経の坂峠・倉羅峠
きょうのさかとうげ・くららとうげ
(峠と旅 No.324)
剣山地へのアクセス路となる峠道
(掲載 2024. 6.11 最終峠走行 1998.12.28)
経の坂峠・倉羅峠 (撮影 1998.12.28)
手前は徳島県名西郡神山町大字上分
奥は同県吉野川市美郷字倉羅
道は国道193号
峠の標高は約765m (地理院地図の等高線より読む)
この峠は経の坂峠とも倉羅峠とも呼ばれる
コンクリートで固められた切り通しの峠
<掲載理由>
前回の京柱峠とは同じ四国にあるというだけでなく、峠名がどちらも弘法大師に由来していることが大きな共通点になっている。
それに「きょうばしら」と「きょうのさか」、何となく読みも近い。エクセルファイルに峠リストを作成し、あいうえお順に並べているのだが、「京柱」と「経の坂」はお隣同士になる。そんな関係でもあった。
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<所在>
峠道は南北方向に通じ、北は徳島県吉野川市(よしのがわし)美郷(みさと)字倉羅(くらら)になる。その前は美郷村(みさとそん)の大字別枝山(べっしやま)字倉羅(くらら)であった。
2004年に美郷村が合併によって吉野川市の一部になった時、住所表記は大字の「別枝山」が省略され、「美郷」の下は直ぐに字の「倉羅」が来るようになったとのこと。
ただ、まだ美郷村だった頃のツーリングマップ(ル)を見ても、別枝山の記載が見当たらない。勿論、吉野川市ができてからの最近の道路地図に別枝山は出て来ない。どうにも別枝山の地域がはっきり分からない。
峠の南は名西郡(みょうざいぐん)神山町(かみやまちょう)大字上分(かみぶん)になる。こちらは平成の大合併の影響は受けていないようだ。
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<立地>
峠は四国山地東部を形成する剣山地(つるぎさんち、剣山山地、剣山脈などとも)の中にある。剣山地は西の京柱峠から主峰剣山を通り、西の中津峰山まで約60Kmに及ぶが、経の坂峠はその主脈を越えている訳ではない。主脈上の高城山近くから(地理院地図)、北に派生する分脈上に川井峠(地理院地図)がある。そこより更に北へ進んだ峰上に峠は位置する。
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<水系>
剣山地の主脈は、北側の吉野川と、南側の物部川・那賀川・勝浦川などとの分水界になっていることが多い。しかし、経の坂峠は支脈上なので、峠のどちら側も吉野川水系だ。
北側は吉野川の一次支流・川田川(かわたがわ、地理院地図)水域になる。道は概ね川田川沿いから途中でその支流の倉羅(くらら)谷川(地理院地図)沿いになり、峠直下はまた別の川田川支流(名前不明、地理院地図)沿いに峠に至る。
南側は同じく吉野川の一次支流となる鮎喰川(あくいがわ、地理院地図)水域になる。ただ、川田川が延長16Km程度なのに対し、鮎喰川は延長約50Kmと長い。鮎喰川は河口の僅か6Km程手前で吉野川に合流していて、吉野川右岸有数の支流と言える。峠は鮎喰川上流部の支流・北谷川(地理院地図)の源流域にある。
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<峠名>
以前のツーリングマップ(ル)には「経の坂峠」とだけ出ていて、文献(角川日本地名大辞典)でも「経ノ坂峠」で掲載されている。「の」か「ノ」かの違いはあるが、些細なことだ。
「ノ」と書く方はちょっと時代が古い気がする。
<倉羅峠>
当初は「経の坂峠」で覚えていたが、何かで「倉羅峠」とも呼ばれることを知り、ツーリングマップルにメモしておいた。最近の地図では倉羅峠となっていたり、経の坂峠と併記されている資料も見る。
<希望坂峠?(余談)>
いつもは文献(角川日本地名大辞典)の地名編を参考している。これはウェブ上の電子版で検索・閲覧できて便利だ。しかし、どうやら地誌編には対応していないらしい。地誌編は相変わらず図書館に行って閲覧するしかない。
たまたま図書館に行く機会があり、地誌編の美郷村か神山町の項を読んでいると、「希望坂峠」という峠名が載っていた。倉羅峠の別称とのことで、それ以上は何の情報もない。
「坂」が付くあたり、「経の坂」に酷似している。多分、「希望坂」は「きぼうのさか」と読むのだろう。もしかしたら「きょうのさか」を「きぼうのさか」と聞き違えた誤植かもしれない。
どうも「希望坂峠」というのはちょっと胡散臭い気がする。文献の粗捜しになってしまったろうか。
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<峠名の由来>
経の坂峠の由来は、文献(角川日本地名大辞典)に「弘法大師が修行中経を唱えた坂ということからつけられたらしい」と出ている。
やや安易な気もするが、そういう言い伝えが古くから残っているのだろう。こうした伝承は神山町側で濃厚で、「経の坂峠」の名は主に神山町側で使われるそうだ。
その神山町には四国遍路12番札所・焼山寺(しょうさんじ)がある。弘法大師空海ゆかりの寺である。こうしたことも関係するのではないだろうか。
