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三 国峠 (後編・埼玉県側)
 
前編がありますので、まずはそちらからご覧下さい
 
三国峠前編(長野県側)
 
 
  
 
三国峠 (撮影 2011. 7. 4)
手前が埼玉県秩父市中津川(旧大滝村中津川)
奥が長野県川上村梓山
見事な切り通しを通して、向こうに見えるのは、
長野・群馬の県境の峰々
 
 
峠の秩父市側
 

峠より秩父市側を見る (撮影 2011. 7. 4)
まず左手に「夜間通行止」の看板が立つ
その先に「悪路注意」の看板
 峠の埼玉県 側の住所は、以前は秩父郡大滝村大字中津川であったが、今は秩父市中津川である。峠の秩父市側は、はっきりした広場も無くやや狭いが、それでも車1台やバ イクなどが停められる。
 
 秩父市側の道は、冬期通行止以外に、夜間通行 止でもある。下記の様に記した看板が立つ。
 
夜間通行止
時間 午後6時より午前8時まで
 
 また、秩父市側は林道と言うこともあってか、 いろいろな注意看板が多く、やたらに「悪路」や「危険」の文字が立ち並ぶ。
 
 尚、川上村側から峠方向に向けて注意看板が次 の様にあった。
 
 通行注意
この先道路が狭いため
トレーラー等の大型車両は
通り抜け出来ません
    大滝村建設課
 
 地上高の低い車は駄目と言うのだから、まして やトレーラーなどは論外だと思うのだが。
 

峠より秩父市側に下る道 (撮影 2011. 7. 4)
注意看板が立ち並ぶ

未舗装林道の注意看板 (撮影 2011. 7. 4)
 

秩父市側より峠を見る (撮影 2011. 7. 4)
峠の手前の右側にトイレがある

秩父市側より峠を見る (撮影 2011. 7. 4)
 
 峠の秩父市 側には端の方にトイレがある。その脇を三国山方面へ登山道が延びていたと思う。
 
 それにしても、そのトイレは林の陰のジメジメ した薄暗い所にあり、あまり気持ちが良さそうに思えない。川上村側のもっと広い所に作れなかったんだろうか。毛木場で済まさなかった小用を、ここで足そう と思ってトイレに近付くと、入口前に大変な数のハエの集団が飛び交っていた。これには閉口する。しかし、もう限界に近い。この先どこにトイレがあるか分ら ず、申し訳ないが、道端で済まさせてもらった。人が通り掛からないかと気がきでなかったが、事なきを得たのだった。トイレは使える時に済ませておくもので あった。
 
峠から秩父市側の眺め (撮影 2011. 7. 4)
 
峠から秩父市(旧大滝村)側の眺め (撮影 1991. 9.23)
 
 
峠の標高など
 
 秩父市側に は注意看板が多いが、「三国峠」と大きく書かれた看板が立つのは嬉しい。標高も1,740mと記されている。日本基橋の標高が、毛木場にあった看板などで は1,350mとあり、川上村側の峠との標高差は約390mであるのが分る。
 
 尚、文献などでは、三国峠の標高を1, 800mとか1,820mとか、三国山を1,828mとか、いろいろ言っている。少なくとも国土地理院の 2万5千分1地形図で確認すると、現在の車道の三国峠は1,740mで間違い無さそうだし、三国山は1,834mである。
 
 車道の峠から三国山の山頂までは、途中に鞍部 も無く、単調に上っている。古い三国峠は山頂かそこまでの途中にあった筈で、その標高は1,740m以上、1,834m以下となる。文献に出ていた標高か ら推察しようかと思ったが、標高には間違いが多いようで、どうにもはっきりしない。
 
 旧峠の位置が断定できないので、その道筋も分 らない。少なくとも現在の登山道では、三国山から直接梓山へと下る道はないようだ。

三国峠の看板 (撮影 2011. 7. 4)
標高1740m」とある
 
 世の中に、 三国峠と呼ばれる峠は多い。例えば群馬と新潟の境を越える三国 峠がある。こちらの「三国」とは、上野(群馬県)、信濃(長野県)、越後(新潟県)の上信 越である。しかし、峠は上越国境を越えているだけで、信濃は少し離れている。
 
 この様に、三国峠と言いながら、峠が本当にそ の三国の接点を越えていることはまずない。しかし、この上野、武蔵、信濃の接点となる三国山が、三国峠そのであるなら、そこは正しく三国峠と呼ぶにふさわ しい峠である。
 
 
道の名
 

村道十七号線の道標 (撮影 2011. 7. 4)
終点、延長20.3Km、大滝村
 秩父市側の 道は、一般に中津川林道と呼んで、それで別段不都合はない。道程のほとんどが未舗装のまま残り、それこそ林道と呼ぶにふさわしい道だ。ただ、中津川林道と は古い呼び方で、その後、村道17号となり、大滝村が秩父市になってからは市道17号と呼ばれるようだ。峠の秩父市側に道路標柱が立っている。それには、 「村道十七号線 終点 延長20.3Km 大滝村」とある。これ以外にも、林道の所々に同じ様な道路標柱が立っている。
 
