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乙見山峠
 
おとみやまとうげ
 
長野・新潟の県境を越える長大な峠道
 
 
 
乙見山峠(乙見隧道) (撮影 2001. 7.29)
乙見隧道越しに長野県小谷村おたりむら中土なかつち側を見る
隧道の反対側は新潟県妙高市(旧妙高高原町みょうこうこうげんまち)杉野沢
隧道の標高は約1,510m(地形図より読む)
隧道の上にある本来の峠の標高は約1,550m(参考資料より)
 
写真に写っているのは以前乗っていたジムニー
その右隣に「長野県」と書かれた看板がポツンと立ち、
ここが県境の峠であることを辛うじて示している
その向こうには雄大な景色が広がる
 
 
 
 これまで、険しい峠や長大な峠は粗方この「峠と旅」に掲載してしまい、もうあまり面白い峠は残っていない。しかし、この乙見山峠は違う。真打登場と言ったところだ。新潟と長野の県境を越える峠であり、見方によっては新潟県側の国道18号から長野県側の国道148号までを繋ぐ、極めて長い長い峠道と言える。しかも、峠の前後は未舗装林道(2003年8月現在)と言う険しさをも併せ持つ。日本広しと言えども、これだけの峠はなかなかあるもんじゃない。
 
 既に乙見山峠の長野県側近くに位置する湯峠を掲載済みだが、今回はこの乙見山峠について、長野県側(峠の西側)から登って新潟県側(峠の東側)に下るまで、じっくり旅してみたいと思う。
 
 
 
<県道の分岐点>
 
 長野県側の峠道は、フォッサマグナで知られる姫川に沿って走る国道148号から、姫川の支流・中谷川(なかやがわ)に沿う県道114号・川尻小谷糸魚川線に分かれて始まる。今では新しくできた国道のバイパス路、平倉トンネルと中土トンネルとの間で僅かにトンネルの外に出るが、そこで目的の県道が分岐しているのだ。国道が中谷川を渡る100mちょっとの区間である。改修されて快適な国道を突っ走っていると、ややもすれば通り過ぎてしまいそうで、分岐には少し緊張する。
 
 以前はこれらのトンネルはなく、国道が姫川橋で本流の姫川を渡るなり、県道はその橋の方向に伸びていた。今の国道の平倉トンネルと中土トンネルの間から、峠方向とは反対方向を眺めると、直ぐそこに古い国道がひっそり残っているのが見える。
 
 県道が分岐するこの近辺に集落はなく、暗い谷間に姫川がゴウゴウと流れ、薄気味悪いくらいに寂しい所だ。特に私には暗い印象があった。
 
 乙見山峠を最初に越えたのは、もう13年近く前の1993年10月10日のことで、その日、私は新潟県側から登り、峠を越えて夕暮れ迫る長野県小谷村へと降りて来た。県道を下りながら野宿地を探していたのだが全く見つからず、遂には国道に出てしまった。こうなっては尚更野宿地など望むべくもない。薄暗い中で周囲を見渡すと、県道を少し戻った所で中谷川の河川敷を工事していた。現在の新国道が通る辺りだろうか。ロープが渡され工事現場には一般車が降りられないようになっていたが、緊急避難とばかりにロープをちょっとどけ、中に車を乗り入れた。
 
 そこは大きな石がゴロゴロする寂しい河川敷で、重機や工事資材などが雑多に置かれ、あまり気持ちのいい所ではなかった。しかし、星が瞬き始めた空を見上げ、他にもう手はないと、中谷川に添い寝して一晩を過ごしたのだった。
 
 今回(2003年8月13日)は、前日に泊まった小谷村にある来間温泉(くるまおんせん)の公共の宿・風吹荘(大糸線北小谷駅の近く)を出発し、国道を4、5Kmも走れば早々と県道に入ることができた。最近、野宿をサボってこうした旅館泊が多くなってしまった(反省)。今日は、空に雲が多いものの、まずまずの晴天である。さあ、ここから長い峠の旅の始まりだ。
 
