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山在峠
  さんざいとうげ  (峠と旅 No.343)
  峠で交叉して大峯奥駈道が通じる峠道
  (掲載 2025.10.16  最終峠走行 2004. 5. 4)
   
   

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山在峠 (撮影 2004. 5. 4)
手前は和歌山県新宮市熊野川町西敷屋
奥は同県東牟婁郡本宮町大字上切原 (現田辺市本宮町上切原)
道は林道小井谷山在線
峠の標高は265m (地理院地図などより)
峠は生憎の雨模様で、余りあちこちと歩き回れなかった
この翌年に本宮町は田辺市と合併、新しい田辺市となっている

   

概要

   

<峠道の立地>
 前回は田戸隧道、前々回は蟻越峠だった。 今回の山在峠との共通点は、単に紀伊半島・紀伊山地にある峠と言うだけではない。田戸隧道も蟻越峠も北山川(きたやまがわ)の屈曲を避け、シュートカットするように通じた峠道だった。 山在峠も北山川の本流・熊野川(新宮川)の馬蹄形(ギリシャ文字のオメガΩの形)の屈曲を回避した道筋になっている。

   

<所在>
 峠道は概ね東西方向に通じる。
 峠の東側は和歌山県新宮市(しんぐうし)熊野川町(くまのがわちょう)西敷屋(にししきや)で、旧東牟婁郡(ひがしむろぐん)熊野川町大字西敷屋になる。旧熊野川町は2005年(平成17年)10月1日に新宮市と合併している。
 
 峠の西側は同県田辺市(たなべし)本宮町(ほんぐうちょう)上切原(かみきりばら)で、旧東牟婁郡本宮町大字上切原になる。 旧本宮町は2005年(平成17年)5月1日に田辺市・日高郡龍神村・西牟婁郡中辺路町・大塔村と合併、新しい田辺市の一部となっている。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<水系>
 当然ながら峠道全てが新宮川(しんぐうがわ)水系になる。新宮川は一般には熊野川と呼ばれるが、正式には新宮川となるようだ。尚、熊野川上流部は十津川村では十津川と呼ばれる。
 
 熊野川町側は小井谷(こいたに、こいだに)川水域(地理院地図)で、小井谷川は篠尾(ささび)川(地理院地図)から熊野川(新宮川)本流(地理院地図)へと流れる。
 
 本宮町側の峠直下はどこの水域かとははっきり言い難い。ほとんど熊野川本流左岸の崖である。強いて言えば、上切原に下りきった所に下ノ谷川が流れる(地理院地図)。その川は直ぐに熊野川に注ぎ(地理院地図)、峠道はその川をただ横に渡るだけである。あまり関係がない。

   

<林道小井谷山在線>
 田戸隧道や蟻越峠は国道169号の旧道で、以前はそれなりに交通量のある重要道だった。一方、山在峠に通じるのは林道小井谷山在線という短い林道だ。熊野川町西敷屋にある小井谷(こいたに、こいだに)という集落と(地理院地図)、本宮町上切原側の山在(さんざい)と呼ばれる集落(地理院地図)同士を結んでいる。
 
 正式な林道延長は547mと極端に短いが、峠道としても熊野川町側が3Km足らず、新宮町側が約2Km、合計でも5Km程の道程となる。

   

<峠名>
 山在峠の「山在」は当然ながら山在集落の名から来ている。小井谷集落側から見て山在集落へ越える峠と言うことになる。その意味では「小井谷峠」でもいい訳だ。
 
 これは想像だが、熊野川河口に位置する大都市・新宮市街から熊野川沿いに上流方向へと、徐々に道が開削されて行ったものと思う。小井谷にとって山在は上流側に位置する。よって、小井谷側の立場に立った峠名になったのではないだろうか。

   

<さんざい>
 山在峠も山在集落も、小さい存在だ。多分「山在」とは字名だろう。角川日本地名大辞典などの文献では大字までの地名は掲載されるが、それより小さい地名となると、まず調べようがない。読み方さえも分からない始末だ。
 
