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鹿路庭峠
  ろくろばとうげ  (峠と旅 No.231)
  新旧2つの峠を観光道路が結ぶ峠道
  (掲載 2015. 3.15  最終峠走行 2015. 1.20)
   
   
   
鹿路庭峠 (撮影 2015. 1.20)
県道112号(手前)が県道111号(前方)に突き当たる場所
手前が伊豆市(旧中伊豆町)冷川(ひえかわ)方面
伊東市池(いけ)との境は県道111号を左に少し行った所にある
標高は510m〜520m(国土地理院の地形図より)
正面は行止りのようだが、実は林の向こうに下る山道があるようだ
   
   
   
<峠名>
 「ろくろばとうげ」とは、なかなかカッコいい響きのある峠名だ。 ただ、漢字の「鹿路庭峠」は、やや厳(いか)つい感じがする。 「鹿路庭」を角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)で検索しても、何もヒットしない。 地名としての「鹿路庭」はないようである。 この峠にだけ付けられたものか。
 
 「鹿」の字が使われているので、この峠名には鹿にまつわる由来がありそうだが、詳しいことは分からない。
 
<特徴>
 分からないと言えば、この峠に関しては不可解なことが多い。 そもそも峠がT字路というのはどういうことか(上の写真)。 峠の伊東側は県道111号で、伊豆市側は県道112号と道が変わるのだ。 それに、鹿路庭峠は新旧2つある。 道筋や峠が複数あり、この峠の実態は複雑だ。 今回、少しでもその状況がつかめると良いのだが。
   
<所在>
 峠は伊豆半島の天城連山(天城山脈)から連なる主脈上に位置する。 伊豆の中央部を占める狩野川(かのがわ)水系と伊豆半島東岸地域を分ける山脈上だ。 峠の東岸側は伊東市、中央部側は伊豆市、旧中伊豆町となる。
   
   
伊東市側より峠へ
   
<伊東市>
 伊豆半島は全体が観光地のようだ。特に東海岸の熱海から伊東、下田、石廊崎に掛けて、観光名所がずらっと並ぶ。 熱海は別格として、伊東もなかなか賑っている。 国道135号を走っていると、華やいだ感じがする。
   

伊東市広域図 (撮影 2015. 1.19)
小室山麓の駐車場脇にあった看板より
地図には鹿路庭峠の記載がある(参考まで)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

伊東市案内図 (撮影 2015. 1.19)
一碧湖駐車場脇にあった看板より
地図には鹿路庭峠の記載がある(参考まで)
地図は下が北
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<県道111号へ>
  鹿路庭峠へは国道135号から分かれ、県道111号に入る。交差点名は「グランパル入口」で、さすがに観光地らしく交差点名も変わったものだ。県道111 号は伊豆スカイラインへと接続するので、その案内看板が掛かっている。交差点角には何やらサボテンのオブジェクトが立ち、有名な伊豆シャボテン公園のこと を指しているらしい。

国道135号から県道111号分岐 (撮影 2015. 1.20)
国道上を熱海方向に見る
   

道路看板 (撮影 2015. 1.20)
<遠笠山富戸線>
 県道名は遠笠山富戸線で、伊東市の富戸(ふと)から鹿路庭峠を横切り、 伊豆市側の稜線近くを遠笠山(とおがさやま)方面に至る。 一度遠笠山方面まで行ってみたことがあるが、結局ゴルフ場で行止りとなる県道だった。 途中、天城高原別荘地の脇を過ぎるが、関係者以外立ち入り禁止で、県道はどこにも抜けられず、引き返しとなった。
   
<伊豆シャボテン公園(余談)>
 伊豆の地は、以前の自宅から程良い距離で、1泊か2泊くらいの手頃な旅ができる恰好な旅先だった。 もう10回近く旅をしている。 以前は天城連山に並ぶ山々の中に通じる未舗装林道を走り、夜は林道脇の空地で野宿するといった旅をしていた。 しかし、最近では国民宿舎や簡保の宿、国民休暇村などに泊まり、一般の観光地にも立ち寄るという旅行に変わってきている。 今回も、名前だけは知っていたがこれまで一度も行ったことがなかった、伊豆シャボテン公園に入ってみるのが最大の目的だった。
 
