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序 |
仁科峠は伊豆半島では馴染みの峠だ。6回程訪れている。
天城峠(新旧の天城トンネル)などよりも多く、伊豆半島の中では一番越えた回数が多いだろう。
しかし、道路地図を眺める度、いつもシックリ来ない峠でもあるのだ。 仁科峠を越えるのは県道(主要地方道)59号・伊東西伊豆線だが、 伊豆市(旧天城湯ヶ島町)湯ヶ島から狩野川(かのがわ)の支流・猫越川(ねっこがわ)沿いに登り、 途中から支流の持越川(もちこしがわ)沿いに移り、一端風早峠(かざはや)で稜線に取り付く。 そこから稜線近くを南に進んで、仁科峠で伊豆市から旧賀茂村(現西伊豆町)に入る。 そしてそのまま下るかと思いきや、旧賀茂村から更に旧西伊豆町に入り、三階川沿いからその本流である仁科川沿いへと移って、 西伊豆町の仁科市街へと下る。 何だか峠道としては非常に変則的で分かり難い。 地図を眺めているとどうにも気持ちがスッキリしない峠道なのである。 |
<地形図(参考)> 国土地理院の地形図にリンクします。 (上の地図は、マウスによる拡大縮小、移動ができます) |
<猫越峠> このように仁科峠の道が、通常の峠道が通るコースと異なっているのは、どうやらこの峰に車道を通す為だったらしいのだ。 そもそも、仁科峠の前身とも言える峠があった。仁科峠の南東約2.5kmに位置する猫越峠(ねっことうげ)である。 天城峠の方から連なる天城山脈の主脈から分かれ、猫越火山から西伊豆山地へと続く稜線上にある。 旧天城湯ヶ島町大字湯ヶ島と旧西伊豆町大字大沢里(おおそうり)の境となる。 猫越川の上流部であり、かつ仁科川の上流部に位置する。これぞまさしく常道の峠道だ。 「猫越」(ねっこ)の名は伊豆市側に流れ下る猫越川沿いにある小さな集落「猫越」から来ているようだ。 「根子」とか「猫児」、「猫息」などとも書いたとのこと。 必ずしも「越」の字を使った訳ではないので、直接峠に関わる名ではないと思う。 猫越峠の命名は旧天城湯ヶ島町側にある地名を使った訳だが、 もし旧西伊豆町側の「仁科」の地名を使えば、こちらこそ本家本元の「仁科峠」と呼ばれていたかもしれない。 かつて猫越峠は、伊豆半島中央部の狩野川水系上流部にある湯ヶ島と、 伊豆西海岸に面する仁科(西伊豆町)や松崎(松崎町)を結ぶ重要な交通路だったそうだ。 天城峠がやはり湯ヶ島と伊豆東海岸の下田や河津(かわづ)を結ぶ要路である。 同じ狩野川水系の内陸部と半島の沿岸部を結ぶ峠道として、猫越峠は天城峠に次ぐくらいの重要性があったのかもしれない。 ただ、猫越峠は険しかった。 あの天城峠の標高が820m〜830mであるのに対し、猫越峠は960m〜970m(文献では960m)である。 猫越川上流部の地形も急峻で険しそうだ。 峠の北約1kmにそびえる猫越岳(ねっこだけ、1,035m)を最高峰とする猫越火山の中に位置することも関係すのではないだろうか。 天城峠にはトンネル(天城山隧道)が開通したが、猫越峠に車道が通じることはなかった。 代わって車道が通じたのがこの仁科峠ということらしい。 元の猫越峠と同じく、仁科峠を越える県道59号は湯ヶ島と仁科を結んでいる。 よって、仁科川の上流部に位置しなくとも、名前は仁科峠である。 元々そこには別の名の何かしらの峠道が通じていたかもしれない。 仁科峠と呼ばれるのは峠に車道が通じてからの名であろう。 当然ながらこの仁科峠の出現以降、猫越峠は寂れていったそうだ。 |
<所在> 仁科峠は旧天城湯ヶ島町(現伊豆市)大字湯ヶ島と旧賀茂村(現西伊豆町)大字宇久須(うぐす)の境となる。 峠から旧賀茂村側には宇久須川(うぐすがわ)が流れ下り、西海岸中央部に位置する宇久須港で駿河湾に注いでいる。 仁科峠は持越川(狩野川水系)と宇久須川の分水界に当たる。 この立地条件からは、やはり仁科峠という名はそぐわない。 <県道410号> 仁科峠を旧賀茂村側に少し入った所から、県道59号に分かれて県道410号・仁科峠宇久須線が宇久須川沿いに下り、 海岸沿いの旧賀茂村市街へと通じている。 どちらかというと、この県道410号の方が仁科峠の峠道らしい存在だ。 この道は仁科峠が主要地方道になった時にも、まだ神田林道と呼ばれる林道でしかなかった。 神田(じんで)とは大字宇久須内の地名である。 あくまで仁科峠は仁科へと連絡することが主眼で開削された峠だったようである。 <標高> 元祖の猫越峠より低いと言えども、仁科峠の標高は地形図の等高線で890m〜900mある。 文献などでは切が良く「900m」と記しているのを見掛ける。 天城山隧道が720m前後である。 風早峠から北に連なる西伊豆山地を越える車道の峠では戸田峠(へだ)が高く、それでも720mだ。 仁科峠は頭一つ出ている。 正確に調べた訳ではないが、伊豆半島の中の車道の峠として、この仁科峠は一番高い峠であろう。 |
西伊豆町側の県道59号 |
