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矢ノ川峠 (矢の川峠)
 
やのことうげ  (峠と旅 No.021)
   
あの「行止りの峠」を再訪
 
(矢ノ川峠(回想) 掲載 2015. 3. 8)

 
矢ノ川峠 (撮影 2001. 5. 4)
奧が三重県尾鷲(おわせ)市、手前が同県熊野市木本
道は国道42号の旧道
 
 矢ノ川峠については、このホームページ「峠と旅」 でも既に4年以上前から、「行止りの峠」として簡単にではあるが掲載してきている。その矢ノ川峠を今年(2001年)久しぶりに訪れてみたのだった。そし て改めて感じたのである。あの峠道はそう簡単に言い尽くすことなどできない、特異な存在であるということを。そこで再度ここに掲載する次第とあいなったの である。
 

「矢ノ川峠」の看板がポツンと立つ
 矢ノ川峠は三重県の尾鷲市と熊野市の境の峠である。現在は国道42号が、矢ノ川トンネルや大又トンネルといった長いトンネルを使って、両市を繋いでいる。矢ノ川峠はその国道42号の忘れ去られた旧道の峠なのである。

 私の知る限り以前から、峠の熊野市側の旧道は、途中 の橋が落ちてしまったことによりオートバイさえも通れず、完全に廃道と化したと聞いていた。尾鷲市側に残る旧道を使って、辛うじて車でも峠までは行き着け るが、その先熊野市側には到底入り込めそうもない状況なのであった。
 前回峠を訪れてから約8年の月日が経つ。果たして「行止りの峠」は、その後どのような運命をたどったのであろうか。

 
 尾鷲市街を抜け、国道 42号を峠に向けて走る。幅の広い2車線快走路である。交通量もまあまあある。途中で登坂車線がある区間を過ぎる。そこでは、道が岩壁から谷の上空に張り 出すように築かれていて、左手に広い谷間が見下ろせる。よくこんな道が造れたものだと感心させられる。
 登坂車線が終われば、道はだんだん山間に入り込む ようになってくる。谷間とは反対の右側の壁を注意して見ていると、岸壁に張り付くような旧道の名残が、僅かながら残っているのに気が付く。山肌の凹凸を丹 念になぞりながら造られた、か細い道だ。現在の直線的な国道とは隔世の感がある。違った意味でこの旧道も凄いと思う。

 間もなく唐突に「矢ノ川峠」と書かれた小さな道路標 識が出てくる。こんな坂の途中で「峠」でもないもんだ。実はこれは、お目当ての矢ノ川峠へ続く旧道の分岐を示すものである。矢印も何もない看板なので、知 らない人には訳が分からない。でも、一般人には訳が分からなくても、何の支障もないのであった。

 その看板を頼りにわれわれ変わり者は右折するのだが、猛スピードで坂を駆け下ってくる対向車に注意しつつ、その狭い道に入り込むのは、なかなかの苦労だ。そんな所で道が分岐していようとは、誰も思ってもみないのである。
 尚、前記の「矢ノ川峠」の看板には、「Yanoko Pass]とローマ字が記されている。「やのかわ」と読むより、やはり「やのこ」がいいようである。


右に旧道分岐
さて、いよいよ本格的な峠道の始まりである
 

素堀のトンネル
洞穴のよう
でも見た目より中は案外広い
 国道と分かれ、旧道に 入った途端、道としての荒廃振りに驚く。路面はデコボコに荒れ、周辺には家電製品などが不法投棄されており、既に道とは呼べない状態である。とんでもない ところに入り込んでしまったと思う。これが道だろうか、この先道が続いているのだろうか。どこか間違った世界へ迷い込んでしまったという感じだ。
 しかし、8年前もこんなものであった。その意味では大して変わりはないのである。通行止の標識などもなく、通じているのかどうなのか、さっぱり見当がつかない。でも、これがちゃんと峠までは行けるのである。

 道は勿論未舗装で、石の多いガタガタ道だ。国道からの分岐直後が一番ひどく、それを過ぎるとやや安定してきて、ほっとさせられる。気持ちにも余裕ができて、景色も楽しめるようになる。滝が流れ落ちているのが望めた。

 尾鷲市側の峠道にはトンネルが多い。しっか り数えた訳ではないが、5個以上あったのではないだろうか。どれも短いものばかりだが、その内3個は素堀である。トンネルの内壁がほとんど掘ったままでデ コボコしている。トンネル入り口には木々が覆い被さり、見るからに洞穴の様だ。でも、トンネルの中に入ってみると、意外に広いのに驚く。天井も高く、ガラ ンと大きな洞窟といった感じである。そこがまた薄気味悪い。

