サラリーマン野宿旅
10年前の野宿旅 (その6)
旅の終りへ
 
 
 
 
 
 1993年3月29日(月曜日)。田辺市のホテル花屋の夜が明けてみると、今日を含めて残す猶予はあと3日。新しい会社へ出る前の1日くらいは体調を整える日に当てるとなれば、あと2日でこの旅も終りにしなければならない。「暖かい南紀」を満喫しようと思って出てきた旅ではあったが、昨日も雨に降られ、まだどこにも暖かさなどは感じられていない。  
 
   この紀州あたりから東京の自宅まで、無理をすれば1日で帰れない距離ではない。しかし、延々と一級国道や高速道路を走り繋ぐのは面白くない。そうなれば、前日までと同じように辺ぴな道を選びながらも、徐々に自宅に近付くべく、進路をとらなければならない。どうもこの南紀に暖かさを感じるまで、留まる訳にはいかないようだ。
 
 早朝に田辺市街を出ると、残念ながら紀伊半島最南端の串本町とは反対方向に、海沿いの国道42号を一路北上する。御坊市を抜け吉備町まで上がったら、今度は真東の半島内陸へと向きを変えた。県道22号(現在の国道480号)でニ川ダムを眺め、ちょっと引き返して県道181号・下湯川金屋線に入る。この道は清水町の四村川(よむらがわ)に沿って暫く東に進むが、行止りでどこにも通じていない県道だ。代わりに途中から林道が分岐していることになっている。それが今日最初の旅の目標となった。  
 
   うまく林道分岐が見つかるだろうかと心配しながら走っていると、橋が一本右手の川を渡っている。その橋の袂に目指す林道の起点を示す標柱があった。橋の欄干は一部壊れかけ、如何にも年代物といった感じだ。周囲に人家はあるがあまりひとけが感じられない山の中の寒村である。寂しい林道の始まりにはぴったりの雰囲気だ。欄干に針金で縛りつけられて傾いて立つ林道標柱によると、林道の名は南谷城ヶ森線。延長は約25キロとなかなかの距離だ。不安を感じる一方、未知の世界に入り込むようなわくわくした気分である。
 
 旅の楽しみはいろいろあるだろう。名所旧跡を訪ねたり、景勝地を訪れたり。旅館で温泉につかり、土地の料理を味わう。人それぞれに楽しみ方がある。私の場合はただ単に道を走るのが好きだ。
 
 但し、旅先ならどんな道でもいいという訳ではない。交通量の多い一級国道や高速道路では、勿論ダメだ。のんびり旅を楽しむどころか、神経をすり減らすことになる。なるべく人通りのない辺ぴな道がいい。景色を眺めながら、自分のペースで走れる道がいい。寂しい山奥の林道などを一人で車を走らせていると、旅をしているとひしひし実感できるのだ。そんな道を捜し求めること自体が、旅の楽しみの一つにもなっている。
 
 その点、南谷城ヶ森線には期待が膨らんだ。旅をするのにいい道がうまく見つかったと思えた。壊れかけた橋の欄干や傾いた林道標柱、周囲の寒村。林道起点の雰囲気は、そこから始まる「旅」を予感させた。
 
 
南谷城ヶ森林道起点 
寂しい林道の始まり(和歌山県清水町北野川)
 
   誰も来そうにないので、堂々と橋の真中に車を停め、林道起点の記念写真を一枚撮ると、早速林道へと入り込んだ。路面はすぐさま未舗装となる。最初、沢筋の道は景色が広がらず薄暗い。しかし、高度を上げると稜線に近い所を通るようになった。登り降りがはっきりしている峠道が好きなのだが、こうしたいわゆる「スカイライン」の道もいい。何しろ展望が抜群だ。
 
 道は清水町から美山村、龍神村へと入り、ほぼ町村境に沿って東へと進む。途中、どこだか今になっては分からないが、ある分岐に入ると広域基幹林道・白馬線なる道に出た。舗装路面に積雪があり、如何にも滑りそう。昨日は雨だったが、この標高の高いところでは雪になったようだ。春の「温かい南紀」どころの騒ぎではない。これでは寒々しい冬に逆戻りである。この頃はまだスタッドレスタイヤを持っておらず、かといってチェーンを装着するのも面倒で、元の南谷城ヶ森林道へと引き返した。  
 
 広域基幹林道・白馬線
 
   林道は高野龍神スカイラインにひょっこり出て終わった。高野龍神スカイラインは紀伊半島のほぼ中心を南北に背骨のごとく走る大幹線路である。さすがにこの時期に観光客は皆無で、この高い有料道路は閑散としているが、南谷城ヶ森林道などとは比べ物にならない立派な道だ。ひとまず高野龍神スカイラインを北上するが、直ぐにも次の「旅」をすべく、辺ぴな道を探して脇道へとそれて行く。
 
 向かった先は奈良県野迫川村の川原樋川林道。選んだ理由は未舗装林道であることと、東へ進む道であるということ。まずは県道(733号・川津高野線?)に入り、続いて目的の林道へと分岐する。天候は悪く、雨粒さえ落ちてきてはいないが、舗装路面は濡れて陰気な雰囲気だ。
 
 こんな道は本来、私の得意とするところなのだが、どうもいやな予感がする。冬に散った枯葉が道を埋め、車が通った跡があまり見受けられない。誰も通る気配がないのだ。今までもいろいろと辺ぴな道を走ってきた。その経験から、これといってはっきり説明できる訳ではないが、なんとなく勘が働くのだ。
 