 ただ、サボテンには興味はない。 妻はそうした植物が好きだが、私は動きのある動物の方が好きである。 最近の伊豆シャボテン公園は、植物園と言うより動物園の色彩が強い。 特に売り物なのは、カピバラの露天風呂だ。

カピバラ (撮影 2015. 1.20)
伊豆シャボテン公園にて
   

大室山を望む (撮影 2015. 1.20)
伊豆シャボテン公園より
 園内には3箇所にカピバラがいる。 露天風呂は客が殺到するが、お勧めは餌付けができるコーナーだ。 カピバラと直に触れあえる。 あの何ともとぼけた顔を間近に見ていると、自然と気が和む。
 
<大室山>
 この付近で目立つランドマークは大室山(おおむろやま)である。 見事な円錐形の山容が目を引く。 県道111号は大室山の南麓に通じているが、シャボテン公園や大室山へのリフトは北麓側にあるので、 県道ではない北麓側の道を通ることが多い。
   
大室山より伊豆シャボテン公園を望む (撮影 2003. 7.26)
大室山の北東麓方向
   
<大室山南麓を通る県道112号>
 大室山より南麓方向を眺めると、遠くに天城連山の山塊がどっしり構えている(下の写真)。 目を下に向けると、一つの谷が通じている。 谷底の平坦地には山際ギリギリまで水田が切り開かれているようだ。 道路地図を見ると、その谷に沿って県道112号が通じているが、上流側の山際の手前で途切れている。 県道112号と言えば、鹿路庭峠より伊豆市側に下る道である。 本来一本である県道112号が、峠の伊東市側が未開通になっているのだった。

大室山の火口を望む (撮影 2003. 7.26)
   
大室山より南麓方向を望む (撮影 2003. 7.26)
下の谷の右手奥に鹿路庭峠が位置する
   
<隠れた十字路>
 国土地理院地形図を 見ると、それは一目瞭然だった。 鹿路庭峠は実は隠れた十字路なのである。 伊東市側の途切れた県道112号に続き、点線で描かれた道が谷の上流部の山を登り、鹿路庭峠にまで到達していたのだ。 この点線の道を含めると、鹿路庭峠はT字路ではなく、何と十字路なのである。 これまで、伊東市側から鹿路庭峠に登るのは県道111号とばかり思い込んでいたので、これにはちょっと気付かなかった。 それに、県道111号沿いに旧峠が存在するのだ。 これはどう解釈すればいいのだろうか(後述)。
 

上の地図はマウス操作による拡大・縮小・移動が可能なようです。
   
   
県道111号を峠へ
   
 カピバラと暫し戯れた後、大室山の西側で再び県道111号に乗る。 交差点の正面には蝋人形美術館(メキシコ館)が立っている。 この近辺には博物館やら美術館が多い。中には得体の知れないものもある。 「怪しい少年少女博物館」という看板を何度も見掛けた。
   

大室山北麓の道から県道111号に出る (撮影 2015. 1.20)

県道111号と合する交差点 (撮影 2015. 1.20)
正面は蝋人形美術館(メキシコ館)
峠へはここを右折
   

県道111号を進む (撮影 2015. 1.20)
 県道111号沿いには「天城高原ゴルフコース」の看板が立つ。 県道111号の終点にある。 黄色の看板で「凍結のため 通行注意」ともある。 県道終点付近は標高1,000mを超える。
 
<伊東市池>
 県道標識に示されている地名は「伊東市池」となっている。 池(いけ)は鹿路庭峠の伊東市側の地名だ。 よって、峠に至るまで県道標識ずっと「伊東市池」である。
   
県道111号を峠方向に見る (撮影 2015. 1. 20)
奥に県道標識が立つ
   
<道筋>
 県道111号の道筋は、大室山から天城山脈の主脈へと続く支尾根上にある。 県道112号が谷筋に通っているのとは対照的だ。 よって空が開けていて、道もつづら折りの様に蛇行することなく、快適な2車線路がほぼ真っ直ぐに通じている。 ただ、道の両側に木々が多く、視界はあまり広がらない。 それが単調さを際立たせ、面白みに欠けるきらいがある。 蝋人形美術館以降、沿道に建物らしき物も皆無で、立ち寄る所がない。 峠まで4km足らずの距離をただただ走るばかりだ。
県道標識 (撮影 2015. 1.20)
   