 
 矢ノ川峠の道は、明治 12年に車道として完成し、大正11年からは乗合自動車も運行されたそうだ。何と路線バスが通ったのである。以前、三重県のどこかのホテルに泊まった時、 この峠道をバスが走っている映像を偶然見る機会があった。断崖絶壁の急カーブや対向車とのすれ違い。見ているだけで、手に汗握る光景であった。
 その峠道は国道170号から42号となり、昭和43年に新道のトンネルが開通するまで使われた。現在は草木に覆われ、一見狭そうな道に見えるが、意外と道幅が広いところも多い。素堀のトンネルが思いの外大きいのも、ここが昔、バスも通る国道であった証なのかもしれない。
 または、将来の道の拡幅を考慮し、トンネルだけは大きく造っておいたのだろうか。しかし、結局道路改修は行われず、別ルートで長いトンネルが掘られ、旧道のトンネルは素堀のまま残った。

路面状況
これが以前バスも通った国道である
 

矢ノ川隧道 (撮影 2001. 5. 4)
以前に比べ、草木に覆われている

昔の矢ノ川隧道 (撮影 1993. 3.27)
 
 峠までの途中にあるトンネルは、矢ノ川隧道で最後となる。トンネル入り口はレンガ状に縁取られ、内壁もコンクリートで滑らかに固められている。しっかりしたトンネルの体裁が整っている。反面、他の素掘りのトンネルに比べると、狭い感じを受ける。

 矢ノ川隧道を抜けた先で、道が左右に分かれている。左が峠方向である。
 右の道は林道八十谷線で、賀田湾の三木里へ抜ける。ツーリングマップルには「廃道」とあるが、林道標識はしっかりしているし、ちょっと見た目でも路面に車の通った跡がある。どうやら抜けられそうだが、今回は確かめる時間がなかった。

 峠への道は、先ほど通った矢ノ川隧道の上を、ぐるっと左旋回して更に高度を上げていく。ここは最近のツーリングマップルからでは読み取れず、ちょっと迷いやすい。以前のツーリングマップでは、ちゃんと道がループに描かれていたのに。


矢ノ川隧道直後の分岐
左が峠へ、右は八十谷林道
 

電波塔が立っていた
(峠はこの手前方向)
 矢ノ川隧道から先、峠に至るまでは、まだまだなかなかの距離がある。矢ノ川隧道は国道分岐から峠までの中間地点くらいになるだろうか。
 以前来た時は、もっと簡単に峠に着いたような気が していたが、今回は行けども行けども、なかなか峠が現れてくれない。それはやはり、日が暮れかかっているのが原因である。時計を見るともう夕方の5時半 だ。暗くなる前には尾鷲市にとった今夜の宿に着きたい。どうも、少し気が焦っているらしい。慎重の上にも慎重に運転しなければ。

 途中、比較的新しいアスファルト舗装された個所に出くわす。でも直ぐにアスファルトは、左に分岐していってしまった。通り過ぎて振り返ると、電波塔らしきものが、小高い山の上に立っていた。こうした設備のメンテナンスに、今でもこの峠道の一部が使われているらしい。

 
 ここまで来ると、本当に山の中だ。周囲は山また山で、その中をか細い道が通っている。今はその道だけが頼りである。

 道の両側が切れ落ちた、狭い尾根部を通過した。道の両側に視界が広がる。北の方は山だらけだが、南の方をみると、霞んではいるが湾が見えた。熊野灘だ。
 更に行くと、左手下に新道が望める個所がある。し かし、ここからは遥かに遠い。こちらからだと向こうが分かるが、向こうからだと、こちらは山の中に埋もれてしまって、全く気付かれないだろう。向こうとこ ちらとでは、別世界なのである。何か事故でも起こしても、誰も助けに来てはくれない。もうあの下界には簡単には戻れないところまで来てしまったという感じ で一杯である。


熊野灘方面を望む
 

轍の部分だけの舗装
 道の状態はというと、相変わらず全般的に良くはないのだが、非常に整備された部分があったりもする。また、簡易的に舗装されている箇所もある。轍の部分だけアスファルトかコンクリートが敷かれている。比較的古そうで、現役の国道時代の物かとも思われた。

