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棚橋峠/錦峠 (前編)
 
たなはし とうげ/にしき とうげ
 
現在進行形で変貌を続ける峠道   (「棚橋峠」は仮称)
 
棚橋峠(棚橋隧道)  (撮影 2001. 5. 4)
トンネルのこちら側が紀勢(きせい)町羽下
反対側は同県南島(なんとう)町棚橋竈(たなはしがま)
道はれっきとした国道260号
 
 今回取り上げた峠は、国道260号の南島町と西隣りの紀勢町の境にある。峠の部分は棚橋隧道と言うトンネルで抜けている。残念ながら、この峠に名前はついていないようだ。ツーリングマップル関西編(1997年3月)では、「棚橋トンネル」の文字に並んで「錦峠」の記載がある。しかし、これは誤りだろう。錦峠とは、棚橋隧道を紀勢町側の羽下に下り、更に錦へ向かう途中にある別の峠を指す。

 南島町と紀勢町の境に峠の名前がなく、他の中途半端な所に錦峠があるというのは、地図を眺めていても一見おかしな感じを受ける。実はそれは、錦湾に面した漁港の錦と、同じ紀勢町にある崎や柏崎(国道42号線沿い)を、南北に結ぶ道がひとつの峠道であった。その道の峠が錦峠なのである。それに対し、東西に越える棚橋隧道の峠道があり、2つの峠道がT字に交わった格好をしているのだ。
 
 このように錦峠と棚橋隧道とは、別の峠道の別の峠である。古いツーリングマップでは、本来の位置に「錦峠」の文字がちゃんとあった。よってここでも錦峠と棚橋隧道のある峠は明確に区別しておきたい。そこで、棚橋隧道のある峠を「棚橋峠」と仮称を使うこととする。それと、この2つの峠は切っても切れない関係なので、ここに一緒に掲載することとした。

 
 棚橋峠の道の、南島町側の最後の集落は、古和浦の支湾に面する棚橋竈(たなはしがま)と言う。この古和浦沿岸の地域には、「栃木竈」や「新桑竈」など、「竈」のつく地名がいくつか見られる。竈は「かま」または「かまど」である。昔、この地では塩を焼いたので、この名が付いたとするのが、もっとも有力な説だそうだ。海水から塩を作っていたのだろう。
 

左は新トンネル工事現場への道 (撮影 2002. 1. 6)
 国道260号は棚橋竈の狭い集落の中を抜け、その西の外れで川向(かわむかい)橋にて棚橋川の左岸に渡る。棚橋川は峠より下り落ちる川だ。しかしこの後、道から棚橋川はほとんど望めない。
 
 橋を渡って間もなく左に工事用と思われる道路が分岐する。一般車両進入禁止である。こんなことは以前にはなかった。その道が伸びる方向の山の中腹を見ると、トンネルの坑口が開いているのが分かる。でも、これは棚橋隧道ではない。
 
 実は南島町と紀勢町の間には、棚橋隧道に代わって新しいトンネルの工事が始まっていたのだ。棚橋隧道が稜線の直ぐ下を抜けているのに対し、新トンネルは山腹の下の方に造られている。坑口の位置も、棚橋竈集落より手の届きそうな程の距離にある。あまり関心がないので、新トンネルの完成時期などは分からないが、開通すれば随分峠越えが楽になるだろうと思わせる。
 
 工事道路と分かれて棚橋峠へ向かう道は、今のところ新トンネル建設の影響もなく、10年前とほとんど変わっていない様子だ。1.5車線幅の細い道が、延々と続いている。つい先ほどまで海の見える漁村を通っていたのが嘘の様だ。ここは紛れもなく険しい山岳道路である。
 
 常に進行方向左手に谷間を望む。木々の隙間から谷を挟んで、これから通る道筋が垣間見られる。それが如何にも険しい峠越えだと感じさせられる。
 
 しかし、険しいわりには現在のところこの道しかないので、交通量がある時はそれなりにあるのだ。去年(2001年)の5月初旬に通った時は、何台かの対向車とすれ違うことになった。しかも、新トンネルの工事車両だろうか、道幅にそぐわない大型のトラックまでも通っていた。対向車がすれ違うのに、非常に迷惑していた。こちらも不用意に道端に車を停車させ写真を撮っていたりすることができない。そそさと峠へ急ぐ羽目になった。

南島町側の景色 (撮影 2002. 1. 6)
 

棚橋隧道の南島町側 (撮影 2001. 5. 4)
 しかし、時期が異なれば、全く寂しい峠道となる。1991年の12月暮れに初めて訪れた時は、一台の対向車もやって来ない。これではかえって不安で仕方がない。対向車は来て欲しい時に来なくて、来て欲しくない時に来るものなのである。
 
 そしてやっと峠に辿り着くと、一瞬道がなくなっているのかと思った。道の代わりに鍵穴のような形をした小さな洞穴が、山の壁面にポッカリ開いている。どうやらこれを通れということらしいのだ。これを車が通るトンネルと言っていいのだろうか。それ程狭いトンネルである。
 トンネル入り口には「頭上注意 地上高4.0」とある。高さより幅が問題だろうが、幅が。
 

棚橋隧道の南島町側 (撮影 2001. 5. 4)
「トンネル内は点灯せよ 羽下」
「頭上注意 地上高4.0m」

10年前の棚橋隧道 (撮影 1991.12.29)
狭さは今も全然変わりはない
隧道坑口の左横に小さな地蔵が置かれている
 
 この何とも独特な棚橋隧道は、明治26年の開通だそうだ。姫越山(502.9m)と有地山(555.8m)の鞍部に位置する。トンネルの標高は280.9m。紀勢町側の豊富な薪や木材、木炭などを名古屋方面へ積み出す為、住民が協力して掘削したのが始まりとのこと。その後、国道260号の西の関門となった。
 
 ちなみに、その関門を車幅約1.7mの普通乗用車で通ったこともあるが、ドアミラーを倒すことなく無事に通れた。見た目ほど狭くはないので、ご安心あれ。
 
 紀勢町側から眺めた棚橋隧道も、やっぱり普通じゃない。こちらも同じく「頭上注意 地上高4.0」とある。一体、幅は幾つなんだろう。隧道の上を見上げると、木々の切れ間から空が見えた。稜線は直ぐそこにある。
 
 隧道手前の標識には「棚橋」の文字がある。南島町側には「羽下」とあった。これらは標識の立つ所の地名を表しているのではなく、それぞれ隧道の反対側の地名を言っているのだった。
 
 峠を紀勢町側に下る道は、相変わらず1.5車線の狭い道だが、南島町側の様な険しさは感じない。ましてや、あの隧道を抜けて来た後だから、もう何でも来いである。

 代わりに道路沿いは林に囲まれ、ほとんど展望はかきかない。ただただ曲りくねった狭い道を、丹念に走り続けるだけである。写真に撮るものも何もない。道を写してみても、何だか分からない暗い写真が撮れるだけだった。
 
 峠を下ること3Km程で道幅が広くなったと思うと、橋を渡って信号のない大きなT字路に突き当たる。ここが錦峠の道との合流点である。

<制作 2002. 1.28>

紀勢町側の道(峠方向を見る)
 
棚橋峠/錦峠後編 へ続く
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