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薬師峠 (仮称)
  やくしとうげ  (峠と旅 No.291)
  未開通県道を繋ぐ峠道
  (掲載 2018. 7.16  最終峠走行 2017. 9.11)
   
   
   
林道新田伏野線の峠 (撮影 2017. 9.11)
手前は新潟県上越市牧区宇津俣
奥は同市安塚区真荻平
道は林道新田伏野線(峠道の一部は新潟県道301号・柳島信濃坂線)
峠の標高は約625m (地形図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
正確にはここは薬師峠ではなく、その南約300mの所に通じた林道の峠
元の薬師峠はほぼ廃道状態にあり、代わってここが「新薬師峠」とも言える存在だ
 
 
 
   

<新薬師峠>
 この峠は林道新田伏野(しんでん・ぶすの)線が開通してできた新しい峠と思われる。名はないようだ。ただ、大まかな道筋は薬師峠と呼ばれる古い峠道のルートにほぼ近い。 また、現在は薬師峠の前後約300mがほとんど廃道状態で、人が歩いて越えるのも難しい様子だ。実質、林道の峠が薬師峠の代替路となっている。その意味でこの峠は「新薬師峠」と言えそうだ。
 
 前回に伏野峠、前々回に牧峠を掲載したが、 それらの峠も正確には車道開通により新しくできた峠で、元の峠の名をそのまま継承している。それに倣えば、こちらの峠も単に「薬師峠」と言い切っても、それ程無理はなさそうだ。ただ、そのように記載した道路地図も看板もないので、断定はできない。
 
 ここでは新旧の区別をはっきりさせる場合、林道の方の峠を「新薬師峠」という仮称で呼ばせて頂く。

   

<所在>
 峠道は大まかに見て東西方向に通じる。
  
 峠の東側は上越市安塚区(やすづかく)真荻平(もおぎたいら、もうぎたいら)となる。旧安塚町(やすづかまち)の大字真荻平である。尚、大字真荻平は大きく真荻平集落と伏野(ぶすの)集落に分かれている。峠を安塚区側に下ると、最初に出て来るのが伏野集落となる。
 
 峠の直ぐ西側は新潟県上越市牧区宇津俣(うつのまた)となる。旧牧村(まきむら)の大字宇津俣だ。ただ、林道は下って同じ牧区の棚広新田(たなひろしんでん)方面へと至る。元の薬師峠の道としては宇津俣集落に通じるのが本線だったかもしれない。
 
 遠く江戸期には峠を挟んで真荻平村と宇津俣村が存在した。また宇津俣村に隣接して棚広村やその枝郷となる棚広新田村(棚広村新田)があった。薬師峠は真荻平村と宇津俣村・棚広村・棚広村新田などの集落を結んだ峠だったのだろう。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


地図がポイントしているのは元の薬師峠 
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<立地>
 薬師峠は、最近掲載した牧峠や伏野峠と同じく、新潟・長野県境に連なる関田(せきだ)山脈中に位置する。 ただ、牧峠・伏野峠が関田山脈の主稜(県境)を越える大きな峠であるのに対し、薬師峠は関田山脈の北麓にあって、主脈から北に派生する支脈上を越える比較的小さな峠となる。

   

<水系>
 関田山脈の同じ側にあるので、水系も全て同じ関川(せきがわ)水系となる。更にその支流の保倉川(ほくらがわ)水域に峠道の全てが含まれる。
 
 峠の安塚区側は小黒川(こぐろがわ)左岸の支流(名前不明)が下る。一方、牧区側は、地図ではあまり明確な川筋が見られないが、飯田川(いいだがわ)右岸の支流域に当たる。
 
 小黒川も飯田川も保倉川の支流である。尚、それらの川の水源は関田山脈の主脈であり、小黒川の上流部では伏野峠や須川峠が、飯田川の上流部では宇津ノ俣峠が県境を越えている。

   

<県道の未開通区間>
 最近はインターネットを使って最新且つまた詳しい地図が閲覧でき、峠道についても開通の有無、通行の可否などの情報が得易くなった。しかし、昔はとにかく自分の足で出掛けて行って、自分の目で確かめるしかなかった。今回の薬師峠がそのいい例だった。
 
 手持ちの新潟県の地図(大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行 人文社)を眺めていると、旧安塚町側では小黒川沿いに県道301号・柳島信濃坂線が遡っている。 一方、旧牧村側でも飯田川沿いに同じ県道が遡上している。しかし、安塚・牧の町村境で県道は繋がっていない。代わりに、2Km程の一本線表記の軽車道が未開通の県道を繋いでいた。 その直ぐ北には「薬師峠」と記載がある。多分、古くからの薬師峠の代替路として、車が通れる林道が通じている可能性が高い。そこで14年前(2004年)に牧村側からアクセスしたのだが、途中で道に迷い、遂には通行不能となって断念したのだった。
 
 そのことがずっと心残りであった。インターネットで最近の道路地図を見ても、峠前後の道筋はまだはっきりしないものが多い。 ただ、地形図に以前の県別地図で見たのとは異なる経路に一車線の道路が描かれている。10数年の時を経て、薬師峠も車で越え易くなったかもしれない。そして昨年(2017年)に再訪し、やっとどうにか越えることができたのだった。
 
<柳島信濃坂線について>
 柳島(やなぎしま)はかつての牧村(現上越市牧区)の中心地で、その柳島で国道405号から分かれて県道301号・柳島信濃坂線が始まる。 一方、信濃坂(しなのざか)は旧安塚町(現上越市安塚区)にあり、須川峠や伏野峠の新潟県側の起点ともなる。その名の通り、信濃(長野県)へと続く峠道の登り口に位置する。「柳島信濃坂線」はその名前からしても牧区柳島と安塚区信濃坂を結ぶこととなるが、肝心な区界(元は町村境)の峠が未開通という訳だ。

   

<特徴(余談)>
 薬師峠は関田山脈を越える峠ではなく、関田山脈を越える伏野峠と宇津ノ俣峠の道を新潟県側で繋ぐ峠道となる。
 
 長野県側は山脈の麓近くに広大な台地状地形の鍋倉高原が広がり、 その上に快適なみゆき野ラインが通じる。 この道が関田峠から伏野峠までの峠道間の移動には最適となる。一方、新潟県側は山脈から幾筋もの川が流れ下る複雑な丘陵地で、全国でも有数な地滑り地形を成す。その地を横切る道は、小さいながらも異なる水域を跨ぐ峠道となり、なかなか容易ではない。車道が通じているかどうか分からないような道ばかりだ。
 
 その中にあって、薬師峠としっかり名が付いた峠道はここくらいである。数10年前までは徒歩で越える峠だったようだが、今は立派な舗装路が通じている。

   
   
   
県道301号の牧区側(余談) 
   

 新薬師峠が越えるのは林道新田伏野線で、牧区側の県道301号はこの峠道とは直接は関係しない。しかし、本来薬師峠の代わりに峠越えをするべき道筋なので、参考まで県道301号を行ける所まで行こうと思う。(峠道の本編はこちら

   

牧峠方面より県道359号を下って来た (撮影 2017. 9.11)
前方に県道301号が通じる
正面の建物は棚広の集会所

<棚広>
 今回の旅では、牧峠方面より県道359号・上牧棚広線を下って来て、棚広(たなひろ)で県道301号・柳島信濃坂線に接続した。 この分岐付近が棚広の中心地で、飯田川右岸に通じる県道301号線沿いに集落の人家が集まる。県道359号側から見て正面に立つ比較的大きな建物は棚広の集会所となるようだ。

   

「上越市牧区棚広」の看板 (撮影 2017. 9.11)

県道301号の看板 (撮影 2017. 9.11)
   

棚広集会所 (撮影 2017. 9.11)

<棚広村>
 江戸期から明治に掛けての棚広村。「たなびろ村」とも書かれたようだ。文献(角川日本地名大辞典)によると、地名の由来は飯田川の河岸段丘上に立地することによると推定される。 村域のほとんどが山林と棚田となる。集会所に掛かる棚広の案内にも「美味しい棚田米の里」と紹介されている。
 
 明治22年に周辺14か村が合併し、東頸城群(ひがしくびきぐん)の川辺村(かわべむら)が誕生、旧村域は大字棚広となる。更に明治34年には川辺・里見・川上の3か村が合併して牧村ができ、棚広は牧村の大字となって行く。

   
「棚広」の案内看板 (撮影 2017. 9.11)
   

<県道301号沿い>
 県道301号を飯田川を遡る方向には、「宇津俣」(うつのまた)と看板にある。本来は「信濃坂」としたいところだろうが、そこは未開通という事情が許さない。 沿道には暫し棚広の人家が続く。文献によると、かつての棚広村は全戸羽深姓で、1村1苗字だったそうだ。現在はどうなのだろうか。
 
<飯田川を代表する峠(余談)>
 飯田川の最上流部は伏野峠に近い。しかし、地形図を見ると、伏野峠は僅かながら小黒川水域側にあるようだ。飯田川水域で最も上流に位置するのは宇津ノ俣峠となる。 ただ、この峠には車道が通じていない。一方、飯田川支流・湯ノ川の源流部を牧峠が越える。車道の峠としては牧峠が飯田川を代表する峠と言えそうだ。ただ、飯田川本流としては新薬師峠の方がより上流側に位置する。


県道301号を宇津俣方向に進む (撮影 2017. 9.11)
沿道には暫し棚広の集落が続く
   

<飯田川右岸>
 数100mで棚広集落は過ぎ、右手に飯田川周辺の田園風景が広がりだす。のどかな雰囲気だ。センターラインのある快適な県道が続くが、行き交う車をほとんど見ない。 この先にまだ宇津俣集落を控えていると言えども、やはり行止りの県道であることは否めない。ほぼ地元民のみが使う生活路に等しい。 ただ、時折「牧湯の里 深山荘」と書かれた旗が沿道に立っている。この先の宇津俣温泉にある比較的大きな施設で、そこを訪れる者もあることだろう。

