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雲早隧道 (土須峠)
  くもさずいどう (どすとうげ)  (峠と旅 No.325)
  剣山地を越える峠道
  (掲載 2024. 6.22  最終峠走行 1998.12.28)
   
   

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雲早隧道 (撮影 1998.12.28)
手前は徳島県那賀郡那賀町沢谷(当時は木沢村大字沢谷)
奥は同県名西郡神山町大字上分
道は国道193号(旧県道253号・山川海南線)
峠の標高は約970m (地理院地図の等高線より)
ここは峠としての名は持たないが、古くからの土須峠の後継となる峠だ
雲早は「くもさ」または「くもそう」と読むようだ

   

   

<掲載理由(余談)>
 前回の経の坂峠(倉羅峠)に次いで越えたのが今回の雲早隧道だった(1998年12月)。 同じく国道193号が通じる。こうなったらどこの峠でもいい、目に付いた峠を片っ端から掲載することにしたのだ。経の坂峠を越えた時のことをいろいろ思い返せば、どうしてもこの雲早隧道を思い出さずにはいられない。 例によって、最後に越えたのはもう25年以上も前と、古い話しになる。現状とは随分違っているかもしれない。

   

<所在>
 峠道はほぼ南北方向に通じ、峠の北側は徳島県名西郡(みょうざいぐん)神山町(かみやまちょう)大字上分(かみぶん)になる。
 
 南側は同県那賀郡(なかぐん)那賀町(なかちょう)沢谷(さわだに)で、元の那賀郡木沢村(きさわそん)大字沢谷だ。那賀町になって沢谷の前の「大字」は廃止したとのこと。また、新しい住所では「木沢」の地名は出て来ない。

   

<地理院地図(参考)>
国土地理院地理院地図 にリンクします。


本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。

   

<立地>
 四国山地東部の剣山地(つるぎさんち、剣山山地・剣山脈とも)の主脈上に位置する。剣山地の主脈は、西の京柱峠から主峰剣山を通り、今回の雲早隧道を過ぎて東の中津峰山へと至っている。

   

<剣山地主脈の峠(余談)>
 京柱峠と雲早隧道の間で、主脈を越える車道の峠はほとんど存在しないと言っていい。しかし、全くないこともない。京柱峠寄りにある矢筈峠(笹峠)は以前越えた経験がある。しかし、険しい林道の峠で、最近は通行できないようだ。
 
 また、剣山と雲早隧道の中間くらいに川成峠がある(地理院地図)。峠は剣山スーパー林道の一部になっていて、34年前にその地点を通過したことがある。しかし、当時のツーリングマップでは峠道については全く記載がなく、峠としての認識は持っていなかった。最近は峠として通れるのだろうか。
 
 どちらにしろ、京柱峠と雲早隧道は共に国道が通じていて、その意味で主脈上に於けるとてもまともな峠道と言える。ただ、険しいことは険しい。
 
 他に「峠と旅」で掲載した峠に杖立権現越があった。剣山地主脈ももう東の端である。標高も約650mと低くなっている。

   

<水系>
 北の神山町側は吉野川水系で、吉野川支流の鮎喰川(あくいがわ)の上流域になる。峠は鮎喰川支流・神通谷川の源流部に位置する。
 
 南の那賀町(旧木沢村)側は那賀川(なかがわ)水系で、その最大の支流・坂州木頭川(さかしゅうぎとうがわ)の水域になる。峠はその支流の沢谷川(さわだにがわ)の更に支流の釜ヶ谷川の源頭部に位置する。
 
 よって、峠は大きく吉野川水系と那賀川水系を分かつ分水嶺にある。

   

<峠名>
 この峠は隧道名があるだけで、峠としての名は持たない。隧道名の「雲早」は近くにそびえる雲早山(1496m、地理院地図)に因むと思われる。

<雲早山>
 雲早山は文献(角川日本地名大辞典)では「くもさやま」と出ている。しかし、解説文中には「くもそうやま」ともいうとある。一般にはこちらの「くもそう」と呼ばれる方が多いように思う。ただ、訓読みと音読みが混ざっていて、個人的にはあまり好まない。
 
