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霧峠
     きりとうげ   (峠と旅 No.227)  
  群馬県の片隅でこっそり越える、ちょっと険しい未舗装林道の峠道
  (掲載 2014.10.14  最終峠走行 2006.10.23)
   
   
   
霧峠 (撮影 2006.10.23)
手前は群馬県(利根郡)みなかみ町(旧新治村) 入須川(いりすかわ) 大影
奥は同県(吾妻郡、あがつまぐん) 中之条町 四万(しま) 秋鹿(あきしか)
道は林道秋鹿大影線
峠の標高は1,060m〜1,070m (地形図の等高線より)
峠はその名の通り、小雨の薄い霧に煙っていた
   
概要
   
<峠名>
  「霧峠」とは、随分単純で素朴な名だ。「霧」の付く峠名では「霧越」、「霧降」、「霧止」、「夕霧」などが思い浮かぶが、 単に「霧」だけとはかえって珍しい気がする。 霧が多いから霧峠なのだろうか。峠に何か名前がなくては不便だと、適当に名付けたようにも思われる。 「あの峠は霧がよく出るんだ、霧の峠だ」などと言っている間に、いつしかそれが峠名になってしまったかのようだ。 少なくとも、付近の地名などに由来するものではなさそうである。 この小さな峠道に関しては、文献などでの記載が見当らず、由来などは一切分らない。
   
<所在>
 この霧峠は群馬県の北西、群馬と新潟・長野との県境となる三国山脈を間近に望む地にある。 利根郡のみなかみ町(旧新治村)大字入須川(いりすかわ)と吾妻郡の中之条町大字四万(しま)との町境、郡境になる。 みなかみ町側では、利根川水系の赤谷川(あかやがわ)の支流・須川川(すかわがわ)の上流部に位置する。 中之条町側から見ると、利根川水系の第二次支流である四万川(しまがわ、吾妻川の支流)の支流・鷹の巣沢の上流部にある。
   
<道>
 峠を越える道は、みなかみ町を通る県道53号・中之条湯河原線から別れ、須川川沿いに遡り、峠を越え、 鷹の巣沢に沿って下り、四万川沿いに通じる国道353号・四万街道に接続する。 峠前後は秋鹿大影線と呼ぶ林道だ。 「秋鹿」は四万にある地名、大影は入須川にある地名で、秋鹿と大影を結ぶ林道ともとれるだろう。
 
 1989年1月発行のツーリングマップ(昭文社)には、まだこの林道は記されていない。 しかし、須川川沿い及び鷹の巣沢沿いを峠の手前まで車道が延びて来ている。 1997年3月発行のツーリングマップルには峠に車道が開通していて、秋鹿・大影林道と記されている。 もしかすると、秋鹿林道と大影林道が別々に開削され、峠で繋がってから秋鹿大影林道と名を改めたのかもしれない。 更に、2003年4月発行のツーリングマップルでは、峠は十字路となっていた。 秋鹿大影林道に交差する新たな林道が通じていた。
   
<峠名の記載>
 林道名は記載されるようになったが、峠名が記載された道路地図を見たことがない。勿論、地形図にも載っていない。 皆無かと思ったら、「CAO」(キャオ)という群馬県の観光情報誌に記載があるのを見付けた。 「CAO」は、四万温泉に宿泊した折、旅館に供え付けてあった物を偶然読み、面白そうなので、わざわざ中之条市街で本屋を見付け、購入したのだった。 「CAO 吾妻2003-2004|第7号」の84ページに中之条町の地図があり、そこに小さく「霧峠」とあった。ただ、他には霧峠に関する何の記述もない。
   
<付近の峠との比較>
 これまで大道峠(だいどう)や赤根峠・金比羅峠を掲載した。どれも赤谷川水域と吾妻川水域(支流の四万川や名久田川)とを隔てる尾根上にある。 その中で、霧峠は一番奥まった地、より三国山脈に近い所にある。 (それにしても、こんな狭い範囲で幾つも峠を掲載したものだ)
 