   
棚広集落を抜けた先 (撮影 2017. 9.11)
沿道に棚田が広がる
   

白峰地区 (撮影 2017. 9.11)

<白峰>
 次にまた人家などの建物が出て来たと思うと、そこに「白峰地区振興協議会」という案内看板が立っていた。「白峰(しらふ)地区」とは大字棚広の中にある1集落のようだ。看板の地図にはここより飯田川上流域の案内が示されている。
 
 看板の背後から分かれる道には「新潟県の名水 弘法清水」と案内標柱が立っていた。その清水は県の名水百選に選ばれているそうだ。県道から分かれて100m程も行くと、園地が設けられているらしい。

   

弘法清水への入口 (撮影 2017. 9.11)

白峰周辺の案内図 (撮影 2017. 9.11)
地図は下がほぼ「北」
左端に「薬師峠」の文字が見える
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<案内図>
 この県道沿いに案内図の類は少なく、「白峰地区振興協議会」の看板は貴重な存在だ。飯田川の支流・湯ノ川方面には深山荘、更にその奥に鷹羽温泉がある。一方、本流の飯田川上流部へ進む道は途中で途絶えている。
 
<「薬師峠」の文字>
 尚、改めて看板を写した写真を眺めてみると、左端の方に「林道新田伏野線」とあり、その先に「薬師峠」と出ているではないか。飯田川沿いをそのまま行っても無駄で、途中で(県道278号へ)分かれる必要があったのだ。当時はそれに気付かなかった。現地で「薬師峠」の文字が出ている看板は、後にも先にもこれだけであった。

   

<小平>
 弘法清水への分岐を過ぎると、県道は一時的に狭くなる。集落内を通る為、道路拡幅が難しいのだろう。
 
 直ぐに「小平」(おだいら)という看板が小平バス停に並んで立っていた。白峰地区に続いて小平地区があるのだろうか。文献(角川日本地名大辞典)では、小平集落は宇津俣の一部の様に記載されていたが、この付近の現在の住所はまだ棚広である。


小平バス停前 (撮影 2017. 9.11)
右手に「小平」と看板が立つ
   

沿道の様子 (撮影 2017. 9.11)
右手の建物には「ほほえみ荘」と看板がある

<沿道の様子>
 その後、沿道の建物はほぼ途切れなく点在する。ちょっとした林の中を抜け、また広々とした所に出て行く(左の写真)。一段と建物が密集して来た。民宿らしい看板も見られる。

   
   
   
県道278号分岐 
   

<宇津俣の看板>
 大字棚広に続き大字宇津俣になる筈だが、地図上ではその境があまりはっきりしない。県道278号分岐の少し手前で、「宇津俣」という看板を見掛けた。先程あった小平集落以降、既に宇津俣に入っていたとも考えたが、この付近の住所はやはり棚広である。


右手の看板に「宇津俣」とある (撮影 2017. 9.11)
   
この先、左に県道278号が分岐 (撮影 2017. 9.11)
   

<県道278号分岐>
 沿道が開け、深山荘・鷹羽の温泉の看板などが出て来た。その先、左に県道278号・牧横住線が分岐して行く。ただ、棚広方面から来ても、どうもこの県道分岐を示す看板は見当たらない。ほとんど無視された状態である。
 
<県道278号>
 県道278号はここを起点に、棚広新田(たなひろしんでん)を経由して高尾(たかお)に至り、更に北へと進んで国道405号に出られる。新田伏野線などの林道を除けば、関田山脈により近い位置で東西方向を繋ぐまともな車道となる。ただ、高尾と国道405号の間が険しく、今回は通行止に遭ってしまった。

   

深山荘・鷹羽の看板 (撮影 2017. 9.11)

分岐の直前の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

<分岐の様子>
 分岐周辺は建物が広く分布し、ちょっとした中心地の様相を呈する。分岐の直ぐ脇には「花の友」と看板がある商店らしき建物も立つ。 「春栄堂上越店」ともある。なかなか味わいのある佇まいだ。 自販機の後に隠れそうになってくびき野バスの「宇津の俣」バス停も立つ。ここは如何にも宇津俣集落の中心地という様子だ。しかし、住所はやはり「棚広」のようだ。

   

分岐を棚広方向に見る (撮影 2017. 9.11)
左が県道301号、右が県道278号

分岐の脇に立つ商店 (撮影 2017. 9.11)
自販機の後ろに「宇津の俣」バス停がある
   

<分岐の看板>
 分岐を数10m過ぎた先には、分岐方向に見て県道278号の分岐看板が立ち、「高尾」(たかお)と行先にある(下の写真)。 この近辺から東へと向う場合はこの県道278号を使うとショートカットになる。しかも、その県道沿いの棚広新田から新薬師峠を越える道が分かれていたのだった。 この後、反対側の安塚区側から新薬師峠を越えて棚広新田に降り立った時、初めてそれに気付いたのだった。

   

宇津俣方面からは分岐の看板がある (撮影 2017. 9.11)

分岐の看板 (撮影 2017. 9.11)
   
   
   
宇津俣橋 
   

<宇津俣橋手前>
 県道278号分岐を過ぎると、道はやや下り気味となり、飯田川の岸辺へと降りて行く。飯田川を挟んだ対岸の小高い丘の上に、大きな白い建物が見えて来た。 壁面に「深山荘」と書かれている。この付近では最も大きな公共施設となる宇津俣温泉だ。飯田川上流部に於ける最大の観光資源となるのだろう。

   
前方の丘の上に、深山荘の建物が見える (撮影 2017. 9.11)
   

<宇津俣橋>
 県道が下った先には宇津俣橋が架かる。県道301号はここで初めて飯田川の左岸へと出る。

   

宇津俣橋を渡る (撮影 2017. 9.11)

宇津俣橋」とある (撮影 2017. 9.11)
   
宇津俣橋の先 (撮影 2017. 9.11)
   

県道標識など (撮影 2017. 9.11)
「関川水系 飯田川」は「土石流危険渓流」に指定されている
その看板ではまだ「牧村」となっている

<T字路>
 橋を渡ると道はほぼT字路になる。そこから分かれる道はどれも狭い。側らに県道標識が立ち、県道301号はまだ続いていることを示す。しかし、随分と寂しい場所に出て来たように感じる。側らを流れる飯田川には土石流危険渓流に指定されていることを示す看板も立つ。
 
 
<県道の続き>
 県道看板だけではちょっと分かり難いが、県道の続きはこのT字路を左に行く。それが飯田川の左岸沿いに進むこととなる。しかし、ちょっと覗く限りは狭い急坂で、とても県道の続きとは信じられない道だ。どこかに抜けられるとは到底思われず、入り込むのをためらわれるくらいだ。
 
 
<宇津俣温泉方面>
 T字路の正面に宇津俣温泉の看板が立ち、このT字路を県道とは反対の右へと案内している。鷹羽鉱泉もその先の奥にある。この道は飯田川の支流・湯ノ川沿いに関田山脈の主稜へと遡る。鷹羽鉱泉の更に奥に宇津ノ俣峠が位置する。
 
 一方、県道方向には「×」の文字が看板に書かれ、行止りであることを示している。ただ、通常の道は通じていないだろうが、林道などが接続していないとも限らない。インターネットが発達した現在も、やはり現地調査は欠かせない。

   

県道の続き (撮影 2017. 9.11)
寂しい道だ

宇津俣温泉の看板 (撮影 2017. 9.11)
鷹羽鉱泉の文字は消されている
県道方向には「×」と書かれている
   

<宇津俣府殿線>
 T字路と書いたが実はもう一本、飯田川左岸沿いに下る方向へと寂しく道が分かれている。 現在は上越市の市道・宇津俣府殿線と呼ぶようで、この宇津俣橋の袂から飯田川支流・牧猿俣川左岸の牧区府殿(ふどの)へと至る。飯田川の本流と支流の境の尾根を越える小さな峠道となる。宇津ノ俣峠と牧峠の峠道を繋ぐ道とも言える。
 
 現在はどうか分からないが、2004年に訪れた時は、府殿から宇津俣へと難なく移動できた。関田山脈の北麓で東西方向に横断するルートとしては、極めて無難な道であった。

   
県道方向から分岐を見る (撮影 2017. 9.11)
右手に宇津俣橋が架かる
正面奥に下るのが市道・宇津俣府殿線
   

<宇津俣>
 宇津俣橋を渡った先は、名実ともに宇津俣の地となるようだ。看板にも「大字宇津俣」とある。
 
 文献では宇津俣の地名の由来を、「通称「エダ川」と「ヨノ川」に挟まれた場所に集落が発達したことによる」としている。 「エダ川」を「飯田川」、「ヨノ川」を「湯ノ川」と読み替えると、正にこの飯田川と湯ノ川に挟まれた三角地帯に相当する。 また、文献では村の「北部」で飯田川と湯ノ川が合流しているとも記している。それらからすると、やはり宇津俣は宇津俣橋以降の深山荘が立つ丘の周辺一帯となる。
 
 ただ、これから先に集落らしい集落はもう見られない。一方、宇津俣橋を渡る手前、橋の袂に立つ屋根が片流れの2階建ての建物が、宇津俣集会所らしい(住所は牧区棚広)。住所名は別として、やはり県道278号の分岐付近が宇津俣の中心集落に思えて仕方がない。


