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鞍掛峠  (鞍掛トンネル)
  くらかけとうげ  (峠と旅 No.347)
  鈴鹿山脈を軽快に越える国道の峠道
  (掲載 2025.12.17  最終峠走行 2001. 5. 5)

   
   
   
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鞍掛トンネルの三重県側坑口の様子 (撮影 1996. 8.16)
トンネルのこちら側は三重県いなべ市藤原町(旧員弁郡藤原町)本郷
反対側は滋賀県犬上郡多賀町大字大君ヶ畑
道は国道306号線
トンネル坑口の標高は625m前後 (峠にあった看板より)

上の写真は初めて鞍掛峠(トンネル)を越えた時の様子
今から30年近く前
この3年前にも訪れたのだが、滋賀県側で道路改修工事があり、通行止だった
今は快適な国道だが、ちょっと前まで未舗装路を残す峠道だった

   
   
   

   

<鞍掛トンネル>
 表題ではいつもの様に「鞍掛峠」と峠名を記したが、ここで取り上げるのは車道の峠である鞍掛トンネルの方にある。ただ、峠名などについて本来の鞍掛峠についても触れたい。

   

<掲載動機(余談)>
 紀伊半島に位置する峠ばかり13峠続けて掲載してきたが、小さな峠ばかりになっていた。紀伊半島・紀伊山地にはまだまだ他にも沢山あるのだが、やや食傷気味である。ここで少し目先を変えてみたい。
 
 地図で紀伊半島近くを眺めていると、偶然今回の鞍掛峠が目に付いた。ここは三重と滋賀の県境を越える雄大な峠道だ。ただ、あまりじっくり越えたことがなく、撮った写真の数も少ない。 その内、再び探訪しようと思っていたら、四半世紀が過ぎてしまった。この峠は一度は掲載しておきたい重要な峠と考えていた。最近の様子については全く分からないが、ここに掲載しておこうと思う。

   

<所在>
 峠道は概ね東西方向に通じる。峠の直ぐ東側は三重県いなべ市藤原町【ふじわらちょう】本郷【ほんごう】になる。しかし、そこは本郷の飛地で、本来の本郷の中心地は員弁川【いなべがわ】沿いに位置する(地理院地図)。峠道の沿道には本郷の人家や目立つ建造物は見当たらない。
 
<藤原町山口>
 一方、峠道が員弁川沿いまで下って来た地点は藤原町山口【やまぐち】になる(地理院地図)。文献(角川日本地名大辞典)の鞍掛峠の項でも、この峠は「藤原町山口と滋賀県多賀町との境にある峠」としている。
 
<いなべ市>
 尚、いなべ市は平成15年(2003年)12月1日に北勢町、員弁町、大安町、藤原町が合併して誕生したそうだ。それ以前の山口は員弁郡藤原町の大字であった。
 
<多賀町大君ヶ畑>
 峠の西側は滋賀県犬上郡【いぬかみぐん】多賀町【たがちょう】大字大君ヶ畑(大君ケ畑)【おじがはた】になる(地理院地図)。「大君ヶ畑」は地図や現地の看板などで何度も見ている。しかし、正しい読みを知ったのは今回が初めてだ。これだけでもこの鞍掛峠を掲載した価値がある。今では地理院地図にしっかり「おじがはた」と読みが記されているが、以前はそう簡単には分からなかった。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<水系>
<員弁川水系・河内谷川>
 三重県側は員弁川【いなべがわ】水系だ。員弁川の一次支流・河内谷川(地理院地図)の源頭部に鞍掛峠や鞍掛トンネルが通じる。
 
 員弁川本流沿いでは、河内谷川より更に上流側に国道365号が延び、県境を越えて岐阜県に通じている。よって、鞍掛峠の範疇は支流の河内谷川沿いのみと言える。
 
<淀川水系・犬上川(北谷)>
 滋賀県側は犬上川【いぬかみがわ】が下って琵琶湖に注いでいる。但し、犬上川の上流部は南谷と北谷の2つに分かれていて、鞍掛峠は北谷(地理院地図)の源頭部に位置する。琵琶湖に注ぐので、員弁川水系などに比べて遥かに広い淀川水系になる。

