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石榑峠   古の旅人の峠道

いしぐれとうげ (峠と旅 No.011)
(掲載 1997. 6.20)
 
新しいページ → 石榑峠(回想) (掲載 2015. 6.22)


 石榑(いしぐれ)峠は滋賀県永源寺町と三重県大安町を結ぶ国道421号の県境の峠である。標高は689m。峠道は全般に狭く、峠には車幅制限用のコンクリートブロックがある。すなわち道の両端にしっかりしたコンクリートを打ち、その幅の車以外は絶対に通れない様になっている。

峠
石榑峠

 私の車は軽自動車なので、このような所に出くわしても何ら心配は要らない。軽が通れなかったら通れる車は他に無いのだから。


 永源寺町側は国道421号、通称八風(はっぷう)街道を東に向け、永源寺を過ぎて左に永源寺湖を眺め、更に川の上流に溯る。最近川沿いに大きなキャンプ場ができ、シーズン中は狭い道がキャンパーの車でごった返す。しかしキャンプ場を過ぎると静かな峠道となる。比較的直線的な道で、勾配も急な所は少ない。しかし道幅は狭く、木々が覆い被さっているのでトンネルの中を通っている様だ。ややじめじめと暗い感じがする。

 峠に向かって途中右に八風峠越えの元祖八風街道を分ける。ただし残念ながら車が通れる道ではない。説明が書かれた立て札が立っており、何やら歴史のある街道だそうだ。

滋賀県側の道
滋賀県永源寺町側
道は木々に覆われトンネルのよう


 八風街道の分岐より手前に「名水 京の水」というのがある。説明書きの立札の横で清水が筒より流れ落ちている。江戸や伊勢からの旅人が京の都を想ってそう名付けたそうだ。

 各地にこうした名水と呼ばれるのがあるが、中には飲めませんという名水がある。ここには注意書きが無いので京の水はまだ現役らしい。車に積んであった20リッターのポリタンクに詰め、その後のキャンプに使ったが体に異常は無かった。ただし昔のままの美味しさが残っているかは分からない。

名水 京の水
名水 京の水

 立札の内容を写します。

 名水 京の水
遠く江戸から伊勢路から鈴鹿を越えてここ近江の里 遥かなる京の都に思いを馳せる時 幾多旅人の喉を潤し心を癒してくれた事か この水も地名もいつとはなく旅人が名付けたのだと伝えられる 古より今も尚限りなくこんこんと湧き出づる清水 大自然の慈みに心から感謝し 私たちの大自然を大切にいつまでも後世に伝えましょう
国定公園
鈴鹿
 自然愛護会


 峠より大安町側は幾分開けて明るい感じがする道である。ここは最後まで未舗装区間が残っていたそうだが、1992年10月現在完全舗装であった。しかし舗装はされても道そのものは変わらないようで、狭くて急なカーブが続く。

 ある時この道を下っていると、何やら渋滞が起きている。車を止めて見に行くと、登りの1台の乗用車が対向車とすれ違う時、側溝に左側のタイヤ2つとも落としてしまったようだ。そこへ後続の車が何台か来て、身動き出来ないでいる。私の後ろにもまた1台来てつっかえた。いくら交通量が少ないとは言え、徐々に渋滞はひどくなる。こんな所にクレーン車など呼んでいる暇はない。渋滞に巻き込まれた者たちがぞろぞろ集まってきて、虫に群がる蟻の様に寄ってたかってその車を引きずり上げてしまった。

三重県大安町
三重県大安町側より峠を見る

 その時掴んでいたバンパーなどがめりめりと音をたて、車は明らかにたんに側溝に落ちた以上のダメージを受けた。しかしその車のドライバーは終始すまなそうにしていた。明日は我が身とならないよう注意すべし。


 石榑峠の道はその昔、近江から伊勢参りの近道として使われた。また伊勢からは永源寺町政所(まんどころ)へ茶摘み女が通った峠道でもあったそうだ。現在は車が通れるようになっているが、車でもなかなか骨が折れる。そこを人間の足で歩くのだからご苦労なことだ。

 峠で一服しながら三重県側に広がる景色を眺めていると、トラックが1台登ってきた。ちょっと大きいかなと思って見ていると、案の定、例の車幅制限ブロックにてこずっている。やっとここまで狭い道を登ってきたのだろうに、峠で通せんぼするとは考えてみれば随分意地悪な話だ。何度もトライしているがうまく通れない。手伝ってやろうと腰を上げた瞬間、すっと通り抜けた。トラックはそのまま黙々と永源寺町方面に下って行った。


 

石榑峠(回想)

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