ホームページ★ 峠と旅
安楽越
  あんらくごえ  (峠と旅 No.237)
  長大な鈴鹿トンネルの真上で、鈴鹿山脈を静かに越える峠道
  (掲載 2015. 6. 8  最終峠走行 2001. 5. 3)
   
   
   
安楽越 (撮影 2001. 5. 3)
手前は三重県亀山市安坂山町(あさかやまちょう)
奥は滋賀県甲賀市(こうかし)土山町山女原(つちやまちょう あけびはら)
道は林道安楽越線
峠の標高は490m〜500m (地形図の等高線より)
峠は深い切通し
そこに車が一台停車中、そばに発電機が置かれていた
   
   
   
<前置き(余談)>
 前回、武平峠を掲載 し、同じ鈴鹿山脈を越えるこの安楽越のことをついでに思い出した。 ほんのちょっとした峠なので、この機に掲載しておかないと、再び思い出すことがないかもしれない。 訪れたのは、もう14年も前になる。写真も当時のものしかない。 しかし、もう二度と越えることもなさそうなので、以前はこんな峠道だったということをここに記すばかりだ。
 
 この峠については自分自身で越える前に、人からその存在を教えられていた。 当時、メールで頂いた峠に関する情報を「峠情報」として、ホームページの一部に掲載させてもらっていた。 そんなメールの中に安楽越について詳しくレポートして下さる方がいた。 そこで、峠情報番外編「安楽越」レポート(掲載 2000. 4.19)という形での掲載となった。
 
 安楽越を越えたのは、それから丁度1年後である。 多分、その峠情報のことを覚えていて、ちょっと立ち寄ってみようかと思ったようだ。 縮尺12万分の1のツーリングマップルでは、僅かに5cm程度の峠道である。 何の予備知識もなければ、わざわざそちらに足を向けることはなかったかと思う。
 
 実は、googleでちょっと「安楽越」を検索していて、前述の安楽越の峠情報を見付けた。 何と、自分のホームページだったので、びっくりしたのだった。 そんなことがあったのをすっかり忘れていたのだ。 ホームページ「峠と旅」の掲載を始めたのはもう18年の前になる。 途中、家族のことで忙しくなり、ほとんど凍結状態に陥ってしまった。 それが数年前から少し落ち着いたので、また細々と続けることとしている。 もう、メールでのやり取りも滅多にない。 以前はいろいろ峠情報を頂いて、今思うと非常に価値あるものだった。 最近は、もっと他の形の情報交換手段(ブログ?とか)が発達し、便利になっている。 もう、個人の趣味でホームページを出している時代ではないような気がするが・・・。
   
<所在>
 鈴鹿山脈と言えば東海道の鈴鹿峠が古くからの官道で、安楽越はその脇道(間道)となる。 鈴鹿峠の4、5km北に位置する。 今はその丁度真下を新名神高速道路の鈴鹿トンネルが貫通している。 峠の東側は三重県亀山市安坂山町(あさかやまちょう)、西側は滋賀県甲賀市(こうかし)土山町山女原(つちやまちょう あけびはら)、 旧甲賀郡(こうかぐん)土山町の大字山女原である。
 
<峠名>
 亀山市安坂山町の中に安楽という集落がある。 安楽川という川も流れる。 安楽寺という寺もある。 安楽越えなどというと、楽に越えられる峠だから付けられた名かとも思われるが、やはり地名から命名されたのだろう。 尚、峠のことは安楽峠とも呼び、安楽越(え)と言った場合、峠そのものより峠道全体を指すことがあるようだ。 ついでながら、連想で極楽峠の名を思い出したが、何の関係もないのであった。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができます)
   
   
滋賀県甲賀市側より峠へ
   
<笹路川>
 安楽越は、滋賀県側では笹路川(そそろがわ)の上流部に位置する。笹路川は田村川の支流で、更に田村川は野洲川(やすがわ)の支流に当たる。 野洲川は淀川水系である。琵琶湖に注ぐ川だ。
 
 野洲川の源流は武平峠、田村川は鈴鹿市小岐須町(おぎすちょう)との境に源を発するが、多分小岐須越という峠道があったのだろう。 川の順番からいうと、安楽越は小岐須峠越より格下ということになる。標高も低い。
 