   

<峠の特徴>
 この峠の地理的な特徴は何と言っても鈴鹿山脈【すずかさんみゃく】(地理院地図)の主脈を越えていることだろう。鈴鹿山脈は鈴鹿山地【すずかさんち】とも呼ばれる。この山脈の北端はほぼ岐阜県の関ヶ原町だが、南端はやや曖昧だ。ここでは鈴鹿峠付近までを考える。そこには数々の峠道が通じている。その中で今回の鞍掛峠は北端に近い。
 
<鈴鹿山脈の峠(余談)>
 鈴鹿山脈の主脈に通じる主な車道の峠については武平峠のページで挙げてみた。改めて北側から列記してみると以下のようになる。
 
 ・五僧峠(島津越え) 林道時山多賀線 標高:約505m
     (地理院地図)  
 ・鞍掛峠 車道なし 標高:約800m (地理院地図) 
   鞍掛トンネル 国道306号 坑口標高:625m
 ・石槫峠【いしぐれとうげ】 旧国道421号 標高:689m (地理院地図
   石榑トンネル 国道421号 坑口標高:370m〜500m
     (地理院地図
 ・武平峠 車道なし 標高:877m (地理院地図
   武平トンネル 国道477号 坑口標高:815m (地理院地図
 ・安楽越 林道安楽越線 標高:490m〜500m (地理院地図
 ・鈴鹿トンネル 新名神高速道路 坑口標高:280m以下
     (地理院地図
 ・鈴鹿峠 車道なし 標高:約380m (地理院地図
   鈴鹿トンネル 国道1号 坑口標高:320m〜350m (地理院地図
 
 鞍掛峠や武平峠、鈴鹿峠はトンネル開通で初めて車道が通じた峠と言えそうだ。その点、石榑峠【いしぐれとうげ】はトンネル開通前にも国道が通じていた。険しい峠だった。残ながら今はもう車では通れないようだ。五僧峠と安楽越は林道の峠になる。他はみんな国道か高速道路である。

   

<峠名>
 現在ではトンネル名にも使われる「鞍掛」(くらかけ)という名で一般に知られる峠だ。一方、文献(角川日本地名大辞典)では「古くは当峠道を竜華(りゆうげ)越えとも呼んだ(勢陽五鈴遺響)」としている。
 
 また別の文献(日本歴史地名体系)では、大君ヶ畑越、焼尾(やきお)越、龍(りゅう)ヶ越、山口越、熊坂(くまさか)峠など、数々の呼び名があったとしている。
 
 「大君ヶ畑越」と「山口越」については、峠を挟んだそれぞれの地名であり、これは納得が行く。焼尾越、龍ヶ越、熊坂峠については何ら手掛かりがない。「竜華越え」と「龍ヶ越」はほぼ同じ由来かもしれない。鈴鹿山脈中に竜ヶ岳(地理院地図)と呼ばれる山があるが、鞍掛峠からはかなり離れていて、関係あるとは言いきれない。

   

<「鞍掛」の由来>
 文献(角川日本地名大辞典)では、第55代・文徳天皇の第一子・惟喬(これたか)親王が峠を越えた時、馬の鞍を掛けて休息したことから「鞍掛」の名が起こったといわれているとしている。如何にもそれらしい歴史を感じさせる由来である。
 
 その一方、文献(日本歴史地名体系)では、峠の様子が馬の鞍に似ているからだとしている。これでは身も蓋もあったものではない。歴史ロマンを感じさせる惟喬親王説も興覚めである。
 
 しかし、案外こちらが正解かもしれない。峠は通常、峰の一番低い箇所、いわゆる鞍部(あんぶ)に通される。今回の鞍掛峠も鈴鹿山脈の主脈上の鞍部を越える正統派だ。 峠名などは「大君ヶ畑越」や「山口越」など、直感的な名で呼ぶことが多く、最初は余り凝ったことはしない。馬の鞍が掛かっているように見える場所を峠が越えて行く、それで単純に「鞍掛峠」と呼んだとしても何ら不思議はない。 それがそもそもの起こりで、後世になって惟喬親王説がささやかれ、次第に信じられていったのではないだろうか。
 
