旅と宿

山形県朝日町/旅館・二見屋
(掲載 2023. 7.30)

   

 その日、朝日町の朝日鉱泉方面より愛染峠を目指し、ジムニーを走らせていた。 ところが、途中で見掛けた通行止の看板で、朝日鉱泉の先に通行止区間があることを知り、あっさり引き返すこととした。 愛染峠はその翌年にもアタックしたが、やはり通行止で、やっと2012年11月に白鷹町との境の峠まで往復することができている。

   

通行止の看板 (撮影 1994. 8.18)
朝日鉱泉の6Km手前
この看板を見て愛染峠は諦め、
朝日町市街方面へと向かった
 

 早々と引き返しを決断したのは、先日来より大雨に遭遇したり、体調不良に見舞われたりで、野宿は避け、2日続いてホテル泊をしている。 今日も野宿地を探す苦労はしたくない。麓に降りれば最上川沿いに朝日町の市街地が広がる。そこで宿を見付け、ゆっくり休養したいと思う。
 
 当時、宿探しに絶大な威力を発揮したのは、JTB発行の「宿泊情報」という本だ。「1992年版 春〜夏号」を旅の時はいつもジムニーに積んでおいた。 東日本と西日本の2冊に分かれ、合計13,000軒余りの宿を掲載している。とにかくその宿の多さが強みである。その代わり、一軒一軒の情報は少ない。 その頃は宿の質など二の次で、とにかく泊まれさえすればいいと思っていた。 最近は、禁煙室で、部屋に洗面所とトイレが別々にあり、出来れば窓からの眺望がよく、風呂は温泉で、露天風呂が楽しめて・・・と宿に対する要求が厳しい。 しかし、当時は雨風が凌げる屋根があり、ゆっくり手足が伸ばせる布団があれば、それで十分という気である。
 
 朝日町の市街に降り立ち、早速路肩にジムニーを停め、「宿泊情報 東日本編」の朝日町の欄を繰ってみた。すると、僅かながらも2軒の掲載があった。 「大丸屋」と「二見屋」という旅館だ。大丸屋はモルタル造、2階全10室、街の中心街にあり商用に便利とある。一方、二見屋は鉄筋造、2階全14室、最上川河畔、眺望良となっていた。 そして肝心な料金は、大丸屋が5,000円〜1万円、二見屋が7千円〜とある。ただ、これまでの経験で値段はあまり当てにならない。総じて高い方に改定されることが多いのだ。 他に判断材料はなく、ちょっとどちらにしようか迷う。しかし、とにかく空き室があって予約が取れなければ話にならない。大丸屋の「中心街」より、二見屋の「最上川河畔」というのに魅かれた。 何処だったか忘れたが、公衆電話を見付け、二見屋に電話する。すると心配をよそに、あっさり予約が取れた。
 
 電話で聞いておいた宿の場所へと急ぐ。朝日町にはほぼ南北に国道487号が通り、それがこの町の幹線路となっている。大きく蛇行する最上川に概ね沿っている。 周囲は低い丘陵地で開けた雰囲気だ。その国道を北上すると、 最上川を右岸から左岸へと明鏡橋(地理院地図)という橋が架かっている。 その橋を渡って直ぐの右手、国道沿いにその宿はあったと思う。ただ、幾分昔の話しで、記憶は曖昧だ。また、現在は明鏡橋の直ぐ東側に新しい明鏡橋が架かり、国道はそちらへと換線されているらしい。 付近の様子は随分と変わったことだろう。宿が「最上川河畔」だったとすると、旧明鏡橋の袂付近にあったのかもしれない。
 
 宿で接客に出て来てくれたのは一人の若い女性であった。軽く障害を持たれているようにも見受けられたが、明るく闊達そうな人だった。この宿の娘さんであろうか。 こうして、親が営む宿の手伝いをして日々を暮らしているのかと想像した。
 
 日がな一日、山の中をジムニーで走り回り、誰とも会わず、言葉を発することもない。 元々人付き合いが苦手で、人恋しいなどと微塵も感じたことはないが、それでも少しは人と会話をしたいと思わないこともない。 その相手が若い女性なら、尚更である。しかし、咄嗟には気の利いた話題など思い付かない。 案内されるまま、今夜一晩過ごすことになる部屋へと女性の後を付いて行く。板敷の長い廊下の左手の一室に通された。宿は二階建てだが、一階の部屋である。 窓から最上川の眺望があったかどうか、記憶にない。
 
 一泊二食付きで予約してあり、夕食は部屋で食べるようだった。先程の若い女性が膳を運んで来てくれた。 どんな食事だったか全く覚えていないが、野宿で食べるレトルト品を考えれば、何を食べても天国である。 その日の泊り客は結局私一人だったようで、耳を澄ませても廊下からは人の話し声一つ聞こえて来ない。シーンと静まり返った一室で一人旅の夜が更けて行った。
 
 翌朝は出立の準備を整え、部屋で朝食を待っていると、女将が呼びに来て、廊下を挟んだはす向かいの部屋に案内された。 何だろうかと思って入ってみると、部屋は畳敷きで、所狭しと長い座卓が並べて置かれている。 残念ながら昨日の若い女性の姿はどこにも見られない。代わりに座卓の奥に老夫婦が座り、朝食を食べていた。座卓の一角に一人分の食膳が置かれていて、そこを案内された。 事態を飲み込むのに少し手間取ったが、どうやら宿を営む家族と一緒にここで朝食を食べるらしい。ここはこの一家の居間なのではないだろうか。 泊り客はどうせ私一人だし、一緒に朝食を摂れば、その方が手間も要らないという訳だ。 食事を進めながらも、何となく気まずい雰囲気が部屋いっぱいに漂う。何か話をした方がいいのだろうが、適当な話題が浮かばない。老夫婦も黙って箸を運んでいる。 結局、一言もしゃべらず、自分の部屋に戻ったような気がする。
 
 宿の支払は9,064円であった。とても中途半端な値だ。消費税の制度が始まってまだ間がない頃で、税率は3%の時代である。 多分、元の宿賃が8,800円で、それに消費税264円プラスという計算になるのだろう。 その翌年に消費税は5%に上がっている。若い女性に見送ってもらえなかったのは少々残念だったが、10日間の東北一人旅を続けるべく、そそくさとジムニーを走らせるのだった。
 
 
 今回を機会に、ちょっとネットで検索してみたが、二見屋という旅館は見付からなかった。もう閉じてしまったようだ。あの娘さんはどうしたろうか。

   

1994年8月18日(木)
旅館・二見屋泊

   
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