<県道187号>
 笹路川沿いには県道187号・黒川山中線が通じる。甲賀市土山町黒川から国道1号の山中交差点を繋いでいる。
   
県道187号を南に見る (撮影 2001. 5. 3)
直進は国道1号へ
左に山女原への分岐
左手に笹路川が流れる
   
<山女原への分岐>
 安楽越への道は、その県道途中の土山町笹路から「山女原」(あけびはら)の看板に従い分岐する。
 
 この場合の「山女」とは、樹木の「アケビ」を指すようだ。同じ「山女」(山女魚とも)と書いて、川魚の「ヤマメ」と読むことは知っていたが、 「アケビ」のことを示すとは初めて知った。どう見たって「山女」をアケビとは読めない。
 
 「山女原」への道に入ると、直ぐに笹路川に架かる一本の橋を渡り、道は峠のある東へと進路を取る。

分岐に立つ看板 (撮影 2001. 5. 3)
   

山女原に向かう道沿い (撮影 2001. 5. 3)
水を張った棚田を望む
 笹路川は半円を描いて南を大きく迂回して流れて来ている。 そこを道はショ−トカットし、小さな丘を一つ越える。 坂道の沿道には棚田が広がる。
 
<新名神高速道路>
 10数年前、この笹路の地に大きな変化が起きた。 新名神高速道路が鈴鹿山脈を鈴鹿トンネルで貫通して通ったのだ。 2001年に訪れた時は、正に建設工事中であった(下の写真)。 静かな田園に巨大な構造物が出現しようとしていた。
   
棚田とは反対側の道沿い (撮影 2001. 5. 3)
工事中の新名神高速道路
   
<鈴鹿トンネル>
 地図を見ると、新名神高速道路の鈴鹿トンネルは丁度、安楽越の真下に通じている。 鈴鹿トンネルという名は、国道1号の鈴鹿峠にも新旧2つある。 どうせなら、こちら「は安楽トンネ」ルとでも名付けてもらいたかった。 しかし、安楽トンネルではあまり立派な感じはしない。 やはり鈴鹿山脈を抜ける長大なトンネルとして、「鈴鹿」の名を冠したかったのだろう。 この鈴鹿トンネルの延長は4,000m前後(上りと下りで少し長さが違う)だそうで、鈴鹿山脈の中では最長かと思ったら、 先に完成している石槫トンネルの方がやや長く、4,157mであった。
   
<山女原集落へ>
 道は小さな峠越えをした後、再び笹路川の右岸沿いになる。 他にずっと笹路川沿いを遡って来る細い道もあるようだが、センターラインが引かれた2車線路であるこちらが本線と言える。 県道187号沿いの笹路集落とこの先にある山女原集落を結ぶには、最短路でもある。
 
 県道を分かれてからの道は、交通量が少ない。 山女原集落の住民や付近の耕作地に関係する者以外、ほとんど通らないのではないだろうか。 安楽越で三重県の亀山市に通じる道とはいえ、峠を越えているのは寂しい林道である。 「安楽」と呼ばれながらも、通行止となることもままあるようだ。 峠越えを常用とする者はまず居ないことだろう。

山女原集落への分岐 (撮影 2001. 5. 3)
   

分岐の看板 (撮影 2001. 5. 3)
<集落への分岐>
 笹路川沿いを2、3kmも遡ると、道は左岸に渡り、直ぐにY字の分岐が出て来る(上の写真)。 左が峠へと続く本線で、青看板(左の写真)には「亀山市(安楽越)」とある。 一方、右に分岐する道には「山女原」とあり、山女原の集落内へと入って行くことを示している。
 
<道標>
 分岐の角には小さな石像に並んで道標が立っていた(下の写真)。 左の道に向かって「安楽越 2Km」と案内をしている。 安楽越の道は東海自然歩道の一部になっていて、その案内であろうか。 車にとって峠まで2Kmはもう至近である。
   

分岐の様子 (撮影 2001. 5. 3)
Y字路の角に石像と道標

「安楽越2km」の道案内 (撮影 2001. 5. 3)
   