 ただ、「鞍掛」の由来を峰の鞍部とするなら、多くの峠が「鞍掛峠」と呼ばれてもいいことになる。しかし、あちこちに鞍掛峠があっては混乱を来たすだろう。それで「鞍掛」はあまり使われない峠名だったかもしれない。 ただ、今回の鞍掛峠には惟喬親王という大きな後ろ盾があった。そのお陰で今日まで「鞍掛」の名を留めて来られた、そんな風に思う。
 
 尚、たまに「鞍」の代わりに「倉」の字が使われたことがあったそうだ。ただ、「倉」には特に意味がないのではないかと思う。「鞍」の漢字が思い浮かばないので、咄嗟に「倉」の字を当てたというようなことではないか。

   

<3つの鞍掛峠(余談)>
 私の知っている鞍掛峠は、今回の峠を含めて3つある。地理院地図で「鞍掛峠」と検索すると、その3つが候補として挙がって来る。もっとあるかと思ったが、意外であった。その3峠は以下である。
 
 (1)新潟県三条市・ 同県魚沼市の境(地理院地図) 
 (2)長野県・岐阜県の境(地理院地図
 (3)今回の鞍掛峠

   

<新潟の鞍掛峠(余談)>
 (1)の鞍掛峠は、一応国道289号線となっているが、峠前後は車道が通じていない(2025年12月現在)。広くは八十里越(地理院地図)の峠道の一部になる。この街道は福島と新潟の県境を越える長大な道だ。
 
<八十里越(余談)>
 八十里越については六十里越のページで少し触れた。一度、新潟県側から国道289号を行ける所まで行ったことがある。 すると、木の根橋の手前(地理院地図)で、一般車は通行止となっていた(下の写真)。 その先を歩いて散策してみると、大規模な車道開削工事が進められていた。今回調べたところ、八十里越は来年(2026年)秋以降に開通する見込みのようだ。当然ながらトンネルによる峠越えとなるが、開通の暁には老体に鞭打ってでも訪れてみたい峠道である。

   
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国道289号の「木の根橋」での通行止 (撮影 2005. 5. 5)
この先で道路開削工事中だった
(本題に関係なし)

   

<長野・岐阜県境の鞍掛峠(余談)>
 (2)の鞍掛峠は、今はもう車では行くことができない峠になってしまったようだ。幸運ながら私は長野県からも岐阜県からも峠に辿り着くことができた(鞍掛峠のページ)。
 
 岐阜県側は峠から直線的なV字谷が下って来ている。その為、登りの途中からでも峠の様子がよく望めた(下の写真)。その峠の姿が「鞍掛」と表現していいか分からないが、少なくとも峠道の途中から峠が望めなければ、鞍掛という名は起こらなかったように思う。

   
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岐阜県側から鞍掛峠を望む (撮影 1997. 9.21)
中央の鞍部が峠
(本題に関係なし)

   

<鞍掛トンネル(余談の続き)>
 「鞍掛峠」は以上の3峠だが、「鞍掛トンネル」と検索すると今回の鞍掛トンネル以外に2つ見付かる。
 
(1)鞍掛トンネル 常磐自動車道 (地理院地図
 徒歩道の旧道あり
(2)鞍掛トンネル 県道22号・大沢宇都宮線 (地理院地図
 車道の旧道あり
 
<鞍掛山>
 どちらも旧道が存在するので、その峠を鞍掛峠と呼んだ可能性がある。また、近くに鞍掛山という山があるのも共通している。鞍掛山の名の由来は、山頂の形がやはり馬の鞍に似ていることなどに関係することが多いようだ。 鞍掛峠の名は鞍掛山が元であった可能性があり、その場合、峠の形そのものではなく、近くの山の形が「鞍掛」だったことに由来するということになる。

   

