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峰越峠
  みねこしとうげ  (峠と旅 No.243)
  人気のない山奥で雫石町と花巻市とをひっそり結ぶ峠道
  (掲載 2015.10.30  最終峠走行 2012.11. 5)
   
   
   
峰越峠 (撮影 2012.11. 5)
手前は岩手県花巻市豊沢(とよさわ)
奥は同県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)南畑(みなみはた)・田茂木野(たもぎの)
道は県道234号・花巻雫石線
峠の標高は560m〜570m (地形図の等高線より)
この峠は峰の明確な鞍部を越えていないので、峠の北側(写真向かって左)が谷になっている
その為、あまり峠らしくない
これは車道開削によるものと思われ、元の峠は他にあるような予感がする
丁度昼時とあってか、黄色い岩手県道路パトロールカーが休憩中

   
   
   
<所在>
 今回の峠は岩手県の雫石町にあって、町内最も南に位置する車道の峠だ。花巻市との市町境を越える。 雫石町は秋田県との境となる奥羽山脈寄りの立地であるのに対し、花巻市といえば北上川沿岸というイメージが強い。 その両者が峠道で繋がっているのが、ちょっと不思議な感じがする。 花巻市街の近くで北上川に注ぐ豊沢川(とよさわがわ)を遡って行くと、その源流は北西の山奥で、その山稜に峰越峠が位置する。 平成の大合併前なら、花巻市の最も北に位置する峠道だったのだが、合併後の花巻市はあまりにも大きい。 花巻市の北端がどこなのか、容易には分からない。分かるのは、花巻市にとって峰越峠は尚更影の薄い峠になったであろうことか。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
<峠名>
 「峰越」という峠名は多そうに思え、これまでもどこかの峰越峠を掲載したかと思ったが、今回が初めてだった。 国土地理院の電子国土Webで「峰越峠」と検索すると、 僅かに2件しかヒットしなかった。意外と少ない。 その2件とは、今回の峰越峠と兵庫・岡山の県境の峰越峠である。 1992年10月11日にまだ林道のような道で兵庫県から岡山県へとその峠を越えたことがあるが、残念ながら写真を撮っておかなかった。記憶も全く残っていない。
 
 尚、奥羽山脈の稜線を越える真昼岳(まひるだけ)林道の峠(岩手県西和賀町・山形県美郷町)は、 元は名前がなかったが、最近はこの林道の峠も峰越峠と呼ばれているようだ。 真昼岳林道は正式には峰越林道・町道真昼岳線とかいうらしく、そこから来た峠名だろうか。 ついでながら、大弛峠を越える峠も峰越林道と呼ばれることがある。 山梨・長野の県境を越える、車道としては最も標高が高いと思われる峠だ。
 
 ところで、峰を越える林道だから「峰越林道」では、固有名詞という感じがしない。 また、峠は大なり小なり峰を越えるものであり、「峰越峠」という峠名も何となく変な感じがしないでもない。
   
<特徴>
 この峰越峠は何といってもその人気(ひとけ)のなさが際立っている。峠道は県道となっているが、その全線に渡り人家は皆無である。 農作業小屋などの建屋も滅多に見掛けない。 特に峠を花巻市側に下った大字豊沢は、昭和41年(1966年)の暮れをもって全住民が転居し、それ以後無住の地となっているそうな。 寂しさを感じたいならもって来いの峠道だ。 この峠に先立ち、近くにある山伏峠貝沢峠(仮称)を取り上げたが、 今に思えば余計なことだったような気もする。この峰越峠さえあれば、旅情はたっぷりである。
   
   
   
雫石町側起点
   
<雫石町側の起点>
 雫石町側からは、主要地方道1号・盛岡横手線から分岐して峰越峠の道は始まる。 寂しい道といえども一応県道なので、主要地方道上にその分岐を示す青い道路看板がしっかり立っていて、見落とすことはない。

県道234号の分岐点 (撮影 2012.11. 5)
主要地方道1号上より雫石町市街方向に見る
右のガードレールの切れ目から県道が分岐している
   

県道分岐を示す道路看板 (撮影 2012.11. 5)
雫石町市街方向に見る
<県道234号>
 峠を越える県道は234号・花巻雫石線。道路標識に示される行先は「花巻」とある。この県道は、主要地方道1号から分岐し、峰越峠を越え、花巻市豊沢で主要地方道12号・花巻大曲線に接続する、全長約15kmの峠道だ。峠はほぼその中間点にある。
 
<案内看板>
 県道方向にはいろいろと案内がある(下の写真)。一番近くて鉛(なまり)・新鉛温泉などとある。 ただ、これらの温泉は主要地方道12号に入って暫く豊沢川沿いに下った所にあり、県道234号沿いではない。また豊沢湖も主要地方道12号沿いだ。
   