県道標識 (撮影 2015. 1.20)
写真に撮る物がないので、県道標識ばかり撮ってしまったようだ

県道標識 (撮影 2015. 1.20)
   
   
旧峠入口
   
<旧道入口>
 道は尾根上にあるので、元々若干のアップダウンを伴うが、それでも明らかに道が下りだす地点がある。 峠に少し詳しくなると、これは何かおかしいと気付く。 現在の鹿路庭峠より道程で400m〜500m手前の地点だ。
   
右手に旧峠へ登る道 (撮影 2015. 1. 20)
   

旧峠を示す標柱など (撮影 2015. 1.20)
 すると、道路脇に何やら標柱や看板が立っている。 その左手を少し入った奥は稜線の鞍部になっている。 稜線上へと登る道も確認できる。 ここは旧鹿路庭峠への入口であった。 直ぐ近くに通る稜線は支尾根ではなく、既に天城山脈から連なる主脈なのである。 標柱や看板はほとんど目立たないもので、漫然と快適な県道を走っていては、なかなか気付かない。 鹿路庭峠に旧峠があるとは知らなかったが、これを見逃さないとはさすがに峠の達人である。 面目躍如といったところだ。 ただ、鹿路庭峠は1994年頃から何度か越えているが、今回初めて気付いたのだったが・・・。
   
旧峠入口より伊東市街方向を見る (撮影 2015. 1. 20)
   
<標柱と案内看板>
 標柱には「旧鹿路庭峠の石仏」とあった。 別の杭に縛り付けられてやっと立っている木柱である。 「石仏」とあえてことわるからには、それなりの意味があるのだろうが、肝心な石仏が付近に見当たらない。
 
 脇に池郷土史研究会(平成16年2月)による案内看板があり、簡単な峠の説明が書かれていた。 もう一つ、金属製の看板があったのだが、こちらは古くてもうほとんど読めない。 書かれている内容は現在のものと異なるようだった。
 
<対島地区>
 案内看板では、峠は「対島地区」と「田方地区」の境であることが記してある。
 
 対島(たじま)に関しては、明治22年から昭和30年まであった対島村(たじまむら)が該当するだろうか。 現在の伊東市内の八幡野(やわたの)、富戸、池、赤沢(あかざわ)の地域に相当する村だった。 昭和30年には伊東市に合併し、現在「対島」の地名は地図上ではほとんど見られない。 尚、これは想像だが、対岸に伊豆大島が望める地なので、「対島」と命名したものか。

旧鹿路庭峠の標柱と案内看板 (撮影 2015. 1.20)
   

もう読めない看板 (撮影 2015. 1.20)

「鹿路庭峠の石仏」の看板 (撮影 2015. 1.20)
   
<田方地区>
 「田方」(たがた)については、旧中伊豆町や旧天城湯ヶ島町(共に現在は伊豆市)などが田方郡に属していたが、 この場合の「田方」では範囲が広過ぎる。 狩野川流域から伊豆半島北部に掛けての広い範囲が田方郡である。 しかし、他に田方村などといった村や集落が旧中伊豆町付近に存在した形跡が見付からない。
 
 尚、田方の由来は、山がちで平地が少ない伊豆国に於いて、狩野川流域は比較的平地が多く田地が開けていたことにより、 この郡名があるとのこと。
 
<江川太郎左衛門>
 韮山(にらやま)代官であったようだ(天明8年、1788年)。
   
   
旧峠へ
   
<旧峠へ>
 妻は旧峠になど別段関心がないので車で待機することとなり、私一人旧峠探索に向かう。 案内看板などが立つ裏手に、車一台がやっと通れるだけの道が造られていた。 ちょっと迷ったが、そちらを速足で登る。 しかし、後で考えてみるとそれが大間違いだった。 看板の前側にも人が歩けるだけの道筋の様なものが見えたのだが、道かどうか判然としなかったので、 歩き易い車道の方を歩いてしまった。
   