<鍵掛峠(余談ついで)>
 これは単なる連想なのだが、「鞍掛峠」からは「鍵掛峠」【かぎかけとうげ】の名が思い浮かぶ。「鞍掛」の由来は峠の様子が馬の鞍に似ているなどというものだった。 一方、「鍵掛」にも、それぞれの峠に関して独特な由来があるようだが、一般的には「険しい地形」を表した言葉だと考えられるらしい。 「がけかけ」、「かいがけ」、「かっかけ」など、「崖」や「駆ける」などというような言葉が転訛し、それに「鍵掛」の字を当てたものだろう。惟喬親王説も悪くはないが、峠の名などもっと現実的で、あまりロマンを感じさせるものではないようだ。

   

<鍵掛峠(余談)>
 余談ついでに、地理院地図で検索できる4つの鍵掛峠を挙げてみる。
 
(1)岩手県の鍵掛峠 (地理院地図
 本来の峠に車道は通じていないが、その近くに林道鍵掛峠線が走り、そこが新しい鍵掛峠と言える(地理院地図)。あまり世に知られていない、楽しい未舗装林道の峠道だった。
 
(2)秋田県の鍵掛峠 車道なし (地理院地図
 白神山地を越える釣瓶落峠の峠道の脇に通じる。
 
(3)山梨県の鍵掛峠 車道なし (地理院地図
 富士五湖の一つ・西湖の北に延び、旧芦川村に通じている。
 
(4)鳥取県の鍵掛峠 県道45号線 (地理院地図
 ここは大山【だいせん】の好展望地として知られる。最も多くの人が訪れる鍵掛峠だろう。

   
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鳥取県の鍵掛峠より望む大山 (撮影 1992.10.12)
(本題に関係なし)

   
   
   

滋賀県側より峠へ

   

<通行止>
 余談ばかりでなかなか本題に進まない。ついついいろんな雑念が入ってしまう。これもまた楽しいのだが。
 
 私の鞍掛峠の印象は下の写真で始まった。国道が通じているのだから何でもない峠道だろうと、滋賀県側から国道306号で峠へとアクセスした。すると、デカデカと電光表示板に通行止の表示が出ているではないか。「大君ヶ畑以遠」が工事により通行止とのこと。場所は県道34号・多賀永源寺線の分岐直前である(地理院地図)。国道脇に「霜ヶ原」というバス停が立つ。住所を調べてみると、多賀町大字霜ヶ原(しもがはら)となるようだ。

   
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国道306号を滋賀県側から峠に向かう (撮影 1993. 3.30)
電光表示板が出てきた
右脇には霜ヶ原バス停が立つ

   
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大君ヶ畑以遠通行止の表示 (撮影 1993. 3.30)

<大君ヶ畑以遠>
 さて、「大君ヶ畑」とは一体どこのことか。ツーリングマップを見てみると、鞍掛峠直前にある集落だった(地理院地図)。これでは峠は越えられない。
 
 それにしても、国道がこんな簡単に通行止となっていいものか。鈴鹿山脈を越える迂回路など、そうありはしない。遥か南に石榑峠があり、その前年に経験済みだが、遠いいし、道は険しいし、今日中に帰宅しなければならないので時間がない。ちょっと北に五僧峠があるようだが、その頃はまだ車道未開通だった。
 
 当時使っていたツーリングマップ(関西 2輪車 1989年7月発行 昭文社)には鞍掛峠の滋賀県側を指し、「トンネルから6Kmは2車線ダート 通行止多い」と出ていた。私が訪れた1993年3月時点でも、まだ舗装工事などが完了していなかったのかもしれない。

   

 ところで、「大君ヶ畑」はどう読むのだろうかと、その時疑問に思った。普通に「おおきみがはた」ではないだろう。それが今回やっと「おじがはた」だと知った。これはなかなか分からない。

   

 この鞍掛峠はその3年後の1996年8月に三重県側から越え、更に2001年5月に今度は滋賀県側から越えた。全線快適な2車線舗装路となっていた。
 
 2001年に訪れた時に道路情報の電光表示板が立つ地点を写しておいた(下の写真)。

   
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前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2001. 5. 5)
電光表示板が立つ位置

   
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道路情報の電光表示板 (撮影 2001. 5. 5)

