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序 |
前回落合峠を掲載し、もう22年以上も前の1993年5月、
落合峠を越える直前にこの矢筈峠も越えたことを思い起こしていた。
この峠に関しては、何となく既に掲載していたような気がしたが、矢筈峠という名の峠はまだ一度も取り上げたことがなかったようだ。 当時の矢筈峠は、一部に未舗装路を残す峠道で、峠の切通しも土が露出した斜面を見せる、なかなか荒々しい峠道だった。 そんな峠の姿を写した写真が一枚が残る(上の写真)。ただ、もう遠い四国の地までわざわざ林道を走りに行く元気はない。 既に長い時が過ぎ、矢筈峠に関して覚えていることは少ないが、この機会に少しばかりでも掲載しておこうと思うのだった。 (よって最近の詳しい情報はありません) |
<所在> 矢筈峠は、吉野川の東側の剣山地にあって、徳島県と高知県の境を成す稜線上にある。 この稜線上の一番西に来るのは、あの京柱峠である。 矢筈峠はそれに続く。更に四ツ足峠、駒背峠、 大木屋小石川トンネル(峠名は不明)などが後を追い、 この稜線は幾つもの峠を有しつつ、室戸岬の先端の方まで延びている。 ただ、県境は吹越峠を過ぎた先で稜線を離れ、直ぐに太平洋に没している。 矢筈峠は京柱峠に近く、まだ高い標高を維持していて、京柱峠(1123m)よりも100m以上高い。 多分、この稜線上にある車道の峠の中では最高ではないだろうか(未確認)。 <峠の徳島県側> 現在は三好市となっているが、以前の旧東祖谷山村(ひがしいややまそん)だ。東祖谷古味(こみ)という地区にある。 峠の近い所に「谷道」(たにみち)という集落名が見える。 <峠の高知県側> こちらも現在は香美市(かみし)になっているが、旧物部村(ものべそん)である。 物部町笹(ものべちょうささ)という地区に「明賀」(みょうが)という集落名が見え、そこが峠に近い。 |
<峠名> 矢筈山と呼ばれる山は多い。その近くを越える峠が矢筈峠と名付けられることがある。 落合峠の東、旧東祖谷山村と旧一宇村(現つるぎ町)との境のも矢筈山(1859m)があったが、そことは関係ないようだ。 調べてみると、当峠より北西の京柱峠に延びる稜線上1km程に、土佐矢筈山(とさやはずやま、標高1607m)があるそうだ。 地形図には載っていないが、登山などの対象にはなるらしい。多分この山が峠名の由来であろう。 <矢筈> 「矢筈」とは、矢の尻尾の方の弓の絃を掛ける、二股に分かれたV字(U字)の部分を指すそうだ。 あるいは、それに似た格好の掛け軸を掛ける道具とのこと。矢筈山とは山容が「矢筈」に似ていることから名付けられる場合が多いようだ。 確かに土佐矢筈山には、山頂の北約200mにもう一つ僅かながら別のピーク(約1580m)が見られる。 |
<矢筈峠(余談)> 余談ながら、国土地理院の地理院地図で「矢筈峠」と検索すると、「鹿児島県出水市」と「高知県仁淀川町」の2つの矢筈峠が出て来る。 地形図に当峠の記載はない。 同じ高知県にある仁淀川町の矢筈峠は、現在では国道439号の矢筈トンネルで抜けている。津野町との境にある。 国道439号は京柱峠を越える道でもあり、当峠とは少しは近い関係にある。 <矢筈トンネル(余談)> 同様に「矢筈トンネル」で検索すると、「高知県津野町」(仁淀川町の矢筈峠のこと)と「長野県飯田市」が出て来る。 後者は地蔵峠を飯田市側に下って来た所から分岐する三遠南信自動車道のトンネルであった。 |
仁淀川町の矢筈トンネル (撮影 2015. 6. 1) 今回の矢筈峠とは何の関係もない |
<地形図(参考)> 国土地理院の 地形図にリンクします。 (上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができます) |
高知県側 |
<笹川> 峠は上韮生川の支流・笹川の上流部に位置する。上韮生川は物部川の支流で物部川水系となる。物部川は下って土佐湾で太平洋に注ぐ。 <物部町笹> 峠の周辺は笹(ささ)と呼ばれる地区(物部町笹)で、峠を越える林道も笹谷林道である。 上韮生川沿いから笹川沿いへと続いて主要地方道49号・大豊物部線が笹地区の途中まで登るが、峠区間は林道になる。 峠の徳島県側には49号の続きは見られない。 尚、上韮生川上流部には四熊別府(べふ)林道が通じていて、その林道脇で野宿したこともあるが、旧物部村側に関して、 ここに掲載できる写真がないのは残念だ。 |
徳島県側 |
<谷道川> 峠は祖谷川の支流・谷道川上流部に位置する。祖谷川は吉野川水系で吉野川は徳島市街を流れて紀伊水道に注ぐ。 尚、京柱峠は谷道川の支流の上流部にあり、その意味で矢筈峠の方がより源流に近い奥深い所に位置する峠と言える。 <祖谷山林道> 旧東祖谷山村から峠に登る道は、京柱峠へと続く国道439号から分かれる祖谷山林道である。樫尾集落を過ぎた先から分岐する。 矢筈峠は一度きりだが、京柱峠は何度か越えている。 国道439号を走るたびに、祖谷山林道分岐はいつも気になっていて、その様子を写真に撮っておいた(下の写真)。 |