一方、倉羅峠は当然ながら美郷側にある倉羅(くらら)の地名から来ている。神山町側から見て「倉羅へ越える峠」という意味になる。
美郷側の方が開けた吉野川沿いに近く、山間部側の神山町方面からの利用の重要度が高かったのではないだろうか。
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それにしても、いつの間にやら経の坂峠から倉羅峠に峠名の主流が移ってしまったように感じる。経の坂峠という名に何か不都合でもあったのだろうか。地元では殆ど使われない名であるなどの理由があったのかもしれない。ただ、この峠は最初に経の坂峠の名で覚えたので、ここでもそれを通そうと思う。
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<吉野川沿いとの連絡路>
経の坂峠は3回越えている。神山町側には京柱峠、見ノ越、川井峠などの名だたる峠を連続して越える国道439号(一部438号との併用))が通じているし、剣山スーパー林道などへのアクセス路もある。しかし、山間部ということもあってか、気軽に泊まれる宿が少ないように思う。
その点、川田川が注ぐ付近の吉野川下流域は、川岸が平野のごとく広く、交通が便利で市街地が発達している。田畑も多い。古くは吉野川を利用した舟運も盛んだったことだろう。今も吉野川沿いに鉄道が通じ、自動車道が走っている。必然的に宿も多い。
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吉野川市鴨島町付近の吉野川 (撮影 2015. 5.26)
殆ど平野の景色である
(県道43号の掘割峠に登る途中より)
そこで、国道439号沿いと宿との間の行き来に、経の坂峠を使うことが多かった。道は全長でも21Km余りで、それ程険しい峠ではない。
そんなことで、経の坂峠では峠道を行くという意識はほとんどなく、剣山地の奥部とを繋ぐ連絡路という積りで走っていた。その為、峠道に関する写真は残念ながら殆ど撮っていなかった。
<山川町>
ところで、峠の北側になる旧美郷村は残念ながら吉野川沿いではない。旧鴨島町、旧川島町、旧山川町が右岸沿いに並んでいる。旧美郷村を含めた4町村が合併した吉野川市では、旧美郷村だけが山間部側ということになる。よって、峠を目指す時、まずは旧山川町を通る。
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<国道193号>
吉野川沿いには国道192号が大幹線路として通じる。そこから分かれて峠に向かうのが国道193号になる。192に次ぐ番号であることからして、それなりの重要路の位置付けなのだろう。大まかに見て、道は川田川右岸沿いに通じる。山間部を目指し、まずは緩やかな坂を登って行く。吉野川沿いの平地を見渡す(下の写真)。
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国道193号より西方を望む (撮影 2008. 1. 5)
吉野川沿いの平野に山川町が広がる
<ふいご荘(余談)>
この近辺の吉野川沿いでは、穴吹町(現美馬市)のビジネスホテルや美馬町(現美馬市)の美馬温泉などに宿泊したことがある。特に山川町には町営の低価格な温泉保養センター・ふいご荘があって、2度宿泊した。そこに泊まった時のことを旅と宿に記してある。吉野川沿いからはやや離れ、川田川を少し遡った静かな峡谷沿いに位置するのも良かった。ふいご荘より上流部の川田川は名越峡(なこしきょう)とも呼ばれ、景勝地になっている。
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ふいご荘 (撮影 1998.12.28)
川田川の峡谷沿いに立つ
なかなか特異なロケーション
<山川トンネル>
現在の国道193号のルートは、川田川沿いからは少し離れている。多分、ふいご温泉の東側に通じる山川トンネル(昭和57年3月竣工、地理院地図)が開通する以前は、もっと忠実に川田川沿いに道が通じていたものと思う。ふいご温泉の開設は昭和48年(1973年)7月なので、当初は宿の脇を経の坂峠に向かう幹線路が通っていたのではないか。
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<美郷村>
山川トンネルを抜けると間もなく旧美郷村に入り、最初に出て来る集落は美郷の中心地の川俣(地理院地図)になる。その地名が示すように、川田川に種野谷(たねのやま)川(地理院地図)と東山谷川(地理院地図、東山川とも)が流れ込む。東山谷川は川田川最大の支流だ。
<別枝谷川>
また、川俣より上流側の川田川本流を別枝谷川とも呼んだようだ。字宗田付近から上流側は大字別枝山の地域だったのだろう。
<中村山>
尚、更に川田川の上流部(地理院地図)は大字中村山(なかむらやま)になるようだ。古いツーリングマップにその名の記載がある。私は一度も足を踏み入れたことがない地だ。旧木屋平村(こやだいらそん、現美馬市)に越える車道が通じているようだ。一度訪れてみたかった。