 道路情報板は「通行注意 R306 この先」とだけ出ていた。県道が分岐する様子などはあまり変わりなさそうだが、よく見ると国道は更に改修て良くなっているようだった。一方、霜ヶ原バス停はなくなっていたらしい。
 
 
<佐目>
 道は大字霜ヶ原から大字佐目【さめ】へと続く。佐目集落を過ぎると佐目トンネルに入る。このトンネルの開通は比較的早く(竣工:1990年8月)、私が訪れるようになった時点では既に存在していた。こうして国道306号は徐々に改修されて行ったようだ。
 
 佐目トンネルで面白いのは信号機があることだ。かと言って交互交通などではなく、りっぱな2車線路である。ただ、トンネルは1Km以上(延長:1052.8m)と長く、途中でちょっとカーブしている。 峠にある鞍掛トンネル(745m)より長い。それで事故発生時などの為に信号機を設けているのかと思った。

   
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佐目トンネル (撮影 2001. 5. 5)

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佐目トンネルの扁額 (撮影 2001. 5. 5)
信号機がある

   

<県道桑名彦根線>
 滋賀県側最終の集落が大君ヶ畑になる。鞍掛峠を越える車道の始まりは、文献(角川日本地名大辞典)によると県道桑名彦根線と呼んだようだ。それが昭和45年(1970年)に現在の国道306号に昇格した。 この大君ヶ畑の地まで自動車道路が開通したのは戦後のことらしい。車道開削に伴い彦根市街方面から大君ヶ畑集落を終点とした定期バスが運行されたとのこと。ただ、鞍掛峠に車道が通じるまではもう暫く待つ必要があった。
 
 ところで大君ヶ畑という難読地名については、また惟喬親王【これたかしんのう】が関係するようだ。詳しいことは理解していないが、古くは「王子ヶ畑」といい、慶長年間(1596年〜1615年)に現在の字に改められたとのこと。
 
<大君ヶ畑集落以降>
 小さな大君ヶ畑集落の中を改修された広い2車線路の国道306号が突っ切って行く。その後も暫く道は犬上川(北谷)沿いを遡る。谷は徐々に深まって行く。

   
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犬上川(北谷)沿いの道 (撮影 2001. 5. 5)
大君ヶ畑集落を過ぎた後

   

<犬上川(北谷)を詰める>
 いよいよ谷が狭まり、国道はついに耐え切れなくなって犬上川(北谷)を渡り、右岸側の斜面に取り付く。一方、左岸側には林道が分岐する(地理院地図)。元の鞍掛峠へはその道筋を遡って行くようだ。林道が途切れた先に徒歩道が峠まで続くらしい。
 
<ゲート箇所>
 右岸に渡った車道の方には直ぐにゲート箇所が待っている(地理院地図)。ここから先は川筋を離れ、本格的な登りが開始される。こうしてゲート箇所が設けられているということは、冬期閉鎖となるのかもしれない。

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ゲート箇所 (撮影 2001. 5. 5)

   
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ヘアピンカーブを曲がった所 (撮影 2001. 5. 5)

<ヘアピンカーブ>
 道は一路、峠とは反対方向に進んで行く。そしてその先の急なヘアピンカーブを曲がって再び峠方向に向きを変える(地理院地図)。ヘアピンカーブからは、それまで遡って来た犬上川(北谷)の下流方向が望めた(下の写真)。
 
 2001年5月に訪れた時も、まだヘアピンカーブ付近の擁壁は新しく、路面の白線などもくっきりしていた。道路改修からまだ日が浅そうに思えた。
 
 改修が行われた鞍掛峠の道は全体的に豪快な道が快走する。その中でもこのヘアピンカーブがそれを象徴するポイントだろう。峠道のクライマックスだ。

   
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ヘアピンカーブより犬上川(北谷)下流方向を望む (撮影 2001. 5. 5)

   

<屈曲>
 道は右岸の中腹を山肌の凹凸に倣いながら屈曲を続ける。眺めも良く最初は楽しめるのだが、同じようなカーブが連続するので、その内飽きて来る。快適な道なので、あまりのんびり走る訳にもいかない。路面にはドリフト走行したようなタイヤ痕も見られる。私の好みとしては、余り近付きたくない峠道ではある。