 余談だが、後北条の祖・伊勢新九郎盛時(長氏などとも)、後の北条早雲が頭に浮かぶ。こちらの「早雲」は「そううん」であり、音読みで通されている。 初めて雲早隧道の名を見た時、てっきり「早雲隧道」かと勘違いしたくらだ。当初は「そううん」をひっくり返して「うんそう」と読むのかと思っていた。
 
<山名の由来>
 文献によると、「山名の由来は明確ではないが、雲早く雨多いことから命名されたと考えられる」と出ている。「くもはや(く)」が詰まって「くもさ」になったような気がする。

   

<土須峠>
 雲早隧道の真上に旧峠はないが、稜線上を東に800m程行った所に土須峠(どすとうげ、地理院地図)がある。明らかに雲早隧道が開通する前に使われていた峠である。その意味で、「土須隧道」などと命名してもよかったのだろうが、位置的にはかなり離れている。
 
<「土須」の由来>
 やはり文献によると、「峠名の「どす」は、高山植物のバイケイソウのことで、峠一帯にこの植物が生えていたことによると思われる」とある。バイケイソウがなぜ「土須」なのか分からないが、この草は毒性があるとのことで、その「毒」が関係するのだろうかと思ったりする。

   

<隧道名の命名>
 雲早山の頂上は剣山地の主脈から僅かに外れて旧木沢村側にある。しかし、山頂に祀られた雲早神社は神山町・木沢村共に信仰され、それぞえの麓に末社が祀られているとのこと。神山町と木沢村を結ぶ新しい隧道の名として、その山の「雲早」は相応しい名であったのだろう。

   
   
   

神山町側

   

<上山街道(暫く余談)>
 徳島城下(現在の徳島市街)を出立し、概ね鮎喰川沿いに遡り、上分上山村(かみぶんかみやまそん)に至る道筋は、藩政期の重要な街道の一つとして「上山街道」(かみやまかいどう)と呼ばれていたそうだ。壁岩峠(かべいわとうげ、地理院地図)には「右剣山壱七里半程、左上山道」と刻まれた丁石が残っているとのこと。
 
<大字上分>
 この上分上山村とは現在の神山町大字上分(かみぶん)に相当する。土須峠(雲早隧道)の峠道の北側起点となる地である。主に鮎喰川(あくいがわ)上流域に広がる神山町の更に源流域になる。 江戸期には上山村上分(かみやまむらかみぶん)と呼ばれ、明治12年(1879年)に上分上山村と改称、昭和30年(1955年)に下分上山村などと合併して神山町の大字上分となった。何ともややこしい。
 
<上山村>
 元々、大字上分と大字下分を合わせた地域は「上山村」とも呼ばれていたようだ。上山街道(上山道)の「上山」とはこの「上山」だろう。
 
 神山町には道の駅・「温泉の里神山」があり、そこでもらった観光ガイドのパンフレットによると、古来、この地方一帯は「大粟谷」と呼ばれ、その開墾地を神領として耕作し、未開の山地一帯は「神山」と呼ばれていたそうだ。それが町名の由来とのこと。
 
 更に、「大粟谷」または「大粟山」などと呼ばれたこの地域の上流部が、「大粟谷上山分」とか「大粟山上山」と呼ばれた。その上山村が延宝3年(1675年)に上分・下分に分かれ、上山村上分・上山村下分になった。どこまで行ってもややこしい。
 
 神山町に関しては国道438号沿いの道の駅「温泉の里神山」に寄れば、看板やパンフレットである程度情報が得られる。

   
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神山町の看板 (撮影 2015. 5.26)
道の駅・温泉の里神山にて
(地図は右が北)
地名ばかりしか書いてないが、なかなか参考になる

