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小田越
おだごえ   (峠と旅 No.205)
 東北きっての峠道
 (初掲載 2012.12 29  最終峠走行 2012.11. 4)
    
  
    
小田越 (撮影 2012.11. 4)
峠があるのは岩手県遠野市附馬牛町(つきもうしちょう)上附馬牛(かみつきもうし)で、
市町村境にはなっていないが、
この直ぐ向こうには、同県宮古市(旧下閉伊郡川井村)江繋(えつなぎ)があり、
この直ぐ手前は、同県花巻市(旧稗貫郡大迫町)大迫町内川目(うちかわめ)
になる。
道は県道(主要地方道)25号・紫波江繋線
峠の標高は1,240〜1,250m
(国土地理院の1/25,000地形図より読む)

生憎の空模様で、
峠のいい写真は撮れなかった
18年ぶりの再訪もやや残念な結果に
 
  
    
 この峠なしでは、東北の峠は語れない・・・、と勝手に思っている。まず、そ の標高である。1,240mを超える。
 
 東北にある高い峠を拾い出してみると、
谷地 峠(やちとう げ、970m〜980m)
大峠(おおとうげ、大峠隧道、1、 160m〜1,170m)
二口峠(ふたくちとうげ、990m〜1, 000m)
・笹谷峠(ささやとうげ、旧道、900m〜910m、現在は閉鎖)
二十部一峠(じゅうぶいちとうげ、874m)
・鬼首峠(おにこうべとうげ、旧道、810m〜820m、現在は閉鎖)
・栗駒峠(くりこまとうげ、1,110m〜1,120m)
・真昼岳峠(仮称、真昼岳林道の峠、900m〜910m)
・早坂峠(はやさかとうげ、900m〜910m)、
・見返峠(みかえりとうげ、1,540m〜1,550m)
 などであろうか。勿論これらは、車道が通じる峠に限っている。概ね標高800m以上を探してみた。中には見落とした峠もあることと思うが、八幡平の見返 峠が別格に高いことを除くと、小田越の1,240mは最高クラスであることが分かる。
 
 また、そのロケーションが良い。岩手県の北上山地のほぼ中央にそびえる霊峰・早池峰山(はやちねさん、1,913.6m)と、その南に並ぶ薬師岳(1, 644.9m)の間を豪快に越える峠道だ。下の写真は
土坂峠(つちざかとうげ)の宮古市側から早池峰山 と薬師岳を望んだものだが、その冠雪した2つの山の間を小田越の道は通じているのだ。見返峠は峠ではない部分に峠道の最高所があったり、峠自身があまり峠 らしい感じがしなかったりするが、小田越は単純に登って単純に下る、峠道らしい峠道になっている。
    
冠雪した薬師岳(左)と早池峰山(右) (撮影 2006. 5. 4)
あの2つの山の間を小田越は越えている
(土坂峠の宮古市側より望む)
    
 また、個人的に是非とも再訪したい峠であった。初めて越えたのは1994年 8月のことだが、麓はそれ程曇っていなかったのに、峠に着いた頃には一面の霧である。車を前に進めるのも難しいくらいであった。当然ながら峠の写真もほと んど撮れず仕舞い。残念な思いをした。2つの大きな山の間を東西に越える峠道で、霧が発生し易い地形なのだろうか。
 
 それに、標高が高いことによる欠点がもう一つある。冬期閉鎖が長いのだ。毎年11月下旬頃から、翌年の5月下旬頃まで峠は通れない。春のゴールデン ウィーク休暇に訪れても、ゲートがしっかり締まっている。なかなか越える機会が少ない峠であった。
    
  
江繋の分岐
    

国道360号 を川井方向に走る (撮影 2006. 5. 4)
この先左に県道25号が分岐
行先は「紫波」(しわ)とある
 小田越の東側の入口は、宮古市江繋(えつなぎ)だ。元は下閉伊郡(しもへい ぐん)川井村江繋である。南北に走る国道360号から、この江繋集落より西へと県道25号・紫波江繋線が分岐している。以前は紫波川井線と呼んだ。東の川 井村と西の紫波町(しわちょう)を結ぶ主要地方道である。川井村が宮古市に合併してから、道の名も変わったのだろう。
 
 岩手県は、北海道を除く都府県の中で、一番広い面積を持つそうだ。司馬遼太郎の「歴史を紀行する」(「郷土閥を作らぬ南部気質〔盛岡〕編)を読んだ折 り、そのようにあった。また文献には、その広い岩手県の中にあって、旧川井村は日本で3番目に広い村だったそうだ。新潟県の朝日村、山形県の朝日村に次ぐ と のこと。川井村は北上山地の只中にあり、山の中の村というイメージだったが、今では宮古市になって太平洋岸とは地続きである。
    
 江繋では小田越から流れ下って来た薬師川が、本流の小国川(閉伊川水系)に注いでいる。国道360号は薬師橋で合流 直前の薬師川を渡っている。その薬師橋の袂より県道25号は分岐し、薬師川の左岸沿いに小田越を目指している。

江繋の分岐  (撮影 2012.11. 4)
左が県道25号
    
江繋の分岐 (撮影 2006. 5. 4)
桜の咲く頃
       
薬師川左岸を進む
    
 国道から分岐した県道25号は、暫くは二車線路の快適な道である。小田越が 通れない時期には、直ぐに通行止の看板が出て来る。2006年5月に来た時は、次のようにあった。
 