 日本基橋近くの電電公社の小屋の脇に立て掛け てあった看板には、「村道一九四号線(旧中津川林道)」とあった。17号と194号の関係が分らない。村道194号とは川上村側の道の名かとも思ったが、そうではないよう だ。
 
 峠の秩父市側に、「秩父山地緑の回廊」や「水 源かん養保安林」の看板が立つ。新しいものでは、市道17号とあり、古いものでは中津川林道とある。
 

峠にあった秩父山地緑の回廊の看板 (撮影 2011. 7. 4)
市道17号とある
(上の画像をクリックすると、拡大画像がご覧頂 けます)

峠にあった水源かん養保安林の看板 (撮影 2011. 7. 4)
中津川林道と奥秩父林道の文字が見える
(上の画像をクリックすると、拡大画像がご覧頂 けます)
 
 
峠を秩父市側に下る
 
 峠から秩父 市側に下ると、直ぐにゲート箇所がある。なかなか物々しいゲートだ。夜間通行止や冬期通行止の時に閉ざされるのだろうか。
 

ゲート箇所 (撮影 2011. 7. 4)
 

落石箇所 (撮影 2011. 7. 4)
ガードレールが曲がっている
 今回、道は 全線に渡って問題なく走れた。未舗装路区間も良く整備されていて、林道の中では走り易いくらいだった。しかし、沿道には落石や崩落の後が頻繁に見受けられ た。法面が崩れて岩や土が露出した箇所が幾つかあった。傍らのガードレールは醜く曲がっていたりした。全長約20Km、その内約18Kmが未舗装となる、 名うての中津川林道。やはりその険しさは、そこここに顔を覗かせるのだった。
 
 20年前に林道の途中でジムニーを停め、道や 景色を写真に撮った。同じ場所を偶然にもデキカメが捉えていた(下の写真)。そこでは路肩が僅かに広くなっていて、軽自動車1台がやっと停められるスペー スがあった。この道沿いには、そうした車を停められる場所が多くない。一旦峠から下りだすと、ずっと走り続けてしまうきらいがある。意識して車を停める場 所を見付けないと、なかなか休むことができない。
 

道の途中 (撮影 2011. 7. 4)
以前にこの路肩にジムニーを停めて
景色を写真に撮った

ほぼ左と同じ場所 (撮影 1991. 9.23)
20年前
 
 峠道の運転 は大抵妻が担当することになっている。わtしがカメラを握っていたいからだ。険しい未舗装路と言うこともあって、スピードは遅いが妻は夢中で車を運転し続 けてしまう。写真を撮ろうにも、なかなか停まってくれないのだ。険しい道の様子や側に立つ道標やらをなるべく写真の収めたいのだが、うまく行かない。ま あ、わたしの峠の趣味に付き合ってくれているので、あまり文句は言えないのだが。
 
 こうして、今回も三国峠の峠道を妻は走り通し た。考えて見れば、妻のこれまでの未舗装林道や険しい峠道の走行距離は相当なものだと思う。草を掻き分けながら走る道もあった。カモシカに3回出くわす辺 ぴな道もあった。クマも1度見たことがあった。サルや鹿や狸や狐を見掛けるのは珍しいことではない。パンクも何回か経験し、脱出に苦労した。男性でもなか なか経験しない道を、彼女は経験してきている。
 
 道は中津川の本流を目指して山腹を下ってい る。概ね右手が長野・埼玉の県境の峰、左手が中津川の支流・金蔵沢の谷である。時折木々の切れ間から谷側に眺めがあるが、なかなかいい写真が撮れない。

峠道からの眺め (撮影 1991. 9.23)
 

険しい道の様相 (撮影 2011. 7. 4)
 路面は締 まった細かな砂利の道で、あまりパンクなどの心配はない。ただ、もろそうな岩壁の脇をすり抜ける様なこともままあり、路面に転がった落石の石には注意が必 要だ。そうした石は角が鋭く、タイヤを傷付け易い。釘などによる穴が開くパンクと違って、タイヤが裂けてしまうので、あっという間に空気が抜け、修理も困 難だ。そうしたパンクにこれまで何度泣かされたことか。
 
 
奥秩父林道の分岐
 

上に橋が架かっている (撮影 2011. 7. 4)
 途中、左手 に逆Y字に分岐する道があった。谷へと下って行く荒れた道だ。チェーンで通行止となっていた。
 
 道は中津川の川沿いへと下って行くのだが、そ の前に中津川の上流方向へと進む奥秩父林道が分岐していることになる。峠にあった水源かん養保安林の看板に、その道がはっきり記されている。分岐の方向 は、進行方向右手になる筈だが、そこがちょっと違う。道の頭上を橋が一本渡っていた。こんな山奥の道に、一体何だろうかと思わせる。その直ぐ先で道が左に 分岐していた。
 