 そこで今回も Microsoft Copilot さんにお伺いを立ててみた。すると、「山在」は「さんざい」と読むとのこと。同様に、「小井谷」は「こいたに」または「こいだに」だそうだ。 出典も明示されていたが、ここでは省略させて頂く。一般人のブログなどが多いようだった。公共のホームページなどではかえって扱われない。

   

<大峯奥駈道>
 山在峠は寂れた林道が細々と通じるだけの峠かと言うと、全くそうではない。それは大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の存在に関係する。その古道が山在峠が位置する稜線方向に通じていたのだ。 そして今でも大峯奥駈道を探訪する人達のアクセス路などとして、山在峠が登場することとなる。それがなければブログなどで紹介されることはなく、Microsoft Copilot も「山在」の読みさえ答えられなかったに違いない。 私も誰一人関心を示さない山在峠について、誰一人開くことがないページを作っていた筈である。
 
 大峯奥駈道については、「大峰」と書く場合もあるが、「大峯」とすることが多いので、ここでもそれに従う。大峯奥駈道は歴史的な遺産なので、それに配慮したものか。
 
 大峯奥駈道について詳しい訳ではないが、少しは観光程度に訪れたことがある。また、今回の山在峠などの様に、大峯奥駈道と峠とは少なからず接点がある。
 
 私の認識では、大峯奥駈道とは概ね大峰山脈(おおみねさんみゃく)の稜線上を、吉野と熊野を結ぶ修験者の修行の道で、近年世界遺産の一部になった、という程度である。大峰山脈の場合は、「峰」を使うことがほとんどなので、ここでもそれに従う。大峰山脈は現代でも用いる用語だからだろうか。

   

<大峰山脈>
 大峯奥駈道は歴史的背景が重要でその理解や解釈は難しいが、大峰山脈ならもっぱら地理的に理解するだけで事は済みそうだ。大峰山脈は紀伊山地の中央部に位置し、褶曲しながらもほぼ南北方向に連なる大山脈だ。 「近畿の屋根」とも称される。北は大天井ケ岳((おおてんじょうがたけ、地理院地図)付近から、南は玉置山(たまきさん、地理院地図)付近に至る。途中、行者還トンネル(地理院地図行者還峠)や白谷トンネル(地理院地図)の上部に主脈が通じる。大峰山脈はこうした険しい峠道を生み出している。前回の田戸隧道では玉置山なども少し登場した。
 
 ただ、大峰山脈と言う大山脈は、その南端は玉置山(1,077m)くらいまでと解釈していた。それなので、標高僅か265mの山在峠が大峰山脈の主脈(の延長)上にあるなどとは、なかなか気付かない。峠を訪れて初めて、大峯奥駈道が通じていることを知ったのだ。考えてみれば熊野本宮大社(地理院地図)は目と鼻の先である。それにしても、そんなことも知らずに山在峠を訪れるのだから、一体何を目的に峠越えをするのだろうかと、自分でも不思議である。

   
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玉置山展望台より大峰山脈を北に見る (撮影 2015.10.14)
かつての大峯奥駈道に今は完全舗装の林道大谷線が通じる
山在峠はこの大峰山脈の延長上に位置する

   
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玉置山展望台にあった看板 (撮影 2015.10.14)
大峯南奥駈道について書かれている

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玉置神社の様子 (撮影 2015.10.14)
玉置山山頂近くに鎮座する

   
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熊野本宮大社の参道 (撮影 2018. 5.29)
ここは大峯奥駈道の重要な拠点

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熊野本宮大社にあった看板 (撮影 2018. 5.29)
本宮町の観光案内図
下向橋を渡って大峯奥駈道が山在峠峠方向に続いている
(地図の右下の方)

   

<古くからの峠道>
 山在峠には古くから大峯奥駈道が通じ、小井谷と山在を結ぶ峠道も、それに交叉して通っていた筈だ。 1989年7月発行のツーリングマップ(関西 2輪車 昭文社)には、まだ車道の記載はないが、「山在峠」という文字だけはしっかり描かれている。車道が通じる以前より、この峠名は存在していたことは確かだ。現在の地理院地図にも、小井谷側(地理院地図)と山在側(地理院地図)に、それぞれ点線表記の徒歩道が描かれている。多分、それらが山在峠を越えていた古い峠道であろう。
 
