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蠅帽子峠について
   
 温見峠の補足として蠅帽子峠を取り上げます。実際に蠅帽子峠を訪れたことはありません。
 
<峠名>
 いろいろな文字が使用され、いろいろな読み方があるようだ。
・蠅帽子峠(はえぼうしとうげ、はいぼうしとうげ、他)
・這法師峠(はいぼうしとうげ、他)
・拝星峠(はいぼしとうげ、他)
・拝保志峠
・這越峠
・灰ホウジ峠
 
 同じ文字を使っても、読み方が微妙に異なる場合もある。
・はえぼうし
・はいぼうし
・はえぼし
・はいぼし
・他
   
<由来>
 大きく3通りの説があるようだ。
(1)「帽子」説
 「越前地理指南」に、「夏ハ蠅多キ故、往還ノ者帽子ヲカフリ 通ル故ノ名也」とあるそうだ。夏場に「蠅」が多かったので通行者が「帽子」をかぶったことに由来するという。また文献では、「蠅」とは「虻」(あぶ)のことではなかったかと推測している。確かに虻は厄介だ。
 
(2)「法師」説
 鯖江(さばえ)の誠照寺本山の門主が急坂を這い登ったことに由来するというもの。温見峠より更に西に位置する冠峠(冠越)なども、越前の誠照寺本山使僧が、毎年国境を越えて美濃まで訪れたとのことだ。
 
(3)「越山」説
 越山の尾根を越えるので、「這越」(はいこし)というもの。ただ、越山は「おやま」と読むようだが・・・。越山は福井・岐阜県境にそびえる山で標高1129.2m。蠅帽子峠と温見峠の中間くらいに位置する。
 
<所在>
 国道157号が通じる温見峠の東約4kmの稜線上に位置する。残念ながら現在の地形図にこの峠名の記載はなく、一般の道路地図などでは尚更見掛けることはない。ただ、温見峠を越える国道157号線沿いに立つ案内看板などには、蠅帽子峠の文字が散見される(下の写真)。
 

真名川砂防流域概要図 (撮影 2007. 8.17)
雲川第一堰堤近くにあった看板
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

能郷白山山系概念図 (撮影 2007. 8.17)
温見峠にあった看板
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<蠅帽子嶺>
 地形図の蠅帽子峠の近くの稜線上に1037.3mのピークが見られるが、その山を蠅帽子嶺(はいぼうしれい)と呼ぶ。蠅帽子峠はこの山の直ぐ西の鞍部にある。峠名と同様にこの山にもいろいろな名称があるようだ。
・蠅帽子嶺(はいぼうしれい)
・這法師山
・這越山(はいこしやま)
・灰ホウジ山
 
 山と峠とどちらが先に名前が付いたのだろうか。例えば冠峠の場合は、烏帽子(えぼし)冠の様な山容の冠山が先で、その近くを越えるので冠峠となったもの と思う。何となくこちらの蠅帽子峠も、山に蠅帽子などの名前がついて、その脇を越える峠として同様の名の峠になったのではないだろうか。
 
<峠の標高>
 文献などでは960mとか978mとか987mなどと出ている。現在の地形図では、蠅帽子峠が通じているであろう峰の鞍部の標高は960mと970mの等高線の間である。ほぼ960mと言っていいようだ。
 
<現在の峠名>
 文献などでは「蠅帽子」や「這法師」などもよく使われる。しかし、国道157号沿いで見掛ける看板などでは「蠅帽子」が多かった。また、地形図に峠名の記載はないものの、 峠の福井県側に流れ下る川に、「蠅帽子川」と書かれている。個人的には「這法師」もいい名だと思うのだが、「お坊さんが地面を這う」というのでは、ちょっと 失礼に当たるかもしれない。少なくともここでは蠅帽子(はえぼうし)にしておこうと思う。
 
   
岐阜県側の入口
   
<大河原>
 蠅帽子峠の岐阜県側の起点は本巣市の根尾大河原(ねおおおかわら)となる。旧根尾村の大字大河原である。現在、温見峠を越える国道157号が集落内を通 る。蠅帽子峠と温見峠の両方の街道が合流する交通の要衝であった。しかし、今の大河原集落に人が住むことはなく、人家などの名残もほとんど見られない。
 
