ホームページ★ 峠と旅
車坂峠
  くるまざかとうげ  (峠と旅 No.256)
  未舗装路で登る標高2000m級の峠道
  (掲載 2016. 5. 4  最終峠走行 2015. 9.15)
   
   
   

車坂峠 (撮影 2015. 9.15)
手前は長野県小諸市(こもろし)菱平(ひしだいら)
奥は群馬県吾妻郡(あがつまぐん)嬬恋村(つまごいむら)鎌原(かんばら)
道はチェリーパークライン(長野県側)、村道鳥居峠車坂線(群馬県側)
峠の標高は1,973m (地形図や峠にある標柱より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

峠は広々とした高峰高原の中に通じる
 
 
   

<未舗装の車坂峠>
 この峠を初めて越えたのはもう随分前のことだと思っていたが、調べてみると1999年7月のことだった。約17年前だから、つい最近でもないがそう古くもない。バイクや車で旅を始めてから既に10年以上が過ぎていた頃だ。
 
 野宿旅の最中、薄汚れたジムニーに乗って群馬県側から何気なく入り込んだ峠道だったが、まだ本格的な登りになる前から未舗装路が始まった。 当時使っていた道路地図には県道表記(誤記?)になっていた物もあり、今の日本でこんな所にまだ舗装化されていない道が残っていたのかと、ちょっとびっくりした。 車坂峠はその頂上付近に宿泊施設なども立ち、如何にも観光地化されている様子だ。 それで当初から期待していた峠道ではなく、まあ一度ぐらいは越えておこうかと思った程度である。それが予想外に未舗装路が走れて、なかなか面白い峠だと見直した。ジムニーにとっても嬉しいことだったろう。
 
 ただ、路面の砂利はしっかり敷き詰められ、道幅も十分で、走り難いことは全くない。デコボコの険しいオフロードなどという印象は残らなかった。 多分、数年後には舗装化され、ちょっとした観光道路として生まれ変わってしまうだろう。こうして未舗装路時代に越えられるのは幸運なことだなどと思った。 峠に着くと案の定、観光客で賑わい全く場違いな感じである。とっとと長野県側に下り、その日の野宿地を求めて放浪の旅を続けるのであった。

   

<再訪>
 それが去年(2015年)、長野県側から登り群馬県側に下ると、無くなっているだろうと思っていた未舗装路がまだまだ健在である。 本来、嬉しい筈が、霧が出て来るわ日が暮れ掛かるわで、ヘッドライトを点けて走行する始末。 その日の宿に予約した休暇村・鹿沢(かざわ)高原(今年「嬬恋鹿沢」に変名)へと、早く辿り着きたい一心である。温泉に入って明るい部屋でのんびりしたい。 そうなると、未舗装路の何と険しいこと。いつまでこんなダートが続くのかと、夫婦揃って不安な面持ちで、暗い峠道を下るのであった。この17年で道が変わるどころか、本人が一番変わってしまっていたのだった。

   

<所在>
 浅間山(2,568m)から西へ続く浅間連峰の主脈上に位置する。近くは、東の黒斑山(くろふやま、2,404m)と西の高峰山(2,106m、地形図では高峯山とある)の間の鞍部にある。 ここは中央分水嶺となる。日本列島を概ね東から西に連なる中央分水嶺だが、車坂峠付近は西から東へと分水界が描かれる。 よって、峠の南が日本海側の信濃川水系で、北が太平洋側の利根川水系となる。ちょっと変わった地形だ。
 
<小諸市>
 この中央分水界は群馬・長野の県境ともなる。南は長野県小諸市。小諸(こもろ)と言えば、「小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ」を思い起こす。 島崎藤村の「千曲川旅情」である。藤村の詩が好きで覚えているのではなく、渥美清主演の「男はつらいよ」でこの詩が朗読されたのを思い出すのだ。 遊子{ゆうし)とは寅さんのような人のことだという会話が交わされる。簡単に言えば旅人である。どこか、寅さんや遊子に憧れがある。
 
<嬬恋村>
 峠の北は群馬県嬬恋村になる。群馬県にあっては最も西に位置する村だ。利根川の一次支流・吾妻川(あがつまがわ)の最上流部に位置する。吾妻川の源流は鳥居峠となり、長野県へと通じている。

   

<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。


(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
   
   
小諸市街より峠へ
   

小諸市街を通る国道18号 (撮影 2015. 9.15)
東に見る
道路上に「高峰高原 16km」と案内看板が立つ

<国道18号>
 小諸市街のコンビニに寄って今晩の夕食を調達した。今夜は宿に泊まるが、一泊朝食のみのコースを予約している。このところ食道炎の調子が悪く、宿の夕食に出る豪華だが味付けの濃い食事は受け付けない。おにぎりなどの方が食べ易いのだ。
 
 一路、国道18号に出て、それから車坂峠へと向かうこととする。国道からは峠方向に幾筋もの道が延びていて、どれを行っても最終的には峠に辿り着けそうだ。以前、県道130号経由で登ったことがある。今回はなるべく分かり易く、メインの道を選ぼうと思う。

   

<「坂の上南」交差点>
 改めて地図を確認すると、やはり小諸側から登るメインのルートは、県道でも何でもないようだ。カーナビ任せでうまく行くかと心配したが、カーナビは「坂の上南」という交差点を曲がれと指示する。この交差点で間違いないようだ。
 
<高峰高原>
 交差点手前には分岐方向に「高峰高原 16km」と案内看板が立つ。これが車坂峠への少ない目印の一つとなる。 国道沿いには他に峠方向を案内する物があまり見当たらない。観光地である車坂峠にしては、やや意外である。 尚、高峰高原とは高峰山の山麓に当たる峠周辺を指すようだ。ただ、国道分岐から峠までは約15kmで、看板の「16km」という数値はやや微妙だ。


坂の上南交差点 (撮影 2015. 9.15)
国道18号を高崎方向に見る
峠へはここを左折する
交差点角に緑色の看板が目に付く
   

<日本ロマンチック街道(余談)>
 交差点の角に緑色の看板が立つ。これには見覚えがあった。 「日本ロマンチック街道」の看板である。小諸市ではこの国道18号がその道に指定されているようだ。 峠では、暮坂峠金精峠に日本ロマンチック街道が通じる。 余談であったが。

   

峠方向の道 (撮影 2015. 9.15)
直ぐにも坂道だ
開けた斜面を登って行く
左手に道路情報の看板が立つ

<峠へ>
 国道から分かれて峠方向の道に入ると、直ぐにもしっかりした上り坂となる。峠のある山稜から千曲川(信濃川)沿いに通じる国道18号まで、山腹は一気に下って来ている。これからは峠まで休むことなく登り続けることとなる。
 