東山谷川も、そこより上流側の川田川本流も、山地を深く浸食してV字状の谷となっている。明治末までは道路も人家も山の中腹にあったとのこと。
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<別枝山>
峠の北側は大字別枝山である。江戸期からの別枝山村で、明治22年に中村山村と合併して中枝村(なかえだそん)ができ、別枝山と中村山の2つの大字を編成した。昭和30年からは美郷村の大字になって行く。
点在する人家は国道沿いよりも、やはり山の中腹に多い。単に国道を走っているだけでは、あまり集落の様子はうかがえない。
<倉羅谷川>
国道は川田川沿いからその支流の倉羅谷川沿いになる。最上流の倉羅の集落を過ぎると人家は途絶える。峠はその倉羅谷川の源流部に近いが、正確にはもう少し西側の支流の上部に通じる。
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<神山町>
旧美郷村は山間部ではあるが、少し峡谷を下れば交通の発達した吉野川沿いに出られる。徳島市街に行くにも至便だ。一方、経の坂峠を南に越えた神山町(かみやまちょう)は、徳島市街方面から遥々と鮎喰川(あくいがわ)を遡った上流部に位置する。更に峠直下の大字上分(かみぶん)は、鮎喰川源流域に広がる。
神山町には道の駅・温泉の里神山があり、そこでもらった観光ガイドのパンフレットによると、古来、この地方一帯は「大粟谷」と呼ばれ、その開墾地を神領として耕作し、未開の山地一帯は「神山」と呼ばれていたそうだ。それが町名の由来とのこと。
<上分>
また「上分」の地名は「大粟山 上山分」の意で、江戸期には上山村上分と称したそうだ。明治12年(1879年)より上分上山村(かみぶんかみやまそん)という自治体になった。
昭和30年(1955年)に阿野・神領・鬼籠野・上分上山・下分上山の5か村が合併して神山町が成立、阿野・神領・鬼籠野・上分・下分の5大字を編成した。その後現在まで大字上分として続いている。
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上分川又の集落内 (撮影 2015. 5.27)
(地理院地図)
道は狭い
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<上分川又>
鮎喰川沿いに国道439号(438号との併用)を遡って来ると、上分(かみぶん)の中心地・川又(かわまた)に入る。国道439号(438号)は部分部分
で改修が進んでいるが、こうした集落内での道の拡幅は難しい。そこで大抵は新しくバイパス路を設けて道を改善している。しかし、この川又の様にバイパス路
が建設し難い箇所は、相変わらず狭い集落内を通っている。
国道439号は京柱峠区間などの険しさから「酷道」などとも呼ばれるが、何でもないこうした集落内もなかなか険しい。国道とは思えない道の狭さだ。しか
し、沿道には商店なども並び、古くからの街並みが残っている。遠い昔には旅人宿でも営んでいたのではないかと思われるような、古い家の佇まいも目を引く。
残念ながらここも過疎に悩む地で、街中でも人影はまばらに閉じた商店も多い。いつまでも街道の面影を残して欲しいと思う。
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<3方向の分岐>
上分は鮎喰川最上流部で、東方以外は全て山並みに囲まれる。その西と南北の3方向に峠道が分岐して行く。
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前方左に国道193号の分岐 (撮影 2015. 5.27)
(地理院地図)
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国道193号の分岐看板 (撮影 2015. 5.27) 行先は旧木沢(現那賀町)
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<南への国道193号分岐>
まず、川又の街並みの途中より、南(左)へ国道193号が分岐する(地理院地図)。経の坂峠を越えて来た国道193号の続きになる。
雲早隧道を抜け、旧木沢村・現那賀町に越える。那賀町側で剣山スーパー林道にも接続するので、2度程利用したことがある。
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川又の街並み (撮影 2015. 5.27)
この先で国道193号が南へ分岐
国道193号方向には「土須峠 13Km」などとも案内される。土須峠(どすとうげ、地理院地図)とは雲早隧道が通じる前の時代の峠であろう。今は剣山スーパー林道が横切っている。
現在国道193号の路線となっている雲早隧道の車道は、昭和42年(1967年)に開通した木沢・神山関連林道が元となっているそうだ。この車道開通により上分と那賀郡木沢村をはじめ那賀奥地方との連絡が便利になったそうだ。