 全面通行止  
 路線名 紫波川井線

 区間  川井村江繋向神楽
       〜紫波町舟久保
 期間  H17 11月25日〜H18 5月26日
 理由  積雪のため
 
 この時はまだ川井村だったようだ。「向神楽」とい う面白い地名が出て来る。多分「タイマグラ」ではな いかと思う。この先にある早池峰山荘付近にそのタイマグラがある。尚、紫波町舟久保は、小田越の先、更に折壁峠を越えて紫波町側に下った所にある。小田越 から折壁峠まで
、 連続的に通行止なのだろうか。
    

全面通行止の 看板 (撮影 2006. 5. 4)

左と同じ場所  (撮影 2012.11. 4)
    

県道標識  (撮影 2012.11. 4)
下記のようにある
県道
25
岩手
紫波江繋線
↑紫波55Km
宮古市江繋
(「宮古市」の部分が「川井村」から修正されている)

早池峰山麓案内図 
(撮影 2012.11. 4
(画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
    

左に旧道への 分岐  (撮影 2012.11. 4)
本線はこの先、江繋トンネルに入る
 江繋とは、旧川井村の大字であり、小田越までに及ぶ広い地域を指すようだ。 県道沿いには字名に当たる明神、馬渡、下村、向田、大畑、神楽といった地名が地図上に見える。県道に入ってからの人家はそれ程多くない。県道が改修された こともあるようで、道路沿い並ぶ家屋はまばらだ。国道の分岐から600m程も行くと新しそうな江繋トンネルで川沿いの古い道をバイパスする。旅をする者に とっては、やや味気ない道だ。
    
江繋集落の様子 (撮影 2006. 5. 4)
江繋トンネルの手前で峠とは反対方向を見る
この先に国道340号との交差点がある
    
  
江繋トンネルの後
    
 江繋トンネルの後は、直ぐに左より旧道を合し、また川沿いを行く。やや谷が 狭まり、視界も狭くなる。国道の分岐付近の穏やかな山里の風景からすると、やや険しさも感じるようになる。
 
 国道から1.5Km程続いたセンターラインが消える。一軒の人家の庭先を回り込むと、その先は一挙に狭い道となった。
 
 狭くなる直前、何か気になる看板が出ていたが、見落としたまま、先へと進む。

江繋トンネル 後、川沿いを行く (撮影 2012.11. 4)
    

この先で道が 狭まる (撮影 2012.11. 4)
センターラインもなくなる

狭い道となっ た (撮影 2012.11. 4)
    

川が近い  (撮影 2006. 5. 4)
この付近に人家は皆無
 道は薬師川の直ぐ脇を通る。川が近い。ここから先は、この川の谷間に沿って 蛇行する道となる。
 
 地形図などには、道が狭くなってからも神楽という地名が見られるが、沿道にはほとんど人家は見られなかった。
    
  
右岸に渡る
    

左にカーブ  (撮影 2006. 5. 4)
直進は林道タイマグラ線
 暫し、左岸沿いの狭い道を行くと、県道の本線は左に橋を渡って右岸へと進 む。その県道方向を示す看板には、「早池峰登山口 17Km 早池 峰山荘 7Km」とある。早池峰登山口とはそのまま峠の小田越と考えて良さそうだ。橋の手前に立つ県道 看板には「紫波52Km」ともある。地名は「川井村 神楽」であった。
 
 その分岐を直進するのは林道で、そこに立つ林道標柱には「林道タ イマグラ線」ある。地図を見ると、このまま薬師川の左岸を上流のタイマグラ沢方面にまで続いている。
    
 橋を渡る直前、ふと見ると、ガードレールに取り付けられた粗末な看板があっ た。道が狭くなる直前にもこれと同じ物が立っていた。何の気なしに見ると、「この先紫波江繋線(25号) 積雪あり走行注意」とあるではな いか。手書きの看板にしては、書いてある内容は非常に重要なものだ。さすがに小田越である。11月初旬で、もう雪なのか。
 
 残念ながら、今回はまだスタッドレスタイヤを装着してこなかった。スタッドレスさえ着けていれば、4WDのパジェロ・ミニ。ちょっとした積雪は何でもな いのだが、やはり峠道は侮ってはいけない。この先、不安を抱えての小田越となった。

橋の袂に立っ ていた看板 (撮影 2012.11. 4)
    
  
右岸沿いを行く
    

右岸沿いの道  (撮影 2012.11. 4)
 右岸になってからの道はやや長い。道幅はそれ程狭い感じはしないし、走り易 い舗装路なのだが、谷間の底をクネクネと、あまり視界も広がらない。
 
 それに沿道にはこれと言って見る物が何もない。ただただ、薬師川に沿って遡るしかない。その薬師川も、沿道に草木が多く、川面はあまり眺められない。 

    
 それでも角度が良いと、谷間の隙間から前方の山並みが覗く。過去に雪を頂い た早池峰山が見えた時もあった(右の写真)。薬師岳も見えたかもしれない(下の写真)。

遠くに早池峰 山を望む (撮影 2006. 5. 4)
    

奥に見えるは 薬師岳? (撮影 2012.11. 4)

左の写真を明 るくしたもの (撮影 2012.11. 4)
    

薬師川の支流  (撮影 2006. 5. 4)
多分、万畑沢
 道は何度か薬師川の支流を渡る。清冽な流れである。
 
 対岸にガードレールが望めた。タイマグラ林道であろうか(左下の写真)。随分と高みを通っている。
 
 左手にちょっとした円錐形の山が見えてくると、その先で比較的開けた場所に出る(右下の写真)。やや気分が晴れる。
    

前方に見える は、タイマグラ林道か? (撮影 2012.11. 4)

開けた場所に 出る (撮影 2012.11. 4)
      