<集落をバイパス>
 分岐の先、道は集落の中心地を避け、北側のヘリをバイパスするように通じている。 道幅は広い。 一方、集落内には狭い道が入り組んでいるようだ。
 
 現在、このバイパス路が峠道の本線であるが、古くからの峠道としては、必ずしもこの道筋が本道だったかどうかは疑問が残る。 車道開削時に人家が密集する部分を避け、道の拡幅が可能な集落の郊外にこの幹線路を設けたとも考えられる。 往時、安楽越を歩いて旅した者達は、集落内の曲がりくねった路地のような細い道を、沿道の人家などを眺めながら通ったのかもしれない。
   
   
山女原以降
   
<集落以降>
 集落内に通じていた幾筋かの細い道を合わせながら道は進み、山女原最終の人家を過ぎると、遂に道は一本に集約される(下の写真)。
   
山女原集落を過ぎた先 (撮影 2001. 5. 3)
集落方向を振り返る
   
 路肩には歩行者・地元車両優先の看板が立つ。 畑や田んぼに向かう住民やトラクターなども通るのだろうか。 時には東海自然歩道を探訪する者も歩くことだろう。
 
 前方に目を移すと、沿道には耕作地が広がり、その向こうには安楽越が越える鈴鹿山脈の山並みを望む。 周囲は静かな里山の雰囲気だ。 安楽越の道の中では、この付近が一番気に入っている。
 
<分岐>
 道が一本に集約されて間もなく、左に田んぼの畦道に毛が生えたような道が分岐していた(下の写真)。 しかし、その分岐には石柱や道標などが林立している。

歩行者・地元車両優先の看板 (撮影 2001. 5. 3)
   
左に分岐 (撮影 2001. 5. 3)
角に道標などが立つ
   

「右いせみち」 (撮影 2001. 5. 3)
<石の道標>
 中でも一番古そうなのは、石の道標である。 「右いせみち」と刻まれている。安楽越を経てお伊勢参りをする旅人達への道しるべだったようだ。 わざわざここに道標を置くからには、左への道も古くからあったのだろう。
 
<東海自然歩道の道標>
 木製の道標は新旧2本立つ。古い方には峠方向を差して「安楽越 1.5Km」とのみある。 新しい方には「東海自然歩道」と書かれ、
 集落方向:山女原 0.4Km 鈴鹿峠 4.7Km
 峠方向:安楽越(近道) 1.5Km
 分岐方向:かもしか高原 安楽越 2.8Km
とある。
 
 左の分岐を行っても安楽越にたどり着けるようだ。 地形図を見ると、その道は一旦稜線に取り付き、稜線上を南下して安楽越に至るようだ。 古い峠道かとも思ったがそうではなさそうだ。石の道標も右を示していることだし。
   

分岐に立つ道標など (撮影 2001. 5. 3)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

分岐に立つ道標など (撮影 2001. 5. 3)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<安楽越の案内看板>
 土山町教育委員会による「安楽越」と書かれた案内看板も立っていた。 これは参考になる。 その看板によると、鈴鹿山脈を越えて近江から伊勢国に至る道が十あったといい、 鈴鹿峠越、安楽越、小岐須越、大河原越等と4つを挙げている。 ここで安楽越などというのは峠道のことを指し、峠のことは「安楽峠」といって区別している。 ただ、現在の道路地図などではこの峠のことを安楽越と記し、林道名も安楽越林道である。
 
<十の峠(余談)>
 十の道などと言われると、その道が越えた峠は何なのか気になってくる。 試みに次の表に鈴鹿山脈の北の方から主な峠をリストアップしてみた。

安楽越の案内看板 (撮影 2001. 5. 3)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   


峠名
看板の
記載
地形図
の記載
西側の地名
東側の地名
現在の道
備考

五僧峠
(ごそう)
なし
(道あり)
滋賀県
多賀町
五僧
岐阜県
上石津町
時山
時山多賀
林道
(県道139号)
車道

鞍掛峠
(くらかけ)
なし
鞍掛峠
滋賀県
多賀町
大君ヶ畑
三重県
藤原町
本郷
国道306号
トンネルあり
大君ケ畑越とも
(おじがはたごえ)

