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蟻越峠
  ありこしとうげ  (峠と旅 No.341)
  旧国道に細々と通じる小さな峠道
  (掲載 2025. 9.11  最終峠走行 2002. 1. 6)
   
   

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蟻越峠 (撮影 2002. 1. 6)
手前は奈良県吉野郡十津川村大字竹筒
奥は和歌山県東牟婁郡熊野川町大字玉置口(現・新宮市熊野川町玉置口)
道は国道169号(現・旧道)
峠の標高は270m余り(地理院地図の等高線より)
この時はまだ現役の国道169号だった
冬期だったので、「スリップ注意」の看板が立ち、凍結防止剤が置かれていた
今は県境の看板も、「熊野川町」から「新宮市」に変わっていることだろう

   

峠の概要

   

<掲載動機(余談)>
 前回の風伝峠地理院地図)の終着点が、今回の蟻越峠の出発点でもある。 紀伊半島・紀伊山地に位置する峠を掲載しているので、そのついでという訳だ。

   

<立地>
 風伝峠は熊野灘に面する沿岸部と旧紀和町や更に内陸の奈良県十津川村方面などを結ぶ重要路だった。かつては熊野詣での熊野街道(熊野古道)としても利用された峠道だ。大きな分水嶺にも立地していた。
 
 一方、今回の蟻越峠は、峠のどちら側に下っても同じ北山川(きたやまがわ)沿いに出る。峠は北山川の小さな支流の分水界でしかない。北山川が鋭い屈曲を繰り返す為、川に沿って道を通すことを止めて分水界の小さな尾根越えの峠道となったようだ。
 
 風伝峠も蟻越峠も、どちらも以前は国道が通じていた峠だが、峠道としての規模は全く異なる。風伝峠は、峠道の考え方にもよるが、その全長は30Km前後と見ることができる。一方、蟻越峠の延長は精々5.6Km程度だ。

   

<所在>
 峠道は概ね南北方向に通じ、峠の南側は奈良県吉野郡(よしのぐん)十津川村(とつかわむら)大字竹筒(たけとう)となる。
 
 北側は和歌山県新宮市(しんぐうし)熊野川町(くまのがわちょう)玉置口(たまきぐち)で、 旧東牟婁郡(ひがしむろぐん)熊野川町大字玉置口だ。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<県境>
 小さな峠道と言いながら、蟻越峠は県境の峠になっている。しかも、奈良県が南側で和歌山県が北側になる。ちょっと不思議な立地だ。これは和歌山県の旧熊野川町(現新宮市熊野川町)に飛地がある為だ。 明治4年(1871年)に行われた府県区画整理で、北山川の右岸は新しく「和歌山県」としたことが関係するらしい。
 
<十津川村竹筒>
 和歌山県の飛地の間に割り込んでいるのが奈良県十津川村竹筒(たけとう)になる。奈良県の南端位置する十津川村にあって、竹筒は更にその南端に位置する。奈良県最南端の地となる。
 
<竹筒トンネル>
 この近辺は三重・奈良・和歌山の3県が接する地帯で、激しく屈曲する北山川に飛地も加わり、複雑な状況を呈している。それでも以前の蟻越峠は赤塗りの国道だったので、道路地図上で見付けるのはそれ程難しことではなかった。しかし、今は国道169号に新道の竹筒トンネル(地理院地図)などが開通し、蟻越峠は旧道の身となっている。白抜きの道ではどこに通じているか非常に分かり難い。そこで、まず国道の竹筒トンネルを探し出し、その少し左に目を移すと、やっと県境に蟻越峠が見付かる。
 
 ただ、竹筒トンネルの竣工は2015年5月と比較的最近のことである。私の持っているツーリングマップ(ル)は最も新しい物でも発行が丁度2015年で、どの地図を見ても国道は蟻越峠を越えている。

   

<水系>
 前述の様に、峠の前後とも熊野川(新宮川水系)の支流・北山川(きたやまがわ)水域の中の狭い範囲だ。北山川の更に小さな支流上部に峠は位置する。
 
 十津川村側では地理院地図に支流の記載がある(地理院地図)。名前を調べてみると、「湯之谷川」と呼ぶようだ。
 
 新宮市熊野川町側では、一旦北山川支流の玉置川(たまきがわ、地理院地図)沿いに通じ、その後、更にその支流・平谷川(地理院地図)の水域を登って行く(地理院地図上に平谷川の記載はない)。