   
早池峰山荘付近
    
 沿道にやっと変化が現れた。左手に上がる道があり、そこに案内看板が立つ。 「ようこそタイマグラへ」と書かれ、早池峰山荘やキャンプ場、バンガローがあることを示している。
 
 その山荘やキャンプ場などがある敷地は、奥に早池峰山を大きく望める地であった(下の写真)。なかなかいいロケーションである。

早池峰山層に 入る道 (撮影 2006. 5. 4)
    
キャンプ場などの様子 (撮影 2006. 5. 4)
右奥に早池峰山
    

キャンプ場の 脇を抜ける県道 (撮影 2012.11. 4)

左手に早池峰 山荘を見て過ぎる (撮影 2012.11. 4)
    
   
早池峰山荘以降
    

沿道に家屋が 散見される (撮影 2012.11. 4)
天気が良ければ、この奥に早池峰山が望める
 早池峰山荘の三角屋根を左に見て過ぎると、その先、沿道に家屋が散見され る。天候さえ良ければ、道からも早池峰山が見える場所である。
 
 道路看板に「大迫 37Km 早池峰 11Km」 と出てきた。以前の大迫町(おおはさままち)は、現在は花巻市になっている。看板の「大迫」とは、花巻市大迫町大迫であろうか。国道396号との接 続点だ。一方、「早池峰」はやはり峠の小田越のこと であろうか。
 
 尚、反対方向に立つ道路看板には、「宮古49Km 川井19Km」 とある。ここも同じ宮古市ではあるが、宮古市街は遥かに遠い。
    
沿道から早池峰山を望む (撮影 2006. 5. 4)
道路看板には「大迫37Km 早池峰11Km」とある
    
 道路と川の間には、集会場のような建物や、養魚場のような施設も見掛ける。 人影を見る時もあった。更に進むと道の左手に人家らしき建物も建っていた。この場所は、住所で言えば大字江繋字向神楽であろうか。
    
養魚場のような施設が見える (撮影 2012.11. 4)
   
<タイマグラのこと>
 タイマグラについては、随分前にNHKのテレビで見た覚えがある。たった二人の老夫婦が早池峰山の雪深い麓で素朴な暮らしている様子を映していた。そこ はタイマグラと呼ばれた。そして、おじいさんが亡くなった後も、おばあさんは一人で暮らし続けた。おじいさんが植え育てた杉の木を切っては、その日その日 の薪として使うというような暮らしである。
 
 文献では、戦後の昭和21年に開拓事業として5戸(10戸とも)の入植者がこの地、タイマグラに住み着いたが、高冷地で教育施設の不備などもあり、元村 に下る者が多く、現在は1戸のみが生活している、とあった。その1戸が先のおばあさん達であろうか。今ではそのおばあさんも亡くなっているようである。

沿道に人家ら しき建物が見られる (撮影 2012.11. 4)
    
 テレビに映し出された映像は、現代人の生活からはかけ離れたもので、印象的 などというより衝撃的といってもよいくらいだった。ただ、そのご夫婦にとっては、それが当たり前の生活である。厳しい自然の中での厳しい生活に見えるが、 どこか惹かれるものがあることも確かであった。
 
 県道を走りながら、近くに人家を見掛けると、ここにそのおばあさん達が住んでいたのだろうか、などと想像していたが、後で調べると、開拓地は薬師川の対 岸にあたっとのこと。この付近の薬師川の左岸に、タイマグラ沢が流れ込んでいるが、その沢の周辺だったようだ。
また文献には、林道小田越線沿いにある早池峰山荘付近から対岸へ一本橋が架かって いたとある。県道25号の前身は、小田越林道と呼んだようだ。
    
  
大規模林道の分岐
    
 タイマグラ近辺の僅かな集落を過ぎた直後、この県道で一番の分岐に出る。左 に鋭角に道が分岐する。川井住田大規模林道だ。
    

前方に分岐  (撮影 2006. 5. 4)

左の写真の道 路看板 (撮影 2006. 5. 4)
大規模林道は荒川高原へと続く
    
 この林道は、名前からすると遠野市の更に南に位置する住田町(すみたちょ う)から旧川井村までを繋ぐ、とても長いものだ。遠野市にある部分は過去にほとんど走っているのだが、最近の道路地図を見ても住田町までどのように通じて いるか判然としない。
 
 この大規模林道は、一部に既存の林道を利用している。遠野市の附馬牛町下附馬牛から
荒川牧場を経由する部分は、かつては荒川林道と呼ばれた。

分岐に立つ看 板 (撮影 2012.11. 4)
川井村タイマグラのバンガローなどを案内している
    

峠方向より分 岐を見る (撮影 2006. 5. 4)

分岐を背に大 規模林道方向を見る (撮影 2006. 5. 4)
この時はその林道も通行止
    
大規模林道から見た分岐 (撮影 2006. 5. 4)
側に薬師川が流れる
    

大規模林道か ら見た分岐 (撮影 1994. 8.15)
この時既に、大規模林道にはセンターラインがあった

左の写真の道 路看板  (撮影 1994. 8.15)
    

下附馬牛にあった看板 
(撮影 1994. 8.15)
(画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
 1994年に小田越を訪れた時は、その荒川林道を使う予定だった。まだそん な大規模林道が建設されるとは知らず、勿論ツーリングマップ(東北 2輪車 1989年5月発行 昭文社)にも載っていない。下附馬牛で見掛けた通行止の 看板(左の写真)を見ると、荒川林道は途中で分岐し、その一本はタイマグラ近くへと続いていた。元々の荒川林道は、現在の大規模林道が県道に接続する部分 より、もっと峠寄りで接続している。
 