白瀬峠
(しらせ)
(白船峠とも)
なし
白瀬峠
滋賀県
永源寺町
茨川
三重県
藤原町
山口



治田峠
(はった)
なし
治田峠
滋賀県
永源寺町
茨川
三重県
北勢町
新町



石槫峠
(いしぐれ)
なし
石槫峠
滋賀県
永源寺町
政所
三重県
大安町
石槫南
国道412号
トンネルあり
八風峠の道と併用

八風峠
(はっぷう)
なし
八風峠
滋賀県
永源寺町
黄和田
三重県
菰野町
田光

八風街道

中峠
(?)
なし
中峠
滋賀県
永源寺町
杠葉尾
三重県
菰野町
田光

八風峠の道と併用
八風中峠とも

根の平峠
(ねのひら)
なし
根の平峠
滋賀県
永源寺町
甲津畑
三重県
菰野町
千草

杉峠経由の峠道
千草(千種)越とも
(ちくさ、ちぐさ)

国見峠
(くにみ)
なし
国見峠
滋賀県
永源寺町
甲津畑
三重県
菰野町
菰野


10
武平峠
(ぶへい)
大河原越
武平峠
滋賀県
土山町
大河原
三重県
菰野町
菰野
国道477号
トンネルあり
大河原越などとも
呼ばれる
11
水沢峠
(すいざわ)
(大河原
越?)
水沢峠
滋賀県
土山町
大河原
三重県
四日市市
水沢町


12
小岐須峠?
(おぎす)
小岐須越
(道あり)
滋賀県
土山町
黒滝
三重県
鈴鹿市
小岐須町
(西庄内町?)


13
安楽越(峠)
(あんらく)
安楽越
(車道あり)
滋賀県
土山町
山女原
三重県
亀山市
安坂山町
安楽越林道
車道
14
鈴鹿峠
(すずか)
鈴鹿峠越
鈴鹿峠
滋賀県
土山町
中山
三重県
関町
坂下
国号1号
トンネルあり
15
坂下峠
(さかした)
なし
(道あり)
滋賀県
甲賀町

三重県
関町
坂下
神大滝林道
車道
   
 尚、上の表では、場所を特定し易いように旧町名を使っている。
・永源寺町:東近江市
・土山町:甲賀市
・甲賀町:甲賀市
・上石津町:大垣市
・藤原町:いなべ市
・北勢町:いなべ市
・大安町:いなべ市
・関町:亀山市
 
 地形図などでは上表以外にも鈴鹿山脈の山稜を越えている道が幾筋も描かれていて、全てはリストアップできていない。 また、重複などの誤解をしている峠もあるかもしれないので、ご了承を。
 
 さて、土山町教育委員会のいう十の道とは、多分鈴鹿峠以北であろう。 大河原越とは武平峠のことだと思うが、水沢峠の可能性も残る。 鈴鹿、安楽、小岐須、水沢、武平、国見、根の平、八風、石槫、治田、白瀬、鞍掛と数えるともう12峠になってしまった。 多分、この内から2つ除くと目的の十峠になるのではないか。
   
 鈴鹿峠より南の坂下峠と、北の端のもう岐阜県になる五僧峠を除き、鈴鹿山脈の主要部にある峠で車道が通じるのは鞍掛、石槫、武平、安楽、鈴鹿の5峠である(多分)。 安楽以外は全て国道で、しかもトンネルが開通している。安楽越は古くからの峠を車で越えることができる貴重な峠と言えるかもしれない。
 
 それにしても、国土地理院の地形図に「安楽越」の記載がないのはどういうことだろうか。 安楽越とは道の名で、峠の名ではないとの解釈だろうか。一抹の不安が残るのだった。
   

安楽越林道を行く (撮影 2001. 5. 3)
完全舗装済み
<安楽越林道>
 「右いせみち」の道標があった先から、道は細いながらもきれいなアスファルト舗装となった。 山女原集落以降は、林道標識を見なかったが、林道安楽越線であろう。峠まで僅か1.5Kmしかない。 また、概して鈴鹿山脈の西側は地形が穏やかだ。林道は大きな屈曲もなく、急勾配もなしに峠に至る。
   
   
   
安楽越 (撮影 2001. 5. 3)
三重県方向を見る
左手から稜線上を北へ進む登山道が登っている
登山道入口には東海自然歩道の道標が立つ
   

<標高など>
 現在の安楽越は、鈴鹿山脈の山稜を鋭く削り込んだ深い切通しとなっている。 法面は土が露出し、やや荒々しい感じだ。文献(角川日本地名大辞典)では峠の標高に関し490mと496mの記述が見られる。 現在の車道の峠か古い峠のことかは分からない。車道の標高は地形図の等高線で490mと500mの間である。
 