<車道開通>
 ではいつ頃、山在峠に車道が通じたのだろうか。これがトンネルなどなら竣工日が分かり、峠道の開通時期も検討が付く。しかし、かぼそく短い林道では、なかなかその開通時期は分からない。 Microsoft Copilot さんに伺ったが、参考にしたブログの主が訪れた2020年前後の時期を示すばかりである。私の方がそれよりずっと前に山在峠を走っているのだ。しかも全線舗装済みだった。 1997年3月発行のツーリングマップルでは「ミニダート」として林道が記載されていた。少なくともそれ以前には車道が開通している。

   

<航空写真>
 地理院地図で航空写真を調べたが、この付近のデータは極めて少ない。やっと1974年〜1978年に撮影された空中写真が見付かった( 地理院地図 )。


   
   

 上の写真を眺めてみると、何となく車道が山林の中に通じているようにも見える。少なくとも小井谷側の道筋ははっきりしている。残念ながら1974年〜1978年以降の航空写真はほとんどなく、私が越えた2004年以降の写真ではもう意味がない(開通時期についてはまた後述)。

   
   
   

峠の新宮市熊野川町側

   

<国道168号>
 現在の熊野川沿いには、新宮市街から続いてその右岸側に国道168号の大幹線路が延びて来ている。山在峠に相当する部分では、東敷屋トンネル(竣工:2003年3月、地理院地図)などが開通し、快適そのものの国道だ。距離的には山在峠を越える方がずっと短いが、車道開通前なら尚更、車道開通後もクネクネ曲がる細い林道など車で走ってはいられない。巨視的に見た熊野川沿いに通じる幹線路の車道としては、山在峠が顧みられることは今後もないだろう。
 
 但し、人や牛馬が歩いて旅をし、物を移動させていた時代、道程の長短は重要な要素だ。もしかしたら新宮市街から遠く十津川村方面へと向かう場合、山在峠を利用することもあったかと想像する。 ただ、新宮市街方面からだと、山在峠越えの前に一旦熊野川を左岸に渡る必要があり、そこがネックだったかもしれない。また、右岸をそのまま行くと、熊野本宮大社前を通る。わざわざ繁華な大社前を避ける必要もない。 やはり山在峠は、大峯奥駈道の関連以外では、あまり世に出る峠ではなかったかと思う。

   

<峠へ>
 現在、山在峠に向かうには、立派な東敷屋トンネルは使わず、手前で旧道に入ってその後敷屋大橋(地理院地図)で左岸に渡る。この時点でもう何が何でも山在峠を越えるぞという、強い意志がなくてはならない。しかも雨に降られて散々な天候だ。

   

<篠尾川沿い>
 間もなく支流の篠尾川(ささびがわ)左岸沿いに遡る。直ぐに分岐が出て来る(地理院地図)。 この付近の分岐には簡潔で分かり易い道案内の看板がある。直進は「篠尾」、左折する方向は「小井谷、本宮方面」と出ていた。「本宮」とあるのが山在峠を越えることを意味する。 ただ、道は篠尾方面の方が広い本線で、本宮方面は狭い支線といった雰囲気だ。篠尾上流方面へも車道は抜けられる。

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分岐には看板が立つ (撮影 2004. 5. 4)
直進は篠尾川沿いを篠尾方面へ
山在峠へはここを左折

   

<小井谷川沿い>
 道は直ぐに篠尾川を右岸に渡り、するとまた次の分岐が出て来る(地理院地図)。付近には人家も散在する。どこから小井谷の集落になるかは分からない。分岐を左に行くのが小井谷川沿いを峠へと向かう本線で、右は篠尾川右岸沿いに遡る。そちらは車道としては行止りとなるようだ。

   
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次の分岐 (撮影 2004. 5. 4)
左が本線、右は篠尾川右岸沿いに少し遡る
分岐付近には人家も見られる

   