<峠道の入口>
 大河原集落の中心地があった所から1km程上流側に、国道157号から側らを流れる根尾西谷川(ねおにしたにがわ)の河原の方へ下る道がある(下の写真)。(尚、ここより下流側500mくらいの所に猫峠林道の入口があるが、その道ではない。)
  
蠅帽子峠への入口 (撮影 2001.11.11)
   

入口にある標柱 (撮影 2001.11.11)
<標柱>
 その道の入口に一本の標柱が立ち、「官道 這星峠」とある(左の写真)。このささやかな目印によって、この道が大河原から蠅帽子峠へと登る古い峠道であることが分かる。また、「這星」の文字が実際に使われているのを目にするのも珍しいことと思う。
 
<付近の様子>
 根尾西谷川は根尾川(揖斐川水系)の上流部の支流で、単に西谷川とか、この付近では大河原谷などと呼ばれる。根尾西谷川はこれより下流側で狭い峡谷を成 し、そこに峠道最大の難所「倉見七里」(くらみしちり)を控えている。しかし大河原付近の根尾西谷川は広い河原を形成し、一帯は穏やかな雰囲気だ。
 
 道の入口近くに立つ看板に、「大河原 MTB/4WD ゲレンデ」などとあり(下の写真)、根尾西谷川右岸の広い河川敷を利用した野外施設が設けられているようだった。
   
入口付近にある野外施設の看板 (撮影 2001.11.11)
正面に見える左上に登る尾根上に峠道があるのだと思う
   
<道の先>
 国道から分かれた砂利道は途中まで車で乗り入れられる。野外施設の一部でもあるようだ。
  
峠への道を少し進む (撮影 2001.11.11)
   
<看板>
 すると小さな看板が右手に立つ(右の写真)。「史跡 官道 這法師峠道」 とある。ここでは「這法師」の文字を使っているのが面白い。また先程の標柱と同じように「官道」であることを付記している。現在は温見峠の方に車道が通じ ているが、本来はこちらの蠅帽子峠の方が官道の「本道」であったのだと主張しているかのようだ。温見峠は「間道」だったのだと。
 
<峠への道筋>
 地形図には、この「官道 這法師峠道」の看板がある所より福井県境の稜線まで、点線の道が示されている。これが蠅帽子峠の道と思われる。看板の先、道は 根尾西谷川を左岸に渡って支流のコワタビ谷が注ぐ付近に出て、直ぐにコワタビ谷ともう一つ上流側の別の支流・小倉谷との境を成す尾根上を稜線まで辿る。普 通、峠道は川沿いに設けられるが、大河原から先の峠道は、終始稜線から派生する支尾根上を登る。その為、若干のアップダウンがあるようだ。しかし、眺めが 良さそうな道に思える。

道の途中にある看板 (撮影 2001.11.11)
   

ゲレンデの地図 (撮影 2001.11.11)
 ただ、道路地図などを見る限り、根尾西谷川には車が通れるような橋は架かっていなそうだ(猫峠林道には大河原橋が架かっているが)。ゲレンデの地図にも、左岸へと渡るそれらしき道は記されていない。果たして根尾西谷川を歩いて渡れるものかどうか、確認はしていない。
   
   
峠の福井県側
   
<蠅帽子川>
 峠より福井県側に流れる川は蠅帽子川だが、その川沿いに下る道は地形図ではもう記されていない。蠅帽子川は笹生川(さそうがわ)の支流だが、今は笹生川ダムによって堰き 止められた笹生川貯水池が麓にあり、川はその湖に注いでいる。湖岸から続いて蠅帽子川の右岸沿いに登る車道が見られるが、それも途中で途切れている。
 
<秋生>
 峠の岐阜県側最初の集落が大河原であったのに対し、福井県側最初の集落は秋生(あきゅう、あきう)になる。秋生より蠅帽子川の右岸にそって牛馬不通の急坂を12km登り詰めると峠だったそうだ。しかし、その秋生の集落は今は湖底に沈んでいる。
  
