旅と宿 No.013

今夜の泊り客は私たち一組だけ
岐阜県恵那市/国民宿舎・恵那山荘
(掲載 2024. 1.11)

 

<国民宿舎>
 前回は、国民宿舎の食堂でちょっと寂しい思いをした話(第12話)だったが、同じようなことが、やはり別の国民宿舎であったのを思い出していた。

 

<恵那山荘>
 その宿はちょっと辺鄙な所にあった。中央自動車道を名古屋方面から東京へと向かって走って来ると、恵那山トンネルで岐阜県から長野県に入る。 その長いトンネルを抜ける手前、ほぼ恵那ICと中津川ICの間に相当する区間を、大きく南の山の中を迂回して通じる一本の県道(413号・東野中津川線)がある。 宿はその県道の恵那市と中津川市との境付近に位置する(地理院地図)。 「恵那山荘」と呼ぶ公営の国民宿舎であった。「山荘」と付くがそれ程山深い訳ではなく、県道の直ぐ脇に建つ立地で、何の支障もなく車で訪れることができる。

 

宿の玄関前の様子
こじんまりした2階建て
最初に訪れた時
(撮影 2001. 4. 9)

 

<保古の湖>
 また、登山客を目的とした登山基地などでもなく、保古の湖(ほこのこ)と呼ぶ湖を中心とした広いレジャー施設の只中にある。 この湖は、元は灌漑目的で大正時代に造られた人造湖だったが、その後、根の上湖、根の上高原、保古山などを含めた大きな観光地として発展して行った。ボート遊びやキャンプなど各種のアウトドアのレジャーが楽しめる。 標高900m前後の高地にあり、夏は涼しく、冬はスケートができた時期もあったそうだ。一帯は「恵那山高原国民休養地」とか「胞山(えなさん)県立自然公園」に指定され、岐阜県東濃地方でも屈指の観光地である。

 

宿の周辺案内図
根の上総合案内所にて
(撮影 2001. 4. 8)

 

<以前に宿泊>
 この宿は2001年4月に利用したことがあった。勿論、歴とした観光目的である。宿に宿泊した翌日、周辺を散策した。 特に何かのアウトドアをするという訳ではなかったが、トレッキング程度の積りであちこち歩き回るだけでも楽しめる。他のレジャー客もちらほら見掛けられ、そこそこ賑わっているという印象だった。 宿も湖畔に近い開けた風光明媚な地にあるが、ただ、そこまでのアクセス路はやや険しい。恵那市街からも中津川市街からも10数キロの道程があり、その大半が曲がりくねった狭い県道である。 また、最近はどうなったか分からないが、当時は一人の宿泊には少し制限があった。平日のみしか利用できなかったようだ。しかし、結婚前の妻と二人で利用したので、その点は何も問題なかった。

 

保古の湖(ほこのこ)
県道沿いより見る
(撮影 2001. 4. 9)

 

湖畔沿いに通じる県道の様子
食事処などが建ち、ちょっと賑わった所
(現在はこの建物はないようだ)
(撮影 2001. 4. 9)

 

湖の堰堤
大正時代、灌漑用として造られた
(撮影 2001. 4. 9)

 

<2度目の宿泊>
 その3年後の2004年5月、偶然ながらまた同じ宿を利用することとなった。いつもは同じ観光地はなるべく行かないようにし、よって同じ宿に泊まる機会も少ない。 しかし、この時はやや不純な理由で宿泊することとなった。その時の旅は四国が主な目的地であった。10日間に渡る長旅で、その9日目は香川県川之江市のプリンスホテル杉源の一室で朝を迎えた。 ホテルからは川之江城址の天守閣が望める。この日は日曜日なのだが、翌日の月曜日に有給休暇を取ってあった。できれば今日中に東京の自宅まで戻れればいいが、無理をすることはない。 帰路途中、どこかでもう一泊し、ゆっくり帰ることもできるのだ。
 
 その気持ちの弛みか、川之江城などの見学に時間を取られ、その後、高速道路を走り繋ぐも、名神高速の桂川PAで昼食休憩となった。 昼食後、どこかいい宿はないかと思案する。すると、以前泊まった恵那山荘を思い出した。ここからは丁度手頃な距離にある。大きな都市の安いビジネスホテルでよかったのだが、ちょっと欲を出した。 街中のホテルでは何とも味気ない。少しでも観光気分を味わえないかと考えたのである。その点、保古の湖畔にある恵那山荘はうってつけだ。電話すると予約は簡単に取れた。今回も結婚前の妻と同伴である。 ただ、電話では氏名から住所、電話番号と事細かに聞かれた。以前一度利用したことがあることを告げればよかったかもしれない。
 