 奥秩父林道は立体交差していたのだ。急な斜面 ではこうしたループ状の立体交差は、林道でも時折見掛けることなのだ。今回の様に橋になっていたり、トンネルになっていたりする。中津川の下流、新しくで きた滝沢ダムの直ぐ下に、大きなループがあるが、こうした構造は何も最近の近代的な道路に限ったことではないのであった。
 
 奥秩父林道 は「一般車両通行止め」となっ ていて入れないのだが、この道は中津川の上流、十文字峠方向へ延びているのだ。そして、栃本の方から登って来る道と、ほぼ接続する様に開削されている。
 
 文献に、大滝村の中津川の集落からは、明治期 まで川沿いに一条の道が十文字峠を越えて信濃佐久へ通じていたのみで、悪路の為、人々の往来は少なかったとある。この一条の道と言うのが、奥秩父林道と重 なるのではないかと思ったのだ。
 
 十文字峠は栃本と梓山を結ぶ峠だが、栃本とは 尾根を隔てた中津川からも十文字峠を越える道筋があった。一方、三国峠は中津川と梓山を結ぶ峠道であった筈だ。中津川林道途中の信濃沢橋から尾根筋を三国 山へ登る登山道も残っている。
 
 三国峠は武州道や秩父往還としても使われた筈 なのに、明治期に至ると十文字峠を越える一条の道があっただけと言うもの腑に落ちない。古(いにしえ)の三国峠は、謎めいているのであった。

左手に分岐 (撮影 2011. 7. 4)
奥秩父林道の道だ
 
 奥秩父林道 の分岐を過ぎると、中津川本流が流れる谷は近い。道は一旦南の上流側へと向かって下って行く。道は相変らずの未舗装路である。

未舗装路は続く (撮影 2011. 7. 4)
 
 
中津川沿いに出る
 

中津川沿いの道になる (撮影 2011. 7. 4)
 急な左回り のヘアピンカーブを一つ曲がると、右手に川が沿う。やっと中津川の本流に出たのだ。それまで険しい山腹を走って来た道が、川沿いの安定した道となる。路肩 が崩れそうな崖も姿を消した。ただ、谷底なので眺めはなくなる。
 
 中津川には治山ダムが設けられ、付近には ちょっとした川遊びもできそうな場所もあり、夏などには涼むのに良さそうである。
 
 道は中津川 の左岸にぴったり沿って下る。支流の小さな沢を渡るが、橋の欄干は壊れてほとんど役に立ちそうもない。時折道幅が極端に狭い箇所もある。金蔵沢の橋を渡 り、暫く行くとトンネルが現れた。素掘りの見るからに無骨なトンネルだ。
 
 しかし、妻はそんな物にはもう全く動じない。 この中津川林道を走るのは勿論初めてだが、何事もないかの様に、欄干の壊れた橋を渡り、狭い未舗装路をすり抜け、素掘りのトンネルをくぐり、平然とハンド ルを握っている。普段の生活では臆病な性格なのだが、慣れとは恐ろしいものだ。少しくらい驚いて減速してくれると、写真も良く撮れると言うものなのに。欄 干が壊れた橋も、素彫りのトンネルも、みんなピンボケ写真になってしまったではないか。

素掘りのトンネルを抜ける (撮影 2011. 7. 4)
 
 
信濃沢橋
 
 トンネルを 抜けた直ぐ先で、比較的しっかりした橋を渡る。信濃沢橋だ。中津川支流の信濃沢に架かる。冬期通行止はこの橋から峠までだった筈だ。良く見ると、右側の欄 干に鋼鉄製のゲートが設けられていた。「長野県川上方面 中津川林道 全面通行止」と書かれた看板が掛かっている。橋の欄干に 取付けられたこうしたゲートは珍しいと思う。
 

信濃沢橋 (撮影 2011. 7. 4)
 橋の手前を左に入る山道がある

欄干に設けられtゲート (撮影 2011. 7. 4)
 
 ここより下 流に中津川の集落があるが、中津川から三国山へ登る登山道が、この信濃沢橋の袂より分岐する。峠から降りて来ると橋を渡る手前、左に登山道が始まってい る。その山道は暫く信濃沢の右岸を行った後、三国山から東に延びて来ている尾根に上り、その尾根上を山頂へと続いているようだ。南の金蔵沢との境を成す尾 根である。
 
 古い三国峠の道は、この登山道に重なる部分が 多いのではないかと想像する。三国峠を越えた物資の交易や三峰神社の参拝が、この山道を通して行われたのではないか。中津川林道が通じた今では、ただただ 想像を膨らませるばかりである。
 