<野外活動センター>
 ただ、「豊沢湖」の後に消された案内が一つある。多分「野外活動センター」ではなかったかと思う。 古い道路地図には「青少年野外活動センター」とか「花巻野外活動センター」と記載があり、 文献(角川日本地名大辞典)にも桂沢に県立野外活動センターがあるとの記載を見る。 桂沢は豊沢川の支流の名でもあり、県道234号の花巻市側起点となる地点だ。 野外活動センターは唯一県道234号にも関係した施設だったが、それも今は閉鎖してしまい、新しい道路地図にはその名を見ない。

県道方向の案内看板 (撮影 2012.11. 5)
消されているのは「野外活動センター」か?
   
<県道入口>
 主要地方道のガードレールの僅かな切れ目から分かれた県道234号は、直ぐに小さな橋を渡る。 2車線路で快走する主要地方道より一段低くなっていて、橋もみすぼらしい様相だ。橋の直前で一瞬たじろぎそうになる。 橋に続く暗い林を見詰めていると、この道に入り込んでも大丈夫だろうかという気持ちにさせられる。
   
下ノ黒沢を渡る (撮影 2012.11. 5)
これが峠道の入口
  
<南畑川>
 渡る川は下ノ黒沢となる。南畑川の支流だ。 峰越峠の花巻市側は北上川の1次支流・豊沢川上流部にあるのに対し、雫石町側は北上川の支流の雫石川の支流の南川の支流の南畑川上流部となる。 尚、南畑川を単に南川と呼び、支流・本流の区別をしないこともあるようだ。 また、地形図では南川の名はなく、全て南畑川となっている。 一方、地元の大村集落にあった案内看板では「南川」と出ていて、行政的には「南畑川」、地元では「南川」と呼ぶのかと思ったりする。 ここでは長い物には巻かれろと、行政に従い南畑川としておく。
 
<山伏峠との順位>
 ところで、下ノ黒沢の上流部には主要地方道1号が越える山伏峠(山伏トンネル)が位置する。 川の順位からすると、主要地方道1号より県道234号の方が峠道としては格が上となる。峠も山伏峠より峰越峠の方が上位だ。 標高も、山伏峠が543mであるのに対し、峰越峠は560mを超える。
   

橋の袂に立つ県道標識 (撮影 2012.11. 5)
<南畑田茂木野>
 県道入口に立つ県道標識の地名には「雫石町田茂木野」とある。 この地は大字で南畑(みなみはた)となり、田茂木野(たもぎの)とはその中にある一集落名と思われる。
 
 県道分岐から主要地方道沿いに雫石町市街方向を眺めると、その田茂木野の家屋がちらりとのぞく。それが雫石町側最終の集落だ。 県道沿いばかりではなく、主要地方道沿いにもこの先山伏峠を越えるまで人家は見られない。田茂木野集落が雫石町として人が住む南限となるようだ。
   

分岐を山伏峠方向に見る (撮影 2012.11. 5)
この先、峠を越えるまで人家はない
左手に工事看板が立つ

分岐を雫石町市街方向に見る (撮影 2012.11. 5)
ちらりと家屋が見られる
   
<工事看板>
 橋の様相にも驚かされたが、それよりも通行が危ぶまれる工事看板が立っていた。花巻市側の豊沢橋で補修工事を行っていて、交通規制があると出ている。 しかし、どのような交通規制かが示されていない。通れるのか通れないのかがはっきりしないのだ。 まあ、「通行止」の文字はないので、どうにかなるだろうと、峠を目指すこととした。
 
<2度目の峠行(余談)>
 今回の峰越峠はこれで2回目となる。今から20年前の1995年8月16日、やはり雫石町側から花巻市側へとジムニーで越えたことがあった。 前日、盛岡市内のホテルに泊まり、当日は御所湖などを眺めてから主要地方道1号を走って来た。当面の目的は峰越峠である。 当時の山伏峠にはまだ新しい山伏トンネルは通じておらず、古い山伏隧道の道だったが、仮にも主要地方道となる峠道など越える積りはなかった。

橋梁補修工事の看板 (撮影 2012.11. 5)
   

峠道の開始 (撮影 2012.11. 5)
<以前の峰越峠>
 一方、峰越峠の道はまだ県道にもなっておらず、しかも当時のツーリングマップでは峠の前後5、6kmが一本線で描かれていた。 この一本線とは地形図でいう軽車道(けいしゃどう)ということだろう。経験上、こういう道は車で通れるかどうか分かったものではない。 それが尚更興味を誘った。
 