<小井谷集落付近>
 道は小井谷川の右岸に沿って行く。間もなく小井谷川の谷が広くなり、沿道に耕作地が広がる(地理院地図)。対岸には数件の人家も見える。ここは間違いなく小井谷集落になる。

   
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小井谷集落付近 (撮影 2004. 5. 4)
川沿いの平坦地に田畑が広がる
人家は左岸側に点在する

   

<小井谷>
 こうした小さな集落については、一般にはほとんど情報が得られない。Microsoft Copilotに聞いてみると、「現在の小井谷集落は、過疎化と高齢化により居住者がほとんどいない状態で、廃屋や石垣などが残るのみと推測されます」とのこと。 寂しい回答だ。私が訪れてからも、もう20年以上が経つ。当時はまだ現役の田畑だった所も雑草が目立つようになってしまったらしい。かつては大峯奥駈道という修験道の道筋に近い集落として、何らかの役割を担っていたかもしれない。どんな歴史を秘めているのだろうか。

   

<峠への登り>
 小井谷川沿いの道はもう暫く先に進むが、峠には途中で稜線を目指して登りを開始する(地理院地図)。分岐にはしっかり看板が出ている。ここでやっと「山在峠」の文字が出て来た。

   
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左が峠へ (撮影 2004. 5. 4)
右は行止り

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分岐の看板 (撮影 2004. 5. 4)
左手の擁壁に掛かる

   
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道の様子 (撮影 2004. 5. 4)

<道の様子>
 川沿いから分かれて峠までの登りは2Km余りと僅かだ。その間、林の中の狭い道を行く。雨が降っているので、尚更寂れた雰囲気だ。
 
 路面は完全舗装だが、道幅は1.5車線あるかないかと狭い。退避所となるのような箇所もほとんど見られず、対向車が来るとかなり厄介なことになる。バックが苦手では走りたくない道だ。

   

<景色>
 沿道は林に囲まれ、視界もほとんど広がらない。それでも峠の少し手前で(地理院地図)、小井谷川の上流方向に遠望があった。霧で埋もれた小井谷川の谷の先に、薄っすらと山並みが望めた。

   
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小井谷川の上流方向を眺める (撮影 2004. 5. 4)

   
   
   

   

<峠の様子>
 峠はさすがにこ広くなっている。車を一時的に停めるには十分な路肩だ。道は稜線とはかなり鋭角に交差する。よって峠部分はほとんど南北方向に通じる。北が新宮市熊野川町、南が田辺市本宮町となる。峠部分は浅い切り通しで、空が開けて比較的明るいが、峠前後に遠望はない。
 
 峠の標高は地理院地図や一般の道路地図でも265mと出ている。峠は正に峰の稜線上のはっきりした鞍部に位置する。車道開通前の峠もここに通じていた筈だ。車道開削で標高が数m程低くなった程度の違いだろう。265mとは車道の峠の標高だろう。

   
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新宮市熊野川町側から見る山在峠 (撮影 2004. 5. 4)
左手に大峯奥駈道の大きな看板が立つ

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大峯奥駈道の看板 (撮影 2004. 5. 4)

<大峯奥駈道の看板>
 峠の東側には大峯奥駈道に関する看板が立つ。実際の大峯奥駈道は、看板の右脇から南へ向かい、一方、車道を挟んだ右手後方から擁壁を登って北へと延びる。
 
 看板の案内図を見ると、大峯奥駈道は熊野本宮大社の大斎原(地理院地図)を出発し、熊野川の左岸に渡った後、七越峰(地理院地図)、吹越峠(地理院地図)を経て当峠に至っている。現在の地理院地図でも概ねその道筋に徒歩道が描かれる。案内図では山在峠が現在地とは全く異なる位置に書かれているのが気になるが、誤記ということで詮索しない。

   
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大峯奥駈道案内図 (撮影 2004. 5. 4)
山在峠の位置がちょっと変だ

   