   
   
   

峠の十津川村側

   
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十津川村などの観光案内の看板 (撮影 1993. 3.28)
竹筒口バス停の脇に立つ
背後には北山川を見渡す
ジムニーは熊野川町側から蟻越峠を越えて来たところ

<竹筒口>
 蟻越峠の十津川村側起点は竹筒口(たてとうぐち)になる。元は国道169号から国道311号が分岐する地点だった(地理院地図)。分岐の少し西側手前の国道169号沿いに、熊野交通の竹筒口バス停があった。
 
 また、その脇には観光案内図の大きな看板が立っていた。三重県の紀和町(現熊野市)と和歌山県の北山村・本宮町(現田辺市)・熊野川町(現新宮市)、奈良県の十津川村の連名で、なかなか広範囲の観光案内である。それだけこの分岐が交通の要衝であることを示していた。

   
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観光案内の看板 (撮影 1993. 3.28)
地図は概ね下が北


<竹筒>
 バス停の「竹筒口」という名からしても、この地点は竹筒集落への「入口」としての性格があるようだ。 旧国道169号を北東の蟻越峠方向に進むと「上地」という集落名が見え(地理院地図)、分岐近くの村道を西に行くと「葛山」という集落名がある(地理院地図)。竹筒の人家が最も多く点在すのは東に進む旧国道311号沿いとなるのようだ。
 
 その道筋を更に行けば北山川を渡って三重県の旧紀和町に入り、続いて風伝峠(トンネル)を越えて熊野灘沿海に至る。また、竹筒より北山川沿いに南へ下れば、和歌山県の旧熊野川町に入り、更に熊野川本流沿いに下れば新宮市街に通じる。 竹筒は奈良県十津川村に属しながら、その経済圏域は和歌山県側に入るようだ。
 
<竹筒村>
 江戸期からの竹筒村で、明治22年に吉野郡東十津川村の大字、明治23年からは吉野郡十津川村の大字となって行った。
 
<分岐の様子>
 国道169号と311号の分岐点は交通の要衝だけあって、何度か訪れ、写真に撮る機会も多かった。その様子は年を追うごとに変貌して行った。

   
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分岐の様子 (撮影 1996.11. 4)
道路改修前
これから蟻越峠に向かうところ

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分岐に立つ道路標識 (撮影 1996.11. 4)

   
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前の写真と同じ場所 (撮影 2002. 1. 6)
国道169号沿いの改修が始まっている

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前の写真と同じ道路標識 (撮影 2002. 1. 6)
内容に変わりなし

   

<道路標識>
 国道169号方面には「北山(きたやま) 瀞(どろ)」とあった。和歌山県の北山村と、北山川の峡谷・瀞峡(どろきょう)を示すものと思う。国道311号方面にある「熊野 紀和」は熊野市と紀和町を指していたのだろうが、今は紀和町も熊野市の一部となっている。 

   
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国道169号の様子 (撮影 1996.11. 4)
瀞峡などへの案内看板が立つ

   

<案内看板>
 国道169号で蟻越峠を越えた先には、主に瀞峡関係の観光案内が多く示されていた。ただ、「北山村いかだセンター」へは国道311号行くように指示されていた。現在は国道169号が概ね北山川沿いに北山村へと通じている。 しかし、以前はその途中が未開通だった。この地点より一旦国道311号を進み、途中から県道40号・熊野矢ノ川線などを行くしか手段がなかった。それだけ北山川沿いが険しいことを示していた。

   
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瀞峡などへの案内看板 (撮影 1996.11. 4)
「北山村いかだセンター」へは国道311号で

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国道169号の様子 (撮影 2002. 1. 6)
(右は国道311号)
これから4度目の蟻越峠越えに向かう
道路改修が進められている様子だが、
道は以前通りの狭いまま 