 通行止期間ではないことを確認し、荒川林道へと向かう。すると、どうしたことか。未舗装の荒れた林道を覚悟していたのに、センターラインもある立派な舗 装 路が出て来た(下の写真)。寂しい山の中に、快適な道が豪快に続いている。そして予定より峠のずっと手前で県道に合流した(上の写真)。
    
川井住田大規模林道をタイマグラ方面に下る (撮影 1994. 8.15)
センターラインがある立派な舗装路
    
 江繋で国道360号から分岐する県道25号を行くのが、小田越の峠道の本線 だが、この大規模林道が完成しているなら、こちらの経路を使うのも面白い。県道を行くより眺めが良く、走り易い2車線路である。2006年に訪れた時は、江繋の県道入口 近くに、「川井住田線(横沢・荒川区間)整備促進を!」 と看板が出ていてたが、2012年にはなくなっていた。少なくとも横沢・荒川区間は既に完成したようだ。
    
  
大規模林道分岐以降
    
 県道25号は、二車線路の立派な大規模林道を横目に見て、相変わらずの1. 5車線で峠に向かう。
 
 直ぐに右の薬師川を渡る立派な道が分岐する(下の写真)。これが大規模林道の続きである。多分、前のが荒川区間で、こちらが横沢区間だと思う。道路標識 に示された行く先には、「鈴久名(すずくな) 国道106号」とある。閉伊川沿いを通る国道まで通じているようだ。ただ、これらの道を「川井住田大規模林 道」と記している看板は現地には見掛けなかった。あくまで道路地図で示された名称である。

分岐から峠方 向の道を見る (撮影 2006. 5. 4)
この時は天気が良いのに冬期通行止
    
大規模林道の横沢区間が右に分岐 (撮影 2012.11. 4)
    

大規模林道入 口 (撮影 2006. 5. 4)
この時は冬期閉鎖

大規模林道が 合流する部分の看板 (撮影 2012.11. 4)
    

国定公園登山マップ 
(撮影 2006. 5. 4)
小田越に鳥居が描かれているが、それはもうない

(画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
 この林道はタイマグラ沢より約1Km程上流に位置する沢(高桧沢?)の左岸 に沿うものだが、その途中でタイマグラ林道に接続する道が分岐している。それを使えば、入植地であるタイマグラに行けるかもしれない。一度訪れたいもの だ。
 
 林道分岐付近の県道沿いに、案内看板がいくつか立つ。中に木製の「早 池峰国定公園登山マップ」というのがある(左の写真)。かつてのタイマグラ開拓地付近にバンガロー村などと書かれている。今は観光施設とし て生まれ変わっているのだろうか。
 
 このマップでは、大規模林道の記載がある。また、この先で合流する荒川林道も書かれている。
    
国定公園登山マップの地図 (撮影 2006. 5. 4)
    
  
ゲート箇所
    
 右に大規模林道の分岐を見て過ぎ、左にカーブした先で今度はゲート箇所が出 て来る。冬期の積雪時にはここが閉ざされる。約半年にも及ぶ長い全面通行止だ。赤いしっかりした鉄製のゲートは、川側のガードレールと山側の崖との間に渡 され、脇をバイクも通さない構えである。

ゲート箇所  (撮影 2012.11. 4)
    

ゲート箇所  (撮影 2006. 5. 4)
 2006年5月初旬に来た時は、このゲートがしっかり閉ざされていた。天候 は快晴で、雪を頂いた早池峰山や薬師岳も望めた絶好の峠日和だったが、ゲートによる全面通行止では仕方がない。閉められたゲートの前には2台ほど、一般車 らしき車が停められていた。ここから歩いて早池峰山の登山だろうか。
    

通行止の頃  (撮影 2006. 5. 4)
 
 
 ゲートに掲げられた通行止の看板では、区間の欄が「川井村タイマグラ〜大迫 町内川目」となっている。一方、県道入口の看板では「川井村江繋向神楽〜紫波町舟久保」であった。内川目にある早池峰湖くらいまでは、県道43号で行ける のかもしれない。

通行止の看板  (撮影 2006. 5. 4)
    
ゲートを背にタイマグラ方向を見る (撮影 2006. 5. 4)
向こうに大規模林道が渡る橋が見えるが、道路標識はない
停められた車の横に、かつてあった橋の痕跡がうかがえる
  

ゲートを背にタイマグラ方向を見る (撮影 2012.11. 4)
道路看板が立つ
 2006年に訪れた時にはなかった道路看板が2012年にはあった。大規模 林道の分岐を示している。やはり2006年から2012年の間のどこかで、大規模林道が完成したのだろう。
 
 古いツーリングマップでは、その大規模林道が完成する以前に、
高桧沢の右岸側に林道が通じていたことが示されている。その道が薬師川を渡っ ていた橋は今はない。川の護岸に古いコンクリートブロックが残っていて、その先に未舗装の道が続いていた。橋の痕跡である。誤って車が落ちないようにと、 両岸にガードレールが設けられていた。新しい道が開通し、その側で古い道が捨てられていく。何とも寂しい風景であった。
    
 
ゲート箇所以降
    
 最近、歳のせいか、このホームページ作成も、どうでもいい細かなことまで、 いちいちこだわって書いてしまう。妻には重箱の隅をつつき過ぎだと言われている。この小田越もやっとゲート箇所に着いたばかりだ。まだ本格的な登りも始 まっていない。実際に車で峠を越えるより、何倍も時間が掛かるのである。早く先に進まないと、ほったらかしの妻が不機嫌になる。それにしても、こんなに手 間暇掛けて、一体何になるのかと思うこの頃である。
 