<県道59号> 実は、県道59号に関してあまり記憶がないし、掲載できそうな写真もない。 ほとんど印象に残るものがないのだった。 |
![]() 県道59号を峠方向に見る 右は白川地区へ |
<出合分岐> 西伊豆町の仁科側から峠を目指すと、途中目ぼしい分岐は皆無に等しい。 ただ一箇所、分岐らしい分岐がある。 大字大沢里(おおそうり)の祢宜(ノ)畑(ねぎのはた)地区の出合という場所だ。大沢里の 白川地区へと続く道が右に分かれる。 その道は白川集落を過ぎた先、諸坪峠(しょつぼ)へと向かうが、 途中で一般車両通行止である。 県道59号沿いから別の地へと抜けられる道はほとんどない。 |
![]() 出合の分岐にあった看板 (撮影 2003. 7.27) 滝見林道が記されている (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
![]() 白川集落方向に見る ここは諸坪峠への入口でもある |
県道410号から峠へ |
県道59号に比べると、かえって県道410号の方が走り良い。それに本来の峠道らしい道だ。
旧賀茂村市街を通る国道136号から分かれて県道410号に入ると、もう眼前に仁科峠が通じる峰が望める。
峠付近を源流とする宇久須川は、西伊豆で一般的な短小・急流の河川だそうで、
峰から一気に流れ下って来ているのだろう。 |
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![]() 看板には「西天城高原、牧場の家 8km」とある |
県道410号は最初こそ立派な道だが、途中から道幅が一挙に半減する。
間もなく人家も途切れ、道は林の中に入って行く。暫くは
視界がない屈曲した急坂が続く。
県道看板の地名は「賀茂村神田」とあった(2003年7月現在)。
神田(じんで)は宇久須川上流部の地名だ。 |
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![]() この時はまだ賀茂村(現西伊豆町) |
途中、宇久須川に流れ落ちる夫婦滝があったと思う(下の写真)。
それ以外、これと言って見るべきものが見当たらない。 |
![]() ちょっと立ち寄る 見どころはこれくらいで、他に立ち寄る所は少ない |
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視界が広がる |
<仁科峠の特徴> 仁科峠を越える県道59号はあまり峠道らしくなく、峠自身にも味わいなどは感じられない。 しかし、この峠には最大の特徴があった。 その展望の良さだ。 標高が高い上に、峠の周辺は高原状になっていて、視界が広がるのだ。 特に伊豆西海岸に面しているので、駿河湾方面の眺めが素晴らしい。 中腹部の林の中を抜けると、早くも麓方向に視界が広がった(下の写真)。宇久須港に面した旧賀茂村の市街地が望める。 |
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<西天城宇久須高原> 更に登ると、広々とした草原に差し掛かる。看板には「西天城宇久須高原」とあった。途中の案内看板に「西天城高原 牧場の家」と出ていた所だろう。駿河湾に面した宇久須の港が更にはっきり見渡せた。 |
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<峠を望む> 蛇行する道の左手上方を望むと、稜線の上に看板が2箇所立っているのが見える(右の写真)。 そこが仁科峠だ。 看板は市町村境を示す看板である。 |
![]() 市町村境を示す看板が2本立っている |
高原を見渡す |
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<高原を見渡す> 県道410号が県道59号に接続する直前、沿道に駐車場があり、そこから麓方向に西天城の高原が見渡せる。 夏の季節には草原に牛が放牧され、のんびり草を食んでいる姿が見られる。 これも仁科峠の眺めの良さの一つだ。 しかし、峠道の本線である県道59号だけを走っていては、この眺めは広がらない。この点からしても やはり県道410号の方がより峠道らしい。 |
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![]() 上とほぼ同じ場所(冬の頃) |
![]() 上とほぼ同じ場所(冬の頃) |
県道59号へ接続 |
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県道410号が左にヘアピンカーブを描く途中に県道59号が右から接続している。
仁科の方から登って来る県道59号の方が一旦停止なのである。カーブの途
中から県道410号から県道59号に変わっているのだが、ちょっと気付き難い。
この道の続き具合からしても、峠の西側の峠道は、やはり県道410号の方が似つかわしい。 |