<4度目の峠越え(余談)>
 4度目に蟻越峠を越えた時は、後の妻となる同伴者が居た。車は彼女が所有していた三菱のミラージュという車だった。ジムニーなどと比べると、異常に車高(最低地上高)が低いセダンタイプだ。
 
 久しぶりにその分岐点に来てみると、国道169号は改修工事が進められているものの、相変わらず元通りの狭い道である。それまではバイクや軽自動車のジムニーに乗っていたので、狭い道も何のそのだ。 それにいつも一人旅だったので、何かあっても全て自己責任で済んでいた。
 
 しかし、今回はミラージュに同伴者付きである。国道169号は恐ろしい程狭く目に映った。連れも不安げである。 ただし、ミラージュでは未舗装の釣瓶峠(トンネル)を越えた経験があった(パンクはしたが)。仮にも国道の峠が越えられない訳がない。意を決して蟻越峠に車を進めたのだった。

   
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分岐の様子 (撮影 2002. 1. 6)

   

<改修工事後>
 その2年後(2004年5月)に訪れた時、分岐は見違えるように生まれ変わっていた(下の写真)。

   
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分岐の様子 (撮影 2004. 5. 4)
この時は改修工事が終わっていた
右側の小屋は竹筒口バス停
パジェロ・ミニの横にはインクラインがある

   

<改修後の分岐>
 ただ、旧紀和町方面より国道311号を走って来たのだが、その途中は相変わらず狭い道だった。また、よくよく見ると、国道169号の方も分岐前後の僅かな距離だけセンターラインがあるものの、その先はやはり昔のままの狭さだった。 何だか見掛け倒しの改修という雰囲気であった。

   
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国道311号側から見た分岐 (撮影 2004. 5. 4)
一見立派そう

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分岐より国道169号を下流方向に見る (撮影 2004. 5. 4)
左手に竹筒口バス停が立つ
以前はその脇に観光案内図の看板が立っていた

   
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分岐の道路標識 (撮影 2004. 5. 4)
国道311号側から見る

   

<村道笠捨瀞線(余談)>
 2004年に訪れた時は、蟻越峠方向に「通行時間制限」の工事看板が立っていた。国道169号に関するものかと思ったら、村道笠捨瀞線についてだった。田戸橋(地理院地図)から瀞八丁(どろはっちょう、地理院地図)までの区間が時間通行止とのこと。国道には影響なかった。
 
 しかし、以前の国道169号は、田戸橋を渡った後、瀞八丁に至り、そこで不通となっていた。今は北山村に通じる「奥瀞道路」が開通し、その区間は村道笠捨瀞線の一部となったようだ。

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分岐に立つ看板 (撮影 2004. 5. 4)
「通行時間制限」の工事看板が立っていた

   

<分岐に立つ看板>
 「奥瀞道路」と呼ぶ新しい国道169号が開通し、名実共にこの国道は北山村に通じる道となった。「北山」の案内看板も、改めて蟻越峠方向を指していた。 しかし、相変わらず蟻越峠の道は険しく、大型のトレーラーなどは通行困難であった。奥瀞道路の更なる改良が待たれた(現在は完成)。

   
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分岐に立つ看板 (撮影 2004. 5. 4)
「北山」はやっと国道169号方向を指すようになっていた
観光案内図の看板がこちらに移設されていた

   

<観光案内図>
 観光案内図の看板は、以前は竹筒口バス停脇の北山川を見渡す位置に立っていた。分岐周辺が改修・拡幅された後は、蟻越峠方面の道路脇に移されていた。バス停脇からの眺めが悪くなり、少しでも視界が広いこちら側に移設したのかと思った。 ただ、看板前の車を停めるスペースは狭くなった。以前の場所の方が、心置きなく停められたと思う。

   
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以前の観光案内図の看板 (撮影 2002. 1. 6)
バス停脇に立っていた頃
車は停め易かった
(写っている車は他人の物)

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観光案内図の看板 (撮影 2004. 5. 4)
蟻越峠方面の道路脇に移設(看板自体は以前と同じ物)
(この看板は今はもうなくなったようだ)

   

<インクライン(余談)>
 分岐から国道311号側に入って直ぐの川側に、ちょっとした小屋がある。そこから崖下へと急斜面にレールが施設されていた。崖下の北山川沿いには何かの建物も見える(地理院地図)。

