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三田坂
  みたさか  (峠と旅 No.346)
  三田坂トンネルの開通で旧峠として残る峠道
  (掲載 2025.11.29  最終峠走行 2001. 5. 5)

   
   
   
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三田坂 (撮影 2001. 5. 5)
この峠は、峠前後で住所は変わらないようだ
代わりに、道の東側(写真向かって左側)は三重県伊賀市音羽、
西側(写真向かって右側)は同市諏訪になるらしい
道は旧国道422号線
峠の標高は350m弱 (地理院地図の等高線より)

この峠には比較的最近になってトンネルが通じた
その為、現在の峠は旧道の身である
ただ、私が越えた時はまだまだ現役の国道だった

   
   
   

   

<小さな峠>
 今回の峠はまた小さな峠で、これまで地図にその名が記されているのを見たことがない。峠は市町村などの主な行政区画の境になっていないので、どこが峠だかはっきりしない。そもそもそこに峠があることさえ気付かない程だ。 今ならネットが発達しているので、丹念に検索すれば峠名程度は分かるかもしれない。しかし、わざわざ時間を掛けて調べる程、興味を引く峠ではなかった。これまでたった一度しか越えたことがなく、ずっと名前も知らないままだった。

   

<三田坂トンネル>
 ところが、最近の地図を見てみると、峠の近くに「三田坂トンネル」と呼ばれるトンネルが開通していた(地理院地図)。 「三田坂」とは多分、元の峠の名である可能性が高い。早速「三田坂」とネット検索してみると、やはり今回の峠の名であることが判明した。そこで折角だから掲載しようと思い立った訳である。 このところ紀伊半島・紀伊山地の峠を掲載してきたが、今回の峠は位置的にはちょっと外れる。それでも紀伊半島の付け根に近いので、いいこととする。

   

<所在>
 峠道は三重県伊賀市(いがし)諏訪(すわ、地理院地図)と同市三田(みた、地理院地図)を結んでいる。尚、伊賀市は2004年(平成16年)11月1日、上野市(うえのし)や阿山郡(あやまぐん)阿山町(あやまちょう)などが合併して誕生している。それ以前は諏訪も三田も上野市の大字であった。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<国道422号>
 三田坂は元は国道422号線の峠だった。国道422号は滋賀県の琵琶湖が瀬田川へと流れだす大津市瀬田(せた、地理院地図)を起点に、概ね紀伊半島を南北方向に縦断し、現在では熊野灘に面する紀伊長島(現紀北町、地理院地図)に至るようだ。ただ、私が所有する最も古いツーリングマップ(関西 2輪車 1989年7月発行 昭文社)では、上野市以南にはほとんど国道422号は存在しない。現在でも庄司峠(地理院地図)や池坂越(地理院地図)の前後は国道未開通の様である。
 
<小さな峠の連続>
 国道422号は桜峠(地理院地図)付近で滋賀県から三重県に入り、丸柱(まるばしら、地理院地図)から小さな峠(名前不明、地理院地図)を越えて諏訪、更に三田坂で三田に至る。ちょこちょこと小さな峠の連続でやっと広大な上野盆地へと下って来る。現在、桜峠などは立派な道になっているが、かつては三田坂と比べても決していい道ではなかった。そして遂に三田坂にも新しくトンネルが通じた。

   

<水系>
 諏訪側は払子川(ふっこがわ)水域になる。現在の三田坂トンネルは直接払子川上流部に位置する諏訪集落へと至る(地理院地図)。 ところが、峠の三田坂は一旦払子川下流側の支流(地理院地図)を過ぎ、そこから峠か何だか分からないような分水界(地理院地図)を越え、やっと諏訪集落へと下る。 正確には諏訪と三田との間には2つの峠が存在することになるのだ。ただ、峠道の役割としては諏訪と三田の2集落間を結んでいることに変わりなく、ここでは一つの峠道として扱ってしまう。ただでさえ小さな峠を2分割しては、たまったものではない。
 
 払子川は河合川(かわいがわ、地理院地図)から柘植川(つげかわ、地理院地図)へと注ぎ、更に服部川(はっとりがわ、地理院地図)、木津川(きづがわ、地理院地図)、淀川(よどがわ、地理院地図)へと流れ下る。淀川は大阪湾に注ぐ淀川水系を成す。
 
 一方、峠の三田方面側には浅子川(あさこがわ)が流れ始め(地理院地図)、
柘植川を合わせた直後の服部川に注ぐ(地理院地図)。ただ、浅子川の水域は小さい。
 
 よって、峠道は全て服部川水域にあり、その支流の浅子川と柘植川の分水界上にあることになる。余談だが、淀川本流の最上流が瀬田川である。国道422号の多くはこの淀川水系に通じている。