深山荘への道から分岐を見る (撮影 2017. 9.11)
左手前に宇津俣府殿線が分かれている
目立たない存在だ
   
深山荘方面より分岐を見る (撮影 2017. 9.11)
橋を渡った先の右手にある2階建ての建物は宇津俣集会所らしい
   

<宇津俣村>
 村の成立は江戸初期だと伝承されるそうだ。飯田川下流側に柳平村(やなぎだいらむら)が枝村の様な存在であったようだが、現在のどこに相当するかは分からない。明治22年に棚広村などと共に合併して川辺村となり、旧村域は大字宇津俣となる。その後の経緯は棚広と同様である。

   
   
   
宇津ノ俣峠方面へ(寄り道) 
   

<鷹羽鉱泉へ>
 余談の余談になるが、鷹羽鉱泉に寄り道する(県道の続きはこちら)。 この道は宇津俣集落を経て関田山脈の県境を越え、長野県飯山市の桑名川(くわながわ)に至る宇津ノ俣峠の峠道に重なるものと思う。信越国境を越えた人や物資の交流なども行われたようだ。宇津俣や棚広の農民たちが野沢温泉へと通った湯峠道でもあったろう。

   

左に深山荘への道が曲がって行く (撮影 2017. 9.11)

<高葉線>
 宇津俣橋から湯ノ川右岸沿いに始まる道は、市道・高葉線と呼ばれるようだ。もうセンターラインはないが、深山荘へと至る道として、十分な道幅が確保されている。
 
<深山荘分岐>
 湯ノ川に沿って数100mも行くと、高葉線は左の丘の上へ曲がって行く。そちら向いて深山荘の案内がある。

   

深山荘分岐の看板 (撮影 2017. 9.11)

分岐の様子 (撮影 2017. 9.11)
直進する道の方が狭い
   

<林道宇津俣線起点>
 高葉線に代わり、湯ノ川沿いに進む道が細々と分かれて行く。入口に鷹羽鉱泉などの看板と共に林道標柱が立つ。「林道宇津俣線 起点」とある。

   
林道宇津俣線の起点 (撮影 2017. 9.11)
   

<鷹羽鉱泉の看板>
 大きな施設の深山荘と異なり、鷹羽鉱泉はこのずっと先の山深い地にある。常に営業している訳ではないようだ。看板には、
 本日 留守にしています。 日曜日には開放予定です。
 と出ていた。 

   
林道入口に立つ看板など (撮影 2017. 9.11)
   

<林道標柱>
 林道標柱によると、林道宇津俣線はここを起点に、延長約4.6Kmあるようだ。鷹羽鉱泉までが約2Kmだから、そこから更に2.6Km奥まで続いていることになる。しかし、宇津ノ俣峠を越えるようなことはなく、関田山脈の稜線手前で尽きているものと思う。

   

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)
   

 尚、林道標柱にある「植生で 生かそう林道 わが郷土」という標語は、この周辺の牧区や安塚区に立つ林道標柱には大抵書かれている。ただ、よくよく見ると、「植林で・・・」となっている物もある。前者は「生」の字が直後に続くので、後者の方が良いように思うが・・・。

   
林道方向から林道起点を見る (撮影 2017. 9.11)
右手の丘の上に深山荘がある筈だが、ここからは林に隠れて見えて来ない
   

<林道宇津俣線へ>
 いよいよ険しい林道走行となる。しかし、当面は鷹羽鉱泉へのアクセス路となるので完全舗装である。まだまだ安心して車を進められる道だ。
 
 この湯ノ川沿いに通じる道筋は、古くからある宇津ノ俣峠の峠道である可能性はある。 しかし、その一方で、深山荘近くから飯田川と湯ノ川の分水界となる尾根上を、宇津ノ俣峠へと至る点線表記の徒歩道が地形図に描かれている。その道筋の方が距離が短く、それこそが本来の宇津ノ俣峠の峠道なのかもしれない。更に、宇津ノ俣峠自身は湯ノ川の最上流部に近いながらも、僅かながら飯田川本流側の水域に位置する。 

   

<松ノ木橋>
 林道は湯ノ川右岸を200m余りも進むと、一旦左岸へ移る。橋の手前に湯ノ川に関する看板が立つが、図中の文字はもうかすれてよく見えない。 橋の名前などが載っていたようだがそれも判別できなかった。上越市のホームページに掲載されていた市道に関する地図を閲覧し、松ノ木橋であることが分かった。  

   

松ノ木橋を渡る (撮影 2017. 9.11)
手前に湯ノ川の看板が立つ

湯ノ川の看板 (撮影 2017. 9.11)
   

<松ノ木橋を渡る>
 松ノ木橋は一見、何の変哲もない橋だが、渡ろうとすると何となく怖い気がしてくる。松ノ木橋の付近で湯ノ川の岸は深く切り立ち、川は橋のずっと下を流れる。 道からはほとんど川面が望めず、まるで底なしのクレパスでも越えるかのようだ。この橋が崩れたら、ただでは済まない。そんなことを連想させられる。この湯ノ川の険しさを考えると、古くからの宇津ノ俣峠の道は、川筋ではなく、やはり尾根上に通っていたのかと思われた。

   
松ノ木橋を渡る (撮影 2017. 9.11)
   

<仲入橋以降>
 道は間もなく仲入橋を渡って右岸側に戻って来る。その後は比較的穏やかな地形の中を、真っ直ぐ南の関田山脈へと向かって進む。周辺には小規模ながらまだ棚田が点在するようで、作業道の様な荒れた道が分かれて行く。


仲入橋を渡る (撮影 2017. 9.11)
   
穏やかな道が続く (撮影 2017. 9.11)
   

直進方向に分岐あり (撮影 2017. 9.11)
本線は左へと登る

<砂利道分岐>
 林道起点から1.3Km程湯ノ川を遡ると、道は川沿いを離れ、飯田川本流方面の尾根へと登り始める。湯ノ川を更に遡る方向には砂利道が分かれて行った。地図を見る限りは、数100m進んだ湯ノ川の川岸で行き止まっているようだ。

   
湯ノ川を更に遡る道 (撮影 2017. 9.11)
行止りと思われる
   

<林道上牧宇津俣線分岐>
 湯ノ川沿いを離れ、東の鷹羽鉱泉方面へと登り始めて直ぐ、また右に分岐が出て来る。こちらには林道標柱が立ち、「林道上牧宇津俣線 起点」とある。 その名からすると、牧区上牧に通る牧峠を越える上牧林道(市道・牧飯山線)に接続している可能性がある。約2.7Kmという延長も、上牧林道に達するのに無理のない距離だ。この道が通れれば、関田山脈北麓を横断する道として、市道・宇津俣府殿線より更に奥に位置することとなる。
 
 しかし、いろいろな地図を見ても、途中の僅かなところで道が繋がっていない。この林道が通じているかどうかを知るには、やはり実地検分が必要なようだ。但し、見るからに荒れた道で、余程の覚悟が要る。

   

右に林道上牧宇津俣線が分岐 (撮影 2017. 9.11)

林道上牧宇津俣線の林道標柱 (撮影 2017. 9.11)
   
林道上牧宇津俣線方向を見る (撮影 2017. 9.11)
上牧に通じているかどうか?
   

<尾根上へ>
 道は湯ノ川と飯田川本流とを分かつ尾根へと向かって登って行く。道幅は狭いながらも、きれいなアスファルト路面が続く。 これは走り易いと思っていると、道幅一杯に折れた木の枝が横たわっていた。鷹羽温泉は毎日解放されている訳ではないので、突発的にこういう事態が起こるようだ。偶然通りかかった者が適宜処理することとなる。


折れた枝が道を塞ぐ (撮影 2017. 9.11)
   

<景色>
 高みへと登って来たので、景色が広がりだした。湯ノ川が流れる谷間を下流方向に見渡せるようになる。

   
景色が広がりだす (撮影 2017. 9.11)
   

 湯ノ川左岸側に棚田があり、そこに道が通じる様子もうかがえる。なかなか険しい立地だ。

   
沿道から望む景色 (撮影 2017. 9.11)
   

右手に鷹羽鉱泉への道が分かれる (撮影 2017. 9.11)
但し、この時はチェーンで進入禁止

<鷹羽鉱泉>
 尾根上に至る少し手前で、右に鷹羽鉱泉への道が分かれていた。しかし、本日は留守の為、入口にチェーンが張ってあって進入禁止だ。
 
 林道宇津俣線はまだこの先約2.6Kmを残すようだが、分岐から先は未舗装となる。

   
鷹羽鉱泉を望む (撮影 2017. 9.11)
   

 上を望むと、見晴らしの良さそうな位置に鷹羽鉱泉の建物が立つ。宇津ノ俣峠はこの背後2Km余りにある筈だが、ここからは関田山脈の稜線などは全くの望めない。記念写真を撮って、引き返すこととした。


鷹羽鉱泉分岐を麓方向に見る (撮影 2017. 9.11)
妻が直立する
   
   
   
県道301号の牧区側終点へ(寄り道の続き) 
   

宇津俣橋から県道301号を進む (撮影 2017. 9.11)

<宇津俣橋以降>
 旅を宇津俣橋に戻し、県道301号の続きを進む。飯田川左岸の急傾斜地を抜けるので、急勾配の坂道となる。路面は一部で亀の甲羅の様な模様があるコンクリート舗装だ。 滑り止めとなるのだろう。沿道にはポツリポツリと数軒の人家が見られるが、既に人の気配が感じられない家屋もあるようだ。棚広村は全戸羽深姓だったそうだが、この宇津俣は佐藤姓のみとのこと。
 
 宇津俣橋から300m程で右手の丘の上から細い道が下って来ている。それは深山荘を経由する市道・高葉線のようだ。この飯田川や湯ノ川沿いに人家が少ないが、かつては現在深山荘が立つ尾根上に宇津俣の人家が集まっていたのではないだろうかと思う。

   

沿道の様子 (撮影 2017. 9.11)

右手より市道・高葉線が合する (撮影 2017. 9.11)
   