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神山町の案内看板 (撮影 2015. 5.26)
道の駅・温泉の里神山にて
(地図は下が北)
地図の範囲は下分より下流域だけ
「大粟山」というのがある

   

<川又>
 町の中央を東西に貫く幹線路となる国道438号(439号が併用)が通る。県道20号を合した後は鮎喰川沿いに遡る。各所にバイパス路ができて改修が進んではいるものの、概ねこの道筋がかつての上山街道となろう。
 
 大字上分に入る。すると直ぐに川又の集落が出て来る(下の写真)。上分に於ける中心地だ。狭い国道が集落内を縫って通る。道の両脇には家屋が並び、昔の街道の趣を残していて、味わいがある。
 
 ここまで徳島城下から約40Km、10里の道程だ。平坦地での男の足なら一日10里は歩けたそうだが、途中、鮎喰川の渡渉もあり、一日でこの川又に着くのは難しかったかもしれない。
 
 上山街道はこの先、川井峠を越えて木屋平村(こやだいらそん、現美馬市)に続き、更に見ノ越で秘境・祖谷山(いややま)の地に分け入って行く。見ノ越から信仰の山・剣山へ登る者もあっただろう。川又はそうした旅人への宿などを提供した集落でもあったと想像する。

   
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川又の集落内 (撮影 2015. 5.27)
この先に雲早隧道への分岐
   

<分岐>
 川又の集落内で国道193号の分岐の看板が出て来る。最近は行き先が「那賀」になっているが、かつては「木沢」であった。更に「土須峠 13Km」という案内看板も見掛ける。

   
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分岐の看板 (撮影 2015. 5.27)
国道193号の行先は「那賀、旧木沢」とある

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分岐手前の様子 (撮影 2015. 5.27)

   
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土須峠の案内も見られる (撮影 2015. 5.27)
「13Km」とある
   
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分岐直前 (撮影 1998.12.28)

<3つの峠(余談)>
 上分は鮎喰川源流の地で、この先はぐるりと峰が囲んでいる。そこを3方に峠道が通じていた。西は川井峠、北は経の坂峠、南が今回の土須峠(雲早隧道)である。
 
 それらの峠には現在車道が開削されている。 川井隧道の開通は昭和41年、土須峠に代わる雲早隧道の開通は昭和42年3月(昭和39年とも)、経の坂峠に国道193号が開通したのが昭和53年11月(それ以前に車道が通じていたか不明)。 どちらにしろ、比較的最近のことだ。それまで上分は車道としては行止りの地であったことになる。

   

<峠道起点>
 この県道193号の分岐点が雲早隧道、同時に土須峠への道の起点になる。多分、古くから上山街道のこの地点が神通谷川沿いに遡る道の分岐点であったのだろう。付近は特に商店や旅館などが密集して立ち並び、町の中心地の様相を呈している。
 
 尚、余談だが、土須峠に至る道は一筋とは限らない。上山街道沿いの下分宇井(地理院地図)で鮎喰川右岸に渡り、上分江田(地理院地図)に抜けて峠に向かう道筋もあったようだ。徳島城下方面からやって来た場合、そちらの方が近道だ。

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左に国道193号が分岐 (撮影 1998.12.28)
国道438号を川井峠方向に見る

   
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分岐の看板など (撮影 1998.12.28)

<分岐の様子>
 現在の分岐には国道193号の看板が目立つ。ただ、道路情報の看板には、「山川海南線 落石注意」とあった。国道に昇格する前の徳島県道(主要地方道)253号・山川海南線のことだろう。経の坂峠を北に越えた先の吉野川沿いにある旧山川町(現吉野川市)から、太平洋岸の旧海南町(現海陽町)に至る県道だった。
 
 他にも、
新四国曼荼羅令嬢 七十二番 妙法寺
神通蝋梅園(じんつうろうばいえん) 3Km
江田 菜の花の里
中津 3Km
 などといろいろな案内看板が並ぶ。

   