<笹生川沿い>
 伊勢峠より県道230号・大谷秋生大野線で笹生川の右岸沿いを下って来ると、左手に笹生川貯水池の上流部が見えてくる。県道標識の地名は「大野市上秋生」とある。秋生の地は上秋生と下秋生に分かれていたようだ。
 
<笹生川上流部の集落>
 上秋生は笹生川最上流に位置する集落で、その後、下秋生、本戸(もとど)と続くが、集落のあった付近は全て貯水池に沈んでいる。大野市の大字として地名は残るが、どこに人家が集まっていたかなどは、今は知る由もない。
 

伊勢峠から下る県道230号 (撮影 2007. 8.17)
左手に橋が架かる
   

県道標識 (撮影 2007. 8.17)
<笹生川に架かる橋>
 貯水池の上流側に一本の橋が架かり、車でも左岸に渡れる様になっている。対岸の河原はキャンプにはもってこいの場所で、実際にキャンパーを見掛けたことがある。
 
 橋を渡る道は、その先貯水池の左岸を少し下り、蠅帽子川の右岸に取り付いて稜線方向に登り始めている。その林道を進めば、蠅帽子峠に続く旧道へと出られるものと思う。
 
 県道の方は、下って上秋生から下秋生に入る。
   
<下秋生>
 県道からは貯水池を望むようになる。県道沿いに集落の面影は見られないが、代わりに石碑が建立されていた(下の写真)。「下秋生 萬霊碑」とある。この辺りの対岸に蠅帽子川が注いでいる筈だ。
 

貯水池を望む (撮影 2007. 8.17)
    

下秋生にある萬霊碑 (撮影 2007. 8.17)

萬霊碑 (撮影 2007. 8.17)
 
笹生川貯水池 (撮影 2001.11.11)
対岸に道の様なものが続いている
蠅帽子川はこの右手奥辺りか?
  
<笹生川ダム>
 ダムの完成は昭和32年で、近代的なダムとしては比較的古い。笹生川は真名川(まながわ)上流部の川だが、この真名川上流域は水害が多く、このダムも治水を主目 的にしたものではなかったろうか。しかし、離村を食い止める手段にはならず、本流に造られた真名川ダム付近から上流側全域が、既に無住の地となっているようだ。
   

笹生川ダム (撮影 2007. 8.17)

笹生川ダム (撮影 2007. 8.17)
    
<ダム周辺>
 以前は堰堤近くに案内板が立っていて、それにダム周辺の地図が描かれていた(右の写真)。 蠅帽子川沿いに途中まで車道が描かれている。
 
 尚、ダムより下流側は「真名川」と記されていた。 狭義には雲川との合流点より下流側を真名川と呼ぶが、これで笹生川が真名川の本流であることが分かる。 笹生川すなわち真名川の源流は、上秋生から上流側を「中ノ水谷」(なかのみずたに)と呼び、岐阜県境の屏風山近辺から発している。
 
<本戸>
 ダム付近は本戸の地になる。県道標識にも「本戸」(もとど)と出ている。

笹生川ダム周辺平面図 (撮影 1995. 5. 3)
ダム堰堤近くにあった看板
地図は下が北
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
 

県道標識 (撮影 2007. 8.17)

本戸とある (撮影 2007. 8.17)
 

笹生川ダム下流 (撮影 2007. 8.17)
河原が少し広がる
<笹生川ダム下流>
 ダム堰堤を過ぎて下流側に下れば、今の県道も蠅帽子峠の道に重なるものと思う。笹生川の河原に広々とした個所もあるが、集落などの痕跡は見掛けられず、往時の街道の手がかりも見付け難い。
 
<県道沿線>
 やがては笹生川の谷は狭まり、その右岸に県道が細々と続く。川には何箇所かに砂防ダム(堰堤)が築かれている。
   

県道の様子 (撮影 2007. 8.17)

笹生川第二堰堤 (撮影 2007. 8.17)
  