   
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インクラインの上部側の小屋 (撮影 2004. 5. 4)

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インクラインのレール (撮影 2004. 5. 4)
下に乗り物が見える

   

 どうやらこれはインクラインなどと呼ばれる人や物を移動する装置のようだ。崖下の建物へは車道が通じていない様子で、このインクラインがその代替移動手段となるらしい。北山川沿いの険しい地形を物語っている。こうしたインクラインには馬路村で実際に乗ったことがある。

   
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鋭く湾曲する北山川 (撮影 2004. 5. 4)
国道311号に少し入った旧道沿いより望む(地理院地図
この辺りの崖下にも建物が見える

   

<新しい分岐>
 国道169号が蟻越峠から竹筒トンネルに換線された後は、国道311号の分岐は大きく東に移った(地理院地図)。竹筒の集落も尽きた先である。かつて人家の間を縫うように細々と国道311号が通じていた区間には、立派な2車線路が建設された。そこは国道169号と311号の併用区間となるようだ。

   
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この先で左に国道311号が分岐する (撮影 2015.10.14)
手前が竹筒トンネル方面(ドラレコ画像)

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竹筒の集落内を行く (撮影 2015.10.14)
立派な2車線路
ここは国道169号と311号の併用区間となった
正面斜面の集落は上地集落
その前を旧国道169号が通る

   
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葛山トンネル手前 (撮影 2015.10.14)
これから開通直後のトンネルを抜ける
坑口上部には古い分岐がある

<古い分岐>
 一方、新しく葛山トンネル(地理院地図)の開通により、それまでの分岐は完全に国道から外れてしまった。葛山トンネルは2015年7月の竣工だそうで、偶然ながらその直後の10月に葛山トンネルを抜けている。古い分岐の様子は全く変わったことだろう。

   
   
   

峠へ

   

<峠道の様子>
 蟻越峠は4回は越えているはずなのだが、峠に立ち止まったという記憶は一度もない。小さな峠だし、そもそも国道が通じている。未舗装林道などを好んで走り回っていた時期だ。ちょっとやそっと険しくとも、国道というだけでほとんど気に留めることがなかった。

   
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蟻越峠(再掲) (撮影 2002. 1. 6)
「幸せは運転マナー守る人」と書かれた標柱が立つ
奥には瀞峡の案内看板が並ぶ

   

 この分では峠を写した写真も全くないだろうと諦めていたが、辛うじて2枚だけ見付かった。それは最後にミラージュで越えた時だった。一枚は、車を降りずに十津川村側から熊野川町へと抜ける時、県境看板が立つ付近を写したものだ(上の写真)。ゆっくりではあるが走りながら撮ったので、ピンボケである。
 
 改めて見ると、蟻越峠は視界のない寂しい峠だ。奈良・和歌山の県境であるということだけを看板が誇るかのようである。後は瀞峡の案内看板が僅かに立つ程度だ。
 
 峠までの道筋も大方谷沿いで、見晴らしのいい山岳道路をクネクネ登るような面白味は全くない。また、国道311号の分岐から峠まで、僅か3.5Km足らずと道程も短い。途中、上地の集落を抜けるが、それ以外沿道に関心を引くものもない。

   

<蟻越峠バス停>
 もう一枚の写真は、峠の脇に立つバス停であった(下の写真)。そこには「蟻越峠」とバス停名が書かれていたのだ。この峠についてはツーリングマップ(ル)程度の粗い縮尺の道路地図には、名前の掲載がない。そのバス停によって初めて峠の名を知った。その証拠写真を撮ったような訳だ。

   
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蟻越峠バス停 (撮影 2002. 1. 6)
峠の傍らに立つ

   

<峠道の道筋>
 そもそも蟻越峠の道筋は、屈曲する北山川沿いをショートカットしているだけで、あまり峠道だという認識を持ち難い。そうした類似箇所は他にも北山川や本流の熊野川沿いなどにいくつか見られる。
 