旧峠へ登る道 (撮影 2015. 1. 20)
右手に峠に登る広い道
しかし、中央の林の中にも道があったようだ
   

旧峠入口方向を見る (撮影 2015. 1.20)
看板の裏手を登る
<旧峠>
 県道に面する旧峠入口から、ものの数10mも歩くと、稜線の鞍部に達した。 途中、石仏はないかとキョロキョロ見回すが見当たらない。 鞍部は木が伐採されて開けているが、何となく荒れた感じがした。
 
 峠の伊豆市側には伐採などに使われるのか、作業道が2本通じていた。 一つは山へ登り、一つは伊豆市冷川側に下る谷筋に続いていた。 それらの道を通るトラックなどが旧峠を通過することもあるってか、枯れ枝が散らばり木の根が露出して、 荒れた感じを受けるのだった。
   
伊東市池側から見る旧鹿路庭峠 (撮影 2015. 1.20)
   
 伊豆市冷川側の旧道はどこだろうか。 車も通れる作業道がそのまま旧道なのか、それとももっと谷底にも道が通じていそうにも見えた。 しかし、ちょっとのぞいただけでは判然としなかった。 奥まで進んでみれば分かったかもしれないが、道は荒れていた。
   

旧峠の伊豆市側 (撮影 2015. 1.20)
右手に登る作業道と、谷筋を下る作業道がある

峠を伊豆市側に少し下った所 (撮影 2015. 1.20)
谷筋に通る作業道と、谷の底にも道があるように思えた
   
伊豆市冷川側から見る旧峠 (撮影 2015. 1.20)
   
 峠の周辺を見渡したが、「伊豆国池村地蔵尊」と書かれたお札が売られていたという峠の茶屋跡などは全く見当たらなかった。 石仏もない。 仕方なく元来た道を車で待つ妻の元へと急いだ。
 
 後で考えると、県道脇に立つ案内看板の前より稜線へと登る細い道沿いに石仏があったのかもしれない。 本来地蔵尊は峠にあってよさそうなものだが、峠の鞍部は車などが通るので、邪魔である。 そこで池側の旧道沿いに移されたのかもしれない。 折角旧峠の存在に気付きながら、詰めが甘かったようである。 峠の謎が残ってしまった。
  
<池側の旧道の道筋>
 県道脇から峠までの僅かな距離に旧道跡がありそうだが、そこまで至る麓側の旧道の道筋はどこであろうか。 旧峠の標高は地形図では510mから520mの間で、一方、現在の鹿路庭峠もほぼ同じ標高だ。 池側の県道112号の先は、現在の鹿路庭峠に至るように点線が描かれているが、 旧道が新峠を経由して旧峠に至っていたとは考えられない。
 
 地形図をよくよく見ると、県道112号の未開通区間の途中から、支尾根上に通る県道111号方向に上る道が少し描かれている。 古いツーリングマップ(1989年1月発行 昭文社)にも、点線の道が記してあった。 多分、旧道は常に池側の谷筋を登るのではなく、途中で現在の県道111号が通る支尾根上に登り、 そこからほぼ県道111号と同じ道筋で旧峠に至っていたのではないだろうか。 県道脇にある旧峠入口から旧峠へ登る道の方向からしても、その可能性が高い。
   

旧峠入口付近から新峠方向に見る (撮影 2015. 1.20)
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新峠方向から旧峠入口を見る (撮影 2015. 1.20)
   
 池方面から登って来る県道111号は、幅の広い2車線路で、旧道があっとしても既にかき消されてしまっていることだろう。 県道沿いからは池側に矢筈山らしき山が望める。 この山の景色は旧鹿路庭峠を越えた来た江川太郎左衛門も同じように眺めたであろう。

旧峠入口付近から池方面を望む (撮影 2015. 1.20)
見えているのは矢筈山(816m)か?
   