 県道は暫くセンターラインもある幅広の走り易い道で、ほぼ中谷川に沿って北東へと遡って行く。小谷村のこの中谷川周辺の地区は、中土(なかつち)と呼ばれるらしい。県道沿線に集落が散在しているのが見受けられる。
 
 姫川からある程度離れると、深く険しかった中谷川の谷も浅く穏やかになり、沿道からも川の流れが直ぐそこに手に取るように見えるようにもなる。しかし、水量が減って顔を覗かせた川底には、大きな石もゴロゴロ見え、豪雪で名を馳せる小谷村の険しさを想像させもする。

峠方向に県道を走る (撮影 2003. 8.13)
左手には中谷川
 

幾つかのスノーシェッドが現れる
<スノーシェッド>
 
 豪雪を象徴するものの一つがスノーシェッドだ。国道148号沿いにも多いが、この県道にもたびたび現れる。人家もあらかた視界から消え、道の両側の山も迫って来ると、また幾つかのスノーシェッドが連続する。
 
 これまで乙見山峠は全く雪のない季節ばかりを越えてきて、積雪期の様子は知らないが、スノーシェッドを抜けるだけで、暗い感じがじわじわと湧いてくる。寂しく険しい峠道と思わせる。
 
<九十九折れ>
 
 道は中谷川を何度か交差し、谷間がいよいよ険しい様相を見せ始めたと思う頃、途中にスノーシェッドをまとった九十九折れが目の前に現れる。ここまでほぼ谷の底を這いずっていた道が、右岸の山肌を九十九折れで一気に高度を稼ごうというのだ。ただ、道は改修されていて、まだまだ走り易い。川の上に立派なアーチを描いた橋が導いてくれる。
 
 国道から分かれて以来、地元車にもほとんどすれ違わず、比較的交通量の少ない県道で、この先、尚更人家はないというのに、こうして道が良いのは、この上に小谷温泉があることが一因と思える。

小谷温泉へと急登する九十九折れ
 

九十九折れを過ぎた先
 喘ぎ喘ぎ、ヘアピンカーブの急坂を登り切ると、また暫く勾配は穏やかになる。しかし、もう中谷川の川面は右手の谷底深くに隠れて見えない。振り返ると中谷川下流方向に屈曲する谷間が壮観に眺められる。
 
中谷川が流れる谷間の下流方向を望む
山腹に見える赤い屋根は熱湯か?
 
<小谷温泉>
 
 間もなく小谷温泉が現れる。この付近の標高は既に850mに達し、こんな高所にある温泉としては、なかなか規模が大きい。立ち寄り湯や宿泊施設が何軒かある。小谷温泉のおしまいの方には、嬉しいことに雨飾荘(あまかざりそう)という公共の宿も立っている。
 
 この県道は、宿の名前にもなっている日本百名山の一つ、雨飾山への登山道でもある。小谷温泉にはそうした登山客などが多く利用するようだ。
 
 温泉の事はあまり詳しくないが、この小谷温泉は古い歴史があり、それなりに世に知られた温泉なんだそうだ。登山の帰りについでとばかり、かいた汗を流すといった程度のものではないらしい。そんなこととはつゆ知らず、これまで素通りしてきてしまった。今度出掛けた折には、この山峡の宿に一泊して、小谷温泉を満喫してみたい。

小谷温泉の雨飾荘
一度は泊まって名湯を味わいたい
 
 
 
<妙高小谷林道分岐に到着>
 
 小谷温泉を過ぎ、もう暫く登ると、ちょっとした開けた場所に出る。右手の車道より一段高い所に大きな山荘が立ち、その手前を小さな切通しを抜けて道が右に分岐している。道路標識には、直進方向に「鎌池・雨飾山、姫川温泉」、右に分岐する方向に「妙高高原」とある。妙高高原とは勿論、峠を越えた新潟県側を指す。乙見山峠の文字はないが、右に分岐する道が目指す峠への道だ。 
 

右に林道分岐

左とほぼ同じ場所 (撮影 2001. 7.29)
 
