野々川隧道
(野々川トンネル)
ののこずいどう
(峠と旅 No.335)
紀伊山地の中を行く小さな小さな峠道
(掲載 2025. 5. 2 最終峠走行 2018. 5.27)
野々川隧道 (撮影 2018. 5.27)
トンネルのこちら側は和歌山県日高郡印南町大字川又
反対側は同県同郡日高川町大字熊野川
道は林道野々古・川又線(林道野々古川線とも)
坑口の標高は約510m (地理院地図の等高線より)
林道と言っても全線舗装済みの峠道
ただ、ちょっと荒れていた
<掲載動機/紀伊半島の峠(余談)>
この間まで四国の峠ばかり取り上げてみたが、前回の引牛越で紀伊半島に目を移した。ついでなので暫く紀伊半島に凝ってみようと思う。紀伊半島もぐるりと三方を海に囲まれ、それでいてなかなか山深い。何となく四国と似た雰囲気を感じる。そこに通じる峠も、同じような味わいがあるように思える。
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<峠名>
さて、今回の峠には野々川隧道(トンネル)が通じるだけで、これといって他に峠名がある訳ではなさそうだ。そこで本ページの表題では単に「野々川隧道」とした。
勿論、「野々川トンネル」でもいいのだが、トンネル坑口に掛かる扁額が「野々川隧道」となっていたので、そうしたまでだ。本文中でも野々川隧道と書くが、一般名称としては「トンネル」と呼ぶこととする。
峠名として他には「野々川隧道の峠」とか林道名を使って「林道野々古川又線の峠」などと呼ぶしかない。そこをあえて峠名を設定させてもらえるなら、「野々川峠」としたいところだ。(野々川の読みについては後述)
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<小さな峠(余談)>
峠道となる林道は総延長でも8.6Km程と短く、とても小さな峠だ。これが国道や主要地方道、せめて県道であったら、道路地図で赤や緑、黄色などの色付けがされる。しかし、林道では真っ白のままである。
それ程広くない紀伊山地の中にあっても、なかなか見付け難い。前回の引牛越などは長い県境越えの県道で、これは直ぐに見付け出すことができた。
また、峠に穿たれている野々川隧道とか野々川トンネルというトンネル名は、まず一般の道路地図に載っていない。地理院地図やグーグルマップなどで検索しても全くヒットとしないのだ。これではネットもお手上げである。
ツーリングマップルなどでは縮尺が14万分の1と粗く、地図上では僅か直径3cm余りの円の中に峠道がスッポリ入ってしまう。よく知られた昔話に一寸法師があるが一寸とは約3cmであり、今回の峠は一寸峠ということになる。
地理院地図やツーリングマップルでやっと峠の場所を見付けても、ちょっと目を離すとまたどこかに隠れてしまう、そんな小さな峠である。
古いツーリングマップ(関西 2輪車 1989年7月発行 昭文社)でも一生懸命探したが、これがなかなか見付からない。いい加減頭に来た時になってやっと見付からない理由が分かった。
まだ峠道が描かれていなかったのだった。
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<所在/日高川町熊野川>
峠道は南北方向に通じ、峠の北側は和歌山県日高郡(ひだかぐん)日高川町(ひだかがわちょう)大字熊野川(くまのがわ)になる。日高川町は平成17年(2005年)5月1日に川辺町、中津村、美山村(みやまむら)が合併して誕生したそうだ。
峠はその中の旧美山村になる。新しい日高川町という地名は当然ながら河川名の日高川から来ているものと思う。前回の引牛越なども日高川水系で、その上流部の一つの支流・丹生ノ川(にゅうのがわ)源流に位置していた。
<所在/印南町川又>
峠の南側は同県同郡の印南町(いなみちょう)大字川又(かわまた)となる。
よって、峠は日高川と印南両町の町境に位置する。郡は同じ日高郡に属す。
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<地理院地図(参考)>
国土地理院の
地理院地図
にリンクします。
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
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<水系>
日高川町側は当然ながら日高川水系で、その小さな支流・野々川の源流部になる。ただ、野々川本流の源頭部ではなく、更にその支流の上部に位置する。
印南町側は切目川(きりめがわ、きりめかわ)水系で、やはりその小さな支流の上部に位置する。ただ、川の名は分からないし、地図にもその川は描かれていない。
野々川隧道の峠道沿いにはあまりはっきりした川筋が通っていないが、大きくは日高川と切目川という異なる2つの水系の分水界に位置する。
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<国道424号より分岐>
日高川町側からの峠道は、日高川沿いに通じる国道424号から分かれて始まる(地理院地図)。その国道を上流方向に向かって走っていると、野々川を野々川橋で渡るが、その手前を右に峠道が分岐する。ただ、国道上にその分岐を案内する看板はまずない。自力で見付けることになる。
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国道424号を上流方向に見る (撮影 2018. 5.27)
野々川橋を渡る手前
ここを右に峠道が分岐する
尚、左手にバス停が立つ(後述)
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野々川橋の様子 (撮影 2018. 5.27)
平成23年(2011年)3月竣工と比較的新しい
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<ののこ>
ところで、「野々川」は何も考えずにいたら「ののかわ」とか「ののがわ」と読んでしまう。とても小さな峠なので文献(角川日本地名大辞典)などを調べても、全く手掛かりがない。こうなると現場主義である。とにかく現地に立つ看板や橋の銘板などを手掛かりとするしかない。
<野々川橋>
丁度、国道424号が野々川を渡る橋が「野々川橋」である。その銘板を調べてみると、「ののこはし」と出ていた。「野々川」は「ののこ」と読むのであった。
<矢ノ川>
直ぐにピンと来るのは矢ノ川峠である(地理院地図)。こちらの峠名の元となった川名・矢ノ川も「やのこ」と読む。矢ノ川峠は三重県ではあるが、同じ紀伊半島でもある。今回の峠も増々野々川峠(ののことうげ)と呼びたくなってくる。
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国道424号に架かる野々川橋の銘板 (撮影 2018. 5.27)
読みは「ののこはし」とある
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<ののがわ(余談)>
このように「川」を「こ」と呼ぶのは紀伊半島・紀伊山地でのみ見られる特徴かもしれない。同じ野々川でも四国の四万十町にある地名・川名(地理院地図)は「ののがわ」と発音するようだ。
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現在の国道からの分岐方向を見る (撮影 2018. 5.27) 旧丁字路を背にしている
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<旧丁字路>
国道を分かれると直ぐに丁字路の様になっている。そこを右に曲がるのが峠方向で、左は野々川の岸で行止りだ。多分、以前はその先に橋が架かっていたのだろう。
<旧野々川橋?>
現在の野々川橋は平成23年(2011年)3月の竣工と比較的新しい。道としても立派だ。多分、それ以前は野々川の数10mくらい上流側に古い野々川橋が架かっていたものと思う。ただ、現在の橋の名に「新」の文字は付かない。