 金比羅峠は上野(こうずけ)と越後を結ぶ旧三国街道にある。 また、大道峠はその脇往還で、三国街道と吾妻郡、更には吾妻川上流で鳥居峠を越え、信州方面とも繋がる要衝であった。 こうした歴史ある峠に比べると、霧峠の役割はあまり大きなものとは思えない。 林道開通前から峠は存在していたかもしれないが、ほとんど地元住民が通う生活路として興ったものではなかろうか。
   
<四万温泉(余談)>
 四万川の上流部にある四万温泉は、草津・伊香保に並ぶ上毛三名泉の一つに数えられ、鎌倉時代からその名が知られていたそうだ。 仮に霧峠が地元民以外に使われたとすれば、新治村方面からこの四万温泉へと向かう湯治客が歩いた峠道かもしれない。
 
<木ノ根宿道(余談)>
 四万川沿いを四万温泉へと続く国道353号は、四万温泉の先にある四万川ダム(奥四万湖)で行き止まっている。一方、三国山脈の新潟県側の湯沢町から も、途中まで国道353号が通じている。その間の上越国境に「木ノ根宿道」(きのねしゅく)と呼ぶ古道があったそうだ。前述の「CAO」を購入したのは、そうした古い峠道 が紹介されていた為である。 木ノ根宿道以外にも、野反峠(富士見峠とも) を越えて旧六合村(くにむら)と長野県の秋山郷(あきやまごう)を結ぶ秋山道などが掲載されていたのが興味をそそった。
 
 上越国境を代表する三国峠の 直ぐ近くに、木ノ根宿道なる別の峠道が通じていたとは驚きである。 この木ノ根宿道を使って越後から上州の四万温泉に降り立った者は、更に霧峠を越えて利根川沿いの沼田方面へと向かったかもしれない。 しかし、霧峠がいつ頃から存在する峠とも分らないので、以上は全くの空想である。
   

奥四万湖 (撮影 2004. 2.14)
この奥の谷筋に木ノ根宿道が通じていた
それにしても、冬場の奥四万湖の湖面は素晴しい青色だった

奥四万湖の奥にある万沢(四万)林道入口 (撮影 2006.10.23)
林道は四万川上流部へと続くが通行止
 
<木ノ根宿道>
 この先がかつての「木ノ根宿道」と思われる。 四万川は、新潟県との県境から南へ派生する尾根(旧六合村との境、白砂川との分水嶺)の東斜面に源を発する。 上流部は木ノ根宿沢(木根宿沢)と呼ぶ。 そこに木ノ根宿なる地名が残り、そんな山奥に屋敷があたっとも伝わる。 板椿ノ沢が注ぐ付近とのこと。 その先、木ノ根宿道は木ノ根宿沢から外れ、北の国境を稲包山(いなつつみやま)の西の肩で越え、湯沢町の浅貝へと下って行ったようだ。

   
中之条町より霧峠へ
   

四万の甌穴群への入口 (撮影 2006.10.23)
<四万の甌穴>
 中之条町市街より国道353号を四万温泉方面へと進むと、温泉地の数Km手前に四万の甌穴(おうけつ)という景勝地がある。 霧峠への中之条町側の入り口は、この四万の甌穴となる。
 
 国道脇に砂利敷きだが大きな駐車場を兼ねた広場があり、その広場の側より四万川の河原に下りられるようになっている。 川床は大きな岩盤になっていて、そこに自然に彫られた窪み(甌穴)が幾つか見られる。 川幅はそれ程広くなく、甌穴群の規模も大きくはないが、珍しい県の天然記念物だ。 甌穴は急な流れにより転石が岩を削って造られるとのこと。 ただ、今はこの上流部に四万川ダムができているので、四万川の流れも大人しくなったのだろう。 大きな奥四万湖に比べ、四万川の流れはか細く見えた。
   

四万の甌穴 (撮影 2006.10.23)

冬場の四万の甌穴 (撮影 2004. 2.14)
この直ぐ上流側に一本の橋が架かる
   
<秋鹿橋>
 甌穴のある河原から上流方向を眺めると、一つの橋が架かっている。 四万川を国道が通じる右岸から左岸へと渡る秋鹿橋だ。 この橋の下流130mの間に渡って甌穴が点在する。 観光で簡単に見られるのは、上流の一部分のようだ。
 