<大峯奥駈道の道標>
 看板とは反対側、北へ続く大峯奥駈道の入口にも大峯奥駈道に関する道標などが立つ。北へは「玉置山」とある。かなり遠方だ。
 
 道標の柱には縦に「大峯南奥駈道」とあった。玉置山展望台の看板でも「南」が入る名称が見られたが、どの範囲から「南」なのか分からない。玉置山付近以南であろうか。
 
 大峯奥駈道の案内図に記されていたのだが、峠から少し大峯奥駈道を北に入った所に、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などがあったようだ。大峯奥駈道を探訪する者はそこをお目当てとするようで、なかなか見応えがあるらしい。残念ながら見落としてしまった。
 
 それにしても、峠の鞍部ではなく、ちょっと稜線を登った先にそうした仏塔を建てたのはどうしてかと思う。そこに手頃な平坦地があったからだろうか。峠にあれば、そのまま見学できたのに。

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大峯奥駈道の道標 (撮影 2004. 5. 4)
峠の西側に立つ

   
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林道看板 (撮影 2004. 5. 4)
本宮町方向に見る
ここから先が元の林道小井谷山在線

<林道小井谷山在線>
 峠の田辺市本宮町方向には「林道小井谷山在線 本宮町」と看板があった。
 
 私たちが訪れた2004年は、まだ本宮町が田辺市と合併する前であった。その翌年の5月1日に旧田辺市・龍神村・中辺路町・大塔村・本宮町が合併し、新生の田辺市が発足している。非常に広範囲の市になったものだと思う。 龍神村とか大塔村といった馴染みの村がなくなったのもさみしい。大塔村と本宮町との境の大杉隧道(仮称:大杉峠)などは険しくかつ懐かしい峠だ。
 
 林道小井谷山在線方向には「七越・本宮」と案内がある。看板の立て方からしても、峠より本宮町側がその林道となるらしい。では、手前の熊野川町側は別の車道となのだろうか。(現在は、新宮市熊野川町側の2Km余りも林道小井谷山在線の一部となっているらしい)

   
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林道看板 (撮影 2004. 5. 4)

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林道方向の道標 (撮影 2004. 5. 4)
「七越・本宮」とある

   

<林道開通時期>
 これは想像だが、林道小井谷山在線の看板が比較的新しいことからして、この林道の開削は最近のことではなかったか。1974年〜1978年の空中写真では、熊野川町側の道筋ははっきりしていたが、本宮町側は曖昧模糊としていた。 当時、熊野川町側から峠まで何らかの車道が到達していたが、本宮町側は未開通ではなかったかと想像する。1989年7月発行のツーリングマップは信用できるかもしれない。林道小井谷山在線の開通は、1990年前後以降ではなかったか(また後述)。

   
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本宮町側から見る山在峠 (撮影 2004. 5. 4)
左手奥に北へ延びる大峯奥駈道が分かれて行く

   

<旧道>
 峠より少し本宮町側に進んだ所で、右手鋭角に道が分かれて行くような箇所がある(地理院地図)。地理院地図に徒歩道として描かれた旧道の分岐だと思う。ただ、残念ながら分岐の先を覗くと、造成工事でも行っているようで、道は切り崩された斜面で寸断されていた。
 
 熊野川町側についても旧道らしい箇所は見当たらなかった。山在峠を歩いて越えていた時代の道は、もうほとんど廃道となっているものと思う。

   
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峠より本宮町方向を見る (撮影 2004. 5. 4)
右手に分岐あり

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分岐方向を見る (撮影 2004. 5. 4)
これが旧道の名残りだろうか

   
   
   

本宮町側に下る

   

<本宮町側>
 峠の本宮町側直下はもう熊野川に近く、ほぼその左岸の崖沿いに道が通じる。ちょっと進むと熊野川を見渡せる箇所がある(地理院地図)。大河・熊野川を雄大に眺める。

   
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熊野川を望む (撮影 2004. 5. 4)

   

<林道津荷谷線分岐>
 峠から約300m下ると、左に林道津荷谷線が分岐している。この林道は稜線上に通じる大峯奥駈道とほぼ並行して、七越峰方向に通じるようだ。津荷谷とは峰を越えた先で沿う熊野川の支流(地理院地図)の名であろう。

   
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林道津荷谷線の分岐 (撮影 2004. 5. 4)