   

<峠名>
 峠名の「三田坂」とは諏訪方面から「三田へと越える坂道」というような意味に取れる。古くは京都が日本の中心であり、京都から全国各地へと道が延びて行った。より京に近い諏訪側から見て、地方の三田へと越える峠として「三田坂」と呼ばれるようになった様に思う。
 
<三田>
 「三田」と呼ばれる地は江戸期からの三田村で、文献(角川日本地名大辞典)では地名の三田は普通に「みた」と読むように記されている。それに「坂」がついたので、「三田坂」は「みたさか」または「みたざか」となろう。 ただ、ネット上では「みったざか」ともしている。発音のし易さからそのように呼ぶこともあるのかもしれない。
 
 尚、三田村は明治22年(1889年)に大谷村・野間村と合併してできた新しい三田村の大字三田となり、更に昭和16年に上野市の大字、平成16年からは伊賀市三田である。
 
<三田郷(余談)>
 ところで、近世・江戸期の郷名として「三田郷」がある。三田村を中心とした一帯の広域的な総称だそうで、三田・諏訪(当時は比曽河内)・音羽・丸柱などの村が所属した。「三田坂」のいわれがその「三田郷」とすると、厄介なことになる。 「三田郷にあった峠」という意味になってしまう。ただ、それだとその付近の峠全部が「三田坂」となる。やはり狭い範囲の三田村が峠名の語源だろう。

   
   
   

三田より峠へ

   

<紀伊半島の旅(余談)>
 紀伊半島は好んでよく旅をした。しかし、宿泊に困ったことが多い。まず、紀伊山地の山間部でもどういう訳かいい野宿地に恵まれなかった。また、宿泊施設を探すのにも苦労した記憶がある。 沿岸部には比較的大きな都市が多いが、それでもビジネスホテルの類は新宮市などの一部に限られた。野宿の代わりに急遽宿に泊まろうとするのだから、前もって予約が必要な観光地の温泉旅館などより、当日予約が可能な都会のビジネス向けの宿の方が利用し易いのだ。
 
<伊賀上野(余談)>
 そんな紀伊半島の旅で、2000年から3年続けて偶然ながら同じホテルに泊まった経験がある。場所は上野市、通称では「伊賀上野」と言った方が通りがいいだろう。 上野市は紀伊半島と言っても、もうその付け根付近であり、紀伊山地の山々からは離れている。それでも紀伊半島を旅する上で、拠点となるいい位置にある。上野盆地に広がる上野市街は賑やかで、宿も求め易かった。
 
<避溢橋>
 現在は上野市に代わって伊賀市になっているが、その市街地を南北に国道422号が通じている。そこを北に向かうと、まず大きな伊賀上野橋で服部川を渡る(下の写真)。続いて、ちょっと分かり難いのだが、避溢橋(ひえつきょう、ひいつきょう)という小さな橋を渡る(地理院地図)。その下に今回の峠を源頭とする浅子川(あさこがわ)が流れている。浅子川はその後直ぐに排水樋門を抜けて服部川に注いでいる。地形的な観点からすると、今回の峠道の三田側起点はその避溢橋ということになる。

   
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伊賀上野橋で服部川を渡る (撮影 2001. 5. 5)
続いて峠道の起点・避溢橋が架かっている
前方には三田坂が通じる山並みが連なる

   
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正面に伊賀上野駅 (撮影 2001. 5. 5)

<伊賀上野駅(寄り道)>
 伊賀上野橋からそのまま真っ直ぐ進むと、正面にJR関西本線の伊賀上野駅が出て来る(地理院地図)。この駅を含んだ一帯が三田の地である。ただ、伊賀上野駅は上野市街の北の端に位置し、商業などで賑わっている訳ではない。市の中心地は伊賀鉄道の上野市駅周辺である。それもあってか、伊賀上野駅は今でも変わらぬ素朴な佇まいを残している。

   
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伊賀上野駅の様子 (撮影 2001. 5. 5)
昔ながらの素朴な佇まい

   

<三田の住宅街>
 現在の国道422号は東に大きく迂回して三田坂トンネルを目指すようだが、かつての国道はほぼ浅子川沿いに小さな踏切で単線の関西本線を渡り(地理院地図)、駅の裏手の方角に進む。周辺には三田の住宅街が広がる(地理院地図)。国道などという厳つい雰囲気は全く感じられない。住宅地に通じる路地とった面持ちだ。新しい国道が大きく東に換線されたのは、こうした以前からの住宅街を迂回する必要があったのだろう。住宅街は緩傾斜地に広がり、道は既に僅かながらも峠への登りを開始している。