 国道沿いにある甌穴の案内看板を横目で見て通り過ぎると、右手にその秋鹿橋が架かっている。 霧峠へはこの橋を渡るが、国道沿いにはこの分岐を示す看板などはない。 よって甌穴の看板を目印にして、それを過ぎた先で右に曲がることとなる。

四万の甌穴の脇を進む (撮影 2014. 6.25)
   

右手に秋鹿橋 (撮影 2014. 6.25)

秋鹿橋を渡る (撮影 2014. 6.25)
橋の竣功は昭和41年11月とある
   
<秋鹿>
  橋の名にもなっているが、この付近の地名は秋鹿(あきしか)である。中之条町大字四万の内。 四万は、六合村を併合する前の旧中之条町の約1/3を占める広さだそうだ。旧町域の北部一帯である。 ただ、集落のほとんどは南北方向に一筋流れる四万川沿いに点在し、秋鹿もそうした川沿いに並ぶ小さな集落の中の一つとなる。
   
林道へ
   

右手に分岐 (撮影 2006.10.23)
森戸旅館と看板があった
その左手に「秋鹿林道」?と書かれたプレートがあったようだ
<四万川左岸>
 秋鹿橋を渡った先の四万川左岸は、崖が切り立ち、平地は少ない。 道はたった一軒ある家屋の裏側に回り込み、左岸沿いの細い道を遡り始める。 その手前を右に、分岐が一本ある。
   
<新四万温泉>
 以前はその道の方向を差して、「森戸旅館」と看板があった。 また、古い道路地図などには「鳶ノ湯」とか「新四万温泉」と記載がある。 現在の地形図にも温泉マークが記されている。 秋鹿橋の下流200m程に支流の鷹の巣沢が注ぐが、その合流点付近である。 ただ、私が最初に目撃した時(2006年10月)から、その温泉への道は既にゲートで通行止になっていた。
 
<林道起点>
 新四万温泉への分岐を過ぎ、納屋の裏手を登り始めると、直ぐに白い木柱が立っている(下の写真)。 多分林道標柱だったと思うが、確認しなかった。 とにかく、ここより秋鹿大影林道が始まるものと思う。

新四万泉への道 (撮影 2014. 6.25)
以前より通行止
   

納屋の裏手を行く (撮影 2014. 6.25)

多分、林道標柱 (撮影 2014. 6.25)
ここより秋鹿大影林道が始まる
   

林道の様子 (撮影 2014. 6.25)
まだ舗装路
<林道の様子>
 林道になって最初の100m程は一応舗装路になっている。 しかし、かなり荒れている。 その先、ヘアピンカーブで180度方向転換し、鷹の巣沢方向へと引き返して行く。 その付近から未舗装路になるのだが、ほとんど変化を感じない。
 
<神社>
 地形図や一部の道路地図に、そのカーブ近くに神社のマークが描かれている。 道がこの付近まで舗装されているのは、この神社がある為かと思ったりする。 ただ、カーブに面した崖の上にあるようで、車道からは何も気付かなかった。 (後でドラレコ画像を確認すると、林の間に僅かに社のような物が写っていた)
   
道が荒れてきた(国道方向に見る) (撮影 2014. 6.25)
道路脇に用水路が通じる
   
<荒れた道>
 群馬県の林道では時折見掛ける「林道交通安全」と書かれた緑の旗が出て来た。 妻は私と一緒に林道を走るようになってからこの旗のことを知り、どこが気に入ったのか、一本欲しいと言っている。 その先から道が荒れてきた。路面の砂利が掘られ、うまく車のコース取りをしないと、車の底を打ちそうだ。 ここに来る直前も、北榛名山林道を走ってきていて、林道には走り慣れている筈なのだが、運転する妻が、やたらに緊張しているのが分かる。 どういう訳か、私も緊張してきた。
 
<用水路>
 道路脇に大きな側溝の様な物が通じている。 この上流で四万川から取水し、左岸を伝って麓の水田に注ぐかんがい用の水路のようだ。 道はその用水路を越えて行く。

道の下を用水路が通る (撮影 2014. 6.25)
   