<飯田川左岸沿い>
 市道・高葉線を合した後は地形も安定し、比較的穏やかな飯田川左岸沿いの道になる。ただ。路面のアスファルトには老朽化が目立ち、心持ち道幅も狭くなったようだ。いよいよ人里を離れて行くといった印象を受ける。

   
飯田川左岸沿い (撮影 2017. 9.11)
   

 間もなくこの県道最後の人家を左下に見て過ぎる。工事看板が出て来たが、道路脇での工事で、通行に何も支障はなかった。

   

工事看板が出て来た (撮影 2017. 9.11)
左手下に最後の人家

工事個所 (撮影 2017. 9.11)
U字溝が置かれている
   

<飯田川>
 飯田川の流れがほぼ南北方向に向き、谷もやや広がりを見せる。関田山脈方面への視界も広がった。草木がうっそうと茂る中で埋もれそうになりながら飯田川が一筋流れている。

   
飯田川を上流方向に見る (撮影 2017. 9.11)
   

稲木だと思う (撮影 2017. 9.11)

<沿道の様子>
 この関田山脈北麓一帯は棚田が発達している。この地を旅していると沿道に稲木(いなぎ)をよく目にする。 他にもいろいろな呼び名があるようだが、要するに刈り取った稲を天日干しする時に使う柵の様な物だ。一箇所に棚田で採れた多量の稲を干す為か、多段の背の高い柱が立っていることが多い。残念ながら稲が干されている様子を見たことはないが、さぞかし壮観なことだろう。この土地での風物詩となるのではないだろうか。

   

<建物>
 飯田川が流れる谷が一段と広がりだすと、その只中にコンクリート製の建物の一群が立っている。人工物がほとんどない中で、非常に目立つ存在だ。やがて道はその脇を通る。 敷地への入口にはチェーンが張られ、立入禁止となっていた。多分、浄水場と思われる。飯田川を水源とした物のようだ。


前方に建物 (撮影 2017. 9.11)
   
浄水場だと思う (撮影 2017. 9.11)
   

<平等橋>
 浄水場を過ぎた直ぐ先、宇津俣橋からも僅かに1.5Kmで平等橋(へいとうばし)に至る。道はこの橋を渡って飯田川右岸へと続くが、地図の県道表記はこの橋で終っている。

   
平等橋に至る (撮影 2017. 9.11)
   

平等橋 (撮影 2017. 9.11)

<橋の様子>
 橋の銘板によると、この橋は「平等橋」で、「へいとうばし」と読むこと、「昭和61年12月竣功」、「一級県道 柳島信濃坂線」が通ることなどが分かる。昭和61年(1986年)とは比較的最近だが、それより以前にも何らかの橋は架かっていたことと思う。

   

平等橋の銘板 (撮影 2017. 9.11)

平等橋」とある (撮影 2017. 9.11)
   

平等橋の銘板 (撮影 2017. 9.11)

一級県道 柳島信濃坂線」とある (撮影 2017. 9.11)
   

<14年前のこと>
 この地を初めて訪れたのは2004年8月のこと(下の写真)。県道301号の先が一体どうなっているのかという単純な好奇心と、あわよくば薬師峠が越えられないだろうかという期待があった。
 
 平等橋を渡るとそこから先は未舗装路に変わった。周囲には全く人気がない。随分と寂しい場所だ。ここからはいよいよ関田山脈の奥懐に分け入って行くという感じがひしひしと伝わって来る。


平等橋の先 (撮影 2017. 9.11)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2004. 8.12)
この時はピンクのキャミで訪れた
キャミの左脇から道が分かれるが、今は廃道状態だ
   

平等橋を下流方向に見る (撮影 2017. 9.11)

 10数年振りに訪れた平等橋だったが、周辺の様子はあまり変わっていないようだ。ただ、木々が成長したせいか、以前の方がもっと見通しが良かったような気がする。橋の下流側の袂より近辺の棚田へと通じる作業道が登るが、以前はもっとくっきり見渡せていた。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2004. 8.12)
左奥に登るコンクリート舗装の道は周辺の棚田への作業道
   
   
   
平等橋以降 
   

<菅線>
 県道が終わった先の道は何というのかと言うと、上越市の市道・菅線となるようだ。手持ちの新潟県の県別地図には、この先に「菅」(すが)という地名がポツンと書かれていた。古くは人の住む地であったのかもしれない。
 
 路面は砂利である。少ないながらも車が通った跡がうかがわれ、日頃から利用されていることが分かる。道は飯田川右岸に寄り添って遡る。


砂利道 (撮影 2017. 9.11)
   

2コ目の分岐 (撮影 2017. 9.11)
ここもパス

<多くの分岐>
 これからが厄介だ。ただただ未舗装路を慎重に走っているだけでは事は済まない。この川沿いに進む本線は、行く行くは通行不能となってしまう。 薬師峠に向かうには、どこかで右岸上部の尾根へと登り始めなければならない。ところが、この右岸一帯に棚田が点在し、それらを結んで農業用の作業道が入り組んで通じている。 どの道を進めばいいかさっぱり分からないのだ。どんな詳細な地図でも、全ての作業道を事細かに記載した物はない。後は現地での感が頼りとなる。
 
 未舗装になって直ぐ左手に道が分かれる。しかし、もうほとんど使われていそうにない道だ。手持ちの新潟県別道路地図では、この道が安塚町伏野へと至る道として記載されていた。しかし、到底入り込むこことはできない。
 
 その後も何度か左手の丘へと登る分岐が出て来る。しかし、どれも如何にも作業道と言った様子で、軽トラ一台がやっと通れる程度の道ばかりである。

   
道の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

また別の分岐 (撮影 2017. 9.11)
ここもパス

<道の様子>
 川筋の本線は砂利道から土と草の道に変わった。徐々に寂れていく感じは否めないが、悪路という程ではない。
 
 何度目かに現れた分岐はしっかりしたコンクリート舗装となっていた(下の写真)。それを分けてからの本線は更に悪くなって行く。そろそろ潮時である。ただ、飯田川沿いの道を行ける所まで行ってみようと思う。

   

左に分岐 (撮影 2017. 9.11)
コンクリート舗装だ

分岐方向を見る (撮影 2017. 9.11)
後でここを登った
   
   
   
菅線の通行不能箇所へ(寄道) 
   

<菅線の先>
 市道・菅線はまだ暫く続く。かなり荒れた路面になったかと思うと、アスファルト舗装が出て来たりと、変化が激しい。どこまで続いているのか見当がつかない。
 
 かつてはこうした奥地まで耕作が行われ、この道も農作業用として利用されたのだろうが、今は寂れて行くばかりといった様子だ。 はっきりとは確認できなかったが、沿道にはまだ棚田が広がるようだ。玉石垣が積まれていたり、路肩にコンクリート製の用水マスがあったりする。 しかし、そうして築かれた棚田の多くも既に休耕地となり、草が覆い隠している様子である。


道の様子 (撮影 2017. 9.11)
やや荒れている
   

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
左手に道標の様な石が立っていたが、
文字が刻まれている様子はなかった

一部はアスファルト舗装 (撮影 2017. 9.11)
どこまで道が続いているか、見当がつかない
   

家屋がポツンと立つ (撮影 2017. 9.11)
(飯田川下流方向に見る)

<菅>
 途中、ポツンと一軒、家屋が立っていた。人家なのか倉庫や農作業小屋の類かはよく分からない。ただ、家屋の周囲には草が生い茂り、もう使われている気配はない。
 
 以前の道路地図に「」という地名が書かれていたのが丁度この付近だ。かつては人の住む集落があり、この付近に耕作地を切り開いて暮らしていたのかもしれない。平等橋の名となる「平等」(へいとう)も、どうやらそういう名の集落が橋の付近にあったらしい。

   

<ほぼ終点>
 道はいよいよ荒れ、路面は土より草の方が多くなった。すると、ちょっとした広場に出た。平等橋から約1.1Kmの地点だ。


草の道となる (撮影 2017. 9.11)
   

ちょっとした広場に出た (撮影 2017. 9.11)

<引き返し>
 その先を覗くと、まだ道は続いていそうである。ただ、路面を草が覆い、車で入って無事に帰って来れる様な状態ではない。 これが30年前なら若気の至りで、ジムニーで突き進んだかもしれないが、今は体力・気力共にそんな元気はない。また、こうしてここに広場があるというのは、ここで車を回転しなさいということでもある。 上越市の市道の地図を見ても、市道・菅線はここで尽きている。飯田川沿いの道もここでほぼ終点とし、引き返すこととした。

   
広場の先 (撮影 2017. 9.11)
ほぼ終点
   

<菅線の先>
 2004年に訪れた時も、車の通行が不能と判断した所で引き返した(下の写真)。場所は特定できないが、今回と大体同じ地点であろうか。
 
 尚、地形図を見ると、やはりこの地点から先は点線表記の徒歩道となっている。 ただ、1Km程行って小黒川水域へと越えると、そこからは軽車道となり、安塚区側に通じる林道菱ケ岳一号線に接続していることになっている。ほんの僅かな未開通区間を残して車道が通じていないようだ。


広場より下流方向に見る (撮影 2017. 9.11)
ハスラーはもう引き返す状態
   
以前の引き返し点 (撮影 2004. 8.12)
キャミも引き返す方向に向く
   
引き返す方向の様子 (撮影 2004. 8.12)
   
   
   
菅線から分かれ、薬師峠方面へ(余談) 
   

可能性のある分岐 (撮影 2017. 9.11)

<薬師峠を目指す>
 菅線のほぼ終点から引き返し、薬師峠を目指すこととする。途中で分岐していたコンクリート舗装の道が可能性が高いと判断、そちらを登る。

   