<国道193号へ>
 国道438号から分かれ、直ぐに川又橋で鮎喰川を渡る。国道にしては何とも狭い橋だ。雲早隧道の開通前から架かっている橋ではないだろうか。この先が思いやられる。その後、支流の神通谷川沿いに国道は遡って行く。

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分岐より峠方向を見る (撮影 1998.12.28)
この直ぐ先で川又橋が鮎喰川を渡っている

<国道193号の峠(余談)>
 この道が県道から国道に昇格したのは昭和50年(1975年)とのこと。しかし、地理院地図や一般の道路地図などでは、雲早隧道前後はまだ県道表記のままだったりする。
 
 この国道193号は、瀬戸内海沿いの香川県高松市から、太平洋岸の海陽町まで、正に四国の島を南北に縦断している。よって、四国の中央分水嶺や四国山地などの峰々を越えることになり、そこに幾つかの峠が存在する。 中でも今回の雲早隧道は四国山地を越えるので、標高は約970mと高い。北隣の経の坂峠は約770m、南隣の霧越峠(地理院地図)で約690mである。やはり雲早隧道は国道193号の中で最も高地にあると思う。
 
<写真なし(余談)>
 雲早隧道は1990年5月と1998年12月の2回、どちらも神山町側から登っているが、1回目はそもそもカメラを持ってなかったし、2回目も殆ど写真を撮らなかった。 経の坂峠でもそうだったが、当時はこの程度の峠道は全く眼中になかったようだ。よほどガタガタの未舗装路でもない限り、走った気がしない。写真もなければ、途中の道の印象も、何も残ってない。もう二度と訪れることがないと思うと、今になって残念で仕方ない。

   
   
   

   

<峠の様子>
 それでもさすがに峠とならば、車を停めて写真の2、3枚は撮っていたようだ。隧道の坑口や、峠からの眺めを写した写真がどうにか残っていた。

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雲早隧道の神山町側坑口 (撮影 1998.12.28)
この坑口の左脇に石碑が立つ

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神山町側の眺め (撮影 1998.12.28)
(最近は沿道の木々が成長し、あまり視界が広がらないようだ)

<眺め>
 雲早隧道は、国道193号の中では高い峠になるだろうが、剣山地の中では随分東の外れに位置する。京柱峠などに比べれば、ずっと低い峠だという印象を持っていた。
 
 しかし、隧道の坑口を背にして眺める神山町側の景色は、なかなかのものだ。山肌をひっかくように刻まれた道の跡が、麓から遥々この峠まで続いている。その様子は険しいの一語に尽きる。 京柱峠の標高は約1,130mとさすがに高いが、こちろの雲早隧道も約970mと1、000m近い高度を有していた。認識を改めざるを得ない。

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神山町側の眺め (撮影 1998.12.28)
なかなか険しい雰囲気

<林道完成記念碑>
 神山町側の隧道坑口脇には大事な石碑が立つ。この峰に初めて車道が通じた記念碑だ。「関連林道木沢神山線完成記念」と題されている。

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林道完成記念碑の表題 (撮影 1998.12.28)

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記念碑の建立日など (撮影 1998.12.28)
「昭和42年3月」とある

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記念碑の全体 (撮影 1998.12.28)

   

<林道木沢神山線>
 現在は国道193号、その前は徳島県道(主要地方道)253号・山川海南線、そしてその前が関連林道木沢神山線で、当時の木沢村と神山町を結んだ最初の車道になる。
 
<林道開通年>
 記念碑の建立日も、隧道の竣功日も、共に昭和42年(1967年)3月になっている。しかし、文献では雲早隧道の完成を昭和39年、林道木沢神山線の開 通を昭和42年4月としていて、情報がやや錯綜している。トンネル貫通が昭和39年で、林道完成が昭和42年3月で、併用開始が年度初めの4月だろうか、 と思ったりする。
 