![]() 左が県道410号、右が県道59号を峠へ 手前が県道59号を仁科へ |
![]() 峠方向を見る |
今の西伊豆町側から峠を目指すなら、県道410号の方が容易かもしれない。
県道59号に比べて格段に距離が短いし、険しさも少ない。
仁科の方から直接県道59号を登らず、一旦国道136号で沿岸沿いを宇久須に出て、
そこから県道410号を使った方が、結局時間的にもあまり大差ないかもしれない。 それに県道59号が通行止になることもあった。2003年に訪れた時は全面通行止になっていて、上記のコースを辿らざるを得なかった。 県道410号沿いは眺望もいいし、悪い迂回路ではない。 |
![]() この時県道59号は通行止 |
峠 |
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県道410号が県道59号に接続してから道は北へと向かう。
周囲は草原状に開け、伊豆半島に通じる道でこれ程雄大な道も少ない。
猫越岳から南北に連なる西伊豆山地へと続く稜線はもう直ぐ目の前だ。
二車線路の快適な道を1km程進むと、市町村の境を示す看板が立っている。
道はなだらかな稜線の峰を鋭角に通過しているので、その看板がないとあまり峠とは気が付き難い。
その点、峠自身としての味わいは感じられない。 |
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<峠の看板> 最近は仁科峠を訪れていないが、今では看板に書かれた地名は「伊豆市」と「西伊豆町」になっていることだろう。私の記憶にあるのは「天城湯ヶ島町」と「賀 茂村」である。それぞれの看板の裏側には、「仁科峠」と書かれていた。こうした市町村境を示す看板に、峠名も書かれているのは珍しいことと思う。 何とはなしに2001年と2003年に訪れた時の写真を見比べていると、看板にちょっとした違いがあった。旧賀茂村側から峠を見ると、以前は右手前の看 板に「仁科峠」と書かれ、左手奥に「天城湯ヶ島町」とあった(下の写真)。それが数年後の2003年には位置が逆で、右が「天城湯ヶ島町」、左が「仁科 峠」と変わっていた。 |
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旧天城湯ヶ島町側から見た看板も左右が逆になっていた(下の写真)。それはともかく、「仁科峠」の字体が面白い。一般の看板ではゴシック体のような味気ない文字が使われるが、この「仁科峠」はちょっと変わった字体を使っていた。 |
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<西伊豆町側の眺め> 峠の西伊豆町側は稜線の西に面しているので、伊豆西海岸方向に広い眺望がある。 眼下には宇久須港も確認できる。峠の頂上から麓の海岸沿いまで見通せることも珍しい。 ただ、見えているのは宇久須川の河口であり、仁科川の河口ではない。 |
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![]() 宇久須港が望める |
![]() 峠方向に見る |
<峠の伊豆市側> 伊豆市側から見る峠も、快適な二車線路が真っ直ぐに通じているだけで、あまり峠らしくは見えない(下の写真)。 |
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<伊豆市側の眺め> 峠の伊豆市側は東の内陸方向に開けるので、見渡す限り山ばかりだ(下の写真)。 周囲に高い林はなく、見通しはすこぶる良い。仁科峠から稜線近くを1km程北の風早峠に至る県道59号は、まさしくスカイラインの道で、風光明媚な観光道路の雰囲気である。 |
![]() 風早峠方向に見る |
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<峠の石柱など> 快適な道を走って来ると、そこが峠と気付かずに通り過ぎそうな仁科峠であるが、道路脇には大きな峠の石柱が立っていて、その石碑の表にはしっかり「仁科 峠」と刻まれている。建之日などは調べていないが、多分この峠に車道が通じてからのものだろう。ただ、車道開通当時から現在のような幅の広い二車線路で あったとは考えられず、その後の道路改修によって移設されている可能性は高い。 |
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![]() 案内看板 (撮影 2001. 1. 5) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
![]() これも伊豆山稜線歩道の一部か? 伊豆西海岸の眺めが広がりそうな道だ |
仁科峠付近は小高い丘が隆起し、その緑の草原に覆われた稜線の上に思わず駆け上がりたくなるような衝動に駆られる程爽快である。