   
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屈曲の連続 (撮影 2001. 5. 5)

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屈曲の連続 (撮影 2001. 5. 5)
区別がつかない

   
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屈曲の連続 (撮影 2001. 5. 5)
路面にタイヤ痕が残る

   
   
   

鞍掛峠(鞍掛トンネル)

   

<鞍掛トンネル>
 鞍掛峠は北の岐阜・三重・滋賀県境にそびえる三国岳(地理院地図)から南に延びる稜線上の鞍部に位置する。 標高は文献(角川日本地名大辞典)では791mと出ているが、現在の地理院地図では800m前後に読める。鞍掛トンネルはほぼその真下に通じ、坑口標高は三重・滋賀どちら側も約630m前後になる。 滋賀県側は犬上川(北谷)の源頭部に当たるので、坑口の直ぐ脇までその谷がはっきり登って来ている。

   
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滋賀県側の鞍掛トンネル (撮影 2001. 5. 5)

   
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トンネルの扁額 (撮影 2001. 5. 5)

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登山案内の看板 (撮影 2001. 5. 5)

   

<峠の様子>
 坑口周辺は開けていて、谷に沿って広い駐車スペースが設けられている。多くの車が駐車されていることが多い。近くに登山案内の看板が立っていて、駐車場脇から稜線上へと登山道が始まっている。鞍掛峠を経由し、北の三国岳や南の御池岳(地理院地図)へと登山道が通じているようだ。停められた車は、一般観光客もあるだろうが、多くは登山者の物だろう。

   
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滋賀県側の鞍掛トンネルの全景 (撮影 2001. 5. 5)

   
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トンネルを背に滋賀県側を望む (撮影 2001. 5. 5)
1993年頃まではダートだったようだ。

<鞍掛トンネル開通>
 鞍掛トンネルの開通が鞍掛峠に初めて車道が通じた時になる。文献(角川日本地名大辞典)では昭和48年(1973年)に「国道の鞍掛峠にトンネルが貫通」とある。一方、トンネル銘板では竣工が昭和49年(1974年)3月となっているようだ。
 
 こうしたトンネルについては、建設工事中に穴が貫通した時だとか、正規のトンネルとして工事が竣工した時、トンネル前後の道路完成に伴って一連の道路として利用可能な状態になった時、国道や県道などとして一般に供用された時、などなどいろいろなタイミングが考えられる。 我々庶民にとっては、道ができても通行不可では仕方がない。やはり最終的に供用が開始された時が開通時期である。その意味では鞍掛峠の車道開通は1974年以降であろう。

   
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県境看板など (撮影 2001. 5. 5)

   

<ダート時期>
 ツーリングマップのコメントや私の経験からして、鞍掛トンネルが開通した後も滋賀県側にはダート区間が暫く残っていた時期があったようだ。そして、1993年頃まで舗装工事などの改修工事が続けられていたらしい。 立派な舗装路の国道として一般に使われるようになったのはその後となる。一度でもダートの鞍掛峠を走ってみたかった。そうすればまた別の景色が見られたことだろう。

   

<パンク(余談)>
 鞍掛トンネルの坑口付近を散策した後、ジムニーに戻って来ると、確か左後輪だったか、空気圧がかなり減っていた。数日前に郡上八幡城への急坂を登った時も、そのタイヤの空気漏れに気付き、空気を入れ直したばかりだ。 タイヤにこれと言った異常は見られないが、どこかに問題があることに間違いない。明日は高速道路で帰宅しなければならないので、やはりタイヤ交換しておくべきだ。
 
 今なら油圧ジャッキに充電式小型電動コンプレッサー、トルクレンチと便利な道具が揃っている。しかし、当時は手回しの機械式ジャッキに足踏みポンプ、車載の短いレンチなどしかない。 ジムニーのメンテナンスは常日頃できる限り自分でやっていたので、タイヤ交換程度は手慣れたものだ。それでもかなりの手間であることに変わりない。周りの観光客などの目もあてみっともないが、意を決して作業に取り掛かった。
 