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ちょっと見は丁字路に見える (撮影 2018. 5.27)
左は野々川で行止り、右が峠へ
手前は国道
<林道看板など>
旧丁字路にはかつての分岐の名残りを示すかのように林道看板などが並ぶ。カーブミラーは今はまず利用価値がない。
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旧丁字路の様子 (撮影 2018. 5.27)
付近には数軒の人家が並ぶ
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林道看板などが立つ (撮影 2018. 5.27)
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<道路標識>
看板の一つは道路標識で、正(まさ)しく丁字路を表していた。左は国道424号を「みやまの里・椿山ダム」へ、右は「林道野々古川又線」となっている。現住所も古く、日高川町になる前の「美山村 熊野川」とあった。
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道路看板 (撮影 2018. 5.27)
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林道看板 (撮影 2018. 5.27)
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<林道看板/林道名>
林道名がまた混乱させる。「野々古」と「川又」を合わせた名になっている。「川又」は印南町側の大字で、それは仕方ない。「野々川」ではなく「野々古」とはどういうことか。「ののこ」と読むことだけは確かだろう。
<野々古、野々子>
本来なら「野々川・川又線」(ののこ・かわまたせん)とでもすべきだったのかと想像する。しかし、それだと「川」の字がダブる。しかも片方の「川」は「こ」と読んでもらわなければならない。
そこで苦肉の作として「野々川」の代わりに「野々古」という字を当てたように思えて仕方ない。もうどこで見掛けたか覚えてないが、「野々子」という字を使っていた地図があったような気がする。ただ、それは単なる誤植かもしれない。
<野々古川林道>
また、ツーリングマップルでは「野々古川林道」となっている。「又」が抜け落ちたのかと思ったのだが、そうでもなさそうなのだ(後述)。それにしても「野々古」は本来「野々川」であり、「野々古川」は「野々川川」ということになるのではないか。
<林道看板/峠道延長>
林道看板では林道野々古川又線の延長は6,629mとなっていた。但し、カッコ付で8,603mともある。約6.6Kmは日高川町側の峠までの距離で、約8.6Kmは国道424号に合流するまでの峠道全線の距離と思われる。よって、印南町側は約2Kmと短い。
<林道区間>
林道名にある川又は印南町側の大字として広い地域を示す。一方、野々古(野々川)とは日高川町側の多分大字より小さいこの付近の一地名であろう。
それらからしても、やはり「野々古川又線」という名は日高川町側のみの区間を指す林道名とも思われる。印南町側にはまた別の名がある可能性があるが、不明である。
<看板の書き換え>
ちょっと気になるのは、林道看板の「野々古川又」の文字や他にも延長の数値、林道管理者が書き換えられていることだ。区間とその林道名などに変更があったようだ(後述)。
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<大字熊野川>
ここは大字熊野川(くまのがわ)だが、紀伊半島で「熊野」と言えば熊野古道、熊野大社、新宮川の別名を持つ熊野川などを連想する。ただ、文献(角川日本地名大辞典)の「大字熊野川」の項によると、ここの熊(クマ)は「隈の意で、地名は山間の曲がった河谷に由来するものと思われる」としている。その「曲がった河谷」とは日高川を指すのだろう。
<野々川>
また同文献では熊野川は「蛇行する日高川上流に位置し、北流する野々川が当地で日高川に合流する」とも記す。文献で「野々川」が登場するのは、ほぼこの一文が唯一であろうか。
<熊野川村>
大字熊野川は古くは江戸時代からの熊野川村であった。明治22年(1889年)に熊野川他、川原河(かわはらごう)・滝頭・上越方・初湯川・上初湯川・弥谷(いやだに)・皆瀬・愛川(あたいがわ)・浅間の計10か村が合併して川上村が成立、大字熊野川となる。熊野川は川上村の中央部に位置していたようだ。
更に昭和31年(1956年)に川上・寒川(そうがわ)の2か村が合併して成立した美山村(みやまむら)の大字となる。そして前述の様に平成17年(2005年)5月1日、美山村と川辺町・中津村が合併して成立した日高川町の一部となって行く。
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<野々古口>
旧丁字路に隣接して数軒程の民家が集まって立つ。しかし、地理院地図などではその集落名が記されていない。そこより日高川のちょっと下流側の旧道沿いに上ノ段(うえのだん)と呼ぶ集落があるが(地理院地図)、多分その集落の一部ではないかと思ったりした。
ところが、新型コロナ禍以降久しぶりに図書館に出掛け、角川日本地名大辞典を閲覧していると、地誌編(ウェブでは閲覧できない)に熊野川にある集落名が列記されているのを見付けた。
上ノ段、下村(しもむら、地理院地図)、友淵(友渕、ともぶち、地理院地図)、竿本(地理院地図)、そして「野々古口」の5集落だ。
現在の地理院地図では野々古口以外の集落名の記載はあるが、肝心な野々古口がない。多分、今回の峠道起点に立地する小さな集落がその野々古口であろうと思う。また、野々古は野々川の単なる当て字程度に思っていたが、野々古という地名が存在したわけである。野々古口の「口」は、野々古の入口というような意味だろう。
<野々古口バス停>
改めて「野々古」について調べてみると、峠道分岐近くの国道沿いに野々古口(ののこぐち)というバス停があるのが分かった。後部ドラレコに確かに写っていた(下の写真)。このことからも、林道看板などが立つ旧丁字路付近の地名が野々古口ではないか。
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国道424号沿いの野々古口バス停 (撮影 2018. 5.27) (後部ドラレコ画像)
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野々古口バス停 (撮影 2018. 5.27) (後部ドラレコ画像)
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<日高川の右岸と左岸>
尚、大字熊野川の5集落の内、上ノ段と下村、友淵と竿本と野々古口が夫々グループを成し、同じ大字ながら通った小学校は異なったそうだ。上ノ段と下村は日高川左岸、友淵と竿本は右岸であるが、すると野々古口が左岸というのは解せない。
この付近の交通は古くは日高川の舟運に頼っていたとのこと。橋はあまり発達していなかったようだ。集落が日高川のどちらの岸に位置するかは大きな違いがあった筈だ。よって、野々古口という地名は日高川右岸であった可能性が捨てきれない。
<古いツーリングマップ(余談)>
古いツーリングマップ(1989年7月発行)では、やはり野々古口集落は載っていないが、他の4集落の記載はあった。細い線や小さな文字でびっしりと描かれた地図だった。
それがその後のツーリングマップルでは文字も大きく見易くなったが、一方で地図上に記載される情報量が大幅に少なくなって行った。熊野川の集落名も一切省略されてしまっている。林道野々古川線がまだない古いツーリングマップだが、今でも利用価値が高い地図だ。老眼で地図の文字はほとんど読めず、ルーペ片手で覗き込んでいる。