 
信濃沢橋以降
 
 信濃沢橋を 渡ると、中津川の流れは90度方向を変え、これまで北流していたのが、東流するようになる。道も川に沿って東へ方向を変える。常に川の左岸にぴったり寄り 添うこの林道は、昔の三国峠の道筋と同じものではないかと思う。それ程、中津川の流れと並行している。昔の山道をそのまま拡張して車道としたのではないだ ろうか。
 
 川は車の直ぐ右手にあるのだが、草木が多くて 川面などはほとんど見えない。進むに連れ、だんだん谷が深くなっていくようだ。

中津川に沿う道 (撮影 2011. 7. 4)
ほぼ東に向く
 

右に林道大山沢線が分岐 (撮影 2011. 7. 4)
 右方向に橋 を渡って林道が延びている。支流の大山沢沿いを行く林道大山沢線だ。簡単なロープによる通行止になっている。見ると、中津川を渡った直ぐ先でトンネルに 入っている。地図上では、何Kmも行かずに行き止まりのようだ。
 
 中津川の川 底が深くなり、道の周囲も山で囲まれ、閉塞した雰囲気になってくる。V字の谷底を川と一緒にクネクネ這い回っているようだ。

道の様子 (撮影 2011. 7. 4)
 
 
王冠キャンプ場
 

王冠キャンプ場付近 (撮影 2011. 7. 4)
 それまで狭 い谷と川があるばかりの道だったが、やっと人里の雰囲気がする場所に出てきた。谷が少し広くなり、道の両側に芝生の広場ができている。それらはキャンプサ イトらしかった。管理棟などの小屋も見えてきた。ここは王冠キャンプ場である。「王冠」とは地名のようだが、ここに集落はなく、キャンプ場の施設があるだ けのようだ。人が住んでいる訳ではないらしい。
 
 王冠キャンプ場を過ぎると、道は幾分広くな る。相変らずの未舗装路ではあるが、少し走り易い道となった。王冠キャンプ場まで車で来る為の便宜だろう。
 
 キャンプ場が出てきたので、これでもう人里に 入ったのかと思ったら、まだ暫く寂しい林道走行が続いた。
 
 鎌倉沢に架かる橋を渡る。橋の手前から左手の 山の中に、登山道が始まっている。鎌倉沢沿いを南天山へと続いている山道のようだ。
 

鎌倉沢に架かる橋を渡る (撮影 2011. 7. 4)
橋の袂より左手に登山道が始まる

未舗装は続く (撮影 2011. 7. 4)
 

中津川林道を峠方向に見る (撮影 2001. 7. 1)
ガードレールの袂より舗装路が始まる
前方にはトンネルが見える
 その後、2 つ程、短いトンネルを抜ける。一部にコンクリートは使われているものの、素彫りに近い物だった。
 
 最後のトンネルを抜けると、その先でアスファ ルト路面となった。三国峠から始まった中津川林道の長い未舗装路がここで尽きたのだ。
 
 峠には「18Km間 未舗装」と書かれた看板 もあったが、現在は少し短くなっているようだ。この後、「夜間通行止」の看板が出て来るが、そこに「ここより先18Km区間」とある。
 
 
舗装路と学習の森
 
 中津川の本 流には、右や左から支流の沢が注ぎ込み、その沢沿いに林道や登山道が始まっていることが多い。舗装路が始まって直ぐ、南から流れ下って来た大若沢が合流す る。本流を若沢橋で渡り、大若沢の左岸へと車道が少し伸びている。その終点に休憩所やトイレがある。「学習の森」である。
 
 この学習の森へ行く為に、中津川林道はここま で舗装されたようなものだった。
 
 三国峠を越える程ではないにしろ、この中津川 に行楽に来ると、ちょっと困ったことになる。沿道に車を停める場所がほとんどないのだ。そんな時、この学習の森に行くと、無料の駐車場がある。ただ、あま り広くないので、混雑する可能性はある。
 
 休憩所からは遊歩道も続いているようなのだ が、ちょっと歩いてみようと言う簡単なものではなさそうだ。ほとんど登山に近い気がする。わたしは休憩所で休むだけにした。

右に「学習の森」への分岐 (撮影 2011. 7. 4)
この直前から舗装路が始まる
 

若沢橋 (撮影 2001. 7. 1)
この橋を渡って学習の森へ行く

学習の森案内図 (撮影 2001. 7. 1)
(上の画像をクリックすると、拡大画像がご覧頂 けます)
 
 学習の森へ の道を分けた後、左に中津川浄水場が出てきて、人家が近いことをうかがわせる。右に吊橋が架かっていた。「たつまの吊橋」とある。学習の森の遊歩道へとつ ながっているようだ。
 