 例えば、国道311号を紀和町方面に進むと、奈良県と和歌山県の境を過ぎる(地理院地図)。ここもちょっとした峠の様になっている(下の写真)。蟻越峠より北山川に近い内側にあり、蟻越峠の小型版という峠道だ。しかし、こちらには峠名などないらしい。
 
 今回の峠についても、蟻越峠という峠名が存在したことが不思議に思えるくらいだった。ただ、この近辺の北山川の蛇行は特に激しく、最も峠道らしい形にはなっている。
 
 近年開通した奥瀞道路は、幾つものトンネルにより直線的に通じた。それぞれのトンネルがいわば小さな峠のようなものである。これだけ峠が連続する道も少ないだろう。ただ、蟻越峠以外に峠名を持つ箇所は、まずない。

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蟻越峠バス停 (撮影 2002. 1. 6)
既に使われていない様子だ

   
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国道311号の奈良・和歌山の県境 (撮影 1996.11. 4)
手前が奈良県十津川村、奥が和歌山県熊野川町(現新宮市)
ちょっとした峠の様相を呈する

   

<峠名について>
 蟻越峠については、その名の由来をはじめ、詳しいことは何一つ分からない。とても小さな峠なので、いつも頼りにしている文献(角川日本地名大辞典)などには全く登場して来てくれない。とにかく熊野交通のバス停の名から峠名を知っただけである。その熊野交通も今は熊野御坊南海バスに変わり、蟻越峠バス停を通るバス路線はもう存在しないらしい。

   

<「こし」か「こえ」か>
 そもそも蟻越峠を「ありこしとうげ」と読むかどうかも怪しい。「越」は「こし」(ごし)と読んだり、「こえ」(ごえ)とも読んだり、いろいろだ。幾つか例を挙げる。
 ・馬越峠(うまこしとうげ)
 ・鍋越峠(なべこしとうげ)
 ・兵越峠(ひょうごしとうげ)
 ・峰越峠(みねこしとうげ)
 ・持越峠(もちこしとうげ)
 
 以上は「こし」または「ごし」である。一方、「ごえ」と読む峠もある。
 ・霧越峠(きりごえとうげ)
 ・鳥越峠(とりごえとうげ)
 
 ただ、峠名の読みは慣例的な面が強く、必ずしも上記の読みだけが正しいという訳ではない。
 
 個人的には「何々こしとうげ」と読む方が自然な感じを受ける。そこで蟻越峠も「ありこしとうげ」だろうと思った。
 
 一方、霧越峠(きりごえとうげ)などの「ごえ」は奇異な印象を持つ。しかし、文献(角川日本地名大辞典)では確かに「きりごえとうげ」で出ている。
 
 また、霧越峠も鳥越峠も、「り」に続いて「ごえとうげ」となっている。その法則に倣えば、「あり」にも「ごえとうげ」が続くかもしれない。
 
 最近、生成AIが話題である。私も乗り遅れまいと、MicrosoftのCopilotに聞いてみた。すると、「ありこし」と読むのが定着しているが、「ありごえ」と読んでも意味は通じるとのこと。また、地元や地図表記では「こし」が正式な読みとされている、と回答してきた。

   

<越(余談)>
 余談ついでに、「何々越」という峠について例を挙げる。
 ・牛廻越(うしまわしごえ)
 ・伊賀越(いがごえ)
 ・小田越(おだごえ)
 ・尾平越(おびらごえ)
 
 また、以下のような峠もある。
 ・蟻ノ越(ありのこし)(ありのえつ)
 ・見ノ越(みのこし)
 
 「何々越」については、「こし」より「ごえ」の方が多いという印象だ。尚、蟻ノ越は牛廻越の別称ともなる峠名だ。同じ紀伊半島にあり、今回の蟻越峠とは「蟻」繋がりで、何らかの関連があるかもしれない。

   

<峠名の由来(蟻)>
 名の由来については尚更正確には分からない。ただ、紀伊山地と言えば熊野街道・熊野古道が通じていたことで知られる。「蟻の熊野詣で(もうで)」と言われ、多くの人々が「蟻」のように列をなして参詣したと伝わる。前回の風伝峠は、その熊野古道の一つであった。
 
 今回の蟻越峠は、熊野古道として一般に認知されている様子はないようだが、かつては少なからず熊野三山への参詣者の往来があったことだろう。「蟻の熊野詣で」と無関係とは言い切れない。
 