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国道193号の分岐 (撮影 2015. 5.27)
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分岐する国道193号方向を見る (撮影 2015. 5.27)
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<宿(余談)>
神山町側には宿が少ないようなことを書いたが、観光ガイドのパンフレットには、この上分にも2軒の旅館が紹介されていた。その一つは国道193号の分岐の角に立っていたようだ。
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<北への国道193号分岐>
川又の街並みも抜けた西の端で、今度は北(右)へ国道193号が分かれて行く。
直進方向は国道439号(438号と併用)で川井峠を目指す。川井隧道の開通は昭和41年(1966年)と雲早隧道(1967年)より僅かに早い。どちらにしろ、これらのトンネル開通は比較的最近のことである。
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国道193号の分岐の看板 (撮影 2015. 5.27)
(地理院地図)
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分岐の看板 (撮影 2015. 5.27)
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<峠道起点>
現在の経の坂峠の神山町側起点は、この国道439号(438号)からの分岐点になる。道は立派だが、何となく殺風景な起点である。ここから峠まで7Km弱の道程だ。車道開通前は、例えば川又の集落内から直接山腹を登っていたのではないかと想像する。
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右に分かれるのが国道193号 (撮影 2015. 5.27)
ここが経の坂峠の神山町側の起点
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分岐を川又集落方向に見る (撮影 1992. 4.27)
今から32年前の様子
今しもジムニーは初の経の坂峠を越えて来たところ
国道番号は439になっている
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<峠の写真(余談)>
これまで経の坂峠は殆ど峠としての関心がないまま越えていた。それでも、さすがに峠部分は何枚か写真に残してあった。初めて訪れた時(1992年4月)と3度目の時(1998年12月)の写真が見付かった(下の写真)。2度目の時(1997年9月)は峠も素通りしたようだ。
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経の坂峠・倉羅峠 (撮影 1992. 4.27)
初めて訪れた時
<峠の様子>
最後に峠を訪れてからもう四半世紀以上が過ぎたが、峠の様子はあまり変わっていないようだ。元々、峠の切り通し部分の左右の擁壁はコンクリートでべったり固められていた。間もなく美郷村側の角の部分もコンクリートになった(下の写真)。これで草木などの自然の影響は受け難くい峠となった。
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経の坂峠・倉羅峠 (撮影 1998.12.28)
3度目に訪れた時
切り通し部分は比較的長く、70m程もあろうか。その間の道幅は1.5車線くらいしかない。自動車同士の離合はちょっと躊躇される。今後、この峠を拡幅するにはコンクリート擁壁を取り壊して大規模な改修工事が必要だ。交通量は余り多いとは言えず、まず当面はこのままの姿で残るように思う。
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<峠の美郷村側>
ここを訪れたのは吉野川市になる前の美郷村の時代である。かつて町村境だった看板は今頃は市町境の看板になっている筈だ。
峠からは林に遮られて展望は全くない。しかし文献では、「峠から北の展望は良く吉野川と並行して走る国鉄徳島本線の列車も見える」と出ている。車道開通当初は開けた峠だったようだ。
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峠の美郷村側の看板 (撮影 1998.12.28)
この頃はまだ美郷村
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峠より美郷村側に下る道 (撮影 1998.12.28)
美郷村側に今は眺望はない
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<林道倉羅川井峠線>
美郷側には稜線に並行して西へ延びる林道が分岐する。林道倉羅川井峠線だ。この経の坂峠(倉羅峠)が起点で、川井峠が終点になる。どちらも峠なの