 これだけ深く削り落としてあるので、古い峠は今の車道の路面より5m以上は高かったと思われる。 それでも等高線の具合から、標高500mを超えていたとも思われない。現峠は490m台前半、旧峠は490m台後半といったところか。
   

峠の滋賀県側の様子 (撮影 2001. 5. 3)
山稜を深く削った峠である

峠より滋賀県方向を望む (撮影 2001. 5. 3)
あまり視界は開けない
   
<峠の様子>
 峠は、路肩に東海自然歩道の道標が立つだけで、他に何もない。三重・滋賀の県境なのだが、それに関した看板もない。 あっさりしたものだ。頭上を見上げ、このアスファルト路面より何メートルか上の所を、 お伊勢参りの旅人達が歩いて越えたのかと思ってみても、あまり実感が沸いてこないのであった。
 
 本来は静かな峠なのだろうが、訪れた時は峠の切通しにエンジン音が反響していたのだ。 道の途中では一台の車ともすれ違わなかったが、肝心な峠の切通しにセダンタイプの乗用車が一台停まっていた。 少し離れた所に発電機を置き、電線を引き回し、無線でもやっている様子だった。 峠の写真を撮りたいのだが、その車に向かってカメラを構えるのも失礼と思い、あまりいいアングルで峠を写せなかった。 後で思うとやはり残念であった。

峠より三重県側に下る道 (撮影 2001. 5. 3)
   
<林道開通>
  文献の三重県の「安楽越え」の項には、「近年スーパー林道が開通し、峠近くに、かもしか高原などの施設もできて観光地化が進行している」とある。現在の安 楽越線と呼ばれる林道がその「スーパー林道」のようだ。文献の発行日が昭和58年(1983年)なので、1970年代頃にはこの峠に車道が通じたようであ る。「観光地化が進んでいる」とあるが、そのような気配はあまり感じなかった。
   
三重県亀山市側に下る
   
<水系>
 峠の三重県側は、四日市市で伊勢湾に注ぐ鈴鹿川の水系である。よって峠は淀川と鈴鹿川の分水界に当たる。 大きく見ると、峠の西側に流れ下る水は大阪湾に注ぎ、東側は伊勢湾に注ぐ訳だ。 安楽越は小さな峠だが100km程離れた2つの湾を隔てている。その間に紀伊半島が大きく太平洋に突き出た格好だ。
 
<安楽川>
 鈴鹿川の源流部にあるのが鈴鹿峠になる。安楽越は、鈴鹿川の支流・安楽川(安楽川谷とも)の更に支流の源頭部に位置する。 文献ではその支流を岩坪川と記していたが、地形図などを見ると岩坪川より更に上流側にある支流である(名前不明)。
   

安楽川を渡る橋 (撮影 2001. 5. 3)
峠方向に見る
<三重県側に下る>
 道は早くも安楽川の支流沿いになる。鈴鹿山脈の東側の地形は険しく、武平峠などはその最たるものだが、安楽越の場合は比較的穏やかである。 まあ、武平峠(トンネル標高 815m)に比べるとずっと低い峠であるが。
 
 道は川の左岸沿いを淡々と下る。路面の舗装状態が良いのもあって、安楽川本流までの3km程の距離はあっという間だ。
 
<安楽川本流に出る>
 安楽川を渡ると、その先がT字路になっている。本線は右へ安楽川左岸を下る。
   
 T字路を左折は、安楽川左岸を更に遡る道である。 地形図を見ると、途中で車道は尽きるが、その先へ点線の道が幾本か延び、遂には稜線を越え、滋賀県側の旧土山町黒滝方面へと下って行く。
 
 これらの道の峠名は不明だ。名もない峠かもしれない。鈴鹿山脈にはこうした峠道が幾筋も通じているようだ。 鈴鹿峠などの大きな街道の峠とは違い、地元民の生活路として切り開かれたささやかな道であろう。 現在の国道1号線が通る鈴鹿峠も、古くはそうした山人達の道が、官道として選ばれたことにより発展していったものとも思われる。