<起伏の少ない山腹>
 この辺り一帯の斜面は、主稜から分かれて下って来るはっきりした支尾根が少ない。千曲川に流れ下る支流の川は鋭く山腹を刻むだけで、広い谷間を形成していないのだ。だから、道は山腹を真っ直ぐよじ登ってはいても、左右方向に比較的視界が広い。
 
 一般に市町村境なども尾根を境とすることが多いが、この斜面では川が境となっているケースの方が多い。東側に流れ下る蛇堀川が小諸市と御代田町の境になり、西側の深沢川が小諸市と東御市との境となる。川の全てではないが、上流側の半分以上が市町境として採用されている。

   

<道路情報/チェリーパークライン>
 峠道に入って直ぐ、道路情報の看板が立つ。「チェリーパークライン情報」とある。内容は何も書かれていなかった。
 
 この道の正式名(市道名など)は分からないが、峠直下の一部がチェリーパークラインと呼ばれる。

   

<松井川左岸>
 道は概ね、松井川という千曲川の支流の左岸沿いを遡る。しかし、この付近のどこに川が流れているのだろうかという感じである。
 
<道の合流>
 途中で左から道が鋭角に合流して来る(右の写真)。付近に大和神社があることを看板が示していた。 その合流する道も、国道18号から分岐して来たものである。何でもいいからこの付近の斜面に通じる道を登って行けば、いつかは車坂峠の峠道に集約されて行くようである。 その意味で、ここが昔からの峠道の本線だったかどうか、確信は持てない。どこが本線という訳ではなく、いろいろな道筋が利用されたのかもしれない。


左から道が合する (撮影 2015. 9.15)
   

<上信越自動車道>
 国道分岐から1km程で上信越自動車道をくぐる。その直前の左手にちょっと谷らしい箇所を臨む。それが松井川となる。道はその川を右岸へと渡ってから自動車道を抜けている。道の周囲は開けたままで、深い谷間の様相はない。

   
この先、上信越自動車道をくぐる (撮影 2015. 9.15)
左手に松井川が流れる
   

右手に案内看板 (撮影 2015. 9.15)

<松井川右岸>
 上信越自動車道を過ぎると、道は概ね松井川右岸沿いなる。峠方向には「高峰高原 15km」、「浅間山登山口」、「アサマ2000スキー場」などと案内看板が立つ。
 
<峠のスキー場>
 アサマ2000(パーク)スキー場は高峰高原の一角にあり、峠の近くの群馬県側に広がる。車坂峠は登山や高峰温泉へのアクセス路であるが、一般にはスキーの行楽地としても認識されている。

   
道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   

<沿道の様子>
 沿道には所々に「ASAMA 2000 Park」と看板が立ち、峠のスキー場へと導く。看板には一緒に、この先にあるチェーン脱着所までの距離も示されていた。余談だが、地域によっては「チェーン着脱所」と「着」と「脱」の文字が入れ替わる。


左手に看板 (撮影 2015. 9.15)
   

チェーン脱着所 (撮影 2015. 9.15)

<チェーン脱着所>
 沿道から人家や田畑が途切れ、道が林の中に入って行くと間もなく、左手にそのチェーン脱着所が現れる。トイレなどはない単なる空き地で、休憩している業者の車が見られた。

   
   
   
菱野温泉分岐
   

<菱野温泉分岐>
 チェーン脱着所を過ぎて直ぐ、峠の小諸市側に於いては主要な分岐の一つに至る。十字路の手前左に狭い道が一本分岐し、変則的な五叉路となっている。十字路の方を左に「菱野温泉」、右に「総合運動場」と道路看板が示す。分岐角には菱野温泉の案内看板などが立ち並ぶ。
 
<2つの県道>
 この峠道の本線は県道でも何でもないが、その左右には県道が並行して登っている。西の県道130号・菱野筒井線と東の県道131号・峰の茶屋小諸線だ。 どちらも国道18号の方から県境の峰を目指して登って来てはいるが、車道は山腹途中で尽きている。代わりに、それぞれの県道からこの分岐まで連絡路が通じている。


菱野温泉分岐 (撮影 2015. 9.15)
変則的な五叉路
   

県道130号 (撮影 2010. 5. 5)

<県道130号(余談)>
 車坂峠へのアクセス路として、2回目以降は県道130号や県道131号を使ってみるのも手である。一度だけ県道130号を登ったことがある。 ほぼ千曲川支流・栃木川沿いに遡り、沿道には棚田なども見られた。道幅は狭いが、本線の峠道より視界が開け、のどかな雰囲気であった。

   

<菱野温泉(余談)>
 県道130号の終点は菱野温泉となる。比較的大きな温泉旅館が立っていた。菱野温泉からは山腹を東へ横断するように1km程走ると、車坂峠への本線に合流する。


菱野温泉 (撮影 2010. 5. 5)
   

分岐の様子 (撮影 2010. 5. 5)
菱野温泉方向から見る

分岐に立つ菱野温泉の看板など (撮影 2010. 5. 5)
   
   
   
チェリーパークライン起点
   

左手に道路完成記念碑などが立つ (撮影 2010. 5. 5)

<石碑箇所/高峰林道起点>
 車坂峠までの道を「チェリーパークライン」と呼ぶようだが、一般の道路地図ではどこがその道の起点だかよく分からない。多分、その前身の高峰林道に一致するのではないかと思う。
 
 菱野温泉分岐の直ぐ先、ゼブラ帯が設けられて道が少し広がった部分がある。その道路脇に石碑が2つ立つ。 1つは「桜並木観光 道路完成記念碑」とあり、もう1つは「上信越高原 国立公園 浅間山 黒斑高峰高原」とある。ここが高峰林道の起点らしい。

   

<高峰林道>
 菱野温泉分岐から先、峠に至る車道は、昭和30年代に開通した高峰林道が最初だったと思われる。これが初めて車坂峠に通じた車道であろう。 当初は観光用の有料林道だったそうだ。道路完成記念碑が立つ付近の道幅が広いが、かつてそこに料金所があったものと思う。 この観光用林道の開通と共に、車坂峠には国民宿舎も建てられたようだ。それが現在、民営化された高峰高原ホテルになっている。また、この林道を登って国鉄バスも開通している。

   

道路完成記念碑など (撮影 2015. 9.15)

道路完成記念碑など (撮影 2010. 5. 5)
   