 勇んで向かった峰越峠ではあったが、結局、峠道は全線に渡って既に舗装済みで、やや拍子抜けだった。 多分、現在と道の状況はほとんど変わらないだろう。 それでも花巻市側に下って豊沢川本流沿いになると、道の直ぐ脇に清らかな水が流れ、涼しげな河原が広がった。野宿にはいい所だなと思った。
 
 峰越峠に関わる写真は一枚も撮っておかなかったようだ。現在との比較ができないのが残念である。
   
   
   
峠へ
   
<県道の最初>
 寂しい橋に続き、林の中の寂しい道が少し延びる(左の写真)。しかし、次の瞬間、沿道が広がる(下の写真)。 周辺には田んぼが耕作されていた。本流の南畑川と支流の下ノ黒沢との間に三角州が形成されていて、その平坦地を利用した耕作地だ。 多分、田茂木野集落の住民によって耕されているのだろう。峰越峠の道沿いには平坦地はほとんど見られない。ここが唯一、視界が広がる場所だ。

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
   
田んぼが広がる (撮影 2012.11. 5)
   
沿道の田んぼの様子 (撮影 2012.11. 5)
周辺が開けるのはこれが最後
   

右に分岐 (撮影 2012.11. 5)
<上ノ黒沢>
 平坦地も終わろうとする頃、右手に分岐がある。地形図では一本線で描かれる軽車道で、ちょっとのぞいて見る限りでも、如何にもそれらしい寂れた道だ。 これは支流の上ノ黒沢沿いに遡るが、西和賀町との境の手前で尽きているようだ。入口付近に何か看板が立っていると思ったら、不法投棄禁止の看板だった。 道案内はないようだった。
   
<南畑川右岸へ>
 道は平坦地の南端を横切って南畑川沿いに出る。直ぐに橋を渡って右岸に入る。その橋の袂には路肩注意と立て看板があった。 峰越峠では橋が関門である。

南畑川を渡る (撮影 2012.11. 5)
   

右に分岐 (撮影 2012.11. 5)
レン滝ダムへの道だが立入禁止
<レン滝ダムへの分岐>
 右岸側になって直ぐまた右に分岐がある。こちらは立入禁止となっている。「ダム管理施設を新しくしています」と看板が立つ。 このダムとはレン滝ダムのことで南畑川本流に架かる。ここより更に上流部にレン滝と呼ばれる滝があるようで、それに因む命名らしい。
   
   
   
ゲート箇所以降
   
<ゲート箇所>
 レン滝ダムへの分岐の後にゲート箇所が設けられている。大きくしっかりしたゲートだ。 県道234号は冬期閉鎖となる道なので、冬場はこのゲートが閉ざされるのだろう。主要地方道から分かれて僅かに1km足らずの地点だ。 冬期でも行けるのは、田茂木野の田んぼとレン滝ダム程度ということになるだろうか。

ゲート箇所 (撮影 2012.11. 5)
   

ダム湖近辺の道 (撮影 2012.11. 5)
<ダム湖近辺>
 道とダムとの間には小さな丘(376m)があり、道からはダム周辺の様子は全く分からない。 途中、ダム湖方面への細い道が分かれていたようだが、そちらに入り込めば、湖畔に出られるのかもしれない。
 
<ダム湖右岸沿い>
 その内、道はダム湖からその上流の南畑川右岸沿いに通じるようになる。ただ、木々に視界が遮られ、川面の様子などはあまりうかがえない。 途中、レン滝の脇も通過することになる筈だが、全く気付かなかった。
   
ダム湖右岸沿いの道 (撮影 2012.11. 5)
右手の南畑川
   
<高松沢>
 南畑川の上流部は、東寄りの高松沢と西寄りの大倉沢の2つの川に大きく分かれている。峠は高松沢沿いに登る。 高松沢の源流は花巻市との境の峰で、花巻市(旧石鳥谷町)側にある青ノ木森(831m)の北西麓付近だ。 一方、大倉沢の源流は西和賀町(旧沢内村)との境の峰となる。
 
<大倉沢沿いの分岐>
 レン滝も過ぎ、道が左に直角カーブする所がある。地形図に339mと標高が示されている箇所だ。 角にカーブミラーも立っていて、そこを右に分岐がある。入口に何か林道看板のような物も立っていたが、そちらが大倉沢沿いに遡る道だ。 ただ、途中で行止り、西和賀町には抜けていないようだ。
 
 そのカーブを過ぎると、南畑川は終わり、代わって高松沢となる。道はその右岸を更に遡る。
   
この先の左カーブで、右に分岐あり (撮影 2012.11. 5)
ここより上流は高松沢沿い
   
   
   