道の様子 (撮影 2014. 6.25)
斜面が崩れ、土が露出している
<林道のこと(余談)>
 これまでいろいろな道を走り、随分険しい林道も経験した筈だが、今回の秋鹿大影林道にはビビッてしまった。 路面の荒れ方だけでなく、周囲の状況が怖いのだ。四万川左岸の崖は急で、そこに張り付くように狭い道が通じている。 山肌が崩れて土が露出した箇所もある。 いつもは妻が緊張しても、私は落ち着いて助手席に座り、妻をなだめて運転させるのだが、今回は私自身が腰を浮かせんばかりにビビッてしまったのだ。

   
 後でいろいろ思うに、どうやら歳のせいである。 これまでも、喉がカラカラになるくらい怖い道を走ったことがある。 それはこの秋鹿大影林道の比ではなかった。 しかし、最近はその恐怖に精神力が耐えられなくなったようだ。 もう、険しい林道走行は無理のようである。

道の様子 (撮影 2014. 6.25)
   
崖崩れ箇所
   
<鷹の巣沢沿い>
 幾つかのつづら折りを登り、林道起点から500m程で鷹の巣沢の右岸沿いに出る。 霧峠はこの沢の上流部に位置する。
 
<崖崩れで引き返し>
 すると、道の半分ほどが落石で埋まっていた。 崩れてまだ間がないようである。僅かだが車の轍が落石の端を乗り越えた跡が見える。 右手の沢は切れ落ちていて、慎重な運転が必要だが、先へ進めないことはない。落石の2、3個も片付ける手間を割けば、尚安全である。 しかし、この時の我々の精神状況は、この小さな落石を、引き返す格好の口実にするだけだった。 妻が懇願するので、帰り道は運転を代わった。

前方に崖崩れ (撮影 2014. 6.25)
   
崖崩れ箇所 (撮影 2014. 6.25)
国道方向に見る
今回はここで引き返し
   
鷹の巣沢沿いを遡る
   
 よって、ここから先は8年前の霧峠である。 この時も夫婦二人で越えたが、二人とも道が険しいなどとは微塵も思わなかった。 その後、道が荒れたのかもしれないが、それより歳をとった影響の方が大きいようだ。
 
 道は鷹の巣沢の右岸に通じるが、この四万川の支流の谷もなかなか険しい。 みなかみ町側では、道は峠直下で直ぐに川に沿い、比較的緩やかな地形を下る。 それに比べると中之条町側は、沢から離れた少し高い位置で、道は細かい蛇行を繰り返しながらよじ登って行く。

道の様子 (撮影 2006.10.23)
鷹の巣沢沿いに遡る
   

道の様子 (撮影 2006.10.23)
 かつての秋鹿大影林道は、路面はしっかり砂利が敷かれ、林道としては普通に整備されていたようだ。 ただ、周囲を見渡す状況は険しさを見せていた。 高い擁壁や切り落ちた崖に挟まれ、その中を細々と道が通じる。
   
道の様子 (撮影 2006.10.23)
   
道の様子 (撮影 2006.10.23)
   
 傘をさす程ではないが、生憎霧雨が降っている。昼間だというのに狭い谷は暗く、ヘッドライトを点けて走行した。 時折立っている緑色の林道の旗が、唯一色彩を感じさせた。 峠道はそれ程長くなく、国道から分かれて6、7kmで峠に到達する。

林道交通安全の旗 (撮影 2006.10.23)
ヘッドライトを点灯している
   
   
霧峠 (撮影 2006.10.23)
手前が中之条町、奥がみなかみ町(旧新治村)
   
 峠はその名の通り薄い霧に包まれていた。峠の中之条町側に少し視界が開けそうだったが、霧雨によって何の景色も得られなかった。
   

峠の中之条町側 (撮影 2006.10.23)
ガードレールの向こうに中之条町側の景色が広がりそうだったが、
生憎真っ白で何も見えない

中之条町側に下る道 (撮影 2006.10.23)
   
峠の様子
   
峠の十字路の様子 (撮影 2006.10.23)
左がみなかみ町側、右が中之条町側
奥が秋鹿林道・霧峠林道、手前が赤沢林道
車の右手に「霧峠」の看板が立つ
   

霧峠の看板 (撮影 2006.10.23)
<十字路>
 峠のややみなかみ町側に寄った所が十字路になっていて、その部分だけがアスファルト舗装になっている。 ただ、峠道に交差する林道は、どちら方向もゲートで通行止であった。
 