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三田の住宅街を進む (撮影 2001. 5. 5)
ここは旧国道422号

   
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三田の住宅街を抜けた (撮影 2001. 5. 5)

<郊外へ>
 住宅街を500mも進むと、人家がまばらになり、郊外の様相に変わる(地理院地図)。 沿道には耕作地や竹林などが見え始める。ただ、まだ浅子川の谷は浅く、開けた雰囲気だ。道も直線的で、見通しがいい。

   

<山間部へ>
 それも束の間、セメント工場らしき建物の前を過ぎると(地理院地図)、その先道は林の中へと入って行く。同時に屈曲も多くなる。全くと言っていい程、視界は広がらない。ただただ、道の狭さばかりが気になって来る。これで対向車が来たらどうしたらいいんだと、不安になるような箇所もある。
 
<峠間近>
 それでも峠に近付くとやや視界が広がる箇所も出て来る。但し、わざわざ車を停めて眺めるような景色には恵まれない。元々、峠の標高もそれ程高くない。

   
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林の中を登る (撮影 2001. 5. 5)
峠間近く(地理院地図)になり、やや空が開けた

   
   
   

   

<峠の切り通し>
 伊賀上野駅付近から6Km程で峠に着く。道程は短く、途中見るべき物はなく、大した分岐もない。ただただ車を走らせるだけの道だった。峠はそこだけ幾分道幅が広くなっていて、道の最高でもあり、場所は分かり易い。 峠の東側がコンクリート擁壁になっている浅い切り通しであることも目印になる。ただ、地形図では峠前後の勾配が緩く、等高線だけではなかなか正確な場所が特定し難い。 通常、峠は何らかの行政区画の境になっているものだが、三田坂は何の境でもないので、これも苦労の種だ。

   
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三田坂 (撮影 2001. 5. 5)
三田方面から見る

   

<旧道?>
 地形図を見ていて気になるのは、車道の峠とは別に徒歩道の峠があることだ(地理院地図)。標高は20〜30m高い。車道開通前の旧道かとも疑われるが、何の手掛かりもない。

   

<諏訪と音羽>
 峠の前後で行政区画は変わらないが、道を挟んで東西で行政区画が異なるようだ。西は伊賀市諏訪(すわ)で、東は伊賀市音羽(おとわ)となる。古いツーリングマップでは音羽側は阿山郡の阿山町(あやまちょう)になっていた。 すなわち上野市と阿山町の市町境であった。阿山町も平成16年に伊賀市の一部となっている。

   
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諏訪方面から見る三田坂(再掲) (撮影 2001. 5. 5)
道の左側は音羽、右側は諏訪

   

<音羽(余談)>
 音羽の読みは文献(角川日本地名大辞典)では「おとば」となっていたが、最近は「おとわ」が一般的なようだ。集落は払子川(ふっこがわ)中流域に位置する(地理院地図)。
 
 音羽へのアクセスは基本的に東の下流側にある波敷野(はじきの、地理院地図)から道が延びて来ている。 音羽から先は、払子川上流の諏訪と、一峰越えた丸柱(まるばしら、地理院地図)へと道が分かれる(地理院地図)。
 
 かつて、音羽と諏訪(当時は比曽河内村)、丸柱の3ヶ村が合併し、明治22年に丸柱村が誕生している。お隣同士の集落だった訳だ。 その後、昭和30年に比曽河内(ひそがち、そがち・ひそかわち・ひそかはち等とも)は上野市に編入されて「諏訪」と改称、音羽と丸柱は阿山村に編入となったそうだ。
 
<音羽と三田坂>
 こう見て来ると、音羽の地と三田坂の峠道は、あまり強い繋がりはなかったかのように思える。ただ、音羽から峠近くに軽車道が延びて来ている(地理院地図)。こちらは既に廃道寸前だろうが、他に立派な車道も通じている(地理院地図)。この後、三田坂を越えれば伊賀上野駅に至り、その先繁華な上野市街へも最短で出られる。
 
 三田坂は、基本的には諏訪と三田を結ぶ峠道だろうが、音羽集落に とっても上野市街へと買い物などに出掛ける生活路としての役割があるのかもしれない。ただ、折角開通した立派な三田坂トンネルの方は、音羽の住民にはちょっと利用し難いように思う。 一旦諏訪に出て、そこから戻るように上野市街を目指すことになる。

   
   
   

諏訪へ下る

   

<諏訪方面へ>
 峠から先、道は暫く伊賀市諏訪と伊賀市音羽の境のような所を進む。音羽方面から登って来た道を合わせた後は、ちょっと高原状のような広い平坦地を過ぎる。道は下ったかと思うと、また若干登っているようだ。
 