 また、熊野古道に固執せずとも、単純に蟻のように一列になって越えるような狭く険しい峠を表した、とするのも自然だろう。
 
 ただ、あまり「蟻」ばかりを気にしていても見誤る可能性がある。こうした名前に使われる漢字は、何かの「当て字」であることがままある。蚊無峠(かなしとうげ)は、峠一帯が「蚊の群がる地」であることがその名の由来だそうだ。峠越えに際し、蚊の大群にでも遭遇しなければいいなと思ったことが、「蚊無」となったものだろうか。その一方、何かの「かなし」を「蚊無」の文字に当てたとする意見もあるようなのだ。

   
   
   

峠の新宮市熊野川町側

   

<玉置口>
 峠の北側は和歌山県の新宮市熊野川町(旧熊野川町)で、大字では玉置口(たまきぐち)となる(地理院地図)。北山川の支流・玉置川が本流に合流する谷口に位置することから、「玉置口」の名があるそうだ。
 
<玉置の読み(余談)>
 文献(角川日本地名大辞典)では確かに玉置口は「たまきぐち」で載っているが、まれに「たまいぐち」と読むこともあるようだ。玉置川の上流部に位置する十津川村の地名「玉置川」は「たまいがわ」と読む(地理院地図)。かつては「玉井川」とも書いたようだ。
 
 その一方、同じ十津川村に位置する玉置山や玉置神社の「玉置」は「たまき」が一般的であるようだ。河川名の玉置川はどちらか分からないが、やはり「たまきがわ」だと思う。普通に考えると、地名の「玉置川」(玉井川)だけちょっと変わって「たまい」で、他は全て「たまき」だと思える。
 
<玉置口村>
 大字玉置口は江戸期からの玉置口村で、文献(角川日本地名大辞典)によると、「村内の集落は4つに分かれ、上地・下地・大向・王子という小名(こな)から成る」としている。現在の地図では、上地(かみじ)、下地(しもじ)、陰地(おうじ)が見られる。「陰地」は「王子」に相当するそうだ。一方、大向がないが、その代わりに坂本という地名が見られる。
 
 明治22年に玉置口・嶋津の2か村が合併して新しい玉置口村となり、昭和31年には熊野川町の一部となって村制時の2大字(玉置口・嶋津)が継承された。

   

<玉置口へ下る>
 蟻越峠を玉置口側に下る。十津川村側に比べると、幾分開けた雰囲気だ。ただ、相変わらず国道とは思えない狭さが続く。
 
 道は最初に陰地(おうじ)の集落を過ぎる(地理院地図)。しかし、沿道からはその小さな集落の様子はほとんど伺えない。
 
 その後、玉置川の支流・平谷川沿いに下る。

   

<玉置口橋>
 道は本流の玉置川右岸沿いに出ると、直ぐに玉置口橋で左岸に渡る(地理院地図)。この橋は銘板によると「たまいぐちばし」と呼ぶようだ。「たまき」と「たまい」があちこちで混在している。
 
<「瀞の郷」入口(終点)>
 橋の先で右に道が分かれる(地理院地図)。入口に「瀞の郷」と案内があった。
 
 この分岐より先の国道169号は、玉置川左岸沿いを田戸隧道(地理院地図)へと登って行ってしまう。いわば田戸隧道の峠道の範疇と言える。よって、蟻越峠の道はこの「瀞の郷」入口で終点となる。
 
 十津川村側の国道311号分岐から6Km足らずと、車ならアッと言う間だ。これでは峠越えをしたという気がしないのも無理はない。ちょっと頑張れば、歩いても越えられそうな峠道である。

   
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「瀞の郷」入口 (撮影 1996.11. 4)
手前が峠方向、奥が田戸隧道方向
右が「瀞の郷」へ

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左とほぼ同じ場所 (撮影 2002. 1. 6)

   

<奥瀞道路>
 この分岐には、よく国道169号開通や奥瀞道路に関した看板が立っていた。奥瀞道路は幾つかの工期に分かれて開発されているので、その全貌はよく分からない。ただ、瀞八丁から北山村の大字小松(地理院地図)までの国道169号の未開通区間が初めて通じたことの意義は大きいと思う。