 右手に大きな看板が立っていた(下の写真)。 峠方向に向いて、「村道中津川線(17号線)県道昇格早期実現 大滝村川上村県道昇格期成同 盟会」とある。川上村の梓山集落の終わりに、やはり同じ様な県道昇格早期実現の看板があった が、あちらは「川上秩父線」と あった。多分、大滝村が秩父市に入って、村道ではなくなったからだろう。こちらは「村道中津 川線」とあるので、古いものだ。
 

前方に中津川の集落が見えてきた (撮影 2011. 7. 4)
右手に立つのは「県道昇格早期実現」の看板

「県道昇格早期実現」の看板 (撮影 2011. 7. 4)
 
 看板を過ぎ てウズノ沢の橋を渡る。路傍に立つ道標には「起点ヨリ二Km」とあったようだ。「炭焼ゾーン」と言うのがあり、傍らに小さなトイレがある。その先には何や ら人家らしきものが見えてきた。
 
 
中津川集落の始まり
 

中津川の集落に入る (撮影 2011. 7. 4)
ここが最初の人家だと思う
 三国峠の埼 玉県秩父市側の最初の集落は中津川である。中津川と言う地名は旧大滝村の大字でもある。ここでは字中津川の意味である。市道沿い約1Kmに渡って人家が点 在する集落を中津川集落と呼んでおく。
 
 中津川の本流は荒川で、そちらには栃本、川又 と言った集落があり、雁坂峠(雁坂トンネル)を越える国道140号沿いでは最奥の地となっている。こちらの中津川は僅かだが更に西に位置しているようだ。 道も立派な国道などではなく、今は市道だが、少し前までは林道であった。中津川は埼玉県で最も西の奥に位置する集落ではないだろうか。
 
 その最奥の中津川の中でも、最も西の端に位置 する人家が現れる。ちょっと、山小屋風であり、道端の小屋には薪が積まれている。いい雰囲気だ。町中の暮らしとは、随分と違うことだろう。
 
 僅かに並ぶ 家屋を過ぎると、夜間通行止の看板が立つ地点を過ぎる。現在(2011年7月)の看板には次のようにある。
 
 これより先18Km間
  夜間通行止
  午後6時から翌朝8時まで
  この先18Km、未舗装道路
  悪路注意・落石多し
            秩父市
 
 大滝村の時代から立っていたが(右の写真)、 秩父市になって看板が少し変わった。この先18Km未舗装とあるが、実際に未舗装が始まるのは学習の森の分岐後である。ここから約800m程だ。細かな話 ではあるが。
 
 夜間や冬期に通行止になる筈だが、この付近に ゲートらしき物は見当たらなかった。やはり信濃沢橋のゲートが閉まるのだろう。

夜間通行止の看板が立つ (撮影 2001. 7. 1)
峠方向に向く 10年前の古い写真
中津川村道 冬期間通行止」ともある
 
 
ふれあいの森など
 
 その後、 ちょっとした町中の様になる。右手の中津川渓流釣り場を過ぎると続いて日帰り温泉があり、ここには十分な駐車場が隣接する。大型バスもここまでは入って来 るらしい。
 
 次には「ふれあいの森」と呼ぶ施設がある。森 林科学館と言う建物が立つ。この付近は木造の人家よりコンクリートの建物が目立つ。以前に来た時は、こうした施設には記憶がなく、最近整備されたものだろ うか。
 
 路肩に路線バスが停まっていた。ここが終点 「中津川」のバス停なのだろう。
 

日帰り温泉の付近 (撮影 2011. 7. 4)
前方右手に日帰り温泉が建つ
左手は駐車場

ふれあいの森の付近 (撮影 2011. 7. 4)
右手に森林科学館が建つ
前方に路線バスが停車していた
 

人家が途切れる (撮影 2011. 7. 4)
この写真では見にくいが、前方に地元の方が歩い ている
 道からは見 えないが、ふれあいの森の一環で、宿泊施設もあるようだ。「宿泊棟(こまどり荘)」と看板が出ていた。
 
 中津川の集落は、沿道にずっと人家が続いてい る訳ではなく、少しずつの人家の集まりが、所々に点在する。その間を寂しい道が繋いでいる。
 
 
 
 
中津川の集落以降
 
 進むに連 れ、人家の数は増す。裏の僅かな山の斜面を利用して、畑も耕かされている。道は狭いままで、人家の軒先をかすめて通る。周囲は山に囲まれ、蛇行する中津川 の谷間を抜けている。見上げても、谷を囲む山ばかりだ。中津川は四隣の集落とは遠く隔たった地と呼ばれたそうだ。
 

集落内の様子 (撮影 2011. 7. 4)

集落内の様子 (撮影 2011. 7. 4)
看板に民宿中津屋とある
 
 中津川の集 落を抜けると、また寂しい道に戻る。ここより下流の塩沢と言う地(旧大滝村大字大滝字塩沢)から中津川集落までの約10Kmの谷は中津峡と呼ばれ、深いV 字谷が続き、秋には紅葉が美しく、県の名勝となっている。
 