高松沢沿い
   
<高松沢右岸沿い>
 高松沢沿いになって、川幅も細くなった為か、川が比較的身近に感じられるようになる。 ガードレールも少なくなったようだ。谷も狭く、視界は広がらない。

高松沢右岸沿い (撮影 2012.11. 5)
   

通行注意の看板 (撮影 2012.11. 5)
 支流の川を渡る橋には再び通行注意の看板が立つ。橋は老朽化が進んでいるのだろうか。 路面は枯葉が積もっていて一見古そうに見えるが、アスファルトにはひびや窪みは少なく、補修している様子がうかがえる。
 
 途中、右手の川に向かって小さな看板で「ヒカスダワ沢」とかいう案内があった。 沢の名前は読み間違っているかもしれないが、地形図を見てもそんな沢の記載は見当たらない。何か特別な沢なのだろうか。
 
<左岸へ>
 高松沢沿いを1.5km程遡ると、道は左岸へと渡る。道の様子には変わりない。
   

左岸へ渡る (撮影 2012.11. 5)

左岸沿い (撮影 2012.11. 5)
   
<登山道分岐>
 左岸沿いになって間もなく、花巻市との境の稜線より流れ下って来た一本の支流を渡る。その橋の手前を支流沿いに遡る登山道が始まっていたようだ。 後から写真を確認しても、道の有無はあまりはっきりしないが、地形図にはしっかり徒歩道が記されている。
 
<旧峠?>
 現在の峰越峠は標高560m強の所で山稜を越えるが、あまり鞍部らしい場所ではない。それが以前から気になっていた。 一方、支流沿いに登るその山道は、峰越峠の西1km程にある標高550m弱の鞍部で峰を越え、花巻市側に下って再び県道234号に接続している。 峠の標高は峰越峠より低く、その間の道程も半分近く短い。峠の北西150m程にある稜線上のピークには神社もあるようだ。

橋の前を右に道のような物 (撮影 2012.11. 5)
   

路肩注意の看板 (撮影 2012.11. 5)
その向こうに県道標識
 どうも、これが峰越峠の前身となる峠ではないかと思われる。すると、現在の峰越峠は車道開削時に初めてできた峠の可能性が高い。 やはり、峰越林道とかいう道の名前から始まり、その峠を峰越峠と名付けたのではないだろうか。 元の峠の名前は全く不明だが、峰越峠などという名ではないと思う。もう、人々からはほとんど忘れ去られた存在だろう。
 
 一時的に谷が狭まり、路肩注意の看板が出て来た。その向こうに県道標識が立っていたが、地名は相変わらず「雫石町田茂木野」であった。
   
 左岸沿いは1km弱続く。高松沢の谷は狭いが、深くもない。遠望はないものの、深い谷底の暗くじめじめした感じは少ない。道は狭いながらも屈曲は緩く、淡々と川沿いを進む。

やや狭い道が続く (撮影 2012.11. 5)
   

対岸に道 (撮影 2012.11. 5)
 途中、ちょっと開けた個所を通過する。谷間が若干だが広がり、対岸に道も確認できる。山林の作業道だろうが、どのようにして対岸に渡るのか分からない。
   
<再び右岸へ>
 高松沢沿いでは、右に左にまた右にと、川を何度か渡る。しかし、全般的に単調な道だ。峠道らしい坂道はない。 それでも静かな森林の中を行く道で、落ち着いた雰囲気がある。

右岸へ渡る橋 (撮影 2012.11. 5)
   
道の様子 (撮影 2012.11. 5)
森林の中の落ち着いた雰囲気
   
<最後に左岸へ>
 高松沢沿いは3kmほど続いた。最後に道が左岸へと渡ると、その先、川筋は南東方向の高ノ木森へと遡って行く。 一方、道はヘアピンカーブを曲がって南の峰へと本格的な登りを開始する。地形図の標高は470mと記されている。 峠まで約100mの高低差、道程で1.5kmを残す。
   

最後に左岸へと渡る橋 (撮影 2012.11. 5)

このへアピンカーブより本格的に登りだす (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
峠への登り
   
<峠への登り>
 道は勾配が増し、カーブが多くなる。やっと峠道らしい様相だ。ただ、峠までの残りの高低差も道程も少なく、登り道を堪能するという程ではない。 峰越峠は人気がなく寂しい峠道だが、決して険しい道という訳ではなかった。
 
 数100m進むと、概ね道の右手後方に高松沢の谷を臨んで走るようになる。この状態のまま峠に達し、峠も右手が谷側となっている。
 
 それでも、高度を上げると右手に落ち込む崖もやや険しさを見せる様になる。路肩が崩れ掛けた個所も通過する。 ガードレールが曲がって崖に落ち掛けている様子を見ると、落石なども起きるようだ。