<黒当戸>
 県道標識には「黒当戸」(ころとうど)と出てくる。 県道下に僅かに建物が見られた。 その少し先で笹生川は大きく広がる。本流の真名川が近い。
   

県道標識 (撮影 2007. 8.17)

黒当戸とある (撮影 2007. 8.17)
 
笹生川が広がる (撮影 2007. 8.17)
左手に中島発電所が見える
奥に笹生川を渡る橋が架かる
   
<分岐>
 県道は左折して笹生川橋で笹生川の左岸へと渡るが、その手前を右に川の右岸沿いの道が分岐する(下の写真)。
   

左は笹生川を渡る (撮影 2007. 8.17)

右は笹生川から本流の真名川右岸へと続く (撮影 2007. 8.17)
  
<中島集落>
 県道は笹生川を渡り、続いて中島鎌谷川を渡る。その下流側には、真名川の2大支流である雲川と笹生川が合流する三角州が大きく広がっている。今はそこに麻 那姫湖青少年旅行村ができているが、かつては中島集落の中心地であったそうだ。蠅帽子峠からの峠道も、その集落内に通じていたものと思う。

中島鎌谷川に架かる橋 (撮影 2007. 8.17)
    

麻那姫湖青少年旅行村 (撮影 2007. 8.17)
かつて中島集落があったそうだ
下を流れるのは中島鎌谷川

麻那姫湖青少年旅行村 (撮影 2007. 8.17)
 
<国道へ>
 県道は真名川のもう一つの支流・雲川を雲川橋で渡り、温見峠を越えて来た国道157号に接続する。
   

国道への接続を示す看板 (撮影 2007. 8.17)

雲川を渡る (撮影 2007. 8.17)
その先で国道に接続
    
   
   
<温見峠との比較>
 旧根尾村の大河原から大野市の中島まで、蠅帽子峠と温見峠の2筋の峠道があったことになる。ただ、蠅帽子峠の方が距離が短く、峠の標高も低い。蠅帽子峠 が約960mであるのに対し、温見峠(旧峠)は約1030mだ。そうした理由で、蠅帽子峠が本道、温見峠はその間道であったそうだ。
 
 どちらの峠も美濃(岐阜県の根尾川流域)と越前(福井県)とを結ぶ主要路であったが、明治以降、次第に通行が絶え、廃道となっていった。昭和に入ると、温見峠の 方が地形が穏やかな為か、峠道が改修され車道が通じるようになる。後の国道157号だ。こうして温見峠は復活を果たしたが、その陰で蠅帽子峠の名は忘れ去 られていった。
  
 蠅帽子峠は多くの僧侶や武士が越え、冬の積雪時にも美濃へ出稼ぎに来る越前人の往来に利用されたとのこと。 また、幕末に尊皇攘夷派の水戸藩士・武田耕雲斎らが越えたことで、この峠の名が歴史に刻まれている。時は 元治元年(1864年)12月、総勢800人とも1,000人とも伝わる水戸浪士(天狗党)の集団が、美濃から越前へと厳冬の峠越えを決行した。 積雪に阻まれ、大野藩の抵抗に遭いながらも大野郡黒戸村に辿り着く。 しかし、心身ともに疲れ果てた一行は、結局は敦賀で幕府軍に降伏し、首領の耕雲斎は処刑される運命となる。
 
 こんな話も笹生川貯水池の湖面を眺めていると幻のようである。昭和40年代初頭には秋生などを含む真名川上流域にあった西谷村全域が離村し、無住地となった。今はダムと深い谷ばかりが残る。蠅帽子峠は遠い昔の出来事となった。
   
  
   
<走行日>
・1994. 9.25 伊勢峠を下り、麻那姫湖へ ジムニーにて
・1995. 5. 3 伊勢峠を下り、温見峠へ ジムニーにて
・2007. 8.17 伊勢峠を下り、温見峠へ パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 18 福井県 1989年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店
・ぎふこくナビ(http://www.cbr.mlit.go.jp/gifu/)の
 峠関連ページ(http://sirokurage.s59.xrea.com/touge/minotouge.html)の温見峠の項(現在アクセス不可)
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
 
<1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
   
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