<分岐>
 細かい分岐が次々と出て来る。多くは農作業用の枝道。なるべく北へと登って行く本線らしい道を選ぶ。分からない時は、降りて分岐の周囲を確認する。


分岐 (撮影 2017. 9.11)
ここは左
   

分岐の様子を降りて確認する (撮影 2017. 9.11)

<周辺の様子>
 見渡すと、飯田川右岸の斜面を切り開き、棚田が築かれている。青々とした稲穂が茂っていて、現役の棚田であった。

   
周辺には棚田 (撮影 2017. 9.11)
   

またまた分岐 (撮影 2017. 9.11)
ここは直進

<分岐が続く>
 その後も幾つもの分岐が現れる。概ね脇道と判断、直進の道を進む。

   

<道の様子>
 路面は概ね砂利道で、急坂・急カーブの箇所がコンクリート舗装となっている場合もある。
 
 
<赤い杭>
 時折、頭部を赤く塗った木の杭が路傍に打ち込んである。妻が言うには小さく「新潟県」と書いてあるようだ。確信はないが、この赤い杭の道が本線ではないだろうか。


右に分岐 (撮影 2017. 9.11)
   

左に分岐 (撮影 2017. 9.11)

右に分岐 (撮影 2017. 9.11)
ここも直進
   

 農業中の軽トラが行く手を塞いだ。手前に分岐があったのでそちらに入り込む。

   
ここは左 (撮影 2017. 9.11)
   

<倒木>
 どうにか道は続き、先へ進めると思ったら、前方に倒木が現れた。脇を車が通った形跡があるが、進むかどうか迷う。折角だからと、妻に降りて誘導してもらい、倒木脇を通過。

   

前方に倒木 (撮影 2017. 9.11)

倒木の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

<引き返し>
 次は路面の中央に長い草が生い茂る。それだけではなく、その先の路面がかなり荒れている。最低地上高があまり高くないハスラーでは心もとない。これ以上は無理と判断し、引き返しとなった。
 
 ところで、最近のグーグル・アースはとても鮮明になった。地図に載らない道も上空からの写真には写る。特にコンクリート舗装や白い砂利の路面はその道筋が分かり易い。 グーグル・アースで確認すると、引き返し地点は新薬師峠を越える林道新田伏野線に接続するまで後500mくらいの地点であった。なかなかいい線を行っていたようだ。


この先、道は荒れている (撮影 2017. 9.11)
   
引き返し地点 (撮影 2017. 9.11)
   

 この後、県道278号で高尾に至り、その先が通行止だったので、柳島まで戻って国道405号、403号と走り繋いで安塚区側に回り込んだ。薬師峠が越えられないと、これだけの大回りをしなければならない。

   
   
   
安塚区側から峠へ(やっと本編) 
   

左に林道菱ケ岳一号線が分岐 (撮影 2017. 9.11)
右が県道301号の続き

<安塚区側の県道301号>
 牧区側からの薬師峠へのアクセスが失敗したので、今度は安塚区側から県道301号を進む。
 
<林道菱ケ岳一号線の分岐>
 伏野集落の中心地を過ぎると、県道301号は増々寂しい道となった。集落の南の端で林道菱ケ岳一号線が左に分かれて行く(この地点までは伏野峠参照)。右が県道の続きなのだが、何の道案内もなく、ちょっと見はどちらが本線か分からない。ただ、左の林道側には林道標柱が立つ。他にはクマ注意の看板が立つばかりだ。Y字路の奥で地すべり防止工事を行っていて、そちらの看板ばかり目立っていた。

   

Y字の分岐から県道301号方向を見る (撮影 2017. 9.11)

分岐に立つ看板 (撮影 2017. 9.11)
   

<菅線への分岐(余談)>
 尚、林道菱ケ岳一号線を約2.5Km進むと、右手に牧区方向(西)への分岐がある(右の写真)。どこまで車が入れるか分からないが、この道が小黒川(こぐろがわ)と飯田川との分水界を越え、飯田川沿いの市道・菅線へと接続する。仮に車が通れたとしたら、新薬師峠より更に奥に位置する横断道となる。


林道菱ケ岳一号より右手に分岐 (撮影 2017. 9.11)
この道が菅線へと続くようだ
   

<林道菱ケ岳一号線の分岐以降>
 林道菱ケ岳一号線は尚も小黒川沿いに遡り、行く行くは伏野峠にも到る。一方、県道301号は川筋を離れ、薬師峠が位置する尾根へと登り始める。S字の急坂を登る途中、背後を振り返ると伏野集落が林の中に佇む。

   
県道より伏野集落方向を振り返る (撮影 2017. 9.11)
   

<最終の人家>
 もう、伏野集落は終ったかと思っていると、一軒の人家の前を過ぎる。そこが安塚区側最終の人家となった。


県道最終の人家を過ぎる (撮影 2017. 9.11)
   

道の様子 (撮影 2017. 9.11)

<道の様子>
 沿道からは家屋などの人工物が消え、暗い林の中を暫し登る。

   

<遠望>
 間もなく開けた所に出て来た。新薬師峠を越えるこの峠道は、概ね開けていて展望にも恵まれている。
 
 途中、左に下る分岐がある(下の写真)。この県道301号から林道新田伏野線へと続く道の周辺には多くの棚田が点在する。本線から分岐する枝道のほとんどはそうした耕作地へのアクセス路となるようだ。


開けて来た (撮影 2017. 9.11)
   

左に分岐 (撮影 2017. 9.11)

分岐する道の様子 (撮影 2017. 9.11)
奥に菱ケ岳がそびえる
   

菱ケ岳 (撮影 2017. 9.11)
手前に国道403号の道筋の一部がうかがえる

<菱ケ岳を望む>
 峠の安塚区側では小黒川の上流方向に視界が開ける。中でも三角形の山容が一際目に付く。小黒川源流に位置する菱ケ岳(ひしがたけ)だ。その西側斜面に伏野峠を越える国道403号が通じるが、その様子も望める。

   

<棚田>
 沿道には時折、玉石垣などの擁壁が設けられている。道は傾斜地に築かれた棚田の只中を行くのだ。このようにして古くからの水田稲作が営々と続けられているのだろう。傾斜地の耕作には苦労も多いことと思う。


玉石垣を積んで棚田が築かれている (撮影 2017. 9.11)
   
周辺の様子 (撮影 2017. 9.11)
棚田の向こうに菱ケ岳
   

<道の状態>
 県道ということもあってか、ほぼ1.5車線幅を確保した走り易いアスファルト舗装路が続く。 安塚区と牧区とを結ぶ連絡路ではあるが、両区の交流などにはあまり使われないのではないだろうか。もっぱら、地元民の棚田などへのアクセス路の役割が強いものと思う。 それでも、この付近に通る農業用の作業道などに比べれば、最大の幹線路である。整備は十分行き届いている様子だ。

   
道の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

<関田山脈を望む>
 伏野集落から峠までの半分程も登ると、南に連なる関田山脈の稜線が望めるようになる。途中に飯田川が横切っているので、尾根を一つ越えた先に薄く山並みが見えている。

   
関田山脈を望む (撮影 2017. 9.11)
   

<沿道の様子>
 時折、寂しい道が分かれているが、沿道に広がる棚田へのアクセス路であり、どこにもつながらない道だと思う。私道かそれに等しく、無闇に入っても農作業の支障になるだけである。
 
 道は林に囲まれた暗い箇所を過ぎることは稀で、大抵は開けた雰囲気だ。


右手に分岐 (撮影 2017. 9.11)
   

道の様子 (撮影 2017. 9.11)

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
この先、やや開けた箇所に出る
   

<林道新田伏野線の終点>
 林道菱ケ岳一号線分岐からほぼ1Km、一段と開けた個所に至ると、そこに右手(北)へとしっかりしたアスファルト舗装の道が分かれる。 その分岐を過ぎた直ぐ先に林道標柱が立っていた。「林道新田伏野線 終点」とある。この林道名の「新田」は「棚広新田」の「新田」であり、「しんでん」と読むものと思う。棚広新田集落側が起点、この伏野集落側が終点となり、この林道が新薬師峠を越えている。

   

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)
   

林道終点を伏野集落方向に見る (撮影 2017. 9.11)
一帯は開けた雰囲気
左に分岐する道は元の薬師峠へと至るようだ

<林道標柱>
 林道の起工は戦前の昭和12(1937)年度と古いが、竣工は平成7(1995)年度と比較的最近のことだ。 工事の中断などもあったのか、長い歳月を経てやっと薬師峠に車道が通じたようである。
 
 林道標柱には「植生で 生かそう林道 わが郷土」という例の文字もある。ただ、後で気が付いたが、道の延長の記載が見当たらない。 草に埋もれていて、写真に写らなかったのだろうか。
 
<県道終点>
 ここが林道終点なら、県道301の安塚区側の終点でもあり、確かに一部の道路地図ではそうなっている。しかし、地形図では林道を更に約400m進んだ所までを県道表記にしている。

   

<旧道>
 林道はこの先つづら折りを織り交ぜながら新薬師峠へと登って行く。如何にも後の世に車道として開削された道筋に思える。 すると、この林道ができる前の古い峠道はどこに通じていたのだろうか。どうやら、林道標柱近くで分岐する道が、旧道に近いようだ。 実際はそのアスファルト道の分岐より30m程前で、北へと斜面を登って行ったような道の痕跡が確認できる。それが元の薬師峠へと登る峠道だったのではないだろうか。
 
 現在は林道新田伏野線終点から分かれる車道が、元の薬師峠の直ぐ手前まで通じているらしい。地図によっては林道新田伏野線が途切れている一方で、そのルートの車道がしっかり描かれている。

   

アスファルト道の分岐 (撮影 2017. 9.11)
伏野集落方向に見る

アスファルト道の手前にある道の痕跡 (撮影 2017. 9.11)
伏野集落方向に見る
   
   
   