   
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国道169号の看板 (撮影 1996.11. 4)
この熊野川町から先、北山村へと道路を開く計画だ

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奥瀞道路の看板 (撮影 2002. 1. 6)
「瀞の郷」入口とは反対の玉置川沿いに立っていた

   
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奥瀞道路の看板の地図 (撮影 2002. 1. 6)

<蟻越峠の新道>
 尚、この玉置口から十津川村竹筒までとなる、蟻越峠の新道区間も奥瀞道路に含まれるようだ。奥瀞道路の瀞峡(どろきょう)トンネル(地理院地図)に続き、国道169号は玉置口の上地(かみじ)集落上空を走り(地理院地図)、そのままは玉置川を渡る(玉置口第一橋)。これが蟻越峠に代わる新道(竹筒トンネルなど)へと続く。

   
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奥瀞道路の新しい国道169号 (撮影 2015.10.14)
上地集落付近の上空を行く
手前が瀞峡トンネル方面
奥に見えているのは玉置口トンネル
橋は、まず玉置口第一橋で玉置川を渡り、玉置口第二橋で平谷川を渡る

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玉置川を下に見る (撮影 2015.10.14)
奥の山際に通じるのが元の国道169号(地理院地図

<竹筒トンネルと玉置口トンネル>
 もう、かつての玉置口橋や「瀞の郷」分岐などとは別世界を行く。その付近は林の陰になって現在の国道169号上からは全く窺い知ることができない。
 
 蟻越峠の峠道に代わる区間は主に竹筒トンネル(地理院地図)が担っている。付属的に短い玉置口トンネルが並ぶ(地理院地図)。尚、玉置口トンネルの「玉置」は「Tamaki」(たまき)となっていた。「たまい」ではない。
 
 どちらのトンネルも竣工は平成27年(2015年)5月29日だそうだ。瀞峡トンネルの完成より遅かったことになる。

   
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玉置口トンネル (撮影 2015.10.14)
玉置口側の坑口

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竹筒トンネル (撮影 2015.10.14)
玉置口側の坑口

   
   
   

瀞の郷(余談)

   

<瀞の郷>
 「瀞の郷」というのは瀞峡観光の一拠点だった。玉置口の下地(しもじ)にあり、この集落は玉置口の中で唯一北山川本流沿いに立地する(地理院地図)。

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「瀞の郷」入口に立つ看板 (撮影 1996.11. 4)

   
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「瀞の郷」入口に立つ看板 (撮影 2002. 1. 6)
前の写真とほとんど変わりはない

   

<峠道の役割>
 十津川村の大字玉置口にとって、北部の十津川村中心地との交通より、北山川下流域の和歌山県熊野川町方面との交通の方が、経済面などの観点で重要であろう。その点、蟻越峠は唯一とも言える貴重な陸路となる。この峠道は玉置口の住民の生活を長年支えて来たものと思う。
 
<舟運>
 一方、陸路を開削するには厄介な北山川も、舟運に利用することは可能だったようだ。北山川から本流の熊野川(新宮川)と下れば、沿岸部の大きな都市・新宮市内に至る。第2次大戦前までは筏流しの名所としても知られていたとのこと。 そう言えば、新宮では大きな貯木場を見掛けた。十津川方面からの木材が多く集まって来るようだ。ただ、昭和35年から筏流しの代わりに陸送に変わったとのこと。
 
 現在どのように運行されているか分からないが、新宮よりウォータージェット船が就航されている。瀞の郷などへと観光客を運ぶそうだ。

   

<以前の「瀞の郷」>
 ただ、今はもう「瀞の郷」という呼び名は使われないようだ。施設の一部は閉鎖されているらしい。

   
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瀞峡案内の看板 (撮影 1996.11. 4)
「瀞の郷」の観光地図

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瀞峡案内の看板 (撮影 2002. 1. 6)
左の写真と同じ物だった

   

 以前の「瀞の郷」は、ウォータージェット船の発着場の前を過ぎ、更に奥まで車が入れた(地理院地図)。

   
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瀞の郷の森案内図の看板 (撮影 2002. 1. 6)