 
   やはり道は行止った。土砂崩れで完全に埋まっていた。何の予告もなく、突然土砂が行く手を塞いだのだ。露出した土はまだ新しく、比較的最近崩れたもののようだ。
 
 こういう辺ぴな林道では、通行止の看板などがあることは期待できない場合が多い。崩れる頻度が多いし、管理も行き届かない。土砂崩れ現場まで行って、初めて通れないことが分かるのだ。
 
 土砂崩れの規模からすると、もう考える余地はなかった。車は引き返す以外に手はない。近くに都合よく回転場所が用意されている訳もなく、狭い道を何度もハンドルを切り返してUターンした。
 
川原樋川林道 
見事に土砂崩れで通行止
 
 県道に戻り、北股川沿いを野迫川村役場方面へと北上する。さて、次はどのようなコースを取ろうか。すると前方に工事用の重機が立ちはだかった。その先を見ると、道路脇の斜面が大きく崩落していて、道は全く通れそうにない。
 
 こちらには何の勘も働かなかった。仮にも県道である。通行止や工事中の看板の一つも出しておいてくれてもいいのに。結局、目的の林道は通れず県道も抜けられずで、延々と高野龍神スカイラインまで引き返すことになった。
 
 
 北股川沿いの県道
またもや通行止
 
   こんなことを繰り返しては、いつになっても帰るべき家には近付かない。もう辺ぴな道を探すのはやめて、国道を走り繋ぎ、紀伊半島を西から東へと横断し始めた。今となってはどこをどう走ったかさっぱり検討もつかないが、着いたところは三重県松阪市。縁もゆかりもない土地で、何ら特別な理由ももない。ただ、比較的大きな都市なら、安い宿があるだろうという考えがあっただけだった。
 
 案の定、ビジネスホテル松阪という格安の宿を宿泊ガイドに見つけた。電話をすると、部屋に風呂が付かないOB(アウトバス)仕様で3,900円とのこと。安ければOBだろうが何だろうがかまわない。それに、部屋に備え付けの狭っ苦しいユニットバスでシャワーをあびるより、広い共同風呂の湯船で、ゆったり手足を伸ばした方がよっぽどいい。迷わずOBを予約。
 
 ビジネスホテル松阪はJR紀勢本線の松阪駅より少し離れた所にあった。車だから駅の近くである必要はなく、駅から遠い方が道は空いているし、駐車場も余裕たっぷりだし、かえって好都合である。ただ、駅と言う格好の目印がないので、探すのにやや骨が折れるが。
 
 それに、低料金の上にクレジットカードも使えて便利な宿だった。長旅では不測の事態の為に現金は温存したい。カードが使えるところでは、宿だろうがガソリンスタンドだろうが、できるだけカード払いにしている。
 
 ホテル周辺の散策もほとんどせず、初めて泊まる松阪市について何も知らず何の印象も持たず、ホテルの小さな一室で松阪市とは何の関係もないテレビ番組を見ながら夜を過ごした。
 
 
   翌日、1993年3月30日(火曜日)。今日が旅の最終日。大半を高速道路走行に当てることになる。それでも最後のあがきとばかり、国道・県道を走り繋ぎ、一気に滋賀県の多賀町まで北上した。目指すは三重県藤原町との県境、国道306号の鞍掛峠(トンネル)。
 
 しかし、昨日に続いてこちらも通行止。大君ヶ畑まで来ると、でかでかと通行止を示す道路情報の電光掲示板が頭上に掲げてあった。なかなか険しそうな峠道なので、その後も何度かこの鞍掛峠にチャレンジしたが、ずっと通行止であった。初めて越えられたのは、それから8年後のことである。そのときは、立派な道になってしまっていた。
 
鞍掛峠の道 
電光掲示板には「通行止 工事中 大君ヶ畑以遠」とある
 
 鞍掛峠が抜けられなければ、もう近くを通る名神高速に乗るより手はない。後はひたすら長い帰路を走り通すだけである。再就職前の最後の旅としては、あっけない幕切れとなった。  
 
   旅から帰った翌日の一日をおいて、いよいよ新しい会社への通勤が始まった。新卒でピッカピカの新入社員に混じり、30歳も半ばを過ぎた中途採用の私も、普段着慣れぬスーツに身を包み、神妙な面持ちで入社式に臨む。転職慣れし、会社勤めがどんなものか、サラリーマンがどんなものかを知り尽くしていても、やっぱり新しい環境に馴染むまでは気疲れする。早々に仕事の内容を理解し、職場のルールを覚え、同僚や上司たちとの新しい人間関係を築いていかなければならない。ましてや、入社の条件としてサラリーの上積みを要求し、それを飲んでもらっての採用である。仕事の成果が問われるというものだ。否が応でも気張らねばならないという心境であった。
 
 あれから10年。いまだに同じ会社に勤めている。こんなに長く一つの会社にいるのは初めてのことだ。自分でもよく続いていると関心する。
 
 その10年という長い歳月の間、平日に自由な旅ができる機会など、もちろん皆無である。思えばあの半年間の休職期間は、天国の様であった。また、自由な旅に戻りたい。サラリーマンと永遠に決別する日はいつ来るのであろうか。
 
<制作 2003.10. 7>
 
 
 
 
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