   
新峠へ
   

旧峠入口から新峠へ (撮影 2015. 1.20)
<旧峠から新峠へ>
 旧峠入口から現在の鹿路庭峠までは、天城連山から東伊豆山地へと続く主脈沿いの伊東市側に県道が延びる。 若干のアップダウンはあるが、新旧両峠の標高はほぼ同じなので、県道もほぼ水平移動である。 右手が稜線の峰、左手が伊東市池側の麓になる。 麓側に景色が広がりそうでいて、なかなか遠望がないのが残念だ。 道は伊豆スカイラインや天城高原ゴルフコースへと続く観光道路だけあって、快適な路面が続いている。
   
明るく快適な道が続く (撮影 2015. 1.20)
   
<市境の看板>
 鹿路庭峠のT字路の数10m手前に、伊豆スカイラインの看板とその少し奥に「伊豆市」と書かれた看板が立つ。 反対側は「伊東市」と書かれている。 わざわざ県道111号から県道112号が分岐する地点からずれた所にこの市境を示す看板があるのは、何か意味のあることであろう。 道の標高も、心持ち市境の看板がある地点が高いような気がする。 県道111号は、非常に浅い角度で市境を通り過ぎているので微妙な話しだが、 市境看板のある所が正確な意味での鹿路庭峠なのかもしれない。
   

市境 (撮影 2015. 1.20)
伊伊豆スカイラインの看板とその奥に「伊豆市」の看板

伊豆スカイラインの看板 (撮影 2015. 1.20)
   
<池側から至る道>
 池の地で途切れている県道112号の続きが、この鹿路庭峠にまで登って来る山道がどこかに口を開けている筈である。 後から考えてみると、伊豆スカイラインの看板が掲げられているポールの根元付近があやしい。 そこから池側の麓へと道が始まっていたのではないだろうか。 こうしたことは旅の後で思い付いたことなので、現地では確認していない。 ちょっとのぞけば分かったことだが、これも心残りとなった。
   

「伊豆市」の看板が掛かる (撮影 2015. 1.20)
その向こうには県道112号が右に分岐する

「伊豆市」の反対側は「伊東市」とある (撮影 2015. 1.20)
   
   
   
鹿路庭峠 (撮影 2015. 1.20)
県道111号から分かれる県道112号方向を見る
   
<峠の様子>
 正確な峠の位置はともかく、県道111号から県道112号が分岐する所が現在の鹿路庭峠と一般に認識されている。 分岐の角に「鹿路庭峠」と書かれた木製の看板も立つ。
   
鹿路庭峠 (撮影 2015. 1.20)
県道111号より分岐を見る
   
 それにしてもT字路の峠では、なかなかいい写真のアングルがない。 峠では30枚くらい写真を撮ったが、どれも今一つであった。
   
分岐の角に立つ鹿路庭峠の看板 (撮影 2015. 1.20)
   
<ろくろば村>
 峠の看板とは反対側の角に、「豆州 ろくろば村」と看板がある、古い佇まいの喫茶店の様な建物が立っている。 丁度休みの様で、人影はなかった。 これが現在の峠の茶屋という訳か。 「ろくろば村」というのが気に掛かるが、そうした村が実際にあったのだろうか。

豆州ろくろば村 (撮影 2015. 1.20)
   

管理境界 (撮影 2015. 1.20)
 県道112号が県道111号に突き当たった正面に、管理境界の看板がある。 その足元には「昭和33年度工事」と書かれた日本道路公団(発注者)の石碑が佇む。 本来の峠の位置は別として、この分岐点がある意味で道の境であることは確かである。
 
 さて、旧峠に対してこの新峠はいつから使われているのだろうか。 昭和33年に県道111号が県道指定されているが、それ以後は鹿路庭峠を越える車道としてもっぱらこの道が使われたことだろう。 それ以前、車道が通じる前に、この峠が使われた時期があったのだろうか。 やはり新鹿路庭峠は、車道が通じてからの峠と想像するのが妥当なように思う。
   
   
伊豆市側へ下る
   

峠より伊豆市側に下る県道112号 (撮影 2015. 1.20)
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県道標識 (撮影 2015. 1.20)
   