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林道看板の100m程先 (撮影 2018. 5.27)
もう沿道に建物はない
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<林道へ>
林道看板を過ぎて100m程も行くと、もう沿道に野々古口と思しき集落の建物はない。この先、峠を越えて国道424号に出るまで、人家は皆無だ。
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<林道の様子>
地理院地図では林道野々古川又線の前半は一本線の道で描かれている。これは軽車道(けいしゃどう)を意味する。これより狭い道は徒歩道(とほどう)になり、軽車道は車が通れる最低限の道ということになろうか。
しかし、実際の野々古川又線はアスファルト舗装もまだ新しく、道幅も終始1.5車線は確保されている。林道としてはこれ程走り易い道は少ない。暫し、野々川の右岸に沿って登る。少し高度を上げれば、空も開けて開放的だ。
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野々川沿いの林道の様子 (撮影 2018. 5.27)
下流方向に見る(後部のドラレコ画像より)
<林道小谷線の分岐>
600〜700mも走ると右に分岐がある(地理院地図)。林道看板がしっかり立ち、林道小谷線とある。延長は未記入だが、地図を見ると小谷峠(地理院地図)を越えて大字下田原で県道25号・御坊中津線に出られるようだ。
紀伊山地では細かく調べるとこうした小さな峠道が無数に見付かる。いちいち訪れていてはいくら時間があっても足りない。ただ、今回の野々川隧道の峠も、小谷峠と大して変わりはなさそうなのだが・・・。
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右に林道小谷線が分岐 (撮影 2018. 5.27)
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小谷線の林道看板 (撮影 2018. 5.27)
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林道小谷線の様子 (撮影 2018. 5.27) この時点ではまだ未舗装
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小谷線の林道看板と林道銘板 (撮影 2018. 5.27)
西谷橋を渡る (撮影 2018. 5.27)
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<西谷橋>
小谷線を分けた後、本線は小谷峠方面から流れ下る支流を渡る。きっと小谷川だろうと思ったら、橋の銘板によると、川は西谷川、橋は西谷橋(にしたにはし)で昭和58年3月竣工とのこと。本流の西から下って来る川なので西谷なのだろうが、すると小谷という地名はどこから来ているのだろうか。
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<沿道の様子>
路面のアスファルトの状態は非常に良く、陥没や剥がれ、ひび割れなども全く見られない。舗装してまだ日が浅いように思われた。しかし、進むにつれて法面が弱そうな箇所が目立ってきた。路面まで土砂が崩れて来てる。余り保守は行われていないようだった。
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崩れやすそうな崖 (撮影 2018. 5.27)
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<林道標識>
林道野々古・川又線では暫くは林道標識が完備されている。1Kmおきぐらいに立っていたようだ。以前にはあまり見掛けない種類の標識だ。木を表したマークが描かれる。最近の物だろうか。下に林道名と起点からの距離が示されている。ただ、起点から登る方向のみで、下って来る方向には文字は描かれない。
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林道起点から1Kmの地点 (撮影 2018. 5.27) 林道標識が立つ
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林道標識 (撮影 2018. 5.27)
「起点から1.0Km」
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<ドラレコ(余談)>
この旅ではデジカメをふんだんに撮ったし、ドラレコも前後に装備してあって、峠道全線の動画が保存されている。ドラレコは普及初期の機種に比べると、どんどん画質が上がって来ていた。
後部のドラレコは最近になって取り付けたので、特に画質が良い。標識や橋の銘板などの文字も読めることが多く、いろいろ役に立つ。デジカメで撮り損なった箇所もドラレコで確認できた。
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<根地橋>
起点から1Kmの標識の直ぐ先で、根地橋(ねじはし)を渡って野々川の右岸沿いなる(地理院地図)。
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根地橋を渡る (撮影 2018. 5.27)
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根地橋の銘板 (撮影 2018. 5.27)
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<橋の銘板(余談)>
これで野々川橋、西谷橋、根地橋と3つの橋を見て来た。どの橋にも律儀なことに銘板が完備されていた。銘板には橋名、川名、橋名の読み、川名の読み、橋の竣工日の5種類の項目が刻まれることが多い。
しかし、橋の袂の角は4箇所である。どれか一つは除かれることになる。野々川橋では川名の読み、西谷橋では橋の竣工日、根地橋では川名の読みが夫々(それぞれ)なかった。
また、各項目の記載場所が決まっているのかと調べたが、法則性が全く見付からない。橋について詳しく調べれば分かることなのだろうが、あえて止めておこうと思う。何にでも関心を持つと、時間が足らない。寿命も足らない。
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<野々川右岸>
地図を見ると、林道は終始野々川に寄り添って通じる。右岸沿いになってからも変わりない。ただ、川に近いからと言って絶えず車道から川がよく見えるとは限らない。川面が望め、川の様子が手に取るように分かるというような箇所は意外と少ない。
<起点から1.5Km>
また林道標識が立っていた(地理院地図)。起点から1.5Kmとあった。
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野々川右岸沿い (撮影 2018. 5.27) この場所は川面が近い
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また林道標識が立つ (撮影 2018. 5.27)
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1.5Kmの林道標識 (撮影 2018. 5.27)
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<造成地>