 その道の名前は林道妙高小谷線だが、入口には林道標識はなかったように思う。代わりに、道の左端に中部北陸自然歩道の標柱が立ち、分岐する道の方向に「乙見山峠」、手前方向に「中小谷」と書かれている。
 
 尚、県道を直進する方向は湯峠に通じ、それについては湯峠のページでご案内した。その折、峠名の由来が分からず、適当に想像していたが、今回小谷温泉付近の地形図をよくよく眺めていると、「湯」と記されているのに気づいた。あるいは「湯区」と書かれている地図もある。小谷温泉のある場所は、小谷村中土湯または湯区という地名なのではなかろうか。それなら湯峠というのは、国道148号の姫川温泉(大糸線平岩駅)方向から登り、小谷温泉のある「湯」に下る峠という意味の「湯峠」だったのではと、ハタと思う次第である。

乙見山峠方向の道 (撮影 2001. 7.29)
 
 林道分岐点からこれまで登って来た小谷温泉方向を振り返ると、頭上高く掲げられた道路標識には「小谷温泉 R148 11km」とある。国道からここまで11kmのようだが、これまではまだ乙見山峠へのほんの序曲である。ここからがいよいよ本番といったところだ。
 
 この辺りまでは小谷温泉を訪れた一般の観光客がちょっと足を伸ばしたり、県道をこの先に少し行った所にある雨飾山の登山口に向かう登山客などの車が比較的多く訪れる。しかし、ここより分岐する妙高小谷林道に入り込む車はグッと少なくなる。県境を越えて新潟県まで行こうとする車はまれである。

小谷温泉方向を見る (撮影 2001. 7.29)
 
 
 

中谷川の源流部を渡る (撮影 2001. 7.29)
(下流方向を見る)
右上に見えるのは山荘方向から下って来る道
<妙高小谷林道へ進む>
 
 山荘横を通り過ぎると、これまで遡ってきた中谷川の源流部の川へと一旦下って行く。名前は中谷川なのか、あるいは源流の一つである大海川なのかはよく分からない。道は小規模な砂防ダムに守られた橋を渡るが、川の流れは少なく歩いても簡単に渡れそうだ。しかし、豪雪に痛めつけられる谷であることは窺い知ることができる。荒々しい感じを受ける。
 
 橋を渡る付近に林道標識が立っている。それにより、この道が「林道妙高小谷線」であることが分かる。このことからすると、川を渡った所が妙高小谷林道の起点なのかもしれない。
 
注意看板に「林道妙高小谷線」の文字が見える (撮影 2001. 7.29)
 
<松尾川の谷へ>
 
 川の本流は、ここより北に位置する雨飾山麓方向へと遡るようだが、川を渡った道は一転、少し川を下る方向へと進み、更に支流の松尾川の右岸へと入る。方向はほぼ東に位置する乙見山峠へと向く。道のコースはここで大きな転換点を過ぎたことになるのだが、道の様相も大きく変わる。林道と呼ばれるだけあって、未舗装路面が現れるのだ。
 
 道の右手には、中谷川に松尾川が合流する部分の広い谷間が見渡せ、後方を振り返ると小谷温泉辺りから下流の谷間が望める。

未舗装が現れる
 
小谷温泉付近から下流の谷間を望む
 

舗装工事が進む (撮影 2001. 7.29)
<舗装工事>
 
 松尾川の谷に入って行くと、道は林に囲まれ視界に乏しくなる。深い谷の底という暗い感じはないが、それまで比較的開けた所が多かったので、やや詰まらない道である。おまけにこの付近の舗装工事が、細々ながら進められているようで、時折真新しい舗装路面が顔を出す。
 
<天狗原山への登山口>
 
 寂しく何もない道の路肩に数台の車が停められていると思ったら、そこは登山口であった。登山標識には「天狗原山、金山」とある。地図を調べるとそれらの山はここより遥か北に位置する。そう易々登って来られる山ではなさそうだ。それでも、休日ともなれば登山客のものらしい車が何台か駐車され、登山の人気は根強いことが伺われる。
 