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瀞の郷の森案内図の拡大 (撮影 2002. 1. 6)
「熊野川」とあるが、正確にはその支流の「北山川」

   

 終点のちょっとした高台に物見塔が建っていて、その上より瀞八丁(どろはっちょう、地理院地図)が望めるようになっていた。物見塔の周囲には滑り台などの遊具も揃っていた。

   
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物見塔 (撮影 2002. 1. 6)
「瀞の郷」の最奥に建つ

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物見塔から望む瀞八丁 (撮影 2002. 1. 6)

   
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瀞八丁の望遠 (撮影 2002. 1. 6)
右手奥に見えているのは旧国道の田戸隧道出口付近と思われる
この時点ではまだ瀞峡トンネルは通じていない

   

<嶋津(余談)>
 玉置口のある旧熊野川町の飛地には、もう一つ、嶋津(しまづ)という大字がある。大字嶋津には嶋津(地理院地図)と河根(こうね、地理院地図、)の2地区が存在する。同じ飛地内にありながら、玉置口と嶋津を直接結ぶ車道はないようだ。
 
 ただ、前述の様に、北山川に浮かぶ川船がそうした集落の間に通っていたのだろう。車道が発達する以前、多くの荷物や木材などを運ぶには、舟運の方が適していたと思われる。
 
<嶋津村>
 江戸期の嶋津村では、対岸の小川口(こがわぐち、現熊野市紀和町小川口、地理院地図)は小名であった。反対に、河根は対岸の湯ノ口村(ゆのくち、現熊野市紀和町湯ノ口、地理院地図)の一部であったそうだ。大きな川を隔て、そこに橋が架かっていなくとも、近しいお隣同士の集落だった。用がある時は川船で行き来していたのだろう。
 
 それが例の明治4年(1871年)に行われた府県区画整理により、嶋津村は和歌山県、その枝郷・小川口は三重県に編入された。一方、河根は湯ノ口村から分かれて嶋津村の一部となった。
 
 現在、嶋津と小川口を結ぶ瀞大橋(s52.9)が架かり(地理院地図)、両集落間の行き来は格段に容易になっている。古くから嶋津の生活・経済面では旧紀和町の中心地・板屋(地理院地図)との結び付きが強かったそうだ。ただ、この付近一帯の過疎化は進んでいる。ちょっとした用事でも、遠く新宮市街まで車を走らせる必要があるのだろう。

   
   
   

<終わりに>
 蟻越峠は小さな峠で、話もその周辺の狭い範囲に終始した(相変わらずくどい話しだが)。それでも奈良・三重・和歌山と、紀伊半島を構成する3県全てが登場する。 瀞峡という名の知れた観光地を有しながら、かつては国道さえ一部未開通という険しさだ。さながら紀伊半島の「深部」という印象がある。それもあってか、この地を訪れた回数は多い。地域のその特異性が私を呼び寄せたようだ。
 
 しかし、写真はあまり撮ったことがなかった。蟻越峠についても辛うじて2枚残るだけだ。近年の奥瀞道路の開通は、この地の様相を一変させた。地面の遥か上空を突っ走る国道からは、「深部」の雰囲気は到底感じられない。 もっと丹念に旅をし、写真ももっと撮って置けばよかったと思う、蟻越峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1990年前後 蟻越峠を越えたはず/多分AX-1にて
・1993. 3.28 熊野川町→十津川村/ジムニーにて
・1996.11. 4 十津川村→熊野川町/ジムニーにて
・2002. 1. 6 十津川村→熊野川町/ミラージュにて
・2004. 5. 4 旧R169・R311分岐に寄る、その後山在峠へ/パジェロ・ミニにて
・2015.10.14 熊野川町→竹筒トンネル→十津川村/パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 29 奈良県 1990年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 30 和歌山県 1985年7月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名体系 24巻 三重県の地名 1983.5.20 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名体系 30巻 奈良県の地名 1981.6.23 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名体系 31巻 和歌山県の地名 1983.2.18 初版第一刷 (株)平凡社
・熊野市・十津川村・新宮市の公式ホームページ
・その他の道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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