が上がる。 これは道の開削の都合上、こうなったものだろう。標高で旧村境の方が上だったら、こちらに峠名が付けられていたかもしれない。

   
   
   

秋神川水域

   

<東俣谷>
 秋神川の源流は東俣谷や眞俣谷といったいくつかの支流に分かれる。道は東俣川沿いへと下って行く。今後はアップダウンのない下り一辺倒になる。

   
東俣谷沿いへと下る (撮影 2001. 4.30)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<秋神川左岸>
 道はいつしか秋神川本流の左岸沿いを進むようになる。ただ、人家などはまだ全く見られない。この秋神川上流部は冬期には長い通行止となる区間である。深い雪に閉ざされ、人を近付けさせない地だ。秋神川の細く曲がりくねった谷に寂しい道が続く。
 
<白樺原生林分岐>
 途中、右鋭角に分岐がある(地理院地図)。入口に看板がいくつか出ている。分岐する道の方に「白樺原生林」とある。その車道は秋神川を右岸に渡った少し先で途切れているが、更に徒歩道が五十三峠という峠を越えて行く。 この日はその林道の途中で野宿となった(後述)。


白樺原生林への分岐 (撮影 2001. 4.30)
峠方向に見る
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分岐に立つ看板 (撮影 2001. 4.30)
安全速度 10
火の用心
御嶽自然休養林
←白樺原生林
胡桃島キャンプ場 森林学校→
ロッジ 胡桃 胡桃大滝→
   

通行止箇所 (撮影 2001. 4.30)
峠方向に見る
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<胡桃島側通行止箇所>
 柳蘭峠から約13Km、県道435号の胡桃島(秋神方向)側の通行止箇所に至る(地理院地図)。ここから峠方面は常時大型車通行不能で、冬期は全面通行止・冬期閉鎖となる。2001年(平成13年)に訪れた時は、前年の平成12年1月から全面通行止と看板に出ていた。

   
通行止箇所に立つ看板 (撮影 2001. 4.30)
   

<岳見峠分岐>
 通行止箇所を過ぎて100m余り進むと、南へと岳見峠(だけみとうげ)への道が分岐する(地理院地図)。分岐周辺には色々な看板が出ている。柳蘭峠方向には「日和田高原18Km、白樺原生林3Km」とある。一方、岳見峠方向には「御岳山18Km、濁河温泉14Km」などとある。特に濁河(にごりご)温泉が大きく宣伝されていた。

   
右に岳見峠の道が分岐 (撮影 2001. 4.30)
柳蘭峠方向に見る
少し奥に通行止箇所が見える
   
岳見峠分岐周辺の様子 (撮影 2001. 4.30
柳蘭峠方向に見る
周辺にはまだ雪が残る
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<冬期の様子>
 冬期に秋神ダム方面からこの胡桃島までやって来たことがある。スタッドレスを履かせた4WDのジムニーでなければ、あなり走りたくない道だった。岳見峠分岐付近で既に標高1,000mを超えている。特にこの御嶽山北麓域は雪深いという印象が強い。
 
<県道463号>
 当時の写真を見ていると岳見峠分岐付近に県道標識が立ち、「463 朝日高根線」と出ていたようだ。現在、県道463号は柳蘭峠で終わっている。 確かに朝日高根線という呼び名はおかしいと思っていた。柳蘭峠はまだ旧朝日村(現高山市朝日町)の手前で、県道463号は旧朝日村に達していない。 どうやら以前はこちらまで県道463号・朝日高根線だったようだ。


前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1994. 3.22)
冬期の様子
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
冬期間通行止の看板 (撮影 1994. 3.22)
奥に県道463号の看板が立っている
上の冬期間通行止の看板では朝日高根線
下の時間通行止の看板では御岳山朝日線と出ている
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岳見峠分岐 (撮影 1994. 3.22)
手前が柳蘭峠方向
左が岳見峠方向
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<氷点下の森>
 詳しくは知らないが、この付近を「氷点下の森」と呼ぶそうだ。岳見峠分岐の近くに氷の山ができていた。ただ、これを見に来るには車の足回りをしっかりする必要がある。