<林道の改修/チェリーパークライン誕生>
 昭和59年からは3年計画で小諸市が改修工事に着手したそうだ。道路の拡幅と峠に自然観察センターなどの建設が行われた。その折、沿道に400本の桜の木が植樹され、改修された林道は
「チェリーパークライン」と名付けられた。道路完成記念碑には「桜並木」とあるので、この林道改修時に建立された石碑であろう。また、この地は上信越高原国立公園の一部になるので、「パーク」が付くのではないかと想像する。

   
   
   
チェリーパークラインを行く
   

<菱平>
 文献(角川日本地名大辞典)では、峠の長野県側は小諸市大字菱平(ひしだいら)とある。菱野温泉分岐辺りから道はその菱平の地に入って行く。 菱平は大きく菱野と後平の2区から成るそうだ。ただ、それぞれの集落は菱野温泉より遥か麓側に位置する。ここから先の菱平は、集落とは無縁の地である。

   

「高峰高原 9km」の看板 (撮影 2010. 5. 5)

<チェリーパークラインを行く>
 チェリーパークラインは起点から峠まで10km余り。小諸市側の峠道の約2/3に当たる。道の様子はそれまでと特に変わりなく、快適な2車線路が登って行く。
 
 看板に「高峰高原 9km」と出て来た。「高峰高原」=「車坂峠」と解釈しているが、距離に若干の違いがあるようで、それは間違いないだろうか。 「高原」では範囲が広いので、「峠」にしてくれれば位置がはっきりすると思うのだが。それにしても、「車坂峠」では知名度が低いと思われているのだろうか。 それで目的地を「高峰高原」としているのか。峠好きとしてはやや残念なことである。

   

<浅間登山道への分岐>
 チェリーパークラインでのほぼ唯一の分岐が、「浅間山登山口」の標柱が立つ浅間登山道への分岐である。看板によると登山道は分岐から4km先となる。 位置関係からすると、本来、県道131号の到達地点となるべき所であるようだ。分岐角にはバス停「浅間登山口」が立ち、「天狗温泉 浅間山荘」などの看板が並ぶ。

   

浅間山登山口の分岐 (撮影 2015. 9.15)
右が浅間登山道への道

分岐に立つ看板など (撮影 2015. 9.15)
   

<23基の石碑>
 大きな「浅間山登山口」の標柱の左隣に石碑が1基立つ。ここ以外にも、チェリーパークラインの所々に同じような石碑が見られる。 これらは、桜の植樹と同時期に、道標として建立した句や歌が書かれた石碑だそうだ。合計23基あるとのこと。 仮に等間隔に立っているとすると、約450mおきにあることになるが、ぼんやり見ていただけなので、どんなもんだかはっきりしない。
 
 ところで、車坂峠の西に通じる地蔵峠の道には、古くから1町(約110m)おきに100体の地蔵・観音の石仏が立つ。多分、チェリーパークラインはこれを真似たのではないかと思ったりする。

   

浅間山登山口の分岐 (撮影 2010. 5. 5)
前の写真より5年程、昔の様子

分岐に立つ看板 (撮影 2010. 5. 5)
丁度、山開きの季節だったようだ
   

<あと8km>
 浅間登山道への分岐を過ぎてからは、左手の路肩に「高峰高原まで あと8km」などと残り距離を示した看板が時折立つ。石碑も同じく左の路傍に見られる。沿道はほとんど木々に覆われ、視界が広がらない。
 
 「あと8km」の看板を過ぎた辺りからは、道が大きくうねり始めた。いよいよ勾配の急な地域に差し掛かったようだ。車坂峠は広い高原地帯峠になっているが、峠のある県境から小諸市側には、急傾斜地が下っている。


道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   

高峰高原まで あと6km (撮影 2015. 9.15)
右手に「乙女スロープ」のバス停

<あと6km/乙女スロープ>
 車坂峠の道は現在もバス路線となっていて、時折バス停が立つ。「あと6km」の看板が丁度「乙女スロープ」と呼ぶバス停の位置だった。
 
 下の写真が同じ場所だが、看板の色がやや違う。看板に書かれた内容は全く同じで「標高1449m」とある。季節の違いもあるだろうが、今よりは峠方向の山並みが望めていた。

   
上の写真と同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
   
   
   
車坂林道分岐付近
   

<車坂林道>
 道が屈曲を続ける最中、急カーブの脇から林道が一本分岐する。入口に「車坂林道」と標柱が立つ。しかし、通行禁止の看板も立ち、黄色いゲートがいつも閉じられている。地図を見る限りは、山腹を2km程西に進んで、行止りのようだ。

   

車坂林道入口 (撮影 2010. 5. 5)

車坂林道入口 (撮影 2015. 9.15)
   

<つづら折り>
 道はいよいよヘアピンカーブが連続するつづら折りの様相を呈す。それでも道幅が十分あるので走り難いことはない。また、道の勾配も抑えてあり、かつての高峰林道に比べれば、ずっと快適な道になっているのだろう。
 
<峠の峰を望む>
 つづら折りの最中、時折峠がある峰がちらりと見えるようになる。9月に訪れた時は木々が生い茂り、あまり視界がなかったが、5月のチェリーパークラインはまだ新緑には早く、見通しが良かった。


つづら折りの様子 (撮影 2010. 5. 5)
   

徐々に峠の峰が見えて来る (撮影 2015. 9.15)

前方に峠の鞍部を望む (撮影 2010. 5. 5)
   

<黒斑バス停>
 つづら折りのピークが過ぎた頃、乙女スロープに続くバス停・黒斑(くろふ)が立っている。 「黒斑」は車坂峠の東に位置する山の名だが、このバス停付近から黒斑山への登山道でも伸びているのだろうか。峠から稜線沿いに黒斑山へ登った方が近そうに思う。バス停の少し先で「あと4km」の看板を過ぎる。

   

黒斑バス停付近の様子 (撮影 2010. 5. 5)

黒斑バス停 (撮影 2010. 5. 5)
   

<タイヤ痕>
 チェリーパークラインは快適なヘアピンカーブが続く上、小諸市といった都会にも近いせいか、ドリフト走行が行われるようだ。カーブの前後に黒いタイヤ痕がいっぱい付いている。見ていて気落ちのいいものではない。

   

タイヤ痕が目立つ (撮影 2015. 9.15)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
   
   
   
峠まであと2km
   

あと2km (撮影 2015. 9.15)

<あと2km>
 「あと2km」の看板くらいになると、小刻みなカーブの連続もやや落ち着き、路面のタイヤ痕も見られなくなる。道はほぼ峠がある峰の方向を向き、峠の鞍部も見え隠れする。