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
   

カーブが多くなる (撮影 2012.11. 5)

路肩が崩れかけた個所 (撮影 2012.11. 5)
ガードレールも曲がっている
   
   
   
   
<峠直前>
 常に道の右手が谷となっているので、峠に近付いてもそこが峠という感じがあまりしない。 雫石町と花巻市との境を示す看板が立っているので、それでやっと峠だと認識する。
   
峠直前 (撮影 2012.11. 5)
   
<峠の様子>
 峠付近は狭い。車を停められる十分なスペースはない。僅かな路肩があったが、そこには「岩手県道路パトロールカー」と書かれた黄色いバンの先客が居た。 丁度昼時で、車の中では男性が一人、昼寝をしているようだった。
   
峰越峠 (撮影 2012.11. 5)
手前が雫石町、奥が花巻市
   
<峠の花巻市側>
 峠から花巻市側には狭い道が一路西を目指して下っている。やはり車を停められるような場所は暫くなさそうだ。
   

峠の花巻市側 (撮影 2012.11. 5)
「花巻市」の看板が立つ

峠の花巻市側 (撮影 2012.11. 5)
県道標識が立つ
   
<看板など>
 市町境を示す「花巻市」と書かれた看板が立ち、その向こうに県道標識がある。花巻市街まで34kmあるようだ。 また、「花巻市峰越峠」とこの地を示している。
 
 
<雫石町側>
 峠の雫石町側にも「雫石町」と書かれた市町境を示す看板が立っているが、こちらは立派なポールの上に掲げられている(下の写真)。 また、そのポールの途中には「峰越峠」と看板がある。

花巻市側の県道標識 (撮影 2012.11. 5)
   
峠の雫石町側 (撮影 2012.11. 5)
   

峠の雫石町側 (撮影 2012.11. 5)
 峠の雫石町側は、道は暫く直線的で勾配もなく、やや道幅があるので小さな車ならどうにか路肩に停められる。県道標識がポツンと立っている。
   
<県道標識>
 県道標識によると、雫石町市街まで25km。花巻市とを結ぶ距離は合計59kmとなる。こちらの県道標識では「雫石町峰越峠」とこの地を指していた。
 
 
<峠の印象>
 峠は狭いこともあり、とてもこじんまりした印象だ。峠からの眺望にも恵まれず、木々に囲まれた小さな空間でしかない。 県道234号を走っている最中、一台の車ともすれ違わず、人気のなさは予想通りだった。 しかし、偶然とはいえ峠の肝心な部分に車が停まっていたのでは、何となく興ざめであった。 この峰越峠は小さな峠といえども、かつては雫石町と花巻市との間に通じる唯一の車道であった。 遠く離れたそれぞれの市街を結んでいる道だと思うと、何だか不思議な感じがする。
 
 尚、石鳥谷町(いしどりやちょう)が花巻市に併合した後は、雫石町と新しい花巻市との間にはもう一つ車道が増えたかもしれない。 鍵掛峠の道の途中から旧石鳥谷町へと越える峠道が分岐しているようで、 地形図にも軽車道として描かれている。ただ、その分岐は車が走れるかどうか分からない様子だったが。

県道標識 (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
花巻市側に下る
   
<豊沢川>
 花巻市は峠の南側になるので、道は日を浴びて明るい雰囲気だ。 雫石町と旧花巻市(旧石鳥谷町を含めない)との境の峰は、北上川の1次支流・豊沢川本流の水源域となる。 豊沢川(延長33km)の上流部は西ノ股沢、中ノ股沢、大楯沢と大きく3つに分かれていて、峰越峠は真ん中の中ノ股沢の上流部に位置する。
   
峠より花巻市側に下る道 (撮影 2012.11. 5)
日を浴びで明るい雰囲気
   

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
<ナメトコ山(余談)>
 ところで、峰越峠の西約3kmの稜線上にナメトコ山(860m)という山が見られる。 花巻といえば宮沢賢治ゆかりの地だが、その賢治の作品に確か「ナメトコ山の熊」という童話があったと記憶する。随分昔に読んだことがある。 熊を捕る漁師と野生の熊との関わりを寓話的に表現したものだ。人がどのように自然と接していくかを考えさせられる印象深い作品だった。 花巻市の北西の端にあるこのナメトコ山が、その童話の舞台なのかもしれない。一時期、賢治作品を熱心に読んでいた頃を思い出す。
   