 登山標識に並んで中部北陸自然歩道の標柱も立つ。それには「中小谷 19.0km、乙見山峠 3.9km」とあった。
 

登山道入口 (撮影 2001. 7.29)

登山口前の林道の様子 (撮影 2001. 7.29)
 

真新しい舗装路
<伸びる舗装路面>
 
 天狗原山への登山口が過ぎても、時折真新しい舗装路面が現れる。道の両側に引かれた白線の白色も眩しいくらいだ。ただ、道幅は昔と同じく狭いままである。
 
 そろそろ上空が開け、右手の谷が近づいてくる。
 
<対岸に道を望む>
 
 林が途切れると、松尾川の対岸に車道が望める。これからあそこまで登るのかと思うと、道の険しさを感じずにはいられない。見上げた道は、谷間の斜面にへばりつくようにして急登している。

対岸に道筋を望む
 

松尾川の源頭部へ
この先、川を渡って道は反転する
<松尾川の源頭部へ>
 
 だらだら延びていた舗装路面もここに来て遂に途切れ、これよりずっと気の引き締まるダートが続く。道は松尾川の源頭部に達っしようとしている。それまで右手に深く刻まれていた谷底も、今は直ぐ右に、手の届く所にある。そして松尾川の小さな流れを渡り、道は反転して対岸の斜面を登りだす。
 
 
<松尾川の左岸に>
 
 川底から離れた道は勾配が急になり、松尾川の谷の山肌に細く刻まれた道となる。谷底を望めば先ほど通って来た道筋が対岸に眺められる。時により後続の1台の車がのろのろ走っている姿が、まるでおもちゃの様に望める。
 
車道を見下ろす (撮影 2001. 7.29)
右の方に車が一台走っている
 
<峠道のクライマックス>
 
 峠道の一つの典型が、こうした谷を巻いて登る道だ。開けた谷に自らが走る道筋を望みながら車を進める。この豪快な感じは何とも言えない。まさしく峠道の醍醐味である。この乙見山峠の道に於いても、この部分が最大のクライマックスだと思う。
 
峠道のクライマックス
 
<峠へ>
 
 道の左手の山は、もう長野と新潟の県境の峰である。その峰へと概ね登り切った所で、赤い火山灰の様な山肌を通過する。脆く険しい地形だ。道路脇に湾曲した地層があらわで、過去に起った大きな地殻変動の痕跡を見せつけている。
 
 これまで南を向いていた道は、この付近で東へと方向を変え、その先にいよいよ峠の隧道の坑口が見えて来る。

松尾川の谷の方を振り返る (撮影 2001. 7.29)
 
  
 

峠 (撮影 2001. 7.29)
乙見隧道の長野県側
<峠の長野県側>
 
 峠の隧道は比較的短く、中をのぞけば反対側の坑口は直ぐそこに口を開けている。
 
 長野県側の坑口の前はちょっとした路肩が広がっている。峠が趣味の者でなくとも、ここでちょっと車のエンジンを切り、車を降りて一休みしたくなる雰囲気だ。片隅には「長野県」と一言書かれた看板がポツンと立ち、辛うじてここが県境の峠であることを示している。あっさりしたものだ。しかし、その向こうには遥かな遠望が広がり、旅人の心を捉えて止まない。暫し、眺め入ってしまう。ここまで険しい峠道を走って来たという感慨が湧いてくる。
 
峠からの長野県側の眺め
 
<中部北陸自然歩道の看板>
 
 景色以外は殺風景な峠に、一つ、旅人の案内役になっているのは中部北陸自然歩道の案内図である。やはり広い路肩の脇に「長野県」の看板と並んで立っている。その案内図は乙見山峠から小谷村側のコースを示したもので、「小谷の里秘湯のみち」と名付けられている。地図はやや大雑把だが、小谷温泉や雨飾山についての説明が参考になる。この乙見山峠からは雨飾山を望むと書かれているが、どこがその日本百名山だか、山オンチなのでよく分からない。山に大きな名札でも掛かっているといいなといつも思う。
 