 妻がその中津峡を是非見たいと言ったので、 やって来たことがある。わたしの記憶ではあまり渓谷美らしいものはなかたっと思った。やはり改めて見ても、それ程目を楽しませる谷の眺めはない。どうも妻 は、切り立つ崖を削って濁流が流れ、大岩がゴロゴロする様な壮大な渓谷を想像していたらしい。栃木県の鬼怒川などのイメージだろうか。そんな渓谷に比べる と、中津川はもう少しやさしい。わたしは見たことがないが、紅葉の頃の中津峡なら美しいのだろう。
 
 中津川集落を離れて少し行くと短いトンネルが あり、そこを抜けると県道210号への合流点である「出合」(であい)である。

中津川の集落を過ぎた (撮影 2011. 7. 4)
この先にトンネルが現れる
 
 
市道の起点、出合
 
 中津川にそ の支流の神流川が流れ込む地点を出合(であい)と言う。中津川下流から遡行して来た県道210号・中津川三峰口停車場線は、出合から神流川沿いへと進路を 変える。三国峠から下って来た秩父市道は、その部分で県道に接続する。
 

出合 (撮影 2011. 7. 4)
左のトンネルを抜けて県道が延びる

この時、出合のトンネルは工事中 (撮影 1999. 7.24)
中津川沿いとは反対側から見る
 
 そこが市道 の起点であり、良く見れば左手に起点を示す木柱が立っている。「秩父市道 194号線 起点」とある。大滝村から「秩父市」と変更してあるので、最近書き換えられた物と分る。しかし、市道17号だったのではないかと思うのだが、その辺りの 事情は不明である。
 
 とにかく、ここを起点とし長野・埼玉国境の三 国峠まで、峠道の道程は約20Kmである。その間、17Km強が未舗装だ。なかなか手強い峠道であることには今も変わりない。
 
 ところで、神流川方向に続く県道が面白い。中 津川沿いから分かれて直ぐに、変わったトンネルをくぐるのだ。とても短くて何だかコンクリート製の門の様である。
 
 1999年7月に来た時は改築工事をしてい て、それ以後現在の形になったのだと思う。その前から、暗くて何となく気味の悪いトンネルだった。県道の先は八丁峠(トンネル)を越えて小鹿野町に入り、 群馬との県境を成す志賀坂峠のトンネル坑口横にまで抜けられる。楽しい道なので、何度か行ったことがある。県道を中津川沿いに遡って来て、出合から八丁峠 へと向かう時、そのトンネルを抜けるのだが、最初は本当にこの道で良いのかと怪しんだ。どちらかと言うと、三国峠へ向かう中津川林道の方が本線に思えた。
 
 出合から先には大黒とか小倉沢の字が見える。 以前は字小倉沢に小学校と中学校があったそうだが、現在は出合から先に人家を見なかったように思う。鉱山で栄えた集落だったのか。

秩父市道の基点の木柱 (撮影 2011. 7. 4)
向こうに「トレーラー等 通り抜け出来ません」 の看板
 
 
出合以降
 

出合以降の道 (撮影 2011. 7. 4)
 出合で県道 になってからは、もう三国峠の峠道としての色合いは薄いが、もう少し道を進める。
 
 県道を暫く行くと、センターラインがある立派 な道となる。下流に滝沢ダムが造られた関係もあるのだろうか、その後センターラインはほとんど途切れることなく続いていく。
 
 1990年前後からここには何度か訪れている が、最初の頃は渓谷の岩壁に阻まれ、非常に狭い箇所が幾つもある道だった。2車線幅の快適な道が続いたかと思うと、次の瞬間、崖にへばり付く様な、車一台 がやっと通れる幅しかない道に変貌した。それが何度も繰り返され、ドライバーには緊張が強いられた。これなら終始狭い方がましだと思う程だった。
 
 現在は、トンネルや橋が多用され、ストレスの ない快適な道となった。しかし良く見ると、新設のトンネルや橋の脇には、旧道の痕跡が残っていたりする。 
 

中津川沿いに快適な道が続く (撮影 2011. 7. 4)
以前はこんなに快適ではなかった

道の中央に大木が残されていた (撮影 2011. 7. 4)
 
 中津川の集 落以降、ほとんど人家はなかったが、途中で中双里(なかそうり?)の比較的大きな集落がある。中津川の右岸を走っていると、対岸の斜面に人家の一塊が見え る。中津川の支流・井戸沢を中心に人家が集中している。
 
 中双里集落に近い県道脇に「標高六二五米」と 書かれた標柱が立っている。中津川集落では約740m。一方、長野県側の川上村梓山では約1310mだ。600m近いかなりの標高差があり、埼玉県側の峠 道の方が険しいことを物語っている。