   
氷点下の森 (撮影 1994. 3.22)
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分岐より岳見峠方向を見る (撮影 2001. 4.30)
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<岳見峠の道>
 岳見峠は旧朝日村から旧小坂町へとショートカットで越える峠道だ。胡桃島側から濁河温泉へと至る最短ルートにもなる。ただ、この道も冬期は通行止である。

   
この時は冬期通行止と出ていた (撮影 2001. 4.30)
   

秋神温泉付近 (撮影 2001. 4.30)
柳蘭峠方向に見る
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<秋神温泉>
 岳見岳分岐を過ぎて更に100m余り、やっと人里に出る。ただ、一般の人家はなく、温泉宿が何軒か立ち並ぶ。秋神温泉だ。冬期でもこの秋神温泉までは来ることができる。

   

<秋神温泉以降>
 その後、胡桃島の中心地を過ぎる頃には道も2車線路となり、落ち着いた走りができる。一般の県道とそん色ない。
 
 以前は秋神川沿いは全てこの県道だったが、国道361号が権現トンネルを抜けて秋神川沿いに進出して来た。今の県道435号はその国道に接続し、そこで柳蘭峠の道も終わる。

   
   
   

野宿(余談)

   

<野宿>
 柳蘭峠から下って来て秋神温泉辺りまで来た時は、既に夕方の5時近くになっていた。今夜の宿の当ては全くない。昨日は旅館泊だった。 当日に長野県上松町の「新あづまや」に予約の電話を入れ、投宿した。最近上松町に行く機会があったが、その宿はもう営業していない様子だった。
 
 昨日は贅沢にも2食付きの宿泊だったので、今日は野宿にしようと思う。柳蘭峠からの道を走りながら沿道のどこかに野宿にいい場所はないかと物色していたのだが、結局見付からなかった。 このまま県道を先に進んでも、ますます開けて行くばかりで、野宿地など期待できない。そこで考えた。途中、白樺原生林と書かれた分岐があったが、その道に入ってみようと思う。

   

秋神川右岸の道 (撮影 2001. 4.30)
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<白樺原生林への道へ>
 秋神温泉から柳蘭峠方向に3Km程引き返し、左へと下る未舗装路に入る。ここから先は未知の世界だ。何が待っているか分からない。果して野宿ができる場所が見付かるだろうか。不安で一杯だ。
 
 道は直ぐに秋神川を右岸に渡り、川沿いに少し下り始めた。周囲は白樺など落葉樹に囲まれ、落ち着いた雰囲気である。

   

<砂防ダム>
 県道の分岐から数100mも進むと、支流に小規模な砂防ダムが築かれ、その前に丸太を並べたベンチなどが設えてあった。ちょっとした休憩場所のようだ。 その付近に車を停め、テントを張るスペースも確保できそうである。林道はこの先まだ続くようだが、ここは野宿に良さそうな場所だ。


背後に砂防だダム (撮影 2001. 4.30)
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今夜の野宿地を上流方向に見る (撮影 2001. 5. 1)

<野宿地決定>
 周辺は開けて明るく、対岸に通じる県道からも見られる心配がない。それに人里からあまり離れていないのも安心だ。あまりに深い山の中ではクマやイノシシなどの危険がある。 また、何かあった場合、近くに人が居れば助けを求めに行くこともできる。幸い天候も良好で、大雨などの心配はなさそうだ。砂防ダムが背後にあっても、これなら安心して休むことができる。
 
<テント設営>
 ちょっと小型なのだが2人用のコールマン製のテントを張る。実質は一人が寝ればそれで一杯だ。他に安物の大きな4人用テントも持っているのだが、今日はこじんまりとした野宿にしようと思う。

   
野宿の様子 (撮影 2001. 5. 1)
コールマンのテントを張る
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 これまでいろいろな場所で野宿してきたが、その中ではここは特上の部類に入る。こんないい場所に巡り合えることは滅多にない。ただ、難点が一つあった。 寒いのである。この付近の標高は1,130mくらい。もう4月下旬というのに、山陰などにはまだ大きな雪の塊が残っている。陽が落ちるとグッと冷え込んだ。 素材のしっかりしたコールマンのテントを使ったのもこの為だ。
 