多分稜線上は360度の展望が得られるであろう。
伊豆山の稜線を踏破するのは難しくとも、仁科峠周辺をちょっと散策すれば、その気分の一端を味わえられる。
季節や天候が良ければ、遠く富士も望める(下の写真)。
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峠より伊豆市側に下る |
<風早峠まで> 仁科峠の900mから風早峠の770m〜780mまで、現在は快適な道が悠然と下る。道は稜線のやや東側に通じ、中伊豆方面に景色が広がる。 <放牧場の中の道> 仁科峠の直ぐ東側には天城放牧場が広がるが、風早峠を経由せずにそちらに下った方が峠道としては近道である。 実際、放牧場内に通じる細い車道もある。 そちらが仁科峠の旧道であった可能性も考えられる。 |
![]() 仁科峠から風早峠へと向かう道 |
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<県道411号> 現在、風早峠から土肥峠(船原峠)まで県道411号・西天城高原線が通じているが、1990年代くらいまではその稜線上に車道は繋がっていなかった。県道59号が風早峠か らそのまま湯ヶ島へと下っていた。今の県道411号は快適なスカイラインだが、一方、湯ヶ島に下る県道59号は狭く見通しもない道だ。観光客の車は皆県道411号の方に向くようだ。 |
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<風早峠> 風早峠は旧天城湯ヶ島町と旧賀茂村との境にあり、旧天城湯ヶ島町側からは持越川沿いに県道59号が登って来ている。しかし、旧賀茂村側の宇久須川沿いへ と下る車道はない。地形図にも点線さえ記されていない。古人が越えたであろうこの風早峠も、今は立派な県道59号と県道411号との交差点でしかなく、峠 道の体裁は成していない。車で通り過ぎるだけでは、そこが峠とは気付かないだろう。 それでも、峠からは西の旧賀茂村側には眺めが広がる。 尚、仁科峠にあった「伊豆山稜線歩道」の案内図には、「風早峠」の近くに「宇久須峠」という峠も記されてあった。風早峠より一つ北側の鞍部がその宇久須峠だろうか。距 離で300mと離れていない。どちらも湯ヶ島と宇久須を繋ぐ峠道だったのだろうが、今ではそれらの古道の痕跡もうかがえない。 ついでながら、国道136号が越える土肥峠は船原峠とも呼ばれるが、前記の案内図には風早峠の直ぐ北側、南無妙峠(なむみょう)の手前にも 同じ「土肥」という名の峠が記されている。こちらと区別する為にも、国道136号には「船原峠」の別称があるのだろうか。どちろも旧天城湯ヶ島町と土肥町との境の峠となる。 |
![]() 風早峠に立っていた案内看板 (撮影 1991.11. 4) (上の画像をクリックすると地図の拡大画像が表示されます) (画像は不鮮明です) |
![]() 案内看板の説明文 (撮影 1991.11. 4) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
風早峠より湯ヶ島へ下る |
<伊豆市側の県道59号> 風早峠から下る県道59号は、暫くは快適な二車線路だが、旧道と思われる天城放牧場からの道を合する付近からは1.5車線幅の道に変わる。 林の中で見晴らしはない。 そんな道は麓の湯ヶ島で狩野川沿いに通じる国道414号に接続するまでほぼ続いている。 <猫越林道> こちら側の県道59号にも、湯ヶ島に降り立つまで途中にめぼし分岐がない。 ただ、猫越林道という林道が一本分かれる。 猫越岳の東側山腹を巻いて、猫越川上流部を過ぎてから猫越集落へと下り、再び県道に合流しいる。 仁科峠の前身とも言える猫越峠に肉薄する林道である。 しかし、今はゲートで塞がれているようだ。 |
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![]() 猫越林道入り口 (撮影 1994. 4. 4) |
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猫越林道途中より眺める猫越川の谷は険しい。やはりこの谷を直登する車道の開削は困難だったのだろう。
林道の猫越峠直下には、峠に登る山道が分岐している。
案内看板には「至 猫越峠1.50km」とあった(右の写真)。
それが猫越峠を越える古い峠道であろう。
一方、そこより麓側の古道が分からない。
猫越林道の一部を通っていたのだろうか。
しかし、林道は猫越川には直接下らず、大きく迂回して麓の猫越集落へと至る。
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![]() 左へ猫越峠への登り口 (撮影 1994. 4. 4) 右手に案内看板が立つ |
![]() 猫越峠方向に見る この後で猫越集落に入る |
![]() 猫越集落入り口 (撮影 1991.11. 4) 県道59号からの分岐点 |