<峠直下>
 峠の花巻市側は暫く勾配の急な坂道が続く。ちょっとしたつづら折りもある。 山伏峠などは雫石町側より峠の南の西和賀町側の方が地形が極めて穏やかだが、峰越峠は花巻市側の方がかえって険しいように思える。

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
   

木材の集積場 (撮影 2012.11. 5)
<木材の集積場>
 つづら折りの途中、木材の集積場が見られた。重機も置かれていて、ここから木材を搬出するようだ。
   
木材の集積場の前を通過する (撮影 2012.11. 5)
   

道の様子 (撮影 2012.11. 5)

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
つづら折りが続く
   

木材の搬出口 (撮影 2012.11. 5)
 つづら折りを降り切った所にも切り出した木材が積まれていて、その脇から作業道が分かれていた。車が置かれていたが、近くに人影はなかった。
   
つづら折りをほぼ降り切った所 (撮影 2012.11. 5)
   
<旧峠への分岐>
 つづら折り区間を過ぎ、暫く直線的に下ると、右に逆Y字に分岐がある。うまく写真には撮れなかったが、花巻市側から旧峠へと登る道ではなかったかと思う。 その入り口に看板が立っていて、台形の木の板に「豊沢金勢大権現神社 入口」と書かれていたようだ。 旧峠を経由して稜線上にある神社へと至る登山道と思われる。 やはり車道の峰越峠が開削される以前、豊沢金勢大権現神社近くを越える峠道が存在したことを強くうかがわせる。
   
<中ノ股沢沿い>
 旧峠への登山道分岐を過ぎると、そろそろ右手に川らしきものが出て来る。中ノ股沢と思われる。道はその川の左岸に沿って通じる。 流れ込む支流に架かる橋はここでも老朽化していて、「工事中」などと看板が出ていた。

工事中の看板 (撮影 2012.11. 5)
その先に老朽化した橋
   

パジェロミニが停まる (撮影 2012.11. 5)
 右手に流れる川の流れもはっきりして来た頃、白いパジェロミニが一台停まっていた。付近に登山道などは見られず、川釣りでもしているのだろうか。
 
 余談ながら、パジェロミニは既に販売を終了している。我々夫婦の黄色いパジェロミニも13年、13万キロを超え、かなり老朽化して来た。 次に乗る車をどうしようかと迷う。スズキのジムニーではこれまでのパジェロミニと何ら変わり映えがしない。そこでスズキのハスラーにすることとした。 またもや軽自動車である。しかし、狭い日本の道にはやっぱり軽が良い。今年の12月からはピンクのハスラーで峠旅が始まる予定だ。
   
<花巻市北豊沢山>
 県道標識に示された地名は「花巻市北豊沢山」と出て来た。
 
<国有林の看板>
 途中、国有林の看板が立っていて、その所在地は「大字豊沢字北豊沢山1−1」であった(下の写真)。 かつては北豊沢山という集落があったのかもしれない。尚、国有林の看板の地図では、川の名を豊沢川としてあったが、地形図などではまだ中ノ股沢の範囲である。 中ノ股沢が豊沢川の本流なのかも知れない。

県道標識 (撮影 2012.11. 5)
   

国有林の看板 (撮影 2012.11. 5)
所在地は「大字豊沢字北豊沢山1−1」とある

分収林区域図 (撮影 2012.11. 5)
豊沢川とある
   
 はっきり川沿いになってからは、道は安定している。「落石注意」などと時折看板があるが、険しい崖などは少ない。道は終始中ノ股沢の左岸を行く。
   

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
落石注意とある

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
木材が積まれている
   

左に一般車通行禁止の道が分岐 (撮影 2012.11. 5)
この後にも分岐があった筈なのだが写真を逃した
<豊沢川沿い>
 中ノ股沢以外の支流の大楯沢と西ノ股沢とに沿う道の分岐があった筈だが、どちらも写真を撮りそこなったようだ。 峰越峠がまだ軽車道であった頃の地図にも、既にそれらの車道が描かれていた。ただ、どれも雫石町との境の手前で途切れる道ではあったが。
 
 それらの道の分岐を過ぎると、本線の県道は豊沢川沿いとなる。ただ、車の周りに見える景色はほとんど変わらない。 県道標識も「花巻市北豊沢山」のままだ。
   
<マゴトロ沢>
 道はちょっとした支流・マゴトロ沢を渡る。それまでほぼ南下して来た道は、その付近より川と一緒に少し東寄りに方向を変える。
 
<相芦>
 マゴトロ沢を渡った頃から県道標識は「花巻市豊沢字相芦」と変わったようだ。 「相芦」は撮った写真から読んだので不確かではあるが、北豊沢山以外の集落があったことをうかがわせる。 「北豊沢山」も「相芦」も、もう地図上には見られない地名だ。

