旅と宿 No.012
広い食堂でたった一人の夕食を |
<国民宿舎> |
<冬の能登半島> |
禄剛埼灯台 |
車に戻ると、大事な作業が残っていた。今夜のねぐらを決めるのだ。午後3時を過ぎているので、もうそろそろ確保しておいた方が無難だ。勿論、この寒い冬の時期に野宿はできない。
れっきとしたホテルか旅館に泊まるのだ。それにしても便利な世になった。携帯電話を使い、暖かい車内に居ながらにして予約の電話ができる。
これが数年前なら、まず公衆電話を探し出し、そして宿泊表などの分厚いガイドブックやボールペンにメモを持ち、寒さに凍えながら予約が取れるまで辛抱強くあちこち電話を架けなければならなかった。
さすがにまだスマホが使える時代ではなかったので、宿のネット検索などできないが、それでも慣れた自分の車の中で落ち着いて電話ができるというのは有難いことだった。 |
真浦海岸 |
窓岩ポケットパークや白米の千枚田などにも寄りつつ、輪島市街を目指す。道の駅・千枚田に寄った時、一人のおばあさんが近付いて来た。そして籠に入った手作りだと思われる小さな藁細工のような土産を薦めてきた。
普段から土産など全く買わないので断っていたのだが、しつこく付きまとって来る。結局、半強制的に500円を支払うことになった。能登の暮らしは厳しいものがあるのあろう。これも経験である。
その馬をかたどったような藁細工は、後に妻となる女性へのプレゼントとなった。妻に聞いてみたが、今はもうどこに行ったか分からないようだ。 |
宿の前より袖ヶ浦を望む |
宿は日本海を望む高台にある一軒宿で、こうした立地はかんぽの宿とも類似している。この宿の為だけに土地を切り開き、県道から宿までの専用の車道を開削したのではないだろうか。
それなりの資金力が必要だ。公営の国民宿舎ならではであろうか。 |
坂道を登り切るとそこに宿がある |
建物は3階建てでそれほど大きくはないが、中はなかなか豪華である。赤いじゅうたんのエントランスに、日が暮れると賑やかな照明が灯った。時間は午後の5時を少し回ったくらいである。
丁度いいタイミングでチェックインができた。カウンターには予約の電話をした時に出たらしい女性が一人、その応対がなかなか感じがいい。 |
吹き抜けのロビーの照明 |
<部屋> |
部屋の様子 |
<風呂> |
奥に見える別棟が浴場 |
<布団敷き> |
<夕食> |
宿の正面玄関 |
<就寝> |
<起床> |
沖に七ッ島が見える |
<竜ヶ崎へ> |
宿の前から眺める袖ヶ浜 |
竜ヶ崎も望む |
<竜ヶ崎にて> |
竜ヶ崎より袖ヶ浦を望む |
竜ヶ崎からの宿の遠景 |
<朝食> |
<出立> |
領収証 |
箸袋 |
8時ちょっと過ぎにはもうキャミを走らせていた。今日は月曜日、一週間の始まりである。輪島市内では朝の通勤・通学の風景を目にする。雪道に自転車をこぐ学生たちが大変そうだ。
国道に入り、まずは金沢方面に向かう。今日中にこの輪島の地から東京の自宅まで戻らなければならない。しかし、当時の私の身体は自分の思い通りに動いてくれていた。何の不安もない。
いつもの様に、あっちの峠こっちの峠道と、いろいろ寄り道しながら帰ろう。 |
あの宿はその後どうなっているかと調べてみると、既に閉館し、建物も取り壊されているようだ。まさか、私が食堂を一人で使った為に経営が悪化したという訳ではないが、何となく気が引ける。
宿があった高台の跡地には、今は老人ホームが建っているらしい。これも世の趨勢であろうか。 |
2003年2月2日(日) |
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