中双里の集落 (撮影 2011. 7. 4)
中央に井戸沢が流れる
 

雷電三高山トンネル手前 (撮影 2011. 7. 4)
右手に旧道が分岐
 道は快適に なったが、それでも昔と道筋は大きくは変わらない。しかし、雷電三高山トンネルと言う比較的長いトンネルを抜ける頃から、様相は一変する。トンネル手前の 中津川を渡る前に、右手に分岐がある。そちらが旧道で、昔の道はそのまま中津川の右岸を遊仙橋まで進み、その橋で左岸に渡っていた。滝沢ダムに水が貯めら れ始め、既にその旧道の先は水没していることと思う。
 
 
国道140号に出る
 
 旧道と別 れ、県道は中津川の左岸を行く。橋とトンネルで谷の高みを進む。また一つトンネルを抜けたと思うと、出口で国道140号に突き当たった。左は秩父、右は甲 府とある。
 
 国道140号は雁坂峠(雁坂トンネ ル)に続く道であり、ここはもう雁坂峠の峠道の領分である。しかし、昔の国道は南の尾根一つ隔てた栃本の方に、か細く通じていた。それが雁坂トンネルや滝 沢ダムの建設に伴い、国道が中津川沿いに進出してきてしまったのだ。国道はダム湖の上流を中津川大橋で渡り、尾根を大峰トンネルで抜け、また荒川沿いの川 又へとちゃっかり戻って行く。
 

前方のトンネルを抜けると国道140号に出る  (撮影 2011. 7. 4)
右手奥に中津川大橋が見える

国道140号に出た (撮影 2011. 7. 4)
道路標識には下記のようにある
国道140号方向 長瀞 秩父
県道210号方向 中津川
 
 現在の国道 140は昔の関所があった栃本を飛ばし、その先の川又付近で元のコースに戻る。川又にちょっとした休憩場所があり、そこに付近の案内看板が立っている。そ れが参考になるので、ここにいくつか掲載する。

川又にあった案内図 (撮影 2001. 7. 1)
ちょっと古い物
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川又にあった案内図 (撮影 2011. 7. 4)
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川又にあった案内図 (撮影 2011. 7. 4)
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旧道のこと
 

右手に中津川大橋が見える (撮影 1999. 7.24)
 雁坂峠越え の国道140号に出てしまったら、さすがにもう三国峠とは縁がないが、しからば昔の道を少し回想する。
 
 左の写真には中津川大橋とその先にトンネルの 坑口が写っている。これを写したのは下の写真の所である。ここは中津川右岸で、遊仙橋から500m程上流の地点と思う。道路標識に大きく県道番号の210 と中津川の文字がある。停めたジムニーの左横より、道が一本始まっている。中津川大橋から続く大峰トンネルの坑口へと登って行った仮設の道だと思う。この 場所は既に滝沢ダムの湖水の下であろう。
 
県道210号を中津川方向に見る (撮影 1999. 7.24)
左手に登る道は、中津川大橋の袂に出る道と思う
側らにジムニーが停まる
その付近から前の写真も撮った
 
 右の写真は 遊仙橋を左岸に渡って、下流方向を見ていると思う。昔の道はここから下流方向には、左岸しか道はなかった。それがとても狭かった。崖の中腹にへばり付く様 に設けられた道で、車一台分の幅しかない。対向車と離合するには、途中に設けられた谷に張り出した狭い待避所でやり過ごす。
 
 この道が休日ともなると、中津峡などをお目当 ての観光客で混雑するのだ。数台の車の列ができただけでも大変なのに、後から後から車が連なることになる。それはそれは恐ろしい光景だった。三国峠の峠道 では、長い未舗装路の中津川林道よりも、何と言ってもここが一番の難所であった。
 
 この遊仙橋付近も当然湖の底だろうが、遊仙橋 の標高は491mで、支流の入波沢が流れ込む地点より100m程下流の中津川に架かっていた。現在の国道140号には、その入波沢に新遊仙橋が架かってい る。入波トンネルと浜平トンネルの間の橋だ。浜平トンネルの上流側坑口付近の湖底に遊仙橋があったのだろう。

遊仙橋より下流の左岸の旧道 (撮影 2001. 7. 1)
ここは最大の難所
 

どこかの工事現場 (撮影 2001. 7. 1)
 2001年 7月に訪れた時は、左岸の旧道は通れなかったが、遊仙橋の袂には行けた。上を通る新しい国道より遊仙橋の袂に下りる道が着けられていたようだ。
 
 遊仙橋からはどの様な経路か覚えていないが、 中津川林道へと向かった。その途中で左の写真を写している。谷間の中腹に道を開削している最中だが、そこがどこだか特定できないでいる。
 
 遊仙橋より 下流は、一時期右岸の高みを通る道が新しく開削され、左岸に国道が開通するまで、そのバイパス路の役目を担った。右の写真は遊仙橋の右岸の袂より、その道 の方向を見ている。この時は、既に左岸に国道が通じていたらしく、右岸の道は車両進入禁止となっていた。
 