   
峠方面の峰が見える (撮影 2010. 5. 5)
   
峠に立つ高峰高原ホテルなどが見えている (撮影 2010. 5. 5)
   

<ややガスる>
 車坂峠は標高2,000mに近い高地に位置する。晴れれば眺めが良いが、大敵はガスである。こればかりは自然のものでどうすることもできない。去年(2015年)の9月に訪れた時は、見上げる峠近付が霞んでいた。峠からの眺望はあまり期待できそうになかった。


峠を望む (撮影 2015. 9.15)
ややガスって来た
   
峠を望む (撮影 2010. 5. 5)
この時は快晴
   

峠間近 (撮影 2015. 9.15)

<峠直下>
 峠直下でまた道が何度か大きくうねる。そろそろ麓の景色も望める筈だが、やはり霞んでいる。

   
麓を望む (撮影 2015. 9.15)
ややガスっている
   

<つつじ園>
 峠から小諸市側に下る山腹の斜面につつじ園がある。バス停「つつじ園」から「つつじ園入口」の看板に従うと、その園地は近い。東屋なども見える。峠から直接つつじ園へと下る歩道もあるようだ。そこでは
つつじの群落が見られるらしい。高峰高原は他にもスズランの群落で知られるそうだ。
 
<峠間近>
 最後の登りの先を見ると、大きな建物が目に入ってくる。高峰高原ホテルである。そこが峠である。


つつじ園入口付近 (撮影 2010. 5. 5)
   

この先が峠 (撮影 2010. 5. 5)
高峰高原ホテルが見える

やや霞む峠 (撮影 2015. 9.15)
   
   
   
峠の小諸市側
   

小諸市側から峠を見る (撮影 2010. 5. 5)

<峠の様子>
 とにかく広々としている。非常になだらかな鞍部にあり、全く高原の雰囲気だ。空も大きく広がる。 狭く暗い切通しの峠などとは趣があまりにも異なり、これが同じ峠に分類される道だろうかと思う。 周辺には高峰高原ホテルなどの施設が立ち並び、宿泊客や登山者も多く、華やいだ様相だ。この地はスキー場でも知られ、冬場はまた違った賑やかさがあるのだろう。

   

<地蔵峠(余談)>
 この車坂峠とは双子の兄弟のような存在が、地蔵峠だ。同じ浅間山から西に連なる浅間連峰に位置し、並行して南北に通じる。峠はやはり高原状に広々としていて、同じくスキー場でもある。やや地蔵峠の方が賑やかそうだが。
 

<峠の小諸市側>
 高峰高原は峠から群馬県側になだらかに広がるが、一方、峠の長野県小諸市側は一挙に険しい急斜面が下る。その分、視界は広い。


峠から小諸市側に下る道 (撮影 2010. 5. 5)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2015. 9.15)
   

 峠の小諸市側の大部分は、高峰高原ホテル前の駐車場が占める。

   

峠より小諸市側を見る (撮影 2015. 9.15)
左手に「エンジンブレーキ使用」の道路情報看板

左と同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
右手奥に高峰高原ホテル前の駐車場がある
   

小諸市側の様子(1/6) (撮影 2015. 9.15)
駐車場角から眺める

<小諸市側の眺め>
 その駐車場は小諸市側の谷に張り出すように設けられているので、ちょっとお邪魔して駐車場角から小諸市側の麓を眺めるのが一番視界が広がる。そこには「眺望百選」の標柱も立つので、誰でも勝手に上ってもよさそうだ。

   

小諸市側の様子(2/6) (撮影 2015. 9.15)

小諸市側の様子(3/6) (撮影 2015. 9.15)
   
小諸市側の様子(4/6) (撮影 2015. 9.15)
やはり霞んでしまった
また、昔より木々が多いように思う
   

小諸市側の様子(5/6) (撮影 2015. 9.15)

小諸市側の様子(6/6) (撮影 2015. 9.15)
左手奥がホテル本館、右が旧自然観察センター
   

<眺望百選>
 この車坂峠からの眺めは小諸市の眺望百選Bに選ばれているようだ。標柱には「夜景と満天の星空」と副題がある。脇には「上信越高原国立公園 高峰高原」の石碑も立つ。
 
 ただ、最近は成長した木々がやや視界を遮る。車坂峠は都合3回訪れているが、17年前の一番最初に 訪れた時に撮った写真が、一番眺めが良かったようだ。単にガスのせいだけではない。麓の佐久平(佐久盆地)が雄大に広がっているのが望めた(下の写真)。 こんなところにも時の移ろいを感じる。


眺望百選の標柱と国立公園の碑 (撮影 2015. 9.15)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
峠より佐久平を望む (撮影 1999. 7.25)
最初に峠を訪れた時
   

高峰高原ホテルの案内看板 (撮影 2010. 5. 5)

<自然観察センター(余談)>
 展望露大浴場があるホテルの建屋とは別に、その手前に「高原ホテルアンテナショップ」と書かれた建物がある。 ここが以前の「浅間連峰自然観察センター」だと思う。現在も車道沿いに「自然観察センター」と刻まれた石碑がひっそり立つ。 しかし、建物の周囲には高原ホテルの案内看板が立ち並び、どう見てもホテルの施設の一部としか思えない。 一応、駐車場からの入口近くに「高原案内所、無料休憩所」といった案内も書かれているが、土産物を買うか喫茶をするかでないと、立寄り難い雰囲気だ。 自然観察センターというからには、元はホテルとはもっと分離した公共施設だったのだろう。旧国民宿舎の高峰高原ホテルは現在も第三セクター経営の公共の宿ではあるようだが、旧自然観察センターの運営も経済的な面から一体化されたのではないだろうか。

   

高原ホテルアンテナショップ (撮影 2015. 9.15)
駐車場側より見る

高原ホテルアンテナショップ (撮影 2010. 5. 5)
車道側より見る
手前に「自然観察センター」の石碑が立つ
   

<国民宿舎(余談)>
 ところで、野宿旅をしていた頃は、国民宿舎に泊まるなどというのは、極めて贅沢なことだった。 テント泊とは違い、安心して雨風がしのげる部屋で、ゆっくり手足を延ばし、ふかふかの布団に眠ることができるだけで、もう何の不満もなかった。しかも、カップラーメンなどではなく、朝夕2食の豪華な食事付きである。
 