 その後、昭和48年に県道山川海南線が併用開始、昭和50年に国道昇格と続く。

   

<碑文>
 碑文の主要部分を以下に転記する。
 
  本路線は、往古より土須峠を越える狭あいなる歩道により、
  木沢、神山両町村を結ぶ経済交流の主要路線として長い歴史
 を有していたもので、是が車道の開通は、関係住民多年の念
 願であり、木沢と徳島を最短距離で結ぶ道路として、更には
 海南町より香川県松市に通ずる四国横断道路の中心路線で
 あり、この開通の意味するところは、両地域の無尽藏の森林
 資源の開発をはじめ、産業、交通文化の向上、観光資源の開
 発等、その果たす役割は実に大なるものがある。
  ここに、本線の開通を祝し、併せて、特にご尽力いただい
 た関係各位、及び直接間接に協力を賜った方々に対し、両町
 村民と共に、永くその功績を頌え、感謝の意を表し、この記念
 碑を建立するものである。

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記念碑の碑文 (撮影 1998.12.28)

 碑文にあるように、やはり林道木沢神山線は土須峠の後継となる峠道である。遠く徳島県旧海南町から香川県松市に至る中心路線である点は、現在の国道193号へと受け継がれている。 しかし、その国道はまだまだ多くの険路区間を残している。しかし、部分的には確かに旧木沢村側にとって徳島市街への最短路になるのかもしれない。
 
 碑文の最初の部分がよく読めなかったのだが、多分林道着工は昭和27年7月のようだ。林道総延長11、290mは間違いない。現在、地理院地図で県道表記となっている区間に相当するものと思う。神山町大中尾(地理院地図)から旧木沢村側の釜ヶ谷川沿いの途中(地理院地図)まで、神山町側約8.1Km、旧木沢村側約3.2Kmとなる。

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雲早隧道の旧木沢村側坑口(再掲) (撮影 1998.12.28)

<旧木沢村側の様子>
 トンネル延長は123mとそこそこ長い。狭くて照明もないが、常に出口が見通せているので、あまり不安は感じさせない。トンネルを旧木沢村側に抜けると、パっと視界が広がり、目の前にY字の分岐が待っている。 右は国道の続き。左(東)は稜線に並行して剣山スーパー林道が分岐して行く。この雲早隧道への道は、剣山スーパー林道へのアクセス路として便利だ。

   
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旧木沢村側の様子 (撮影 1998.12.28)
左に剣山スーパー林道が分岐、右は国道の続き

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道路看板 (撮影 1998.12.28)
まだ木沢村の時代

   

<ミラージュ(余談)>
 1998年の時は、妻が結婚前に乗っていたミラージュでやって来た。最低地上高も小さく、本来街中を走る車だろう。しかし、妻が私と付き合った為、こんな所にまで連れて来られてしまった。まだ未舗装路だった釣瓶峠(トンネル)を走り、車の底を擦ったり、尖った岩を踏んでパンクしたこともあった。他にも散々な目に遭い、運転席側のドアはある時から新品になったりした。
 
 そこで、次に妻が選んだのはパジェロ・ミニとなった。ジムニーと並び、オフロード走行には抜群である。しかし、4WDのギアの入り切りにちょっとしたコツが必要で、妻は最後までその操作に手こずっていた。

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この時は三菱のミラージュで訪れた (撮影 1998.12.28)
2003年に廃車、パジェロ・ミニに乗り換えた

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隧道脇より剣山スーパー林道方向を見る (撮影 1998.12.28)
この先800mで土須峠に至る

<土須峠>
 隧道より林道を東へ進むと、800mくらいで土須峠に至る。この間は古くからの土須峠の峠道にほぼ一致するものと思う。剣山スーパー林道を使って古くからある土須峠を訪れることができるというのは、貴重なことだと思う。 
 