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ここにも「大峯南奥駈道」と道標にある (撮影 2004. 5. 4)

   

<道の様子>
 林道津荷谷線分岐の直後、道は反転して北を向く。その辺りから斜面の傾斜は緩くなり、道の様子も穏やかな雰囲気だ。
 
 1974年〜1978年の空中写真を見ると、この付近から山在集落の棚田か段々畑が広がっていたようだ。しかし、今は林で覆われ、ここに耕作地があったなどとは信じられない様子だ。

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道の様子 (撮影 2004. 5. 4)
やや穏やか

   
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林道看板 (撮影 2004. 5. 4)

<林道看板>
 その山在集落の入り口付近から峠方向を見ると、林道看板が立っていた(地理院地図)。「民有林林道 小井谷山在線」とある。幅員は3.0mと狭く、全延長は何と547mと短い。ここが起点だ。峠を終点とすると、その間は約500m余りで、林道全延長に合致する。
 
 1989年7月発行のツーリングマップでも、その林道看板が立つ付近までは車道が通じていたが、その先が未開通だった。その峠までの未開通区間に林道小井谷山在線が新しく開削されたのだろう。
 
<林道開通日>
 尚、看板をよく見ると、最後の方に「平成5年(1993年)3月」と日付がある。今気が付いた。これが林道の最初の開通時期かは分からないが、そう考えてもこれまでの考察と矛盾はない。よって、1993年3月が山在峠を越えて車道が通じた時ということになりそうだ。一応の結論が出せて、一安心だ。

   
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林道看板 (撮影 2004. 5. 4)
「平成5年3月」とある

   

<山在集落付近>
 かつては緩斜面に耕作地が広がり、その中に人家が点在したであろう山在集落の様子は、今ではほとんど見られない。沿道から確認できる建物も限られていた。Microsoft Copilot の言は、小井谷集落とほとんど同じであった。
 
 山在集落後はまた暫く林の中を抜け、その後は熊野川沿いになる(地理院地図)。熊野川の流れが間近に見られる。道はそのまま熊野川沿いにズルズル進むが、もう峠道とは言えない。下ノ谷川を渡る直前で左岸沿いに通じる道に合するが(地理院地図)、そこを峠道の終点としたい。

   
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熊野川を望む (撮影 2004. 5. 4)

   
   
   

<おわりに(余談)>
 峠を探訪する前に下調べをすることはまずない。旅はいつも行き当たりばったり、出たとこ勝負である。それなので、ずっと後になっていろいろ後悔することも多々ある。 例えば今回の山在峠については、峠の直ぐ近くにあった宝篋印塔を見学すべきだった。しかし、峠を訪れた時は、そこが大峯奥駈道の通過点であることさえも知らなかった。また、宝篋印塔がどんな物であるかという予備知識もない。
 
 しかし、峠を訪れた2004年当時は、まだダイヤルアップ回線を使っていた。ADLSにしたのはその翌年からである。今から思うとそんな低速の回線でよくインターネットをしていたものだ。 また、ブログなどにより一般人が気軽に日々の様子などをネット上に投稿することができるようになったのもその頃以降である。ましてや、Microsoft Copilot などの対話式AIはずっと後になって登場している。 当時は山在峠くらいのほんの小さなについて調べても、ほとんど情報は得られなかったと思う。
 
 それにしても、闇雲に写真を撮って置いてよかった。何気なく撮った林道看板の写真に、林道開通日と思われる日付が書かれていた。それにより峠に車道が通じた時期を知ることができた訳だ。「行き当たりばったり、出たとこ勝負」の旅も、それなりによかったと思う、山在峠であった。

   
   
   

<走行日>
・2004. 5. 4 小井谷→山在峠→山在/パジェロ・ミニにて
・2015.10.14 玉置神社参詣/パジェロ・ミニにて
・2018. 5.29 熊野本宮大社参詣/ハスラーにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 30 和歌山県 1985年7月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名体系 31巻 和歌山県の地名 1983.2.18 初版第一刷 (株)平凡社
・新宮市・田辺市の公式ホームページ
・Microsoft Copilot
・その他の道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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