 いつものようにテントの中ではローソク一本を灯し、明かりと暖を兼用させるのだが、そんなものは何の役にも立たなかった。 高級なダウンのジャケットやシュラフを持っていれば問題ないのだが、何しろ安物の野宿道具ばかりでしのいでいる。 厚手のセーターにドカジャンを着込み、エアーマットを敷いてその上で綿のシュラフに潜り込む。暫くすると地面からじわじわと冷気が身体に伝わって来る。 簡単な夕食を摂った後は、寒さに耐えながら早々と眠りに就いた。

   

野宿の朝 (撮影 2001. 5. 1)

野宿の朝 (撮影 2001. 5. 1)
4時半に起床
   

<野宿の朝>
 野宿地に長居は無用。あまり人目に付かないことが鉄則だ。翌朝は4時過ぎにテントを抜け出し、カセットコンロで即席ラーメンを煮る。アルミ鍋ごと麺をすすり、スープまで全部飲み干す。 これで体が温まる。休む間もなく夜露に濡れたテントを撤収、そそくさと野宿地を後にした。これから岳見峠に向かおうと思う。

   

 最近、ホームページ「峠と旅」を見た方からメールを頂いた。その中で、昔見た西部劇での野宿シーンを思い出すと言う。 荒涼とした平野の只中、枯枝を集めて焚火をし、側に敷いた粗末な毛布一枚の上に体を横たえ、丸太を枕にテンガロンハットを目深にかぶって眠りにつく。その方はキャンプ場でアルバイトをしているので、最近のキャンプ事情にも詳しい。西部劇の素朴な野宿と便利な道具が豊富な今はやりのキャンプ、その落差に考え深いご様子。
 
 私も子供の頃、テレビで西部劇をよく見ていた。子供心にあんなことで人が野外で夜を過ごせるものだろうかと興味を持った。 30歳を過ぎて野宿旅を始めたが、何となく道具に凝ろうという気はなかった。必要な物は用意はするが、なるべく無駄なくローコストで済まそうと思った。例えば夜の明かりはローソクでいい。 暗くなったらいつまでも外に居ないで、直ぐにテントの中に入ってしまう。風のないテント内だけならローソク一本の明かりで十分だ。 乾電池式のランタンは安全で便利だが、消耗する電池とローソクの値段を考えると、各段にローソクの方がランニングコストが安い。 普段の便利な物が溢れた生活とは異なる野宿というシチュエーションで、如何にシンプルに事を済ませられるかに関心があった。そこに面白みさえ感じていた。
 
 旅先の宿泊目的としての野宿と、キャンプ事態が目的の昨今はやりのキャンプと、単純には比較はできない。しかし、それにしても野外で一晩過ごすという行為が、こうも異なるものかと思う。

   
   
   

<愚痴(余談)>
 今年の4月からボチボチ更新を再開、僅かながら月に一件ペースで峠を掲載している。ただ、依然体調は思わしくなく、毎日が青息吐息だ。手帳に書き込んだ予定は通院や入院ばかりである。 旅の予定が書き込める日が来るのだろうか。見知らぬ土地で一人、野宿していた頃の元気さがつくづく羨ましいと思う、柳蘭峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1993. 9.12 濁河峠に続いて柳蘭峠、更に野麦峠へ/ジムニーにて
・1994. 3.22 胡桃島で冬期通行止、留之原側から県道463号に少し入る/ジムニー にて
・1997. 4.27 留之原側から県道463号に少し入る/ジムニー にて
・2001. 4.30 留之原側から柳蘭峠、胡桃島で野宿/ジムニーにて
・2001. 5. 1 野宿の朝から岳見峠へ/ジムニーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・中部 2輪車 ツーリングマップ 1988年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部北陸 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 21 岐阜県 2001年 1月発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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