に、「倉羅」には「峠」は付かないのだろうか(倉羅峠川井峠線とか)。あるいは「峠」はどちらにも掛かっている積りかもしれない。2015年5月に川井峠
を訪れた時は、林道入口に「現在未開通 行止りです」と看板に出ていた。今はもう開通しただろうか。
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<峠の神山町側>
林道倉羅川井峠線とほぼ点対象の位置で林道のような道が分かれて行く。しかし、ほとんど通れるような状態ではなく、道だとも気付かれないいようだ。
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経の坂峠・倉羅峠 (再掲) (撮影 1998.12.28)
神山町側から見る
この右手に寂しく道が分かれる
<神山町側の様子>
峠がある北谷川上流部は明らかに美郷村側より地形が急峻で、その分峠からの景色が望めそうだ。ただ、木々が成長していて今一つ見え難い。写真も撮らなかった。車道開通当時はこちらもきっといい眺めだったことだろう。
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峠の神山町側 (撮影 1998.12.28) 展望がありそう
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<看板類>
火の用心の看板や神山町に関するあっさりした木製の道標などが立つ。道標の支柱には「ようこそ、すだちと梅の里神山へ」と案内されていた。神山町のパンフレットにもこの「すだち」と梅が紹介されている。「すだち」は日本一、梅は四国一の産地とのこと。
国道の看板では神山町役場まで14Kmとなっているが、道標では16Kmとなっていた。多分、国道438号のバイパス路などによる改修で、距離が短縮したものと思う。
残念なのは、峠名の記載がある看板は峠のどこにも無かったようだ。今回、写真をくまなく見ても、それらしき物は見当たらない。何となく美郷側の切り通しの入り口付近に、「経の坂峠」と書かれた表札が立っていたような気がしていたのだが、記憶違いらしい。
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神山町の看板など (撮影 1998.12.28)
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国道193号の行先 (撮影 1998.12.28) 「木沢」は雲早隧道を越えた先
神山町役場は国道438号沿い
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峠より神山町側に下る道の様子 (撮影 1998.12.28)
この先の右手に経の坂大師堂がある
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<神山町側に下る>
峠からは12%の急勾配で道が下って行く。これも地形の厳しさを物語っている。
<大師堂>
下り始めて100m程も行くと、右手に経の坂大師堂が佇む(地理院地図)。この峠を越えたなら、必ず礼拝しておきたい。峠の名前の由来とも深く関わるお堂だ。
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経の坂大師堂 (撮影 1998.12.28)
<大師由来>
このお堂については、「経の坂大師由来」と題された碑文に簡潔に記されている。お堂に安置されている弘法大師尊像は古くからのものだが、このお堂自体は昭和60年(1985年)4月に建立されたそうだ。昭和53年(1978年)11月の国道193号開通に起因する。
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弘法大師尊像 (撮影 1998.12.28)
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経の坂大師由来の石碑 (撮影 1998.12.28)
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<お堂の位置>
それにしても、お堂の位置がどうもおかしいと、以前から感じていた。車道の急坂の脇で、うっかりすると見落としそうな場所だ。付近に車を停めるスペースもない。峠の切り通しの前後など、開けて人の目にも止まる場所の方が、ずっといいのではないかと思っていた。
<旧峠>
文献を読んでいると、経の坂大師由来記などの記載の後、「旧道は国道から50mほど南西に寄った杉木立の中に残っている」とあった。確かに、現在の峠から稜線上を西に少し行った辺り、僅かな鞍部がある(地理院地図)。そこが車道開通前の元の経の坂峠だったようだ。
すると、旧峠を神山町側に下って来て、車道に接続する箇所が、丁度お堂の位置に相当する。お堂は旧峠への登り口に建っていたのだ。これでやっと謎が解けた、旧峠の美郷側の登り口は、林道倉羅川井峠線沿いにある筈だ。