<宿へ>
 中央自動車道の恵那ICで降りる。明日はまた隣の中津川ICより中央自動車道の続きを走ることになるだろう。宿へは一度訪れたことがあるので、何となく道の様子は分かっていた。 夕方近くではこの寂しい県道を走る車はほとんどないだろうが、対向車には充分注意する。雨が降り続いていて、山間部に入ってからは霧が架かり視界が悪くなってきた。日も傾き、林の中は予想以上に暗い。 早く宿に着きたいとう気持ちを抑え、慎重に運転する。とにかく旅先では無事であることが最も大事だ。
 
 やっと沿道に明かりの灯る場所に出た。この保古の湖周辺沿だけ、別世界となっている。間もなく見覚えのある宿の敷地へと車を乗り入れる。 ふと見ると、2階建ての宿の正面玄関の真上にある一室だけ、ポツンと明かりが灯っている。駐車場に停まる車の数も数台で、宿全体が何となく閑散とした雰囲気である。
 
 実はここに来る間も何となく胸騒ぎがしていた。今日は日曜日で、レジャー客の宿泊は少ない筈だ。しかも春の大型連休、いわゆるゴールデンウィークが終わった直後の週末で、エアーポケットのように観光客は閑散である。 加えて今日は終日雨模様で、このレジャー施設の様に野外活動が中心では人はやって来ない。

 

玄関の真上の一部屋だけ明かりが灯る
何となく、嫌な予感
(撮影 2004. 5. 9)

 

<チェックイン>
 嫌な予感は的中した。荷物をまとめ、玄関を入ってフロントに行く。50歳代後半くらいのやせ型の男性が一人、フロントで応対してくれた。そして、今日の泊り客は私たち一組だけであることを告げられる。 私たちが不安がるのを配慮してか、風呂は明朝も入れると言ってくれた。なかなか愛想の良さそうな方であった。

 

ロビーの様子
他の客の姿はない
(撮影 2004. 5. 9)

 

<部屋へ>
 部屋は2階の208号室。やはり外から明かりが見えていたあの部屋だった。6畳の純和室で、中央にこじんまりしたテーブルが置かれ、上には茶器が乗っている。 壁際にはテレビとその横に暖房器具が並ぶ。やはり標高が高く冬場などはかなり冷えるのだろう。畳の部屋に続いて僅かばかりの広縁があり、そこに小さなテーブルと椅子が一脚だけある。 勿論トイレなどは付属していないが、広縁の端に小さいながらも洗面台があり、手洗い歯磨きなどは部屋を出ることなく済ませられるので便利だ。
 
 3年前に泊まった時は212号室だったが、部屋の様子などは全く同じだった。かんぽの宿などに泊まり慣れてしまうと、やや手狭で設備も貧弱に思えるが、当時はこれで何ら不満は感じなかった。 「山荘」であることを考慮すれば、申し分ない宿である。

 

部屋の前の廊下
(撮影 2004. 5. 9)

 

部屋の様子(1/2)
(撮影 2004. 5. 9)

 

部屋の様子(2/2)
(撮影 2004. 5. 9)

 

<部屋にて>
 時間は午後4時半を少し回っていた。長時間の車の運転から解放され、やっと人心地がつく。それにしてもこの宿の中に客は私たちだけかと思うと、二人で顔を見合わせ、苦笑いするしかなかった。 部屋の窓は保古の湖がある北側に向いている。ただ、湖は林に隠れ、あまり望めない。直ぐ下には県道が通じる。今日はもう通る車はないだろう。

 

宿の前の様子(1/2)
部屋の窓より見る
(撮影 2004. 5. 9)

 

宿の前の様子(2/2)
部屋の窓より見る
(撮影 2004. 5. 9)

 

<風呂>
 夕食前に二人揃って風呂に行く。他に客は居ないし、野中の一軒宿なので戸締りなどの心配は全く要らない。風呂は男女共に入れる状態だった。私たちだけの為にこうして風呂もしっかり用意され、恐縮してしまう。 浴室などの施設はそれほど広くない。ただ、以前と比べ洗い場などがリニューアルされていて使い易かった。浴槽も大きくはないが、何しろ独り占めである。ゆったり湯に浸かる。 「ラジウム温泉」とう看板を見掛けたが、結局入湯税を払うことはなかった。

 

浴室の前
(撮影 2004. 5. 9)

 

温泉の看板
(撮影 2004. 5. 9)