1.5Kmの林道標識の先で、道は暫し川沿いを離れる。その道と川との間にちょっとした造成地が広がる(地理院地図)。地理院地図では「荒地」となっている。その場所は小高くなっているので、道からはあまり様子は分からないが、元は畑か何かであったのではないだろうか。この野々川沿いでは数少ない貴重な平坦地である。
造成地の終わり頃には沿道に建物が並んだ(地理院地図)。企業の倉庫のような小屋である。造成地は資材や土砂などの置場としても使われていたのかもしれない。
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前方に造成地 (撮影 2018. 5.27)
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造成地の様子 (撮影 2018. 5.27)
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建物がある (撮影 2018. 5.27)
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<峰集落>
倉庫などの建物が並ぶ箇所から東に250m程の山中に、ポツンと一軒の建物があることになっている(地理院地図)。現在の地理院地図や一般の道路地図ではもう何の記載も見られない。しかし、例の細かい字の古いツーリングマップ(1989年7月発行)には、「峰」という集落名が記されてあった。もうそこに住む者は居ないだろうが、それにしても古いツーリングマップは貴重である。
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<旧道?>
峰集落に車道は通じていないとうだが、代わりに集落を経由して一筋の徒歩道が描かれている。今回の峠道について詳しいことは何ら分からないが、もしかするとその道は林道開通前の古くからあった峠道の可能性がある。
峰を通る徒歩道は、野々川橋の東の袂付近から始まり(地理院地図)、峠の野々川隧道の上部を越え(地理院地図)、印南町大字川又に下って国道424号に至る(地理院地図)。現在の林道と重なる区間は全くないが、これで一本の峠道の体を成す。途中に峰という集落があることも頷ける。ただ、もう道としての痕跡などほとんど残っていないことだろう。今となっては確認のしようがなく、ただただ想像を膨らませるばかりだ。
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<分岐>
沿道にはまだポツポツと人工物が見られた。廃材などが置かれていたりもする。起点から2.5Kmの林道標識を過ぎる(地理院地図)。
傾いたフェンスの陰に古タイヤが詰まれていたが、そのはす向かいに山の中へと道が始まっていた(地理院地図)。車が登れるか微妙な急坂の道である。もしかしたら峰集落に通じる道かと思ったりした。
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傾いたフェンス (撮影 2018. 5.27) ドラレコで後方に見る
右手に道が始まる
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<落石>
ちょっと前から気になってはいたが、路面の落石が増々多くなってきた。車の通行の障害になるという程ではないが、アスファルトの上にゴロゴロ転がっている。時にはタイヤが乗り上げないように石を避けて通らなければならない箇所もある。
どうも法面が脆い所が多いようだ。林道開削時に山を切り崩した状態のままで残されている。もう少しコンクリートで固めた方がよさそうである。
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落石の様子 (撮影 2018. 5.27)
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落石の様子 (撮影 2018. 5.27)
(後方のドラレコ)
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法面の様子 (撮影 2018. 5.27)
崩れ易すそうだ
<林道炭屋谷線の分岐>
起点から3Km余りで大きな分岐に至る(地理院地図)。本線の林道が野々川を渡る手前を林道炭屋谷線が本流右岸沿いに分岐して遡る。
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三又口橋直前 (撮影 2018. 5.27)
その手前を左に林道炭屋谷線が分岐する
<林道炭屋谷線>
林道看板では林道炭屋谷線の延長は2,340mとあり、地理院地図でもほぼその距離で道は行止まっている(地理院地図)。路面は本線同様、舗装済みで、車で走ることに抵抗ない道だ。しかし、通り抜けられないのでは詰まらない。ただ、炭屋谷線は途中で峰を通る徒歩道と交差している(地理院地図)。もしかしたらそこに旧道の痕跡が見られたかもしれない。
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林道炭屋谷線を望む (撮影 2018. 5.27)
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林道炭屋谷線の看板 (撮影 2018. 5.27)
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<三又口橋>
本線の野々古川又線が野々川を渡るのは三又口橋となる。銘板には「みつまたくちはし」と読みが示されていた。ここまでに出てきた橋は全て「はし」であった。「ばし」と呼ぶことの方が多いので、ちょっと珍しい気がする。
この三又口橋も「みつまたくちばし」と発音した方が呼び易そうに思える。ただ、銘板はあくまで行政が型通りに設けるもので、地元では違う呼び方をしているかもしれない。
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三又口橋の銘板 (撮影 2018. 5.27)
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三又口橋の銘板 (撮影 2018. 5.27)
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<三又口>
三又口橋の名は、野々川本流に野々川隧道方面から下る支流(名前不明)が合流する地点であることを表しているものだろうか。確かにYの字に近い合流の仕方だ。また、橋の周辺の谷は開けていて、ちょっとした通過ポイントになる。
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三又口橋より野々川上流方向を見る (撮影 2018. 5.27)
周辺は開けた雰囲気
右岸沿いに林道炭屋谷線が通じる
<三又口橋以降>
注目なのは、三又口橋以降の林道野々古川又線は、地理院地図で2本線で描かれる車道になることだ。それまでは一本線の軽車道であった。普通、峠に近付くにつれて道が悪くなるのだが、ここでは逆である。
地図を眺めているとそこが奇異に感じる。ただ、実際は全線に渡り幅員約1.5車線巾の舗装路であることに変わりない。
<三又口橋の竣工日>
多分、始めは野々川沿いに細々と車道が通じていて、その後新たに途中から野々川隧道へと林道が開削されたものと思う。三又口橋の竣工は昭和61年(1986年)3月なので、その年以降に峠へと道が延びて行ったものと思う。
<山地災害危険地区の看板>
三又口橋を渡った直ぐ先に「山地災害危険地区」と題した看板が立つ。支流の川名でも分からないかと思ったが、期待外れだった。林道名は「野々古・川又線」とある。
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三又口橋直後 (撮影 2018. 5.27)
右手に「山地災害危険地区」の看板
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「山地災害危険地区」の看板 (撮影 2018. 5.27)