林道新田伏野線以降 
   

<林道新田伏野線を行く>
 道は薬師峠の東麓に下る比較的緩やかな斜面を登る。その一帯の広範囲に棚田が広がる。間もなく、道はその棚田の中を縫うようにして通じるつづら折りを登り始める。視界が目まぐるしく移る。時折棚田の向こうに菱ケ岳を望む。

   

棚田が広がる (撮影 2017. 9.11)

つづら折りの途中で菱ケ岳を望む (撮影 2017. 9.11)
   

一部でコンクリート舗装 (撮影 2017. 9.11)

<道の様子>
 県道から林道に変わっても、特に道の様子は変わらない。ただ、急カーブの所で一部にコンクリート舗装がされていた。
 
 こうして沿道に棚田が広がるということは、林道新田伏野線が全通する以前から、農作業用の道が設けられていたことと思う。そうした道の一部を改修して林道としたのではないだろうか。

   

沿道の様子 (撮影 2017. 9.11)

棚田と菱ケ岳を望む (撮影 2017. 9.11)
伏野集落方向に見る
   

<薬師峠の尾根>
 つづら折りのカーブを何度か曲がる内、薬師峠の通じる尾根を見渡すようになる。

   
前方に薬師峠の通じる尾根を望む (撮影 2017. 9.11)
   

<南へ迂回>
 しかし、林道は薬師峠まで200mくらいまで近付くと、その後大きく南へと移動して行き、峠の鞍部らしき所も確認できない。

   

この正面辺りが薬師峠 (撮影 2017. 9.11)

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
薬師峠よりやや南へと移動する
   

<周囲の景色>
 周辺には高い山がなくなり、空が大きく開けて来た。峠は近いと感じさせる。

   
周囲の景色 (撮影 2017. 9.11)
   
   
   
林道薬師線 
   

<林道薬師線の分岐>
 長いコンクリート舗装が続いたかと思うと、その登り坂の途中で右に分岐があった。入口右手に林道標柱が立ち、「林道薬師線 終点」とある。最初、この道が薬師峠を越えているのかと思った。


右に林道薬師線が分岐 (撮影 2017. 9.11)
   

左が林道薬師線 (撮影 2017. 9.11)
右が林道新田伏野線を伏野集落方面へ

伏野集落方面へ下る林道新田伏野線 (撮影 2017. 9.11)
長いコンクリート舗装
   

<林道標柱>
 林道標柱によると、林道薬師線は起工・平成2(1990)年度、竣工・平成7(1995)年度とある。竣工年は林道新田伏野線と同じとなる。道も新しいが林道標柱自身も新しい。
 
 延長は約3.3Kmである。後で地形図を確認すると、ここから薬師峠近くを経由し、その先小黒川とその支流・朴ノ木川との分水界の尾根を下って行く道のようだ。 最終的には真荻平集落に通じるらしい。
 
 尚、この標柱では「植林で・・・」とあり、それまでの「植生で・・・」とは異なっている。僅かなことだが。

   

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)
   

林道薬師線の様子 (撮影 2017. 9.11)

<林道薬師線>
 林道薬師線は舗装されてはいるが、明らかに寂れた様子だ。沿道の草木は生い茂り、路面に枯葉や枯枝が多い。整備が行き届いていない様子がありありと見て取れる。
 
 林道薬師線を100m程も入り込むと、道はほぼ平行移動になる。その先を望んでも、道は左手の尾根を越えて行きそうにない。あまり使われていない様子からしても、この林道は新薬師峠を越える道の枝道と判断。丁度、路肩の広い場所があったので、そこで引き返すこととした。

   
林道薬師線をここで引き返し (撮影 2017. 9.11)
   

<薬師峠>
 後で地形図などを調べてみると、引き返し地点から更に100mくらい行った所より、林道薬師線から分かれて元の薬師峠の道が峠を越えていたようだ。地形図では点線表記の徒歩道が描かれている。ただ、もう人の踏み跡も分からない程になっているらしい。
 
 また、そのかつての峠への分岐近くから麓方向に分かれ、林道新田伏野線終点へと続く道がある。それらが旧道の道筋ではなかったかと思う。

   
この左手奥に薬師峠が通じていたらしい (撮影 2017. 9.11)
   
林道薬師線の引き返し地点から林道終点方向を見る (撮影 2017. 9.11)
   
   
   
 
   

<新薬師峠>
 林道薬師線の分岐から林道新田伏野線の続きを見ると、道は直ぐ先で右カーブしている。カーブの先の様子はうかがえない。 ちょっと見は、そこが峠だなどとは思われないが、そのカーブ部分が道の最高所となる。かつての安塚町と牧村との町村境、現在の安塚区と牧区の区界が横切る。古くからの薬師峠に変わる新薬師峠と言う訳だ。

   
安塚区側から峠を見る (撮影 2017. 9.11)
この先のカーブ部分が新薬師峠
右に林道薬師線が分岐する
   

<峠の様子>
 薬師峠は、関田山脈の主脈上に位置する伏野峠付近から北に派生する尾根上に位置する。 途中、飯田川が奥深く回り込んでいることもあって、新薬師峠から南へは飯田川上流部へと尾根はあまり登ることなく、どちらかと言うと当面は下り気味だ。 一方、北へは旧薬師峠へと尾根は登って行く。新薬師峠は明確な鞍部には位置しないのだ。当然ながら峠は切通の形態を採らず、峠の片側は開けている。その為、見た目ではなかなか峠とは判断し難い。道の上り下りだけが判断の頼りとなる。

   
安塚区側から見る峠 (撮影 2017. 9.11)
右カーブしている部分が道の最高所
   

峠の安塚区側 (撮影 2017. 9.11)
コンクリート舗装とアスファルト舗装との継ぎ目がある


<峠の標高>
 現在の地形図では、林道新田伏野線は620mと630mの中間くらいに通じているので、新薬師峠の標高は約625mと考えておく。
 
 尚、元の薬師峠は650mの等高線を少し下回る付近に通じていたようだ。新薬師峠は標高を数10m下げたが、その分、南へ約300m迂回した格好である。

   
峠より安塚区側を見る (撮影 2017. 9.11)
安塚区側の方が開けて視界がある
   

<峠の安塚区側>
 峠は鞍部に位置しないので、峠部分でも南方向にはあまり遮る物がない。ただ、沿道の草木が高く伸びているので、必ずしも麓の景色が眺められる訳ではない。 峠より少し安塚区側に入った辺りからが最も眺めが広がるようだ。小黒川が流れる谷間と、その先に連なる山々が見渡せる(下の写真)。

   
安塚区側の眺め (撮影 2017. 9.11)
   

<関田山脈を望む>
 また、林の先にどうにか関田山脈の稜線も望める(下の写真)。一際高い三角形の山は菱ケ岳だ。

   
関田山脈方面を望む (撮影 2017. 9.11)
左手の三角形の山は菱ケ岳
中央の鋭い鞍部は伏野峠付近
   

<伏野峠を望む>
 稜線中、鋭く切れ込んだ鞍部があるが、そこはほぼ伏野峠と思われる。ただ、古い伏野峠はあまり明確な鞍部にはなかった。切通しの部分は後に通じた国道403号の峠である。旧伏野峠はそこよりやや右手(西)に通じていたようだ。


伏野峠付近の遠望 (撮影 2017. 9.11)
   

<峠の牧区側>
 峠の直ぐ手前でコンクリート舗装から真新しいアスファルト舗装に変わり、右カーブしながら峠を越えて行く。その先にはちょっとした路肩が設けられていた(左下の写真)。 車を停めるのに好都合だが、最初、安塚区側から登って来た時は、数名の作業着姿の男性がアスファルトの上に寝ころんでいた。昼食後の休憩をしているようだった。仕方なく素通りしたが、付近には車などは見られず、この山中のどこで何の作業をしているのかと、不思議に思われた。
 
 峠を牧区側から見ると、角度によっては峠の先に菱ケ岳が覗く(右下の写真)。それ以外、峠の牧区側は草木が多く、空は開けているが、眺めはほとんど広がらない。

   

峠より牧区側を見る (撮影 2017. 9.11)
直ぐ右手に路肩がある

牧区側より峠を見る (撮影 2017. 9.11)
向こうに菱ケ岳を望む
   

 道の下り方も緩やかで、辛うじてカーブ部分が道の最高所だと判断できる程度だ。かつては安塚町と牧村との町村境だった筈だが、何の看板も立ってない。今でも本当にあそこが峠だったのだろうかと疑いたくなる程である。

   
牧区側より見る峠 (撮影 2017. 9.11)
あまり峠らしくない
   
   
   
峠より牧区側に下る 
   

牧区側の道の様子 (撮影 2017. 9.11)

<牧区側に下る>
 峠の西側は上越市牧区の宇津俣(うつのまた)である。ただ、宇津俣集落は薬師峠の西麓に流れる飯田川沿いに集中していて、この峠道沿いに宇津俣の人家などは見られない。
 
 峠から牧区側には細かな屈曲の道が下る。勾配はそれ程急ではない。牧区側から峠を目指すと、峠の部分と似たようなカーブが幾度かあり、峠と勘違いしそうになる。沿道には草木が多く、視界はまだ暫く広がらなかった。

   

<菅線への分岐>
 地形図では、峠から約500m進んだ地点で、飯田川沿いの市道・菅線方面へと下る道が分岐していることになっている。 一本線で描かれる軽車道だが、その様な道が分岐していたという記憶はない。写真やドラレコ動画を確認すると、どうにかそれらしい場所が見付かった(下の写真)。 しかし、草が生い茂っていて到底車道とは思われない有様だ。菅線側から登り、途中、道の悪さに引き返したが、それは正解だったようだ。容易には通れそうな道ではないらしい。
 