 作業が途中まで進んだ時、一人の男性が声を掛けてきた。こんな風光明媚な場所でジャッキアップしてタイヤを外している様子は、やはりちょっと異様に見えるのだろう。 私より少し年配のその男性は、何かトラブルなのか、手伝いましょうかと言ってくれた。単なるパンクで、タイヤ交換は一人で充分できますのでと、丁重にお断りした。
 
 旅先でのトラブルは何にしても不安なことだ。そんな時、人から掛けられる情けは有難いものである。実際には何の助けにならなくても、自分を気遣ってくれていると思うだけで心強く感じる。 それにしても、泥だらけのジムニーを野宿続きでみすぼらしい姿の男がいじくりまわしているところを、よく声を掛ける気になってくれたものだと関心する。

   
   
   

鞍掛トンネルの三重県側

   

<三重県側の峠の様子>
 鞍掛トンネルの三重県側坑口周辺の様子は滋賀県側と意外と似ている。写真をパッと見ただけではどちら側だか分からない時がある。峠は員弁川の支流・河内谷川の源頭部にあり、トンネルに向かって右側にその谷が登って来ている。その傍らに広い駐車スペースがあるのも同じだ。

   
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鞍掛トンネルの三重県側(再掲) (撮影 1996. 8.16)

   
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鞍掛トンネルの三重県側 (撮影 2001. 5. 5)
前の写真とほぼ同じ場所

   

<登山者の車>
 三重県側にも意外と多くの車が停められている。峠からの景色がいいので中にはそれを眺める為に立寄る者もいるだろう。しかし、大多数が登山者の車だと思う。

   
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トンネルを背に三重県側を望む (撮影 2001. 5. 5)

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県境の看板など (撮影 2001. 5. 5)
この時はまだいなべ市になる前の藤原町

   

<鞍掛峠の看板>
 このトンネルの峠は本来の峠とは異なるが、その元の鞍掛峠について解説した看板が三重県側の道路脇に立つ。
 
 文献(角川日本地名大辞典)の鞍掛峠の項には、標高が791mであること、伊勢からの多賀神社参詣の近道としてにぎわったこと、惟喬親王に関わる峠名のいわれ、古くは竜華(りゆうげ)越え(看板では竜華峠)とも呼んだこと、などが記されていた。 ほぼ、看板の内容と同じである。この看板がトンネル開通当初からあったとすれば、文献(トンネル開通を記している)の筆者もこの解説を参考にしていたかもしれない。

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鞍掛峠の看板 (撮影 1996. 8.16)

   
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鞍掛峠の看板 (撮影 1996. 8.16)

   

<トンネルの標高>
 看板では鞍掛トンネルについて長さ745m、標高625mとある。標高は看板が立つ三重県側についてだろうか。滋賀県側では地理院地図に624.0mとあり(地理院地図)、これがトンネル標高かもしれない。
 
<胸突八丁(余談)>
 ところで、「胸突(き)八丁」という言葉は険しい峠道などでよく使われる。八丁峠と呼ぶ峠もあるくらいだ(地理院地図)。一般には富士山の頂上付近の八丁の距離(約872m)が険しいことから、そう呼ばれたそうだ。
 
<丁>
 尚、長さの単位「丁」は「町」とも書く。時代によりその大きさはやや異なるが、1891年以降では109.09mなのだそうだ。近代化を推し進める明治政府がそう統一したのだろう。畳の長辺の長さ1間が約1.818mで、60間が1丁だから、1丁は約109.1mとなる。
 
 最近、新居を建築すべく間取の設計をしているが、1間を1.82mで換算している。この時代になっても1間や1尺、1寸といった単位で設計するのもおかしな話だが、人(日本人)を基準に物の大きさを考える場合、この長さの単位はなかなか便利である。1間は人一人がほぼ横になれる長さである。「立って(起きて)半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」などということわざを思い出す。私の好きな言葉だ。

   
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三重県側より峠方向を望む (撮影 2001. 5. 5)
残念ながら本来の鞍掛峠には行ったことがない