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<炭屋谷>
また、その看板では林道炭屋谷線を「林道炭屋線」としていたが、これは誤植だろう。「炭屋谷」とは如何にも川名のようである。これを冠した林道名からして、その林道の上流に炭屋谷という川があるものと思う。多分、林道終点沿いの川(地理院地図)ではないか。
尚、橋名の「三又」とは炭屋谷が合流する地点(地理院地図)を指し、そこに至る入口として「三又口」と呼んでいるのかもしれない。
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<支流左岸>
地図上では道は支流の直ぐ脇を通っているのだが(地理院地図)、谷が深いせいかちょっと進んだだけで急に高度を上げた景観を呈する(下の写真)。それまでの野々川本流沿いとは明らかに雰囲気が違う。ちょっとした山岳道路風の険しさを感じる。
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支流の谷の様子 (撮影 2018. 5.27)
なかなか険しい
(後部ドラレコより)
<国有林の看板(余談)>
この林道沿いでは比較的多くの看板を目にする。途中、野々川国有林の看板が立っていた(地理院地図)。何らかの情報が得られないかと、こうした看板を見掛けるたびにいちいち車を停めて写真に撮ってみる。ただ、滅多に有用な事は書かれていない。野々川国有林の看板も、そこには区域図が描かれていたが、川名などの記載はなかった。
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道の様子 (撮影 2018. 5.27)
国有林の看板が立つ
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国有林の看板 (撮影 2018. 5.27) 情報収集の為に写真を撮る
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<小箱(余談)>
ここに至るまでもあったかと思うが、沿道の擁壁などの高い場所に、2、3個の小箱が置かれていた(地理院地図)。
ポツンと一つの場合もあるが、こうして少し離れて並んでいることが多いようだ。箱の本体は大抵木製で、トタンや石板などが屋根代わりに被されていたりする。風で飛ばされないようにと石の重しが乗せてある時もある。
こうした小箱は四国の高知県や徳島県でもしばしば見掛けた。山中に通じる林道沿いに多い。こんなところにも四国と紀伊半島、両地域の類似性があるように思えていた。
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擁壁の上に小箱が置かれている (撮影 2018. 5.27)
ニホンミツバチの待ち箱
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<待ち箱>
その小箱は多分、養蜂用の巣箱だろうと考えていたが、今回調べてみると、ほぼ間違いないようだ。養蜂と聞くと、もっと大きな蜜を採取する巣箱が野原に沢山並んだ光景を想像する。
しかし、この巣箱は一辺が20cm〜30cm程の立方体に近い小箱だ。これはニホンミツバチの捕獲を目的とした物とのことで、待ち箱(待箱)などと呼ばれるそうだ。
ニホンミツバチが入る可能性は低く、距離を離して沢山設置する必要があるとのこと。四国や紀伊半島に多いように思っていたが、それ程地域性がある訳ではないようだ。
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断崖箇所に差し掛かる (撮影 2018. 5.27)
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<断崖箇所>
峠に迫って来たので、道は谷の上部を通るようになる。空が開けて眺めはいいが、道の様相は険しい。急斜面の一段と険しい箇所に差し掛かった(地理院地図)。谷側はアスファルト舗装の端が直ぐにも垂直に切れ落ちていて、如何にも弱そうな路肩だ。
古いことになるが、そうした弱い路肩が崩れ、車が谷へと滑り落ちて行ったのを目撃したことがある。幸い崖の途中の樹木に引っかかって車は止まり、運転手は怪我もなく済んだ。しかし、運が悪ければ谷底にまっ逆さまである。
自分自身もヒヤリとすることが何度かあった。そうした経験があるので、こうした箇所は尚更慎重に通る。ただ、例のごとく山側も崩れ易く、土砂が路面に雪崩れ込んでいて、コース取りが難しい。なかなか緊張を強いられる。
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断崖箇所を抜ける (撮影 2018. 5.27)
<谷の景色>
道が沿う谷は、日高川町と印南町の境の峰にある632mのピーク(地理院地図)付近を源流としている。その谷の左岸上部を細かく屈曲しながら道は登って行く。暫く険しい地形が続く。その反面、遠望が利くようになる。進行方向左手に右岸の尾根や、その向こうの山並みを望む。
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沿道からの眺め (撮影 2018. 5.27)
谷の右岸方向を望む
<後方の景色>
道の屈曲によっては谷の下流方向にも遠望がある。紀伊山地北方の高い山並みが見える(地理院地図)。
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沿道からの眺め (撮影 2018. 5.27)
谷の下流方向を望む
<右岸の尾根>
右岸の尾根が迫って見えて来る(地理院地図)。野々川本流域とを分かつ尾根だ。その眺めの中で一番高いのは537mのピーク(地理院地図)だと思う。
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沿道からの眺め (撮影 2018. 5.27)
右岸の尾根が迫る
正面の一番高い山は537mのピーク
<道の様子>
地形は厳しいが、そこに通じる車道は比較的走り易い(地理院地図)。道幅などは林道としては充分であろう。舗装も全く途切れない。ただ、ガードレールがやや不十分な気がする。終始ある必要はないが、ここぞという箇所になかったりする。油断できない道だ。相変わらず小規模だが落石が随所にある。枯れ枝も散らばっている。倒木も見掛けた。
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道の様子 (撮影 2018. 5.27)
まあまあ走り易い
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<国有林の看板>
また看板があったと思ったら、再び国有林の看板であった(地理院地図)。現在地が分かる程度で、他にはあまり役立たない。
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国有林の看板 (撮影 2018. 5.27)
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国有林の看板 (撮影 2018. 5.27)
地図は上が北
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<国有林の看板2枚>
三たび国有林の看板に出くわす(地理院地図)。新旧2つの看板が並ぶ。箇所は坑口手前250mくらいの地点で、看板の地図にも坑口が描かれ始めた。ただ、新しい方の看板でももう20年以上経っているので、現在地のマークもはっきりしない。また、めぼしい情報もない。
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国有林の看板が2枚 (撮影 2018. 5.27)
