ホームページ★ 峠と旅 ★ |
|
この矢ノ川峠は矢ノ川峠(行止りの峠)(掲載 1997. 7. 5)と矢ノ川峠(再訪)(掲
載 2001.8.26)で取り上げた。
まだ、インターネット上でも情報が少ない頃で、矢ノ川峠についてあまり詳しいことは分かっていなかった。
その後、峠の茶屋の悲話などにも触れるようになると、また無性に行きたくなる矢ノ川峠である。
しかし、ちょっとした未舗装林道にも負けず劣らずの険しい峠道は、もう容易には旅ができない。
また、紀伊半島の三重県南端の地は、病の身にはやや遠い。
ただただ、昔の写真(下の写真)を眺めて懐かしがるばかりだ。 |
峠から尾鷲市側を見る (撮影 1993. 3.27) この時から既に20年以上も経つ |
峠の尾鷲市側 (撮影 2001. 5. 4) ジムニーはほぼ同じ所に停まっている |
峠の熊野市側 (撮影 2001. 5. 4) この右手辺りに茶屋があったようだ 片隅に石碑が立つ バスが停まることを考えると、それ程広い峠ではない |
石碑 (撮影 2001. 5. 4) 亡くなった茶屋の主人・稲田のぶへさんへの歌が刻まれる |
峠から熊野市側を見る (撮影 1993. 3.27) 熊野市側は以前から通行止 |
峠から熊野市側を見る (撮影 2001. 5. 4) |
御在所ロープウェイ博物館 |
<御在所岳へ> そんな折、同じ三重県でも北の端辺りまで旅する機会があった。 心臓手術を控え、なるべく安易な旅とした。 滋賀県との境に位置する御在所岳へと登る御在所ロープウェイでも乗ってみようかと調べていると、 山上公園駅で「矢ノ川峠旅客索道」の展示があるとのこと。 山上公園駅の一画がロープウェイ博物館になっていて、その中で今回、 同じ三重県の矢ノ川峠に架かっていたロープウェイに関する特別展示が催されるようだった。 これは是非にでも見てみたい。 旅の当日、御在所岳では初雪があり、山上公園駅から更に山頂へと続くリフトには、寒くて到底乗れる状態ではなかった。 その分、展示を眺めることとする。 何かの撮影スタッフが数人来ていたが、それ以外、博物館へと足を運ぶ者はほとんど居ない。 あの矢ノ川峠に関する貴重な情報があるというのに・・・。 |
この日は初雪を記録 |
|
<ロープウェイ博物館> 博物館は御在所ロープウェイ関係の展示を主とする中、壁の一面が矢ノ川峠旅客索道の展示となっていた。パネル展示を中心に閲覧資料やワイヤーの見本がテーブルに置かれていた。規模は小さいが、まあこんなところであろう。 |
展示パネル1の地図 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
展示パネル1の地図の部分拡大 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
展示パネル2 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
ただ、索道のゴンドラの乗車定員は僅か2名で、現在のロープウェイの感覚からすると非常に小さい。
ゴンドラに設けられた小さな窓から顔をのぞかした乗客の姿は、どこかおかしみがある。
この箱の中に閉じ込められ、高い空中を移動するのを想像すると、ちょっと恐い気がする。 |
|
<峠道の変遷> 展示パネルによると、以下の様である。 @ 明治〜大正の熊野街道(明治道) 明治21年(1888年)〜 (文献:明治13年熊野街道が矢ノ川峠を越える) (文献:明治21年幅員6尺の車道完成) (文献:大正9年県道津木本線) A 昭和初期の矢ノ川峠旅客索道 昭和2年(1927年)〜 B 南谷経由の新熊野街道 昭和11年(1936年)〜 (文献:昭和28年2級国道170号) (文献:昭和34年1級国道42号) C 現在(トンネル)の国道42号 昭和43年(1968年)〜現在 現在、国道42号から分かれる旧道は、Bの「南谷経由の新熊野街道」の一部である。 登って矢ノ川隧道をくぐった先で明治道に合し、明治道で峠に至っている。 |
展示パネル3 (撮影 2013.11.13) |
|
矢ノ川隧道の麓側坑口 (撮影 1993. 3.27) こう見ると、トンネルは狭い よくバスが通れたものだ |
矢ノ川隧道の峠側坑口 (撮影 2001. 5. 4) |
<明治道> 国土地理院の地形図で は、矢ノ川隧道より麓側の明治道は途中で消えている。 ちょうど旅客索道が通じていた付近だ。昭和初期から使われなくなった道なので無理もないだろう。 しかし、大正期には乗合自動車が走っていた道である。 どんな姿を残していることだろうか。 小坪駅の跡地なども見られたら面白いことだろう。 上の地形図はマウス操作による拡大・縮小・移動が行えるようです。
|
展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13) |
展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
展示パネル2 (撮影 2013.11.13) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) やはり矢ノ川峠の道にはボンネットバスが似合う 展示パネルによると、開鑿記念碑があるようだが、 どこにあっただろうか 確か峠にはなかったと思うが |
|
こうして矢ノ川峠を回想すると、また訪れたくなってくる。
展示パネルに険しい南谷沿いを走るバスの写真があったが、その箇所はどこだろうか。
開鑿記念碑はまだ立っているのだろうか。
八十谷林道を行くと、小坪駅があるのだろうか。
麓側の大橋駅はどうだろうか。
明治道の痕跡は・・・。
いろいろ思いは募るが、遥か遠く険しい地にある矢ノ川峠であった。 |
|
<走行日> ・1993. 3.27 尾鷲市側より峠まで ジムニーにて ・2001. 5. 4 尾鷲市側より峠まで ジムニーにて ・2001. 5. 5 熊野市側より3Km強進む ジムニーにて (2013.11.13 御在所ロープウェイ博物館を見学) <参考資料> ・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 8日発行 角川書店 ・県別マップル道路地図 24 三重県 2013年 3版 9刷発行 昭文社 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
|