 ゲートを過ぎると、道幅も幾分狭くなったように感じる。薬師川はまだ暫く右手に寄り添っている。

支流の沢を渡 る (撮影 2012.11. 4)
    

側に廃屋  (撮影 2012.11. 4)
何かの倉庫か作業小屋だろう

路面は比較的 新しい (撮影 2012.11. 4)
    
 1994年に訪れた時は、この付 近から舗装が途切れ、それはこの先にある荒川林道分岐まで続いた。なかなかワイルドであった。古いツーリングマップでは、舗装が途切れる辺りまで黄色の 県道表記で、そこから小田越を大迫町に下った岳(たけ、だけ)集落まで、白色の道で描かれていた。1997年3月発行のツーリングマップルでも、峠の川井 村側に 「5Kmほどダート残る」の記述がある。早池峰山は 古くからの霊場として信仰登山なども多かったろうが、全線舗装により車の便が改善されたのは、比較的最近のことである。
    

側にモニュメ ント (撮影 2012.11. 4)
痛みが酷く、何が書いてるのか判読不能

何かの看板  (撮影 2012.11. 4)
    

路肩に雪  (撮影 2012.11. 4)
 沿道にはモニュメントがあったり、国定公園か何かの案内看板が立っていたり するが、いちいち車を停めて確認していられなくなった。なぜなら、みぞれがちらつき始めたのだ。ついには路肩にあまり見たくない白い物体が現れだした。雪 であ る。しかも時間はもう直ぐ午後の4時。この時期(11月初旬)、日が暮れるのは早い。5時には真っ暗だ。盛岡市郊外に予約した宿まで無事に行き着かなけれ ばならない。 もし、積雪で小田越が越えられなければ、それこそ大変なことになる。北にある区界(くざかい)峠(国道106号)まで回り道しなければならない。小田越の ような大きな峠道が越えられない場合、往々にして迂回路が厄介なことになるのだ。
     
   
 
荒川林道分岐
    
 天候が悪く、日も暮れ掛かり、辺りは早々と薄暗くなってきた。カメラの露光 時間が長くなり、ゆっくり走っているのだが、車窓から写す映像は流れ出てピンボケだ。しっかり車を停めて写真を撮ればよいのだが、なかなかそんな気持ちの 余裕はない。
 
 左に林道の分岐があった(右の写真)。これが荒川林道だと思う。車を停めて確認すればはっきりすることなのだが、ここも通過である。

左に荒川林道 が分岐 (撮影 2012.11. 4)
本線は右にカーブ
     

沿道の様子  (撮影 2012.11. 4)

沿道の様子  (撮影 2012.11. 4)
路肩の雪が益々増えてきた
    
 この東西に通じる峠道では、薬師岳を中心とする南側に連なる山々の陰に入り、 日中でもほとんど日が差し込まない。ましてや天候が悪く日も落ちようとしてるので、辺りは急激に暗くなり始めた。北側の山の斜面に一瞬、赤い夕日が明るく 映えた(下の写真)。それを最後に、周囲にはガスが立ち込めてきた。いよいよ猶予がならん。
    
北側の山に夕日が一瞬当たる (撮影 2012.11. 4)
    

県道標識と道 路看板 (撮影 2012.11. 4)
 県道標識と道路看板が出てきた。これが峠の宮古市側で最後の物であった。県 道標識では紫波まで36Kmとある。道路標識では大迫26Km、早池峰0.5Kmであった。峠まであと僅かである。
 
 残念ながら、県道標識に記された地名が写真からでは正確に読み取れないのだが、多分「宮古市向神楽」とあるようだった。
    
    
遠野市との境付近
    
 小田越近辺の市町村境は、地形のわりに複雑である。峠そのものは、北の早池 峰山と南の薬師岳との間の、正に鞍部を越えていて、峠道は単純に登り、単純に下っている。早池峰山と薬師岳を繋ぐ稜線が、そのままどこかの境になっている と、峠も自ずとその境の一部となる。しかし、小田越はどの境にもなっていない。
 
 まず、峠の100mほど手前で、宮古市(旧川井村)と遠野市との境を通る。県境を示す看板が立っている(右の写真)。それでも道はまだ登りの最中だ。こ の先峠を越えて200mほど進むと、今度は遠野市と花巻市(旧大迫町)との境がある。よって峠そのものは、遠野市の領域にある。
 
 地図を見ると、薬師岳と早池峰山を結ぶ不自然な直線が、遠野市と花巻市の境になっている。そしてその東側の稜線に近い部分を通る登山道沿いに、遠野市と 宮古市の境が通る。遠野市が早池峰山まで細長い領域を延ばしている格好だ。

遠野市との境  (撮影 2012.11. 4)
周辺はガスってきた
    

遠野口の看板  (撮影 2012.11. 4)
 ところで、遠野市の上附馬牛に早池峰神社がある。早池峰山、薬師岳、早池峰神社は、ほぼ直線 上に位置する。こ れは想像だが、早池峰神社の御神体が霊峰・早池峰山であり、その為、早池峰山は遠野市の一部でなければならないのかもしれない。そんな理由で、複雑な境界 ができたのではないか。そのあおりで、小田越はどことの境にもならず、遠野市の物になった、そう思う次第である。
 
 遠野市との境の部分を左に、登山道がある。入口に「遠野口」 とある道標が立ち、「小田越山荘 2分」と示してい る。地図でもこの近くに山荘があることが分かる。その道を更に遠野市方面に下ると、そこに早池峰神社があるのだ。これが神社と早池峰山を繋ぐ参道ともなっ ているのではないだろうか。
 