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国有林の看板 (撮影 2018. 5.27)
ここの地図は左が北
前方にトンネル坑口が見えてきた (撮影 2018. 5.27)
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<峠に着く>
道は忠実に谷を詰め、その源頭部へとて登って行く。遂に急斜面の峰が前方に迫った所でトンネル坑口が待っている。峰の中腹を一筋の穴が貫通している。このトンネルがなければ、もうこの先に車は進めないだろうというような地点だ。
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野々川隧道の日高川町側坑口 (撮影 2018. 5.27)
<日高川町側のトンネル扁額>
トンネルの顔となる坑口はすっきりしたコンクリート製だ。その坑口上部にはちょっと寂しげに扁額が掛かる。「野々川隧道」とあるだけで、こちらも極めてシンプルだ。
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野々川隧道 (撮影 2018. 5.27) 日高川町側坑口の様子
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野々川隧道の扁額 (撮影 2018. 5.27)
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<野々川隧道>
一般の道路地図や地理院地図には、トンネル表記はされているものの、その名が記されていることはほとんどない。現地を訪れて初めて「野々川」というトンネル名であることを知った。「野々川」を「ののこ」と読むことも、橋の銘板などを手掛かりとするしかなかった。あまり世に知られることのない峠である。
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トンネルの上にも待ち箱 (撮影 2018. 5.27)
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<待ち箱(余談)>
よく見ると、トンネルの上にも例の「待ち箱」が置かれていた。3、4個は並んでいたかと思う。坑口の脇から登って設置したのだろうが、なかなか危険な作業だ。路面から6m前後の高さはあるだろう。
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<トンネル銘板>
トンネル内壁に銘板が掛かる。扁額では「隧道」としていたが、銘板では「野々川トンネル」となっている。多分、扁額の文字は当時の美山村の村長などの筆によるものだろう。文字をしたためるのに、やはりカタカナでは格好がつかない。そこで漢字を用いたように思える。
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トンネル内より日高川町側を見る (撮影 2018. 5.27) 右手に銘板
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野々川隧道の銘板 (撮影 2018. 5.27)
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但し、必ずしもトンネル扁額がそうであるとは限らない。昔は全て「隧道」だったろうが、私の経験上、昭和40年代以降になると「トンネル」の文字も使われるようになったと思う。
<トンネル竣工>
銘板によると、トンネルの竣工は1992年(平成4年)1月とある。三又口橋の竣工が1986年3月だったが、その約6年後ということになる。林道野々古川又線が峠に至るまで、なかなかの時間が掛かっている。
峠道全線が開通したのはトンネル竣工とほぼ同時期であろう。1989年7月発行のツーリングマップにこの林道が描かれていなかったのも無理はない。
<日高川町側の様子>
坑口の前は小広くなっている。特に坑口向かって左手(東)に広場があり、車を停めるのに苦労がない。その脇を峰の鞍部より流れ下って来た雨水を流す排水溝が通じている。ここが正に谷の源頭部であることを如実に示していた。
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日高川町側の様子 (撮影 2018. 5.27)
トンネルを背にして見る
坑口横の広場 (撮影 2018. 5.27)
左手奥がトンネル
左手に国有林の看板
谷へと下る排水溝 (撮影 2018. 5.27)
ここは正に谷の源頭部
国有林の看板 (撮影 2018. 5.27)
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<国有林の看板>
広場の一角にも国有林の看板が立つ。契約年月日は平成4年(1992)年8月4日と、これまでの中では最も古い。トンネル竣工の直後でもある。
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<日高川町の看板など>
道路脇に幾つかの看板が並ぶ。一つは「日高川町」とあり、ここが印南町との町境であることを示している。
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道路脇に看板 (撮影 2018. 5.27)
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日高川町の看板など (撮影 2018. 5.27)
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その横には「川又鳥獣保護区」の看板が並ぶ。横倒しで裏側になっているのは「野々川国有林」の看板であった。一般的な注意書きが書かれてあったようだ。
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古い国有林の看板 (撮影 2018. 5.27)
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川又鳥獣保護区の看板 (撮影 2018. 5.27)
「林道野々古川線」とある
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<林道野々古川線>
これまでいろいろな看板を確認してきたが、ここでやっと有用な文字を見付けた。「川又鳥獣保護区」の看板の区域図の中に、「林道野々古川線」とあるのだ。
図からはその林道の範囲ははっきりしないが、少なくともトンネルから印南町川又に下って国道425号に接続するまでの区間である。
ツーリングマップルでは日高川町と印南町を繋ぐ林道全線を「野々古川林道」としていた。これは「野々古川又線」の「又」を書き落としたのかと思ったりしが、そうではなかったようだ。「林道野々古川線」という名は確かに存在した。
<林道名の変遷>
元の林道名は全線を野々古川線と呼んでいたのではないか。しかし、ある時点より美山村(現日高川町)側は美山村による管理となり、新しく野々古・川又線と命名したのではないだろうか。
旧名の野々古川線は残った印南町側のみを指すようになったのではないか。その距離僅か2Kmである。ただ、「野々古川」とは日高川町側の地名・川名であり、奇異な感じが残る。
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<作業道>
トンネル坑口の少し手前を西へと作業道のような道が登って行く。かなり荒れていて、車では入って行けそうにない。また、稜線上へと至る様子もない。
トンネルの上には古い峠の痕跡が残っているかもしれないが、車道からそこへと登る道はなさそうだ。現在の林道と旧峠道とは全く異なった道筋を辿っている。ほとんど接点を持たないのではないだろうか。