<霧峠の看板>
 峠より稜線方向を南へと始まる道の角に「霧峠」と看板がある。木製で屋根が付いた味わいある看板だ。 これによって初めて、この峠が霧峠という名を持つことを知る。
 
 峠は、二手の稜線方向から道が下って来ていて、小さな窪地の様な空間を形成している。 そこに霧が溜まる様に漂い、独特な雰囲気である。霧峠の名がふさわしく思われた。
   

霧峠林道起点の標柱 (撮影 2006.10.23)

秋鹿林道起点の標柱 (撮影 2006.10.23)
   
<霧峠林道・秋鹿林道>
 看板の奥のゲートを越えて少し歩くと、道が二手に分かれている。 左は霧峠林道、右は秋鹿林道。どちらにも林道起点を示す標柱が立っている。 地形図を見る限りでは、秋鹿林道は直ぐ行止り(送電線の鉄塔保守用道路?)だが、霧峠線は四万川沿いの国道353号まで抜けているようだ。
   
秋鹿林道・霧峠林道の起点より峠の十字路方向を見る (撮影 2006.10.23)
   
峠のみなかみ町側
   
赤沢林道起点を見る (撮影 2006.10.23)
右に下るのはみなかみ町側に続く峠道
   
<赤沢林道>
 峠のみなかみ町側には、峠より北へ続く稜線に沿って通じる赤沢林道が始まっている。 入口に林道起点を示す標柱が立っているが、ゲートで通行止であった。 赤沢林道は稜線上にある赤沢山の近くを過ぎた後、三国街道の法師温泉の方へ下り、赤沢スキー場を過ぎた後、県道261号に接続している。 通行止でなければ一度走ってみたい林道である。
   

赤沢林道起点 (撮影 2006.10.23)
林道標柱には
巾員3.6m
延長8,291m
とある

赤沢林道の標柱 (撮影 2006.10.23)
   
みなかみ町側へ下る
   
<入須川>
 峠のみなかみ町側は大字で入須川(いりすかわ)の地になる。 大道峠と同じだ。赤谷川(あかやがわ)の支流・須川川(すかわがわ)の上流部に位置する。 霧峠はその須川川の源流域にある。
 
 峠直下の600m程の距離は、やや険しい道で、急坂を川沿いまで一気に下る。今にも崩れそうな崖の脇をすり抜ける。

道の様子 (撮影 2006.10.23)
   

川筋に出た (撮影 2006.10.23)
橋を渡って左岸沿いになる
<川沿い>
 道は一筋の川沿いに降り立つ。橋を渡って左岸沿いとなる。その川が須川川の源流の川の一つである。
 
<入須川川>
 須川川の上流部は幾つかの支流に分かれていて、その一つは入須川川(いりすかわがわ)と呼ばれるようだ。多分、峠道が最初に沿う川は、その入須川川だと思われる。
 
<須川の由来>
 須川川は酸性が強く、古くは「酢河」などとも書いたそうだ。現在の地名「須川」(すかわ)の起こりともなった川である。
 
   
<石門山の泉>
 入須川川を渡った橋の上流側の袂に、「石門山の泉」と書かれた看板が立ち、パイプで引き込まれた清水が流れ出ていた。 ただ、看板には「手洗水」ともあり、飲めるものかどうか不安にさせられるい。
 
 石門山とは、入須川川の上流部にある山と思われるが、小さな山なのか、地形図などにはその名は見当たらない。

石門山の泉 (撮影 2006.10.23)
   

道の様子 (撮影 2006.10.23)
安定した道
<川沿いの道>
 「石門山の泉」の先は、道は川の左岸に沿って下る。地形はグッと安定してきて、道の勾配も少なく、広い路肩も見られるようになる。 中之条町側が終始険しい道であったのに比べ、みなかみ町側の川沿いは、比較的落ち着いて走れる。
   
川手山登り口付近
   
<川手山登り口>
 川沿いの道を少し(500m程)進むと、左手の山側に石像や道標、案内看板などが立ち並んでいる。その側から林の中へと登山道が始まっていた。 道標などからすると、川手山という山への登山道らしい。