<剣山スーパー林道の続き>
 国道の続きを1.5Km程下ると、今度は剣山スーパー林道の西への入口がある。1990年5月にバイクAX-1で走った筈なのだが、カメラは持たず、何の記録も残していない。今となってはもう幻だ。

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雲早隧道を背に国道方向を見る (撮影 1998.12.28)
(この先の写真は撮っていなかった)

<雲早山登山口(余談)>
 剣山スーパー林道は、東の上勝町側から2度アクセスしたことがある。1度目は多分時間切れで旭丸峠から直ぐに神山町側に下ってしまったようだ。2度目は土須峠の少し手前にある雲早山登山口付近までは行くことができた。
 
 登山口に立つ看板では、「雲早」を「くもそう」と書いていた。やはり一般的にはそう読むようだ。
 

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雲早山登山口 (撮影 2015. 5.27)
剣山スーパー林道沿いにある

   
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雲早山登山口に立つ看板 (撮影 2015. 5.27)

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雲早山登山口の様子 (撮影 2015. 5.27)
奥に鳥居が立つ

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雲早山登山口に立つ看板 (撮影 2015. 5.27)
ここでは「雲早」は「くもそう」

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雲早山登山口の看板 (撮影 2015. 5.27)
「土須峠」の文字が見える
(地図は下が北)

<土須峠に至らず>
 雲早山登山口を過ぎ、もう少し進んでみると、コーンが置かれていて、通行止になっていた(2015年5月)。土須峠まで残すところ400mの地点だ。残念。
 
 これまで剣山スーパー林道を何度か走った折、土須峠も一度は通過したことがあったような気がしていた。しかし、どうたやら雲早山登山口付近から雲早隧道までの区間だけ、まだ一度も走ったことがないようだ。これも心残りとなった。
 
 文献では土須峠について、「剣山スーパー林道工事のため、広い道路と土捨場がつくられたので、峠の姿は一変した」と出ていた。それでも一目見ておきたかった。

   
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ここで通行止 (撮影 2015. 5.27)
この先にヘアピンカーブ

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通行止箇所をヘアピンカーブから見る (撮影 2015. 5.27)
左が土須峠へと下る道
なかなか険しく、パジェロ・ミニは最適

   

 旧木沢村側の峠道を写した写真は一枚もなかった。当時はデジカメではなく、フィルムの必要な旧来のカメラだったので、撮る枚数も少なかった。また、前述のように雲早隧道は大した峠ではないと思っていた。 雲早隧道を写した次は、那賀川本流に架かる長安口ダムを写真に撮っているだけだった。その間の記録も記憶も、残念ながら全くない。

   
   
   

 大した内容が掲載できなかったが、それでも雲早隧道(土須峠)を済ますことができて良かった。 今度は同じ国道193号繋がりで、霧越峠でも掲載しようかと思う、雲早隧道であった。

   
   
   

<走行日>
・1990. 5. 1〜6 神山町→【雲早隧道】→木沢村→剣山スーパー林道/AX−1にて)
(1992. 4.27 経の坂峠→神山町→川井峠/ジムニーにて)
(1993. 5. 2 旧木沢村通過/ジムニーにて
(1997. 9.25 梨ノ木峠→神山町→川井峠/ジムニーにて)
(1997. 9.27 上勝町から剣山スーパー林道→旭丸峠→神山町→経の坂峠/ジムニーにて)
・1998.12.28 経の坂峠→神山町→【雲早隧道】→旧木沢村/ミラージュにて
(2015. 5.26 掘割峠→美郷→神山町→焼山寺→上勝町/パジェロ・ミニにて)
(2015. 5.27 剣山スーパー林道→土須峠引き返し→神山町→川井峠/パジェロ・ミニにて)
 
<参考資料>
・中国四国 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 6 中国四国 1997年9月発行 昭文社
・マックスマップル 中国・四国道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 36 徳島県 昭和61年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他一般の道路地図、webサイト、観光パンフレットなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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