 ところが、やや体調を崩したこの頃は、それだけでは済まされない。最低限、部屋に洗面台とトイレが付属していない宿には泊まらないことにしている。 勿論、禁煙指定の部屋である。すると、やや古いタイプの国民宿舎は泊まれない場合が多い。大抵、トイレが共通なのだ。 高峰高原ホテルも、ややランクが上の部屋でないとトイレが別のようである。 以前は国民宿舎と聞くだけで、安いこともあって、どこでも喜んで宿泊していたが、最近は事前に十分チェックしないと宿が決められなくなってしまった。それでいて安い宿となると、なかなか見付かる訳がない。

   
   
   
   
小諸市側から見る峠 (撮影 2015. 9.15)
広々としている
   

<峠のピーク>
 峠は幅広い道がなだらかに群馬・長野の県境の峰を越えて行く。峠はほぼ南北に通じ、長野県側からは背に光を浴び、群馬県側が良く見える。ただ、なだらかな高原状なので遠望はない。
 
<ビジターセンター>
 峠のピークを過ぎた先で、道は右に急カーブする。峠から見ると、群馬県側の正面に建屋が見える。現在は洒落た造りの高峰高原ビジターセンターが立つ。観光情報の入手や軽食もできるようだった。5月のまだ残雪がある時期に、ソフトクリームを売っていた。


前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
   
17年前の車坂峠 (撮影 1999. 7.25)
正面は高峰山荘
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<高峰山荘>
 小諸市側に立つ国立公園の石碑には、現在の高峰高原ビジターセンターがある位置に「高峰山荘」とあった。上の17年前の写真をしげしげと見ると、確かに「高峰山荘」と看板が出ている。「お食事、おみやげ」、「宿泊」ともあり、旅館も営んでいたようだ。

   
峠より群馬県側を見る (撮影 2015. 9.15)
道は右に曲がって行く
   
峠の群馬県側 (撮影 2015. 9.15)
正面は高峰高原ビジターセンター(以前の高峰山荘の場所)
やや入り難い雰囲気
クロネコマークの宅配便のテントが張られていた
旗にトウモロコシの絵があり、産地直送を目的にしたものだろうか
   
   
   
峠周辺
   

<高峰山登山道>
 峠のピークからは西の稜線方向へ高峰山への登山道が始まる。道は旧自然観察センターの裏手を進む。入口に以前は木製の鳥居が立っていた。僅か6年前のことだ。それが今は跡形もない。こうして峠が姿を変えていくことはやや寂しい。

   

高峰山への登山道入口 (撮影 2015. 9.15)
何かがない

左と同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
ちょっと前まではこうして鳥居が立っていた
   

はす向かいにも鳥居と社 (撮影 2015. 9.15)
山の神が祀られる

<鳥居>
 高峰山への鳥居があった所とははす向かいにも、やや小ぶりの鳥居が立つ。奥に小さな社が2基並んでいる。鳥居には「山の神」と書かれていた。
 
 高峰林道が開通する前の車坂峠は、勿論今のように宿泊施設やスキー場などがある観光地然とした峠ではなかったろう。近くに浅間山を控え、信仰登山などが行われていた峠ではなかったか。

   

<峠の浅間山側>
 峠の東、「高峰高原ホテル前」のバス停が立つ向こう側には、ちょっとした園地が設けられている。浅間山方面への登山口にも当り、いろいろな看板も立つ。

   

浅間山方向を見る (撮影 2015. 9.15)
高峰高原ホテル前のバス停が立つ

左とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
   

<峠の標柱>
 園地の中に大きく一本、峠の標柱が立つ。以前は白色、今は焦げ茶色になっている。正面に「車坂峠」、右側に「長野県小諸市」、左側に「群馬県嬬恋村」と、県境の標柱も兼ねているのは今も変わらない。背面には「上信越高原国立公園」とある。

   

峠の標柱 (撮影 2015. 9.15)

以前の標柱 (撮影 2010. 5. 5)
   

<峠の標高>
 峠の標柱には「標高 1973m」とある。地形図にも同じ数値が記されている。ただ、文献(角川日本地名大辞典)の「車坂峠」の項には「1,968m」と異なる値が記されていた。 ただ、黒斑山については2,414m(現在の地形図では2,404m)、高峰山は2,091m(同じく2,106m)と、標高については他にもいろいろと食い違っている。標高は時々計測し直され、改定されるので、現在の数値 1,973mを採用したい。
 
<標高の高い車道の峠>
 ところで、この1,973mというのは、車道の峠としては驚異的な値だ。 特に小諸市側は片道15kmの道程も快適なチェリーパークラインが通じ、2,000m近い標高も何の気なしに登って来てしまう。麓には小諸市が控える。これだけ大きな市街地の近くにこれだけ高い峠があるというのは、車坂峠の一つの特徴と言える。
 
 以前、車道の峠で標高が高いものを少し調べてみたことがある(標高三大峠)。 峠を稜線方向に通過するだけの峠などは除き、車道がしっかり峠を越える峠としては大体次のような順位となった。
 第1位:大弛峠 2,360m
 第2位:渋峠  2,152m (道の最高所で2,172m)
 第3位:麦草峠 2,120m (道の最高所で2,127m)
 第4位:北沢峠 2,030m
 
 その折、この車坂峠は失念していた。北沢峠は南アルプスを越える峠道で、一般車の通行は禁じられている。一般車が越えられる峠としては、車坂峠が第4位に食い込むのかもしれない。

   

浅間山方面登山口 (撮影 2015. 9.15)

入口には登山道整備の看板が並ぶ (撮影 2015. 9.15)
やや物々しいゲートが設けられていた
   

上の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
東方の山の景色が見える
季節によってこれ程違うものか

上の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
黒斑山(表コース)と黒斑山(中コース)の登山道があるようだ
   

<浅間山登山口など>
 車坂峠は浅間山から西に連なる浅間連峰の主脈上に位置する。峠からは稜線に沿って浅間山方面への登山道が延びる。まずは浅間山の手前に位置する黒斑山へと通じているようだ。峠の園地の中には、登山に関する看板が多い。


園地内に登山の案内看板が立つ (撮影 2010. 5. 5)
   

標柱の長野県小諸市側 (撮影 2015. 9.15)
奥は浅間山方面への登山口

標柱には車坂峠とある (撮影 2015. 9.15)
   

周辺案内図 (撮影 2010. 5. 5)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)


登山案内図 (撮影 2010. 5. 5)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<噴火警戒レベル(余談)>
 浅間山は言わずと知れた活火山である。噴煙を上げている姿を望んだ覚えがある。近年は御嶽山の噴火の被害などがまだ記憶に生々しい。浅間山も噴火警戒レベルにより注意が促されている。2010年の時はレベル1で、2015年の時はレベル2に上がっていた。