石像など (撮影 2006.10.23)
   

道標 (撮影 2006.10.23)

道標 (撮影 2006.10.23)
左:四万温泉方面:8.7km
右:入須川、国道17号方面:5.9km
奥:川手山 光り苔
   

ヒコアリゴケなどの案内看板 (撮影 2006.10.23)
ピンボケで、読み難いです
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
<案内看板>
 案内看板によると、県指定の天然記念物となるヒカリゴケや洞窟群があるようだ。川手山は標高1183mとあるが、 地形図にはこの北に1184mのピークが描かれているので、それが通称・川手山らしい。
   
<案内図>
 案内図で目を引くのは、道の側を流れる川に、「入須川川」とあることだ。 道はこの先、川手橋という橋を渡るが、地形図などで見るとその川の方が須川川の本流の様に思える。
 
<須川川沿い>
 どちらにしろ川手橋より下流は、道は須川川沿いになる。相変わらずの砂利道が続く。

案内図 (撮影 2006.10.23)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
須川川沿い以降
   

左に森林公園への分岐 (撮影 2006.10.23)
 看板にも説明があったが、雨見山の南麓一帯が川手山森林公園になっている。 須川川沿いになって2kmも下ると、左手に登るアスファルト舗装の道が分かれていた。 川手山森林公園へと続く道のようだ。
   
 私が通り掛かった時は、通行止の看板が立て掛けてあった。ただ、ゲートがある訳ではなく、進入は可能な様子だった。

森林公園への道 (撮影 2006.10.23)
   

左に奥平への分岐 (撮影 2006.10.23)
  その後また左に分岐がある。地図を見ると奥平という集落の上部へと続いている。 入須川には、林道名ともなった大影や、この奥平の集落がある。峠を挟んだ秋鹿大影林道途中には人家はほとんどなく、集落は皆無である。 みなかみ町側では奥平が最奥の地となるのではないだろうか。
   
須川川右岸
   
<須川川右岸>
 奥平への分岐を過ぎると、道は一旦須川川の右岸に渡る。その内須川川の岸辺には水田などが広がりだし、のどかな雰囲気だ。険しい峠道を越えて来た者にとっては、ホッと落ち着ける山里の地である。
   
周辺に耕作地が広がる (撮影 2006.10.23)
   
<湯平橋>
 いつしか道はアスファルト舗装になり、湯平橋(ゆびらはし)で須川川の左岸に戻る。
   
湯平橋を渡る (撮影 2006.10.23)
   
<県道53号に合流>
 道は大影の集落を過ぎ、再び須川川を右岸に渡ると直ぐに大道峠から下って来た県道53号に合流して尽きる。 県道からの分岐には、「町営温泉 遊神館」と大きな看板が立っている。

県道からの分岐点 (撮影 2014. 6.25)
県道側から見る
   
  
   
<終りに(余談)>
 実は、今年(2014年)に霧峠を目指した時、8年前に霧峠を越えていたことなどすっかり忘れていたのだ。 群馬県の県別マップルに「霧峠」とボールペンで書き記しておいたのだが、どこでこの名を知ったのかも覚えていなかった。 何のことはない、峠であの「霧峠」と書かれた看板を見ているからだった。 こういうことには記憶の良い妻も、全く気付かない始末。 あまりの険しさに二人で驚愕した秋鹿大影林道も、実はもう経験済みの峠道であった。
 
 そんな訳で、この霧峠に関してはあまり詳しく覚えていない。 あの小規模な崖崩れを乗り越え、もう一度峠越えができていれば、もっと詳細に掲載できただろう。 しかし、あのような険しい未舗装林道は、もう心身ともに耐えられそうにないと思う、霧峠であった。
   
   
   
<走行日>
・2006.10.23 中之条町 → 旧新治村 キャミにて
(2014. 6.25 中之条町側の崖崩れで引き返し パジェロ・ミニにて)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 10 群馬県 平成 3年 2月15日再発行
                  (初版 昭和63年 7月 8日) 角川書店
・群馬県 吾妻観光情報誌 CAO 吾妻 2003-2004|第7号 上毛新聞社発行
・県別マップル道路地図 10 群馬県 2006年 2版15刷発行 昭文社
その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
 

<1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
   
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