 一方、遠野・宮古両市の境沿いに右手に続く山道もあるようだ。途中、小田越からの登山道を合わせ、早池峰山山頂へと続いている。
    

遠野市に入っ てからの道 (撮影 2012.11. 4)

峠直前 (撮 影 2012.11. 4)
    
 遠野市に入れば、もう峠は近い。 右カーブを一つ曲がると、沿道の木々が途切れ、空が開けてきた。左手に小屋が建っている。トイレや売店の機能もあるようだが、早々と冬支度で、その小屋は 既に閉鎖されているようだった。周辺に雪は多いが、路面は辛うじて積雪を免れている。どうやら無事に峠に辿り着けそうである。
    

左手に小屋が 出てきた (撮影 2012.11. 4)

売店らしき小 屋 (撮影 2012.11. 4)
    
    
    
小田越 (撮影 2012.11. 4)
宮古市方向(東)から花巻市方向(西)に見る
    
 やはり残念ながら、峠は霧の中だった。周辺の景色が何も見えないだけでなく、 峠の写真も良いものが撮れない。それにこの峠は車の駐車が厳しく禁じられている。道路沿いにロープが張りめぐらされ、駐車禁止の看板が林立する。話による と、車をうっかり止めると監視員にしかられるそうだ。そこで、車はほとんど停止させることなく、写真撮影は全て車の中から行った。
 
 ただ、この季節のこの時間に、監視員などいる訳もない。人っ子一人居ない寂しい峠である。それより我々を急き立てるものは、この先花巻市側を無事に下れ るかという不安だ。花巻市側の道に積雪があるかもしれない。それが怖いのである。
    

小田越 (撮 影 2012.11. 4)
道路の側に石碑や登山案内の看板が立つ

国定公園の石 碑 (撮影 2012.11. 4)
この奥から早池峰山への登山道が始まっている
    

早池峰山への 登山道 (撮影 2012.11. 4)
 小田越の峠の勾配はなだらかで、どことの境にもなっていない為もあり、峠の 部分があまりはっきりしない。ただ、北の早池峰山へ向けて登山道が始まっており、その周辺は石碑や看板が立ち並び、最も峠らしい場所となっている。道路の 反対側(南側)には、薬師岳への登山道がある。
 
 ところで、後から考えると、記憶にある小田越とどこか違う雰囲気である。18年前の写真を引っ張り出して見ると、そこには大きな鳥居が写っていた(下の 写真)。現在の小田越の早池峰山登山口には、その鳥居が跡形もないのだ。18年前に訪れた折、ガスっていたので小田越ではたった一枚しか写真を撮らなかっ たが、少しは参考になるものとなった。
    
18年前の小田越 (撮影 1994. 8.15)
早池峰山方向を見る
    
 峠から花巻市方向には、暫く直線的な道が緩やかに下っている。早池峰山と薬師 岳の間の高所を越える峠であるが、峠道そのものは穏やかである。
    
峠から花巻市方向を見る (撮影 2012.11. 4)
なだらかに下っている
    
<峠名について>
 
尚、この小田越 の「小田」であるが、一体何を指しているかが不明である。一般的に考えれば、「小田に越える峠」という意味で、旧川井村か旧大迫町かに、「小田」という地 名があってよさそうなものだが、今のところ見付からない。
 
 ただ、文献によると、旧大迫町に「小田遺跡」と呼ばれる縄文時代の遺跡があるそうだ。他にも立石遺跡があり、町内には確かに「立石」の地名が見られる。 残念ながら小田遺跡の方は所在が分らず、またこの場合の小田は「こだ」と読むそうだ。
 
 想像では、旧大迫町に古くは小田(こだ)と呼ばれる地があり、それが峠の名前となった。そしていつしか、「こだ」が「おだ」に読み違えらるようになった のではないだろうか。
    
    
花巻市方面へ下る
    

峠から花巻市 方向に進む (撮影 2012.11. 4)
 小田越を後に、花巻市方面へ車を進める。路面に積雪がないことを祈る。これ までも筈か10mくらいの距離に雪が積もり、そこをどうしても車が越えられず、撤退した経験がある。今はそんなことになっては一大事である。
    
<遠野市と花巻市との境>
 
 峠からの直線部分が終り、いくつかカーブを曲がると、遠野市から花巻市に入ることを示す看板が出て来る。薬師岳と早池峰山とを直線で結んだ市境なので、 何だか唐突である。「花巻市」と書かれた看板がなければ、周辺に何らの変化もない。

花巻市との境  (撮影 2012.11. 4)
    

勾配が急にな る (撮影 2012.11. 4)
 花巻市に入った頃から、道はやや勾配が急になる。日が落ちる西に下って いることもあるのか、やや周囲に明るさが戻ってきた。幸い、路面に雪はなく、沿道の雪も少なくなる方向だ。
    
<宮沢賢治の詩碑>
 
 幾つかのカーブを曲がった先、左手にちょっとした空き地があり、その中に石碑が建っている。宮沢賢治の詩碑だ。初めて小田越を訪れた時は、どういう訳 か、峠の濃い霧とこの詩碑ばかりが記憶に残っている。
 
 その当時、宮沢賢治に関心を持ち、彼の童話などの作品や伝記を読み漁っていた。そして東北を旅した折は、宮沢賢治の記念館や、彼がイギリス海岸と名付け た北上川の川岸を訪れたりしていたのだ。思いも掛けず、こんな険しい小田越の峠道で彼の詩碑を見付け、やや奇異な感じもしたが、うれしい気持ちもあった。