   
ベンチなどが並ぶ峠の園地 (撮影 2015. 9.15)
奥に高峰高原ホテルの天体ドームが見える
   
穏やかな峠の様子 (撮影 2010. 5. 5)
上の写真とほぼ同じ場所
   
   
   
峠の群馬県側
   
群馬県側から見る峠 (撮影 2015. 9.15)
右手の建屋には、以前は「ASAMA2000PARK」と看板が出ていた
昔からシャッターが閉まっていることが多い
スキー関係の施設だろうか
   

<峠の群馬県側>
 3回訪れた車坂峠であるが、群馬県側から見る峠の様子はそれ程変わりがない。高峰山方面への鳥居が無くなった程度か。

   
上の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
ソフトクリームのオブジェはビジターセンターの物
   
上の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1999. 7.25)
この手前には高峰山荘が立っていた
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
峠の園地から群馬県方向を見る (撮影 2010. 5. 5)
   

峠の群馬県側 (撮影 2010. 5. 5)

<峠の群馬県側>
 ビジターセンターとその裏に大きな駐車場が設けられている。高峰高原ホテルに用がある者以外、一般の登山客などはこちらの駐車場を利用するのだろう。残雪も見られる5月初旬でも、多くの車が停められていた。

   

ビジターセンター前 (撮影 2010. 5. 5)

ビジターセンター裏の駐車場 (撮影 2010. 5. 5)
   

<湯の丸高峰林道>
 峠の群馬県側にあるビジターセンターの前から西へ林道が始まっている。湯の丸高峰林道である。車坂峠と地蔵峠を結んでいる。 地蔵峠周辺は湯の丸高原と呼ばれ、この林道は二つの高原を結ぶ道でもある。一部に未舗装区間を残し、群馬・長野の県境沿いを行くなかなか豪快な林道だ。見晴らしも良い。

   

湯の丸高峰林道を望む (撮影 2015. 9.15)

湯の丸高峰林道を望む (撮影 2010. 5. 5)
   

<高峰温泉>
 林道途中には高峰温泉があるが、元は車坂峠の長野県側にあったのが、昭和57年に現在の場所に移転したそうだ。峠のどこにあったのだろう。今の高峰高原ホテル前の駐車場辺りではなかったかと想像する。

   
湯の丸高峰林道の途中の様子 (撮影 2010. 5. 5)
なかなか険しいが、通行する車は意外と多い
   

<峠名(余談)>
 残念ながら、峠名の由来などは文献にもない。車が坂を下るように急な峠道だからかと思ったりする。尚、同じ名の峠が奈良県にもあるようだ。ツーリングマップルには峠名はないが、交差点名で載っていた。こちらの天空の峠とは異なり、こじんまりした峠のようである。

   
   
   
峠の群馬県側に下る
   

<鎌原>
 峠から群馬県側に下ると、一挙に暗いイメージである。峠の峰の北側に位置することもあり、木々が深いことも関係する。
 
 ここは群馬県嬬恋村(つまごいむら)の大字鎌原(かんばら)の地となる。 鎌原は嬬恋村の中でも広い範囲を占め、吾妻線の万座・鹿沢口駅から車坂峠、地蔵峠と、村の南東部をぐるっと半周する広大な地域を持つ。 繁華な鉄道沿いからやや辺ぴな県境部分まで、同じ大字内とは思えない様相の違いだ。江戸期から鎌原村があり、明治22年より嬬恋村の大字となっている。


道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   

左手にアサマ2000パークスキー場 (撮影 2015. 9.15)

<アサマ2000パークスキー場>
 峠から道を700m下ると、左手にアサマ2000パークスキー場の入口が見える。小諸市街から登って来るバスは、峠を越えてこの「スキー場前」で終点のようだ。
 
 このスキー場の元は昭和34年に開設された高峰スキー場らしい。有料の高峰林道開通に伴うようだ。敷地内に高峰ロッジを有する。 車坂峠は車道の開通と共に、国民宿舎や高峰温泉、高峰ロッジと施設が立ち並び、単なるスキー場としてだけでなく、小諸市の観光の目玉として開発されたようだ。

   

<峠の最大の特徴/冬期通行可>
 車坂峠は標高が高い車道の峠として注目に値するが、更に他の峠とは一線を画す特徴がある。それは冬期でも小諸市側から登って峠を越え、このスキー場まで通行可ということだ。 これも峠近くにスキー場があるお陰である。大弛峠は言うに及ばず、国道のトップ3である渋峠、麦草峠、金精峠(トンネル、1、843m)など、軒並み冬期通行止で、これだけ高い峠で冬場でも車が登れるところは、非常に珍しい。 ただ、ついお隣の地蔵峠も標高1,732mとかなり高いが、峠に広がる湯の丸高原スキー場があり、ここも冬期通行可能な峠ではあるが。

   

<暫くは2車線路>
 スキー場を過ぎても暫く幅の広い道が下る。まだ地形がなだらかなので、緩やかな直線的な道である。ただ、もう峠付近の観光地的な雰囲気は皆無である。 沿道に建物はなく人影も見ない。林に囲まれ視界もない。折しもガスが少し湧いて、尚更暗い感じだ。時刻も夕方4時を既に回り、行き交う車もぱったり途絶えているた。小諸市側に比べると別世界の感がある。嬬恋村側から車坂峠に訪れる者は誰も居ないのかと思うくらいだ。


道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   

<未舗装路へ>
 峠から2km程下ると、道幅が急に半減し、その先から未舗装路が始まった。

   

道幅が半減する (撮影 2015. 9.15)

未舗装路となる (撮影 2015. 9.15)
   

道の様子 (撮影 2015. 9.15)

<道の様子>
 チェリーパークラインとは比べ物にならないが、それでもしっかり締った土と砂利の路面である。それ程走り難いことはない。未舗装路としては上等の部類である。一般の乗用車でもまず無理なく走れそうだ。
 
 ただ、未舗装路になって間もなく、地形がやや険しくなる。細かな屈曲が多い道となった。その上、ガスと夕暮れが迫って来たことで、林の中では見通しも悪い。早々とヘッドライトのお世話になることとなった。
 

<冬期閉鎖>
 車坂峠は冬期でも登れる峠と言っても、この嬬恋村側の未舗装区間は冬期通行止となる。嬬恋村からはつまごい2000パークスキー場は利用できないのであった。ただ、嬬恋村には万座温泉スキー場などがあり、スキー場には事欠かない。

   

道の様子 (撮影 2015. 9.15)