マゴトロ沢を渡るまごとろ橋 (撮影 2012.11. 5)
(ピンボケ)
   

県道標識には「相芦」 (撮影 2012.11. 5)
<豊沢の地名(余談)>
 「豊沢」の地名は豊沢川からきているそうだ。 古くは胆沢(いさわ)郡より奥に位置することから遠胆沢(とおいさわ)と呼ばれ、後に「豊沢」の文字が当てられたとのこと。 豊沢川の源流部に位置し、奥羽山脈中にあって四方を全て山系に囲まれた地だ。
 
 江戸期から明治22年までは豊沢村があり、時に豊沢川村とも呼ばれたそうだ。 その後湯口村の大字、更に昭和29年より花巻市の大字として「豊沢」の名は今に至っている。 その豊沢にあって北豊沢山や相芦は最も奥に位置する集落であったのだろう。
   
   
   
豊沢橋以降
   
<豊沢橋>
 県道234号は一度だけ豊沢川を渡る。中ノ股沢に続いて豊沢川の左岸をずっと来た道は、豊沢橋で初めて右岸に渡る。 今回、この豊沢橋が橋梁補修工事となっていた。何やらいろいろと工事看板が出て来た。

工事看板が出て来た (撮影 2012.11. 5)
   
豊沢橋は工事中 (撮影 2012.11. 5)
   

豊沢橋 (撮影 2012.11. 5)
 橋自身は小さい物で、これまでの支流を渡る橋と大きさに大差ない。橋の欄干となるガードレールが付け直されている様子だったが、無事に渡ることができた。工事中であることは確かだが、作業者は一人も見掛けない。峰越峠の道はどこまでも人気がない。
   
<小ブナ沢>
 道が2車線路となった。その先で小ブナ沢という支流を渡る。橋の手前を小ブナ沢沿いに遡る林道が分岐していたようだ。 県道終点までもう1km足らずである。そのまま2車線路が最後まで続くかと思ったら、100mくらいでまた元の狭い道に戻ってしまった。
 
 この前後付近で沿道に僅かながらも平坦地が見られた。しかし耕作地ではなく単なる草地であった。 古くは人家が立ち、畑も作られていたのかもしれない思わされた。

一時的に2車線路 (撮影 2012.11. 5)
この先で小ブナ沢を渡る
   

付近の様子 (撮影 2012.11. 5)
<建物が出て来る>
 ここまで峠の花巻市側には建物らしい物は全くなかったが、ここに来てコテージのような建屋が沿道に見られた(写真にはうまく映らなかった)。 ただ、使われている様子は全然ない。青少年野外活動センターが近いので、その関連の建物だったのだろう。
 
<豊沢川右岸>
 道は豊沢川の直ぐ脇を通る(下の写真)。路面から水面までの高低差が小さく、川面を直ぐそこに見る。
   
豊沢川を間近に見る (撮影 2012.11. 5)
   
 雰囲気の良い岸辺があった。初めて峰越峠を越えた時も、この岸辺を見て野宿地には最適な場所だと思った筈だ。 清らかな豊沢川の流れを直ぐそこに見て、空は開けて明るく、静かで落ち着いた場所だ。 片隅に軽自動車が一台停まっていたが、雫石町側から峠道に入る時、下ノ黒沢を渡る先行する車がちらりと見られた。 その車らしく、中には人が二人乗っている様子だった。ご夫婦だろうか。この川を眺めながら一休憩していたようだ。
   
野宿に良さそうな豊沢川の河畔 (撮影 2012.11. 5)
片隅に軽自動車が一台休憩中
   
 開けた川岸を過ぎ、また暫し狭い道になる。路肩注意の看板が立つ。道は山と川に挟まれた崖を通過する。

暫し狭い道 (撮影 2012.11. 5)
   

ゲート箇所 (撮影 2012.11. 5)
<ゲート箇所>
 その狭い区間を利用し、ゲート箇所が設けられていた。県道終点まで僅かに100m程の所だ。
   
   
   
峠道の終着
   
<主要地方道12号>
 峰越峠を越える県道234号は、花巻市側では主要地方道12号・花巻大曲線にT字路で接続して終わる。ゲート直後にそれを示す道路看板が出て来る。

主要地方道12号への接続を示す看板 (撮影 2012.11. 5)
   

道路看板 (撮影 2012.11. 5)
 主要地方道12号はその名の通り、岩手県の花巻と秋田県の大曲を繋ぐ。大曲市は今は大仙市となっているようだ。 この主要地方道は県境の奥羽山脈を越える壮大な道となる。山脈の稜線上にある笹峠を越える予定のようだが、まだこの峠部分で未開通と思われる。 その為か、看板が示す行先も大曲ではなく沢内とある。沢内は笹峠を越える手前である。
   