宮沢賢治の詩 碑 (撮影 2012.11. 4)
    

宮沢賢治の詩碑 
(撮影 1994. 8.15)
(画像をクリックすると詩文の拡大画像が表示されます)
 ただ、賢治の童話は大好きだが、詩の方は全然分らない。一応下記に詩文を写 すが、「イーハ トーボ」が確か「岩手」のことを差しているらしいこと以外、何のコメントもできないのであった。
 
おお青く展がるイーハトーボのこどもたち
グリムやアンデルセ ンを読んでしまったら
じぶんでがまのはむばきを編み
經木の白い帽子を買って
この底なしの蒼い空気の渕に立つ
巨きな菓子の塔を攀ぢよう
    
  
河原の坊
    
 賢治の詩碑を過ぎると、その先直ぐに河原(の)坊に着く。峠が駐車禁止の代わ り、登山客はここに車を停めるようだ。峠を経ず、ここから直接山頂まで至る登山道がある。早池峰山に登る目的なら、それでも良いだろうが、こちらは峠が趣 味で ある。ここに車を置いて、峠まで徒歩で往復するのは、ちょっとかなわない。片道2Km程の坂道になる。
    

河原の坊  (撮影 2012.11. 4)

河原の坊  (撮影 2012.11. 4)
ビジターセンターなどがある
    
 折しも河原坊には、山頂から下って来たばかりと思われる登山者5、6名の パー ティーが居合わせた。側には彼らが帰路に乗るのであろう、マイクロバス1台も停まっている。小田越の峠道に入ってこの方、人影をほとんど見ていなかったの で、何とな く心強い気がした。また、マイクロバスが運行できるくらいなら、道の心配ももう要らない筈だ。河原坊周辺には、ビジターセンターなども建ち、早池峰山随一 の登山基地となっているようであった。
    

河原の坊のバ ス停を過ぎる (撮影 2012.11. 4)

 ビジターセンターを過ぎた先、ちょっと離れて一般の路線バスのバス停もあった。夏などの繁忙期には、マイクロバスをチャーターせずとも、早池峰山登山が できるのだろう。尚、河原坊は「かわらのぼう」と読む。ビジターセンターなどのある場所では、「河原坊」と書いてあるが、バス停では「河原坊」と記す慣例のようだ。
    
 小田越の花巻市側には、岳川(たけがわ)が流れ下る。峠直下の道は、その川 の左岸に通じている。岳川は北上川水系の支流・稗貫川(ひえぬきがわ)の上流部に位置する川で、その水源は早池峰山である。
 
 
小田越は、その 標高の高さに比べると、比較的穏やかな峠道である。峠よりそれぞれ東と西に流れ下る薬師川、岳川は、峠近くまで明確な川筋が認められる。道は概ねその川沿 い近くに通じている。急な斜面を九十九折りで攀(よ)じ登るという箇所が少ない。

道の様子  (撮影 2012.11. 4)
    

道の側に清廉 の滝  (撮影 2012.11. 4)
 その代わり、東西に真一文字に長く延びた道筋となっている。宮古市側の江繋 で国道から分かれ、花巻市側で岳川が折壁峠から流れ下って来た折壁川に合流する落合(現在は早池峰湖がある)に至るまで、直線距離でざっと30Kmに届か んばかりである。旧川井村も旧大迫町も、北上山地の内陸深くに位置し、峠道に取り付くまでのアプローチに時間が掛かる。その上、峠道そのものが非常に長い のだ。旅の途中で気が向いたからといって、ちょっと立寄るという訳にはいかない。今回は、この小田越を目的としていたにもかかわらず、もう日の暮れとの戦 いである。
 
 地図を見ると、岳川の本流や、そこに流れ落ちる支流に、幾筋かの滝が掛かっている。その内、支流にある清廉の滝が道路脇の直ぐそこに流れていた。しか し、もうそんなことに頓着している暇はない。はたして無事に宿まで行き着けるかである。
    
  
花巻市側のゲート箇所
    
 路肩に雪は全く見られなくなり、道は穏やかなまま、ゲート箇所に至った。小田 越の花巻市側は、峠直下でやや急坂・急カーブの道があるが、河原坊を過ぎる頃からコメガモリ沢左岸の落ち着いた道となり、そのまま続いて岳川左岸沿いを 下って来ていた。

ゲート箇所  (撮影 2012.11. 4)
    

ゲート脇にあ る看板 (撮影 2012.11. 4)
 ゲート箇所を過ぎてふと振り返ると、ゲー ト脇に立っている看板に、「小田越付近 積雪あり」、 「この先 チェーン必要」とあった。もし、宮古市側 にもこれだけしっかりした看板があったら、今回の小田越は最初から諦めていたことだろう。「チェーンが必要」とあるところをノーマルタイヤで闇雲に進む気 にはなれない。手書きの目立たない「積雪あり、走行注意」の看板だったからこそ、越えられた小田越であった。
    
  
岳集落
    
 ゲート箇所を過ぎると、直ぐにも家屋が見えて来る。岳(たけ、だけ)と呼ば れる集落だ。集落内に設けられた街灯がポツポツと寂しく灯り、すっかり夕暮れの雰囲気である。

岳集落が見え てきた (撮影 2012.11. 4)
    

道の側に文化 施設やトイレがある (撮影 2012.11. 4)
正面に建つのがトイレ
 集落内に入って直ぐ、道の左側に駐車スペースが設けられていて、何かの文化 施設(郷土文化保存伝習館?)の小さな建物やトイレが併設してあった。比較的新しそうなので、ここは一つトイレを借りようと妻が向かったが、直ぐに引き返 して来た。既に冬の閉鎖期間に入ってしまったようで、使用できないとのこと。
 