道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   

<途中の景色>
 始めて嬬恋村側から登った時は、未舗装林道なども意に介さず、何の気負いもなく峠を目指した。途中、木々が途切れた所で、嬬恋村の麓の景色を堪能する余裕もあった(下の写真)。

   
嬬恋村の麓の景色 (撮影 1999. 7.25)
   
   
   
群馬坂林道分岐
   

<群馬坂林道分岐>
 峠から約6kmで、分岐が一つ現れる。右手に同じような林道が始まっている。入口に「しゃくなげ園」と案内看板が立つ。 峠道の本線を間違えるようなことはないが、ここは慎重な上にも慎重を期すこととした。先程からやや不安な面持ちで、気が焦ってきている。車を停め、しっかり道の確認作業を行う。


右に群馬坂林道分岐 (撮影 2015. 9.15)
   

群馬坂林道側から峠道を見る (撮影 2015. 9.15)
左が峠へ

群馬坂林道側から峠道を見る (撮影 2015. 9.15)
右が嬬恋村の麓方向へ
   

林道群馬坂線の看板 (撮影 2015. 9.15)
地図は下が北
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<村道鳥居峠車坂線>
 嬉しいことに、その林道入り口には丁寧な案内看板が立っていた。分岐する道は林道群馬坂線と呼ぶようだ。途中にしゃくなげ園があり、それが写真入りで紹介されていた。
 
 もっと有り難かったのは、峠道本線の名が載っていたことだ。嬬恋村の村道とは知っていたが、「鳥居峠車坂線」と呼ぶとのこと。 その名からすると、車坂峠から国道144号の鳥居峠にまで続くようだ。どちらの峠も群馬・長野の県境に当たる。これは壮大な村道である。ただ、正確な起点や終点は不明だが。

   

<林道棧敷山線>
 ついでに、棧敷山線という林道も目に留まった。ここより麓側でこの村道から分かれ、鹿沢温泉へと通じている。今向かっているのは休暇村鹿沢高原だ。同じ「鹿沢」(かざわ)が付いても、どうも場所が違うようだ。安全策を取ってこのまま村道を下ることとする。
 
 尚、いろいろ参考になる看板だが、車坂峠を「東坂峠」と誤植していた。ご愛敬である。

   

<群馬坂林道分岐以降>
 群馬坂林道への分岐を過ぎると、道はやや西寄りに向きを変える。山腹を横切るように進む。道の様子はあまり変わりない。 険しい崖沿いなどではなく、比較的穏やかな地形だ。ただ、木々が道路上に覆いかぶさるように茂っているので、何の視界もない。 右手が嬬恋村の麓方向で、林が途切れれば、麓の景色が広がるのだろう。


道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   

大沢川を渡る (撮影 2015. 9.15)

<大沢川>
 群馬坂林道分岐から1kmあまり、欄干が壊れ掛けたみすぼらしい橋を渡る。川の名は大沢川だと思う。利根川水系・吾妻川の支流である。 この川が車坂峠より群馬県側へと流れ下っていた。ここまでの道は、川筋からやや離れていたので、こうした川の存在には気付き難かった。 尚、車坂峠の長野県側は信濃川水系・千曲川の水域で、峠は中央分水界に当たるのを再確認した。

   

<大沢川左岸>
 大沢川を渡ってその左岸に入った道は、尚も川筋を通らず、西の大沢川支流方面へと山腹を横切って行く。もう急なカーブはない。周囲の地形も安定し、道の勾配も徐々に緩やかになって行く。


道の様子 (撮影 2015. 9.15)
   
   
   
舗装路へ
   

この先舗装路 (撮影 2015. 9.15)

<舗装路へ>
 道幅はそのままに、路面が舗装になる箇所に至った。アスファルトや白線の様子はまだまだ新しそうに見え、比較的最近に舗装化工事が行われたと思われる。擁壁も路面の舗装化と共にコンクリート化され、ここまで延びて来ていた。

   

<看板>
 未舗装区間方向に見ると、落石や路面の凹凸の注意看板が立っていた。「ここから6.6Km間」とある。この距離が現在の未舗装区間の道程を示しているものと思う。
 
 舗装路になった所で、木々の隙間から僅かに下の田畑の景色が望めた(下の写真)。全般的に、群馬県側は眺望には恵まれなかった。


峠方向を見る (撮影 2015. 9.15)
   
木々の間から麓の景色をのぞく (撮影 2015. 9.15)
   

2車線路に (撮影 2015. 9.15)

<2車線路>
 1.5車線幅の舗装路は、ものの100m程でセンターラインがある立派な2車線路になって行った。
 

<以前の未舗装路の起点>
 更に数100m進むと、小さな川を渡り、その先で視界が広がる。以前の未舗装路はその付近から始まっていた。

   

小さな川を渡る (撮影 2015. 9.15)

渡った直ぐ先 (撮影 2015. 9.15)
視界が広がる
この付近が以前の未舗装路の起点
   

 その直ぐ先で、また道幅が狭まり、センターラインが無くなる。以前はそこまでが舗装路だった。この16年程の歳月で、舗装化が進んだのは僅か500mあまりだったことになる。これからも暫くは未舗装路がこのまま残っていそうな気がする。

   
以前の未舗装路の起点 (撮影 1999. 7.25)
峠方向に見る
この先直ぐに橋を渡る
   
   
   
元の舗装区間以降
   

野菜畑が広がる (撮影 2015. 9.15)

<元の舗装区間>
 古い舗装路に変わって直ぐに小さな十字路を過ぎる。そこを左に進むのが林道棧敷山線となるらしい。
 
 広々とした耕地の中に1.5車線幅のアスファルト舗装の道が一本続く。もうほとんど平坦地である。嬬恋村は高原野菜栽培や酪農など、大規模農業地帯として知られる。

   

<耕地の中>
 周辺に人家はまだ全く見られない。集荷場のような建屋がポツポツとあるばかりだ。


集荷場か何か (撮影 2015. 9.15)
   

広々とした耕地の中を行く (撮影 2015. 9.15)

 時々何の看板もない道が分岐するが、大抵は周囲の耕作地に通じる農作業用の道らしかった。

   

<並木道>
 一時期、道は林の中に入る。視界のない直線的な道が1km程続く。道の沿道だけ樹木が残され、その外は相変わらず耕作地が広がっている様子だった。ちょっとした並木道のような雰囲気も感じられた。
 
<大沢川支流を渡る>
 林を抜ける手前、小さな川を渡る(下の写真)。大沢川の支流の川(名前不明)だ。林道の名前にもなっている棧敷山の東麓一帯を水源とするようだ。


暫く林の中 (撮影 2015. 9.15)
   