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作業道 (撮影 2018. 5.27)
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<印南町側へ>
銘板によると、トンネル延長は225m。ほぼ真っ直ぐなトンネルで、反対側の坑口が絶えず明るく見えている。それもあってか、トンネル内に照明はない。そもそも、この峠道では集落近く以外で沿道に電柱が立っているのを見ない。電気が通じていない様子だ。
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トンネル内より印南町側を見る (撮影 2018. 5.27)
坑口近くの右手にトンネル銘板が掛かる
<印南町側のトンネル銘板>
印南町側にも坑口近くのトンネル内壁にトンネル銘板が掛かる。内容は日高川町側の物と全く同じだった。
<印南町側のトンネル扁額>
トンネルの扁額は大抵その坑口が属する市町村の長の筆跡によることが多いようだ。野々川隧道も同様かと思っていたが、今回改めて比べてみると字体が全く同じである。すると和歌山県知事によるものか。
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印南町側のトンネル銘板 (撮影 2018. 5.27)
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印南町側の野々川トンネル坑口 (撮影 2018. 5.27)
トンネル上部に「待ち箱」が一つ
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印南町側のトンネル扁額 (撮影 2018. 5.27)
旧美山村側の物と全く同じ
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<印南町側の様子>
野々川隧道の印南町側坑口周辺は日高川町側とは異なり手狭である。アスファルト路面がちょっと広がっている程度だ。視界もほとんど期待できない。山の斜面と擁壁に囲まれ、閉ざされた空間だ。
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野々川隧道の印南町側の様子 (撮影 2018. 5.27)
<林道標柱>
「印南町」と書かれた看板がポツンと立つばかりで、他に目を引く物はない。しかし、よくよく見て回ると、小さな林道標柱が立っていた。「野々古川又線」と書かれている。その後にはっきりしないが「終点」ともあるようだった。
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印南町の看板 (撮影 2018. 5.27)
右端に小さな林道標柱が立つ
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林道標柱 (撮影 2018. 5.27)
最後に「終点」とあるように見えた
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<野々川隧道の範疇>
元々峠道全線を野々古川線と呼び、後に美山村(現日高川町)側を美山村の管理として野々古・川又線と改名したと想像していた。その林道の終点がどうも印南町側にあるようだ。すると、野々古・川又線はまるまる野々川隧道を含んでいることになる。扁額の文字はどちらも美山村長によるものか。
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<峠の標高など>
トンネル坑口付近の標高はどちら側もほぼ510mで、高低差はほとんど見られない。このトンネル上方には日高川と切目川の分水界の峰が連なり、その鞍部は580m余りである(地理院地図)。かつてその付近に峠道が通じていた可能性がある。しかし、印南町側でもその峰に登る道などは見当たらない。
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印南町側のトンネル上方を望む (撮影 2018. 5.27)
この上に旧峠道が通じていたのか
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峠より印南町方面を望む (撮影 2018. 5.27)
ほとんど視界は広がらない
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印南町側の道の様子 (撮影 2018. 5.27)
荒れていた
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<印南町側の道>
この小さな峠道に於いて、印南町側は僅か2Kmの道程である。大字川又の地を行く。沿道に集落は皆無だ。
真新しいアスファルト舗装が続くも、直ぐにも法面が崩れて路面を土砂が覆っている箇所が出て来た。何となくチグハグな林道である。
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<景色>
上流部ではそこそこの遠望がある。暫くは上空も開けて明るい雰囲気の林道が続く。
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印南町側の景色 (撮影 2018. 5.27)
<道の様子>
きれいなアスファルト舗装で道幅も十分、要所要所にガードレールも完備で快適・安全な道かと思わせておいて、急に路肩が崩れていたりする。油断ができない。
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道の様子 (撮影 2018. 5.27)
一見快適そう
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路肩が崩れた箇所 (撮影 2018. 5.27)
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道の様子 (撮影 2018. 5.27)
遠くの景色を眺め、次の瞬間は路面の石に注意を向ける。その繰り返しが続く。他には何もない道だ。峠直下は暫く谷の源流部を蛇行しているが、その後は終始右岸沿いを下るようになる。
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周辺の景色 (撮影 2018. 5.27)
やや谷が深くなってきた
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谷の源頭部に近い箇所(地理院地図) (撮影 2018. 5.27)
峠方向に見る
この後は谷の右岸沿い
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道の様子 (撮影 2018. 5.27)
峠方向に見る
<土砂崩れの連続>
折角の幅広いアスファルト道路が土砂崩れで道幅が半分になってしまっていた。その後も小規模ながら土砂崩れが連続することとなった。一つ間違えると通行不能にもなりかねない。
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土砂崩れ (撮影 2018. 5.27)
道幅が半分に
土砂崩れ (撮影 2018. 5.27)
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土砂崩れ (撮影 2018. 5.27)
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土砂崩れ (撮影 2018. 5.27)
峠方向に見る
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土砂崩れ (撮影 2018. 5.27)