左に祖谷山林道分岐 (撮影 1997. 9.25) 京柱峠へ登る途中 道路看板の林道方向には何も書かれていなかった |
祖谷山林道入り口 (撮影 1997. 9.25) 林道看板などが立つ 「大型車通行止」と看板がある その後ろに「林道起点」と書かれた標柱も立つ |
分岐の様子 (撮影 2004. 5. 6) 国道標識は「東祖谷山村 樫尾」 |
分岐に立つ道路看板 (撮影 2004. 5. 6) 林道の行先に「大土地」とある |
<大土地> 分岐に立つ道路看板には、以前は林道方向に何も記されていなかったが、後になって「大土地」(おおとち)と書かれるようになった。 ただ、この「大土地」が分からない。矢筈峠を越えて香美市側に下ると、物部川上流部にある永瀬ダム湖の周辺に物部町大栃という地名がある。 まさかこの「大栃」と間違ったのではないだろうが・・・。 地形図を眺めると、谷道川を遡った右岸に、「オコヤトコ」とか「谷道」という集落名が見える。 林道は左岸に通じ、川を渡らないと集落へは行けない。それらは既に廃村となっていることだろう。 |
<祖谷山林道の開発> 「祖谷山林道」という名の林道は旧東祖谷山村では古い歴史を持つようだ。 険しい祖谷川の溪谷沿いに立地する当村では、谷間に点在する集落間を繋ぐ道の開発が急務であった。特に昭和期に入ってからは林道の開発が望まれた。 祖谷川本流から分かれる新居屋(にいや)から、谷道川沿いに京柱峠へと登る途中の小川(おがわ)までの区間に、 初めて開削された林道が「祖谷山林道」と呼ばれたようだ。昭和11年(1936年)着工、昭和29年(1954年)竣工だそうだ。 これが最初の自動車道となったとのこと。現在この道筋が国道439号の一部になっているようだ。 小川より上流側の樫尾で国道から分かれ、矢筈峠に続く谷道川に沿う祖谷山林道は、上記の祖谷山林道と関係があるのだろうか。 「祖谷山」とはこの地方の広い範囲を示すので、どこも祖谷山林道になり得る。ただ、同じ谷道川沿いであることもあり、近い関係であろう。 |
京柱峠から分岐する林道 (撮影 1992. 4.27) |
<矢筈山(余談)> 峠名の由来となる土佐矢筈山へは、京柱峠からも登山道が延びる。峠から分かれる林道脇に、登山口の看板が立つ(下の写真)。 看板では小檜(桧)曽山(こびそやま、1525m)を経由するようにあるが、登山道は稜線上を矢筈山まで通じていて、 小檜曽山はその途中、支尾根に少し分岐した所にそびえる山だ。 尚、京柱峠から分岐する林道は、最近の地図では、三好市側の中腹を横断し、笹谷林道途中に通じているようだ。 |
京柱峠から分岐する林道脇の看板 (撮影 2015. 5.28) 看板の足元を稜線上に登山道が延びる |
登山口の看板 (撮影 2015. 5.28) 「小桧曽山 経由 矢筈山」とある |
<京柱峠との比較> 京柱峠は矢筈峠に近い存在だが、方や国道、方や林道である。 同じ旧東祖谷山村から土佐の国・高知県へと越える峠だが、現在では大きな格差がある。 しかし、京柱峠を高知県側に越えた先は、まだ吉野川水系に居る。高知市街の位置する高知平野に至るには、更にもう一つ峠を越える必要がある。 例えばそれは国道32号の根曳峠となる。一方、矢筈峠を越えると物部川水系であり、そのまま川沿いに下れば高知平野に出る。 高知市街も近い。旧東祖谷山村と高知市街を結ぶのなら、矢筈峠の方が地形的に有利なような気がする。 それでも弘法大師が越えたとも伝わる京柱峠の方が、古くから使われていた峠道となるようだ。 県境付近だけ見ると、峠の標高も京柱峠の方が低く、道程も短くて済むようだ。そんな理由で京柱峠のルートが採用されたのだろうか。 京柱峠に関しては、もう一度詳しく調べてみたい気がする。 |
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甚だ簡単ではあるが、これで矢筈峠は終りである。もう二度と越えることもない峠に関しては、これ以上詮索してもしょうがない。
忘れることはないだろうが思い出すこともないだろう(木枯し紋次郎のセリフのパクリ)と思う、矢筈峠であった。 |
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<走行日> ・1993. 5. 3 高知県→徳島県 ジムニーにて (1994. 5.23 高知県側の県道217号の分岐を通過 ジムニーにて) (1997. 9.25 国道439号からの分岐を通過 ジムニーにて) (2004. 5. 6 国道439号からの分岐を通過 パジェロ・ミニにて) <参考資料> ・角川日本地名大辞典 36 徳島県 昭和61年12月 8日発行 角川書店 ・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos) ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2024 Copyright 蓑上誠一>
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