 他に「雨飾・戸隠 緑の回廊」という題名の看板も立っていたようだ。峠の長野県側が天狗原国有林となっているらしい。
 
中部北陸自然歩道 案内図 (撮影 2001. 7.29)
オレンジ色は自然歩道、
 
  
 
隧道を新潟県側に抜けた所
 
<峠の新潟県側へ>
 
 乙見隧道を抜ける。照明も何もない寂しいトンネルだ。しかし、反対側の坑口から光が差し込み、恐怖感はない。その光の中に飛び出ると、そこには静かで落ち着いた空間があった。道の脇に僅かばかりの空き地が広がり、県境を示す看板などは全くない。周囲は残念ながら木々にさえぎられ、視界は広がらないが、夏の暑い盛りには、強い日差しを避けて木陰で休みたくなるような場所だ。
 
峠の新潟県側 (撮影 2001. 7.29)
夏の暑い日ざしをさえぎる木陰
 

山に埋もれそうな隧道 (撮影 2001. 7.29)
<新潟県側の坑口>
 
 隧道前の広場から峠方向を振り返ると、隧道坑口は草木に覆われ、今にも山に飲み込まれそうである。隧道の上空を見上げれば、稜線の頂上まで、それ程の高度差はないように見える。そこには本来の乙見山峠がある筈だ。石の地蔵が祀られているとのこと。隧道の前後からは直接その峠に登る山道はないようである。地形図を見ると、隧道から新潟県側に少し下った所から、峠に登る登山道が記されていた。 
 
<隧道の表札>
 
 坑口の上部に掲げられた表札には「乙見隧道」とある。長野県側の表札も同様だ。「乙見山隧道」ではないのがちょっと気に掛かるところだ。隧道がそういう名前なら、この隧道の峠を本来の峠と区別して「乙見峠」と呼んでもよさそうなもんじゃないかと思ったりもする。多分誤植だろうが、この峠を「乙見峠」と記した書物をどこかで見掛けた覚えもあった。
 
 
<峠の名>
 
 乙見山峠は、古くは稜線上の直ぐ南西にそびえる松尾山(1,678m)にちなんで「松尾峠」と呼ばれたそうだ。それがいつしか「乙見山峠」と名を変えた。そう言うからには「乙見山」という名の山が近くにあるのかと思ったら、そうではなさそうだ。地形図などを調べてみても、そんな名前の山はどこにも見当たらなかった。

隧道の表札 (撮影 2001. 7.29)
新潟県側の坑口
 
 何でも、峠から南方に位置する乙妻山(おとつまやま、2,318m)が望めたことから、「乙妻山を見る」という意味で、「乙見山」という言葉があり、それが峠の名前にもなったそうだ。それなら尚更、あっさり「乙見峠」で良さそうに思う。
 
 由来はともかく、「乙妻」からは何となく「乙女」を想像し、「乙見山」とは女性的な響きのある名に聞こえるが、実際の峠道はなかなか険しい。峠は東の関川(せきがわ)水系と西の姫川水系の分水嶺を成す。周囲はブナ林に囲まれ、小谷街道の峠として、越後(新潟県)の杉野沢(すぎのさわ)より米・酒などが牛馬によって信州(長野県)に運ばれたそうだ。
 
 名前の由来となった乙妻山は峠の南に位置する。望めるしたら隧道の新潟県側からだが、はたして見えただろうか、これも確かでない。
 
  
 

峠の新潟県側に下る
<妙高高原町に下る>
 
 峠の新潟県側は妙高高原町から新しく妙高市に名前を変えたらしい。これも平成大合併の一端だ。地名は変わっても、道の様相はあまり変わらないようだ。長野県側では舗装化が進んでいたが、こちら側ではあまり舗装工事を見掛けることはなかった。
 