 

脱衣所
(撮影 2004. 5. 9)

 

浴室
前回来た時より新しくなっていた
(撮影 2004. 5. 9)

 

<夕食>
 宿の係の人を待たせてはいけないと、予約時間の6時ピッタリに食堂に向かう。フロントに居た男性がここでも給仕を担当していた。そして、以前ここに来たことがありますかと尋ねてきた。 私たちだけしか居ないので、このまま何の会話もないのは気まずいことだ。そこで、気を利かせて話のきっかけを作ってくれたのだろう。勿論、私たちが3年前に泊まったことがあるのを知っていた筈などはない。 こちらもそれに応え、以前ここに泊まり、付近を散策したことなどを話す。本来、私は他人と会話をするのはそんなに好きではないのだが・・・。
 
 話の様子からして、どうやら今夜ここに泊まる宿の従業員はこの男性一人となるようだ。多分、夕食の準備などには複数の従業員が居たのだが、支度が整うとそれぞれの自宅へと帰って行ったものと思う。 恵那市街からも中津川市街からも遠く離れたこの保古の湖の畔で、今夜は3人だけである。
 
 食堂の窓の外は雨が降り続いているらしい。折角二人だけの為に用意してくれた夕食なので、残す訳にはいかない。食事を味わうよりも、とにかくご飯を極力減らし、何とか完食する。

 

夕食風景
(撮影 2004. 5. 9)

 

<部屋にて>
 部屋に戻り、6畳の和室で二人の時間を過ごす。連れはこの広い館内にたった3人しか居ないことなどに寂しくなったらしく、しくしく涙を流す始末。 泣く程のことがあろうか、とも思ったが、これ以上事態を悪化させる訳にはいかない。感傷的になっている連れに優しい言葉を掛け、慰めることにした。側らのテレビから流れる天気予報によれば、明日も雨模様だそうだ。 怖いくらい静かな夜が更けていった。

 

<起床>
 朝方近く、まだ寝床でうとうとまどろんでいると、館内のどこか遠くでボイラーが始動するような音を聞いた。あの男性が朝の準備を始めたのかもしれない。
 
 暫くして起き上がり窓の外を見ると、やはり雨が降っていた。旅先でのいつもの日課となる散歩は諦め、直ぐに朝風呂に出掛ける。これも旅先での楽しみの一つだ。 昨晩と同じように、私たちだけの為に脱衣所は暖かく、浴槽にはたっぷりの湯が張られていた。 観光に来たのではなく、四国からの帰り掛けに立ち寄るという後ろめたい動機で宿泊したので、尚更申し訳ない気持で一杯だ。 暗い昨夜とは異なり、浴室の窓からは眺めが広がった。窓一杯の緑をぼんやり眺める。徐々に体が起きて来るのを感じる。

 

宿泊した翌日も雨
私たちのパジェロ・ミニがポツンと一台
(撮影 2004. 5.10)

 

<朝食>
 昨晩と同じ食堂の席で朝食を頂く。膳には鮎の甘露煮などが並んだ。点けっぱなしになっている食堂のテレビからは、朝のNHKニュースが流れている。今日は平日である。いつもなら今頃は出勤準備で忙しい時間だ。 今回は会社の正規の9連休に有給休暇を一日足し、こうしてのんびり贅沢な時間を過ごしている。やや後ろめたい気もある。連れとは同じ職場の同僚だったのだが、よく誰にも気が付かれなかったものだと思う。

 

<宿泊代>
 宿代はニ食付き税込み一人6,620円であった。3年前に泊まった時と全く同じである。当時、消費税は5%だったので、税別では約6,300円という計算になる。

 

領収書と箸袋
一度目に泊まった時
(撮影 2023.12.29)

 

領収書と箸袋
二度目に泊まった時
領収印が四角に変わっている
(撮影 2023.12.29)

 

<出立>
 8:30にはチェックアウト。玄関であの男性一人の見送りを受けた。これで宿の従業員の仕事も、ひと段落であろう。
 
 空からは冷たい雨粒が落ちてきている。 この天候では今日も保古の湖周辺はレジャー客で賑わうことはないだろう。しかし、私たちは単なる通りすがりなので、何の係わりもない。道の続きを中津川市へと下った。 暗く狭く曲がりくねった県道を抜け、中津川ICより中央道に乗る。自宅までもう射程距離である。10日間の長旅の余韻を味わいつつ、パジェロミニを走らせた。

 

2001年4月8日(日)
2004年5月9日(日)
国民宿舎・恵那山荘泊

 
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