 
この岳集落にも 早池峰神社があり、岩手県の文化財指定を受けているようだ。トイレなどがある敷地の脇より南へ少し入った所に位置するらしい。ただ、県道からはその様子を うかがい知ることはできない。
    
 岳集落は早池峰山登山の為の宿泊基地となっているようだ。県道沿いに民宿やレストハウスなどが何軒か 立ち並んでいる。しかし、もう今年の営業は終了しているのか、カーテンが閉ざされていた。

岳集落の民宿 など (撮影 2012.11. 4)
峠方向に見る
    

集落内の交差 点 (撮影 2012.11. 4)
直進が新しい県道、右が旧道
 民宿群を過ぎた先で、集落内に一つ大きな交差点がある。側に「岳」と書かれ たバス停が立つ。この付近は人家も多く、集落の中心地だろうか。
 
 その分岐を右に進むと岳川を渡るが、その方向に「P」のマークがある。「休憩場」などと看板も立つ。集落内の県道は狭く、車の駐車スペースはないが、そ ちらに行けば落ち着いて車を駐車できる場所があるかもしれない。しかし、今は真っ直ぐ先に進むばかりだ。
    
 分岐から先はセンターラインのある広い県道となる。古いツーリングマップ (1989年5月発行 昭文社)を調べると、分岐から先の道はまだ描かれていない。分岐を右に行き、岳川を渡る道が元の県道であった。現在の県道は、分岐 を直進して数100m行くと、立派な橋で岳川を渡り、右より旧道を合している。
 
 二車線路になってからのj県道は快適である。岳川の右岸をひた走る。この県道の改修は、岳川下流にできた早池峰ダムにも関係するのだろう。

新しい県道が 岳川を渡る (撮影 2012.11. 4)
    
  
早池峰湖周辺
    
 初めて訪れた時、地図とは道の様相が異なるのに戸惑った。ダム建設が行われ ているとは、全く知らなかったのだ。現在は、早池峰ダムによってできた早池峰湖周辺が、ちょっとした観光地のように整備されている。県道が高い落合大橋で折壁川を渡った先に、道の駅「はやちね」も ある。
    
道の駅「はやちね」 (撮影 2012.11. 4)
落合大橋方向を見る
左は折壁峠へ、右手前は旧大迫町市街へ
    
<余談/川の名前>
 この付近、川の名前が不明確だ。文献では、早池峰ダムよりずっと下流で、小又川・中居川を集めて稗貫川になるとある。一方、地形図などでは、岳集落以降 でもう稗貫川と書かれていたりする。県別マップルでは、早池峰ダム以降、中居川と合流するまでは「稗貫川(岳川)」と記されていた。
 
 稗貫川の上流には、岳川と中居川の二つがあるとするのか、あくまで岳川側が本流であることを強調するのかの違いだろうか。岳川は早池峰山を源流とするの で、やはり稗貫川の最源流部は岳川側と言える。それをはっきり示すには、なるべく上流部まで稗貫川と呼ぶことになる。しかし、「稗貫川(岳川)」のように グレイゾーンとしておくのが、良い気がする。
    
折壁峠方向の道より落合大橋を望む (撮影 1994. 8.15)
まだダム湖に水は張られていない
    
 小田越を越えて来た県道25号は、落合大橋を渡った所で右に折れ、更に折壁 峠を越えて紫波町に至る。直進は県道43号になり、こちらが稗貫川(岳川)沿いの道である。県道番号が変わってしまうが、小田越の峠道の続きは県道43号と言える。
 
 実は、その県道はまだ走ったことがない。初めて小田越を越えて来た時は、折壁峠方向に少し進み、更に長野峠方面に旅してしまった。長野峠は当時まだ未舗 装を残す道だったが、現在は県道43号になっているようだ。
 
 道の駅「はやちね」の建屋内にはもう誰も居なかったが、電灯が灯りトイレは使用できた。これからまだ残る長い道程に備え、夫婦共々小用を済ませる。外に 戻って来ると、駐車場にたむろしていたバイクの集団も既に姿を消し、我々以外には怪しげなバンが一台停まるばかりだ。
 
 車に戻り、これから宿までの経路を検討する。道の良い県道43号を進むべきか、道は悪そうだが盛岡には近い折壁峠を越えるべきか、それが問題である。そ こで、この旅、初めて搭載してきたカーナビに判断を委ねることにした。すると、それまで険しい峠越えは避けてばかりのカーナビが、今度は折壁峠越えを主張 してきたのだ。やや不安を感じたが、その通りとした。真っ暗な折壁峠は、写真の撮りようがなかった。山の中の暗闇でクネクネ曲がる道を走りつつ、やはり峠 道は昼間に通るものと痛感するのだった。
    
     
    
 それにしても、峠で一度も車を降りず、しかもその峠が小田越とは、痛恨の極 みである。いくら先を急いでいるからと言って、もう少し峠に居ればよかった。考えてみれば、初めて訪れた時も、ほとんど素通り同然だ。それに真っ暗闇の中の折壁峠では、何が何だ かさっぱり分らない。これでは、また行かなければならないと思う、小田越であった。
    
     
    
<走行日>
・1994. 8.15 旧川井村→旧大迫町 ジムニー

(2006. 5. 4 宮古市側から登るも冬期通行止 キャミ)
・2012.11. 4 宮古市→花巻市 パジェロ・ミニ
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  3 岩手県 昭和60年 3月 8日発行 角川書店

・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
  
<1997〜2012 Copyright 蓑上誠一>
   
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