 峠直下は比較的急な勾配で、小刻みなカーブを曲がって下る。視界はほとんどない林の中だ。火山礫のような赤茶けた細かい石のダートだけが目の前に続く。
 
<展望ポイント>
 
 間もなく視界が大きく開ける部分がある。ここはいい展望ポイントになっている。路肩も少し広くなっているので、車を停めて眺めを堪能したい。眼下にこれから下る麓の景色が広がっている。山肌には林が絨毯のごとくびっしり敷き詰められ、その中にあるであろう道筋も定かでない。その林の中、山影から水面が少しのぞいている。笹ヶ峰ダムによって堰き止められた乙見湖であろう。
 
 この展望ポイントを過ぎると、また視界は終始さえぎられることになる。新潟県側はここが唯一の展望ポイントと言える。
 

展望ポイント
新しくコンクリートが打たれていた

展望ポイント (撮影 2001. 7.29)
 
展望ポイントからの眺め (撮影 2001. 7.29)
 
<ダートは続く>
 
 乙見山峠の新潟県側は、長野県側に比べロケーションのダイナミックさなどには欠けるが、林道らしい林道が続いている。比較的整備もよくされ、走り易い砂利道である。峠直下でやや勾配があったものの、それも直ぐに穏やかな様相と変わった。途中、僅かに舗装路面が出てきたが、またダートに戻っていった。
 
 道は乙見湖の上流の川の一つ、ニグロ川へと下って行く。

ダートが続く
 

林道分岐 (撮影 2001. 7.29)
右が峠方向
<林道分岐>
 
 ニグロ川が近づいた頃、林道の分岐が現れる。峠方向に見るとY字で二手に分かれている。分岐中央に立つ看板には次のようにある。
 
 左:笹ヶ峰工事現場(一般車輌通行注意)
 右:小谷村方面
 
 向かって左の道は、ニグロ川に沿って上流へ暫く進む行き止まりの林道らしく、「杉野沢林道・ニグロ川支線」と呼ぶようだ。この分岐から峠に到達するまでが、「峰越林道小谷線(妙高小谷線)」である。またここより下流が杉野沢林道である。なかなかややこしい。
 
<ミレニアムの森>
  
 杉野沢林道はニグロ川に沿って暫し下るが、それから乙見湖のもう一つ支流・真川へと方向を変える。この区間は道のアップ・ダウンが繰り返され、視界もきかないので、どこをどう走っているのか方向感覚が狂う。
 
 しかし、道の沿線には雰囲気のいい林が続いている。何でも「ミレニアムの森」と名付けられているそうだ。こんな林の中でキャンプができると、さぞかし気分がいいことだろう。

雰囲気のある林
 

「ミレニアムの森」の碑 (撮影 2001. 7.29)
<真川を渡る>
 
 やっと林を抜けると真川を渡る。その手前に「ミレニアムの森」の碑や看板が立つ。橋を渡った先にも国有林の案内図などがあった。林道標識も立っていたように思う。
 
 この付近はまだ林道のダート区間である。ただ、この先にある笹ヶ峰牧場付近まで来た者が、この辺りまで足を伸ばすらしく、停められている車などを多く見かける。
 
 真川の橋からは上流・下流ともに見晴らしが利く。川遊びでもしたくなる雰囲気だ。
 
笹ヶ峰自然休養林案内板より (撮影 2001. 7.29)
峠の名前が「乙見峠」になっている(左端)
 

真川の上流方向 (撮影 2001. 7.29)

真川の下流方向 (撮影 2001. 7.29)
 

もう少しダートが残る (撮影 2001. 7.29)
<林道から県道へ>
 
 更に僅かにダートを残し、そして遂に舗装路となる。これより先は県道39号・妙高高原公園線と言う。県道に入ると、周辺は賑やかである。笹ヶ峰キャンプ場やら国民休暇村やら、夏期休暇の時期には一大行楽地といった感じだ。妙高市街などから観光客が多く訪れるようだ。
 
 そうした観光客の中には県道の先に迷い込み、不意に現れた未舗装路に戸惑う者も居る。乙見峠を2回目に訪れた時は、笹ヶ峰高原の方から峠に向かった。前を行くワンボックスが道の途中で止まって、何やら思案を始めた。迷惑なことだと思いながらもジッと待っていると、路肩を使ってUターンを始めた。何かと見ると、その先は未舗装路だった。それ程まで未舗装路を敬遠しなくてもと思ったりした。
 