峠方向に見る
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<国道425号に接続>
路面上の土砂崩ればかりに気を取られていると、不意に峠道の終点が訪れた(地理院地図)。前方に立派な道が現れたと思ったら、それが国道425号だった。
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峠道の終点へ (撮影 2018. 5.27)
前方に国道425号が現れた
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国道側から峠方向に見る (撮影 2018. 5.27)
バリケードの柵には通行止の看板
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<分岐の様子>
国道の分岐から峠方向に見ると、通行止の看板がバリケードの柵に掛けられていた。柵は道端に避けられ車が通れる様になってはいたが、路面には石や枯葉が散らばっていて如何にも荒れた雰囲気だ。こうした状況を目の当たりにしては、この道に入り込む気にはなかなかなれない。
<起点周辺の様子>
一方、国道425号の方は整った立派な道だが、どことなく閑散とした雰囲気がある。通る車も少ない。ちょうど国道が官林橋(かんりんはし)で切目川を渡る直前の右岸から峠道が分岐する。
この付近は切目川(きりめがわ)ももう最源流部になる。川又の集落も過ぎた地点で、周囲に人家はなく人の気配は感じられない。
ここより国道を2Kmも遡ればもう切目川水系を抜け、日高川水系へと入ってしまう。国道425号と言えば引牛越で書いたように、紀伊半島を一本の道として東西方向に横断する国道だ。白谷トンネル(しらたに)と牛廻越という2つの大きな峠を越える。
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国道425号を東の切目川上流方向に見る (撮影 2018. 5.27)
(官林橋の手前)
左手に野々川隧道への道が分かれる
国道沿いを眺めてみても、野々川隧道への分岐を示す看板などは皆無だ。そこに道があること自体全く無視されているかのようである。その寂れた道が峠を越えて別の所に通じているというのが不思議に思えて来る。
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国道425号を西の川又集落方向に見る (撮影 2018. 5.27)
(官林橋の上より)
分岐を示す看板は見当たらない
<鳥獣保護区の看板>
峠道の印南町側では山火事注意の看板を一枚見掛けた程度で、他に何の看板も立っていなかったが、分岐の隅の国道沿いに鳥獣保護区の看板を見掛けた。
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分岐より川又集落方向に見る (撮影 2018. 5.27) 右手に鳥獣保護区の看板が立つ
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鳥獣保護区の看板 (撮影 2018. 5.27)
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これといって注目すべき内容はなかったが、「林道野々古川又線」という林道名は見られた。この峠道については「野々古川線」という名称もあり、事情はあまりはっきりしない。野々古川又線と言った場合、日高川町側の区間のみを指すと思っていたが、看板の区域図では印南町側にその名がある。
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鳥獣保護区の看板の部分拡大 (撮影 2018. 5.27)
「林道野々古川又線」とある
<山地災害危険地区の看板>
鳥獣保護区の看板とは官林橋を挟んで対角上に「山地災害危険地区」と題した看板が立つ。
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山地災害危険地区の看板が立つ (撮影 2018. 5.27)
官林橋の東側左岸
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山地災害危険地区の看板 (撮影 2018. 5.27)
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こちらには「林道野々古・川又線」となっていた。野々古川線と間違わないように野々古と川又の間に「・」を設けたのは賢明なことだ。これで今回の峠を源頭とする渓流の名前でも書いてあったら最高であるが、やはり無駄だった。地理院地図でもその小さな切目川支流は川としても全く描かれていない。
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山地災害危険地区の看板の部分拡大 (撮影 2018. 5.27)
<川又トンネル(余談)>
峠道分岐から国道を切目川上流方向に望むと、直ぐそこにトンネルが見える。しかし、切目川分水界の峠に通じるトンネルではない。切目川のちょっとした蛇行をショートカットする為の小さな川又トンネルだ。
扁額では川又隧道となっている。銘板はなく、竣工年などは分からない。しかし、もう旧道の痕跡など全く見られず、それからして古いトンネルだろう。
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官林橋から切目川上流方向を見る (撮影 2018. 5.27)
前方に川又隧道
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川又隧道 (撮影 2018. 5.27)
下流側の坑口
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<唐尾トンネル(余談)>
本当の切目川と日高川の分水界を越える峠は唐尾トンネルになる。扁額ではやはり「唐尾隧道」だ。切目川源頭部であり、印南町と田辺市龍神村との境になる。かつての龍神村だ。その後、国道425号は牛廻越を目指して日高川を遡って行く。
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唐尾隧道 (撮影 2018. 5.27)
印南町側の坑口
切目川と日高川の分水界に通じる
峠に通じる野々古・川又線(野々古川線)は見事に全線舗装化された林道だったが、私が越えた時点では補修が間に合っているようには思われなかった。こうした山間部に通じる道は土砂崩れなどの被害が絶えない。
恒常的な保守が必要とされるが、その一方で道としての利用価値が問われる。ドライに言えば費用対効果が適切かだ。今後の利用頻度からしては、場合によっては通行止、更に廃道の憂き目に遭わないとも限らない。
地元民以外はあまり注目することがなさそうな小さな峠道だが、少しでもその様子をここに記しておこうと思う、野々川隧道の峠であった。
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<走行日>
・2018. 5.27 日高川町→印南町/ハスラーにて
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 30 和歌山県 1985年7月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日高川町のホームページ
・印南町のホームページ
・その他、一般の道路地図や観光パンフレッなど
(本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒
資料)
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