 路肩の石や路面までも苔むしている。その古さが伝わってくる。単なる荒れた林道などと違い、深い味わいが感じられる。時代を重ねてきた深さである。

 視界は右手方向に広がりだす。前方に峠の在(あり)かが分からないかと眺めるが、はっきりしない。道は左に回り込みながら峠を目指している。ひとつのカーブを曲がると、ふっと道幅が広がりそこが峠である。国道分岐からのんびり走って40分であった。

 
 峠の広場は以前訪れた時に比べて、心持ちきれいになっていた。訪れる者がいるのである。
 峠からの見晴らしはあるのだが、それまで散々山を眺めてきたので、改めて感激することはない。

 不思議なのは、熊野市側へ降りる道に、通行止の看板がないことだった。以前に見覚えのある看板は、そばに倒されていた。車が通ったらしい跡もある。
 残念ながら初めから熊野市側へ抜けられると思って もみなかったので、時間に全く余裕がない。もし、熊野市側へ進んで抜けられればいいが、やはり途中で引き返しとなると、もう帰り道は完全に日が落ちてしま う。あの、ただでさえ怖い道を暗くなってから走りたくなどない。後ろ髪を惹かれる思いで、元来た道を戻ることにした。


峠の広場
手前が尾鷲市、左に折れて熊野市へ
右奧に登山道が始まり、その脇に石碑が立つ
 
矢ノ川峠 (撮影 1993. 3.27)
8年前の峠の様子
今よりもずっと、うらさびれていてよかった
 

現在の熊野市側の下り (撮影 2001. 5. 4)
最近、車が通ったらしい跡がある

以前の熊野市側の下り (撮影 1993. 3.27)
この時は、入り込みたくない道だった
 

倒されていた通行止の看板
これより先道路欠壊のため
熊野市方面への通り抜けはできません
橋が無い!」とマジックインクで書かれている
 峠からの帰り道に鹿に出会った。二頭が仲良く並んで道を歩いていた。つがいの様である。残念ながら写真を撮る間もなく林に消えた。日も暮れかかり、もう人間などやって来ないと思って、車道まで出てきたのだろう。
 この峠道は、いまだに登山などで使われているようではあるが、鹿まで出てきては昔の国道も形無しである。私の経験では、鹿が出てくるのは廃道と相場が決まっている。やっぱり矢ノ川峠の道は、楽しい道であった。
 暫く下ると、また鹿に出会った。多分さっきのだろう。またもや記念写真は撮らせてもらえなかった。

 国道に戻った時は、そこを流れる車にも既にヘッドライトが灯っていた。尾鷲市街に戻る途中、交通事故があったらしく、一台の乗用車が側溝にはまっていた。ここなら助けてもらえるが、矢ノ川峠の道では、事故など起こすわけにはいかない。何事もなく戻って来られてよかった。

 日が暮れていたせいもあり、予約を入れていた尾鷲駅近くのホテルを見付けるのに少し苦労した。ホテルの前にはホテルの名前の通り、フェニックスが一本立っていた。

 

 

熊野市側の旧道分岐
(熊野市街方面を向く)
栃谷橋の手前

もう一つの旧道分岐
(峠方面を向く)
 

熊野市側の旧道入り口
通行止の看板あり
これより約3km先 道路欠壊のため
尾鷲方面への通り 抜けできません
                  熊野市
 翌朝はホテルの狭い一室 で、少々頭を悩ましていた。旅の残りの日にちも少ないのだが、熊野市側より矢ノ川峠を目指してみようかと思うのである。廃道になって久しいと言われた道だ が、昨日の峠の様子からすると、うまくすれば熊野市側からでも峠まで行けるかもしれない。そうすれば、矢ノ川峠は「行止りの峠」などではなく、立派に越え られる峠として復活したことになる。これは凄い。やはり行って確かめるしかない。

 国道のトンネルを抜けて熊野市側に下り、旧道分岐を探す。栃谷(とちたに)という橋の手前で右に分岐していた。熊野市街から来ると、栃谷橋を渡る前からも道が分岐していて、どちらにしろ一本に合流する。
 合流して間もなく、通行止の看板が出ていた。これ より約3Km先道路決壊とある。往復で6Kmだ。中途半端な距離である。舗装路ならなんでもないが、いつ決壊箇所に出くわすか分からない荒れた未舗装路で は、少々時間が掛かる。もっと長い距離なら、諦めやすいが、これでは迷う。しかし、結局行ってみることにした。