<峠道の印象>
 
 同じ峠でもどちら側から越えるかで、その峠道の印象は異なるものだ。この乙見山峠の場合、どちらかと言うと長野県側は険しく寂しく、一方こちらの新潟県側は笹ヶ峰高原があって賑やか華やかである。最後にこうした明るい所に出て来れば、険しい峠越えであっても、さほど険しいという印象は残らない。逆に、こうした人の集まる行楽地から、人気のない乙見山峠を越え、その先小谷村の長い道を下り、挙句の果てに工事現場で野宿となっては、険しくない訳がない。

笹ヶ峰ダム (撮影 2001. 7.29)
 

乙見湖 (撮影 2001. 7.29)
<笹ヶ峰ダム>
 
 県道から少し離れているが、笹ヶ峰ダムへは寄ってみる価値がある。県道沿いはごちゃごちゃしていて落ち着かないが、湖畔は静かでいい雰囲気だ。キャンプ場やら牧場やら、人が多い所は苦手とするが、ここは比較的人が少なく気に入っている。ぼんやり湖面を眺めて一休憩だ。 
 
笹ヶ峰高原案内図 (撮影 2001. 7.29)
 
<杉野沢集落へ>
 
 笹ヶ峰高原を過ぎると、その後は長い県道走行が待っている。なかなか手強い九十九折れもあり、麓に野尻湖が見えたりする。県道は走り易いが、交通量が多いので注意が必要だ。大型の観光バスともすれ違う。
 
 途中、杉野沢の集落を過ぎる。この近辺にはスキー場が多く、冬場はスキー客で賑わうのだろう。民宿なども多く立つ。スキーの経験がない私には、こうした賑やかな街中とは無縁である。ちょっと公衆トイレを借りる程度で後は素通りだ。
 
 杉野沢を過ぎれば、あと少しで国道18号や上信越高速道路に出る。長野県小谷村の国道148号から長い長い峠の旅だった。あの小谷村側に比べると、こちらは賑やかで別天地の感がある。

杉野沢集落 (撮影 2001. 7.29)
宮前のバス停付近(峠方向を見る)
近くの公衆トイレを借用(野宿の実例27
 
野尻湖を望む
 
  
 
 今回、乙見山峠を最初に越えた時の写真はないかとアルバムを探してみたが、それがさっぱり見つからない。これだけの峠を越えて、1回もシャッターを切ってない筈はない。すると、1枚の薄暗い夕方近くの写真が目にとまった。他の写真といろいろ見比べてみると、それは乙見山峠から小谷村側を写したものと判明した。これまで何を撮ったのか全く分からなかった。
 
乙見山峠より小谷村側を望む (撮影 1993.10.10)
 
  あの時、始めて見る笹ヶ峰高原は人工的で人が多く、何だかよそよそしげに思えた。野宿する場所とは到底思えず、乙見湖にも寄らずに林道を突っ走って峠に到達した。隧道を抜けた先で眺める秋の太陽はもう山影に沈もうとしている。早る気持ちを抑えて慎重に未舗装路を下る。やはり適当な野宿地は見当たらない。山荘を過ぎて県道に入る。小谷温泉も目に入らず、あれよあれよと言う間に国道まで行き着いてしまった。そして惨めな野宿となった。それが乙見山峠の最初の印象である。小谷村には悪いが、小谷村はやっぱり寂しい所だと思う、乙見山峠であった。
 
  
 
<参考資料>
 角川  日本地名大辞典 20 長野県 平成3年9月1日発行
 角川  日本地名大辞典 15 新潟県 1989年10月発行
 昭文社 ツーリングマップル 関東 1997年3月発行
 昭文社 ツーリングマップ  中部 1988年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 中部 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 長野県 2004年4月発行
 人文社 大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図(Web版)
 その他 Web上のホームページより
 
<最終走行 2003. 8.13><制作 2006. 3.23><Copyright 蓑上誠一>
 
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