<五十丁>
 看板には山口冷川と大君ヶ畑まで50丁とある。50丁は約5.5Kmに相当する。尚、山口の冷川【ひえかわ】については、員弁川の支流・冷川に冷川橋が架かる近辺(地理院地図)の地名だろう。多分、国道365号との接続点付近ではないだろうか。
 
 しかし、鞍掛トンネルからそこまでは6.5Km以上はありそうだ。同様に大君ヶ畑までも5.5Kmでは届かない。どうやら看板が記す「五十丁」とは昔の峠道の距離かと思う。 新規に開削される車道はどうしても屈曲が多く、元の峠道より道程が長くなる。昔は峠から山口冷川や大君ヶ畑までは約5.5Km(50丁)で歩けたのだろう。

   
   
   

峠から三重県側に下る

   

<峠の三重県側>
 鞍掛峠の三重県側の道は、比較的早い時期から車道の開削が進み、最初から快適な2車線の舗装路だけを目にしてきた。よって険しいという印象を持ったことがない。それもあってか、殆ど写真を撮って置かなかった。 あまり記憶に残ることもない。次の機会には味わいながらじっくり越えようと思って、結局果たせず仕舞いになった。
 
 地理院地図を眺めて見ると、河内谷川の谷が峠直前まで比較的真っ直ぐ伸びて来ている。元の峠道がその川沿いに通じていたら、峠の様子が良く見通せたかもしれない。 「鞍掛」の由来が峰の鞍部に関係するなら、鞍掛峠の名の起こりは三重県(伊勢国)側にあったのではないかと想像する。

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三重県側の眺め (撮影 2001. 5. 5)

   

<藤原町>
 鞍掛峠の三重県側は旧員弁郡藤原町になる。昭和30年(1955年)4月に東藤原村、西藤原村、立田村、白瀬【しろせ】村、中里村の5か村が合併して藤原村が誕生、更に昭和42年(1967年)4月に町制施行して藤原町となったそうだ。 峠の藤原町側はまずは本郷の飛地になるらしい。藤原村の大字になる直前は白瀬村の大字本郷だった。本郷を過ぎると山口に入る。山口も元は白瀬村だったそうだ。
 
 旧藤原町(現いなべ市)は員弁川源流の地で、中世より近江と北勢地域とを結ぶ険阻な山越えの難路が通じていた。それが今回の鞍掛峠越えになる。峠は近江と伊勢の国境になり、伊勢からは多賀大社へ、近江からは伊勢神宮へと参詣する道でもあった。
 
 現在の国道沿いには人家などの建物はほとんど見られず、ただただ立派な車道が快走する。トンネルから7Kmに満たない道程は、車なら10数分で山口集落に至る。これでは何の印象も持ち難い。
 
 国道306号も員弁川沿いの国道365号も増々改修され、その交点付近は古いツーリングマップとは全く異なってしまった。伊勢参りなどで賑わったかつての街の姿はどこにも見られない。ただ、国道306号の旧道の方に古い道標が残るそうだ(地理院地図)。せめてそれでも見ておきたかった。

   
   
   

<おわりに(余談)>
 これでとにかく鞍掛峠の掲載が済んだ。最後に越えてから四半世紀近く経ち、何か思い出すかとも期待したが、峠道の様子などについてはこれといって頭に浮かんで来るものがなかった。立派な快走2車線路の国道ではこれも仕方ない。 ただ、舗装工事による通行止に遭い、鈴鹿山脈を越えるのにかなりの迂回を強いられたり、人で賑わう峠でジムニーのパンク修理をせざるをえなかったりと、そんなことばかりよく記憶している。旅先での苦労はいつまでも忘れないものだと思う、鞍掛峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1993. 3.30 滋賀県側よりアクセスするも大君ヶ畑以遠で行止/ジムニーにて
・1996. 8.16 三重県→鞍掛トンネル→滋賀県/ジムニーにて
・2001. 5. 5 滋賀県→鞍掛トンネル→三重県/ジムニーにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 25 滋賀県 昭和54年 4月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名体系 24巻 三重県の地名 1983.5.20 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名体系 25巻 滋賀県の地名 1991.2.20 初版第一刷 (株)平凡社
・いなべ市のホームページ
・その他の道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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