<中大見八幡野線>
 県道112号は中大見八幡野線と呼ぶ。 「八幡野」(やわたの)は伊東市内に見える地名で、前述のように旧対馬村の大字だ。 しかし、「中大見」というのは現在の道路地図ではなかなかお目に掛かれない。 旧中伊豆町の範囲は狩野川の支流・大見川(おおみがわ)流域に広がっている。 古くは上大見、中大見、下大見の3か村に分かれていた。 それが昭和33年に合併してできた町だそうだ。 更に中大見村は、冷川、徳永(とくなが)、八幡(はつま)など7か村が合併してできた村であった。 峠近くの県道標識ににも「伊豆市冷川」と地名がある。
 
 ところで、冷川と言えば冷川峠を思い出す。この鹿路庭峠の北約6km程に位置する。冷川峠のあるところは徳永なのだが、冷川の地名はそちらに持って行かれてしまった。
   
<伊豆半島の道>
 峠から伊豆市側に下る県道112号は狭い。
 
 伊豆は全般に山がちで、県道や主要地方道でさえも狭い所が多い。 こんな狭い道が延々と続いていて、対向車があったらどうやってすれ違えばいいんだと、不安になることもままだ。 伊豆を旅し始めた頃は、それを痛切に感じ、それが伊豆の道の第一印象でもあった。
 
 伊豆の名だたる狭小の道に比べれば、まだこの県道112号はましな方だ。 それでも県道111号やそれに続く伊豆スカイラインが立派過ぎるので、こちらの県道112号は取り残された道のように感じる。 こんな狭い道を使うより、有料でも伊豆スカイラインの方を走りなさいと言われているかのようだ。

伊豆市方面に下る県道 (撮影 2015. 1.20)
カーブを曲がると直ぐに狭くなる
   

道の様子 (撮影 2015. 1.20)

道の様子 (撮影 2015. 1.20)
   
<道の様子>
 峠直下は狭い上に急坂、急カーブが続く。 それでも路面は全般的に新しそうなアスファルト舗装で、道としてほって置かれている訳ではない。 きちっと補修はされている。 道は大見川の支流の冷川の、更に支流の徳永川の上流部へと下って行く。
   

道の様子 (撮影 2015. 1.20)

県の様子 (撮影 2015. 1.20)
   
 途中、道の右手から旧峠より下って来た旧道を合する筈だが、なかなかはっきりした道は確認できなかった。
 
<川の右岸沿い>
 何度かヘアピンカーブを曲がった末、はっきりと川の右岸沿いを走るようになる。 これ以降は屈曲も少なく、安定した道となる。
   

はっきりと川沿いになる (撮影 2015. 1.20)

道の様子 (撮影 2015. 1.20)
県道標識は「伊豆市冷川」
   
<川の左岸へ>
 川の本流を渡って左岸に出る。 それまで山ばかりの景色だったが、人工物が現われるようになる。 川岸に平地も出てきて、何かの工事を行っていた。 川には砂防ダムなどが見える。
   

川の左岸沿いになる (撮影 2015. 1.20)
何やら工事現場が見える

ダムなどが見える (撮影 2015. 1.20)
   
<2車線路>
 峠から3km程、遂にセンターラインが出てきた。 すると左手に「中伊豆グリーンクラブ」と看板が立ち、クラブハウスへの入口があった。 このゴルフ場の為だけにここまで2車線路が通じているかのようである。
 
 道は良くなり、地形も安定して、右手に穏やかな流れの徳永川を見て走る。

2車線路に変わる (撮影 2015. 1.20)
   
徳永川左岸沿いの快適な道 (撮影 2015. 1.20)
   
   
県道12号へ
   

道路看板は県道12号を示す (撮影 2015. 1.20)
<県道12号>
 道路看板がこの先の分岐を示す。 右折は県道12号・中伊豆バイパスで、直進も県道12号だ。 よって、ここで県道112号は終わる。 峠から4km弱と、短い命だった。
 
 右折は直ぐ先で冷川トンネルを抜ける。 伊豆市内から東伊豆山地を越えて伊東市街へ通じる最短路だ。 この冷川トンネルの北約3kmに位置する冷川峠(県道59号)の有料の代替路である。
   