<第3の峠(余談)>
 手持ちの古い新潟県の道路地図では、旧牧村側の県道301号の終点(平等橋袂)から安塚町側の県道301号の終点(現在の林道新田伏野線の起点)までを繋ぐ道が描かれていた。その町村境の峠には「冬期閉鎖」ともあり、実際に車道が通じているものと思われた。
 
 その道のルートは、前述の菅線方面から登って林道新田伏野線に接続する道筋とも少し異なっていたように見える。地形図では、林道新田伏野線の峠(新薬師峠)より更に南に点線の徒歩道が描かれている。 峠の位置だけ見ると、それに最も近い。これは想像だが、林道新田伏野線が通じる以前、別の所に峠道が通じていたのかもしれない。

   

この先、左に分岐 (撮影 2017. 9.11)
市道・菅線へと下る道と思われる

分岐(右手)を峠方向に見る (撮影 2017. 9.11)
舗装に継ぎ当がされている箇所
ほとんど道とは思われない
   

<道の様子>
 林道新田伏野線では比較的新しそうなアスファルトの舗装路面が続く。道幅も十分で、林道としては立派な方だ。ただ、一部で路肩の枯草や枯枝が目立ち、あまり使われていそうな道にも思われない。整備もそれ程行き届かないのではないだろうか。
 
 それと、この峠道全般に言えることだが、ガードレールという代物が全くと言っていい程ない。一部の急カーブにガードレール代わりのコンクリートブロックの車止めが見られた程度だ。 ただ、関田山脈の主脈を越えるような大きな峠道ではないので、この峠直下の部分でも、断崖絶壁を伝うような険しさはなく、比較的穏やかな地形の中を下る。

   
路肩にコンクリートブロックの車止め (撮影 2017. 9.11)
   


<視界が広がる>
 徐々に開けた箇所も出て来る。尾根側に高い石垣が積まれていたりするが、周辺を見渡してもまだ棚田が出て来た訳ではないようだ。この付近の道はあまり農作業などに使われない為か、車の通行も稀で、道の寂れ方も目立つのかと想像した。


開けた個所に出る (撮影 2017. 9.11)
   
西方に視界が広がる (撮影 2017. 9.11)
   

<景色>
 視界はほぼ西方へと広がる。ただ、飯田川沿いまでは見下ろせない。それでも、緑一色の景色の中に、白い大きな建物が高台の上に立っているのが見えた。望遠で覗くとなかなか立派な建物だ。その位置からして飯田川左岸に立つ宇津俣温泉の深山荘らしかった。

   
白い大きな建物が見える (撮影 2017. 9.11)
   
宇津俣温泉・深山荘 (撮影 2017. 9.11)
   

 安塚区側のつづら折りという程ではないが、道の屈曲は絶え間がない。時折、峠近くにあったのと同じような広い路肩が設けられていた。対向車との離合の為の待避所としているのだろう。なかなか良心的な林道である。
 
<旧道>
 地形図を見ると、峠から約1Km下った左カーブ辺りに、元の薬師峠を越えて来た徒歩道が接続していることになっている。

   
この先の左カーブ辺りが旧道の接続部かもしれない (撮影 2017. 9.11)
   

 しかし、写真やドラレコ動画を確認しても、その付近に道らしき痕跡は全く見られない。旧薬師峠の道は、もう人が歩くのも困難な程、自然に帰ってしまったようだ。 地形図には峠近くに「記念碑」が立っていることを示すマークが記されている。 道標や地蔵などの類であろうか。それももう一般人には目に触れることのない存在となってしまったようだ。

   

旧道接続箇所を峠方向に見る (撮影 2017. 9.11)
手前に広い路肩がある (2車線路ではない)

旧道接続箇所 (撮影 2017. 9.11)
この左手上部が薬師峠と思われるが、
道らしき痕跡は全く見られない
   

<峠名について>
 薬師峠という名の由来などは分からないが、世の中に「薬師」と名が付く峠は多い。国土地理院の地理院地図(電子国土Web)で検索すると9つの薬師峠がヒットする。 その中で、香川県の薬師峠を六地蔵越の付属のような形で掲載したことがある。 その峠には薬師如来を刻んだ石碑が立ち、それが峠名の由来ともなるようだった。今回の峠も当然ながら薬師如来と関係するものと想像できる。 すると、前述の記念碑のマークとは薬師如来の石像か石碑ではないだろうか。ただ、もう確認するのは困難だが。

   

<旧道接続以降>
 林道は、元の薬師峠の南側を大きく迂回し、旧道接続箇所の後は概ね北西へと方向を転じる。沿道の草木が伸びていてあまり水平方向には視界が広がらないが、開けて明るい感じの道である。

   

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
開けていて気分はいい

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

<ウソ峠(余談)>
 峠道が明確に分かれた複数の水域を跨いで通る場合、本来の峠以外で道がアップダウンすることがある。そこが如何にも峠らしく見え、「ウソ峠」などとも呼ばれる。高倉峠(こうくらとうげ)などにははっきりしたウソ峠がある。峠の岐阜県側で道が揖斐川上流の支流・道谷から同支流・赤谷へと転じて行く。麓側から登って行くとそこが正に峠らしく望め、峠に着いたのかと勘違いする者も多いことだろう。
 
 薬師峠の場合、水域がはっきり分かれている訳ではないが、凹凸のある山腹を横断するように通じるので、本来の峠以外で僅かだが道が上下する。 峠直下にも勘違いしそうな所があったが、峠から約1.5Kmも下って来て峠の様な箇所を過ぎる(下の写真)。さすがに峠と間違いたりすることはないが、本来の新薬師峠よりよっぽど峠らしく見える。

   

前方に峠の様な箇所 (撮影 2017. 9.11)
手前に広い路肩有り

峠の様な箇所 (撮影 2017. 9.11)
   

<棚広新田へ>
 林道新田伏野線は峠の牧区側で一旦は宇津俣に下るが、行先は棚広新田である。丁度このウソ峠辺りで宇津俣から棚広新田へと入るようだ。

   

峠の様な箇所を過ぎる (撮影 2017. 9.11)

峠の様な箇所を峠方向に見る (撮影 2017. 9.11)
ここは既に棚広新田
   

<棚広村新田>
 棚広新田は飯田川上流右岸の丘陵地に位置する。江戸期〜明治22年の新田名で、棚広村の枝郷として「棚広村新田」などと呼ばれた。江戸中期に盛んに進められた開田によって生れた典型的な新田集落とのこと。
 
 明治22年に棚広村や宇津俣村などと共に合併して川辺村(かわべむら)が誕生、棚広新田はその大字となる。明治34年からは牧村の大字。元は新田開発によって誕生した村だったので、その地域は宇津俣などに比べるとずっと狭い。

   

<棚広新田の棚田>
 峠の様な箇所(ウソ峠)を抜けると、それまでとは異なった景観が沿道に広がり始める。標高はまだ530mと高いが、棚広新田の中でも高所の方に位置する棚田が見られるようになる。

   
沿道に棚田が広がる (撮影 2017. 9.11)
   

 下るに従い次々と棚田が現れ、規模も次第に大きくなって行く。

   
棚田の中を行く (撮影 2017. 9.11)
   

 ただ、まだ棚田はポツリポツリと点在するばかりで、その間を繋いで急カーブ急坂の道が下る。

   

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
棚田と棚田を繋いで道が下る

道の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

<菅線方面への分岐>
 下る途中、鋭角な右カーブがある。そこより東へと寂しい道が分岐する。草の間から舗装路面が見えるが、もうほとんど使われている様子はない。この分岐付近は、一時的に大字宇津俣となるようだ。
 
 古い道路地図では、平等橋付近の現在の市道・菅線より分かれた道が、一筋は峠を越えて安塚町へ(前述)、もう一筋は、この地点にまで至っていた。 元の薬師峠を越えた道は、その道の途中に接続し、この分岐点にまで下っていたようだ。林道新田伏野線が整備される前は、そちらが本線の林道で、更に古くは宇津俣や棚広新田から薬師峠を越えて伏野とを結んだ峠道だったのではないだろうか。


菅線方面への分岐 (撮影 2017. 9.11)
(左が峠方向)
これが元の薬師峠の道ではないだろうか?
   

<広い棚田>
 峠に続く坂道を2Km程も下ると、一段と広々とした箇所に出る。なだらかな斜面一杯に棚田が広がる。道はその只中を横切る。

   
一段と広い棚田が広がる (撮影 2017. 9.11)
   

<宇津俣への分岐>
 直ぐに、左手に狭い舗装路が分岐する。周辺の棚田へと通じる作業道のようだが、地形図ではその先宇津俣集落へと至っている。 宇津俣橋の袂に立っていた宇津俣集会所の脇へと出るようだ。林道新田伏野線の行先は棚広新田集落だが、古くからある薬師峠の道は宇津俣集落にも通じていたことと思う。 集落の規模としても棚広新田より宇津俣の方が大きそうだ。

   
左に分岐 (撮影 2017. 9.11)
   
左奥に通じるのが宇津俣集落へと至る道 (撮影 2017. 9.11)
右は棚広新田へ、手前が峠
   

<棚田を横切る>
 道は宇津俣への分岐を過ぎると棚田が広がる斜面を横切って北へと向かう。行先は棚広新田だ。前述のようにここより南へ下れば宇津俣、東へ登れば薬師峠である。この地点は大きな分岐点と言えそうだ。

   
棚田区間を峠方向に見る (撮影 2017. 9.11)
左手が峠方向、前方が宇津俣方向、手前が棚広新田方向
   

最初に出て来た家屋 (撮影 2017. 9.11)
物置小屋だろうか
(左手が峠方向)

<林道起点>
 棚田が途切れて林の中に入って行くと、沿道に家屋が出て来る。棚広新田集落の一端に取り付いたようだ。ただ、2階建ての母屋は既に朽ち、人が住んでいる様子はない。
 