湯ヶ島 |
![]() 世古橋付近にあった湯ヶ島の案内看板 (撮影 2007. 3. 4) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
県道59号は湯ヶ島の集落内に入ってからも狭いまま、屈曲しながら国道414号へと向かう。
途中、猫越川沿いから西平橋(にしびら)で狩野川右岸へ渡る。
その橋の袂に道路情報の看板が立つ。
冬場は「路面凍結 ここから仁科峠」などと書かれている(下の写真)。
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![]() 西平橋より狩野川を上流方向に見る (撮影 2007. 3. 4) |
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![]() 峠方向に見る 左手に「湯本館」の看板が掛かる |
県道59号は狭いが、その分、沿道にも温泉情緒が感じられる。
できれば一泊し、「湯道」と呼ばれる路地裏の道を散策すると楽しい。
<国道に接続> 県道59号は主要地方道だが、国道414号からの分岐は寂しいものだ。 国道沿いに小さな看板が掛かっているだけで、うっかりすると見過ごしてしまいそうである(下の写真)。 ここで仁科峠の峠道も寂しく終わりとなる。 |
![]() 国道上を天城峠方向に見る 横断歩道の手前を右に入る |
![]() 国道414号からの県道59号分岐 (撮影 2015. 1.21) 国道上を修善寺方向に見る 分岐を示す青い看板が掛かる |
<出会い橋(余談)> 天城峠から流れ下る狩野川本流は本谷川と呼ばれ、猫越峠から流れ下って来た支流の猫越川と合流してからは狩野川と名前を変える。 その2つの川が合わさる直前、本谷川には男橋、猫越川には女橋という歩道の橋が架かっている。 これらには「出会い橋」という名が付けられている。 のんびりと歩ける散策路の一部になっている。 |
![]() 「出会い橋」の案内看板 (撮影 2007. 3. 4) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
![]() 女橋から猫越川上流方向を見る (撮影 2007. 3. 4) この川の源流部に猫越峠や仁科峠、風早峠が位置する |
狩野川水系から伊豆半島の沿岸へと越える峠は、やはり何と言っても天城峠が一番だが、
狩野川本流(本谷川)に肩を並べる猫越川の上流部で越える仁科峠も、それなりのものである。
修善寺方面から狩野川沿いを遡って来た者は、湯ヶ島から先、天城峠を越えるか仁科峠を越えるかの二者択一を迫られる。
一般の観光客や輸送トラックは、もちろん天城峠(トンネル)を目指し、県道59号の分岐などは見向きもしない。
しかし私の場合、天城峠より仁科峠を越えた回数の方が多いのだった。 |
![]() この先で右から本谷川が合流する |
![]() 男橋から本谷川下流方向を見る (撮影 2007. 3. 4) この先で左より猫越川が合流し、その後は狩野川となる |
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仁科峠のことはよく知っている積りだったが、考えてみると峠道の途中の様子などはほとんど覚えていない。
林の中の視界がない区間が長く、沿線にあまり記憶に残るものが少なかったのかもしれない。
猫越峠林道などの途中で分岐する林道ばかりを気にしていたような気がする。
峠の標柱の建之日も調べておかなかったので、峠の開通時期も分からず仕舞いだ。
それより何より、もしかしたら旧仁科峠があったかもしれないのである。今回の掲載でこの峠についても区切りが付くかと思ったが、
いつまでもシックリいかない、仁科峠であった。 |
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<走行日> (1990前後 旧西伊豆町 → 峠 → 旧天城湯ヶ島町) ・1991.11. 3 旧天城湯ヶ島町 → 峠 → 旧西伊豆町 ジムニーにて ・1991.11. 4 旧西伊豆町 → 峠 → 風早峠へ ジムニーにて ・1994. 4. 4 旧天城湯ヶ島町 → 峠 → 旧西伊豆町 ジムニーにて ・2001. 1. 5 旧賀茂村 → 峠 → 旧天城湯ヶ島町 ミラージュにて ・2003. 7.27 旧賀茂村 → 峠 → 旧天城湯ヶ島町 キャミにて <参考資料> ・角川日本地名大辞典 22 静岡県 昭和57年10月 8日発行 角川書店(及びオンライン版/JLogos) ・県別マップル道路地図 22 静岡県 2006年 2版20刷発行 昭文社 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
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