 写真には遊仙橋の物らしい橋の欄干が僅かに 写っている。この橋も既に湖底である。うる覚えだが、この橋の付近には浜平の集落の人家があったような気がする。

遊仙橋の右岸の袂より下流方向を見る (撮影 2001. 7. 1)
左端に遊仙橋の欄干が僅かに写っている
 

右岸から中津川対岸を望む (撮影 1999. 7.24)
 1999年 7月に訪れた時は、右岸の高みを通るバイパス路を走ったようだ。対岸を眺めると、新しい国道の建設真っ最中であった。左の写真がその一枚だ。ダム建設に関 係して、一番上を通る国道以外にも、何筋かの道が造られている。その中で、一番下を通るのが旧道ではないかと思う。あの、三国峠へ続く道の最大の難所の姿 ではないだろうか。しかし、確信はない。ここも水の底で、今となっては確認のしようがない。
 
 国道が通じてからも2005年6月の時点で は、まだ湖に水は貯められていなかった(下の写真)。
 
水を湛える前の滝沢ダム (撮影 2005. 6.26)
上流側から見る
 

水を湛える前の奥秩父もみじ湖 (撮影 2005. 6.26)
滝沢ダムの直ぐ上流側で、上の写真の続き

左の写真の続き (撮影 2005. 6.26)
 
 滝沢ダムの 下流には、中津川の谷間に大きな円を描いて大規模なループ橋ができた(下の写真)。このループ橋が架かる付近も、昔は中津川の左岸に、か細い道が一本通じ ているだけだった。ダムの工事途中には、ループ橋以外にも沢山の仮設の道が築かれ、何が何だか分らない状態だった。縦横無尽に何本も走る道の中には、旧道 もあったのだろうが、はっきりこれと特定はできなかった。
 

ループ橋 (撮影 1999. 7.24)
右岸の高みから下流方向に見る

ループ橋 (撮影 1999. 7.24)
ダムがある上流方向に見る
 
 三国峠へ続 く中津川沿いの道は、更に下流の国道140号が落合橋で中津川を渡った先から分岐していた。ここで中津川も本流の荒川から分かれていた。秩父市街から荒川 沿いの国道140号を落合橋まで来るだけでも、遥々山の中へとやって来たなと思えた。一度、自宅からの走行距離は調べたことがある。地図に書き込まれてあ る値は、93Kmであった。東京郊外から青梅、秩父と一般道を走り繋いだ93Kmは長かった。
 
 落合橋を渡った先の信号機で、左は山梨県へ続 く雁坂峠の道、右は長野県へ越える三国峠の道と分かれ、ここが旅の大きな岐路となった。ある時はまだ雁坂トンネルが開通していない頃の栃本や川又を訪ね、 ある時は三国峠を越えて信州への旅に出た。三国峠の峠道は、この落合橋を渡った時から既に始まっていたのだった。
 
  
 
 ダム建設で 大きく変貌した中津川であり、昔の道が懐かしく思い出され、グダグダと長く書いてしまった。掲載した写真の枚数もついつい多くなり、これではホームページ のメモリ容量が不足するのではないかと心配になる。それにつけても、険しい未舗装の林道と、あの見事な姿の峠が、20年前と比べても、さほど変わりがな かったのは、嬉しい限りだと思う三国峠であった。
 
 
 前編の長野県側があります → 三 国峠前編(長野県側)  
 
 また、過去に掲載したページもあります  → 三国峠
 
 
<走行日>
・1991 以前に1、2回 (走行日不明)
・1991. 9.23 川上村→大滝村(ジムニー)
(1992. 9. 5 出合から八丁峠へ)
(1995. 4.29 出合から八丁峠へ)
(1999. 7.24 出合から八丁峠へ)
(2001. 7. 1 中津川林道の未舗装路の始まる所まで)
(2005. 6.26 天丸峠から出合へ)
・2011. 7. 4 川上村→秩父市パジェロ・ミニ)
(その他、川上村と大滝村に何度か訪れる)
 
<参考資料>
・昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年 1月発行
・昭文社 ツーリングマップル 3 関東  1997年3月発行
・昭文社 ツーリングマップル 3 関東甲信越  2003年4月発行
・昭文社 県別マップル道路地図 埼玉県  2007年3版14刷発行
・昭文社 県別マップル道路地図 長野県  2004年4月発行
・エスコート WideMap 関東甲信越  (1991年頃の発行)
・角川書店 角川日本地名大辞典 11 埼玉県  昭和55年7月8日発行
・角川書店 角川日本地名大辞典 20 長野県  平成3年9月1日発行
・国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図
・その他(インターネットでの検索など)
 
<Copyright 蓑上誠一>
   
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