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棚橋峠/錦峠 (後編)
 
たなはし とうげ/にしき とうげ
 
現在進行形で変貌を続ける峠道   (「棚橋峠」は仮称)
 
錦峠 (撮影 2002. 1. 6)
手前が紀勢町柏崎地区、奥が錦望トンネルを経て同町錦地区へ
道は国道260号
右に旧道が分岐するも、道路崩壊のため通行止
 

2つの峠道の合流点 (撮影 2000. 6. 3)
左は棚橋隧道へ、直進は錦峠へ
手前は県道68号を崎、柏崎方面へ
 錦峠の道に合流したT字路を、右(北)へ行けば県道68号・紀勢インター線が羽下を通って崎や柏崎などがある国道42号まで連絡している。県道のくせに早くから2車線路で、国道260号よりずっといい道であった。
 一方、T字路より左(南)へは国道260号が錦方面へと続く。緩い登り坂を少し行くと、直ぐにも錦峠である。
 
 棚橋隧道から下って来ると、錦峠は峠らしく思えない。棚橋隧道からの長い下り道途中の僅かな起伏でしかないのだ。ウッカリすると、気付かずに行き過ぎてしまう。しかし、柏崎方面から登って来れば道の最高所であり、やっぱり峠なのである。まさしく錦へ通じる「錦峠」なのだ。
 
 以前は、この錦峠から錦湾に面した錦集落に至るまでが、これまた大変な道だった。10年前の暮れに棚橋隧道より下って錦峠を過ぎると、周囲はまたもや見渡す限りの山また山なのだ。海岸からさほど離れていない所を走っている積りなので、これはとんでもない間違いを起こしているのかと不安になった。
 
 左手には深い谷が口を開けている。崖の中腹に切り開かれた、狭く曲がりくねった道が延々と続く。行けども行けども果てしのない屈曲の繰り返しなのだ。1台の車もやって来る気配がない。この山の中に、ただただ自分ひとりだけなのだ。空はどんより曇り、今しも雪が落ちてきそうな空模様である。こんなに寂しい国道があっていいものかと思った。
 

新道の錦峠
手前が錦地区、奥が柏崎地区

新道の脇(写真の左中段)に旧道の残骸
(峠より柏崎方面を見る)
 ところが、最近この峠道は全く変わってしまった。錦峠も見違えるようだ。2車線の立派な道なのである。旧道はどこへ行ったのかと探すと、新道の直ぐ脇の山側に残骸が残っていた。錦方面への旧道に上る道も設けられていたが、その入り口に道路崩壊の為、通行止とある。
 
 新道の最高所である、峠と思しき所の錦側には錦望トンネルがある。旧道はそのトンネルの右肩の林の中を抜けて行く。その辺りが旧道の錦峠だったのだろう。
 
 この錦峠の名にもなっている「錦」とは、勿論この場合、錦の集落名からきている。錦へ通じる峠道なのだから「錦峠」でいい筈だ。
 
 「錦」は古くは「丹敷」とか「ニ色」とか書かれた。それが、木曽義仲の姫の金襴(きんらん)の打ちかけを、錦にある金蔵寺に奉納したことから、「錦」の字があてられたと錦町誌にあるそうだ。
 棚橋隧道の南方にある姫越山の名も、木曽義仲の「姫」に由来しているのかもしれない。
 
 錦の集落は、熊野灘に臨むリアス式海岸の錦湾に面した古くからの漁村である。三方を山で囲まれ、以前は錦峠を越えて崎との間に通じる屈曲する道が、唯一の陸路だったそうだ。西隣の紀伊長島町との間には車道がなく、巡航船が運航されていたと言う。
 
 住民の長年に渡る念願だった、「幻の国道260号」がその間に開通したのは、昭和53年のことだそうだ。これにより巡航船に代わって錦と長島の間を三重交通の路線バスが15分で結ぶこととなった。

錦望トンネルの錦地区側坑口
  
 錦峠を過ぎるとそれから以降、旧道と新道は大きな谷を挟んで左右別々のコースを辿っていた。新道は錦望トンネルを抜けた後、谷の左岸を快適な2車線路で下っていく。新道から右手を望めば、谷の反対側に旧道のガードレースが林の間から時折顔をのぞかせている。あれが10年前に苦労して通った道なのか。
 
工事看板にあった地図 
(画像をクリックすると拡大画像が見れますが、126KBとちょっと重いので注意) 
 
 新道をそのまま暫し下ると、左に道が分岐する。現在は工事関係者以外、通行禁止である。これが例の南島町へ抜ける建築中の新トンネルへの道である。看板によると「錦第1トンネル」という素っ気無い名である。(第2トンネルはどこに造るのかは分からない)
 
 工事看板の地図を見ると、分岐から僅か267mでトンネルだ。トンネル全長1,590mとある。南島町側に抜けた先もほぼ直線的に道が造られる予定だ。あの棚橋竈にあった峠道の登り口から分かれていた工事道路は使われず、新道は集落の中を避けて、その北側を通過させる予定のようだ。現在の棚橋峠の道とは、棚橋竈集落の西で一度交差するだけで、全く異なるコースの峠道となるようである。工事のPR看板には現在の30分が5分になると宣伝していた。
 

開通記念碑
 新トンネルへの分岐の反対側に、谷を望むようにして立つ開通記念碑があった。碑文に錦と柏崎を結ぶ国道260号の開通を記念したものとの記載がある。石碑の日付は平成9年(1997年)3月24日となっていた。
 
 新しく立派になった国道260号と、それに続く元から立派な県道68号とを走り繋いで、本当に快適な一本の峠道が錦地区と柏崎地区を結んだことになる。
 
 でも、どれほど使われるのだろうかとも思う。石碑の前に暫くボンヤリ立っていたが、1台しか車は通らなかった。だが、住民にとっては便利なことに違いない。石碑はこの建設に寄与した政治家先生への感謝の意が表されていた。
 

新道より錦集落方面を望む
谷を隔てて旧道の道筋が見える

新道より峠方向を望む
旧道の白いガードレールがのぞく
 
 快適な新道の峠道をほとんど下り終わった所で、やっと旧道が合流する。話しでは昔は陸の孤島のような錦だが、今ではガソリンスタンドも2軒あり、立派な集落である。巡航船が通っていたという昔の面影は、沿道からでは想像できない。
 
 錦を過ぎ、更に西隣の紀伊長島までは、まだちょっと距離がある。長島側に入って、途中孫太郎トンネルを抜けると容易に国道42号へ出られる。
 
 紀伊長島はさすがに大きな町である。国道42号線沿いには色とりどりの看板を掲げた店が並ぶ。改めて国道42号と260号の違いを感じない訳にはいかない。 

新道と旧道(左端)がやっと接近
 
 錦峠の道は既に変貌を遂げ、棚橋峠も今まさに変貌しようとする真っ最中である。錦峠の錦地区側の旧道は、今後道路崩壊が修復され、通行可能な道として残されるのだろうか。あの狭い棚橋隧道は、新トンネル開通後も、いつまでも通れるといいのだが。いろいろと気掛かりな峠道たちである。
<制作 2002. 1.28>
 
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