 その人家を過ぎた先に、林道標柱が立っていた。「林道新田伏野線 起点」とある。例の「植林で 生かそう林道 わが郷土」という標語も書かれている。ただ、安塚区側の林道終点では「植生で・・・」とあったのとは異なっている。比較的新しそうな林道標柱だ。

   

林道終点近くに立つ人家 (撮影 2017. 9.11)

林道標柱が見えて来た (撮影 2017. 9.11)
   

<林道の延長>
 標柱によると、林道の幅員は3.0m、延長は3,658mとなる。峠の安塚区側が約1.2Km、牧区側が約2.4Kmである。

   

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)

林道標柱 (撮影 2017. 9.11)
   

<峠の開通年>
 林道の起工は昭和57(1983)年度、竣工は昭和60(1985)年度とある。 安塚区側の林道終点では、起工は古く昭和12(1937)年度だったが、竣工は遅く平成7(1995)年度となっていた。新薬師峠は牧区側が最初に開通(1985年)し、全通したのが1995年ということだろうか。
 
 とにかく、古くからの薬師峠に変わる車道の新薬師峠の出現は1985年辺りからの様だ。林道新田伏野線が全通する以前にも、安塚区側の林道薬師線を経由して、車による峠の行き来は始まっていた可能性がある。

   
   
   
棚広新田集落へ 
   

<柳窪線>
 林道起点を示す標柱を過ぎると、道は西へと向きを変える。林道区間を過ぎ、棚広新田の集落内に通じる道となる。上越市になってからは市道・柳窪線と呼ぶようだ。「柳窪」とはこの付近にある字名だろうか。

   
集落内へ入って行く (撮影 2017. 9.11)
   

<沿道の様子>
 ただ、暫くは沿道に建物は少ない。よくよく見ると、かつては人家が建っていたのではないかと思われる平坦地があるが、今は草木に埋もれている。
 
 途中、棚田の間を抜ける。その後、沿道に建物が僅かながら多くなった。


沿道の様子 (撮影 2017. 9.11)
僅かに建物が見られる
   
棚田を過ぎる (撮影 2017. 9.11)
   

集落の様子 (撮影 2017. 9.11)
やや建物が多くなる

集落の様子 (撮影 2017. 9.11)
   

<県道278号に接続>
 市道・柳窪線は450m程で県道278号・牧横住線に接続した。その十字路は棚広新田集落の中心地と思われた。

   

集落の様子 (撮影 2017. 9.11)

集落の様子 (撮影 2017. 9.11)
県道278号に接続
   

<峠の役割>
 現在の新薬師峠を越える林道新田伏野線は、伏野(大字としては真荻平)と棚広新田を繋いでいる。 但し、それらの集落間の行き来に使われるより、それぞれの集落が所有する棚田の維持・管理に利用される方が多いように思う。もう峠を越えての交流はあまりないのではないだろうか。
 
 しかし、薬師峠という名も付いた峠道が通じていたことからすると、古くは伏野と宇津俣や棚広新田などとの間で峠を越えた交流が少なからずあったことと思う。 伏野は小黒川最上流の集落、一方、宇津俣も飯田川最上流に位置する。 移動手段がもっぱら歩くことが主だった時代、伏野と宇津俣は行政地域は異なっても距離的に近い関係にあり、隣り合う村同士として交流があっても不思議ではない。
 
 薬師峠は伏野峠や須川峠の様に関田山脈を越える峠ではないので、信越間の物資輸送には直接は関係はない。 ただ、宇津俣は上越地方の中心・高田城下方面からほぼ飯田川沿いに遡った地にある。 一方、須川峠や伏野峠を信濃側に下った所には、千曲川通船の発着場となる西大滝や七ケ巻(なながまき)がある。 これは想像だが、高田城下方面と西大滝などの千曲川通船とを結ぶ経路として、この薬師峠を通過するルートも利用されたのではないだろうか。単に麓の村同士を繋ぐ峠道というだけでなく、広く信越国境を越える交易の物資も、この薬師峠を越えたかもしれない。
 
 現在は、かつての薬師峠は廃道となり、代わって林道の峠(新薬師峠)が開通している。今の自動車社会で車道は欠かせないインフラだ。 一方、自動車の普及により、川の上流部に位置する伏野や宇津俣の集落からも、下流の市街地に出るのは容易になった。 わざわざ峠を越えて隣村に出掛けたところで、親類でも居ない限りあまり有用ではないだろう。伏野峠や須川峠を利用した信越交易もとっくに廃れてしまっている。 薬師峠に車道が通じたものの、峠を越える車は少ないのではないだろうか。

   
   
   
棚広新田の中心地 
   

<十字路近辺の様子>
 棚広新田の集落は主に県道278号沿いに分布する。特に市道・柳窪線と交差する十字路付近が大字棚広新田の中心地となるようだった。 十字路の角に「棚広新田」と書かれた看板が立ち、県道沿いには棚広新田の集会所と思われる建物が見られた。また、地図上では近くに直江八幡神社があることになっている。
 
 文献によると、大字棚広新田には小田と棚広新田の2つの集落があるそうだ。県道278号をもう少し高尾(北)寄りに行った所に少し人家が集まる所があったが、そこが小田だったろうか。

   

集会所と思われる建物 (撮影 2017. 9.11)
県道278号を高尾方向に見る

付近の様子 (撮影 2017. 9.11)
県道278号を棚広(宇津俣)方向に見る
   

 実は、新しい薬師峠を越える林道がどこに行き着くのか全く分からずに峠を下って来た。県道278号に出てハタと気付いた。 この十字路は2時間余り前に通過して、見覚えがあるのだ。写真も撮ってあった。しかし、何の道案内もない。「薬師峠」と一言でも書いてあったら、市道・柳窪線へと進んでいたものを・・・。
 
 安塚区側からは県道301号の延長線上に林道新田伏野線があり、そのまま峠へと導いてくれた。しかし、牧区側からは県道301号の先の市道・菅線は行く行くは通行不能となる。 途中の脇道に入るも、本線を探すのが難しい程に道が入り乱れ、結局、荒れた道に引き返しとなった。 また、薬師峠は伏野と宇津俣を繋ぐ峠道だと決め込んでいたので、棚広新田に接続するルートが現在の本線だとは思わなかった。 ただ、「白峰地区振興協議会」の看板をじっくり見て置けば、気付いた筈ではあるが。

   
県道278号と市道・柳窪線との十字路を高尾方向に見る (撮影 2017. 9.11)
   

<引き返し(余談)>
 さて、この後は伏野峠(国道403号)を目指す積りなのだが、どうしていいか分からない。同じ道を戻って再び新薬師峠を越えるのも能がない。集会所の前に車を停め、路傍で地図を広げて思案していた。

   
十字路の様子 (撮影 2017. 9.11)
市道・柳窪線が横切る
前の人家からおばさんが出て来た
   

十字路の様子 (撮影 2017. 9.11)
市道・柳窪線を峠方向に見る

十字路に立つ看板 (撮影 2017. 9.11)
棚広新田」とある
看板に描かれた鳥は、旧牧村の鳥・オオルリだと思う
   

地元のおばさんと立ち話 (撮影 2017. 9.11)
後部に付けたドラレコに偶然写っていた

 すると近所の人家からおばさんが一人出て来た。通りすがりに我々が道に迷っているのを察し、声を掛けて来てくれた。やはり伏野へ戻るのは薬師峠を越える方が早いようである。 全線舗装と言えども、一般人にはそれなりに険しい林道だ。それでも、おばさんは事なげに通れるように言う。意外と棚広新田と伏野との間に交流があるのかもしれない。
 
 余談に深山荘の話がおばさんからの方から出て来た。何か工芸品の様な物を手作りし、深山荘に出しているとのこと。この付近の地元民にとってやはり深山荘が大きな話題となるようだった。

   

 その後、集落の男性が2名、集会所などから出入りする光景を目にした。新規にハスラーの後部ドアにもドラレコを搭載してあった。 エンジンを切っても最長5分間記憶するように設定してある。偶然、我々の立ち話や住民たちが行き交う様子が写っていた。 単に通り過ぎただけでは人気のない集落に思えるが、こうして暫し留まると、人の暮らしが見えてくものだと思わされた。

   
   
   

 薬師峠の近辺は、謎めいた市道やら林道・農業用の作業道が無数に通じる。通行不能だったり既に廃道になっていたりもするが、通り抜け可能な道もあることだろう。 その中では、今回の林道新田伏野線は王道的な存在だ。何しろ、小黒川と飯田川の分水界であり、旧安塚町・牧村の町村境でもある新薬師峠を越える峠道である。他にも探せば面白い道筋がいろいろと見付かるのではないだろうか。10数年前に訪れてからずっと興味をそそられ続けて来た。
 
 しかし、飯田川最上流の市道・菅線の通行不能箇所に行き着くだけで、もうヘトヘトである。途中、何度引き返そうかと思ったかしれない。以前なら、完全舗装の林道新田伏野線程度の道は物の数に入らなかった。これからは、そのくらいの峠道で満足するしかないかと、やや寂しく思う、薬師峠であった。

   
   
   

<走行日>
(2000. 6. 4 長野側通過 ジムニーにて)
・2001. 7.29 新潟→長野 ジムニーにて
(2004. 8.12 新潟県側通過 キャミにて
・2017. 9.10 長野県側より峠まで ハスラーにて
(2017. 9.11 新潟県側の途中まで ハスラーにて)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 15 新潟県 1989年10月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行 人文社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 
<参考動画(Youtube)>
薬師峠/新潟県上越市
 牧区棚広新田から安塚区真荻平伏野集落までのドラレコ動画(2倍速)です。
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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