安楽川沿いの道 (撮影 2001. 5. 3)
左が峠方向
前方は安楽川沿いを遡る道
   
  そんな訳でこの安楽越に関しても、現在の林道が通る場所が本当に古くからの安楽越なのか、一抹の不安が残るのだ。 ちなみに、道路地図によっては岩坪川上流部で越える峠道が記されているものも見る。 場合によっては、安楽越と呼ばれた峠はこの付近に複数あったかもしれない。 ただ、標高約490mの鞍部は林道安楽越線が通る箇所だけである。 文献の標高の表記が正しければ、まず間違いないだろう。
   
<安楽川沿いを下る>
 古いツーリングマップ(ル)では安楽川の上流部を「宮川」と表記している。道はその川を右に見て下るようになる。 地形図などではその部分に「石水溪」(せきすいけい)と書かれている。川の名前ではなく、その部分の渓谷をそう呼んだようだ。
 
 当時使っていたツーリングマップルにも景勝地として石水溪が記されていた。わざわざ寄り道する必要もなく、ただ道の傍らを流れる川を見下ろせばいいだけである。 下の写真はそれらしい場所を写したものである。川底の岩を縫って清らかな水が流れ下っていた。
   
石水溪 (撮影 2001. 5. 3)
峠方向に見る
   

鈴鹿南林道の分岐点 (撮影 2001. 5. 3)
峠方向に見る
左に林道分岐
 安楽川本流沿いを下る内に道幅が広くなり(途中で安楽越林道を抜けたようだ)、建物も出て来る。 キャンプ場のような施設もあったようだ。この安楽川沿いくらいまでは、一般客も訪れるようである。
 
<鈴鹿南林道分岐>
 安楽川沿いになってから1.5km程も下ると、右に林道鈴鹿南線が分岐する。亀山市街からは県道302号・亀山停車場石水溪線が、この林道分岐近くまで延びて来ている。 残念ながら、ここより鈴鹿南林道に入り込んだので、県道302号沿いに関しては何も分からない。
 
 鈴鹿南林道は岩坪川沿いを少し遡る。途中、山の中に巨大な橋脚が現れた。建設中の新名神高速道路であった。
   

鈴鹿南林道の入口 (撮影 2001. 5. 3)
この道に入り込んだ

林道看板など (撮影 2001. 5. 3)
後ろは鈴鹿国定公園の看板だったが、古くて読めなかった
   
   
   
 思えば、以前は個人で出しているホームページがいろいろあった。 お仲間ともいえる峠に関するページも少なくなかった。 それぞれ個性のある趣味を披露していたが、もう辞めてしまった方が多いようだ。
 
 あの頃はインターネット創生期だったと思う。何しろダイヤルアップ回線でネットをしていたのだから。 今は企業などの団体が幅を利かし、個人のページなどでは質・量共に太刀打ちできない。 それに新しいネットワークの形態が出現してきた。ブログやツイッター、フェイスブック、ラインなどは何のことだか分からない。 時代は変わった。それでも私の趣味は相変わらず「峠」である。 細々とだがホームページ「峠と旅」を続けていこうと改めて思うのであった。
   
 峠が趣味とはいえ、土山町教育委員会の誘惑についつい誘われ、鈴鹿山脈を越える十の峠を探そうとしたのは間違いだった。 十峠どころの話ではない。 地形図には無数の線が鈴鹿山脈の稜線を越えているではないか。道路地図によっては地形図にない道が描かれていたりする。 名が記されていない峠も多い。また、根の平峠と千草(千種)越が別物かと勘違いして混乱したりもした。 しかし、地図に引かれたこれら無数の線は、地元で暮らす人々が古くから生活の為に切り開いた峠道である。 それぞれに歴史があり、思い入れもあるだろう。
 
 安楽越もそんな峠の一つであったろうが、江戸期の鈴鹿峠に近く、次第にその間道としての役割が強まったと思われる。 しかし、後に鈴鹿峠にはトンネルが抜け、近代の車の流れは全てそちらに向かった。そして今、峠の真下には長大な鈴鹿トンネルが通じる。 安楽越の影は薄い。
 
 遅ればせながら、峠には完全舗装の安楽越林道が通じている。鈴鹿山脈を車で越えられる峠の一つだ。 しかも、トンネルではない昔の姿に近い峠が待っている、安楽越であった。
   
   
   
<走行日>
・2001. 5. 3 滋賀県 → 三重県 ジムニーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 25 滋賀県 昭和54年 4月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・県別マップル道路地図 24 三重県 2004年 1月   発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
峠と旅         峠リスト