<県道の終点>
 峰越峠を越えて来た県道234号の終点はあっけない。 幅の広い2車線路の主要地方道が前に横たわり、路面に落ち葉が積もった県道はみすぼらしい存在だ。

主要地方道12号へ接続する (撮影 2012.11. 5)
   

主要地方道12号を花巻方向に見る (撮影 2012.11. 5)
<分岐の様子>
 分岐より主要地方道を花巻市街方向に見ると、直ぐそこに橋が架かっている。豊沢川に架る幕舘(まくだて)橋だ。 この直ぐ下流で支流の桂沢を合し、豊沢ダムによってできた豊沢湖へと流れ下る。 峰越峠より続く豊沢川沿いの道は、尚もこうして花巻市街へと続く訳だが、県道から主要地方道へと変わるこの地点で、峰越峠の峠道は終着とする。
 
<県道入口>
 主要地方道側から県道を見ると、入口の左手に何やら看板が立っていたようだが、どれも壊れている。野外活動センター関連の看板だったのだろうか。 僅かに「クマに注意」の看板だけが読める。
   

分岐の角に立つ看板 (撮影 2012.11. 5)

主要地方道より県道を見る (撮影 2012.11. 5)
   
<小倉山トンネル(余談)>
 初めて峰越峠を越えて来た時は、主要地方道12号の沢内方面への道は未開通だった。 花巻市と旧沢内村(現西和賀町)とは、古くから中山峠によって通じて いた。桂沢の上流部に位置する峠だ。しかし、峠部分の車道はなかなか開通じなかったようだ。 それが中山峠の1.5km程南に小倉山トンネル(2002年竣功)が開通し、どうにか車道としても越えることができるようになった。
 
 これで、西和賀町と雫石町は山伏峠(新山伏トンネル)、雫石町と花巻市は峰越峠、花巻市と西和賀町は中山峠(小倉山トンネル)で通じ、 峠道のトライアングルが完成した。ぐるっと一周回るのも面白い。

主要地方道を沢内方向に見る (撮影 2012.11. 5)
この右手の林の中に野外活動センターがあったようだ
   

分岐付近の様子 (撮影 2012.11. 5)
県道の反対側に延びる道
青少年野外活動センターがあった頃は、
散策路にでもなっていたのではないだろうか
 主要地方道12号に接続したが、事ここに至っても人の気配がない。 沢内方面は、小倉山トンネルを抜け更に主要地方道1号に接続する付近まで行かないと人家が出て来ない。 また花巻市街方向は、この豊沢川下流の豊沢ダムを過ぎて鉛(なまり)まで行かないと集落がない。
 
<無住地(余談)>
 豊沢の地が無住となるきっかけは豊沢ダム建設だったようで、昭和27年〜昭和29年に掛けて住民の移転が進んだ。 またダム湖に沈まない集落の流出もあり、昭和41年12月28日を限り全住民転居に至ったようだ。
 丁度今、渥美清主演の「泣いてたまるか」が放映されていて、毎回楽しく視聴している。 同じ昭和41年製作の作品もあり、当時の日本の世相などを白黒映像で見ることができる。 先の大戦の傷を残しつつも、高度成長を遂げつつある日本の一端が映し出される。 その成長期の日本の片隅で、逆に豊沢の地から人の気配が去って行ったのは皮肉なことに思える。
   
 後に青少年野外活動センターが桂沢に作られたようだが、それも今は林の中に隠れ、入口さえどこなのか分からない。 北豊沢山や相芦の集落に人が暮らしていた頃は、峰越峠あるいはその旧峠を越えて、雫石町の田茂木野集落などとの間に交流があったかもしれない。 豊沢全体が無住地となった今は、峰越峠を越える者は一体どこに居るのだろうかと思わざるを得ない。
   
   
   
 峰越峠を越える県道234号は、アスファルト路面の状態などは良好なのだが、枯葉が堆積していて一見すると未舗装林道のような所もある道だ。 全く人気もなく寂しい。更に峠を花巻市側に下った豊沢の地は人が住まなくなってから既に半世紀近くの時が過ぎている。 しかし、あの豊沢川の畔はテントでも張って日がな一日のんびり過ごしてみたいと思わせるような自然に抱かれた場所だ。 この地に再び人が住むことを自然はじっと待っていてくれるかのように思う、峰越峠であった。
   
   
   
<走行日>
・1995. 8.16 雫石町 → 花巻市 ジムニーにて
・2012.11. 5 雫石町 → 花巻市 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  3 岩手県 昭和60年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒  資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
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