 

熊野市側の道
道幅も有り、意外としっかりしている

ガードレール代わりのコンクリートブロックが
道の脇に並ぶ
 
 熊野市側の道も尾鷲市側と同様、非常に味わい深い。
 完全未舗装で一見荒れた感じを受けるのだが、道幅 は全般的に十分広く、意外としっかりしている。勾配も低く抑えられていて、九十九折りのような急カーブが連続する訳でもない。さすがに元国道の貫禄であ る。少し改修すれば十分立派な道だ。狭い林道をただ舗装しただけで国道と呼ばせているような道より、ずっとましになるように思える。

 しかし、走っていて、どことなく怖い道なのだ。看板にあった決壊個所にいつ出くわすかという心配もあるが、それだけでもない。
 道の谷側にガードレール代わりの低いコンクリートブロックが並んでいる。全体が苔に覆われ古さを感じさせる。じめじめとして薄暗く、道そのものが苔むしてしまったようなところもある。まるで廃墟を見る思いだ。
 例えばゴーストタウンに迷い込んでしまったような、レールや駅舎が残る鉄道の廃線跡をたどっているような、そんな気持ちである。


岩壁は青く苔むしている
こんな道にはジムニーが良く似合う
 

路面まで苔むしている
 この怖さは、やはり道の 古さからくるものである。遠い昔、この道を多くの車が往来した。いろいろな人がいろいろな思いで、この難所の峠を越えたのであろう。事故などもあったに違 いない。ガードレール代わりの苔むした小さなコンクリートブロックには、地蔵のようにもう魂が宿っているのである。今にも前方のカーブを曲がって大きなボ ンネットバスが、幽霊のように現れるかもしれない。
 
 こんな味わいはそんじょそこらの林道なんかでは、到底出せるもんじゃない。矢ノ川峠ならではの、独特な雰囲気がある。地図で見ると、新道のトンネルに重なって描かれた僅かな旧道だが、そこには面白い世界が広がっているのだ。
 
 車のトリップメータで3kmを少し過ぎたところで、ちょっとした崖崩箇所に出た。手前の安全なところで車を停め、歩いて偵察する。

 ガレた沢から石が路面になだれ込んでいた。沢に架けられた石が落ち、路面に穴が開いている。でも、ジムニーなら少しは車の底をヒットするだろうが、全く通れないとはいえない程度だ。

 ここが看板にあった欠壊箇所なのだろうか。あるいはこの先にもっと凄い所があるのかもしれない。またもや悩まされる。


道が荒れた
この先に崩落個所
 

決壊個所と思われる所
 私の旅では、こうして進むか戻るか判断を迫られる状況に立たされることがしばしばある。下手をすれば進んだきり二度と戻って来れなくなるので、おいそれとは判断を下せない。まさか命まで落とすことはないだろうが、相棒のジムニーを見捨てる羽目にならないとも限らない。
 幸いこれまで臆病な性格からあまり冒険的なことは避けてきたので、いつもジムニーと一緒に帰って来れている。今回もちょっと迷ったが、きっぱり引き返すこととした。

 引き返す途中、1台のオートバイが脇に停まっていた。業務用バイクで、地元の人が山仕事にでも来たのだろうか。こんな形でも、この道がまだ使われているのだ。人を見かけたら、この先の道のことを尋ねたかったが、残念ながら誰も見かけなかった。

 
 後になって考えると、今 回の矢ノ川峠再訪は、心残りなことばかり残してきてしまった。矢ノ川隧道の先で分岐する八十谷林道は抜けられるのだろうか。熊野市側の欠壊箇所とは私が見 たところだろうか。そこさえ通れば矢ノ川峠は越えられる峠になったのか。落ちたと言われていた橋は、架け替えられたのだろうか。
 オフロードバイクなら間違いなくあの熊野市側のガレ場は越えられただろう。その先で問題が起こっても、無事に引き返してこれる。だれかオートバイで行って、確認してきてくれ〜。
 

 峠にある石碑の碑文
   冬の日の
     ぬくもり
      やさし
     茶屋のあと
  稲田のぶへ 眠る

 峠のあの広場には茶屋があったらしい。稲田のぶへさんとはその茶屋の方?

<制作 2001. 8.26>

峠にある石碑
きれいに清掃され
かたわらには手製の杖が立て掛けてあった
 
矢ノ川峠(回想) (掲載 2015. 3. 8) 
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