<建物が現れる>
 車坂峠の嬬恋村側は、峠近くのスキー場を除けば、建物らしい建物は皆無であった。 それが、大沢川支流を渡った先の小高い丘陵地に、比較的大きな建物が広い範囲に渡って立ち並んでいた。しかし、その中に人家らしい家屋はほとんど見られず、一般の集落などとは異なる様子だった。 「種苗管理センター」などといった看板も見られる。ここは嬬恋農場の中心的な場所らしい。

   

大沢川支流を渡る (撮影 2015. 9.15)

建物が現れる (撮影 2015. 9.15)
人家はなさそう
ここは嬬恋農場の中心地
   

<分岐>
 嬬恋農場の建物が途切れた先に、ポツンと看板が立っていた(下の写真)。どうやらこの先に分岐があるようだ。

   

看板が立つ (撮影 2015. 9.15)
この先に分岐がある
直進は国道144号・田代
左折は鹿沢
右折は大平・中原

分岐を示す看板 (撮影 2015. 9.15)
   

パノラマラインと交差 (撮影 2015. 9.15)

<パノラマライン>
 分岐はこちら側に止まれの看板が立つ。交差する相手の道路の方が優先だ。車坂峠から下る峠道の王道を走って来た積りなので、やや不満のある交差点である。
 
 相手の道は浅間広域農道、別名「つまごいパノラマライン南ルート」。小諸市のチェリーパークラインに対抗する訳ではないだろうが、片仮名の愛称が付けられている。 この分岐を左に折れ、パノラマラインを西へ行くと、地蔵峠の道の県道(主要地方道)94号に接続する。看板には行先に「鹿沢」とあったが、鹿沢温泉は94号を地蔵峠方向に少し遡らなければならない。

   

 <鳥居峠車坂線の行方(余談)>
 尚、車坂峠から下る道は村道鳥居峠車坂線と呼ぶのであったが、この分岐からパノラマラインを経由し、国道144号と並行するように西へ西へと進めば、鳥居峠まで道が続いていそうである。そちらが当初の村道に想定していたルートではなかったかと思ったりする。
 
 ところが、パノラマライン(浅間広域農道)は比較的新しい道で、古い道路地図(1990年以前)を見てみると、まだ全通していない。 代わりに、嬬恋農場の手前で1km程続く林の中の道の途中に十字路があったが(右の写真)、そこを左に折れる道が鹿沢方面へと続いていた。 現在はもう道の体を成していなかったが、鳥居峠車坂線と呼ぶ道は、そちらへ進むのかなと思ったりした。


林の中の十字路 (撮影 2015. 9.15)
左への道はもう通れそうになかった
   
   
   
パノラマラインと国道144の間(余談)
   

<パノラマラインから先>
 多分、今の村道鳥居峠車坂線はパノラマラインに接続して終わるのかもしれないが、前方を見ると、ややクランク気味だがまだ先へと続く道がある。 余談と知りつつ、その道を進む。入口には「つつじの湯 露天風呂有り 2Km」と看板が立ち、傍らには高原野菜直売所の小屋が立っていた。

   
小高い丘の上を行く (撮影 2015. 9.15)
   

<道の様子>
 道は小高い丘陵地を行く。大沢川の支流沿いからもどんどん離れ、やはりもう峠道とは言い難い。

   
高原野菜の景色が広がる (撮影 2015. 9.15)
   

<景色が広がる>
 ただ、景色は良い。車坂峠の道にはなかった眺めが広がる。時折トラクターが通る。沿道に作業小屋のような建物は多いが、やはり人家はほとんどなさそうだった。

   

福祉施設を過ぎる (撮影 2015. 9.15)

<福祉施設など>
 高原野菜の丘陵地を下ると、大きな建物の間を抜ける。左手は福祉施設、右手は温泉施設。ここにも人家は見られない。車坂峠の嬬恋村側の道では、ついに人家らしい人家が立ち並ぶ集落はなかった。

   

建物の間を抜ける (撮影 2015. 9.15)

右手につつじの湯 (撮影 2015. 9.15)
   

<国道144号に接続>
 つつじの湯を過ぎると、その先で国道144号に接続する。始めて車坂峠を訪れた時も、この分岐から峠を目指した筈だ。

   
前方が国道144号 (撮影 2015. 9.15)
やや斜めに不自然な交差をする
ここは田代集落をバイパスする新しい国道
元の国道は、更に道を真っ直ぐ進んだ先に通じる
   

<国道からの入口>
 接続する国道上には、つつじの湯や福祉施設、嬬恋農場の案内看板が立つ。車坂峠の案内はない。どうやら、パノラマラインからの分岐近くには、車坂峠を示す道路看板があったようだ。

   

国道からの入口 (撮影 2015. 9.15)
つつじの湯が目印

国道側から峠方向を見る (撮影 2015. 9.15)
   

 その国道を左に折れて西へ向かえば、鳥居峠を越えてまた長野県側へと戻る。嬬恋村は群馬・長野の県境に位置し、村の西半分は県境の峰に囲まれる。当然ながら、県境越えの高い峠が多い。万座峠(標高1,830m)や毛無峠(標高1,823m)などが思い出される。

   
   
   

 車坂峠はそれなりに世間に知られた場所だ。ただ、峠の名などではなく、高峰高原とか高峰温泉、アサマ2000パークスキー場などといった名称として記憶される事が多いのではないだろうか。 「車坂」というのは、やや古めかしい名である。峠周辺は冬はスキー、夏はハイキングなどで賑わい、また、チェリーパークラインは自転車のヒルクライムでも有名だ。
 
 一方、私の関心事は、もっぱら嬬恋村側の村道鳥居峠車坂線である。未舗装路で登る2,000m級の峠というのが魅力となる。 誰もが快適なチェリーパークラインを馳駆する中、土の道をとことこ走るのは、やや隠微な楽しみである。いつまでも未舗装路が残っていて欲しいと思う、車坂峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1999. 7.25 群馬県 → 長野県 ジムニーにて
・2010. 5. 5 長野県側のみ(その後地蔵峠へ) パジェロ・ミニにて
・2015. 9.15 長野県 → 群馬県 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 10 群馬県 昭和63年 7月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 20 長野県 平成 3年 9月 1日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・県別マップル道路地図 10 群馬県 2006年 2版15刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 20 長野県 2004年 4月 2版 7刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 
<参考動画>
車坂峠/群馬県側 <峠と旅>
 峠から国道144号までのドラレコ動画です(Youtube)
 
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒  資料
 

<1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
   
峠と旅         峠リスト