旅と宿
No.005
石川県珠洲市/ホテル・ニュ−まうら |
前日は出張で、午前中に東京から石川県に移動し、午後は松任市(現白山市)にある協力会社にて打合せ、その晩は定宿としているホテル・キバヤシに宿泊した。
今日は土曜日で、本来は東京に戻る移動日として会社に申告してあったのだが、わざわざ週末の金曜日に出張を設定したのには訳があった。
この土日を使って石川県の観光をしようという目論見だ。もう2回程経験済みの重犯者である。
現在なら何か事故でも起こった場合に労災関係の問題などがあり、コンプライアンス的にもなかなかできたことではないが、当時はまだまだ規則が緩やかだった(逆にパワハラは日常茶飯事)。
ある時など新潟出張にバイクで出掛け、その日の夜に日本海フェリーに乗って北海道に渡り、9日間の北海道ツーリングをしてきたことがあった。 |
今日は早々とホテルを発ち、金沢駅の定期観光バスの窓口で切符を買って9:10発の「まうら号」に乗車した。
北陸鉄道の金沢駅発のコースは6種類あり、昨晩はいろいろ迷ったが、能登半島先端の珠洲市にある真浦を終点とする「まうら号」に決めたのだった。所用7時間とたっぷり能登半島の旅ができる。
能登半島はそれまで何度か車で旅をしたことがあったが、禄剛崎などの景勝地には立寄っても、神社仏閣・文化財などは見学したことがない。
観光バスはそうした場所にも立ち寄るので、これを機に少しは関心を持とうと思う。
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定期観光バスのコースガイド (撮影 2023. 7.14) |
定期観光バスのスケジュール (撮影 2023. 7.14) |
バスは混雑する金沢市街を抜け、一路千里浜海岸を目指す。車内に居合わせた乗客は10人に満たなかった。記憶は定かでないが、5、6人だったようにも思う。
しかし、乗客が満員だったという定期観光バスの経験はあまりない。時期などによっては今回のように少人数の場合も多かった。かえってこの方が気楽でいい。
車窓からの眺めがいいのは自分の席側でないこともある。そんな時、車内が空いていれば、勝手に席を移って眺めが堪能できる。 |
ホテルの外観 (撮影 1999. 3.27) |
ホテルの一室の様子 (撮影 1999. 3.27) |
ホテルのパンフレット (撮影 2023. 7.14) |
観光バスの乗客は私一人ということもあってか、ホテル着は予定より20分程早く、夕方4時前であった。夕飯まで暇なので、部屋に荷物を置いてから真浦海岸を散策することとした。
南西側の「垂水の滝」がある八世之洞門から北東側のツバ崎を抜ける真浦隧道までの河岸線約1.5Kmが真浦海岸になるようだった。
ただ、海岸沿いには真浦の人家はなく、高台に集落が形成されている様だった。 |
真浦海岸を曽々木方向に見る (撮影 1999. 3.27) |
真浦海岸を仁江方向に見る (撮影 1999. 3.27) |
夕方5時過ぎにはホテルの一室に戻り、のんびり過ごすこととした。どうもホテル館内の雰囲気からして、今夜の泊り客は私一人のようだ。
かつて団体旅行が流行っていた時代、大型バスで多くの観光客が訪れ、それを吸収するだけの大きな設備だったのだろうが、世の中が変わってしまったのだろう。
広縁の椅子に腰かけ、海を眺めていると、太陽が傾き始めた。ホテルの前の林が少し邪魔だったが、赤い太陽がゆっくり水平線に沈んでい行く様子が堪能できた。
普段、人恋しいなどと感じるとこはないが、この能登半島最端の地で一人佇んでいると、少しは感傷的になる。 |
部屋の窓の外に夕陽が沈む (撮影 1999. 3.27) |
夕食の様子 (撮影 1999. 3.27) |
翌日はやはりホテルから出るバスの便で、7:25始発の奥能登特急で輪島市へ向かった。一般的な路線バスではなく、横一列4席の大型の観光バススタイルだった。
勿論乗客は私一人。ふと見ると、そのバスを運転しているのは昨日の定期観光バスの運転手であった。昨晩はこの終点の真浦に泊まり、始発を運転して金沢市街に戻るのだろう。
輪島では有名な朝市を見学。いつもの出張の帰りは小松空港より空路だが、今回は輪島からずっと在来線で東京まで帰った。各駅停車の北陸本線や大糸線を堪能した。 |
宿代の領収書 (撮影 2023. 7.14) |
今回、あのホテルは今頃はどうなっているかとちょっと調べて見たら、2000年に既に閉館になっていたようだ。私が宿泊した翌年である。ホテルが現役だった最晩年に利用したのだった。
その後、車で前の国道を走っているのだが、全く気付かなかった。真浦海岸を眼下に望む好立地にあったが、今は建物も取り壊され、空地となっているようだ。
昭和の一大旅行ブームも遠い昔となった思いである。 |
1999年 3月27日(土) |
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