右手に中伊豆バイパス分岐 (撮影 2015. 1.20)
   
<伊豆市徳永>
 県道12号・伊東修善寺線はある意味冷川峠(冷川トンネル)の峠道かもしれない。 ただ、冷川峠は別のところにあるので、もう少し先に進む。
 
 県道標識の地名は「伊豆市徳永」に変わった(右の写真)。 県道12号に入る直前、冷川の地を抜けていたようだ。
 
 やっと人家が現われた(下の写真)。 伊東市側の蝋人形美術館付近から久しぶりの建物だ。

県道標識は「伊豆市徳永」 (撮影 2015. 1.20)
   

人家が現れる (撮影 2015. 1.20)

面白い山が見える (撮影 2015. 1.20)
   
落ち着いた山里の雰囲気の中を行く (撮影 2015. 1.20)
   
<観光案内の看板>
 伊豆市側の麓に降り立つと、沿道に田畑が広がりだす。「田方」の由来を思い出す。
 
 観光案内の看板が出て来た(下の写真)。どれも旧中伊豆町の観光地だ。 「わさびの郷」と「萬城の滝」は国士峠への道の途中にある。
   

観光案内の看板 (撮影 2015. 1.20)

観光案内の看板 (撮影 2015. 1.20)
   

筏端橋で徳永川を渡る (撮影 2015. 1.20)
<再び右岸へ>
 県道112号から12号へと引き続いて徳永川左岸沿いを進んで来たが、ここで筏端橋(いかばたはし)で右岸に渡る。 旧中伊豆町内には「筏場」という地名が残る。 川の流れを利用して天城山中などから切り出した木材を運搬した名残だ。 この橋名の「筏」も、その一つか。
 
 沿道には店屋などもぽつぽつ見えるようになる。 それでも全般的に田畑が広がる方が多く、のどかな山里の雰囲気を留める。
   

古風な趣のレストラン (撮影 2015. 1.20)

川沿いに田畑が広がる (撮影 2015. 1.20)
   
 
冷川交差点
   
<県道59号分岐>
 道路看板は右に県道59号が分岐することを示している。県道59号は冷川峠を越えて伊東市街へと続く。どちらかと言うと、修善寺方向から冷川峠へと続く 道に、こちらが横から突き当たる感じだ。やはり冷川峠越えの道が元々の本線と思われる。しかし、今は冷川トンネルの方が県道12号となっている。
   

県道59号分岐の看板 (撮影 2015. 1.20)

道路看板 (撮影 2015. 1.20)
   
<冷川交差点>
 県道59号が分岐する「冷川」の交差点近くからは、川の名も冷川と変わる。 ここから下流側の県道12号は、冷川峠の峠道と言える。 鹿路庭峠の道は、ここ冷川交差点で終了となる。
 
 冷川交差点を過ぎ、少し県道12号を行くと、伊豆スカイラインの冷川インターからの道が下りて来る。 鹿路庭峠の伊豆市側の道は、ほとんどがこの伊豆スカイラインがバイパスしている。 峠直下の狭い道を避け、車の流れはみんなそちらに行っているのではないだろうか。
   
冷川の交差点 (撮影 2015. 1.20)
左が県道12号の続き、右は県道59号を冷川峠へ
   
   
   
 久しぶりに鹿路庭峠を越え、旧峠の存在を知ったのは収穫であった。でも、肝心な石仏を見逃してしまったのは残念だ。また、伊東市池側の未開通の県道112号についても分らないことが多い。いろいろ謎が残る鹿路庭峠であった。
   
  
   
<走行日>
・1994. 4. 4 伊東市 → 旧中伊豆町 ジムニーにて
・2003. 7.26 大室山付近から県道111号の終点まで往復 キャミにて
・2015. 1.20 伊東市 → 伊豆市 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  22 静岡県 昭和57年10月 8日発行 角川書店(及びオンライン版/JLogos)
・県別マップル道路地図 22 静岡県 2006年 2版20刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料
 
<YouTubeにアップした動画>
鹿路庭峠1/伊東市側<峠と旅>
鹿路庭峠2/伊豆市側<峠と旅>
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
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