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経の坂大師由来記 (撮影 1998.12.28)
<峠の標高>
文献では標高約770mと出ている。現在の車道の峠なのか、旧峠のことなのか、どっちかよく分からない。地理院地図を見ると、車道は770mよりやや低くそうで、765mと踏んだ。旧峠は770mをはっきり超えている。どちらにしろ約770mでいいのだろう。
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<車道開通>
経の坂大師由来記からすると、昭和53年11月に国道193号が開通し、その時初めてこの峠に車道が通じたように読み取れる。
川井隧道が昭和41年、雲早隧道が昭和42年の開通なのに対し、それらよりも遅いことになる。経の坂峠は上分から吉野川本流域への最短路であり、最も重要な峠道に思える。経の坂大師由来記にも、「往時上山村美郷山川を経て徳島市えの主要路」としている。その峠の車道開通が3峠の中で最も遅いとは思ってもみなかった。
国道開通前に何らかの車道が通じていたのではないかと疑い、いろいろ調べてみたが何も分からない。やはり、国道開通が最初の車道だったのだろうか。
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<旧道>
同じく経の坂大師由来記に、「こ々より下三百米の旧道に安置」とあるが、地理院地図にその旧道らしき道が描かれていた(地理院地図)。峠まで残すところ300m余りで車道は尽きてしまっている。現在ではその道の一部は林道焼山寺名ヶ平線になっている。
やはり峠直下の地形の急峻さから、峠前後にはなかなか車道が開削できなかったようだ。特に神山町側が険しく、現在の国道は北谷川の源流方向に大きく迂回している。そうでもしないと車道が通せなかったのだろう。峠の車道開通が昭和53年と遅いのも、ある程度頷ける。
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<壁岩峠>
経の坂峠に注目する時、同時に壁岩峠(かべいわとうげ)の存在も気になるところだ。何かでその峠の名を知り、ツーリングマップにメモしておいた。
その峠は経の坂峠から東に稜線上を1.3Km程行った850mのピーク上にある(地理院地図)。
ほぼ倉羅谷川の源流部に位置し、経の坂峠とは非常に近い関係だ。わざわざこうして2つの峠道が開かれた理由が分からない。
文献(角川日本地名大辞典)には壁岩峠の項がしっかり掲載されている。峠名の由来は、近くに壁のような大岩があるところからついたとのこと。美郷・山川方面からの焼山寺参拝道として使われていたとある。
四国お遍路第12番札所・焼山寺(地理院地図)は峠の東方にあり、確かに経の坂峠より壁岩峠の方が便利だ。
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<剣山登山道>
経の坂峠や壁岩峠は、美郷・神山間を繋ぐ峠道としてだけではなく、剣山登山道の通過点であったらしい。
吉野川沿いの鴨島町・川島町方面から尾根道に上り、稜線上の壁岩峠・経の坂峠を過ぎ、更に西の東宮山(地理院地図)を経由、川井峠から木屋平へと抜けるルートだ。
経の坂峠・川井峠間は現在の林道倉羅川井峠線に近い。剣山は信仰の山であり、利用者は多かったことだろう。ただ、この場合の峠の役目としては、神山町側にはほとんど関係ないことになる。
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経の坂峠を最後に越えたのは、もう四半世紀も前のことになる。今回、大師堂が旧峠直下にあったということが分かり、それは大きな収穫だった。こうして当時撮った写真を眺めたり、資料を読んだりしながら地図上で再び旅をするのも面白いと思う、経の坂峠であった。
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<走行日> ・1992. 4.27 美郷村→神山町/ジムニー にて
(1997. 9.25 神山町側の国道438号(439号)を通過/ジムニー にて)
・1997. 9.27 神山町→美郷村/ジムニーにて
・1998.12.28 美郷村→神山町/ミラージュにて
(2015. 5.27 神山町側の国道439号(439号)を通過/ジェロ・ミニにて)
<参考資料>
・中国四国 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 6 中国四国 1997年9月発行 昭文社
・マックスマップル 中国・四国道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 36 徳島県 昭和61年12月 8日発行 角川書店
・その他一般の道路地図、webサイト、観光パンフレットなど
(本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒
資料)
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