 直ぐに払子川の支流同士の分水界を過ぎる(地理院地図)。標高は三田坂より高く、350mを超えているようだ。ここも一つの峠なのかもしれないが、車で走っているとそれと気付かず通り過ぎてしまう。

   

<諏訪>
 その分水界を過ぎて道はやっと諏訪の地に入る。払子川最上流にその集落は位置する。古くは丸柱村の大字比曽河内(ひそがち)で、その後上野市の大字諏訪となった。「比曽」は木材(檜曾、ひそ)を産したもの、「河内」は払子川とその支流の釜尾谷川(地理院地図)、青木谷川(地理院地図)の3川が合流する地であることを意味したのではないかとのこと。

   

<三田坂バイパス>
 三田坂トンネルを抜ける新道は、「三田坂バイパス」と呼ばれるようだ。平成30年2月25日開通とのこと。旧道は丁度下の写真の箇所で三田坂トンネルを抜けて来た三田坂バイパスに接続している(地理院地図)。最近は便利なもので、グーグルのストリートビューで現在の様子が分かる(ストリートビュー)。全く別の場所かと見間違うばかりの変わりようだ。

   
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諏訪に下る (撮影 2001. 5. 5)
現在はこの付近で三田坂バイパスに合流している

   

<終点>
 諏訪集落が三田坂の終点(北側の起点)となる。諏訪は昭和30年に比曽河内から改称された名だったが、その由来は地内中央にある鎮守・諏訪神社(地理院地図)にちなむとのこと。もう滋賀県との県境に近い土地だが、払子川沿いに比較的広い平坦地が広がる。予想外に大きな集落で、下流側の音羽集落と比べても人家の数は多そうだ。「河内」の名の由来が納得させられる。
 
<丸柱へ(余談)>
 国道422号は諏訪にちょっと立ち寄ると、また次の峠へを目指して登りを開始する。その峠は払子川と丸柱川(河合川の支流)との分水界上に位置する(地理院地図)。一応、峠の様子は写真に撮って置いた(下の写真)。こちらも名前は分からなかったが、峠とあらば律儀にも立ち止まってシャッターを切っていた。

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諏訪集落の外れ (撮影 2001. 5. 5)
国道422号を丸柱へと進む(地理院地図

   
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国道422号の伊賀市諏訪と同市丸柱との境の峠 (撮影 2001. 5. 5)
手前が丸柱、奥が諏訪
この峠に名前があるかは不明
近くに学校があったようで、「スクールゾーン」の看板が立つ

   

<伊賀コリドールロード(余談)>
 国道422号の桜峠は比較的早くから改修され、三田坂も最近になって三田坂バイパスが完成した。一方、諏訪と丸柱との間の峠道だけは、ほぼ昔のままで残されているようだ。 これではその峠が国道のボトルネックになってしまう、と思ったら、「伊賀コリドールロード」と呼ばれる別の道が完成しているらしい。 国道より一本西側に通じているが(地理院地図)、この道筋は古くから存在していた。 それを快適な2車線路として整備し、「伊賀コリドールロード」と名付けたようだ。丸柱集落を通らない為か、その区間は国道には指定されていない。 しかし、滋賀県から桜峠を越えて三重県の上野市街まで、センターラインのある一筋の道が通じたことになる。三田坂などの幾つもの小さな峠をトコトコ越えていた時代とは、雲泥の差であった。

   
   
   

<おわりに>
 国道422号に関してこれまで掲載した峠があったかと調べてみると、たった一つ、湯谷峠(トンネル)があった。 丁度、国道未開通の庄司峠と池坂越の間を繋ぐ峠道になる。湯谷峠には国道に昇格する前の主要地方道・紀伊長島飯高線が通じていた。早くから(1979年)湯谷トンネルが開通し、それ程険しい峠道ではなかった。 トンネル上部の旧道を探索していて、蛭の被害に遭ったことばかり記憶している。
 
 湯谷峠以外に国道422号上に面白そうな峠がないかと探したが、あまり目ぼしいものは見付からなかった。強いて掲載するなら、滋賀・三重県境近くの桜峠だろうか。改修直前のまだ狭い桜峠を訪れたことがある。 ただ、このところこじんまりした峠ばかり続いているので、ちょっと目先を変えたいとも思う、三田坂の峠であった。

   
   
   

<走行日>
・2001. 5. 5 三田→諏訪/ジムニーにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名体系 24巻 三重県の地名 1983.5.20 初版第一刷 (株)平凡社
・伊賀市のホームページ、旧阿山町のホームページ
・その他の道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2025 Copyright 蓑上誠一>
   
   
   
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